南インド ムンバイ エレファンタ島
南インド アウランガバード アジャンタ・エローラ
南インド チェンナイン カーンチプラム・マハーバリプラム
南インド マドゥライ ミーナクシ寺院
リタイヤ夫婦二人のバンガロール滞在レポート
※北インド他のページ内リンクをもっと表示する OPEN/CLOSE
北インド デリー インド人気質、世界中にあって、インドにない言葉
北インド アグラ インドの物価感覚 決してルピーを円換算していけない
北インド ジャイプール チップの相場
北インド カジュラホ オートリキシャの交渉術
北インド バナーラス たばこを一箱買う人はお金持ち、1カートン買う人は大富豪
北インド サルナート インドで仏教徒と接するとほっとする
南インド ページ内インデックス
ドラヴィダ文化色づく世界遺産南インド
まだ海外旅行の経験が未熟だった30才の頃、初めて夫婦二人で訪れたアジアがインドでした。
二十代半ばまで南米で
青春を過ごし、日本に帰り仕事を得え、結婚・住いの購入と人並みの生活が始め落ち着きだすと、
青春時代の血が再び、騒ぎ出してきました。
1985年、カミサンと二人、北インドのPACツァーに参加しました。
当時この手のツァーは八日間40万円
が当たり前の、今では考えられない相場でした。
それでも、当時の一般的な人達が行かないインドと云う事で、かなり内心は自慢の旅でした。
確かにインド
は、文化と云うよりも宗教的に考え方が大きく違い、強烈な印象を覚えました。
それから、16年。
点と点を結ぶだけのPACツァーの限界を知り、多少は無駄な時間があっても、
個人で自由に動き・面を知る旅のスタイルに移行して来た私たちは、南インドを再び訪れました。
インドは、多民族・多言語国家です。
人々の顔も北から南に行くに従って、彫りの深い、いくらか白いインド的
な顔から、丸びをおびた黒い顔に変わっていき、比例して性格も穏やかに成って行きます。
この記事は、2001年1月の南インド個人手配の旅を中心に、1985年12月の北インドPACツァーの画像と印象を
まとめたもので、旅の具体的な情報はあまりありません。
「地球の歩き方」に一部私達の投稿記事が掲載されて
いるので、そちらを参考にして下さい。
世界遺産 南インドへの旅のスタイル
インドは英語圏でもありますし、鉄路・航空路も発達しているので、楽勝個人自由旅行が出来るだろうと考え、計画を
始めました。
しかし、若いバックパッカーと違い二人とも仕事を抱えている四十代の夫婦が一緒に休暇が取れるのは、
GW・お盆・正月休みと決まっていて、現地の事情は何とかインターネットで解る物の、肝心のドピーク時の成田・ムンバイ
間のフライトが取りません。
そこで、この時期確実に座席を押さえているであろう、インド専門店アショカツァーに
座席を譲ってくれと、虫の良い相談をした所、インド国内、ラウンド手配を全て任せて呉れればお譲りします、と云う回答
になり、ルート・観光の有無・ホテルグレードまで全て指定して、OKになりました。
つまり、この南インドの旅は、夫婦二人の豪華大名旅行になったのです。
が、お値段はかなりリーズナブルにはなりました。
団体PACツァーの日程が合わない、グループ旅行は嫌、ある程度の予算が懸けられる人、現地ガイドが英語で構わない
人には、お勧めの旅のスタイルです。
世界遺産 南インド ムンバイ
2007年、今では世界のITをリードするインド頭脳集団として、持て囃されていますインド技術者達の会社が立ち並ぶ
のが、此処ムンバイで、日本からもデリー経由で直行便が飛んでおり、中東・アフリカ方面のハブ空港として、デリー
よりも、重要な都市として知られています。
インド門
アラビア海に面したムンバイ否やインドの象徴がインド門です。
1911年、植民地時代英国国王ジョージ5世夫妻の来印を記念して建てられた門です。
その後ろにあるのが、
インド最大財閥ターター資本のタジ・マハル・ホテルです。
財閥創設者のターター氏が
英国友人と食事をする為当時のインド最高級ホテルに行った時、インド人である事を理由に断られたのが、建設の発端と
なった、今ではインドの国賓館的なホテルが、インド門と同じ場所にあります。
写真撮影のポイント
インド門はアラビア海に面して、歓迎の意味で西向きに立っているので、お昼過ぎ、エレファンタ島フェリー
の帰りの船上から撮影するのが、ベストポイントです。
陸から撮影しても何の意味もありません。
世界遺産 南インド エレファンタ島
フェリーで45分の距離の島に、世界遺産に登録されている、6~8世紀にかけて建造された
シヴァ神を中心としたヒンドゥの石窟寺院がある。
エローラ・アジャンタまで見に行くほど、インドヒンドゥ芸術に興味がなくとも、ムンバイの町でブラブラ
する感覚で気軽に、行ける場所である。
インドが初めてで、ムンバイから入る旅行者には、練習相手としてちょうどお手頃の物売り・自称ガイドが屯しているので
インドの観光地の良い勉強になるでしょう。
でも彼らはまだまだ三回戦ボーイ程度ですから、夢々インド商人を見くびって
はいけません。
写真撮影のポイント
内部はビデオは禁止、フラッシュ撮影OKです。
フェリー乗り場から洞窟の間に、頭に荷物を載せた格好の被写体の女性たちが大勢いますが、観光客用のモデルです、
撮影の後にお金を要求されますので、御注意下さい。
世界遺産 南インド アウランガバード
アジャンタ・エローラの観光拠点の町、私たちは飛行機で飛びまして45分。
ムンバイから直通列車(8時間)もあるし、インド門付近でエローラ・アジャンタ観光バスツァー(片道10時間)も出ているので、
金はなくとも、暇と体力がある若者はどうぞ。
ここには、タージマハルをモデルに建立されたビービー・カマクバラー廟があり、あの高い入場料とカメラフィを取る
本物には行かなかった人には、良いかも。
アジャンタ
奈良の法隆寺金堂の壁画のオリジナルと云われているのが、ここ、インド・デカン高原の石窟寺院のこの仏様と
云われている。
シルクロード大好き、仏教伝来話大好き、の私には、念願の地です。
此処に来ると、北インドのインド人のしつこさ、横柄さを思いおこされます。
カメラフィは要求されるは、ビデオは撮影
出来ない、部屋の中は、ライトチケットをしつこく要求するはで、おちおち、ゆっくり見てもいられません。
当然のことながら、インド人は誰一人として、そんなものは払ってはいないのですが、遺跡保存料・税金として割り切る
しか有りません。
世界遺産 南インド エローラ・カイラーサナータ寺院
エローラも、石窟寺院です。
初期の仏教僧は修行の為に、人里離れた山の中の岩肌をくり抜いて修行の場と
し、後に金持ちが寄進として、仏像・壁画を描かせたもので、世界中にこれらの風習・遺跡は残り、スリランカ・ダンプラ、
パキスタン・バクティバイ、中国・莫高窟として今に残っている。
ここの凄いのは、これらの初期の頃の仏教窟ではなく、後にヒンドゥ教寺院として建設されたカイラーサナータ寺院
である。
何と、100年の年月を費やして、岩山から寺院まるごと切り出して作られているのである。
写真撮影のポイント
この掘り出された様子は、裏山に登って見ると良く解ます、お勧めのポイントです。
広角レンズを御用意下さい。
世界遺産 南インド チェンナイ(旧名マドラス)
この辺りから、南インド・ドラヴィダ文化が始まります。
北のヒンドゥ教はかなり、イスラム色が強く影響しているのですが、
南に下がるに従って薄れ、土着宗教色が増していきます。
カーンチプラム・カイラーサナータ寺院
チェンナイ市街から車で2時間、ヒンドゥー七聖地の一つとして、現在でも多くの巡礼者で賑わう、7~8世紀にかけて
建設された美しい寺院です。
南インドヒンドゥー建築の大きな特徴は、巨大な高さを持つ ゴープラム と呼ばれる塔です。
シンガポール
のインド人街で見かけた時から、一度本場のゴープラムが見たくて、この地にやってきましたが、生憎の雨でした。
でも、その高さには圧倒されます。
マハーバリプラム



海岸寺院
は、1984年と云うかなり早い時期に世界遺産として登録されました。
世界遺産の本来の意義はこのまま 何もせずに放置しておくと、消えてしまう文化遺産・世界遺産を守ろうとする、ユネスコの事業です。
観光誘致の為 ではありません。
元々、この海岸寺院には同じような寺院が7つあったのですが、波や風の浸食の為消滅し、現在残って いるのはが、この画像の寺院だけと云う、世界遺産を象徴する紀元7世紀の寺院です。
リゾート
訪れた日は12月31日の大晦日で、インドではお休みのようで、大勢の人達が海岸で遊んでいました。
南と云っても、それほど気温・水温は高くなく海水浴・水着の人はいなく、波と遊んでいます。初めて海を見るのでしょうか 二人の子供は、母親にしっかりしがみついて波を見ていたのが印象的でした。
閑話休題
12月31日の夜のホテルの夕食が面白かったです。
今回の旅は、現地旅行会社が勝手にスタンダードの夕食をホテルにオーダーしてありました。
それは楽で良いのですが
当然FIX・お仕着せメニューで、スープ・野菜・デザートを数種類のなかから選ぶのですが、12月31日の夜は特別で ホテルのレストランは地元のパーティで、私たちのようなお仕着せメニューの客は、ルームサービスとなりました。
ここで登場するのが、インド気質丸出しのボーイ長です。
注文を部屋まで摂りに来た時、あれも出来ない、これもないの 一点張りだったのですが、急にこのボーイ長は、ボールペンを持っていないか?とアジアではお決まりのおねだりが 始まりました。
アジアに旅する時には、10本ほどのボールペンは必ず持って歩くのを習性としてる私たちです。この日まで まだ使わなかったのですが、此処で使う事にしました。
1本づつ、どれが欲しいか聞いた所、息子・娘が10人いると言い出し ました。
OKでは、夕食は何を注文して良いの?、彼の返事は「Everything OK My service」 心に残る、大晦日の大宴会となった次第です。
これだから、アジアはたまらないな。
クリシュナのバターボール
そもそも、南インドへの旅を計画したのは、毎年購入している JVC(日本国際ボランティアセンター)のカレンダーにこの不思議な石を見つけた時でした。
不思議大好き人間夫婦の私たちは、この手の写真や記事を見ると必ずメモし、何処にあるのか、どうやったら行けるのか調べる 事にしています。
あのミャンマーのチャイティーヨパゴダも カレンダーで知り、調べて出掛けたのです。
この岩も大変面白いです。
遠くから眺めると、どうして転げ落ちないのかと思われるのですが、近くへ寄ってみると かなりの設置面積がある事が解りました。
でも、微妙なバランスで面白いです。
世界遺産 南インド マドゥライ
ミーナクシ寺院
驚くべき巨大な寺院がある。
極彩色に彩られた尖塔(ゴープラム)がそそり立つ此処
ミナークシ寺院の門前町、マドゥライは、一日の参拝客が1万人を越える、文字通り南インド・ドラヴィダ文化
の中心である。
巨大なゴープラムには、全てに色とりどりの彫像が彫られおり、一日見続けていても飽きる事はない。
写真撮影のポイント
あまりにも、巨大すぎて広角レンズを以ってしても、全景は収まらない、寺全体とゴープラムを収める為には、周囲にある
お土産物さんの屋上が絶好の撮影ポイントです。
各お土産物には、これらのビューポイント用の展望台を設置している所が
数多くあるので、日差しの方向を見ながら、何軒かチャレンジしてみるのが良い。
勿論、無料です。
しかし、お土産物屋なので、撮影後何がしの買い物或いは、チップは必要です。
世界遺産 北インドの旅
北インドは1985年暮、PAC旅行で行きました。
デリー・アグラ・ジャイプール・カジュラホ・バナラシのいわゆる、
インドビギナーのゴールデンルートです。
20年以上前で八日間一人40万円ですから、今では考えられない高額大名旅行
でした。
アジアを目指す旅人にとって、良きすれ、悪しきにすれ避けては通れない国です。
世界遺産 北インドの旅 デリー




スペイン語が堪能の為と云う事もあり、さほどの文化ショック を感じた事はなかったのですが、エアーインディアで深夜デリーに降り立った時の印象は今でも鮮烈に覚えています。
空港から一歩外にでると真っ暗です。
その暗闇のなかの無数に光る瞳が一斉に私たちに向かって押し寄せてき、バキジの奪い 合いが始まるのです。
PAC旅行で添乗員・現地ガイドが付いているので、個人旅行のようにいちいちチップの事を気にしなくて良いのですが、 バキジの行方を案じた事と、とんでもなく面白い国に来たのだと思いは強烈に感じました。
インド人気質
観光情報については、ガイドブックや他のWebサイトにお任せします。
ここで述べたいのは、デリーの雰囲気とインド人気質です。
日本人的、仏教的な考えと全く違う人種である、と云う事を先ず認識しなければなりません。
ウソだと思うのですが、信じている 逸話があります。
世界中の色々な国々・民族・人種の言語では必ず有り、使われている言葉のなかで、インドでは使われていない 或いは存在しない言葉が2つあります。ウソのような本当の話です。
その二つの言葉とは何でしょう。
?
答えは Thank-youとSorryです。
ここで私がどんなに説明しても、海外旅行は添乗員付きのヨーロッパやハワイ、エジプト旅行を 途轍もない秘境旅行と考えているような方には理解出来ないと思うので、これ以上は書きませんが、観光地は勿論、 街中でもレンズを向けた相手が カメラに気が付いたら、必ずチップを要求するお国柄です。
世界遺産 北インドの旅 アグラ
世界遺産 インドの物価感覚
確かに、類をみない白大理石の豪華さと対象美が有り、人類の一員として見ておきたいものなのですが、一般インド人がすぐ 手をだしてくるように、インド政府は何処でも庶民物価とかけ離れた入場料+遺跡保存寄付金?+カメラチケット+ ビデオチケットを要求してきます。
開発途上国によくあるケースなのですが、2007年現在、webサイトによると20$のようです。
他にカメラチケットは現在の値段は 解りませんが、2003年データーで50ルピーです。
ビデオは撮影可能かどうかは解りませんが、内部はほぼダメだと思います。
現地通貨を日本円で換算してはいけません。
カメラチケット(正確にはカメラフィー)50ルピーは日本円に換算すると、150円程度です。
確かに為替換算ではそうです。
150円 だったら仕方ないか、と日本人でしたら誰しもが考えます。
しかし、発展途上国では一般庶民の生活物価と為替相場はイコール ではないのです。
世界一物価の高い東京から来た若い日本人女性が、何処へ行っても安い・安いと連発して買い物をするのを 苦々しく思っている日本語ガイドは五万といます。
では、どうやって本当の庶民の生活物価を掴むか?私達の場合
初日、ガイドに先ず聞きます。
「この国の首都で標準的な広さのアパートを借り、小学生・中学生の子供を持つ夫婦一家の 一ヶ月に必要な生活費はどの位ですか?」贅沢をすればきりがないけど、と云う前置きの元で必ずガイドは答えてくれます。
ドル換算で200と答えが返ってきたとします。
同じような東京の一家の場合1ドル120円と計算して少なくとも2000ドル24万円は 最低必要ですから、計算するとその国の一般庶民物価は日本の10分1となります。
インドの場合、確かに1ルピーは約3円ですが、庶民の実質価値は30円となるのです。
八日間程度の団体PACツァーでしたら、1ルピーは約3円でも何ら問題はありませんが、個人レベルのインドの旅となると、外国人 旅行者と云う立場を考慮しても、1ルピーは約10円程度で考えて旅する必要があります。
世界遺産 北インドの旅 ジャイプール




ジャイプールの名物は、象のタクシーです。
どんなツァーにも含まれていますが、ここで必ず問題になるのが、象のドライバーへのチップです。
PACツァーに含まれている場合 は、原則チップは不要なのですが、100%この象使いは請求してきます。
象の脇に勝手に楽器を奏でながらついてくる男も、請求しま す。
もし一緒に写真を撮ったりしていれば払わなくてはいけません。
では、いったいいくら渡すのか?標準的な日本人観光客は1ドル払っているのを見た事があります。
とんでもない高額です。
1ドル120円ですが、実質庶民生活物価からすれば1200円感覚です。
象使いは日本人は1ドル払うものと解っていますから、必ず 要求します、それも一人1ドル。
払う必要はありません。
4人で1ドルでも払いすぎです。
現地のガイドに聞くと、1ドルと云う値段が返ってきます。
彼らは毎日365日此処にいて、象使いとは友達ですから、 本当の相場は教えてくれません。
インドの人たちが、どんな色のお札で渡しているかを盗み見するしか、方法は有りません。
或いは罵倒を浴びても払わないか、 どちらかでしょう。
世界遺産 北インドの旅 カジュラホ



カジュラホは田舎の小さな村です。
此処を有名にしているのが、10世紀頃に建てられた寺院群です。
これらの寺院の壁面を埋め尽くす、レリーフの中でエロチックな男女結合の彫刻が世界中から、観光客を呼び寄せ、 小さな村にも関わらず、宿泊施設が充実しています。
アグラ・ジャイプールのような大きな都市でないので、この村での宿泊は旅の疲れを癒す一日となります、が・・・しかし と言ってもインドには変わりなく、田舎の小さな村と言えど気を抜く事は出来ません。
インドのオートリキシャ・タクシーの値段トラブル
都市から離れ、半日ゆっくり過ごす時間が持てたので、小さな村をリキシャで廻る事にしました。
インドでは、否、外国では定価・正価と云うものは、存在しません。
大都市の一部にしかメータータクシーは存在しませんし、 言葉の解らない外国人であれば、メーターがあっても使用しないのは120%当たり前の事です。
ましてや、観光地のリキシャで 村を観光ともなれば、相手の思うが壷です。
全て交渉で値段が決まる世界なので、先ずは値段交渉から。
1, 一人いくらなのか?1台でいくらなのかを先に聞き、交渉スタートする。
2, 相手の言ってくる値段の1/5からスタートする。
値切る事はけっして恥ずかしい事ではありません。
3, 廻りの旅慣れた様子の外国人観光客に相場を聞いておく。
4, 都市の場合、普通のインド人?最低3人に地図を見せて値段を聞いてみる。
5, ホテルのドアボーイの云う値段は信用しない、彼らは高い値段に慣れすぎている。
6, 交渉に応じない場合はさっさと打ち切る、リキシャはいくらでもある。
7, 地元インド人の相場の1.5倍程度ならOKと考える。
8, 観光の場合、絶対に前払いをしない、ほぼ半数の人間は貰ってないと云うし、最後にチップを要求する。
9, 或いは、言い値で乗れば相手に感謝され、疲れずに楽しい旅ができます。
世界遺産 北インドの旅 バナーラス



作家・遠藤周作の「深い川」 を読んで、この町に来て見たかった、と云う観光客は沢山います。
あの小説に描かれている、ヒンドゥーの宗教観と、混沌・雑然としたアジア街を生き抜いて行く人々が目の前を 流れていきます。
死んだ人間は聖なるガンジスの中を生焼けの状態で流れ、裏通りを少女が群集に呑み込まれ 流れて行きます。
インドへ来ると人生観が変わると言う人がおりますが、人生観と言うよりも価値観だと思います。
キリスト教・イスラム教・仏教・ヒンドゥー教、全ての元は同じなのですが、生活への密着度、依存度が違い、最終的に 価値観となって現われてくるのでしょう。
インドの価値観
バナーラスで、インド国産タバコをお土産として買う事にした時のお話です。
ホテルから少し離れた普通のお店(観光客が来ない)の前で暫く、インド人がいくら払ってタバコを買っているか見てから 店の親父に聞きました。
お土産用にインドタバコを1カートン買うので、安くしてくれ、いくら?
返ってきた金額は、私の予想の10倍の値段でした。
店の親父の説明に、アングリ・ビックリ・納得しました。
インド人は、タバコを1箱単位ではなく、見たとおり1本単位で買う、1箱買う客は金持ちであるから、当然1×20ではない。
ましてや、お前はそれを1カートン、10箱買うと云う大金持ちの外国人である。
当然ながら1×20×10と言う計算は、 インドでは成り立たない。
最終的には、1×20×10×2位の値段で買いましたが、変に説得力のある親父の理論でした。
世界遺産 北インドの旅 サルナート



北インドの旅の最終日は、仏教遺跡のサルナート(鹿野苑)です。
仏教発祥の地インドには、ほとんど仏教遺跡は残っておらず、本当の遺跡マニアは、スリランカ・パキスタンへと出掛けますが、 北部ネパール国境近くには、仏陀の足跡が残されており、日本の仏教関係者の巡礼の為に多くの宿泊所があります。
日本人のみならず、古代原始仏教の教えを色濃く残している、チベット仏教の巡礼者たちが、ネパール・ブータン・中国領 チベットから国境を越えてサルナートを訪れていました。
きつい、インドヒンドゥ文化の毎日から、このような所に来て、チベタン仏教徒と接すると、本当に心安らぐ思いでした。
旅の後書
インドから成田に戻るとほっとします。
何よりも物が定価で買えるほど楽な事はないと実感するからです。
インドへの旅も私たちが旅した頃と違って、 一人催行ツァーが格安で提供されるようになり、身近となり、決して 秘境ではなくなりました。
でも、根本的にインドは、仏教文化圏の東アジア・東南アジアと違います。
旅は非日常・ 異文化の体験でもあります、インド・ヒンドゥー文化を楽しんできて下さい。
夫婦二人で南インド・バンガロール滞在、五年間で600日の記録
当ロングステイサイトの掲示板に、南インド滞在に関する情報を提供して下さる、ハンドルネームShin732さんから投稿記事
をいただき、連載形式でご紹介致します。
筆者紹介 元コンピュータエンジニア
20年くらい前からインドのコンピュータエンジニアと仕事をする。
その関係で退職を期に妻と南インドのバンガロールに長期滞在する。

赤いチャンチャンコを着る年齢でインド、それも日本人が滅多に行かない南インドのバンガロールでの長期滞在は 、単なる物好きだけでは片付けられない悲喜交々な彷徨の毎日でした。
この日記は地元の人々との毎日の生活の中でのふれあいと、その中で私たちが見聞きし感じた事を率直に書いたものです。
私たちは、いわゆるバックパーカでもなく会社勤めの駐在員でもありません。
普通の日本人が普通のインドでの日常生活を書いたものです。
一つ異なるのは、そこがインドであることです。
今まで紹介されているインドとは違ったインドを感じて頂けたら幸いです。
バンガロール日記へ
総ページ数が100ページを超える大作です。サイトリニユウーアルを機会に別・単独ページにしました。