世界遺産の旅 キューバ

1989年、まだ完全に外国人に開放されていないキューバ
を、スペイン語たよりに夫婦二人で旅してきました。

行こうと思えば誰でもが簡単に行けるカリブの秘境 キューバ

2020年5月6日、コロナウイルス騒動で巣ごもり状態のなか、テレ東の番組で池上彰と松井秀喜の二人によるキューバ旅番組を やっていました。オバマ政権で一度アメリカとの国交正常化した後、トランプ政権で再び門戸を閉された、キューバ。
個人自由旅行記の少ないキューバ。24年前と事情は変わっていますが、番組を見ていて本質的に何も変わっていないのは、 21世紀の世、半分驚き、そして少しほっとしています。

筆者
この記事は1996年に旅した状況で書かれていますので、最新の情報ではありません。
世界遺産キューバ ページ内インデックス
可能な限り、自由に歩くキューバ そして行き方
キューバ観光の基本 ハバナ
キューバ通貨 キューバ兌換ペソ
キューバ ハバナの交通手段
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世界遺産キューバ ハバナの食事
キューバ ハバナの生活・物価感覚
世界遺産 キューバのお土産
バラデーロとピニャ・デル・リオ
世界遺産 キューバ ハバナの夜

可能な限り、自由に世界遺産 キューバを歩く キューバへの行き方

私たちが、キューバへ行ったのは、偶然です。
特別キューバへ行く予定はなかったのですが・・・・・
出来るだけ早くリタイヤして、コスタリカのサン・ホセで、日本人の若者向けの居心地の良い「バックパツカー宿」をやるのが長年の夢でした。
現役時代、二ヶ月の長期休暇をとってカミサンと二人、コスタリカに乗り込み、色々調査した経過はコスタリカ・ロングステイ情報に詳しく書いています。

1996年3月、サンホセの町で居心地の良い宿を探している時に、商店・レストランの張り紙に目が留まりました。 Semana Santa(聖週間・イースター)の為、一週間休みます、と云う張り紙だらけなのです。
しまった。!!
この季節、中南米カトリック国では、昔の日本のお正月のように、いっせいにお店は閉ってしまうのです。 若い一時期南米で生活していたのでこの時期の習慣は知っていたのですが、今回のこの日本脱出計画では、すっかりと忘れていました。
せっかく、会社と喧嘩までして休暇をとって此処、サンホセで調査をしようと思ったのに、これでは一週間 動きがとれません。
思案して町を歩いていると、キューバ8日間 399ドル と 云う旅行社のパンフレットが目に留まりました。
へぇー、コスタリカのサン・ホセからキューバへ行けるんだ、と初めて気が付いたのです。旅行社に聞くと、定期便 は飛んでいないが、この休暇の時期 臨時チャーター便が飛んでいるそうで、空き席を確認して申し込みました。が、 ビザが問題になりました。中南米の人々はツーリスタカードでOKらしいのですが、日本人を扱うのが初めて で、大使館に問合せをした所、OKでした。でもツーリスタカードって何?
機内で配られたものに、記入するだけでOKかと思っていたところ、結局は、旅行社がキューバ大使館に書類を持って行って 申請ですから、査証みたいなものでした。確か一人20ドル程度・・・

2011 日本からキューバへの行き方
単純にキューバだけに絞って行くには、基本的には、メキシコシテイorカンクンに如何に安く行くかが肝要でしょう。
2011現在、最も安いのは、エァーカナダで概略100,000+サーチャージ40,000+諸税10,000+メキシコ或いはアメリカでの宿泊費 がかかります。
エアーだけで15~17万は覚悟しないと、キューバに辿り着かない、と云うことになります。
当サイトの世界遺産・専門旅行社のうち、中南米専門店のメルカドツァー 或いはツーリストラティーノあたりにご相談ください。

世界遺産 キューバ観光の基本 ハバナ

   一応、コスタリカ・サンホセ発着のフライト・送迎・ホテル・観光三回の付きのパックツァーでしたが、団体PACではなく、 全て、夫婦二人の個人レベルの行動でした。
基本的には、社会主義国なので、帰りのフライトの予約と、旅行会社・ホテルを事前に予約・確保されていないと、ツーリスタカードは発行されません。
しかし、国内の観光は義務化されていないので、動こうと思えば自由に動くことは可能ですが・・・・西側自由社会のような交通インフラは整備されていませんし、何よりも、スペイン語は必須条件と、ハードルは高いです。

世界遺産 ハバナの観光





宿泊ホテルは、中南米人用399ドルPACらしく、市内から離れた住宅街にある中級リゾートホテル風でした。
翌朝から観光の為、ロビーでガイドを待っていると、「日本からおいでの○○さんはいらっしゃいますか?」と云う 日本語に吃驚しました。
ガイドは立派な体格のキューバ人で、政府観光会社で唯一の日本語が喋れるガイドだそうで、コスタリカからの客に 日本人がいる事を知り志願してきたそうです。
市内観光は、各国の混載で、最初にスペイン語・次に英語の解説があり、最後に日本語で解説するので、お客さんは 興味津々の様子。私達二人の為にわざわざ日本語で案内されなくても、スペイン語・英語が解るので省いても良いと 伝えると、「私の勉強の為にやっているのです。」と云われました。
世界遺産 キューバ オールドハバナ観光
市内観光は、世界遺産に登録されている、旧ハバナ市街が中心です。
新市街は、社会主義国モスクワ・平壌・北京と同じ典型的な巨大建設物・スローガンが目立つ町でした。
後日、自由に動き回った日に、この革命記念塔にきて入場料を聞いた所、15ドルと言うのです。そんな高いの? 良く見ると、キューバ人民ペソの表記もあります。ロシア人の団体が来て、この人民ペソで入って行くのですが 、私達はキューバ兌換ペソでしか受け取ってくれません。



   

世界遺産 キューバ通貨 キューバ兌換ペソ

一昔の中国や、最近までのミャンマーにあった、外国人専用の通貨が、キューバ兌換ペソ、或いはキューバ兌換ドル と云うものです。
外国人は滞在中このキューバドルしか使えません。レートは1キューバドル=1USドルです。
キューバに入って先ず、観光物価の高さに驚きます。GDPから逆算すると相当物価が安いはずなのに、外国人用の お土産・食事何れも、キューバ人民の何十倍もするはずなのです。
スペイン語が堪能で、しかも、コスタリカ発のPAC客として入ってきたせいか、観光の縛りも少なく、かなり自由に ハバナ市内を歩き回れるようになり、ついにキューバ人民ペソを手に入れました。 勿論、非合法ですが・・・・・

キューバ人民ペソを手に入れると、ハバナの物価は一挙に1/20になります。
しかし、買うものがないのです。御土産物屋は受け取ってくれず、ホテルのレストランもダメ、町で何かを買おうとして 店に入ってもショーケースは空っぽなのです。
後日、ついに使う時がやってきました。

世界遺産 キューバ ハバナの交通手段





キューバ滞在7泊8日のうち、観光は二日半で後はフリーです。
ホテルは郊外の住宅街の為、市の中心までは、タクシーしか手段はないのですが、支払いは当然キューバドルで、 10ドル程度です。ホテルマンに市内までの概略を聞いてみると、ゆっくり歩いて30分ぐらいとの事、自分の自転車 を貸しても良いよ。と云うので聞くと一日5ドル、他に盗難保険用に5ドルと、観光に携わるキューバ人は、何れも ドル亡者ばかりです。

外国の街は、外国人観光用の冷房の効いたバスから眺めるのと、歩くので違った表情が見られます。
ハバナの一般的な公共交通手段は、画像の二台連結のバスです。この二つの車両を大型トラクターで牽引していて、 その色と姿からCamello(ラクダ) と呼ばれています。
行き先も解らず、人民ペソもなし、 それとこの混雑振りから、一度も体験出来ませんでした。
新市街に入ると、タクシーも走っています。巷で人気の、50・60年代のアメ車も勿論走っていますが、 意外と一見、新しい車も多く走っています。

こんな状況ですから、外国人が自由にキューバ国内を移動するのは、相当に困難です。では、一般キューバ人 はどうしているかと云うと、近距離は自転車、中距離はヒッチハイクです。
郊外の幹線道路では、画像のような風景を沢山見かけました。ちなみに、この画像の女性炎天下の日中およそ 15分ほどでゲットして乗り込んで行きました。

世界遺産キューバ ハバナの食事





キューバ滞在7泊8日で、朝食はホテルに付いておりましたが、後は自前です。
ホテルが郊外の住宅街にある為、レストランはホテルを利用せざるを得ないのですが、夕食はブッフェで 18ドルです。一般旅行客でしたら安く感じるかもしれませんが、私達貧乏夫婦にとって、二人で36ドル、しかも このキューバで36ドルは余りにも高過ぎます。
何処か他を探した所、最近キューバ人向けのピザショップがこの近くに出来た、との情報で探し当てました。 お金持ちのキューバ人向けで、支払いは当然キューバドルなのですが、唯一のメニュー、 少し小さめのハワイアンピザが2ドルと云う事で、夕食は毎晩ハワイアンピザでした。

終に見つけた、人民ペソのレストラン
市内に向かう街角で、中華レストランの看板を見つけました。11時前なのに、かなりの人数が列を造って 待っています。表のメニューを覗いてみると、表記の数字に納得しないので、並んでいる人にこの値段の 単位は、ドルなのか、ペソなのか聞いてみると、当然人民ペソだそうです。
この時、人民ペソを持っていなので、ドルで払えるか聞くと、ダメだそうですが、並んでいる人達が、初めて 見る日本人夫婦が流暢なスペイン語を話すのに、興味を引かれて、違法ではあるがと云って、こっそりと両替 して呉れました。1キューバドル=20人民ペソが一般的な相場だそうです。
世界遺産 キューバ 衝撃のハバナの物価
レストランが開くまで1時間以上あり、並んでいる人と話しを聞いているうちに、色々と解ってきました。 一人の男性は、医者で月給はキューバドル換算で、月15ドル、他の男性は、工場に30年勤めている技師で、 月給12ドル、他の女性は先生で8ドルだそうです。
日本やアメリカの高校生のアルバイトのに時給を話すと、キューバ人民が、木造船でフロリダを目指すのが、 良く理解できると云ってました。
さて、お味と値段は?
12時オープンすると、客席は満員になり、さっそくオーダーを取りに来たのは、東洋人らしき人で、中華系 のキューバ人だそうで、飲み物はカミサンはビール、アルコールがダメな私はコカコーラをオーダーすると、 困った顔をして、コカコーラは扱っていない、どうしても欲しいのなら、従業員をドルショップ に買いに行かせる 、と云うので、何があるのか聞くと、天然100%のオレンジジュースか、タマリンドジュース、値段は0.5人民ペソ。
更に不思議そうに聞いてくるのです。何でビールを頼まないのか?
このお店は、市内で唯一冷房の効いている部屋で、冷たい生ビールが人民ペソで飲める場所なのだそうです。 確かに、他の客はと見ると全員、料理よりも 冷たい生ビールが目的のようです。
二人で2ドル
ビール・ジュース・スープ・前菜・メイン・デザート合計で凡そ40人民ペソ=2キューバ兌換ドル です。
これでは、一般の外国人を入れない訳です。味は久し振りの中華とは云え、毎日食べたいほどでは有りませんでした。 店内に外国人が入ったと聞きつけたのか、ギターを抱えた歌い手がやってきて私達のテーブルを離れませんでした。 そして、最後にチップの段階で、5人民ペソ=0.25ドル相当を渡すと、嫌な顔をしました、彼は夜は市内の外国人用 のホテルで歌っていて、最低1USドルのチップをもらっているようです。
チップの1ドルは、30年勤めている技師の月給12ドルからすればとんでもない金額ですし、この中華レストランの二人の 食事代2ドルだって、本当はとても贅沢なものなのです。

世界遺産 キューバ ハバナの生活・物価感覚

  

ブラブラと毎日歩いて、ハバナの町を歩いてみました。
治安面では全く不安を感じません。他の外国で良くあるような、外国人と見ると声をかけてくる、物売りや 客引きは全くいません。普段、外国観光客が歩かないような路地裏を歩いていると、色々な場所で、行列を 造っています、何かの売出しがあるのでしょ。
帰りに同じ場所を通った時、まだその行列はそのまま残っていました。

世界遺産 キューバの野球少年たち
町の広場では、子供達はサッカーではなく、野球をそれも、三角ベースでやっているのを良く見かけました。 バットも正式なものではなく、棒きれなのですが、その鋭い振りは、流石キューバと驚きました。ボールが私の所に 転がってきましたので拾ってみると、硬球です。縫目が綻びていて今にも張り裂けそうそうなのですが、このチームの ボールをこれ一つのようでした。
しげしげとボールを見ていると、少年がやってきて「中国人か?」 と聞くので「日本人」と答えると1ドル呉れと 云うのです。
「何で俺が、君達に1ドルを上げなくてはならないのだ」と云うと
「日本人なら金持ちだろうから、新しいボールを欲しいので1ドル」くれと云うのです。
「君達に1ドルを上げても、その金で本当にボールを買うとは限らない」 と云うと
私のスペイン語に興味を示したのか、子供達が集まって来ました。このような何かを買うから寄付してくれ、と云うのは アジアの開発国でも良くあるケースなのです。
子供達は、何やら相談をしてから、
「本当に買ってくれるのなら、一緒にお店に来てくれ」 と云いました。

ハバナの中心に近いスポーツ用品を扱う店まで、子供達と一緒に行ったのですが、その店には、新しいボールは 有りませんでしたし、入荷は何時になるか解らないし、予約も出来ないと、言われました。
子供たちは、残念がりましたが、明るく、「有難う」と云うので、特別なケースと念を押して、必ずこの金で、新しい ボールを買うように云って、1ドルプレゼントしました。
このキューバの旅で一番、貴重な1ドルでした。

世界遺産キューバのお土産

キューバのお土産と云えば
・ハバナ葉巻
・ハバナラム酒
・民芸品
・カストロ、ゲバラグッズ 
でしょう。

市内観光でも、郊外の観光でも必ず、葉巻工場・ラム酒工場に立ち寄ります。しかし、大きな外貨獲得の手段 なので、何れもとても高くて、私達のような貧乏旅行者には、手が出せない価格です。
それでは、絵葉書でもと思って探したのですが、色ずれをおこしたような印刷の悪いのしか売っておらず、 市内の高級ホテルの売店で 、ようやくお気に入りの絵葉書に巡りあいました。
   
何とこのポストカード、フランスで印刷しているそうで、1枚1USドルです。あの野球少年の ボール一個と同じ値段です。





キューバの海浜リゾート バラデーロへ

PACツァーのなかにバラデーロ観光が含まれていました。 もともと、キューバの旅は今回予定していなかったので、バラデーロと云うのが、どんな所かも 知りませんでした。
この当時「地球の歩き方」にはキューバがなかった頃で、本当の物好きしかキューバの事を知らない のは、当たり前でした。バラデーロは、革命以前のアメリカ人の大海浜リゾートでした。アメリカ国内 の金持ち・ハリウッドスター達がこぞって別荘を建て、治外法権的に贅を尽くして遊んだ所です。
カストロ政権が外貨獲得の為に、このバラデーロを再び外国人観光客を呼び戻すために、整備を始めた のです。
此処は、キューバ国内ですが、キューバでは有りません。
欲しいものは何でも売っていますが、全てキューバドルです。ハバナ市内の高級ホテルに泊まって、冷房の 効いた大型バスで移動し、PACの食事をしている観光客には、バラデーロは素晴らしい所ですが、私達のように キューバペソの世界を知ってしまったものには、別世界でした。
蛇足;バラデーロの海は綺麗ですが、サンゴ礁の海ではないので、遠浅ではなく、波も結構高くきます。
3月の海は冷たかった。

ピニャ・デル・リオへ

 
PACツァーのなかにピニャ・デル・リオ観光が含まれていました。
此処も、事前予備知識がなく、どんな所にのか全く解らないままツァーバスに乗り込みました、バスは各国の 観光客の混載で、ヨーロッパ及び周辺中南米の人々で、未だこの時期日本からの観光客は皆無でした。
バスは、都会のハバナを離れ西に向かいます、どんどんと田園風景が広がり、カリブ海の島国らしい農村風景が 見られるようになります。
途中、お決まりの葉巻工場・ラム酒工場 の見学、買物を経て、岩山に絵画がかかれて いる場所に到着しました。どうやら此処が本日のメイン観光地の様子です。
この近くには、綺麗な小川が流れており、ガイドの話では、ハバナ市民のお気に入りのピクニック・キャンプ地 だそうです。
中南米の国々では総じて、川・湖・森があるだけで観光地となっています。
アジアの水と緑は何時も身近にある国々に生まれ育った私達には、ごく当たり前の風景なのですが、乾いた土地、 きつい太陽の国々では、貴重な市民の憩いの場所なのです。
ピニャ・デル・リオはそんな所です。

世界遺産 キューバ ハバナの夜 そして再びコスタリカ・サンホセへ

最終日の夜、ハバナの夜の大イベント有名な キャバレー・コカパバーナ のショーを 見に行きました。
このショーは、カストロ政権を支援する沢山のロシア人の慰問用に造られたキャバレーです、が、ソ連崩壊後、少なくなったロシア人からの収入を増やす為に、外国人観光客の誘致に力をいれています。
一人50ドル あまりにも高いので 馬鹿らしかったのですが、格安のPACで来たのだから、その位の贅沢はしようとやってきました。
席は偶然、ピニャ・デル・リオで知り会ったスペイン人とドイツ人のカップルと一緒のテーブルでした。彼らは半年かけて、 メキシコを中心にカリブ海の国々を旅している、少し余裕のあるバックパッカーです。
ショーはどうだったか?
私も、ドイツ人の青年も大欠伸の連続でした。彼のコメントが全てです。
ふーん、確かに綺麗・・・、でもそれだけ。医者の給料の三か月分の価値はなし

コスタリカへ帰国の朝
帰国する朝、送迎の車をロビーで待っていたのですが、約束の時間になってもやってきません。
フライトの時間は迫ってくるので、タクシーを呼んでもらいました。やってきたのは古いアメ車好きなら堪らない、 50年代のダッヂでした。
走り出すや、運転手は先に金をくれ、と言うのです、断ると、ガソリンメーターを指差しました。ガス欠です。 ガソリンは高くて、客が付く度にいれているのが現状の様子。その後空港に着くまで二回、エンジントラブル、もう 殆ど、今日中にサンホセに着く事を諦めていました。
10分前に、クバーナ航空のカウンターに飛び込むと、まだ時間は十分にあると云うのです。
帰国の今日の日から、サマータイムが始まったのを、外国人である私達が知っている訳がありませんでした。

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