定年後の世界遺産の旅

如何に自由に、安く、安全に旅するか
行こうと思えば、何処でも行く自由が日本にはあるのですが・・・・

2002年まで、普通に観光ツァーがあった北朝鮮

北朝鮮・平壌(ピョンヤン)のアリラン祭を見たくない?。

2002年、サッカーのワールドカップで日本・韓国が盛り上がっている頃、友人の旅行会社の社員と仕事関係の旅の 打ち合わせが終わった頃、彼が「アリラン祭を見たくないですか?」と突然云ってきました。
勿論、前々から行きたかったのですが、旅の相棒である、カミサンが大反対、一人で行くと云っても許してくれなかったのですが、 二人、それも旅行会社の友人とPACツァーで行くと云う事で許可がでました。
北朝鮮による拉致問題・核疑惑は、話題にはなっていましたが、未だ蓮池さんらが帰国する前でそれほどでもなく、冗談にカミサンから 「万が一、向こうに抑留されても、身代金は一切払わないから、豆満江を泳いで帰ってきて」と宣言された 程度でした。

北朝鮮アリラン祭りの旅 ピョンヤンへお値段
旅の主催は在日北朝鮮系の 中外旅行社です。
ツァーのお値段は、査証代を含めて、三泊四日一人278,000円と足元を見られているようで途轍もなく高いのですが、 「今、いける時に行かなくては、後で後悔する。」と今までの旅の経験から、信じているので目を瞑りました。

ルート
現在(2011年)はピョンヤンへは、北京経由のルートが主ですが、2002年当時は、新潟からウラジオストック航空で行き、 高麗航空に乗り継ぐルートがありました。
ソビエト崩壊後のロシアの地方航空路線は、世界で一番危険な航空路線と云われていました。案の定、ウラジオストック航空 は一旦機内に入ってから、トラブルで降ろされ、二時間のディレー、普通でしたら経由地での乗継に不安を感じるのですが ウラジオストック・ピョンヤン間の乗客は私達のツァー客がほとんどなので、問題はなし。

ピョンヤンの川の中州の隔離されたホテル


北朝鮮アリラン祭りの旅 羊角島ホテル
ピョンヤンの最高級ホテルは、平壌高麗ホテルですが、今回の私達のツァーは羊角島ホテルです。
市内を流れる大同江の中洲の突端にある高層ホテルです。川の中州にある為、必ず橋を渡らなくてはならず、警備が容易に 出来、客の安全が守られる、と云うのが現地の案内人の説明ですが、裏を返せば、勝手に出歩けないと云う立地なのです。 どの客室からも、チュチェ思想塔などのピョンヤンの主な建造物が見渡せる眺めの良いところでした。

北朝鮮アリラン祭りの旅 柳京ホテル
窓からは、遠くに巨大な三角形の建物がみえます。有名な世界最大の廃墟「柳京ホテル」です。
北朝鮮が威信にかけて建設中だったのですが、現在、建設中止状態です。理由は諸説あり、資金不足・設計ミス・基盤不安定・ コンクリート不足など言われていますが、どれも本当でしょう。
これだけ、遠めに見ても巨大で目立つ建造物なのに、現地説明員は、このホテルに関しては何の説明もなく、この建造物に関しての 質問は、御法度のようでした。
エェー、マッサージパーラーとカジノのあるの?
羊角島ホテルは中国からの団体客でごった返していました。金のある日本人観光客は歓迎され、大切に扱われるのではと思って いましたが、反日感情からではなく、今最も金を使う中国団体客を大切にしているようです。
地下に、マッサージパーラーがあると言うので覗いてみました。特別怪しげな雰囲気ではなく受付には、日本語・中国語・英語で 書かれたマッサージの内容と値段が書いてあるので眺めていると、係りの男性がおもむろに、裏をかえすと 個室スペシャル ・マッサージサービス 100$と書かれているではありませんか?、えぇーこんなプライドの高い社会主義国の高級ホテルで、 こんなの有りなの?

カジノ・本当に此処は北朝鮮なの?
さらに、進むと今度はカジノのネオン、うそー、信じられない。
特別マッサージは興味はないのですが、カジノとなると、世界のカジノを渡り歩いて来た豪語する手前、黙って通り過ぎる訳には 行きません、でも今回カジノがあるなんて知らないものですから、余分なお金は持っていませんので、一応通貨は何なのか聞いて みると、ドルか中国元と云うのです。日本円は使えない、此処でも客は中国人のようです。旅先では万が一の時に一番役立つドルキャシュ を持ち歩いているのですが、今回は僅か50ドルだけしか持っていませんでした。
手持ち資金が豊富でないと勝てないと言う鉄則は私のサイト内 カジノ必勝法でも書いているのですが、北朝鮮でカジノと云う誘惑には勝てず、やる事にしました。
10ドル札5枚だけなのですが、このドル札チェックに時間がかかる事、初めてこのような検査機械を目にしました。やはり、噂は 本当なのだね。自国でスーパードル札を造っているから、悪貨が良貨を駆逐しないようにしているんだ。
ディラーはマカオからの出稼ぎ中国人女の子で、片言の英語・日本語が話せます、話によるとやはり、中国からの団体客が客 のようで、とんでもない金額を一晩に使うようです。時刻はちょうどアリラン祭の最中でガラガラ、こんな時間、場所で やるのですから、当然結果は惨敗。

北朝鮮アリラン祭りの旅 ピョンヤン市内観光

ツアーは70人の大所帯、バスは二台に分乗します。
現地の日本語の達者な説明員が一人、バスの後方に日本語が解らない補助員?が二人乗り込んでいます。この二人は お手伝いだそうですが、実際には日本語ペラペラの監視員である事は解りきっています。
説明員の挨拶
今日から三日間、私が皆さんに説明する言葉のなかで、我が共和国の人口は、面積は、最も高い山はと、説明する時、 当然ながら、南も含んでおります。・・・・うーんなるほど、面白い所に来たな。
何処でも撮影して構いません。
本当に良いの? しかしが付きます。ツァーで一緒に行動している時は、です。勝手に一人でツァーから離れて撮影は 出来ないのです。

北朝鮮アリラン祭りの旅 万景台
観光のスタート、先ずは金日成の生家からが、この国の規則です。
着飾った地方からの観光客が大勢来ていて、記念写真を撮っていました。流暢な日本語で流れるような説明を する女性は、時には涙ぐんで、建国者の金日成を称え、時には植民地時代の日本の圧政を非難していました。
恐らく、朝鮮語での現地への人の案内は、もっと過激な内容なのでしょう。

金日成広場


旧ソビエトもキューバもそうでしたが、社会主義国家は巨大な建造物・モニュメントを造るのが、国家統率・思想教育と 考えているようで、平壌にはその手のものが溢れかえっています。この金日成の巨大な銅像もその一つです。
事前に、バスのなかで説明員から注意がありました。
偉大なる金日成主席様と同じポーズをして写真をとらないで下さい。不敬にあたりますから。
なるほど、確かにそんな外国人観光客も多いだろうな。
此処にも、多くの地方からの観光客が来ていました。良く見ていると女性たちは、建物の陰に隠れてスカートに履き替えて います。
ピョンヤンに住む女性はスカート着用の義務?
街行く、人々に何か違和感を感じていたのですが、此処に来て解りました。女性は全員地味なスカート姿なのです。
誰一人として、ズボンを履いていないのです。最近の日本ではスカート姿の女性のほうが珍しいくらいなのに。案内人に、 この事を質問したところ、「別に法律で決まっている訳ではない、女性が女性らしい姿がスカートなのである」との事。
ツァー客の一人が後で、「ズボンは日本統治時代のモンペに結びつくので、それが原因らしい」と語ってくれました。

チュチェ思想塔

金日成広場から大洞江を挟んで向かい側に、北朝鮮の憲法・生活の規範とも言われている「チュチェ思想」を記念した 150mタワーがあります。
思想はどうでも良いのですが、エレベーターで昇った最上階からは、平壌の全景が眺められる最高のスポットです。
深刻な電力不足が伝えられている北朝鮮なのですが、市内の需要なモニュメント的な建造物は、ライトアップされていました。 羊角島から市内中心部は、ところどころ明るいのに、目を反対側に転じると、漆黒の闇です。日本のネオンサインに彩られた 明るい、カラフルな夜景に慣れた目には、不気味に映りました。

凱旋門・チョンリマ銅像
観光は、次から次と政治的建造物の見学です。
感じた事は、圧倒的に車が少ない事、信号機はありますが、点灯していなく、交通整理は全て 女子安全員の手旗信号でした。
世界の首都で信号機が動作しておらず、手信号の国は、知っている限りではブータンの首都ティンプーと ピョンヤンだけでしょう。

戦勝革命記念館
歴史的・政治的建造物の観光の最後は、朝鮮戦争の勝利?を記念した博物館です。
入場前に、案内人の女性兵士から、延々と朝鮮戦争の勝利の所以を聞かされましたが、良く理解は出来ませんでした。 此処は今では、ピョンヤン市民の結婚式記念撮影の名所となっているようで、二組のカップルが撮影していました。

北朝鮮アリラン祭りの旅 学生少年宮


市内の主なる建造物を見た後は、TV画面でも有名な、満面笑みを浮かべた幼い子供たちの演奏会です。
案内人の公式解説によると、北朝鮮では共稼ぎ家庭が普通で、学校を終えた子供たちの放課後は、国が面倒を見ており、 この学生少年宮は誰でもが入れり、此処で放課後、自分の趣味の学習が出来るとの事です。
刺繍・書道・音楽などの教室へ案内されると、子供たちはいっせいに笑顔と拍手で迎えてくれます。案内人の説明を 聞くまでもなく、ここは誰でもが入れる放課後のサークルではなく、国家が集めた少年・少女エリート養成学校なのです。
演奏会
教室を見学した後、劇場に案内されました。素晴らしく可愛い美少女の開幕の後、幕が開きました。
正面に巨大な金日成の映像が写され、生オーケストラの元次から次と、各種の伝統的演奏・合唱・演技が繰りひらげられます。 ビデオ・カメラ撮影はOKなので撮影していましたが、子供たちが笑顔で頑張る姿を見ているうち涙が溢れ出して止らなくなりました。
感動の涙ではありません、せつない、可哀そうと思う涙です。
観客のほとんどは、国境を接している中国東北部の田舎の観光客で、単純に子供たちの可愛らしさと演奏の上手さに、拍手して いるのですが、私達日本人客のほとんどは、無言でこの子供たちの演技を見ているうちに、涙する人が多くいます。
普通の小学生なら遊びたい盛りの年頃でしょう。それなのに、満面の造り笑顔で、国家の為に、無知な礼儀知らずの中国田舎 観光客の為に一生懸命演奏しているのです。
ビデオを止め、早くこの演奏会が終わるのを願っていた事を今、思い出しています。

ピョンヤンの地下鉄

ピョンヤンでは、地下鉄も観光資源の一つです。
団体ツァーで案内人と一緒で、一区間だけ乗りました。これが個人で来た場合どうか解りませんが、恐らく無理でしょう。 知りたかった料金も当然ながら、切符なしで乗っているので解りません。
モスクアの地下鉄と全く同じ構造・デザインで、地下宮殿と云われるほど豪華なインテリアです。
ホームへのエスカレーターは深く・スピードは日本の倍、一つにはシェルターとしての役目もあるのでしょう。ホームには 勿論のこと、電車の社内にも、金日成・金正日の肖像が掲げられており、ホームには何時も政治的・高揚音楽が 流されていました。
駅の名前も、建設・勝利・革命などの 如何にも社会主義全体国家らしい名前です。



北朝鮮アリラン祭りの旅 ピョンヤンの食事

Pacツァーですから、食事は全食ついていました。
朝食は、ホテルでのブッフェですが、日本人団体客用に中国人観光団とは、別室で和食中心で 、かなり質素な雰囲気、一日目のお昼は美味しいと評判の本場「冷麺」なのですが、意外と 美味くないのです。東京・新宿の在日の普通の冷麺のほうがかなり美味しいです。
量もそれほどではなかったので、一部の人が追加オーダーした所、1000円と云う値段には呆れました。
二日目は、鍋料理、三日目が、大洞江の船上レストランで焼肉なのですが、鶏肉・豚肉・牛肉とでたのですが、牛肉は かなり日が経っているのか、どす黒い感じで箸はつけませんでした。
普通、現地のガイドは食事は同席しないものなのですが、この焼肉の時だけは、何故か補助員全員が一緒でした。少し 北朝鮮の食糧事情が垣間見えました。
ピョンヤンは特別なのか  報道で北朝鮮の食糧事情が伝えられていますが、平壌は特別 なのか、街角でアイスクリームも売られており、一般市民も買っています。ここで今考えても不思議でならない事が ありました。私も買おうと思ったのですが、北朝鮮の通貨はいっさい持っておらず、又その必要もないと案内人から 云われていたのですが・・・案内人を通して、いくらか聞いてみると日本円で50円と云うのです。100円玉しかないので あきらめようとしたら、お釣りの日本円50円をくれるのです。?
街角の屋台のアイスクリーム屋が何で日本円を持っているの???。これって「仕込み」 まさか・・・・

北朝鮮アリラン祭りの旅 アリラン祭本番


2002・6月、南の韓国では、日韓共催のサッカーワールドカップが開催されています。
北ではこれに対抗する催しとして、10万人参加の大アリラン祭を企画して、世界中から観光客を呼ぼうと計画した 訳で、私達も良い機会だとばかりに来た訳です。が、後から報道で聞いたところによると、北朝鮮当局が見込んだ ほど、日本からも、ヨーロッパからも客はこなかったようでした。
アリラン祭と云うマス・パフォーマンス・ゲームは毎年、規模こそ違いますが、行われていて、時々TV画面で 目にするようになって、さほど珍しいものでもなくなって来たのでしょうか?。
私たちが案内された席は、一等席で、ほぼ正面から斜め横ですが、全体を見渡せる良い席でした。開園前の会場に 入って先ずある音にびっくりしました。
バサァー・バサァと云う音の正体?
正面スタンドは真っ白です、そこから音が聞こえてくるのです。「 バサァー・バサァ」望遠レンズでよく見ると子供たち が大きな本状のものを一斉に開閉しています。その音が伝わってくるのです。
正面スタンドは少年・少女たち2万人が何ヶ月もかけて練習してきた成果を今、最終練習している真っ最中でした。良く観察 すると、私達の後方の席には、双眼鏡でスタンドを眺めている地味な服装の男たちが何人もいます。きっと間違いをチェック しているのでしょう。



参加人員10万人?による、マスゲームは見事の一言に尽きます。
二時間、次から次と子供・学生・主婦・軍人達が入れ替わり立ち代り現われては、演技を披露していき、正面スタンドの 背景は、精密なアニメーションを見ているような錯覚を起こすほど見事な出来栄えです。
ビデオ撮影は禁止
 なのですけど、三脚を使わずに手持ちで撮影を続けました。街の中は 撮影OKなのに、何故ここではダメなのか?、訳は、このスタジアムの出口でアリラン祭のビデオテープを販売している からなのです。私達のツァーのほとんどの方々が克ったうですが、帰国して伺ったところ、ダビングにつぐダビングで 画質は見るに耐えられぬ代物だったそうです。
何故ビデオ撮影出来たのか?、今回持っていったのが、小型のDVビデオであった為、会場の係員はカメラと勘違いして くれたのが理由です。2002年当時の北朝鮮のビデオカメラに対するの常識は、大きなVHSアナログカメラであって、こんな 小型のDVカメラをビデオカメラと思わなかった幸運があったからです。

通信機器に異常な警戒感
旅行前の中外旅行社からの案内で、パソコンは持ち込み禁止と書いてありました。四日ほどの旅行ですからパソコンを 持って行くほどでもないので、持っては行きませんでしたが、入国の際の税関検査でMP3プレーヤーが引っ掛かりました。
通訳を通した質問にびっくり。「これは衛星と通信できるか?」 と聞いて来たのです。通訳も 税関係官もMP3プレーヤーを見るのはどうやら初めてのようでした。

悲しき宴の終焉
マスゲームは、幼稚園児と思われる、小さな子供たちの退場で終わります。
演技を終えた子供たちは、満面の笑みを浮かべて、ある一点を見つめながら退場して行きます。そこは私達の席からやや、 中央よりの特等席、飲み物サービス付きのゆったりした椅子席の一角です。この日は現われませんでしたが、此処は普段 朝鮮労働党幹部そして、偉大なる首領様が座る席なのでしょう。
明るいスタジアムから外にでると、街路灯もついていない漆黒の闇です。私達は迎えのバスに乗り、ホテルに向かうのですが、 帰り際の歩道は、今さっきまで出演していた子供たちが、衣装そのままで三々五々歩いていくのが見えます。ピョンヤン地図 で解るように、会場は市内の北にあります、9時を過ぎた時間、こま子供たちは何処まで歩いて帰るのだろうと、思うと あの鮮やかなライトと対照的な暗闇を見つめ、思わず涙がこぼれて来ました。

北朝鮮アリラン祭りの旅 38度線、板門店

三日目は緊張する38度線「板門店」です。バスのなかで、案内人が面白い話をしました。 南では板門店観光をする際に、誓約書を書かされるそうで、如何なる事態、身体的 危険があろうとも、一切韓国政府・アメリカ政府・国連に賠償請求を求めないと言う内容で、これにサインしないと、板門店を 訪れる事が出来ないそうですが、共和国の場合、お客様にそんな誓約書は求めません。わが国、わが軍隊が総力を挙げて、皆様 をお守りいたします。 板門店に向かう国道は、ハイウェイかと思われるほど直線的で幅の広い道路で整備されていました。軍事道路の所以でしょう。 又、6月でしたが道路脇の田んぼは、青々と茂った稲が連なり、農民が働いており、食糧不足のかけらも感じられませんでした。 この沿線は北朝鮮でも一番気候も良く、整備もされている、外国人に見られても恥ずかしくない、モデル農村地帯 である事を後から知りました。


   

板門店は映画のセットそのまま
何度か見た韓流 映画そのままの板門店がありました。少し違うのは、眺めている方向です。映画のなかでは南から見て いるのに、此処では北から南を見ているのです。向こう側には、全員サングラスをかけた、如何にもアメリカナイズされた 韓国・国連兵士が見えます。物好きな日本人観光客がきているな、思っているでしょう。
案内する共和国軍人は、ヘタな質問をしたら取調室に連れて行かれるような雰囲気があり、ただただ、大人しく 北側の論理・説明を聞いているだけでした。
黄海銃撃事件
この日のこの時間、私たちが板門店でのんびり観光していた時、黄海では、韓国と共和国の船舶間で銃撃戦が起きていたのです。 この事は、新潟へ帰った日のタクシーのなかで知りました。小さな出会い頭の衝突だったようで大きくならずに済んだ模様 ですが、まかり間違えば、この板門店で歴史的事件に遭遇していたかも知れません。

北朝鮮アリラン祭りの旅 ケソン・開城

ケソンはピョンヤンより南に200KM、板門店への入り口の都市です。

   

この街に来て、初めてハングルではなく、漢字を見ました。ケソンは漢字表記の開城の示す如く、高麗王朝の都として栄えた 現在の英語表記KOREAの由来となった古都なのです。
ケソンは、遠めにはどこか小さっぱりとしたピョンヤンと違います。女性は全員スカートではなく、ズボン姿です。ちょうど お昼時で、町中大音量のプロパガンダが流れています、車はほとんど通っていなく、自転車・リヤカーが多く見られます。
こう云った街に来ると、ピョンヤンの人工的な建造物の撮影にあきあきしていた、自称スナップカメラマンとしての魂が呼び起こされ てきます。
昼食を団体行動で摂るのですが、パスして、こっそりと抜け出しました。
街にでると、ピョンヤンとは違った普通の人々の生活が見られます。川が流れ、裸足の子が駆けているほうに古い瓦屋根 の家々が見え、年老いた朝鮮の御婦人が洗濯をしています。その方向に一歩足を踏み出した途端、背後で鋭い笛の音が しました。振り返るとサングラスをかけた、金正日の着ているのと同じ、丈の短いカーキ色の上着を着た男が近づいてきて 、手がバッテンを造るのです。
普通の人なのかどうかは解りませんが、やはり北朝鮮は西側国家ではないと実感しました。

帰国
ピョンヤンからウラジオストック経由で新潟へ戻ってきた日は、ワールドカップの決勝戦の日でした。 北の国では、この生中継が見られているのだろうかと、思いながら見ていた事を思いだします。

北朝鮮アリラン祭りの旅 撮影した動画3本

北朝鮮 アリラン祭り2002 2013・9 up
2002・6 日本と韓国でサッカーワールドカップが開催されている時期、北朝鮮ではこれに対抗して、近年稀にみる 大規模なアリラン祭りを開催していました。まだ北朝鮮による拉致問題が表面化する前で、日本から新潟・ウラジオストック 経由ピョンヤンと云うルートの70名を越す、大観光団に潜り込んで、ビデオ撮影禁止の目を盗んで撮影したものをリメイクしました。

北朝鮮 ピョンヤン 学生少年宮 2013・9 up
ピョンヤン市内の観光は、北朝鮮の一種のプロパガンダである事を承知していなくてはなりません。金日成の大銅像や 、とつてもない大建築などは、旧ソ連やキューバでも見てきました。ピョンヤン観光で必ず行く場所の一つに、英才教育 された子供たちによる、歌・踊りのパフォーマンスです。学芸会レベルをはるかに超えた素晴らしいものなのですが・・・ 一生懸命に演じる子供たちを、私は涙なしには見られませんでした。

北朝鮮側から見た板門店と開城 2002撮影 2013・9 リメイクup
謎に包まれた北朝鮮、紛争する韓国との国境・戦時停止線の板門店を北側から撮影した貴重映像、合わせて南北朝鮮の古都「開城」 の様子もあります。

Nishizawa Akira Allrights.Reserved  Since 2003.1.27