定年後の終の棲家を求めて

中米で一番安全な国と云われているコスタリカ
退職後、ここで生活が出来るかお試しステイをしてみた

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中米の楽園 コスタリカ、ロングステイ情報 ロングステイ地として検討した理由

コスタリカを訪れたのは、今から20年前の1996年3月~5月の90日間でした。
48才、バブルが崩壊し、勤めていた建設関連企業もコスト削減が厳しくなって来た頃、或るプロジェクトを担当する事に なったのですが、こんな時期に、こんな意欲の湧かない事に心血を注ぐ自分の人生を見直す良い機会と、退職を前提とした、 休職を願い出ました。未だこの頃は、会社に必要と思われたのでしょう。承認され、カミサンと二人コスタリカへ旅立ちました。

この頃、TV番組でコスタリカへの移住が取り上げられており、私たちのロングステイ候補地のひとつでした。
ロングステイと云う言葉は10年前は一般的ではなく、この頃はシルバーコロンビア計画等の「リタイヤメント移住」 が主でしたので、私達もコスタリカに住む為の条件・資金面などを真剣に検討していたのです。

ロングステイ地としてコスタリカを検討した理由
1,私がスペイン語が堪能である。
  言葉は生活する上で最も重要な課題とこの頃は思っていました。
2,中米で一番、政治・経済が安定している。
  憲法で、軍隊を放棄し、永世中立国を宣言している中南米唯一の国です。
3,国として、リタイヤメント受け入れ制度がある。
  一定金額の預金(当時家族で3万ドルだったと思いますが・・)でビザを発行している。

私達の夢の実現へ
私達と云うよりも、私の夢なのですが・・・・ゲストハウスのオーナーになる事です。
PAC旅行を卒業して、リーズナブルな自由な旅をするようになると、各地で40代の夫婦が泊まれる程度のゲストハウスを 求めて旅して来ました。なかなか難しく、バックパッカー向けの宿か、あるいは高級な個人経営のビラとなってしまうので ここ、コスタリカで、これから厳しい南米に南下する旅人や、1996当時そろそろ脚光を浴びつつある 「エコツーリスモ」 を楽しむを宿が出来たら良いな、と言うのが夢で、今回会社を休職してまで、やってきた大きな理由でした。

サンホセへの遠い・厳しい道のり

チケットの一番安い時期、コスタリカの乾季を考慮して3月の初めのチケットを手配しました。
中南米への格安航空券検索参照 当時の値段で往復ちょうど10万円でした。 成田からサンホセへの直行便は当然なく、LAX・メヒコ経由で同日に着きます。

いきなりロスト・バギジ
長いフライトのUA便は、サンホセに夜の10時に着いたのですが、いくら待っていても一つしかない、ベルトコンベアーには 私達の二つのスーツケースが見当たらず、終にはベルトコンベアーは止まってしまいました。
アメリカ経由の中南米行きで、二つの空港を経由すると、ロスト・バギジの確率は二乗分上昇するのは、過去の経験から 解っていました。ブエノスアイレスでも経験していたのですが、会社を無理やり休職してきた90日の長旅の初日でロスト ですから、これは堪えました。
バギジの見つからない搭乗者は、一人旅のアメリカのご婦人と私達夫婦だけ。不幸中の幸いと言うか言葉だけは通じる国 なので、早速書類を暗い空港オフィスで書き、こちらの連絡先を伝え、若し見つからない場合、この長旅を中止せざるを 得ないので、FIXチケットの条件緩和を申し入れました。
ホテルが予約されていない
ロスト・バギジの書類を終えて、空港の外に出るとすでにタクシーはおらず、UA職員に呼んでもらって予約したホテルへ と向かいました。
鉄則
私達は、初めて訪れる国の場合出来る限り明るいうちに着くように心がけています。どうしても夜着く場合は、トランスファー を頼む、或いは高いのを覚悟で、ホテルを予約して行きます。今回の場合、夜の9時頃の到着ですし、言葉の問題はないので 宿だけを、航空券を手配した会社にお願いして、バウチャーだけもって行きました。
100ドルのホテルと言う、私達にとっては破格の値段なのですが、深夜着いたホテルは、完全なるB&B、おまけに玄関は 閉まっているし、乗って来たタクシーは帰ってしまっています。
呼び鈴を鳴らし続けて、ようやく人が出てきましたが、そんな予約を入っていないと言うのです。
バウチャーを見せた所、現地の旅行会社宛てと解り、深夜なのでと部屋は貰えましたが、どう見ても100ドルの部屋ではないし 、ここ数十時間の長旅とトラブルの連続で、翌朝まで悩まされながらうつらうつらと翌朝を迎えた次第です。
三日後に到着・試練は続く
90日分の二人のスーツケースは、三日後にホテルに連絡が入り、空港に取りに行きました。
ロングスティ候補地を目指して、やってきたのにホテルは気に入らず、荷物は届かずで、最初から良い印象が持てなかった コスタリカ・サンホセですが、仕切り直しでこの国を歩き回ろうとした途端、街のレストラン・商店に張り紙が目立ってきました。 内容を読むと、祝日閉店のお知らせです。しまったSemanaSantaだ!
キリスト教の復活祭です。中南米ラテン社会では最大・最長の祝日、つまり日本のゴールデンウィークが始まろうとして いたのです。聞いてみるとほとんどの商店・レストランは一週間閉まってしまうとの事、昔の日本のお正月と同じなのてす。
ろくに、コスタリカを歩かないうちに、脱出しなくてはならず市内の旅行代理店で見つけた、 キューバ八日間パック399$に急遽申し込みしました。このキューバの旅については、近日webUP します。と言う訳で私達のコスタリカは到着してから11日経って、ようやくスタートしたのです。

首都・サンホセとは どんな所か?

コスタリカは、太平洋と大西洋に挟まれており、一般の乗合バスを利用しても、一日で太平洋から大西洋に行ける 稀有な条件の国で、首都・サンホセはその真ん中の標高1150mの高原にある小さな首都です。
温度計のいらない街と、こちらに住んでいる方が云うほど、朝夕、年間を通して気温は22~25度と快適です。
しかし、ある日この街で一番高いビルに登って街全体を眺めて、ある事に気が付きました。 大統領官邸から一般の民家に至るまで、トタン屋根なのです。

理由は、日本と同じ地震国です。何度もの地震を経験しているコスタリカは、屋根を軽量化して被害を最小限に 食い止めているのです。私達が滞在していた90日間の間、震度3程度を2回経験しました。日本人・コスタリカ人は慣れて いるので、さして驚かないのですが、隣の部屋のアメリカ人の女の子は、すさまじい悲鳴を発し泣き崩れていました。彼女は 翌日、コスタリカを後にしました。

     

街の規模
ロングステイするのに、あまりにも大きな街・大都会は忙し過ぎますし、かと云ってど田舎の小さな町も困りますが、 サンホセはちょうど良い位の大きさと云って良いでしょう。必要なスーパーとか、食事、買い物、病院、官公庁が徒歩圏内 に有り、真っ直ぐ西方面に行くと、大きな緑溢れる公園(サバナ)、私達が行った1996年は、ここにスーパーヤオハンが有り 高いですが、日本食が手に入りました。
今のアジア、アメリカでは当たり前の事でしょうが、現在でも中南米では大都市を除いては日本食の入手は困難です。
交通事情
鉄道はありません。一般公共交通手段はBUSです。他の中南米のバスと同様行き先と番号が書かれているので、一度 経験してしまえば、簡単です。
私達のバス利用法
初めての土地では、行く時はTAXIにします。だが帰る時はバスにします。行く時は、どのバスに乗り、何処で降りたら良いか 解りませんが、帰りでしたらおおよその道順も解っていますし、バスは必ず町の中心へ行くバスばかりなのでほとんど迷う 必要がないからです。


国内長距離バス
向かう方面によって、ターミナル(と言うほどのものではありませんが)は違いますが、何れも歩いて 行ける場所にありますから、心配は無用。地元の人に聞くのが一番です。
宿泊事情
近年、コスタリカのエコツーリズムが脚光が浴び、日本からのツァーも普通になって来ました。1996年 当時、このような団体客用のホテルが市郊外に多く建て始められておりました。何れもアメリカ系のリゾートを意識した ホテルですが、足の便は悪く、何よりも高いです。※このようなホテルに宿泊する人々は足の便なんか考えなくても良い のでしょうね。
市内中心部には多くの中級ホテルが沢山、存在しています。
このサイトをご覧の方々は良くご存知だと思いますが、中級ホテルほど値段とグレード・サービスに大きく差があります。から 長く滞在するのでしたら、取り合えずの部屋を確保してから、じっくりとホテル探しをする事を強くお勧めします。 ただ寝るだけの通過の為の宿でしたら、足の便と安全だけで良いのですが・・・・
私達がサンホセ滞在中に泊まったのは、サンホセ一番の目抜き通りAv.CentralにあるLa Gran Via ローケーションは抜群、お部屋は値段の割りには広く、従業員の対応も良好、勿論英語OK。
お値段は、公表47ドルからですが、宿泊日数と交渉力により下がるのは常識で、最終的には私たちは、朝食付きで40ドル で最後の日まで此処で過ごしました。
朝食は画像のおばさんが一人で調理・サービスする家庭的なホテルで、日本人旅行者の間でも評判の良く、多くの 比較的余裕のあるカップル旅行者に巡りあいました。
個人一人旅には、中米の45ドルは高く、不相応でしょうから、Av.Centralを渡った南側の下町方面のリーズナブルなホテル に泊まっています。10~20程度のホテルは沢山あります。

食事事情

中南米で一番苦労するのが、食事です。
先ず、一般的なレストランでは英語が通じないと言うのもありますが、日本やアジアのような、バラエティさがなく、少し田舎へ 行くと、都会のようなファーストフード店もないのです。
サンホセには、駐在者向けの日本レストランもありますし、アメリカ系のお馴染みファーストフード店もあるので、特別困りませんが 何れにせよ、一般庶民収入感覚から云うと高いです。
私達が泊まっていたLa Gran Viaの二階にホテルのレストランが有り、お昼時には近くのオフィス街 から、ワイシャツ姿のエリートサラリーマンが同僚の女性を連れて食べに来ていました。飲み物・サラダ・主菜・豆のおかず付きで 日本円で300円。
一度、彼らに聞いてみた所、けして毎日簡単に来れる場所ではなく、月に一二度の贅沢ランチであるとの事。では90日間私達は 何を食べていたのか?、中南米で食事に困った時は、レストーランテ・チーナに行くのがベストです。中米ではどんな小さな 町に行っても必ず一軒はレストーランテ・チーナはありますし、値段も一般的です。
画像のヤキソバが単品で100~120円ぐらいでした。

生活物価

画像は世界で一番美しいと言われている、コスタリカのお金5コロン札です。
1996年当時、日本円の対ドル相場は100円でしたから1コロンは約55円。物価はそのまま日本の半分程度に感じられ ました。土地・住宅価格の比較は難しいのですが、外国人専用の不動産屋の表示価格を見ても同じグレードでしたら 日本の半分~三分の一の価格です。
コスタリカは、アメリカ人のリタイヤ世代が多く移り住んでいる為、このような不動産屋さんは多く見られます。何れも 少し郊外の外国人だけが住む、戸建てなりアパートメントです。価格はおおよそ10万ドル程度でした。

コスタリカの歴史と治安・対日感情

中米では、メキシコ・グァテマラ・ホンジュラスのマヤ・アステカ文明の遺跡が有名で、南米ではエクアドル以南に 多くのインカ遺跡が見られますが、コスタリカは殆ど知られていません。


しかし、当然ながらインディヘナ系の先住民は住んでおり、中米・南米で多く見られるような、土器・金細工が 多く発掘され、国立博物館に展示されています。
特に有名なのが球体の巨石で、未だ作成法も何の為のものなのかも解っていません。
他にも、いまだ解明されていない不思議な遺跡もむあります。サンホセからバスで南へ2時間ほどの所に、日本のガイドブックには掲載されていない、紀元前3世紀の石器時代の 集落遺跡グウアジャボがあります。入り口から200mにも及ぶ石畳は見事です。自然保護 の先進国ならでの整備された、美しい遺跡でした。ちなみに日本人は私達夫婦が初めてと云われました。
対日感情
では、どうしてそんなに中国系が多いのか?答えはパナマ運河です。
パナマ運河建設当時、北米の黒人奴隷制度が崩壊し、その代わりに安価なアジアから中国人が奴隷同様に中米に流れ 込んできたのが由来です。 メキシコ以南の中南米には、ブラジルの一部都会を除き対日感情と言う言葉・概念は 存在しません。対アジア人感情のみが存在します。旅行している間、何度チーノと 呼びかけられた事か?、中南米事情に疎く、日本人は世界で尊敬されていると信じている、日本人旅行者は圧倒的に多く、 決まってNo Iam Japanesと答えますが、チーノと云う言葉は、中国人と云う意味ではなく、 アジア人全体に対する蔑称、ジヤップと同じ意味なのです。
海外でのロングステイを目指す、中高年の方々の多くは、海外へはお客様状態でのパック旅行か或いは、政府・企業の 看板を背負っての仕事絡みの駐在経験なのですが、観光も肩書きも離れて一アジア人としての旅をすれば、欧米白人と 黄色アジア人の間に横たわる、綺麗に言えば大きな壁、はっきり云えば差別を実感する事でしょう。 中米がその事実を一番実感する、と言う事は、中南米に詳しい私ども夫婦は、はっきりと申し上げられます。

町の治安状況
コスタリカは中米の中で、最も治安が良いと云われています。
但し、が付きます。中米の中では、です。治安は決して良いとは云えません。パナマよりはマシと云う意味です。
現地に移住なさっている方のお宅に訪問した時に、二回強盗に入られたと言ってましたし、この地に土地を買い、住まい を建てて数年間移住され、この経験を本に出版された方も、結局は自宅への強盗がきっかけで、日本に帰られています。
市場周辺・ターミナル周辺でも旅行者を狙った傷害事件は頻繁に起きています。
夢のゲストハウス経営の為に、物件を見に行った所は、安全な高級住宅街と云われている所でしたが、家々は全て高い 塀に囲まれ窓も少なく、まるで刑務所のようでした。中南米の高級住宅街と云うのは、何処も似たり寄ったりで、刑務所 の中が一番安全なのです。
中南米の治安状況は、アジア・欧米に住むのとは、全く違う認識が必要です。 それでもパナマシティよりマシについては、近々パナマ編としてWebUPします。

コスタリカのエコ・ツーリスモ

豊かな自然環境を観光資源として役立て、保護するエコ・ツーリスモの先進国と言われ始めたのが、ちょうどこの頃 1990年代半ばでした。私達が訪れた頃、ようやく多くの観光客受け入れ体制・施設が整い初めました。が、多くは 団体客のための施設であったりし、高額・ゴージャスなものばかり、個人・自由旅行者には未だ、動きづらい所が 多くありましたが、他の中米の国よりは未だマシか。

海亀の村・トルトゥゲーロへ
海亀の産卵が一年を通して観察でき、熱帯雨林ジャングルの動植物も豊富に見れるトルトゥゲーロへは、陸路の道は なく、海岸線に沿った運河・川を伝わって行くしか方法は有りません。
バックパッカー泣かせの場所なのです。一番簡単に行く方法は、サンホセ市内の旅行社のパックを利用すれば良いのですが サンホセから専用車・ガイト付き、泊まりはトルトゥゲーロ村郊外の川に面したゴージャスリゾートホテルですから 当然高いです。
もっともリーズナブルな方法は、もよりの町プエルト・リモンまでバスで行き、ターミナル 周辺で行き方を聞くか、この地の旅行社に頼む方法です。

  
私達は旅行社手配の混載乗り合いの小型ボートでトルトゥゲーロ村を目指しました。
海岸線に沿ったホテイ葵で埋め尽くされた運河を二時間行くあいだ、運転手兼ガイドが目ざとく見つけた、亀・ワニ・ 水鳥などの説明をしてくれます。最も有名なのがグリーン・トカゲ、別名ジーザース・クリスト と呼ばれ、なんとこの美しいトカゲは水上を走るのです。
1996年3月当時、トルトゥゲーロ村には、ホテルが一軒、食堂も一軒しかありませんでした。ホテルと云うよりも民宿 一泊15ドル、「お湯は出るの」と聞いたらオバサンは、なんて質問をするのかと、呆れて笑っていました。
ちょうどこの時期、海亀は来ているのですが、海岸を管理しているイギリスの自然保護団体から数週間の観光客の 観察禁止令がでていて、残念ながら見れませんした。
海亀産卵の観察は、何も遠いコスタリカまで行かなくても、日本では先島諸島、海外では ボルネオのセリガン島など各地で見られます。コスタリカの海亀の産卵を有名にしているのは、太平洋側のニコヤ半島 付近のオスティオナル保護区と呼ばれている場所で、10月中旬から11月にかけて、何万頭もの ヒメ海亀がいっせいに上陸して産卵をするアリバーダと呼ばれている大パノラマで、ここ トルトゥゲーロではありません。

コスタリカの火山と温泉

アレナーレ山
コスタリカは日本と同じ火山国です。 今でも噴煙を上げている火山も多く、故に温泉リゾートもあります。 サンホセからバスで3~4時間(3ドル位)でフォルツーナと云うアレナ火山の麓の高原町に行けます。
こんなに安く、簡単に行ける所なのに、市内の旅行会社は専用車で一泊二日一人120ドルと云うのですから 是非、バスに乗って個人で行ってください。アレナ火山は富士山を少しダイエットした形の美しい山で、ほとんど 毎日数回、噴火が見られます。

夜の火山観光
泊まった民宿のご主人のお勧めが、夜の火山観光でした。アレナ山の麓まで車で行き、ライトを消してひたすら 噴火を待つのです。噴火すると夜空が赤く染まり、日中は見えにくい溶岩が赤くキラキラと輝き流れ出すのが 見えるというのです。二時間待ったのですが、噴火は音だけの小噴火が一度だけで見れませんでしたが、アスファルト で暖かくなった道路に横たわり、飛び交う蛍を眺め、ツァー参加の外国人家族とおしゃべりして過ごした時間は このコスタリカ滞在で一番の楽しい思い出です。

タバコン・リゾート
日中は今では日本のツァー客が必ず行く、温泉リゾートでのんびり過ごしてました。
海外で水着を着てはいる温泉は、ボルネオでも経験していますが、今までの私達の経験のなかで、ここタバコン・リゾート に勝るところはありません。施設内に川が流れているのですが、これがちょうど良い湯加減の温泉なのです。人工的なもの ではない、滝も数多く、滝壺に身を沈めて見上げると、美しいアレナ山が目の前にあり、しかも轟音とともに噴煙が 上がるのですから、こんな素晴らしいアトラクションは世界中探しても、ここしかないでしょう。

コスタリカはロングステイ候補地たるや

滞在中、この地に永住しているFさん御夫妻のお宅に何度か訪問し、お話を伺いました。
60代後半のご夫妻で、日本の住宅を処分してこの地を終の棲家としてお移りになってきて5年、 生活費は全て、日本からの年金のご様子、その当時の円の対ドル相場も良く十分余裕の或る生活 出来いるが、何よりも大きな課題がスペイン語との事、日常の生活には困らないものの、役所・病院その他 込入った事は解らず、知り合いの日本レストランのご主人に、助けていただいているそうです。
帰国後、何度かお便りをいただいていますが、ご主人の健康がこれからの一番の不安と、おっしゃっています。
さて、私たちは
90日間の滞在を終えて、日本に戻りました。会社はまだバブル崩壊後の影響が及んでいなく、こんな我儘な人間でも 必要としていて、元の会社に復職しました。
自宅が、こんなに安らぐ場所だと実感したのは、90日間のホテル暮らしをしたせいでしょう。どんなに、従業員が親切で 大きめのお部屋でも、スタジオタイプのお部屋は長期滞在には向いてません。やはり、小さくともベッドルームとリビング ルーム・キッチンがないと夫婦二人の生活は寛げません。
一番寂しくなるのが、夕方です。街頭に灯が燈る頃、人々は足早に自宅へ戻って行きます。私達夫婦は公園のベンチで それを眺めながら、今晩は何処でいくらの食事をしようか話し合っているのです。
そろそろ日本に帰ろうか。旅は非日常の世界であって、日常になってはいけないね。

コスタリカ情報サイト


コスタリカ・ネット コスタリカに移住されているご夫婦の現地発サイト
コスタリカ政府観光局 コスタリカ共和国政府観光局日本事務所のサイト
ゴジ・ツァー サンホセにあるコスタリカ専門旅行社
コスタリカ日本人会オフィシャルサイト コスタリカにロングステイ・移住を計画の方は是非お読み下さい。
AICCO コスタリカ交流協会 サンホセと姉妹都市の岡山市の国際交流促進のボランティア団体のサイト。
タバコンリゾート コスタリカにある世界最高の温泉リゾート(英語版)
アレーナ火山情報 アレーナ火山の麓の町のホテル情報等があります。(英語版)
Costa Rica By Bus コスタリカの公共バスの詳細情報(英語版)
The National Parks of Costa Rica コスタリカの国立公園を全てを紹介しています。(英語版)

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