世界遺産 パナマ観光 パナマシティー パナマ運河 モラ サンブラスのホテル 治安状況を発信するサイト 

出来るだけ早くリタイヤして、コスタリカのサン・ホセで、日本人の若者向けの居心地の良い「バックパツカー宿」をやるのが長年の夢でした。
現役時代、二ヶ月の長期休暇をとってカミサンと二人、コスタリカに乗り込み、色々調査した経過は
コスタリカ・ロングステイ情報に詳しく書いています。
滞在中、町の旅行代理店の店頭には、近隣諸国へのツァーチラシが目につきます。
お隣、パナマへは5泊6日、199ドルからあり、予定はしていなかったのですが、モラ で有名なサンブラス諸島を含んで299ドルと云う安さにつられて行く事にしました。

世界遺産 パナマシティへの行き方と費用

当然ながら、日本からの直行便はありません。
必ず、アメリカのある都市経由となります。一般的にはアメリカン航空・UAなどが乗継が便利です。2008・9の DATAでは、二ヶ月FIXの正規割引航空券が147,000円程度+サーシャージ+アメリカ国内の空港使用料など概算60,000 が見込まれ、航空券だけで20万円と、値段だけですと日本から一番高い・遠い所です。
団体PACツァーはどうか?
ビギナー向け秘境の旅を謳い文句にしているU社は勿論の事、南米専門店でも、パナマツァー を扱っている所は、web上では確認できません。
日本からパナマへの観光旅行は、個人手配旅行と云う贅沢な旅の形になるのです。或いは旅の知識・経験が あれば、旅行代理店に頼らず、自力でパナマシティに降り立ち、サンブラス諸島を目指す 事は勿論可能です、が、現役世代の短い休暇を利用しての旅とか、語学力・旅のスキルの少ないリタイヤ世代夫婦 にとっては、かなりタイト・危険な国です。

世界遺産 パナマシティー

  


メキシコシティーから中米を南下している旅人は、世界遺産都市パナマシティーに入ると、今迄の各国の都市 と違って 近代化・高層化されたビル群にびっくりします。パナマシティーはビッグシティーなのです。そして、世界有数の 旅人にとっての危険都市の一つなのです。
空港でのトラブル
サンホセからのフライトで降り立ったパナマシティーの空港で、約束の送迎の人間が見当たりませんでした。個人旅行 レベルでは良くあるケースですから、慌てず、空港の観光インフォメーションから、現地旅行会社に電話してもらいました。
※こんな場合、自分で直接現地の旅行会社に連絡するよりは、公的な機関を経由するほうがスムーズに行きます。
旅行会社が言うには、只、単に忘れていただけ、空港からタクシーを使って、自分達の会社に来てくれ、と云うのですが、観光インフォメーションの説明では良くあるケースで 空港のタクシーを使わせる事で、街中と空港間の 片道経費を節約しているのだそうです。
空港職員のアドバイスで、空港のタクシー運転手を電話口に呼んで、直接旅行会社と話をさせました。
こうする事により、 タクシー料金トラブルや、空港・街中間の移動の安全が確保されるのです。
※これらの交渉は、当然ながら全てスペイン語です。この地域を個人で旅するには、最低限の英語力は必須です。

世界遺産 パナマ・ビエホ
  


パナマ市中観光の一つが、コンロブスが築いた町並み跡 Panama Viejo です。
新大陸発見後の足がかりとした場所で、16世紀初頭の頃古いレンガ造りの教会などが残ってる、新大陸のなかで 一番古いスペイン人が残した足跡の町で、海賊に破壊されたあとは、現在のオールド・パナマ と、中心が移りました。

世界遺産 オールド・パナマ
  


世界遺産 旧市街オールド・パナマへの観光は異常でした。
ホテルの玄関に現われた現地ツァー会社の車に、男性四人が既に乗っていました。一人は運転手、一人はガイドなのは 解りますが、後の二人は、客なのか、それともオールド・パナマに用事があって便乗する関係者なのか?
ガイドの説明にびっくり。この二人は旅行会社が雇ったガードマンなのです。
その証拠に、車の中にはこれ見よがしにライフルが置いてあるのです。
噂には聞いていましたが、そんなにオールド・パナマって危ない所なのでしょうか?
オールド・パナマの名所の一つが、パナマ運河を最初に手がけたフランス人レセップスを記念する碑が建てられてる広場から見る風景が美しい Plaza de Francia なのですが、ガードマンなしで 外国人がここで5分間、何もなく、無事でいられれば奇跡であるとガイドは言うのです。
確かに、車が旧市内に入って行くと、廻りの雰囲気が違うのが、解ります。新市街より圧倒的に黒人が増えていきます。 フランス広場で車は止まり、ガードマンが私達夫婦を囲んで、記念撮影場所に案内している最中でも、車はエンジンを吹かしており、緊迫感は確かに伝わってきました。

世界遺産都市 パナマシティーの治安状況
パナマを支える三大産業って何だか解る?と、ガイドが聞いてきました。説明によると
  1. 世界遺産パナマ運河による観光産業
  2. パナマ運河による米軍の駐在相手の産業
  3. セキュリティー産業
1,2は解りますが、セキュリティー産業って?。しかし、町を歩いているうちに理解出来ました。
銀行・ホテルはおろか、個人商店の入り口にもガードマンはいますし、マクドナルドに到っては、軽機関銃を持った ガードマンが入り口の内外に立っています。
商店で買物するのに、鍵のかかったガラス戸を覗いて、開けてもらわねば入れない始末。住宅のエアコンの室外機まで が柵と鉄条網で囲われています。

私達の実体験その1
私達の泊まったホテルは、近隣中米から来る外国人が多く泊まる中級ホテルで、新市街のはずれにあります。
日本や、欧米・アメリカの観光客は新市街の中心の大きなホテルEl Panama 等です。
El Panamaの敷地内に、アップリケ刺繍で有名なモラの専門店があったり、手頃な中華レストランがあるので、毎日ここまで良く歩きました(徒歩15〜20分)。歩いていると必ず後をつけてくる男がいます。時々 振り返って見るのですが、確実に外国人である私達のスキを伺っている様子です。
私達、この徒歩15分の距離をある時は、大勢の人がいる公園でやり過ごし、ある時は、用事もないお店に入り男が 諦めるのを待つ事にしていました。

私達の実体験その2
私達は、どう見ても外国人観光客にしか見えません。
そこで、町に歩くときはカメラは勿論、時計まで外し、二人とも手ぶらで歩く事にしました。
ある日、新市街とは反対方向、コロン方面バス乗り場の廻りは庶民的なお店・屋台が多いので覗いてみる為に 歩きました。 別段怪しい雰囲気でもありませんし、私達は何も持っていないので安心して歩いていたら、町のど真ん中 なのに、後ろから来た男が、私のズボンの前ポケットに手を突っ込んで来るのです。
スペイン語で「Que Hace」ケアセ(何するんだ) と叫ぶと、男はびっくりしたものの、何事なかったように悠然と 人混みに消えて行きました。、廻りの人もこの声に気が付いて、振り向きはするのですが、誰も男を気にしている様子は有りませんでした。

私達の実体験その3 ケチャップスリ
外国では極くオーソドックスな手である、このやり方に遭遇したのも、パナマです、それも新市街でした。
白人の夫婦二人連れが、後ろから親切そうに声をかけてきました。それも英語で・・・、これがスペイン語でしたら 警戒はしなかったでしょうが、英語なので警戒すると、カミサンの袈裟懸けバックにケチャップが付いている、と言うのです。確かに赤い液体が付いていて、白人の奥さんがハンカチを取り出そうとしていました。
典型的なケチャップスリです。 私はスペイン語で礼を述べて、直ぐ目の前の商店に飛び込み難なきを得ました。

私達は世界各国歩いてきていますが、確かにパナマシティーは、世界三大危険都市と云われるのも、無理はないでしょう。 しかし、パナマ市民に云わせれば、コロンより10倍安全だそうです。
コロンは運河を抜けた大西洋側の自由貿易港の町で、確かに此処は昔からヤバイと云われ続けて町で、大昔、20代 のバックパッカーだった頃、一度行きました。しかし、その頃は余りにも私自身が貧しく見えたのか、誰も寄っても 来ませんでしたが・・・・・

世界遺産 パナマ運河・ミラーフローレス水門

  

パナマの観光の目玉の一つが、この大運河です。最近はパナマ運河クルーズが流行りですが、パナマ運河は このミラーフローレス水門 を見れば十分です。市内からバスでも行けますし(5〜6km)、タクシーで行っても5ドル程度。観光地だけあって、治安状態は 大丈夫です。
中南米の市中を走るバスCorectivo(コレクティボ) は番号と行き先が書いてあります。しかし行くときは言葉の解る私達でも、何処で降りて良いか解りませんので、行きはタクシーを使いますが、帰りは出来るだけ バスです。町中に戻るのですから、そんなに迷う事はありません。
ここの見学センターは、設備も整っており、しかも無料です。船が通過する度に英語とスペイン語の解説があり、十分 楽しめる所です。

モラを見にサンブラスへ


モラとは、パナマの大西洋側の州及び沖合いの小島に住む、先住民族 クナ族の女性の民族衣装の一部で、何層にも重なったカラフルな布地を掘り出して模様を作り、アップリケを 施したカラフルな手工芸品で、日本では、NHKの番組「世界の織物」に取り上げられて以来、人気になりました。

パナマの治安の悪さで嫌気が差し掛かって来ていた、手工芸が大好きなカミサンであるが、此処だけは特別です。先ずは 新市街のEl Panama Hotel内にある専門店に赴き、店主のオバサンから情報やレクチャーを受けました。 日本人客が多いとの事で、日本の雑誌で紹介された様子が店内に多く飾られていました。
このオバサンは、かなりユニークな性格でスペイン語が喋れる日本人夫婦と云う事で、延々と2時間お茶をご馳走になりながら、色々と話をしてくれました。
後日談
サンブラス諸島から戻って再びこのお店を訪ねると、店主のオバサンは不在で、娘さんが留守番をしておりました。サンブラス諸島から戻って来た事を告げると、
「えー、あの飛行機でボルベール島へ行ったの? 怖くはなかった?私ののママはこのお店を やっているけど、一度も行った事がないのよ。」 と云うではありませんか。
パナマシティからサンブラス諸島の空港島・ボルベール島へのフライトは二年に3回ほどの割合で墜落しているのだそうです。

いざ、サンブラスへ
  早朝5時に新市街の空港に行き、スーツケースの他、体重を計られ、指定された軽飛行機の乗客は4名、 私達の席の廻りは、野菜や大きな水ボトルで、生活貨物便でした。
飛行機は、パナマのジャングル地帯をかなりの低空で飛び大西洋側に出ます。サンブラス諸島と云っても 本当に小さな島の集まりで、空港専用の島に到着すると、陽気なオジサンが迎えに来ていました。英語は堪能 ですが、本当におしゃべりなおじさんです。

外国人が泊まれるホテルのある島は、SanBlass Hotelがあるナルネガ島の他に Anai Hotelがあるウイチュブワラ島で、二つの島へは、ボートへ行きます。
島と云っても、島の真ん中に集会用の広場があり、そこを囲むようにクナ族の人々が暮らす民家で点在して いる、周囲徒歩10分の小さな島で、ナルネガ島とウイチュブワラ島はすぐ目の前の隣同士です

Anai Hotel
お隣のSanBlass Hotelは、バンガロータイプで、部屋と云うよりは砂地の床を囲ったオープンなお部屋、 3食付き・空港島からの送迎込みで一人30ドル(2002)と、バックパッカー向け。

Anai Hotelは3食・空港島からの送迎・他の島への海水浴付き、トイレ・シヤワーは個室、夕食は、 ホテルの生簀にある伊勢海老を指定の料理方法でだしてくれます。
60ドルと高いせいか、カップルが多く、私達は別に指定した訳でもないが、こちらのホテルに案内されました。
サンブラスの島々には、水はありません。
一般的には雨水を貯めて使っています。トイレの水は海水で、下は海でした。トイレを済ませて流すと、沢山の 魚が集まって来るのが見えます。
ですから、クナの人々は自分の住んでいる島の海岸では泳ぎません。泳ぐのは外国人観光客ぐらいで、それも、 ホテルのある島から離れた美しいビーチと沈没船スポットがある島まで行って楽しみます。
hotelの調理のオジサンは、パナマシティーのホテルで働いていたそうで、日本人と解ると伊勢海老を刺身にして 出してくれましたが、氷がないので身は締まっておらず、生暖かいお刺身でした。
翌日の中華風伊勢海老炒めのほうがどれだけ美味しかった事か?
島では基本的にはする事は有りません。私達は欲張って3泊したので、ゆっくりと過ごしました。二階のお部屋 のベランダにはハンモックが吊るされており、風に揺られてお昼寝をするのが日課でした。
 

  クナ族とモラ
島は、漁業以外には、収入がないので、外国人観光客向けのお土産用モラ造りが、 一番の収入です。
小さな島ですから、観光客が来るとすぐに村の広場は即席のお店が出来ます。
値段は5ドルからピンキリで、却ってパナマシティの専門店よりも高い場合もありました。

専門店のおばさんの受け売りですが、モラの価値・評価は如何に多くの生地を何層に使っている、 手間が掛かっているかではなく、モチーフが如何にクナ独特の文様を使っているか、デザイン的に ユニークで美しく、優れているかだそうです。
このサトイに掲載したモラは、島で買ったものではなく、パナマシティーの専門店で買ったもので お値段は、中級ホテル2〜3泊出来る位の高級品です。
モチーフは、漁業民族としてのアイデンテティがあり、色使いも優れていて、なかなかオバサンは負けて 呉れませんでしたが、ホームページで紹介する事を条件にまけてくれました。

最後の日夕方、村の広場で民族舞踊が開かれました。
アメリカの観光クルーズ船が立ち寄った為で普段は、行なわれないそうですが、ラッキー、 アメリカ人観光団に混じって、ただで鑑賞させて貰いました。

サンブラスからパナマシティーへ
これが意外と大変なのです。
帰りのフライトスケジュールはあってもないと同じで、空港島に先ず行って、ひたすら飛んでくる飛行機を 待つしかないのです。
遠くからプロペラ機の音が聞こえてきても、席に空きがないと、飛行機は降りてこず、通過していきます。
一度、通過すると二時間はこの島の上空を飛ぶ飛行機はないので、ホテルに戻りゆっくりと食事をして、再び 空港島へ行き、飛んでくる飛行機に手を振るのですが、これも滑走路の上空を通過するだけ。
結局私達は朝から待って、ホテルで朝食・昼食を済ませ(これはホテル側のサービス)やっと飛行機が滑走路に 降りてくれたのが、午後の3時でした。
まるで、遭難者が救助を待つかのような気分を味わいました。
あとがき
現在、カミサンは日本でモラ教室に通っていますが、ほとんどの先生と呼ばれる人達は、サンブラスはおろか、パナマ までも行った事がないそうです。確かにパナマは遠く、行きづらい国の一つです。
私達の旅行経験のなかでも、ヤバイ国の一つでした。このサイトをご覧の秘境好きの方々もどうぞ、十分に注意 して旅して下さい。
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