定年後の世界遺産の旅

如何に自由に、安く、安全に旅するか
早期退職団塊世代夫婦の世界遺産の旅の記録

仏教遺跡が好きな人は必ず行かなくてはならない場所 世界遺産ガンダーラ・パキスタン

バキスタンへは 悪名高き?パキスタン航空が最も便利です。
パキスタン航空、PK便と聞くと、懐かしく思われる団塊世代の元バックパッカーは沢山いるでしょう。 今でもアジア・中近東・アフリカをいくらかでも安く旅したい個人旅行者に支持されいる航空会社です。
私達も、長い間このPK便には、ずいぶんお世話になり、裏切られて来ました。
白人先進国が好きな旅行者が忌み嫌う、西南アジア系航空会社はON・TIMEで飛べば大ラッキー、不思議なくらいです。
何よりも安い、 別に急ぐ旅でもないし、飛行時間・空港待ち時間が長かろうが楽しめば良いのですし、大きな声では言えませんが、 皆さんが不味いと云う機内食ですが、私は、PKの機内食は好きです。
特にカレーは、インドよりも断然美味しい。昔、ヨルダンのアンマンから成田に戻る時、何回機内食を食べるか記録した 事があります。何と7回でした、それでも飽きなかった。
しかし、何回、カラチ・イスラマバード・バンコクの空港待合室で飛ぶのを待った事でしょう!、最長ディレー記録はイスラマバードとBKKでそれぞれ48時間、 それでも私は信じています。「PKは絶対に落ちない、落ちる以前に飛ばないのだから」
P.I.Aは勿論Pakistan・International・AirLineの略ですが、BKKの待合室で待っていた英国のバックパッカーが云いました。 P.I.AはPeraps.I will.Arrive(多分・私は・着くだろう)。そんなPKですが、イスラマバード・北京・成田の フライトは、絶景のプレゼントがあります。カラコルム山脈の世界第二の高峰8611mのK2の上空を飛ぶのです。これだけが目的で 乗る人もいるのです。

世界遺産パキスタン 古代文明・ガンダーラ・ギリシャロマン・三蔵法師

仏教発祥の地、インドにはろくな仏教遺跡は残っていませんが、スリランカと現在の国名パキスタンは、日本人のロマン を掻き立て、シルクロード文明伝播の足跡がくっきりと残り、自分の目で辿る事が出来る国です。
75年・90年・95年と三回に分けて、重複しながらこの国を旅して来ました。
季節は夏・冬・冬。夏9月の世界遺産パキスタンの遺跡観光はお勧め出来ません。極暑と云うより生命の 危険さえ感じる暑さです。冬のほうが断然、ゆっくりと観光できますが、北部スワート・ギルギット地方 は、防寒着が必要なほど寒さです。
一般的に云われている、桃・杏・アーモンドの花咲く春がベストシーズンでしょう。でも怖いもの見たさで、 試しに一度夏のパキスタンを経験するのも面白いかも。

西南アジアに興味が少ない人々は、危なくないの?と必ず質問しますが、イスラム諸国は、普通に観光しているだけでしたら 北米・南米・南欧よりも何十倍も安全な国ですから、御心配は無用です。

世界遺産パキスタン モヘンジョダロ

世界四大文明の一つ、インダス文明の代表的な遺跡の一つがモヘンジョダロです。
一般的な行き方は、カラチから最寄の都市サッカルまで国内線で飛び、専用チャーター車で行きます。個人旅行の場合でも、 100%地元公共交通機関で行こうと思っても、このような発展途上国ではお勧め出来ません。 (但し、自力で行く事をゲームとして楽しむのでしたら別ですが・・・・)多少の出費は覚悟で、観光業者 のツァー参加をお勧めします。私達もカラチ発のツァーに参加しました。


遺跡は、学校の世界史の教科書の写真のとおりでした。ナイル・チグリス・インダス・黄河の古代文明を全て、 自分の目で確認すると言う、自己満足は達成されました。後はじっくり見て歩くのですが、4千年5千年前の古代都市 なのに、下水用の側溝があり蓋までされています。家々にはダストシュートまで完備されており、今の私のマンション より進んでいます。インダス川が近いので井戸の水量も豊富にあったようで、大満足の観光でした。
が、・・・サッカルからカラチまでの飛行機が来ないのです。何時まで経っても。
ツァー会社はバスを用意してきました。カラチまでバスで帰ると云うのです。所要時間は12時間、それとも飛行機が 来るまで待つか?賭けです。
ツァー客の若い方はバス案・年配者は飛行機案、多数決で待つ事にしました。正解4時間待って飛行機は現われ、30分で 無事にカラチまで戻れた次第です。

世界遺産パキスタン ラホール

深夜モヘンジョダロから戻って、翌日ラホールへ飛びました。
そして、此処でもトラブル発生、依頼していた現地の送迎がないのです。電話は通じず、仕方なしに予約しているホテルは 解っているので、TAXIで向かいました。到着後案の定、料金は吹っかけてくるのですが、一応外国人向けのホテルですので、 フロントマンが間に入り、解決。現地旅行会社に連絡をしてもらいました。
個人旅行では、こんな事は当たり前にあります。トラベルの語源はトラブルから来ているのですから、余裕をもって これも楽しまなくちゃ。と云っても経験と語学力が必要なのは当然です。

ラホールはインドパンジャブ州と国境を接している、タージマハルを建てたムガール朝の王の都です。
お城や王宮はどうでも良いのですが、ここの最大観光目的は、ガンダーラ仏像を収納したラホール博物館 です。

その中でも最大の見所は、「断食する仏陀」像です。今までの仏像の 観念を覆すような、リアルな厳しい表情、あばら骨まで透けて見えるようなの仏陀像は必見の価値があります。
他にも、仏像と言うものが、アレクサンダーの東征の果てのギリシャ人に因って造られた事を如実に 証明している、彫りの深く、口元に髭を蓄えた仏陀の像が数多く見受けられ、古代仏教芸術好きには 聖地のようなミュージアムです。

ガンダーラ仏の最高傑作断食する仏陀は、愛知万博に出品された後、レプリカは現在鎌倉・建長寺宝仏殿 に展示されています。
レプリカとは云え、ガラス越しにではなく、目の前にすると圧倒的な迫力です。
建長寺への行き方をご覧下さい。
ムガール朝の王の都
ムガール朝と云えば、インドの代表的な王朝で、インド人そのものをイメージしていたが、ムガール朝 は本来のインド系人種ではないのです。ムガールの本来の意味はムンゴール =モンゴルです。
ヂンギスガンが元帝国と中央アジアに君臨し、滅亡した後、現ウズベキスタンを支配下においていた部下チムールが 起こしたチムール朝の流れがムガール朝です。学校の世界史の授業ではこの中央アジア史はほとんど、取り上げられて いませんが、旅をすると本当に良く解ります

道行くパキスタンの人々


このような画像を掲載すると、パキスタンの人は、まるでパキスタンには車が走っていなくて、駱駝と牛と馬 だけと日本人が思うのではないかと、云うかもしれません。
確かにその通り、パキスタンは原子爆弾を持つほどの科学力のある国で、車も多く走っています。でも 私達観光客が面白いと思ってレンズを向けるのは、トヨタと一緒にモヘンジョダロの遺跡から発掘された レリーフと全く同じ姿の車輪の牛車が歩いている事です。


パキスタンはイスラム教国です。
お隣のインドはヒンズー教で、イギリスから独立際、宗教の違いでインドと分かれたのは御承知のとおり。宗教上の違い は大きいです。インドの観光地では物乞い・乞食・物売り攻勢でホテルから一歩外にでる時は、かなり気合を入れて出て いたのですが、パキスタンは皆無とは云えませんが、そんな気合は不要でした。
子供たちも素直?、私達が歩く所が田舎のせいか、外国人ずれしていなくカメラはOKでした。
注;とは、云っても相手はイスラム商人ですから、インド人と同じく手強いです。

世界遺産パキスタン ペシャワール

ペシャワールはガンダーラへのゲートシティです。
この町の魅力は、町が持つBorder(国境)の雰囲気です。もともとペシャワールの語源は、ペルシャ語の ペーシュPesh(国)とアーワルAwar(境)の合成語なのですから。
西には、ローマへ通じるカイバル峠があり、北には長安に通じる フンジュラプ峠がある、古代より東西文化を結ぶシルクロードの要の町です。
1979年のソ連軍のアフガニスタン侵攻、89年の撤退、その後のタリバーンアルカイダなどの内戦、アメリカ軍の侵攻 などで、何時もTV画面に登場する町でもあるのです。

バザールの中は、アフガタスタン人・タジキスタン・トルクメニスタン等の民族で溢れ、話されている言葉も、パシュート語 で、独特の雰囲気があります。
当時(1995年)旅行会社の店先には、カイバル峠までのツァー募集の案内がでていましたが、パキスタン政府の認可は当然 うけておらず、独特の部族間の取り決めで行われているようでした。

世界遺産パキスタン 仏教遺跡


タフティ・バーイ遺跡

ペシャワールからスワート方面へ車で2時間。ガンダーラにおける山岳仏教寺院の代表的遺跡。
1世紀から7世紀にかけて建立された寺院で僧院とストーゥパのある塔院が隣接している形式は、タキシラなどと 同じ形式であるが、此処はガンダーラの平原を見渡せる小高い丘の上あるので、一般信仰の場としてではなく、僧の 修行の場とあったようである。


プトカラ遺跡

スワート渓谷を代表する、ギリシャの影響を色濃く残している遺跡
基点となるミンゴーラの町から徒歩で行ける距離でガンダーラには珍しく平地に建つ。遠く先にはカラコルムの白い頂の山々 が見える静かな遺跡である。
1月のパキスタンの遺跡はオフシーズンなのか、何処へ行っても観光客は私たちだけであった。
ここの遺跡では、西からの文化・建築様式が伝わってきた様子が非常に色濃く残っている、修復が繰り返された 初期の建物土台に、はっきりとギリシャコリント様式の柱が残っており、狛犬もペルシャのライオン像が獅子から 狛犬になっていく、課程が良く解る。
スワート渓谷・ガンダーラ


ミンゴーラから先は、通称ガンダーラと呼ばれるスワート川の周りの古くから中国との交易の道である。
あの西遊記のモデルとなった三蔵法師が歩いた道である。法師が書いた大唐西域記に登場する、 シャンガルダールストゥーパは現在 も存在しており、彼も拝んだであろうガーリガイの磨崖仏も目にする事が出来る。
遠く、カラコルムの白き峰々を望み、西遊記と同じ舞台に立つ、喜びを実感しました。
タキシラ遺跡


タキシラ遺跡は、首都イスラマバードから車で1時間ほどの距離で比較的行きやすく、パキスタン航空の乗継or デイレーで待たされた時になどで都合3回行ってます。が、此処は、絶対夏には行かない方が良いです。日差しを遮るものが ない平原にあるので、死ぬほど暑いです。
ここはギリシャ人が建設した町の跡です。
起源前331年、ギリシャの青年王アレキサンダーは、故郷発ち、エジプトを征服しアレキサンドリアの礎を築き、 ペルシャを滅ぼし、ペルセポリスを建設し東征し、インダス川を越えたこの地、現在のパキスタンで亡くなった。 その兵士の子孫たちが此処、タキシラに町を築いたのである。
当時、偶像崇拝の考えはなく、仏陀の歯や、足跡を拝んでいた古代仏教徒に、実像としての仏像造りを教えたのも 彼らの末裔である。 タキシラに残された建物には、これらのギリシャ・ペルシャ ・インドの三文化の融合した双頭の鷲のレリーフが看取れる。又 隣接したジュリアン遺跡には、古代僧院跡があり、ここの建物の土台には、建物を支えるギリシャ神話のアトラスの姿がはっきり と残っている。 アジアの東西の交流地を訪ねる旅には欠かせない場所のひとつである。

世界遺産パキスタン イスラマバードとラーワルピンディ


イスラマバードは政治・行政の為の新しい町で、一般的の人々は旧首都のラワールピンデに住んでいる。
馬車停と言う、もう日本人が使わない言葉が此処では、実感出来る。
勿論、車主体の世界ではあるが、市場の脇には文字通り馬車停があり、庶民の大きな交通機関のひとつ として存在しているのである。

そして、近代化の象徴的建造物としては、イスラマバードに、サウジアラビアの国王ファイサルの援助で建設 された世界最大のモスク「シャーファイサルモスク」がある。
三回目のパキスタンの旅は、最後にカラチからBKKに出た。この時に寄ったカラチ国立博物館で売っていた、 「インダスの法官」のレプリカが、今一番のお気に入りで、自宅の机の上にある。 この像を見る度に、歴史教科書の世界を旅する喜びを実感している。

個人自由旅行者の為の特選 世界遺産パキスタン情報リンク

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