南インド情報

南インドに魅せられて
退職後、数カ月単位の滞在経験してかられたご夫婦のレポート

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バンガロール日記 

第一巻 南インドに魅せられて 目次 OPEN/CLOSE

バンガロールに無事到着
MH192 便は、珍しく定刻の23:30 に新バンガロール空港に着いた。
今年の5 月に出来た新空港は、広くはないがなかなか快適な空港である。
今回は、EMPLONMENT VISAで、しかも、常備薬3 種類を1 年分保持していたので入管でいろいろと聞か れると思い、用意周到に常備薬の英訳文まで用意していた。


しかし、入国管理官は私の前でおおきな「欠伸」を一回してから、かったるそうにスタンプをドンと押した。
ちょっと、気が抜けたがなんとか無事にインドに入国することができた。

思えば、今回はひょんなことからインドに行くことになり、VISA の手配に始まり常備薬を1 年間もらうための交 渉など、準備に多くの時間と労力を費やした。


とにもかくにも無事にインドに入国できたので、私たちの今回の挑戦はこれで50%成功である。
挑戦するからには成功するに越した事はないが、挑戦するだけでもおおきな価値がある。
このように考えなければ、人はなかなか挑戦する気が沸いてこないだろう。

特に、年を経てから何かに挑戦するときには自分を高く評価する事が大切になる。
日本では挑戦するだけではなかなか価値は認められないが、インドでは挑戦自体をみんなが認め合っている。
私がインドを好きな理由の一つである。


私たちは、顔なじみのドライバの迎えの車に乗り、夜更けの道をバンガロールの町並みをひた走った。

昨年の11 月に来たときは、まだ古い空港だったので20 分も走れば良かったが、今回はそうはいなない。
結局、新空港からは1 時間以上を必要とした。


空港に着いたのが深夜でもあり、道すがらは暗くインドに来た実感は余り沸かないが、それでも時折、薄明かり を通して見る家々はインドを実感するのには十分であった。
最近はどこの国でも大きな空港ができている。
しかし、いずれも町並みから遠く離れている。


実は、今回の滞在中に格安航空機に挑戦して、インド国内、東南アジア、中近東を旅することを考えている。

以前、マレーシアで格安航空機の旅に挑戦したが見事に失敗した。

今回は、場所を変えてリベンジする予定であるので、新空港が交通の利便性にかけるのは、私たちにとって、 ちょっと、不利益である。

そんな事をぼんやり考えていると、やがて私たちが居住する予定の友人宅に着いた。
時刻は午前3 時(IST)である。
インドと日本との時差は3.5 時間である。
もう、日本では夜明けの時刻である。

友人には、深夜なのであらかじめ日本を発つときに迎えを断っていた。
私たちを迎えてくれたのは、お手伝いさん、使用人、セキュリティ、それとラッキーの3 人と1 匹であった。
こうして、26 時間に渡たる日本とインドの旅の一日目は終わった。

インドで初めての朝 記事 OPEN/CLOSE

今、インドは雨期らしいが、バンガロールの空は快晴である。
日差しはきついが、蒸し暑くはない。
多分、気温は20 度くらいであろう。
通る風は心地よい。
前日の名古屋は36.5 度でとても蒸し暑かったが、ここバンガロールは別天地の感である。
インドというと暑いイメージがあるが、ほとんどが、デリー、ムンバイ、コルカタなど北インドの話である。
日本からのほとんどの旅行者は、この暑い北インドの地を一通り回って足早に帰る。
最近では、Blue City やLake Palace で有名なウダイプールやエローラ・アジャンタなどの遺跡群にいく人も 多いようであるが、ここも地理的には北西インドである。
日本のテレビや雑誌でもほとんど北インドが取り上げられており、南インドに触れることは滅多にない。
インドは、日本の9 倍もの国土を有し、国というよりは大陸である。
インドという言葉で気候をひとくくりにするのは、必ずしも正しくはない。
事実、バンガロールの体感気温は20 度くらいなのである。
私たちが滞在するバンガロールは、南インドの中央部にあり標高920m の高原都市である。
公園や緑が多く「庭園都市」とも呼ばれている。
また、IT が大変盛んなところであり「インドのシリコンバレ」とも言われている。
そのため、多くのインド人IT 技術者がいる。
今回の訪印の目的のひとつは、これらのIT 技術者の教育である。
IT 技術者の教育については、追々触れていく。

今回は1 年の長期滞在予定である。
そこで、日用品など家庭の必需品を少しずつ揃えていくために、早速、近くのお店に行った。
驚くことに、ほとんどの日用品や食品はここで買える。
日本のちょっとした、小都市のスーパー並みである。
インドに来ていつも実感するのは、日本は物が溢れていることである。
そして、すべての物がきれいである。
町も水も安全である。
日本に居てはこれらの事になかなか感謝することはないが、インドに来ると感謝の念が不思議と強まる。
お店の帰りに屋台でマンゴを6 個30INR で買った。
インドに来る前に家の近くのスーパーで値段を見たが日本では380JPY/個であった。
実に日本の1/30 の値段である。
マンゴは大好きな果物なので、これはとてもうれしい。
夜、ベランダから見える夜景の中に派手な電飾の家を発見した(写真)。
ハウス・ウォーミングという慣わしで日本の新築祝いである。
とても、珍しくきれいなので早速、写真に収めた。

オートリクシャ初体験 記事 OPEN/CLOSE

今日は、居住者登録の手続き書類を作るために、初めてオフィスに向かう。
いつもは、友人の車に便乗するが、初めてオートリクシャに挑戦した。
オートリクシャは、3 輪の50CC バイクで、前にドライバ、後ろに3 人が乗れるインドでは一般的な乗り物である。
通常はメータ制であるが、これは建前で料金はほとんど交渉で決まる。
インド人の交渉好きは良く知られているが、ちょっとオートリクシャに乗るにも交渉が必要である。
道すがら、何台かのオートリクシャが客待ちをしていた。
私は、思い切って交渉を開始した。

友人からはオフィスまでは15-20INR くらいと予め聞いていた しかし、交渉したほとんどのドライバはオフィスまで70INR と強引に言う。
後でわかったが、20INR で行くオートリクシャなどインド中を探してもいないらしい。
それも道理で、よく考えてみれば友人はオフィスまでいつも車で行っているので、オートリクシャなどで行ったこ とはないハズである。
彼らとの交渉は延々と続く。
彼らと表現するのは、一人のドライバと交渉しているとどこからともなく大勢のドライバが集まって来る。
彼らの言葉は現地語(と言っても代表的のものだけでもインド国内で16 言語もある)で、よくわからないが料金 の談合?をしているようである。
結局、交渉は50INR で決着。
私は、日本人としては比較的交渉を苦にしない方である。
というよりも、どちらかというと交渉好きな方である。
交渉が苦手な人には、インドでオートリクシャに乗るのは大変な作業である。
しかし、この大変な作業をしないですむ良い方法がひとつだけある。
それは、すべて彼らの言う料金通りにすることである。
心配することはない。
50INR は、日本円で約100 円、70INR は約140 円で、僅か40 円の交渉である。
私など、日本ではちょっとバスで駅に行くだけで520 円も支払っている。
しかも、交渉することもなく、いつもバス会社の言う通りに….

mall初体験 記事 OPEN/CLOSE

今日は買い物に明け暮れた。
私たちの住むHSR layout の近くにはForum mall(写真)とTotal mall の大きなモールが2 つある。
近くとは言っても、オートリクシャでTotal mall は15 分、Forum mall は40 分かかる。
Forum mall は、町の中心にあり高級品を売っている。
4 階には、インドでお決まりの映画館もある。

私たちは、持っている円が残り少なかったので両替所を探した。
妻は、以前にForum mall で両替して、インスタントカメラを買った経験があった。
しかし、両替所はなかなか見つからない。
外国では両替所は、不思議と隅の薄暗い所にある。
私たちは薄暗い場所を求めて30 分くらい彷徨って、やっと両替できた。
今日のレートは41.25 であった。
具体的には、1 万円を両替して3750INR を手にした。
今回の滞在は長期間であり、いろいろなケースで両替に挑戦することにしている。

 1.シティバンクからの送金
 2.シティバンクのATMでの払いだし
 3.現金からの両替
今回は3 のケースになる。
3 の場合は、約9.4%の両替手数料がかかることが判明した。
2 のケースは、未だ私のパソコンがインターネットに繋がっていないので残念ながらシティバンクのWeb ページ で結果を確認する事ができていない。
(後日、確認したら2.62JPY/INR ですばらしく良い。
2 が絶対にお勧である。

こちらの日本人によると、円をドルに変換して送金し、INR に両替するのが一番良かったらしい。
1は現地に口座を開設できたら早速、挑戦してみることにする。
この日の昼食はForum mall の中のKFC(Kentucky Fried Chicken)(写真)で食べた。
思った通り、メニュはカレーのオンパレードである。
最後にデザートにチョコパフェを頼んだが、さすがの甘党の私もこれは食べ残した。
インド人のご婦人の体形が急速に変化していく理由がわかったような気がした。

  
一方のTotal mall(写真)は、どちらかというと庶民的なmall である。
私たちには、向いているようだ。
日本のユニーやヨーカ堂をイメージするとわかりやすい。
Discount も多くやっている。
大勢の人だかりがあったので、売り場の責任者風のひとに訪ねてみた。
レシート番号での抽選で当選した人へのキャッシュバックをしているとの事である。
なかなか良いアイディアだと感心した。

Total mall では、妻が計画しているBaking school の電子オーブンを購入した。
これがかなり重いので特別料金を支払って配達してくれるように依頼した。
店員は、私たちの何度ものしつこい確認に、今夜の9 時に配達すると明快に言い切った。
本当に今夜くるかと半分、懐疑的な気持ちで家路に着いた。
(実際、電子オーブンが着いたのは、3 日後の夜である)
ガス漏れとパワフル爺さん初対面 記事 OPEN/CLOSE

今日は、朝から大変な目にあった。
私たちは居住者登録が終わっていないので未だ政府の正式なガス供給は受けられない。
そこで、プロパンガスを小型にしたようのもので代用している。
昔、キャンプで使ったようなラジウスのような代物である。

今朝、起きたら台所が妙にガス臭い。
調べたところ、昨夜からガスが少しずつ漏れていたようである。
原因は、ガスの火が通る穴が詰まっており内部の圧力によりパッキンが横にずれていた。
今日は日曜日。
苦労して苦労して業者に連絡した。
業者は、なんでもないように店に持って来いと言う。
当然、ここはインド。
一言のお詫びもない。
日本で21,170 日も生きてきて、インドに来て僅か4 日で命を落とすわけにはいかない。
これからも何回か同じ目に遇いそうな感じもするが、しぶとく生きよう! 私たちは、友人の3 階建ての家(写真)の3 階に住んでいる。

インドの階の数え方はイギリス流なので日本流に言うと4 階である。
1 階は駐車場、2 階には友人、3 階にはインド人の家族が住んでいる。
そして、私たちは4 階である。
日本では、最上階は家賃が高いが、インドでは必ずしもそうではない。
バンガロールには当てはまらないが、日差しの強い都市では最上階は敬遠されるようである。
家の前で野菜を買っていると、3 階のインド人の御主人から遊びに来るように声をかけられた。
インド人から先に声をかれられるとは思ってもみなかったので少し驚いたが、とてもうれしかったので遠慮しない で早速訪問した。

3 階の住人はMAHESH さんという、インド綿や絹の輸出を仕事にしている人である。
奥さんはSHEIRA さんで、長男と長女の4 人家族である。
長男はイギリスの大学に留学中である。
とにかく、インドの人は子供の教育には熱心である。
そればかりか、大金をかけている。
その証拠かどうかわからないがメイドが2 人いるのにSHEIRA さんは働いている。

夜、寝ていると突然、玄関のチャイムが激しく鳴った。
虚ろな気分でドアを開けると、そこには子供2 人と大人3 人が立っていた。
一瞬、驚いたが、よく見ると2 人の子供と1 人の大人は見覚えがある顔である。
友人の子供と使用人である。
子供達は盛んにgrand father と叫んでいる。
状況が良くわからないが、とにかく部屋に入ってもらった。
どうも、見知らぬ大人は友人の奥さんのお父さんとドライバのようである。
チェルチィという所から、今、着いて挨拶に来たようである。

こちらは、就寝中で着替える間もなかったので上はランニングで下はパジャマ姿である。
いくら、インドであるとはいえ体裁が保てなかったが、着替えることなくいろいろと話をした。
grand father は、昔は大学の教授でタミル言語を教えていたそうだ。
インドには、サンスクリット語という日本語の原典とも言われている言語があり、今は、この研究をしている。
年は65 歳。
(後で、72 歳であることが判明) 今でも、毎日、3 時間、1000 回、腕立て伏せをしているという。
65 歳で1000 回の腕立て伏せはないと思うが、彼の上腕は筋肉が盛り上がっており、まんざら嘘ではなさそうで ある。

彼の住むチェルチィからバンガロールには、チェンナイを経由して12 時間かかる。
何でも、もう明日の朝にはチェルチィに戻るようだ。
インドには、彼のようなpowerful grand father が結構いるらしい。
1 泊2 日で24 時間のそれも道路事情が良くない車の旅で、6 時間の深夜のたびを終えて、大きな声で饒舌に 話をする65 歳の日本人など私は知らない。
彼の早口で大きな声が耳に着いて、今夜はしばらく寝付けないだろう

初仕事は居住者登録 記事 OPEN/CLOSE

インドでは、観光や就労に関わらず3 ヶ月以上、滞在する場合には滞在許可書を必要とする。
滞在許可書を受け取るには、まずは居住者登録申請を行う。
今日は、その居住者登録をする日である。
この居住者登録はかなりの難関である。
何しろ、申請書だけでも同じものを4 通も書かなければならない。
日本なら1 通書いてあとはコピーで済むようなものである。
オフィスに行って登録申請書の作成を待つ。
結局、すべてが出来るまでに何と4 時間を費やした。

登録所は、FRO と呼ばれ警察の代理をする場所で、車で1 時間のところにある。
最初は、申請内容の検査である。
ここは僅か1 畳ほどの場所に机があるだけである。
係官は2 人で机も2 つあるが、常にどちらかは席にいない。
この机の前に大勢の人がひしめき合い順番を争っている。
広大な敷地を有するFRO で受付場所が僅か1 畳というところがインドなのかもしれない。
確かに、インドは私たちには伺い知れない国である。

今回の申請では手馴れたサポータを同伴したが、多分、サポータなしで登録できるタフな日本人はほとんどい ないであろう。
言葉の問題だけとっても、ここバンガロールだけでも、ヒンディ、タミル、カンナダ,テルグの4 つの言語が使われ ている。
4 つの言語を巧みに操ることなど、そもそもできるハズがないのである。
しかし、インドでは、3 つくらいの言語を話す人は結構いる。
ちなみに、私の友人は、ヒンディ、タミル、英語、日本語を巧みに使い分ける。
現地サポータのお陰で、私たちの申請書は何とか受理された。

今日は、インドに来て初めてインド人に心から感謝した。
しかし、この日に手に入れたのは許可書の引換書のみである。
また、明日の17:00 に多くの時間と車代を費やして取りに来る必要がある。
日本と比較するのはもう止めよう ここはインド。
不思議な事にインド方式にも少しずつ慣れさせられてきた。

居住者登録が無事完了 記事 OPEN/CLOSE

ゆっくりとした朝を迎えた。
今日はオフィスで待ち合わせて15:00 にFRO に行く約束だったので、少し早めではあるが余裕を見て14:30 にオフィスに行った。
しかし、15:00 になってもなかなかオフィスを出発しようとしない。
どうも、私たちと一緒に行く予定のサポータが見つからないようである。

昨日、感謝したサポータはオフィスに居る。
彼に急用でも出来たのか、それとも休養か。
代わりの人がなかなか見つからないようである。
そのうちに、私だけで行けないかと言い出す始末である。
ここで根負けしたら、後が大変である。
FRO の手続きは到底、私たちの手には負えないことは昨日、経験済である。
「No」「None」「ダメ」「ire」と知っている限りの言葉で否定する。
この甲斐あって、どうやらサポータが決まったようである。
とにかく、インドでは、5 回言ってやっと日本の1 回分に相当する。
「言った者勝ち」「ダメもと」と言う日本語がぴったりする。

昨日は車で行ったが、今日はオートリクシャで節約することした。
車では400INR、オートリクシャは200INR で半額である。
400 円節約の代償は、多くの排気ガスと砂埃である。

FRO は、今日も相変わらず混雑を極めていた。
長い列に並んで、やっと順番が回って来た。
やれやれと思った瞬間、係官の言葉は「5 分待て」というものである。
まだ、滞在許可書(RESIDENCE PERMISSION)が出来ていないようである。
確かに、私たちの書類には17:00 と書いてある。
僅か、5 分であるが、係官は絶対権限者である。
逆らったときの代償は、計り知れない。
しかたがないので、もう一度、長い列に並び直した。

並んでいる最中に予期しない光景に出会った。
突然、私の前に1 人のインド人が割り込んで来た。
私たちは、外国人用の列に並んでいたのでインド人が同じ列にいるのが奇異に思えたが、最近では、外国に 居住するインド人が多いそうだ。
そう言えば、入国申請書にもNRI(Non Residence Indian) と言う表記があった。
私たちは、これに印をつけたが、これは間違いでNRI は外国に居住するインド人のことで私たちはothers が 正しいようである。
余談であるが、多分、私たちの入国申請書には間違いが多少あったと思うが、問題なく入国できた。
多少の間違いなど、間違いの内に入らないというインドの大らかさかが幸いした。

本題に戻ろう。
私は日本だったら当然、割り込んだ御仁に注意するが、ここではただ困惑するだけであった。
すると、何と近くにいたインド人が突然、毅然とした態度で注意したではないか。
私が予期しない光景と表現した訳は、インドでは割り込むことなど日常茶飯事で注意する人などいないと思っ ていたからである。
私は、注意した人にお礼を述べた。
彼はサポータで日本人を同伴してFRO にきていた。
日本人は私の良く知る某企業の40 くらいの駐在員であり日本人会の理事をしているらしい。
私たちでさえ、出来る限り自分たちで対応しようとしているのに、若い彼は何もせずに、すべてをサポータに委 ね、ただ外で待っていた。
そして、彼は私に会うやいなや真っ先に会社名や日本人会の肩書きを言った。
昔の自分をしばし省みる。
確かに、彼の名前はインターネットのバンガロール日本人会のH.P で見たような気がする。
機会があったら、私たちも日本人会に入ることを検討しようと思う。
検討といったのは、日本人会の多くは海外に進出した企業の下に運営されており、私たちのように組織に属さ ない者にとって、あまり居心地が良くないということを以前にマレーシアやタイを訪れた際に、現地の日本人の 友人から聞いていたからである。
しかも、バンガロール日本人会には約270 人も会員がいる。
理事はすべて企業人である。
私が入会するどうかの基準は、至ってシンプルである。
それは、日本人会が楽しい所かどうかである。

激しい雷雨と停電 記事 OPEN/CLOSE
>

> 昨夜、バンガロールの町は激しい雷雨に見舞われた。
そして、この間、町は当然のように停電した。
私たちの家の2 階(友人宅)にはUPS(自家発電装置)があるらしいが、私たちのフロアには未だない。
部屋は真っ暗で冷房も切れている。

幸い、私たちのフロアは最上階であり40 畳はどの広いベランダが付いている(写真) 実は、ここに住もうと決めた理由の一つがこの広いベランダである。
しかも、角地の4 階なのでバンガロールの町並みが一望である。
昨年、来たときから私は大変、気に入っている。
停電を楽しむために、夕涼みを兼ねてベランダに出てみる。
真っ暗な町並みを想像していたが、以外に明かりがある。
やはり、バンガロールはインドの中でも1,2 を争う豊かな都市なのであろう。
多くの建物にUPS があるのだろう。

今朝は、雷雨のせいで、夜中に2,3 回、目覚めた事もあり多少眠たい。
しかし、今日は訪印してから1 週間、健忘録を兼ねて纏めておきたい。
A.これまでに手に入れたもの パスポート、就労ビザ、滞在許可書、家具一式、家電一式… B.これから手に入れる必要があるもの 市ガス、携帯電話、インターネット、オフィスまでの交通手段… まだ、手続きは続くが、我ながら良くここまでやってきたと思う。

海外赴任だと会社がほとんどすべてやってくれるので楽である。
ビザも住宅も会社に任せておけば良い。
文字通り、体一つで来れば済む。
しかし、私たちは、すべてを自分たちで一からやらなくてはならなかった。

ビザなどは旅行代理店に頼めるが、私たちが住んでいた市には私たちが当たった限りではEMPLOYMENT VISA を取得した経験がある代理店は見つからなかった。
そこで、インターネットでの調査やインド大使館、総領事館へ電話したりして、試行錯誤の末にやっと手に入れ た。
しかも、大使館にいくことなく郵送で手に入れることができた。

これらは、大きな経験であるが残念ながらインドビザの申請方法は頻繁に変わるので、今度取得する時は、ま た、一からやり直しであろう。
しかし、インドに居住するための手続きや注意事項など、今回、経験した事のいくつかは今後に生かせるハズ である。
私たちはインド居住手続きの経験者という財産を一つ手に入れる事ができた。
インド滞在中には、どんな財産を手に入れることが出来るだろうか!!

暗闇を選ぶか蚊を選ぶ蚊 記事 OPEN/CLOSE

今日は、インドの停電について書く。
インドに来る前に本やインターネットで停電があることは知っていたが、頻度の多さには正直、ヘキヘキしてい る。
停電は、まるで約束しているかのように毎日一回は必ずある(写真)。
多い日には4-5 回もある。
特に、雷などに発生はないので恒常的で意図的なものだろう。
その証拠にPower cut と言っている。

現地の新聞によると雨が降らなければ一日6 時間しか供給できないと言う。
やっかいなことにその停電は、時を選ばず起こる。
インドの停電を一躍、有名にしたのが9 月8 日のワールドカップ予選の対インド戦。
スタジアム停電のため、後半戦を開始することができず。
ちなみに、マッチコミッショナーの発表によれば、後半開始予定時刻から45分間経っても再開されなかった場 合、無効試合になるそうである。

停電すると一瞬にして、何もすることがなくなる。
そればかりか、ファンもA.C も停まり部屋の中は徐々に暑くなる。
復旧の目処がわかれば、我慢もできるがインドでは将来のことなど誰もわからない。
暗がりでひたすら復旧を待つ。
暑さに耐えかねて、外に出たり部屋の窓を開けようものなら、たちまち歓迎しないもの達が訪れてくる。

蚊だ! インドの蚊は、刺されても日本の蚊のような痒さはない。
但し、インドの蚊は怖い。
日本の蚊とはその歴史も凶暴性も異なる。
各家庭では、この停電対策として自家発電装置(UPS)を用意している。
友人の家には自家発電装置が5 台あるが、残念ながら私たちの階にまでは恩恵に預かることは出来ないようで ある。
UPS は、1 台3000INR である。
5 台でやっと1 時間持たせることが出来る。
停電の90%は1 時間以内に回復するので、15000INR の投資になる。
今後は、衛星放送やインターネット接続も考えている。
これらは、投資しても日本に持って帰れない。
どれに投資するか悩ましいところである。
妻に相談すれば衛星放送に決まることは間違いない。
日本を発つときの一番の心残りが子供ではなく「篤姫」が見られなくなることである。
私は絶対にUPS である。
娯楽より生活必需品である。
しかし、正直なところ英語と現地語のテレビにも飽きが来ているころである。

今日はオフィスから家まで30INR で来た。
この金額は間違いなくIndian Price である。
インドには、インド人価格と外国人価格が存在する。
例えば、PC のコンバータ(コンセントの形状がインドと日本では異なる)を私が買いに行くと150INR と言われ るが、オフィスのエンジニアではこれが何と1/5 の30INR になる。
とにかく、オートリクシャはこれまでは50INR-70INR の外国人価格からインド人価格に入れたので、今日だけ は少し鼻高々である。

5000 円で1 ヶ月間、豊かな食生活 記事 OPEN/CLOSE

今日は、オフィスは休み。
朝、一番でお馴染みのスーパーに行く。
雑貨屋を大きくしたような店舗で、さすがにスーパーと言うだけのことある。
とにかく、いろいろなものが雑多に置いてある。
当然、品物の上の埃は当たり前で、中には袋が破けているものまである。
日本では、到底、売り物にはならない。
それどころか、お客から苦情が殺到するに違いない。
今日の買い物はちょっと奮発して500INR。
野菜は40INR。

食べること(嗜好品除く)だけなら1 ヶ月4000INR もあれば十分だ。
日本円で一人5000 円である。
写真は、大好物の果物達である。
りんごにバナナにマンゴにパパイヤである。
これが全部で100INR。
日本円で200 円である。
あなたはこの値段が信じられますか。

野良牛と野犬 記事 OPEN/CLOSE

今日は土曜日。
買い物を兼ねてバンガロールの町並みを散策することにした。
バンガロールには大きなモールがいくつかあるが、既に2 つのモールは制覇した。
そこで、今回は気分を変えて下町を散策することにした。
特に、目的の買い物はない。

オートリクシャで15 分くらい行ったところに手ごろな商店街を見つけた。
オートリクシャを降り、しばらく下町を散策した。
なんだか、この辺はやたらと牛と犬が多い。
人より、牛と犬に合う方が多い。
しかも、そのほとんどが野良牛と野良犬である。
野良犬は良く聞くが、野良牛(写真)はインドならではであろう。

インドに来て何が怖いかと言って、野良牛と野良犬ほど怖いものはない。
道の真ん中に野良牛がとうせんぼうしている横を通り過ぎるのはかなりの勇気がいる。
何も害を加えないことは知っているが、それでも怖い。
何しろ図体がでかい。
目も大きい。
野良牛の中には水牛もいるのである。
体当たりされたら、ひとたまりもない。
ツノなどは、私の腕と同じ長さだ。

野良牛は、機嫌をそこねないように祈りながら知らん振りして通るにかぎる。
一方、やっかいなのは野良犬(写真)である。
いや、野良犬なら私は怖くはない。
インドの野良犬の多くは野犬化している。
野犬は間違いなく怖い。
気の荒い風来坊達である。
こちらの都合など関係ない。
野犬の機嫌がすべてに優先する。
こちらは、野犬の今日の機嫌を知るすべがない。

目を合さないようにとアドバイスを受けるが、敵の目を見ないで通るのはもっと怖い。
目を合さなければ大丈夫と言う保障など誰もできないハズである。
友人の奥さんの話では、野犬の被害で亡くなる人は一日に1-3 人おり、しかも、そのほとんどが子供らしい。
私は野犬とはどんなことがあっても友達にはなれない。
野良牛と野良犬が怖いので、再びオートリクシャに乗って馴染みのモールに行く。

土日曜日ということもあり混雑していた。
売り場を歩いていると私の目に馴染みのあるものが飛び込んできた。
畳である。
縁にインドらしい派手な飾りがある1 畳ほどの畳である。
珍しさと懐かしさとで思わず衝動買いした。

畳をカートに入れて売り場を歩いていると、いきなり後ろから現地語で声をかけられた。
どうも、日本人が畳みをもっていたので気になって声をかけたらしい。
何を言っているのかわからないが、私は急いでいたので何に使うのかと聞いていると適当に解釈して「ヨガヨ ガ」と言ったら、彼は連れの母親らしい人に一生懸命に説明していた。
今回も私の適当な解釈はあったっていたようだ。
この手の経験は、既にバンガロールで何回かは経験済みである。
不思議なもので、言葉は雰囲気で伝わる場合があるものらしい。

貧しいインフラ 記事 OPEN/CLOSE

私たちは、パソコンを2 台、持ってきている。
1 台は事務所用で、もう1 台は家用である。
当然、富士通製である。
しかし、2 台のパソコンは未だインターネットに接続できていない。


接続できていないのは、インターネットだけではなくガスもできていない。
携帯電話も持っていない。
インドでは、私たちは外国人である。
何をするにも手続きが煩雑である。
パスポート、VISA,RP(居住許可書)が必要でガスなどは申請後6 ヶ月も待たされる。
ガスには政府管轄と民間との二つがあり、政府管轄は6 ヶ月待ちであるが、民間だと翌日には手に入れること ができる。
ガスは両方ともプロパンガスである。
いわゆる都市ガスはない。
接続工事のやり方は同じである。

政府管轄に時間がかかる理由は申請者が多いのだ。
それも、そのはずで価格が民間の1/3 で済むらしい。
私たちの滞在予定は5 月までである。
1 月まで待てないので、早速、私たちは民間に申請した。

一方、携帯電話は簡単に手に入れることができる。
携帯電話の普及率はすごい。
ほとんどの人が持っている。
というより、念柄年中かけている。
普及率というのは曲者である。
国全体で比較すれば、圧倒的に日本が高い。
しかし、インドは11 億も人口があり地方の普及率は0 に近い。
バンガロールでの携帯普及率は、東京や名古屋よりは間違いなく高いだろう。

インド品質のサーカス 記事 OPEN/CLOSE

夕方、友人の家族とサーカスを見に行った。
観光旅行では絶対に見ることはできない。
インドで現地のサーカスを見た日本人は、ほとんどいないだろう。
とても貴重な経験になった。

入場料は20INR,40INR,60INR。
値段の違いは、場所と椅子の良し悪しである。
一等席は60INR で、椅子はビアガーデンにあるようなプラスチックのものである。
三等席は20INR で、椅子は丸太である。
私たちは、勿論、一等席である。
一等席でも一人120 円である。
私たちが行った時は、サーカスは既に開演していた。
インド音楽に乗って、お決まりのロープ技が真最中であった。
演目は日本の3 倍くらいの速さで次から次に変わる。
とにかく、出演者の数が圧倒的に多い。
また、音楽の音も大きい。

しかし、音楽は楽団の生演奏である。
楽団と言っても3-4 人だが、正面の高い位置に陣取り偉そうに演奏している。
道理で演者とのタイミングが見事な訳である。
動物は、馬、犬、象が出演していた。
帰りに駱駝を見たが、私たちが遅れていったためか駱駝の演技は見ていない。
インドの駱駝の演技を見てみたかった。
ピエロの演技は、現地語のタミル語なので笑うに笑えなかった。
技のレベルは、はっきり言って学芸会と運動会を足したようなものである。
組み体操のようなものは、バラバラでうまくいきそうにないと途中で止めてしまう。
おしゃべりしながら演技している演技者もいる始末である。
綱の上で、頭の上にカップと皿を乗せていく演技などでは、2 回に1 回は失敗する。
日本のサーカスでは、失敗はほとんどない。
サーカスにもインド品質があることを知った。

サーカスの帰りに、ちょっと寺院に寄り道した。
この寺院は大きな岩山の上にあり、850 年まえに作られたそうだ。
それほど高い岩山ではないがバンガロールから離れていることもあり、遮るものもなく眼下には、遠くの山並み や近くの町並みが整然と展開している。
インドが悠久の大地という実感をする風景である。
夕暮れどきでもあり、静かに大地がたたずむ姿に表す言葉を失う。

インドへの荷物の持ち込み 記事 OPEN/CLOSE

朝ご飯は、ご飯でスタートした。
なんだか、トンチ問答のようだが、今朝は正真正銘の日本のお米で炊いたご飯である。
インドにもいろいろなご飯があるが、パラパラで日本米のようにねばりっけがない。
おにぎりなどは、一生かかっても握れない代物である。
やはり、日本米はおいしい。
食べなれているせいだけでもないようである。
インド人にも、美味しいものは美味しいようである。
この日本米は大家であるインド人の友人からの差し入れである。
日本人がインド人から日本米の差し入れを受けるのは、多少の違和感を覚えるが、いつも有り難く好意に甘え ている。
友人は、良く海外に出かけている。
今も、2 週間ほどシンガポール経由で日本に出かけている。
どうも、彼の最終帰国地が日本の場合にお米を運んでいるようだ。
友人の家族も日本に住んでいたせいか日本米の大ファンである。
家族の期待に応えない訳にはいかないのだろう。
彼はせっせせっせとお米を運んでいる。
厳密には、個人が海外にお米を持ち出すときは農林水産省の許可を必要とする。
確か、インターネットにそう書いてあったような記憶がある。
まあ、たかだか家庭で食べる量でインド人なので神様も多めに見てくれるだろう。
ここで、インドへの荷物の持ち込みについてちょっと触れてみたい。
海外に荷物を持ち込む手段としては、自分で持ち込む方法と別送する方法の2 つがある。
別送は、いろいろな会社が対応しているが、私たちは国際小包を利用した。
有名な輸送会社、2 社にも見積もりを依頼したが、個人で送る場合には、JP の国際小包が文句なく安い。
民間の(JP も民間であるが)輸送会社は、会社関係の荷物が主で個人では海外赴任時の引越便くらいで、小 口の荷物はどうしても割高になってしまう。

国際小包には、EMS,SAL,船便がある。
EMS はいわゆる航空便である。
船便は説明するまでもない。
馴染みのないのがSAL 便である。
私たちもSAL 便は知らなかった。
JP のWEB ページではじめて知った。

航空便と船便を合わせて2 で割ったようなものと考えると分かり易い。
SAL 便は日本とインドの間は航空機を使う。
但し、貨物に余裕がある場合にのみ搭載される。
ここがEMS と異なる。
したがって、期間と費用は航空便と船便の中間となる。
私たちの経験では、期間は1 ヶ月で費用はざっと1Kg/千円である。
航空便は、1 週間で費用はざっと1Kg/1.5 千円である。
船便は、当初から考えてはいなかった。
SAL 便で5 個のダンボール荷物を送ったが1 つは出発間際であり、まだ届いていない。

いろいろと心配はあったが、残りの4 つは無事に届いた。
無事という意味は、ダンボールは全体が真ん丸くなった状態で、中の本などは水に浸したような形跡が見られ た。
多分、どこかの空港(私はインドと確信しているが)で雨さらしになっていたに違いない。
インドでは日本からの荷物は、ムンバイに集められてから各地に送られているようである。
荷物に訳のわからない文字がたくさん書かれていたからまんざらウソではないだろう。
ダンボールはできるだけ2 重の物にして、中の荷物は濡れることを前提に対策をしておくというのが私たちの教 訓である。

次に、関税についてである。
荷物を送る際、運賃については知ることができるが関税についてはこれがなかなか難しい。
日本の役所や税関に問い合わせたが、当然、日本の税関では埒があかない。
インドの税関のweb ページでも皆目検討がつかない。
しょうがないので、エイヤで4 つ送って見た。
うち、2 つにそれぞれ250INR の関税がかかった。
何故、2 つなのか250INR という額なのかは今もって分からない。
友人に聞いたら、税関の係管のそのときの気分でしょうと言っていた。
日本では、全く通用しない論理だが、インドではなかなか都合の良い論理である。
妙に納得できた。
荷物を持参する時には、預け入れ荷物の重量制限がある。
大抵の航空会社は、エコノミーが20Kg/人でファーストが40Kg/人である。
私たちはもっぱらマレーシア航空を利用するのでここからはマレーシア航空のことである。
一つの問題は、20Kg に機内持込み分は含まれるか否かである。
Web ページでは明確に含まれると書いてある。
しかし、マレーシア航空の東京支店は含まれないと言う。
今回の機内持ち込みに持つには、パソコンが2 台とプロジェクター1 台があり合計すると20Kg 近い重量になる。
Web ページでは、オーバした分はエコノミー正規料金の0.5%/1Kg とある。
エコノミー正規料金の1 割は大きい。
幸いに、オーバ分は必要としなかった。

理由は単純である。
機内預け入れ荷物は量るが機内持込荷物は量られなかったからである。
しかし、運悪く機内持ち込み荷物を聞かれ量られたらしょうがない。
結局、マレーシアもインドと同じく、係官の気分次第と言うことなのか。

インド人気質 記事 OPEN/CLOSE

今日は観葉植物を買いに行った。
お店に行くのにオートリクシャで1 時間もかかってしまった。
お店と言うよりも小さな植物園のようだ。
膨大な数の観葉植物だ。
当然のように管理などは何もされていない。
林のようなところに雑然とある。
葉も枯れたものが多い。
鉢も壊れたものが多い。
まったく売る気があるかと疑いたくなる。
他のお店を探す自信がないのでブラブラと歩いてみる。
よく見ると種類も数も結構多い。
値札などなくお店の人に値段を聞くと聞くたびに値段が微妙に変化する。
どうも、その都度で適当に値段をつけているようだ。
結局、大きな鉢植え2 つと中ぐらいの鉢植え4 つを購入した。
日本でもよく園芸センターに行っており、観葉植物の値段はよく知っている。
日本では全部で2 万円は超えると思うが、ここでは1,000INR(2,500 円)で購入できた。
管理はダメだが感心したことがあった。
それは、お店で牛を3 頭、飼育しており牛の糞を肥料にしていることと、鉢がセメントで出来ていることである。
植物にとってどちらも優れた方法だと思う。

さて、ここで問題が起きた。
私たちは3 人で買い物にいき6 つの鉢植えを購入した。
オートリクシャの運転手と合わせて、大人4 人と6 つの観葉殖物をどうやって家まで運ぶかである。
オートリクシャはトラックなどではなく、50CC バイクの後ろに人が乗れるようにした代物である。
タイのツクツク、マレーシアのトライショウと同じ構造である。
来るときに大人3 人でギリギリなのに6 つの観葉植物が増えているのである。
2 人のインド人は問題ないという。
何が問題ないのだ。
一体、どうやって乗せるのだ。
しばらくすると、おもむろにインド人達は観葉植物を乗せ始めた。
私と妻はあきれ返って黙って見ている。
しばらくして、観葉植物は運転席に2 つ、後ろの席に4 つ収まった。
確かに、観葉植物は問題なく収まった。
そして、オートリクシャは2 人のインド人と6 つの観葉植物を乗せて帰っていった。
日本人2 人は、それを唖然と見送った。
問題はなかった? 確かに、2 人のインド人達には問題はなかった。

爆弾テロで明け暮れた一日 記事 OPEN/CLOSE

我が家に初めてお客様が来た。
名前はジーニャさん。
若いフィリピン女性である。
もう一人はインド人のメイドである。
彼女らは、友人が所有するサービスアパートメントで働いている。
名前はアパートだがなかなかの建物である。
以前は友人の家族が住んでいたが広すぎて管理が出来なくなり、今は長期滞在者用のホテルになっている。
主に、トヨタ系の海外出張者が宿泊している。
意外に思うかもしれないが、インドの都市のホテルは日本より格段に高い。
ちょっとしたホテルで1 泊2-3 万である。
オベロイなど超一流になればこの比ではない。
出張者なら会社持ちなので良いが私たちにはとても泊まれない。
バックパーカ向けの安宿もあることにはあるが、違う理由でこれまた私たちには泊まれない。
インドにいわゆるロングスティヤーがほとんどいないのは、このあたりに最大の原因があるのかも知れない。
私たちは案外ラキィーなのかも知れない。
ラキィーと言えば、友人が飼っている犬の名前がラキィー。
いつも退屈そうに1 階で番をしている。
ちょっと待った。
今、オフィスから電話があり、バンガロール市内で爆弾テロがあったようだ。
急いでテレビをつける。
Breaking news をやっている。
7 ケ所で同時爆弾テロがあり、1 人の女性が死亡し15-20 人が負傷しているようだ。
1 ケ所は私たちの住むHSR layout からは僅か2km の所である。
私たちが良く買い物に行くTotal mall の近くである。
今日もTotal mall に行く予定でいたが、たまたま友人が家に来る予定になり外出を控えていたところである。
もう、1 ケ所も時々いくForum mall の近くだ。
北インドでは、パキスタンとの関係で爆弾テロはよく耳にするが、南インドのしかもIT 都市で起きるとは。

テレビではアナンサーが盛んに声を発している。
野次馬が大勢集まっている。
テレビアナンサーが、政府は爆弾テロ説を否定していると伝えている。
オフィスのインド人の友人に電話したが、心配ない大丈夫と言われる。
大丈夫というならぜひ根拠を示してほしい。
インド人が信用できないのは、断定はするがその根拠を示さないからだ。
もっとも、絶対に安全なところなどは世界中にない。
日本の荒川沖や秋葉原だって安全ではなかった。
差別の暴挙やテロを防ぐことは難しい。
それに会わないことも不可能である。
明日と明後日は休日であるが買い物は控えることに決めた。
こういうときにインターネットがあると便利である。
今日の爆弾テロを日本のマスコミが取り上げているかがわかる。
マスコミが取り上げていれば心配しないように連絡する必要があるが、取り上げていない場合は連絡するとかえ って心配をかけることになる。
インターネットの工事は、明日する予定である。
ラキィーの話は後日。

インドで手に入れた物 記事 OPEN/CLOSE

Times of Indian によると、昨日の爆弾テロは30 分の間に7 ケ所で発生したようだ。
うち、2 ケ所は近くである。
ムスリムの仕業であることは間違いない。
昼過ぎに待望のインターネットを手に入れた。
2MB とインドでは高速である。
4GB の制限で777INR/month である。
さすが、バンガロール。
いろいろなプロバイダーがいろいろなパターンを提供している。
高速で使い放題がいいに決まっているが、財布と相談して決めた。
予断として、777 という数字も気に入っている。
これで、予定していた次のものは手に入れた。
 ・パスポート  ・就労ビザ  ・滞在許可書  ・家具一式  ・家電一式  ・観葉植物  ・ガス
 ・携帯電話  ・オフィスまでの交通手段  ・インターネット
予期しないで偶然に手にいれたもの
 ・使用人  ・お餅、マーボ丼の素
テレビは今日もアーメダバードで爆弾テロがあったとBreaking News を報じている。
7 ケ所で6 人が死亡、25 人が負傷。


公園の小さな友達 記事 OPEN/CLOSE

昨日の爆弾テロでは合計41 人もの犠牲者が出たとTimes of India が報じている。
今日はムンバイで起こすと言う予告のe-mail があったらしい。
ムンバイでは、日曜日にもかかわらず映画館とmall は閉鎖されるようだ。
テレビで見る限りでは、バンガロールより格段にすさまじい光景が展開されている。
風の具合で時々、イスラムの大音響のおきょうがスピーカから聞こえてくる。
なにか、釈然としないがこれも多国籍国家かの宿命か。
近くの公園(BDA park)に散歩に出かけた。
周りを柵で囲まれたきれいな公園である。
前にも書いたが、バンガロールは庭園都市と呼ばれ至る所にきれいな公園がある。
公園の入り口が閉まっていたので仕方なく帰ろうとすると、小学生くらいの少年が声をかけてきた。
公園に散歩しに来たというと、少年は手に持った鍵でおもむろに門を開けた。
しばらく、公園を散歩していると先ほどの少年と少女に出会った(写真)。
彼らの話では、今日は彼らが公園を管理しているらしい。
年は13 歳で5 歳の弟がいて、家族全員でムンバイから来たらしい。
学校で英語を習っており、きれいな英語をしゃべる。
妻は久しぶりにきれいな英語に出会って感動していたので確かである。
普段は両親がこの公園を管理しているが、休日には両親の代わりに兄弟が管理しているらしい。
インドでは働く子供をしばしば見かけるが、両親を休ませるために働く子供など現在の日本では見かけない。
また、子供に公園を管理させると言う懐の深さにも感心する。
私たちは来週、また公園で会う約束をして別れた。

水と安全はタダではない 記事 OPEN/CLOSE

もう、テレビからは爆弾テロのBreaking News は余り流れていない。
平穏な状態にもどりつつある証拠か。
しかし、ムンバイとチェンナイは爆破予告のe-mail で今も厳戒態勢である。
北インドでは、パキスタンとの紛争で昨日も6 名の死者が出ている。

ここでは、水と安全はタダではない。
私たちは、ここ2-3 日はmall 周辺に近づいていない。
海外では、自分の身の安全は自分で守るのが鉄則である。
しかしながら、どうやって守ればよいのか、まったく検討すらつかない。
生まれてこのかた、親に教えてもらったことがないし学校でも教わったことはない。

疑えば、誰でも爆弾を持っているように見える。
爆弾犯はムスリムだと現地の人はみな言うが、ムスリムという証拠はない。
とりあえず、人ごみが高危険度と言う浅い知識にしたがって行動するしかないのだ。

無防備なことは百も承知である。
最近は、日本も危険である。
テロリストを庇うつもりはないが、テロリストは何らかの思想がある。
それに比べて、日本では何の思想もなくムシャクシャしたとか社会や家庭に不満があるとかのまったく自分本位 の理由から行動にでる。
ある意味では、こちらの方が怖い。

テロを容認するわけにはいかないが、行動に背景があるのとないのではその意味合いが異なるのは自然な人 間の思考であろう。
ムスリムの両親や親族は、国家的な理由から何らかの仕打ちを受けている。
日本の若者の両親や親族はそんなことはないハズだ。
被害者の関係者はマスコミに顔を出すが加害者の関係者はマスコミに顔を出さない。
人権とか何とか言って加害者の両親はめったにマスコミにでない。
では、被害者の人権はいったいどうやって保障するのか。
罪を犯した人間には、人権などはないことを再確認すべきである。
国際テロを身近にして、つくづく日本は異端であることを感じた一日であった。

第二巻 バンガロールは素敵な街だった 目次 OPEN/CLOSE
お気に入りのお店
昨日、日本からの最後の荷物が無事に届いたとオフィスから連絡があった。
オフィスの担当者には迷惑かもしれないが、インドの郵送の仕組みに慣れるまでは、日本からの援助物資は、これからもオフィス宛に届けることにしたい。
オフィスには、毎日、午後3時頃に郵便局の人がやってくるらしい。
到着した荷物がある場合には、自分で郵便局まで取りに行くのか、配達してほしいのかを確認し、配達を希望すれは翌日に配達してくれる。
自分で取りに行くと交通費が往復で100ルピーかかるが、配達してもらえれば50ルピーの手数料だけで済む。
やはり、オフィスを使わない手はない。

オフィスに荷物を取りに行くまでに少し時間があったので、インドで計画している日本語教室のレイアウトを検討した。
私は、インド人IT技術者に「ビジネス日本語」を教え、相方は「パン教室」を自宅で開く計画である。
生徒の人数は、どちらも6名の少数精鋭で行う予定である。
というより、教室が狭いので6名以上は収容できない。
試行錯誤の末、どうにか教室のイメージが出来上がった。
20畳ほどのリビングを分割して、一方を教室に使用する妙案である。
とりあえずは生徒の机と椅子は応接セットで代用する事にした。
プロジェクターは日本からわざわざ持参した。
リビングの壁は薄肌色だが、プロジェクターで教材を試写したところ問題はなさそうである。
後はホワイトボードを購入すれば、想像以上の教室が出来上がるハズである。

さて、問題は生徒の確保である。
相方の「パン教室」は、既に第一号の生徒が決まっている。
フィリピン人のジーニアさんだ。
ジーニアさんは、友人が経営するホテルで働いており、仕事柄からインドの友人が多い。
「パン教室」の方はジーニアさんの口コミで生徒は集まりそうである。
肝心の「ビジネス日本語」教室の方はまったく生徒の目途が立っていない。
私が気が短いのか友人がおおらか過ぎるのか、友人に相談しても「どうにかなるさ」と言うばかりである。
ここはインド、きっと、どうにかなるのだろう。

夕方、日本からの最後の荷物を取りにオフィスに行った。
あいにく、総務の担当者は休みである。
荷物は総務の部屋にあるらしい。
鍵は担当者しか所持していないので、明日、出直してほしいとの事である。
総務の担当者がいないだけで荷物を受け取ることが出来ない。
他の人なり予備の鍵なり、なんとかならないのだろうか。
急用の場合にはどうするのだ。
しかし、こんなことは毎度のことらしい。
結局、確認しないで出かけて行った私たちが悪いという事で諦める。
お腹も空いてきたのでオフィスの近くのレストランに食事に行った。
このレストランには、以前、ランチに1回だけ行ったことがある。
その時は「Fried rice」と「Noodle」と「Pine juice」を注文した。
ビックリするほどおいしくもなく、まずくもなかった。
今日も「Fried rice」と「Noodle」を注文するが、注文したすべてのメニュが拒否される。
どうも、まだ時間帯が早いので軽食と飲み物しか用意できないらしい。
それならそうと早く言ってくれれば良いものだが、ウェイターは私たちが注文する度に律儀に「イレ(NO)」と答える。
確かにウェイターの応対には問題はないだろう。
私たちにはその都度、丁寧な応対をしているのだから。

インドではこのような事が良くある。
まず、人にものを聞かれた事には必ず答える。
知らない道を聞かれたとしても「真っ直ぐ、右に曲がれ、左に曲がれ」などと必ず答える。
人に聞かれて答えない事は一番、失礼な事と考えている。
たとえ、間違っていても知らなくても、とにかく答えるのである。
また、自分の知らない日本の話題であってもとにかく話を合わせてくる。
一度、「美川憲一」を知っているか聞いたら「知っている」と言うので話を進めていたら、全く知らない事が分かった。
なんで嘘をつくのかと聞くと「話が盛り上がるから」と平然と言う。
良く考えればインド人が「美川憲一」など知る由はない。
彼らは「とにかく場を盛り上げる」。
キチントした食事は無理なので、今日のランチは軽食で我慢することにした。
地元で良く食べられている「DOSA」である。
「DOSA」は、クレープのような料理である。
米とウラッドダール(皮を取って2つに割ったケツルアズキ)を吸水させてからペースト状にすりつぶし、泡が立つまで発酵させた生地を熱した鉄板の上でクレープのように薄く伸ばして焼き、具を包んで食べる。
ジャガイモなどを香辛料で炒めたものを包んだ「マサラドーサ」。
焼く過程で伸ばした生地の焼けていない部分を削り取って薄く焼いた「ペーパードーサ」。
生地に小麦粉の全粒粉を加えた「ゴドゥマイドーサ」。
生地にジャガリー(黒砂糖)を加えた甘い「ヴェッラドーサ」。
など様々なバリエーションがある。

インドというと「NANN」を思い浮かべる人が多いが、「NANN」は北インドの主食である。
南インドの主食は「DOSA」である。
この店のメニュには実にいろいろな名前の「DOSA」が書いてあるが、私にはさっぱりわからない。
唯一、読めたのが「PAPER」「TOMATO」の文字である。
そこで、分かる文字の食べ物を「エイヤ!」で注文した。
これが大正解。
「PAPER DOSA」「TOMATO DOSA」ともにおいしいのである。
インドでは、この「エイヤ!方式」が意外と好結果をもたらす。

「PAPER DOSA」は長さが50センチはあろうかと思うほど巨大である。
「TOMATO DOSA」は、ピザに似た珍しく香辛料の効いていない食べ物である。
どちらも完食した。
全部で110ルピー。
町の普通のレストランで、大人2人がおなか一杯食べて、食後に100%のバナナジュースを飲んで僅か225円。

この店の名前「UDUPI GARDEN RESTAURANT」は、私たちのお気に入りリストに加えられた。

お気に入りの衣装 記事 OPEN/CLOSE

今日からは、お決まりの「衣食住」シリーズでいこう。
衣食住シリーズの初回は「衣」である。
インドは広い。
「衣食住」と言っても州によってぜんぜん違う。
何しろ日本の9倍の国土を有する国なのだ。
そして、北インドと南インドではまったく異なる。
南インドでもチェンナイとバンガロールではまったく異なる。

昨年の下見の際に、バンガロールのおよその気候や気温は知っていた。
大雑把に言って、暑気、雨季、乾期の3つがある。
今は雨期で、前回の下見の時は乾期であった。
暑気は4月から6月である。
現在はインターネットのお蔭で世界中の気温を知ることができる。
しかし、数字だけで衣生活を捉えるのは、なかなか難しい。
やはり、湿度や風雨などを実感しないと対応は難しい。
バンガロールの気温は15度から高くても30度である。
今は雨季で気温は15度から20度である。
これから乾期に向かって気温は20度から25度に上がっていく。
バンガロールの暑気は未だ体験したことはないが、それでも25度から30度である。
私の住む多治見では40.9度を記録したことがある。
現在でも既に40度近くあるらしい。
日本が40度でインドが25度。
よくインドに行きたいが、インドは暑いからと敬遠する御仁がいるが如何なものか。

これに加えて、ここは高原都市であるため吹く風が極めて心地よい。
周りの景色や環境は軽井沢ほどは良くないが、目をつぶっている限りでは余り軽井沢と遜色はない。
朝晩は風が冷たいので長袖がちょうど良い。
昼は日差しも強いので半袖で十分である。
雨季といっても、どこかの国のようにダラダラ・ムシムシとしつこくはない。
夕方か夜間、まれに昼間にザァーと降って20分くらいであがる。
日本の梅雨とはぜんぜん違うものである。
したがって、洗濯ものは良く乾く。
朝、干したものが昼には乾く。
極端に言えば上着は2枚あれば、いつも洗濯したての物を着ていられる計算だ。

意外かもしれないが、インドの人は短パンや半袖シャツはあまり着ていない。
長袖シャツに長ズボンである。
日差しのせいもあるが、汚れを避ける意味もあるかも知れない。
インドは赤土で風が吹くと風に砂埃が混じる。
ちょうど、黄砂のようである。
女性は北ではサリーを着るが、南ではサリーよりもパンジャビドレスが多い。
但し、政府関係や学校の先生は政府の方針でサリーを着ている。

モールでは外国のブランド品も売っており、ほとんどの種類のものが手に入る。
しかし、外国製の中に何故か日本製は含まれていない。
下着も手に入るが、やはり日本製の決め細やかさには敵わない。
下着は日本から持参したほうが良い。

セータなどの防寒具はバンガロールでは必要ない。
しかし、北インドのヒマラヤ周辺の州に旅行に行くには必要とする。
例えば、「シムラ」「マナリ」「レー」などである。
北ばかりではない。
バンガロールから南にバスで8時間の所にある「WOODTY」も山裾に位置するため、乾期には零度近くまで気温が下がる。
「WOODTY」は、イギリスが統治していた時代に避暑地として開発された。
軽井沢のような所と聞いており今回の滞在で訪れたい場所のベスト3に入っている所である。

日本ではインドの衣服に関する情報が乏しく、私たちは下着から着物までダンボールで3箱を持ってきたが、現地で必要に応じて購入するのも一案である。
但し、帰りの荷物が増えるのが悩みである。
「衣」に関しては、ほとんどのものが現地で手に入るが、当然、インド品質である。
半ば使い捨てと心得ていたほうが、変なストレスを受けないで済む。
婦人ものは現地で購入したものの方が着やすく涼しいようである。
どこの国でもそうであるが子供はいつも綺麗な服を着ている。

しつこいようだが下着だけは日本から持参したほうが賢明である
お気に入りの食事 記事 OPEN/CLOSE
衣食住シリーズの2回目は「食」である。
「インドの食は奥が深い。
カレーだけではない」と反論したいところであるが、残念ながらインドの食は全てがカレーである。
カレー(礼)に始まりカレー(礼)に終わる?

今、バンガロールでは外食産業が花盛りである。
日本料理店は一部の高級ホテルに入っているのみであるが、中国料理店、韓国料理店、イタリアレストランは、大きな通りに面した場所で良く見かける。
さすがに、これらの店ではカレー料理だけではないが、地元のレストランは当然として、あのケンタッキーやマックもカレーのオンパレードである。
実は私はインドに来てケンタッキーフライドチキンにはまっている。
何しろ日本の物とはスパイスが違う。
スパイスの種類が多いだけではなく、それらが絶妙のバランスを醸し出している。

インドでもベジタリアン以外はチキンを良く食べる。
参考までにマックもインドでは良く見かける。
インドに来て今日で21日。
食事の回数は60回近くになるがカレーを食べたのは、僅かに4回だけである。
どうにかこうにか、カレー漬けを避けることには成功している。
実は、今回の滞在中に日本流カレーパーティを計画しており、そのために日本からカレーのルーを50人分を持参してきている。
今まで食べた4回のうち2回は試食のために、この日本のルーを使ったものなので、正確に言うとインドカレーを食したのは僅かに2回である。
観光客よりも断然少ない。

正直、年とともに香辛料は苦手になっていく。
本場インドのカレーの辛さは、日本のインド料理店の比ではない。
日本のインド料理店の「激辛」カレーなどは「SWEET」カレーではないかと思えるくらい激、激、激、辛い。
料理店に輪をかけてインドの各家庭で作るカレーは遠慮なしに辛い。
もし、インドの家庭に招待されてカレーを御馳走になっても、おせいじにも「おいしい」などとは口が裂けても言わないほうが良い。
毎晩、夢にうなされることは間違いない。
余談であるが、私は「CoCo一番」のカレーが世界で一番おいしいと思っている。

本題に戻る。
カレーが2回で後の58回の食事はどうしているのか。
カレー以外に何を食べて生き延びているのか、ちょっと説明する。
当然、インドでは肉類はほとんど売っていない。
「Total mall」の3階に「魚」「鶏肉」「マトン」売り場があり、辛うじて魚や肉が手に入る。
魚は地元の市場で売っているが、その売り方が凄まじい。
インドの魚は何故かすべて真っ黒な色をしている。
そして、近くに寄って見ると魚が動いている。
最初は、インドは南方の国なので日焼けして黒い魚が多いのかと思った。
動いているのは新鮮で活きがいいのかと思った。

しかし、近くでよーく見て唖然とした。
動いているのは魚ではなく、大量の「ハエ」である。
良く考えればおかしな話で、南方とはいえ海中に居る魚が真っ黒に日焼けするハズはない。
南方の魚は熱帯魚のようにカラフルなハズである。
また、バンガロールは海から遠く離れており、動くほど新鮮な魚などを売っているハズはないのだ。
目の前の情景を理解するのに少し戸惑った。
頼みもしないのに魚と一緒に大量の「ハエ」も売っているのである。
インドでは刺身などと言う風流な食習慣はない。
火を通して食べるので「ハエ」など問題ではないのかも知れない。
しかし、魚の料金はグラム単位なのでこのまま買ってしまうと「ハエ」の体重も料金に加算されてしまう。
地元の市場では、魚と一緒に「ハエ」を買わされるので気を付けないと損する。

次に、生野菜は「農薬」と「水」と「虫」の三重苦でまず食べられない。
インドで生野菜を食すと言う贅沢な食事をしているのは野良牛と野犬だけである。
人間様は、一度、ボイルしてから冷蔵庫で冷やして食べるしか方法がない。
見た目も栄養面からも好ましいやりかたではないが仕方がない。
ちなみに、インドに行ってお腹を壊す人の大部分は、高級ホテルで出される「野菜サラダ」を食べるからである。
原因は野菜自身の問題なのではなく、野菜を洗う際の水に問題がある。
ミネラルウォータで野菜を洗っているホテルはまずない。
その他、歯磨きの際の水にも注意が必要である。
インドでの歯磨きでは、最後にミネラルウォータで何回も口を濯ぐくらいの注意が必要である。

インドでの食生活で一番、難儀なのは調味料である。
私たちも、ソース、味噌、出汁類は未だ手に入れることが出来ていない。
確かに、醤油、マヨネーズ、トマトケッチャップと言う名前のものはお店で手に入る。
しかし、これらは日本からの輸入品ではない。
原産地が何処かは良く知らないが、味は日本のものとは明らかに違う。
多分、タイやベトナムなどの東南アジア産だろう。
少し、かさばるが調味料は日本から持参したほうが良い。

朝食は相方が作るパンを食べていた。
そして、傍らにはいつも新鮮で自然満喫のインドの果物があった。
これらの果物のお蔭で朝食は日本よりも充実している。
野菜や果物の味と値段は、間違いなくインドに軍配が上がる
中ぐらいのスーパーの袋にいっぱいの野菜が僅か30から40ルピーである。
100円もしない。
感激を通り越して、感動的な値段である。
私たちの調査では、同じものでも売る場所と売り方により値段が異なる。
値段の安い順に雑把なランク付けをしてみる。
  1. 地元市場
  2. 移動の野菜売り
  3. 路上の野菜売り
  4. Super Market
  5. mallの順である。
私たちは、もっぱら「移動の野菜売り」を利用しており、家の前に来る野菜売り(いわゆる行商)のおじさんとは、とうに顔馴染みである。
彼は現地語しか話せないが、言葉を使わなくても野菜は買えるので大丈夫。
彼は果物は持って来ないので、果物は「路上の野菜売り」か「スーパー」で手に入れる。
最初は、「路上の野菜売り」を利用したが、品数の面で「スーパー」の方が便利なので、最近では「スーパー」を利用する事が多い。
とにかく、インドは食が安い。
どのように表現したら、食の安さをうまく伝える事が出来るのか。
マンゴやパパイヤは感動的な値段であるが、林檎や葡萄は日本と遜色ない値段である。

参考までに本日の我が家の食事は次のようなものである。
朝:焼きたてパン、目玉焼き、ポテトサラダ、ヨーグルト、チャイ、マンゴ。
昼:ヌードル、フレッシュジュース
夜:パイナップルチャーハン、スープ、ヨーグルト、チャイ、パパイヤ とにかく相方の作る「焼きたてパン」が異彩を放っている。
深謝。
深謝。
「借家の長い階段」「街歩き」「菜食生活」「香辛料」でベルトの穴が早くも2つ締まった。

お気に入りの住居 記事 OPEN/CLOSE

衣食住シリーズの最終回は「住」である。
インドは混沌で雑多で多様な国であることを一番、身近に感じるのは住生活である。
日本なら一つの地域(例えば分譲地)内では、大凡、似通った家々が立ち並ぶであろう。
インドは全く様子が違う。
豪華な邸宅のすぐそばにスラムがあったり、立派な庭園の隣が悪臭を放つドブ川だったりする。
とにかくバラバラで、どのように説明したらよいか。
身近な例として、インドでの私たちの住環境から話を始めることにする。
私たちの住む地域は、インド政府が計画分譲した場所と聞いている。
何でも、ここを見に来たある日本人がバンガロールの土地価格は東京並みと言ったそうだ。
お世辞半分としても相当な価格なハズである。
そして、一区画が300坪から400坪近くある。
そこに総4階建ての建物である。
半端な大きさの家ではない。
私たちの借りている部屋は4LDKHであり、申し分ない広さである。
4LDKは日本でも良くあるが、Hは日本では馴染みがないが「Hall」のことである。
通常は玄関を入った直ぐの所にある。
何に使うかは良くわからないが、とにかくこれが馬鹿デカい。
「Livingng」だけでも30畳はあろうかという広さなのに「Hall」はこれに輪をかけて広い。
正確に測った訳ではないが優に50畳はあろうかと言う広さである。
貧乏性の私には直ぐに冷暖房費が頭に浮かぶが、ここバンガロールは冬でも15度を下回る事がないので冷暖房はそれほど必要としない。
これらに加えて下の階の屋根を利用したテラスがある。
テラスと言っても、日本のマンションなどとは比べ物にならない。
ちょっとしたビルの屋上のテラスを思い浮かべてほしい。
「Hall」「Living」「Terrace」と生活の場以外にこれだけのスペースがある。

肝心の生活の場は4部屋であるが、一部屋が15畳から20畳で、各部屋にトイレと風呂場が付いている。
お風呂にはシャワはあるが、いわゆるバスタブなるものはない。
エアコンは主寝室のみで、あとの部屋はファンのみである。
ファンは一部屋に2つずつあり全部で6つある。
何しろ一年を通じて気温が15度から30度である。
今の季節はファンで十分である。
また、各部屋には天井までの作り付けの大きな収納家具が付いている。
私たちの生活に必要な荷物は主寝室で収納できてしまい、残念なことに残りの3部屋は娘が来た時に使用しただけで、ほとんど使用していない。
さて、これだけの物件を日本で借りたら一体いくらになるだろうか。
多分、見当もつかない金額を請求されるだろう。
友人宅と言うこともあるが、驚くなかれ家賃は横浜に住む娘の1Kのアパートと僅か1万円くらいしか違わない。
日本の物価高を思い知らされる。
インドにも日本で言う敷金(Deposit)がある。
通常は、10ケ月であるが交渉で4ケ月になった。
友人の間でも敷金をキチンと取るのはさすがインド流である。
光熱費は、未だ請求書がないので分からないが、少なくともバスタブがないためガスと水道は間違いなく日本より安いハズである。

光熱費の請求書が来るのが楽しみになることなど日本では味わったことがない。

お気に入りの場所 記事 OPEN/CLOSE

バンガロールで一番の繁華街はM.Gロードである。
旅の本などに「M.Gロードにいるとここがインドであることをしばし忘れてしまう」とある。
どれほど、近代的でブランドショップに溢れている所かと密かに期待していた。
M.Gロードは、オートリクシャで40分、「メータ+10」方式で70ルピー。
「メータ+10」方式は、メータ料金にチップの10ルピーをプラスするものである。
この「メータ+10」がオートリクシャに乗る時の私たちの近頃の定番のやり方である。
インドに来た当初に支払った外国人価格からすると、その学習能力には格段の進歩がみられる。
「メータ+10」方式のお陰でドライバーとの交渉は驚くほど上手くいく。
今では、オートリクシャのドライバとの交渉も楽しみの一つになっっている。

オートリクシャに乗って見慣れた雑踏を行くと、突然、地下鉄工事中の道路の左端にオートリクシャが止まった。
故障か、事故か。
反対側は高い塀のある公園らしき場所である。
実はここがM.Gロード。
長さ1キロメートルにも満たない道である。
片側に申し訳なさそうにいくつかのお店が並んでいるだけである。
さすがに原宿の表参道ほどは期待していなかったが、事前に読んだ書物で、それなりの期待はしていた。
いきなり出鼻を挫かれた。

オートリクシャを降りてぶらりと一件のお店に入った。
サリーやパンジャビドレスの注文服のお店である。
値段は千ルピーから上限に際限はない。
少しも興味がわかない。
すぐにこの店を出る。
交差点を急いで渡ると角におみやげ物屋が目に入る。
時間つぶしを兼ねてなんとなく中に入る。
するとどうだろうか。
中は立派な金細工や大きな木彫のオンパレードである。
これまでに、いろいろな国の木彫店を見たが、スケールと言い品数と言い圧倒される。
何とあの超高級品の白檀の良い香りがしてくる。
白檀の木彫りは私の憧れである。
一生懸命にお気に入りの物を探した。
通常はお気に入りがなかなか見つからないので時間が掛かるが、この店ではお気に入りが沢山あって、選ぶのに時間がかかっている。
本物だけあってお値段もなかなかである。
私が一番気に入ったものは10万5千ルピーもする。
これは、インド人の年収に当たり日本語講師の月収の5倍である。
もし、ここがインドでなければ即断である。
航空便で送るとなると運賃はびっくりするぐらいの金額になるだろう。
何しろ、高さが1メートル近くもある。
しかたなく後ろ髪をひかれる思いでお店を後にした。
お店の前では、10ルピーからの安っぽいお土産を売っていた。
中に入ると、何万、何十万、何百万もする芸術的な彫り物が泰然と置いてある。
本当にインドには驚かされる。

夕方、と言ってもJST(日本時間)夜の7時からSKYPE(インターネット会話)をした。
娘が長男の所の花火大会を見に行ったついでに、4人で試しにSKYPEをしてみた。
長男の所のネット環境は10Mで、こちらは2Mであるがまったく違和感がない。
むしろ、国内の電話よりも聞きやすい。
古臭い言葉であるが「まったく便利な世の中になったものだ」。
相方と娘が30分近くインドに送ってもらう援助物資について話しこんでいた。
娘からの援助物資は、ほとんど相方の私的なもので占領されそうである。
私からのリクエストの受け入れは虫刺され対策の「ムヒ」のみになりそうだ。

SKYPEを終えてから例の公園に行った。
BDAパークである。
女の子が一人で外にいた。
男の子の方は両親と家にいるらしい。
女の子と話すのは2回目だが、なんと聡明な話し方をする子なのだろう。
私から見て45歳も年下なのに、変に風格を感じてしまう。
両親の育て方や教育ではなく、これは天性と言うのかもしれない。
また、来週、公園で会う約束をして分かれた。

インドでの楽しみがまた一つ増えた。

インドの交通事情 記事 OPEN/CLOSE

インドで生活するには、このテーマには触れざるを得ないであろう。
まず、信号機はバンガロール全体で10ケ所にも満たない。
交差点には信号だけではなく、安心感も信頼感もない。
車は狂ったように先を急ぐ。
我先に、押しのけて、割り込んで、クラクションを響かせ、ただひたすら先を急ぐ。
交差点では、好き勝手に様々な方向に走っていく。
すべてのインド人がこんなに急用があるはずはない。
どこで、どう折り合いをつけているのかは分からないが不思議と事故はない。
きっと、少しの追突などは事故のうちに入らずに、お互いに知らん振りしているのだろう。
確かこれとよく似た光景をイタリアのミラノで見た。
ミラノでは自動車と言う自動車のバンバーが、メチャクチャになっている。
高級自動車も例外ではない。
なんでも、駐車するときにバンバーを使って強引に止めるらしい。
スペースがないときには、バンバーを使ってこじ開けるそうだ。
当時は、半信半疑だったがまんざらウソでもないようだ。
同じようなことをしている人種がここインドにもいる。

時々、交差点に警察官が立って交通整理をしている。
いや、交通整理ではなく混雑に拍車をかけている。
その証拠に、警察官がいない交差点では車の流れはそれほど悪くないが、車の流れが悪くなった先の交差点には必ずと言ってよいほど警察官がいるのである。
どういう根拠で、どういう判断で交通整理をしているのかは皆目、検討がつかない。
その日の気分で好きにやっているとしか思えない。
もし、交通整理が趣味だとしたら悪趣味である。
しかし、警察官の権限は絶対的である。
あの悪名高いオートリクシャのドライバも警察官には文句一つ言わない。
ひたすら、警察官の指示に従っている。

交差点で車が動き出す時には、すさまじい光景が展開される。
我先に押しのけて割り込んで、クラクションを響かせ、ただひたすら先を急ぐ。
すべてのドライバの習性がいっせいに目を覚ます。
F1のスタートダッシュか、はたまたチキンレースのように。
一番になっても何ももらえないのに、必死な形相で前に前に飛び出していく。
きっと、インド人はこんなことぐらいしか楽しみはないのだろう
道路もこれまたひどい。
一部の主要道路を除いては舗装はされていない。
大きな穴が至る所にあり、そこに雨水が溜まっている。
雨水なので深さは良く分からない。
オートリクシャに乗るときは大変危険である。
避けて通ればよいと思うが1ミリメートルでも先を行きたいので、オートリクシャのドライバは平気で水たまりに突っ込む。
インドのオートリクシャは水陸両用には出来ていない。
ドライバは、自分の意思で突っ込むので心の準備が出来ている。
乗っているほうは堪らない。
こちらは、何の準備もなく頼みもしないのに水溜りに飛び込んでいく。
水がきれいな分、日本のジェットコースターの方がまだましだ。
特に、雨上がりにオートリクシャに乗るにはそれなりの覚悟を要する。
濡れるのがいやなら真ん中に一人で乗るか、乗っている間は足を上にあげるしかない。
また、道路工事も至る所で頻繁に行われている。
もうもうと、土煙が上がる。
良く見ないと綺麗にしているのか壊しているのかはわからない。

タクシーは不思議と町中では見かけない。
数も少ないし、いわゆる流しはほとんどないらしい。
僅かに、ホテルの前に数台いるくらいである。
タクシーに乗るときは、タクシー会社に電話する。
但し、電話を受けても来る保障はない。
私たちはインドに来てまだ1回もタクシーを利用していない。
バスは沢山、走っているが地元民以外はあまり利用出来ない。
別に、乗るのにライセンスが必要と言うわけではない。
運賃が高い訳でもない。
どこが停留所で、どこにいくバスかは、地元民しかわからないのだ。
大勢の人が立って同じ方向を見ていたら、多分そこが停留所かも知れない。
行き先は現地語で書いてあるが、他の地域から来たインド人にも行き先の文字が読めないのである。
バスは驚くほど安く、バンガロールの全地域を網羅しているので利用したいが、さすがの私もためらっている。

そこで、普段の足は否応なしにオートリクシャになるが、これが、また曲者なのである。
カルナカタ州法では、メータ制が定められているが、文字の読めないドライバには何の意味もない。
「メータでお願い」と言っても反応はまず返ってこない。
インド人以外だと大体、相場の3倍近い値段をふっかけてくる。
こちらはその手は先刻承知である。
何度も同じ手は食わない。
例の「メータ+10」方式で対応する。
オートリクシャのドライバは神業のような運転をする。
文章では彼らの神業はうまく表せない。
インドに来て体験するしかない。
たった、30から40ルピーでディズニーランドより「cool」な体験ができる。

但し、この金額にはインドまでの往復の航空運賃は含まれてはいない。

嫌な気分と良い気分 記事 OPEN/CLOSE
今日は、一日で嫌な気分と良い気分を味わった。
最初は嫌な気分から。

午後から企業研修の打合せに某企業のバンガロールオフィスを訪ねた。
某企業とは誰でもが知る名古屋に本社があるT大手自動車会社である。
インドで合弁会社を作って事業を展開している。
打合せ予定時間は午後1時30分である。
タクシーで彼らのオフィスに向かっていると午後1時15分頃に先方から「食事中なので午後2時に延期する」との最初の電話が一方的に入った。
しばらくして、私たちは約束の10分前の午後1時20分に予定通りに先方のオフィス到着した。
受付で待っていると、先方から午後2時過ぎに「私たちが到着しているか」との2度目の電話が入った。
そして、午後2時45分になって、やっと先方は現れた。
45分の遅刻である。
こんな事はインドでは良くあることらしい。
何も目くじらを立てる程のことではない。
私が嫌な気分になったのはこの後のことである。

実は某企業のメンバーの中に一人の日本人が含まれていた。
年の頃は40歳から45五歳くらいで、彼の肩書きは「executive coordinator」であった。
聞きなれない肩書きであるが、何でも最終決定権を持っているらしい。
彼は、2年程前から現地に駐在しているらしい。
以前、インド人の研修担当者と打ち合わせした際に彼の事が話題に挙がっていたので彼の名前は私の記憶にあった。

残念なことに彼は想像どおりの人物であった。
一言でいうと、ヒューマンスキルが極めて低いのである。
私とは初対面でしかも大幅に遅れたにもかかわらず、一言の侘びもなく打ち合わせでは一方的に持論(と言ってもほとんどが「T-way」の聞きかじり)を展開する。
途中でインド人の研修担当者が意見を言うと高圧的に発言を遮る。
もはや、打合せの体をなしていない。
他のインド人担当者4名は、ただ黙って座っているだけである。
しばらくして、先日、打ち合わせをしたインド人の責任者は黙って会議室から姿を消した。

今日の打ち合わせのテーマは「Cross culture」研修である。
彼は、以前にFROで会った駐在員に顔つきもタイプも良く似ている。
顔も私の好かない顔である。
明確な理由はないが、私はキツネ顔よりもタヌキ顔の方が好きだ。

会議後、インド人の若い担当者が「彼はあと1年で日本に帰ります」とうれしそうに私に言ったのが印象的であった。
これでは現地の人の日本人駐在員の評判が良くないハズである。
日本企業の駐在員はどのような基準で選ばれるかは知らないが、アカデミックの面だけではなく、人間的な面からも考慮しなければ現地の信頼を得ることは難しいだろう。
私には、この研修はうまくいかないと直感した。
折角のビジネス機会だが、この研修は断るつもりである。
お客を選べるというのも組織に属さない今の私の特権なのだから。

次は良い気分。
夕方に小さな友人が3人、我が家を訪れた。
例の「BDA公園」の兄弟達である。
姉が13歳、弟は10歳と5歳である。
今朝、散歩に行った公園で彼らの母親に偶然、出会った。
母親は30歳。
姉は17歳のときの子供になる。
インドでは若くして結婚する人が結構いる。
いわゆる低所得層に多い。
この訳はダウリにあるらしい。
ダウリは日本で言う結納金である。
額は知らないが、何しろ相当な額らしい。
ダウリが少ないと言う理由だけで、花嫁が花婿の両親に殺されたことがあるらしい。
聞くところによるとダウリの額は花嫁の年齢と関係し、年をとるほど金額が高くなるらしい。
それゆえ、低所得層では若年層での結婚が多いらしい。
見方によっては、合理的でなんとなく納得できるシステムである さて、母親と女の子の話に戻ろう。
女の子の目元は母親に良く似ている。
その母親は絶えず微笑みながら話をする。
私たちの事は既に子供から聞いていたらしい。
穏やかに気持ちの良い会話が進む。
私は思い切って兄弟を家に招待したいと言った。
母親はしばらく考え「5分待ってください」と告げた。
私は公園を散歩して時間をつぶし再び訪れると、既に兄弟は新しい服に着替えていた。
たいした事ではないかも知れないが、何故か母親の子供に対する愛情を強烈に感じた。
それよりも、見ず知らずのそれも外国人に私たちの家も知らないのに、子供が行くことを母親は何故、簡単に承諾したのだろうか。
良く「人を見たら泥棒と思え」と言う。
私たちが泥棒ではないと思ったからか、何か他に期待するものがあったのだろうか。
直接、確かめた訳ではないが、母親は私たちではなく自分の子供を信頼しているからではかいかと勝手に思う。
正に清々しい気分になった。

BDA公園から私たちの家までは歩いて5分とはかからない。
今日の夕食は、小さなゲストのために特別に日本製のカレーを用意した。
兄弟はきちんとテーブルに座り、おいしそうにすべてを食べた。
日本のカレーは始めてだったと思うが「とてもおいしい」と言ってくれた。
ちょうど、林檎があったので夕食後に出した。
弟達はおいそうに食べたが、姉は食べようとしない。
林檎が嫌いなのかとも思ったがそうでもないらしい。
理由を重ねて聞くと、どうやら母親のお土産にしたいらしい。
こちらでは、林檎は高価な果物である。
彼らには余り手に入らないようだ。

「母親の子に対する愛情と信頼」「子の母親に対する思いやり」良い物を2つ見せてもらった。

やはり、インド人は油断できない 記事 OPEN/CLOSE

日本語教室に使うホワイトボードを取りに「Forum mall」に出かける。
ホワイトボードは先週の木曜日に注文していた。
約束では、先週の金曜日に在庫の確認の電話があれば取りに行くことになっていた。
しかし、先週の金曜日に電話がなかったので今日まで延び延びになっていた。
待っていても埒が空かないのでこちらから売り場に行き確認すると、なんと私が注文した ホワイトボードは日曜日に他の人が買って行ってしまったとの事である。
私がしつこく店員を追求すると、日曜日に他の人に売る前に私に確認の電話をしたが連絡が取れなかったと言い張る始末である。


まったくおかしな話で、とても納得できる話ではない。
インドではホワイトボードを買う人は滅多にいないハズで、その証拠に売り場にある見本のホワイトボードは埃をかぶって隅の方にあった。
私が新品を注文したのも、お店にあったホワイトボードが壊れていたからである。
僅か一日や二日でしかも私たちと同じサイズのものを買うお客が来る確率など何%あるのか。
多分、店員は注文を受けてから在庫を確認するのを忘れていたに違いない。
インドにはあまり予約などの習慣はないのだ。
きっと、私に確認の電話もしていない。
その場の誤魔化しであろう。
仕方なく、再度、予約して家に帰った。
その晩、私の人を疑うというインドのみで役立つ知恵は不幸にも的中した。

それは、家に帰って確認した携帯の着信記録が無言で教えてくれた。

油断できないのはインド人だけではない 記事 OPEN/CLOSE
相方が作ったパンを友人のホテル「ASUKA」のゲストに試食して貰うということで同行した。
「ASUKA」の外壁は、わざわざピンクシティと呼ばれるジャイプールから運んだ豪華な大理石を使っている。
外見はマハラジャの宮殿を思わせる荘厳な建物である。
部屋は10部屋以上もあり、日本からの長期出張者が宿泊している。
宿泊者はすべて日本人なので日本に居るのと同じサービスを売りにしている。
例えば、食事はすべて日本食でNHKや日経新聞などが見られる。
しかし、パンはパサパサなインドのものなので、相方の焼きたての日本のパンが提供できないかと考えた。
日本ではホテルにパンを売り込むなどという行動は若干躊躇するが、海外では不思議と自然に行動できる。
いわゆる、ダメ元というインド流思考回路が自然に作動する。
相方のパンはレストランのチーフには大変、評判が良かった。
宿泊客に試しに出して、反応を見ることになった。
私たちの計画の一つがこの日、一歩前進した。

ホテルの帰りに時間があったのでForum mallに行き、レストラン街でランチとしゃれこんだ。
喉が渇いていたのでアイスクリームを注文した。
レジで料金を払うため値段を聞いた。
そこは中国系のお店でレジの係員の英語が良く聞き取れない。
そこで、10ルピーを出してみた。
どうも違うらしい。
よーく聞くと、どうも110ルピーと言っている。
私は耳を疑った。
110ルピーは通常のランチよりも高い値段である。
近所のスーパで買っている同じようなアイスクリームは、量が10倍以上もあって50ルピーである。
20倍以上の料金である。
腹が立ったのでアイスクリームを返そうと思ったが、もう溶け始めている。
最初に値段を確認しなかったのが失敗とあきらめ、しぶしぶ110ルピーのアイスクリームを食べる事にした。
私が席でアイスクリームを食べていると、売り子とレジの係員がなにやらこちらを見て話している。
間違いなく私たちの事を良くは言っていない。

インド人も中国人も自己主張が強くこの面では双方にあまり好感を持っていないが、これに加え中国人は日本人に対する謂れのない偏見がある。
自己主張の強い人や自己中心的な人は、私の周りの日本人にも見られるので許容できるが、言われのない偏見だけは許容できない。
私たちの長期滞在先として中国ではなくインドを選んだのも、単に友人が多く居るからという理由だけではない。
インド人は、日本人に対して偏見はない。
インド人は、日本の存在をまったく知らないか、知っていても自分たちを統治したイギリスを負かしたすごい国として尊敬の念を抱いている。
驚くことに日英戦争の恩恵がこの国ではいまだに生きているのである。

さてForum mallに来たのは、アイスクリームを食べるためではなく、新鮮な魚を手に入れるためである。
私たちの階下に住むマヘッシュさんの奥様がお勧めのお店が近くにあると聞いていたらからである。
Forum mallでランチを終え付近をしばらく捜したが、それらしきお店はなかなか見つからない。
何人かに聞くが、皆、知らないと言う。
結局、お店を見つけることは出来なかった。
インドで魚を買うのは至難の業であることを思い知らされた。
なにしろ、ベジタリアンが多いので魚は食べないし、魚を食べる人がいないので魚店は目立つところにはない。
当分はこれまでのTotal mallの魚売り場を利用することにする。

魚は手に入れる事は出来なかったが、折角なので付近をしばらく散歩することにした。
散歩の成果は直ぐにあった。
大理石彫刻の専門店を見つけた。
お店の中の彫刻はどれもこれも素晴らしい。
しかし、私が一番知りたい肝心の値段はどれにも書いていない。
インドの高級店ではこの店のように値段が書いていないお店が多い。
先ほどから傍にまとわり付いてきている店員に思い切って値段を尋ねてみる。
手ごろの大きさの物が2千ルピーから4千ルピーである。
この大きさでしかも大理石である。
これは絶対に安い。
しかし、待て。
ここはインド。
私には本物の大理石の見分け方が分からない。
今日のところはとりあえず保留としよう。

MGロードの木彫刻とここの大理石彫刻はお土産リストに入れておくことにする。

テレビチャンネルは何と200チャンネル 記事 OPEN/CLOSE
私の記憶が正しければ、確か、明日からは北京オリンピックのハズである。
しかし、こちらのテレビでは、まったくその気配が見られない。
インドのテレビは200チャンネル近くもあるが、オリンピックの「オ」の字もない。
実はインドに来て秘かに楽しみにしていたのがオリンピックである。
それが、まったく見ることが出来なくなるかも知れない。
よーく考えて見ればインドのオリンピック選手が新聞や雑誌で話題になっているのは余り見たことがない。
自国の選手が出ないのに、わざわざ大金を使ってテレビ放送をする訳があるはずもない。
きっと、国営チャンネルのニュースの時間か何かにそれもチョロと流れる程度かもしれない。
それでも諦めないで出来る限りいろいろなチャネルを探してオリンピック放送を見てみたい。

先ほどインドのテレビは200チャンネルあると記した。
これは嘘ではない。
時間に任せて実際のテレビですべてのチャンネルを調べたので間違いはない。

ほとんどが予想通り歌とダンスとドラマである。
恐ろしいことにドラマの中にも歌とダンスがある。
日本で言う所のニュースなどは5%もない。
チャンネルが多いのは放送技術が発達しているからではない。
多言語国家のためである。
ヒンディ語、タミル語、カンナダ語、テルグ語、それに英語である。
これらは文字も発音もまったく異なる。
英語なら私にもどうにか分かるが、ほかの文字はまったく区別がつかない。
ヒンディ語はなんとなく文字の上部が一列に揃っているとか、タミール語はなんとなく丸く見えるとかくらいである。
きっと、日本語(特に漢字)を見た外国人も同じように感じるのではないかなと思ったりした。
発音に至っては皆目、見当がつかない。

これも、ある意味では、貴重な異文化体験である。


夜になって家主の子供たちがやって来た。
彼らは、母親の故郷に2週間ほど行って、昨夜遅くに戻ってきた。
例の「Powerful Grand father」が居る所である。
「Powerful Grand father」は私のことを覚えてくれていて「元気か」と聞いていたと言った。
うれしい限りである。
体力と時間とお金が許せば「Powerful Grand father」が住むチェルチィを訪れてみたい。

いい機会なので、子供たちにオリンピックのことを聞いてみた。
さすがに、上の子はオリンピックのことを知っていた。
懸命にオリンピック放送をしているチャンネルを調べてくれた。
どういう訳かテレビによって放送しているチャンネルが異なるようだ。
子供たちの家のテレビと私の所のテレビでは番組のチャンネルが異なっているらしい。
不思議に思うが事実である。
子供は先ほどからインドの子供にしては冷静に根気よくテレビと格闘している。
そして、ついにオリンピック番組を見つけ出してくれた。
私の家ではオリンピック放送は一つのチャンネルのみで放送していた。

明日からの楽しみがまた一つできた

インドのアイロン屋 記事 OPEN/CLOSE
インドにはアイロン屋なる職業がある。
道端に半畳くらいの台を置き、その上でアイロンをかける。
以前から気になっていたが、シーツが汚れたのでワイシャッツ2枚と枕カバー2枚と一緒に思い切ってアイロン屋に出してみた。
1枚が2ルピーで5枚なので10ルピーになる。
シーツもワイシャッツも枕カバーも同じ値段である。
何だか得した気分になった。
ざっと考えてもシーツはワイシャッツの4倍はある。
それが同じ値段で2ルピーで良いとはさすがインド。
アイロン屋は、私が見ている前で最初にワイシャッツにアイロンをかけた。
手際が良いとはお世辞にも言えないが一生懸命にやっている。
次は、枕カバーを器用にかけた。
いよいよ最後はシーツである。

シーツはアイロン台よりははるかに大きい。
どのようにするのか興味深く見ていた。
すると、アイロン屋はシーツをおもむろにたたみ、アイロン台の上に置くと、その上から無造作にアイロンをかけ始めたではないか。
そして、裏返しすることなく仕事を終えた。
私の期待は見事に裏切られた。
半畳のアイロン台に乗るものはすべて2ルピーなのである。
これで、小さなハンカチも巨大なシーツも同じ値段になるカラクリが理解できた。


変な期待をした自分が何か恥ずかしい。

南インド最大のフラワショー 記事 OPEN/CLOSE

朝、新聞を見ていたら「南インド最大のフラワショー」が開幕するとの記事を見つけた。
「南インド最大のフラワショー」とは、一体、どんなものなのだろうか。
朝が早いにもかかわらず、私の好奇心はすぐに目覚めた。
開催しているのは「ラールバーグ植物園」と言う南インド最大の植物園で町の中心部からはやや南側にある。
広さは96ヘクタールもあり、18世紀に造営され赤いバラが咲き乱れることからこの名前がつけられた。
ラールバーグとは現地語で「赤い庭園」を意味する。
この植物園には樹齢何百年もの多くの古木や珍しい熱帯植物や温室などが点在している。
日本でもこれだけの規模と種類のものはそれほど見かけない。
驚いたことに園内の道はきれいに整備され、芝生もきれいに刈られ、野良牛などは一頭もいない。
野良犬(野犬ではない)を数匹、見かけたくらいでおよそインドらしくない場所である。
フラワショーは、大きな温室の中で行われていた。
日本でもお馴染みのスイトピーやダリヤ、果ては菊までもが展示されていた。
残念なことに、花はいずれも無造作に鉢に入れられ、無造作に置かれているだけである。
いわゆる「美意識」の問題なのか、見るのは花であり周りは関係ないという「合理主義」の産物なのであろうか。
花自体は大きくカラフルでとても見栄えがする。
私は園芸が好きで自宅で草花をたくさん育てているが、私がディスプレィした方がぐっと花が引き立つと思う。
フラワショーは想像していた通りのものであったが、園内は想像以上に広大できれいである。
フラワショーの行われている温室を出て園内を歩いていると、前方から白い車が5、6台、 猛スピードで来て、私たちの傍らを走り去っていった。
しばらく散策していると、なにやら音楽が聞こえてきた。
音のする方に行ってみると、大勢の警察官と音楽隊らしき人々がいた。
音楽はこの人々が演奏していたものだった。
演奏自体は中学校の吹奏楽部にも遠く及ばないものであるが一生懸命に演奏している。
もちろん、曲名は知る由もない。
しばらく様子を伺っていると傍にいた人が「Minister」の歓迎式典だと教えてくれた。


インドでは、官僚が顔を利かせているとは知っていたが、たかがフラワショーに来るだけでこれほどの歓迎式典を執り行うものとは思っていなかった。
静かな園内を我がもの顔に猛スピードで走り回り、車から下りる際には歓迎の生の演奏付である。


生まれ変わったら、なりたいものの一つにとして「インドの官僚」も候補に入れておこう。

南インド滞在1ケ月の総括 記事 OPEN/CLOSE

今日で南インド滞在一ケ月が過ぎる。
私たちの計画はここまでどうにか順調に進んでいる。
これまでの彷徨の結果を簡単に総括しておく。

◇期待通りだったもの
  • 「インド人の温かさ」
  • 「インド人の屁理屈」
  • 「IT技術者の実力」
  • 「バンガロールの快適な気候」
  • 「きたない街並み」
  • 「きたない道路」
  • 「きたない川」
◇期待していなかったもの
  • 「爆弾テロ」
  • 「野良牛と野犬」
  • 「お正月用飾り」
  • 「日本米」
  • 「マーボ丼の素」
◇手に入れたもの
  • 「長期滞在許可書」
  • 「家具家電一式」
  • 「観葉植物」
  • 「民間ガス」
  • 「自宅電話」
  • 「携帯電話」
  • 「インターネット環境」
  • 「新聞定期購読」
  • 「オートリクシャ運転手との交渉術」
  • 「新しいインド人の友人」
  • 「相方との新たな絆」
円高のお蔭で1ルピーが3.5円から2.5円になり「大金」を手に入れた。

第三巻 滞在二ケ月目に突入 目次 OPEN/CLOSE
滞在二ケ月目に入る
バンガロールの朝はいつもと同じように深い静寂の中で明けた。
一ケ月前、バンガロール空港に降り立った時は漠然とした不安と期待が交錯していた。
 ・この混沌とした国で果たして長期間生活が出来るであろうか
 ・現地のインド人とはうまく付き合えるだろうか
 ・危ない目に遭う事はないだろうか
 ・変な病気に掛からないだろうか
 ・お腹は大丈夫だろうか

幸いにもこれまでは大きなトラブルに遭う事もなく、この一ケ月で実にいろいろな体験を得た。
その中には楽しかった事も困惑した事も怖い体験もあった。
そして、インドは多様で混沌とした国であることをあらためて認識させられた。
近頃では生活基盤もほぼ整い、自分たちのペースで徐々に生活できるようになった。
今日からは、いよいよ滞在二ケ月目に入る。
気持ちを新たにして、インド滞在を大いにエンジョイする事にしよう。

朝、BDA公園に行く。
最近では公園での散歩よりも、例の家族に合うのが目的になりつつある。
前に行った時に、次は折り紙を教えることを約束している。
しかし、肝心の折り紙は日本から持参していない。
先日、Forum mallで見つけたギフト用包装紙を代用品にするつもりである。
子供たちは今日も公園にいた。
初めに鶴の折り方を一通り説明する。
次にやって見せる。
その後は子供たちに自由にやらせてみた。
するとどうだろう。
姉の方は起用にも完璧に鶴を折った。
手先の器用さに感心した。
思わず褒めた。
かの山本五十六の「言って聞かせてやらせてみて褒めて人を育てる」は、ここインドでも役立つのである。

子供たちと折り紙をしていると彼らの両親がやってきた。
両親からは彼らに関していろいろな話が聞けた。
彼らの故郷は同じカルナカタ州でも、バンガロールから約70km離れた場所だそうだ。
故郷の正確な名前は現地流発音なので、良く聞き取れなかった。
当然、彼らに日本の事を聞いてみるが何も知らない。
それどころかインドの事も、昨日、私たちが訪れた植物園のことも知らない。
他の州や町から来た人々の中には、テレビもなく新聞もなく近所付き合いもなく、ほとんど徒歩圏内で毎日を生きている人たちが結構いると聞く。
この家族もきっとその中に含まれるのかも知れない。
しかし、そんな生活の中でも絶えず笑いがあり楽しそうにしているのは何故なのだろう。
子供たちの瞳は輝きに満ち溢れ、大人達は毅然とした態度で振る舞っている。
最近は他人との比較で考えることが習性になってしまっている私には、なかなか理解しがたい光景である。
公園では、兄弟とその両親と楽しい国際交流のひと時を過ごした。
海外に長期滞在する時には、折り紙に限らず出来る限り現地のものを使う工夫をしている。
これはこれまでの少ない経験から学んだ知恵である。
海外では欧米などを除けば日本のように物が豊富ではない。
日本から持参するのも良いが、荷物になるし工夫する楽しみもなくなる。
また、私たちが帰ってからも彼らが現地のもので出来なくては教える意味がない。
この不便さを逆に楽しめるようになれなければ、一流の国際人とは言えないだろう。

何か偉そうに言っているが、恥ずかしながら今回も現地にあることを知らないで持ってきたものがいくつかある。
代表的なもので言えば蚊取り線香である。
インドでも蚊取り線香は売っている。
色は茶色だが形も匂いもまったく日本と同じものを売っている。
ベープのようなコンセントに差して使用する蚊取り器さえ手に入る。
これにはAll outと言う名前がついている。
Good namingである。
私たちは下の階のMaheshさんの奥さんにAll outを売っているお店を教えてもらった。
この時、奥さんに「ご主人と喧嘩した時にもAll outを使って追い出すのですか」と言ったら思いのほか奥さんに受けた。
何故かこんな些細なやり取りがやけにうれしかった。
ちなみにMaheshさんの奥さんは喧嘩した時にAll outを使ってご主人を追い出した事はないそうだ。
Maheshさんの奥さんを見習って私たちもAll outをインド滞在中に他の用途で使うことのないようにしたい。

最近ではAll outのお陰で私たちの寝室では、あの何とも言えない音の主は見かけない。
世界一美味しいパパイヤとマンゴ  記事 OPEN/CLOSE


今日は世界で一番おいしいパパイヤとマンゴを食べた。
例の公園の兄弟からプレゼントされたパパイヤとマンゴである。
お金持ちからの高価なプレゼントもうれしいが、少ないお金から無理して貰ったプレゼントも大変うれしい。
インドではパパイヤとマンゴはそれほど高価ではない。
20ルピーも出せば買える。
しかし、兄弟にとってはパパイヤとマンゴはとても高価なハズである。
おそらく彼ら自身もなかなか食べることはないだろう。
そんなパパイヤとマンゴを先日のカレーのお礼としてくれたのだ。
彼らは友達とも遊べずテレビも見られず映画も見られず、家の手伝いや親の仕事の手伝いに振り回されている。
年は未だ十歳と十三歳である。
にもかかわらず、何故、このように人の気持ちを思いやれるのだろうか。
人間が他人の為に何かをするという行為は自分に余裕がある場合が多い。
例えば、退職後のボランティア活動や高額所得者の多額の寄付などである。
しかし、これらは本当に他人の為だけにしていることだろうか。
兄弟の思いやりに接して改めて考えさせられた。

私は高額所得者になったことがないので多額の寄付の経験はないが、ボランティア活動の経験なら少しはある。
ざっと数えても、これまでに20くらいはボランティア活動をしてきただろうか。
ボランティア活動はどちらかと言うと、退職後よりも仕事をしている時にしていた。
今回の滞在中には、その中の一つである日本語教師のボランティア活動は役立つと思う。
私たちの住む可児市はブラジルから働きに来ている人が多く住んでいる。
彼らは家族同伴で来ており子供の教育問題が生じている。
そこで、国際交流協会が子供達に日本語を教えるボランティアのための研修を行っている。
これに私たちは参加した。
日本語教師ボランティア研修会は、7ケ月に渡り毎日曜日に行われた。
学校を卒業以来、こんなに長期間、緊張して学習した経験はなかった。
その甲斐があって2人とも無事に卒業できた。
一応、私たちは国際交流協会公認のボランティア日本語教師である。
今回は日本語を教える予定はないが、何かの時にきっと役に立つと思う。

話は変わるがボランティアとは「自らが進んで他人のためにやる」ことである。
他人のためにやることではあるが、自らが進んでやると言う事が大切である。
自らが進んでやるという側面からボランティアは無報酬(タダ)の場合が多い。
よく無報酬でやる事をボランティアと言う人がいるが、揶揄としてなら良いがそう認識しているのなら認識を変えたほうが良い。
ボランティア発祥の地は米国である。
かの有名な映画「アラモ砦」で知られる勇者たちである。
昔、米国の小さな町(アラモ)がメキシコの大軍に攻められようとした時、町に住む大勢の若者が自ら進んで町外れの砦に籠ってメキシコ軍の進軍を防いだ。
この間に援軍が到着し、町の人々はメキシコ軍の攻撃を免れた。
しかし「アラモ砦」の勇者は玉砕した。
何の見返りも求めずに、誰からも言われる事無く、自らの意思でやるのがボランティアである。

あのジョンウェインの名演技が、今も脳裏から離れない
バンガロールの市内散策 記事 OPEN/CLOSE
インドに来てから思いのほか慌しい日々を過ごしている。
考えてみると、これまで私たちはバンガロールから一度も外に出た事がない。
それどころか市内観光すらしていない。
以前に来た時には、僅か6日間の滞在にもかかわらずマイソールまで足を伸ばして観光を楽しんだ。
そこで、今日は観光を兼ねてバンガロール市内を散策をすることにした。

最初の散策の場所はST. Patrick教会である。
ST. Patrick教会は以前、地元の新聞に心が落ち着けるスポットとして紹介されていた。
ST. Patrick教会という名前も素敵だったので、ぜひ、行ってみたいと思っていた教会である。
地図で調べるとST. Patrick教会はバンガロールの中心部にある。
先日、行ったCAUVERY Arts & Crafts Emporiumの近くである。
時間があったらCAUVERY Arts & Crafts Emporiumにも寄ってみる事にしよう。
そして、私が大変気に入っているサラスバティの木彫にも再び会ってみたい。
未だ売れないで大きな顔をして店内に居座っているだろうか。

早速、家の近くでオートリクシャを捕まえる。
バンガロール市内まで200ルピーと言われた。
以前の私なら何の疑問も持たないで平然と席にもたれ掛かっていた。
しかし、今では200ルピーなんてお話にならない。
200ルピーあればバスなら300km離れたマイソールまで行ける。
オートリクシャはインド人以外には決してメータでは行かない。
そして、相場の2倍から3倍は吹っかけてくる。
こういうふざけた値段の時は、あまり多くを言わないで一言だけ言えばよい。
「Go away」
しかし、このくらいの事ではほとんどのオートリクシャは立ち去らない。
そこで、次は淡々とこう言えば良い。
「I was stay in Bangalore one Year」
私たちは先月にバンガロールに来たばかりである。
多少、英語が正確ではないが構わない。
「Will」が「Was」になっているが大した違いはない。
私たちは一年間、滞在するつもりである。
そんな些細な事は「It’s OK」の世界である。
もし、これでもオートリクシャが立ち去らなければ完全にこちらの勝ちである。
一気に畳み掛けてこう言う。
「Bangalore rule is by meter」
この方法で今日も200ルピーの言い値の場所に60ルピーで行けた。
ただし、この方法はいつも通用する訳ではない。
雨が降っている時や夜にはまったく通用しない。
雨の時や夜には力関係が完全に逆転する。
この事を忘れると一晩は外で夜を明かす事になる

ST. Patrick教会はM.G loadとBrigade loadの交差点から南に500mくらい下った所にあった。
周りをBrigade loadとMuseum loadのブランドショップ街に囲まれているが、付属の小中学校と共に静かな佇まいの一角にある。
バンガロールの中心街であるということを除けば、なかなか風情がある場所である。
ちょうど下校時なのか生徒が大勢歩いている。
歩いているのは男の子ばかりなので、たぶん男子校なのだろう。
学校の周りの道路には、ご多分にもれず迎えの車が沢山来ている。
教会の付属校でもありST. Patrick schoolという名前からしても、きっと名門校に違いない。
持ち前の好奇心が顔を出し、生徒の仕草と態度と顔つきをつぶさに観察した。
やがて、一つの結論に達した。
日本の教育水準は近いうちに、間違いなくインドに追い抜かれるだろう。

次の目的地は、Government Museumである。
Government Museumはカーボン公園の中にあり、ST. Patrick教会からそれほど遠くはない。
私たちは、Government Museumまで歩いてみることにした。
とにかく、インドでは我ながらよく歩く。
30ルピーのオートリクシャ代がもったいないだけではない。
町の中心地では、中途半端な距離ではオートリクシャに乗車拒否されるからである。
これにも道理がありバンガロールの町中は凄まじい交通渋滞である。
オートリクシャは時間制ではないので、近くの客では全く採算が取れないのである。
ST. Patrick教会からGovernment Museumまではゆっくり歩いても30分くらいである。
途中に歴史を感じさせる学校やAirport HotelあるいはBritish Libraryなどがある。
オートリクシャで通り過ぎるのは、もったいないくらいの雰囲気のある通りである。
インドのホテルをじっくり見る機会は初めてだったのでAirport Hotelに寄り道した。
名前はAirport Hotelだが空港へは何と1時間もかかる。
外国のビジネスマンは一人も見かけない。
ホテルというよりもどちらかと言うと寂れた寄宿舎かモーテルのようだ。
グレードが驚くほど低い。
完璧に名前負けしている。
唯一、ホテルらしい所と言えば、ガーデンレストランがある事くらいである。
Tea timeと洒落ようとも思ったが、席の回りにゴミが散在していたので止めた。
インドで食事するときは店内だけではなく、周りのゴミの量も一つの判断材料にすると良い。
Government Museumは、歴史を感じさせるレンガ作りの立派な建物である。
バンガロールの市内観光パンフレットに載っていたので多少は期待して入った。
しかし、中には石像や記念物、壊れた彫刻の断片が単調に置かれていただけだった。
ものの5分も経たないで後にした。
所詮、入場料は4ルピーなので期待するほうが無理なのかも知れない。
この料金で隣接するVENKATAPPA Art Galleryにも入れる。
僅か10円ほどで2つの文化的な施設に入場させて貰えるのである。
文句を言うほうがおかしい。

VENKATAPPA Art Galleryにはマイソールの芸術家VENKATAPPAの風景画と20世紀インドの芸術家の作品が展示されていた。
VENKATAPPAの風景画はそのほとんどがバンガロール郊外のOOTYを描いたもので、私は興味深く一つ一つの絵を見て回った。
風景画も素晴らしいが私は日本を発つ前からOOTYと言う場所に興味があり、今回の滞在中に一度は訪れたいと思っていた所である。
VENKATAPPAに愛され描かれていたOOTYは期待通りの所である事を十分に予感させた。


魅惑のインド料理とインド米  記事 OPEN/CLOSE
もう寝る時間なのに口が未だ辛い。
昨日の帰りにForum mallで食事をした際に、あまりにおいしかったので持ち帰った料理を今日の夕食に食べた。
食べた時にはそれほど感じなかったが、今頃になって辛さが襲ってきている。
水やマンゴジュース、果てはアイスクリームまで食べたが収まりそうもない。
こんなに辛い思いをしているのに、また、この料理を食べてみたいと思う。
この料理は日本でも何回か食べた事はあるが、これほどの美味しさと辛さは味わった事はない。
インド人はどうやってこの味を生み出したのだろう。
インド人の才能を問われたら数字の零の発見と、このインド料理の調味料の発見を挙げよう。
そろそろ、この食べ物の正体をあかそう。
タンドリィチキンとチキンテッカである。
どちらも独特のスパイスを大量につけてタンドリィと言うインド風釜で焼く。
違いはタンドリィチキンは足を焼いて骨付きのまま食するが、チキンテッカは肉をぶつ切りにして骨を除いてある。
当然、スパイスはタンドリィチキンもチキンテッカも同じである。
とくかく絶妙な味なのである。
日本で食べていたのは同じ名前の別の料理ではないかと思わせるくらい、インドのそれは美味なのである。
美味しい食べ物には4つの条件があると言われている。
 ・材料
 ・調味料
 ・調理人の腕
 ・雰囲気

美味しい料理にはどれもが必要だとは思うが、もし、これらに優先権をつけるとしたらタンドリィチキンとチキンテッカの場合は間違いなく調味料が第一位である。

ここでちょっと、私たちの食べ物について紹介しておきたい。
インドではすべての食べ物がカレーである事は前にも触れた。
レストランやお店にあるメニュにはMASARAと言う文字が必ずある。
私たちがよく行くKFCやMACのメニュにもある。
インド人の主食は北インドはナンであるが、南インドではお米をよく食べる。
種類も豊富でTotal mallでは十種類くらいのお米を売っている。
総じて日本のより長くパサパサしている。
実はこのインド米をどうにかして日本米のように食べる事ができないか、私たちは密かに研究している。
現在までの研究成果では3つの食べ方を見つけ出している。

一つ目はチャーハンのように炒めてしまう食べ方である。
こちらはパイナプッルがおいしいのでパイナプッルチャーハンにすれば最高である。
これは「炒めてしまえばパサパサ感は却って好都合である事を利用した」研究の成果である。
2つ目は卵丼や親子丼である。
本当は大好きなカツ丼を研究したかったが豚肉は手に入りにくいので鶏肉で我慢している。
これは「ご飯の上にかけたものでご飯の味を消してしまう」研究の成果である。
3つ目は卵スープの中に入れて食べる方法である。
牛乳の中にパンを入れるラッキー(友人の愛犬)の食事を見てヒントにした。
これは「オジヤのようにして味が紛れるようにした」研究の成果である。

やはり、お米は炊き立てのものを味噌汁と漬物で食べるのが一番である。
日本!!チャ!チャ!チャ! 記事 OPEN/CLOSE
日本の友人からのメールによると、今、日本はオリンピックとお盆の帰省と高校野球で盛り上がっているようである。
お盆休みの会社も多いと思う。
インドでは、当然、お盆休みと言う習慣はない。
今年は明日(8月15日)の金曜日が独立記念日に当たるのでインドでも3連休に入る。
既にGAOやCOCHIなどの西海岸の静養地では観光客の予約が殺到しているらしい。

私はオリンピックも高校野球も大好きである。
両方とも見てみたいが、NHK国際放送を受信しない限り無理な話である。
NHK国際放送については、こちらに来る前にいろいろと調べた。
NHKにも何回かメールで確認を取ったりもした。
残念ながらインドでは、NHK国際放送を簡単に見ることはできない。
それは地元にNHKと契約しているケーブルテレビ局がないからである。
例えば、マレーシアではASTOROと言う現地のテレビ局と契約すれば、簡単にNHK国際放送が見れる。
また、インドでは個別に衛星用のパラボラアンテナを取り付けなければならない。
このパラボラアンテナは価格もさることながらその大きさは普通ではない。
直径がゆうに2メートルはある代物である。
契約もホテルや学校や公共施設に限られる。
そんな訳でNHK国際放送をあきらめた経緯がある。

どうしても篤姫が見たいと言う我が姫の望みに応えるために、いろいろと走り回り衛星放送が見れるホテルを見つけたが、ここはWORLD契約でありNHKニュースしか見ることができなかった。
ニュース以外を見るには、WORLD契約ではなくPRIME契約が必要である。
結局、バンガロールではPRIME契約のホテルは見つからなかった。
しかし、リアルタイムではないが篤姫だけはどうにか見ることができるようになった。
篤姫の放送をDOWNLOADして、FILEBANK経由でインドに送りDIVXで見る方法である。
これは東京に居る長男のアイディアである。
DOWNLOAD時間は1本で約2時間30分かかる。
私は根性と忍耐でDOWNLOADしている。
インドでは停電が良くあるので、DOWNLOADしている2時間30分はじっと画面を見て停電しないように祈り続けている。

さて、本題のオリンピックである。
今朝、たまたまテレビを付けたら水泳をやっていた。
たまたま日本の選手が出場していた。
北島選手の200メートル平泳ぎの決勝である。
インドのテレビでは1日中オリンピックを放送しているチャンネルがある。
朝と夜を中心に見ているが、アーチェリィ、射撃、ボート、バトミントン、乗馬など日本ではマイナーな競技ばかりを放送している。
私が見たいのは柔道や野球や水泳などである。
日本のテレビが放送するこれらの種目には、インドの選手はほとんど出場しない。
したがって、日本人選手を見たのは北島選手が初めてである。
そして、金メダル。
素晴らしい。
金メダルと言えば、インドで初めて個人競技の金メダルリストが誕生した。
男子の射撃競技である。
金メダルの彼はしばらくの間はインドの英雄になれる。
柔道は散々な結果で見られなくて正解のようだ。
野球もメダルが危ないようだ。

がんばれ日本。
日本!!チャ!チャ!チャ!
娘とインドの誕生日 記事 OPEN/CLOSE
今日、8月15日は娘の誕生日であり終戦記念日でもある。
また、インドではこの日が独立記念日にあたる。
8月15日は我が家にとっては、いくつもの記念日になる。

まず、素直に娘の誕生日から祝いたい。
娘は昭和生まれで相応な年になった。
娘と機密協定を結んでいる訳ではないが、3年前から年はなるべく言わないようにしている。
娘は御巣鷹山の日航機墜落事故からしばらく経った晩遅くに生まれた。
娘の名前は奈津子と言う。
命名は私である。
奈津子と言う名前には2つの思いがある。
8月15日は真夏であることや活発で元気な子に育ってほしいと言う思いも確かにある。
しかし、一番大きな思いは大好きな小説家の小説の題名から決めた。
小説家の名前は五木寛之で小説の題名は「奈津子、その四季」である。
四季を感じる素直な感性と四季のように芳醇な人生を送ってほしいとの思いから命名した。

インドには人生を春夏秋冬と同じく、学住期、家住期、林住期、終住期の4つに分けて考える文化習慣がある。
 ・学住期は自分を高めるために一生懸命に勉強する時期である。
 ・家住期は家庭を持ち一生懸命に働く時期である。
 ・林住期はこれまでの実りをゆっくり謳歌する時期である。
 ・そして終住期は清々と終わりを迎える時期である。

インドに来て同じ人生の過ごし方でも、日本とインドでは随分と異なるものであることを知った。
私はこのインドの考え方を素敵だと思う。
そして、今、少し早いがここバンガロールで林住期を過ごしている。
子供たちにも漫然とした人生ではなく、インドの考え方のように四季に富んだ人生を送って貰いたいと思っている
窓を開けるとどこからか懐かしい音が聞こえて来る。
鼓笛隊の太鼓と笛の音である。
今日はインドの独立記念日でもある。
インドは1947年8月15日にイギリスから独立した。
確か中学校の社会の時間にインド独立の基礎は1945年7月にイギリスの選挙で労働党が勝利を収め、政治指導者に新たな流れが生まれたことに遡ると習った記憶がある。
独立に至るまでのインドはムスリムとヒンドゥーとの間でそれこそ血で血を洗うような闘争を繰り返してきた歴史がある。
1947年8月15日に独立してからも闘争の火は沈下するどころかますます燃え上がった。
そして、ついにインド最大の悲劇が起こった。
マハートマー・ガンディの暗殺である。
マハートマー(偉大な魂)は彼の死後の呼び名であり、正式名称はモハンダス・カラマチャンド・ガンディと言う。

日本は植民地化された事がない。
したがって、終戦記念日はあるが独立記念日はない。
インド滞在中に独立記念日を体験できるとはラッキーである。
3日前にバンガロールの町中に出た時に、モールや公園や広場がインド国旗や装飾で溢れかえっていたのを思い出した。
どこか適当な独立記念日祝賀会場はないか地元の新聞を隅から隅まで探したが一向に見当たらない。
多分、祝賀行事は政府関係者だけで行うのだろう。
そう言えば、オートリクシャのドライバーが独立記念日には至る所で交通規制があり、商売にならないと言っていた。
なにせ植物園にVIPが1人来るくらいで音楽隊まで出して大騒ぎする国民性である。
今日はどのくらいの交通規制と音楽隊が動員されているのであろうか。

折角、インドに居るのだから独立記念日の雰囲気だけでも味わいたいものである
Commercial St探訪  記事 OPEN/CLOSE
バンガロールには有名なMall(ショッピングセンタ)とSt(通り)がいくつかある。
Mallには文字通りお店が集まっていて、Stには両端にお店が並んでいる。
時間に任せて1ケ月余りで、有名なmallとStはほぼ踏破した。
ガイドブックに載っていて未だ行っていないのはCommercial Stだけである。
Commercial Stの近くのM.G loadやBRIGATE loadには何回か行った。

今回はCommercial Stにターゲットを絞って行く事にした。
地図を調べるとCommercial StはM.G loadから北に3本入った所にある。
家からはこれまでの最長距離のオートリクシャの旅になる。
Commercial Stは時間にして約50分、オートリクシャ代は110ルピーであった。
オートリクシャを降りると同じような道が何本かあり、そこには同じようなお店があり同じような数の人が歩いている。
一体、どこの通りがCommercial Stなのか皆目、検討がつかない。
通りを歩いている人に聞いても、聞く人聞く人が此処がCommercial Stだと言う。
前にも記したが、インドでものを尋ねるときには注意が必要である。
「知らない」と言う答えはまず返ってこない。
たとえ知らないことでも平然と自信満々に答える。
人にものを聞かれて答えないことは失礼に当たると考えている。
文化の違いと言えばそれまでであるが、これにはいつも困惑させられる。
私はインド生活の知恵として同じ質問を何人かの人に聞くことにしているが、答えが異なった時の知恵が未だついていない。
お店の看板を一生懸命に見てCommercial Stと書いてあるかをチェックした。
運がよければお店の看板には通りの名前が入っている場合がある。
別の方法としては通りに英語で書かれた看板が多いか、または知っているブランド名が書かれた看板があるかをチェックする方法がある。
私は地図を手にしばらくの間、彷徨する。
地図があるなら地図を見せれば良いのではと考える人がいたら失格である。
何しろ、職業人であるオートリクシャのドライバーでさえ地図の見方を知らないのである。
まして、英語で小さな字で書いてある地図など誰も見ようともしないのは明白である。
結局、Commercial Stはオートリクシャを降りた場所から10分ほどの所にあった。
Commercial Stは私たちが歩いてきた道とは明らかに違っており、お店の看板を見るまでもなく一目瞭然であった。
名前の通りおしゃれなお店が両端にずっらと並んでいた。
サリーやパンジャビドレス用の布を売っているお店が目立つ。
以外に思うかも知れないが、バンガロールは絹の生産地としても有名である。
さすがに絹とはいかないがサリーやパンジャビドレス用の布は200ルピーから手に入る。
絹でも600ルピーも出せば手に入る。
この値段はサリー本体は無論、下に着るシャツの仕立て代や上に羽織る布まで必要な物、全部が含まれての値段である。
布の長さは5mから6mもある。
これで600円から1200円の買い物である。
相方がインド、インドと言うのも分からないではない。
Commercial Stには私の好きな骨董品のお店も数多く見かけた。
そのうちの2,3軒を見て回った。
古代インドらしき石や真鍮の仏、サンダルウッドの木彫などが所狭しに置かれていた。
そのほとんどに値段はついていない。
こういうお店は要注意である。
客の服装や態度を見て吹っかけてくる。
特に、外国人にはべら棒な金額をいってくる。
インド政府は外国人の訪印を歓迎しており、土産店などの外国人に対する不当行為については厳しく取り締まっている。
インドで不当行為に遭ったら、まず、お店や車に張られている政府認可番号を調べ「この番号をポリスに電話する」と言えばいい。
特にオートリクシャには抜群の効き目があるらしい。
どこの国でも観光客が来る場所では物の値段は自然と高くなる。
インドも例外ではない。
以前の私なら当然のようにCommercial Stで外国人価格でいろいろな買い物をしたと思う。
Commercial Stではスイーツを買っただけで家に帰った。
Commercial Stは若者もおじさんも楽しめる素敵な場所だった。
多治見の暑さが懐かしい  記事 OPEN/CLOSE
ここ2、3日、バンガロールでは朝晩の風が少し寒さを感じさせる。 「多治見の暑さが懐かしい」と言ったら帰国した時に総スカンを喰うだろうか。
バンガロールは標高920mである。
旅行を計画しているOOTYは標高2240mの所にある。
確か100mで0.6度だと思うのでOOTYでは13度も気温が低い事になる。
現在のバンガロールの正確な気温はわからないが、新聞では今日は20から25度と予測している。
するとOOTYは7度から12度と言うことになる。
日本の冬に近い服装が必要だ。
まさか今の時期にインドでヒマラヤ以外に7度から12度の場所がある事や、しかも、そこに行く事になろうとは予想していなかったので防寒具などは持参していない。
さすがに今の時期にバンガロールでも防寒具は売っていない。
ガイドブックを調べるとOOTYの町にはチベット人街がありそこに防寒具があるらしい。
今回も現地調達の方針で行くことにする。

インドで防寒具を探すとは想定外である。
今日はおとなしくお留守番 記事 OPEN/CLOSE
今日は日曜日。
ジーニアさんの休みが金曜日から日曜日になったので友人のジーニアさんを誘って、フラワーショウが行われているダールバーク植物園に行くことにした。
午前中に家でパンを焼いて向こうに行って食べようと考えた。
軽いピクニック気分である。
ところがジーニアさん一人と思っていたらインド人の友達を連れてきた。
私たち2人をを入れると総勢4人になってしまった。
さすがにオートリクシャでも大人4人は無理である。
女3人に男1人。
もう結論は決まっている。
私はおとなしくお留守番することにした。

ジーニアさんはフィリッピンから1人でインドに働きに来ている。
1人で出歩くのは怖いので外出する時には、いつもインド人の友達を連れて行くのだそうだ。
外国人でオートリクシャを普段から乗り回して、偉そうにしているのは私たちぐらいかも知れない。
日本からの観光客はオートリクシャには乗らない。
駐在員には車と運転手が付いている。
確かに車があれば苦労はない。
強烈な臭いも砂塵にも無縁である。
私たちも車と運転手がほしい。
しかし、負け惜しみで言えばオートリクシャにもオートリクシャの良さがある。
ディズニーランドのアトラクションにも負けない運転技術や人間味溢れる料金交渉がある。

相方の話では最終日のフラワーショウは人で溢れかえっていたらしい。
そのせいか至る所にゴミの山ができており、ピクニックどころではなかったらしい。
お店の前も人の山で買い物どころではなかったようだ。

お家でオートリクシャ(おとなしく)お留守番していたのが正解であったようである。
教育大国インド  記事 OPEN/CLOSE
今日から友人の子供たちの学校が始まった。
夏休みが暑くて勉強の能率が上がらないと言う理由なら、名古屋や他州の学校に夏休みがあるのは理解できる。
しかし、バンガロールの学校に夏休みがあるのは理解できない。
夏休みが生徒ではなく先生のためにあるのなら大いに理解できる。
ただし、名称を「日教組既得権夏季休暇」とでも変えて頂きたい。

友人の子供が通っているのはThe International School of Bangalore (略称:TISB)という歴史ある学校である。
海外から戻ってきたインド人には大人気のインターナショナルスクールで、常に満員の状態で入学待ちが出来ているそうだ。
日本人は幼稚園部に2名、小学生部に2名、高等学校に1名が通っている。
2006年度より小学生以上は英語での入学試験になるため、現在は少し人数が減っている。
授業は全て英語で行われている。
イギリスの名門大学との提携もあり進学率は非常に良いらしい。
友人も将来は子供たちをイギリスの大学に行かせたいらしい。
そのために子供たちが現地の生活に慣れるように、今から毎年のように家族でイギリスに行っている。
良し悪しは別としてインドでは教育に異常な程、熱心である。
日本にも子供の教育には熱心な親もいるが、とても比較にならないだろう。
お金の問題だけではなく子供の将来の留学のためにわざわざ毎年イギリスに連れて行くというような発想などする親はいないであろう。

聞くところによると、地方の町や村では優秀な子供が居ると、その地域のみんなで学費を出し合って大学に行かせるらしい。
その子供が大学を出て事業に成功して、町や村に仕事をもたらしてくれる事を期待しているらしい。
何百人、何千人の中から選ばれて高い勉学の動議を持ち大勢の人の期待を受けたこれらの学生が勉強しないはずはない。
実は私がインドに来た理由の一つがこれである。
高い勉学の動機を持つインド人技術者を日本品質のインド人技術者に育成する事である。
これは在職中から今後のライフワークの1つとして考えていた事でもある。
現在はインドでも超一流と言われているIT会社WIPROの技術者をターゲットに活動している。
WIPROの技術者であればIT技術に関しては問題ない。
後は彼らの日本語能力を向上して日本語が仕事で使えるようにして、日本企業での仕事力を育成すれば良い。
私の考えで育成したインド人技術者が日本企業から喜ばれ、インド人技術者と日本企業がともにハッピーになれば私の挑戦は成功と考えている。
しかし、挑戦までの道のりはとても長いだろう。
まず、優秀なIT技術者をどうやって探し出すかである。
日本でも難しいのにここはインド。
まして、ツテなどは一切ない。
文字通り一からの挑戦である。
新聞に広告を出すかパンフレットを配るか、もっと良い方法はないか思案している。
育成する技術者はとりあえずは、3名から5名くらいを考えている。
ちょっと少ないように感じるが、何か新しい試みをする時は5名以内がベストというのが、私の持論で成功も失敗もあったが、これまでもこのやり方でやってきた。

今後の教育にはグローバリゼーションの観点が大切である。
インド人気質 記事 OPEN/CLOSE
お昼頃、友人の奥さんから電話がかかってきた。
要件は「午後の日本語講師がいないから1時30分から講師をしてほしい」というものである。
取り立てて急ぎの用事もないので時間的には問題がないが、一体、何を教えればよいのだろうか。
そこで何を教えれば良いのかと聞いたら「日本語を教えてほしい」と言う。
トンチ問答のような応対に窮していると、今から教科書を届けるから大急ぎで準備してくれと言う。
教科書が届くのに40分、オフィスに行くのに30分、結局、教科書を見る時間はランチタイムしかない。
折角のランチタイムだが潰すしかない。
ものを頼まれることは大変うれしいが、こちらにも都合というものがある。
私は日本語教師の経験はないが、国際交流協会のボランティア日本語講師の経験はある。
全くの素人ではない。
幸いに日本語関係の本も何冊かは手元にある。
電話を切り何を教えるか手元にある日本語の本を見て思案していると、再び、奥さんから「講師の手配がついたから講師はしなくても良くなった」と言う電話がかかってきた。
こちらの都合などお構いなしに、一方的に自分の言い分を言ってくる。
これは何も友人の奥さんに限った事ではない。
私の知るインド人にはこのタイプが多い。

日本語講師騒動が一段落したので、午後からは近くのCOMPLEXで買い物とランチを楽しんだ。
以前、ここで食べたPAPER DOSAとNOODLEはとても好みに合った。
今日も一応はメニューを見たがあまりよくわからない。
そこで奮発してこのレストランで1番高い料理と大好きな飲み物であるラッシーを頼んだ。
1番高い料理は南インドの名物料理が小皿に少しずつ入って大きなお皿に盛られて出てきた。
小皿は5皿もありそのうちの3皿はカレーのようなもので1皿が豆料理、残りの1皿がデザートの皿であった。
他にケーキとDOSAとNANNとライスが別の大きなお皿でついていた。
これまでインドで食べた1番豪華なランチであった。
日本のインド料理店で食べたら一体どれぐらいの値段になるのだろう。
味もなかなかいける。
久しぶりのおいしいインド料理に大いに満足した。

多くの人がインドに魅了される一つはインド料理の存在である。
やさしい「ラッキー」 記事 OPEN/CLOSE
ラッキーは私たちの大家さんである友人の飼い犬である。
私は犬の種類には余り詳しくないので、ラッキーがなんと言う種類の犬かはわからない。
大きくて白と黒の斑模様がある。
イギリスで狩に使っている犬にちょっと似ている。
なぜ名前がラッキーなのかは知らない。
ラッキーの左目は赤い。
なぜ目が赤いかは知らない。
ラッキーについては知らない事ばかりである。

最初ラッキーに会った時は正直とても怖かった。
体は子牛のようである。
体当たりされたら私などはひとたまりもない。
まして噛みつかれでもしたらどうしようもない。
しかし、性格は極めておとなしい。
番犬なので吠える事は吠える。
その声は体のせいで周囲を圧倒する。
「ワンワン」などというかわいらしいものではない。
内に篭ったような「グウォーン」といったような感じか。
カタカタではうまく言い表せない。
アフリカに行った事がある人ならサバンナで聞いた事があるかも知れない。
ラッキーが必ず吠える場合が2つある。
1つは、牛の群れが前の道を通る時である。
この群れは17頭から18頭であるが 不思議な事に先導している人はいない。
牛達だけで整然と歩いている。
その姿は世の中を超越しているかの様である。
ゆっくりゆっくり歩いている。
何処へ何しに行くのかは皆目、検討がつかない。
どこに行くのか現地語のタミル語で聞いてもきっと答えてはくれないであろう。
彼らが野良牛ではない事は体の汚れで分かる。
独立記念日の際にはツノにインド国旗を付けていた。

2つ目はある特定の人間に対して吠える。
インドでは飲み水や台所ではミネラルウォータを使用している。
このミネラルウォータの配達人にはなぜか吠える。
階下に住むマヘッシュさんの奥さんの話では、以前、この配達人がラッキーをこっぴどく苛めつけたらしい。
それ以来、彼には異常と思われるくらい吠えるようになったらしい。
配達人は身長は160cmとラッキーと余り変わらない。
ラッキーが本気になればなんという事はないだろう。
しかし、ラッキーはただ吠えているだけである。
こんな所にもラッキーのやさしさが現れている。
私はラッキーが好きだ。
これまでインドで出会った生き物でラッキーだけは嘘をつかない。
他の生き物は隙さえあれば騙そうと虎視眈々と狙っている。
ラッキーはインドに長く住んでいるがそんなそぶりは微塵も見せない。

ラッキーは私が心を許せる数少ないインドでの生き物である
災難な一日 記事 OPEN/CLOSE
家で日本語教材を作っていると、突然、友人から電話がかかってきた。
どうも私のせいで友人が経営する日本語学校でトラブルが起きているようだ。
研修生たちが「使っている教材が古い」とクレームを言っているようだ。
実は私には心当たりがある。

経緯を説明しよう。
日本語教室の研修生の何人かは感心な事に研修が終わった後も残って復習している。
私は時間があると彼らと雑談をしたり、聞かれれば質問に答えたりしている。
昨日も3人の研修生が残って復習していた。
いろいろと話している中である研修生がしきりに「家内」「家内」と言った。
私はこの「家内」という言葉が気になった。
「家内」と言うのは家の中に居る人という感覚でwifeを言いたいのであれば「妻」というぴったりな言葉がある。
日本でも少し前までは「家内」と言う言葉は使われていたが、最近では「妻」と言う言葉が使われている。

何故「妻」ではなく「家内」と言うのかと疑問に思って教材を見せて貰った。
そして、その教材の出版年を見ると1991年であった。
今は2008年である。
17年前に作られたものである。
教材の名前は「新・日本語の基礎」。
17年前のものが未だに「新」とは。
しかも同じ教材を17年間も使っているとは。
私は素直に「この教材はちょっと古いね」と言ってしまった。
これが騒動の原因である。

この私の言葉が騒動を引き起こす事など思いもよらなかった。
日本ではもっと辛らつな事も言っていた。
「口は災いの元」とはよく言ったものだ。
災いになるかどうかはその時には分からない。
災いを避けるのなら人としゃべらなければ良い。
これは私の性に合わないし私には出来そうもない。
しかし、ここはインド。
今後は文化の違いを少しは意識しながら言葉に気をつけることにする。

果たして、この問題の本質は私が17年前の教科書を古いと言った事であろうか。
古くからの友人、ムティーさん 記事 OPEN/CLOSE
午後からオフィスに行った。
久しぶりにムティーさんに会うためである。
ムティーさんは友人の会社の副社長で、現在はイギリスでプロジェクトを推進している。
今回はインドの本社で会議があり帰ってきた。
ムティーさんには、以前、ランチに招待されていたのをコロッと忘れて日本に帰ってしまった経緯がある。
このお詫びもしなくてはならない。

オフィスでムティーさんに会い、いろいろな情報交換をした。
ムティーさんはEDIの専門家である。
EDIの話になると、突然、立ち上がりホワイトボードに難しい専門用語を書き連ねる。
英語だけでも閉口するのに、その上、専門用語の羅列である。
一応、コンピュータ関係の仕事をしていたのでEDIの概要ぐらいは分かる。
しかし、アーキテクチャの話までされるともう別世界に居るような心境である。
ムティーさんはそんな私の心境もしらないで、一生懸命に説明してくれている。
ムティーさんは全然変わっていない。
昔も今も根っからの技術屋なのだ。

変わっていないムティーさんに会い何故かホットした一日であった。
インドで新記録達成 記事 OPEN/CLOSE
インドに来てまた一つ記録を作った。
家とオフィス間の通勤費だ。
驚くなかれ何と18ルピーである。
インドに来た当初は片道で50ルピーを払っていた。
それが今日は往復で18ルピーである。

経緯を説明しよう。
オフィスへは運よくメータで行ってくれるドライバーに遭遇した。
18ルピーはこの時の料金である。
メータで行くと大体これぐらいである。
と言うことは帰りが0ルピーと言う事になる。
その通りである。
帰りは30分かけて家まで歩いて帰ったのである。
オフィスから帰宅しようと表通りにでると走っているオートリクシャはほとんどいない。
たまに来るオートリクシャには乗客が乗っている。
空いているオートリクシャも来る事は来るがほとんど止まらない。
たまに止まっても行き先を告げると黙って行ってしまう。
問題は時間帯であった。
ちょうど帰宅ラッシュの時間帯だったのだ。
帰宅時間帯には予約待ちのオートリクシャがかなりあるらしい。
その証拠に歩いて帰る途中で会社の前で待機しているオートリクシャを数多く見かけた。
健康のために歩いたと言いたいが、オートリクシャに乗車拒否の連発を食らったのである。

借りを返すどころか、このところはオートリクシャには連敗の日々である。
第四巻 日本語教室開設 目次 OPEN/CLOSE

インド人IT技術者研修
最近、元同僚から日本語研修の事も知りたいと言うリクエストが時々ある。
言われてみれば確かにインドには旅行に来たわけではないので、今日はインド人 IT技術者研修の状況について記す。
結論から言うと「緩やかではあるが、研修は徐々に立ち上がりつつある」。
何か日銀短観のようであるが、時間はかかっているが徐々に進みつつある。
現在は月曜から金曜の朝7時から9時まで、インド人IT技術者に日本語を教えている。
彼らはキャリアとしての日本語検定資格を目指している。
私はビジネス日本語教材は用意していたが、日本語教材は用意していなかった。
そこで、急遽、日本語教材を用意した。
生徒の数も少なく、教材を手作りしていたらビジネスどころの話ではない。
しかし、研修費用を自腹で払い、毎日、仕事が始まる前に学ぶ彼らの情熱に動かされた。
研修生の一人は私の家の直ぐ近くの会社で働いており、毎日6時に起きて1時間かけてバイクで通ってくる。
そのためか学習意欲も高く質問も良くするので、俄か日本語講師には荷が重い場面もある。
そこは、国際交流協会の日本語認定講師の肩書きでどうにか乗り切っている。
2008年度の日本語能力試験は、12月7日(日)に世界各国で実施されバンガロールでも受験できる。
この研修は日本語能力試験が終わる12月第1週まで続く。

日本語研修については、週末コース(土曜日・日曜日)の打診もある。
これもやるとなると、月曜日から日曜日まで研修で埋まり無休状態に陥る。
日本なら労働基準局からお叱りを受けるかもしれないが、幸いここはインドなので目は届かないだろう。
しかし、楽しみなインドでの旅が出来なくなってしまう。
既に私たちはインド国内外の旅行計画を決めている。
国内では、ケララ州のバックウォータを巡る船旅とエローラ・アジャンタの古代遺跡の探訪である。
海外ではエジプト、イスタンブール、モルディブ諸島の何れかに行く事を決めている。
これらの旅には少なくとも1週間から2週間は必要である。
研修をとるか、旅行をとるか。
少ない知恵を巡らせる。
その結果、1日当たりの時間数を増やせば休みがまとめてとれることに気がついた。
週末コースも始めるつもりである。

また、今月はTKM社(某自動車のインド法人)幹部候補生の異文化コミュニケーションとビジネス日本語の特別講座を実施した。
TKM社幹部候補生は、日本のTMC(本社研修センター)で1年半から2年に渡りT-WAYなどの研修を受け、その後、インド(TKM社)に戻り、幹部として第1線で活躍している。
TKM社幹部候補生は日本に行く前にインドで3ケ月間の研修を受けていた。
彼らには更なる仕事の実践力が求められていた。
私は従来から考えていた企画をTKM社の人事研修部門に提案していた。
 ◇ 仕事に使える日本語(ビジネス日本語)
 ◇ 日本企業での仕事力向上(JOB CAPABILITY)
今月に入って、急遽、その依頼がきた。
意外に思うかも知れないが、インドで何か新しい事を始めるためには日本では想像できないほどの時間と説得材料が必要となる。

日本企業での仕事力向上としては「異文化コミュニケーション」も提案した。
私は「異文化コミュニケーション」とは、相手の文化を理解し尊重する事ではなく、お互いの文化が異なる事を正しく認識する事と捉えている。
例えば、世界という単位では日本文化は極めて「異質」であるとも考えている。
特に世間と言う世界(会社、学校、知人、仲間などの自分を知っている人々)と、これ以外の世界(旅先の人などの自分を知らない人々)では、日本人の行動原理(マナー等)が著しく異なる。
これは世間と言う世界では、日本人は「周りから良く思われたいという意識が強く働く」からである。
このテーゼを基に日本人の代表的な行動原理を説明してみた。
「和」「本音と建前」「恥」「あいまい性」「謙遜」である。
この自説は我ながら説得力があるのではと自負している。
研修生が正しく理解してくれたかどうかは確かめるべくはないが、興味深く熱心に聴いてくれていた事には大いに勇気を得た。

ここで、インドの友人から聞いた話を一つ紹介する。
よく日本では「沈黙は金である」と言われる。
しかし、インドでは「沈黙は死」である。
あなたが日本で生まれた時、周りはみんな日本人で同じ言葉を話しているだろう。
そして、あなたがお腹が空いたら誰かがそれを察知しミルクを与えるだろう。
しかし、インドでは周りにはいろいろな肌の人がおり様々な言葉を話している。
あなたがお腹を空かし泣き叫んでもミルクを得られないかも知れない。

このように国が違えば、行動は異なるのである。

研修に関しては、もう一つ共同事業化の話が進んでいる。
相手は未だ30代のバンガロール大学の新進気鋭の日本語教師である。
彼の日本語能力は(1部の発音を除けば)完全に私を上回っている。
彼はバンガロールの日本語関係者の間では、名が通っている人物である。
私が彼をパトーナとして考えているのは、彼のビジョンに共感しているからである。
それは「日本とインドのGATEWAYを創り、言語、文化、ビジネスの三つの橋を架ける」という彼のビジョンである。
彼は今、日本に行っている。
来週にはインドに戻るので、継続して議論を重ねるつもりである。

番外ではあるが、相方のパン教室の方は極めて順調である。
日本駐在員の奥さんを中心に、生徒数も10人を超えている。
現在でもいろいろな所からお声がかかっている。
インドのパンは日本のようにふっくらとしていないので、日本のパンはとても好評である。
特にここバンガロールには、日本や欧米からの帰任者が多い事も好影響している。
パン教室と言うのは、目の付け所がとても良かったと思う。
もしかすると、私よりも事業の才能は優れているかも知れない。
日本では発揮できない能力が異国では発揮できる場合もあり、この面では相方と一緒にインドに来て良かったと思っている。

昨年、私は仕事(仕えてやる事)を辞めることを決断した。
したがって、インドでの研修は事業としては捉えているが、仕事という捉え方はしていない。
すなわち、収益ややるべき事よりも、自分がやりたい事を優先している。
幸い、現状でも当初目的の70%は達成できていると思う。
後は正直な所「これが続けばいいなぁ」というくらいの軽い気持ちである。

私はインドでビジネスを気負ってやるつもりは毛頭ない。

インド人の日本語講師 OPEN/CLOSE

インド人の日本語講師
バンガロールには、何人かのインド人日本語講師がいる。
先日、出会った10年来の友人の紹介で彼の会社のインド人の日本語の先生が訪ねてきた。
この先生は日本語教育ではインドで№1のネール大学の修士の資格を有している。
大学では「7人の侍」や「三四郎」などを研究し、松本清張の難解な小説を難なく読むほどの日本語力である。
学生時代には、友人とは難漢字を読む競争をしていたらしい。
下手をすれば、私よりは読解力がありそうである。

私は密かに彼に会うのを楽しみにしていた。
噂では彼はバンガロール大学でも日本語を教えており、バンガロールの日本語関係者の間では名の知れた存在らしい。
私の楽しみは彼の日本語の発音を聞く事であった。
私が教えているインド人の生徒は、面白いようにサ行とラ行の発音が上手く出来ない。
これは明らかにインド英語の弊害である。

早速、彼に「ひらがな五十一音」を読んでもらった。
彼は日本人とまったく変わりなく「あいうえお」と読み始めた。
カ行も順調に読む。
いよいよ期待のサ行である。
サとシは問題ない。
スも問題ない。
セも少し違和感は残るが、それほど問題はない。
ソは全く問題がない。
私の期待はちょっと外れた。
さすが専門家は違うと感心していた時、待望のインド英語が聞こえてきた。
ラ行がいわゆる巻き舌になっている。
インド英語では、carをカール、Internetをインタルネットと発音する。
この癖が彼ほどの実力者でも直らないのである。
インド人に発音を教える時は、サ行とラ行を徹底的にやればよい事がわかった。

彼には悪いが大きな収穫である。

俄か日本語講師は大忙し OPEN/CLOSE

俄か日本語講師は大忙し
時々、友人に頼まれてインドの会社や大学に行って教えている。
 ◇ TKM(Toyota Kirloskar Motor)
 ◇ INFOSYS
 ◇ SSDI(Sharp Software Development India)
 ◇ バンガロール大学
 ◇ クリスト大学

この中にはインド有数の大学や会社もある。
私は日本語講師の資格は有していないが、この事で特に問題は起きていない。
この辺はインドの大らかさが幸いした。

印象に残るのはINFOSYSとSSDIである。
   
INFOSYSは1981年に7人のエンジニアが250ドルの資金で創業した。
それが今では従業員数が16万人を超える世界有数のIT企業である。
世界中のコンピュータ技術者で知らない者はいない。
私も日本にいる時からマスコミを通じてINFOSYSの素晴らしさを知っていた。
インドに来てからもインドが誇る会社としての評価を度々耳にした。
そのINFOSYS本社に行く機会を得たのである。

INFOSYS本社はバンガロールの南のエレクトロニクスシティにある。
「キャンパス」と呼ばれる敷地内には、世界の著名建築物を模したオフィス・ビルが50棟近く建ち並ぶ。
世界各国の顧客企業向け開発センターや「日本ルーム」と書かれた表札がかかる日本向け資料館、3階建ての図書館、ビリヤード場やプール、ジムといった福利厚生施設、研修や会議時に利用するためのホテル、さらには自前の発電所も備える。

私は元コンピュータ技術者である。
ある意味ではINFOSYSは憧れの企業であり、昔の私にはどう頑張っても訪れる事などできる場所ではない。
今回はひょんなことから友人から頼まれ持ち前の好奇心が目覚めた次第である。

INFOSYSに行く日は朝からウキウキしていた。
私は来訪者なので当日は従業員ゲートとは別のゲートに案内された。
ゲートに着いて周りを見回すなり、私のウキウキ気分は吹き飛んだ。
何と、通りを挟んで向側に装甲車が停まっている。
装甲車の機関銃はゲートに向けられている。
正確に言えば私の背中を狙っている。
銃口を向けられたままの入館手続きなど滅多に経験が出来ない事はわかってはいるが、守衛とのやり取りはかなり緊張した。
元同僚に見せるために構内の写真を撮りたかったが、至る所に銃を持った軍隊がおりそれどころではなかった。
SSDIは文字通りシャープのインド法人である。
20年来の友人が技術部門の最高責任者を務めている。
その関係で日本語を教えてほしいとの依頼があった。
シャープ本社への出張やTV会議などで日本語を必要としている。
SSDIは日本語研修に力を入れている企業の一つである。
JLPT資格は業務能力の評価基準になっている。
そのため生徒の学習意欲は大変高い。
研修は毎週、水曜日と金曜日に行われている。
通常は、会社が主宰する(自腹でない)研修への出席率は余り良くないが、SSDIは出席率が極めて高い。
キチント予習をしてくる研修生もいる。
私の滞在中にJLPTを受験した三人は見事に全員が合格した。

バンガロール日本語教師会 OPEN/CLOSE

バンガロール日本語教師会
インドには204の日本語教育機関と575名の日本語教師がいる。
教師会はデリー地区を中核とする全国組織のものと、プネー地区、ムンバイ地区、ケララ地区、コルカタ地区、バンガロール地区の地域ごとの5つのものがある。
北インドはデリー地区の教師会が、南インドはバンガロール地区の教師会が中心となって活動している。
バンガロール地区の教師会(BNK:Bangalore Nihonngo Kyoushi-kai)は、2006年に設立され、65名の日本語教師が所属している南インドで一番大きな教師会である。
日本語スピーチコンテスト、教師研修会、JLPTの実施をはじめ、ニューズレターや機関誌の発行等、活発な活動をしている。
また、漢字検定試験も実施している。
私の生徒の一人がBNKの役員をしている関係でBNKの活動も手伝っている。
BNKの活動を通じて感じる事は、インドの日本語教育が停滞している事である。
使っている教材は一昔前のものである。
バンガロール大学で使用している修士課程の教科書も見せて貰ったが五十歩百歩である。
日本人の教師もいるが、この面に熱心に取り組んでいるとは感じられない。
古い教材を補完するための補助教材を自ら開発している例を聞いた事がない。

インドでは英語は別格として、フランス語、ドイツ語の人気が高いが、日本語は常に一定の人気がある。
学位や証明書の取得を重視する志向の強いインド人学習者は、資格取得のためのJLPT受験を念頭に置いている場合が多い。
先の経済連携協定(EPA)の締結で日系企業のインド進出が増加しており、これによって日本語教育の重要性が増している。
微力ではあるが、これからもインドの日本教育の役に立てるようBNKの活動のお手伝いをしていくつもりである。

年金生活者のささやかな恩返しになれば幸甚である。

市内に日本語教室を開設 OPEN/CLOSE

市内に日本語教室を開設
 
ついに、バンガロール市内に待望の日本語教室を開設した。
場所はINDIRANAGARである。
INDIRANAGARはバンガロールの東に位置し急速に発展している新商業地区である。
大きな通りに面して、会社のオフィスやレストラン、ブッテック等が数多く並んでいる。
友人が探しに探してやっと見つけてきた。
初めての日本語教室にしては、もったいないくらいの場所と建物である。
当然、家賃は高いが一つの挑戦でもあるので思い切って3ケ月間の借用契約をした。

生徒は地元の新聞や友人関係の口コミで募集した。
男性五人と女性四人の九人の生徒が集まった。
この内、男性三人は同じ会社に勤めている。
ベンツで有名なドイツのダイムラー社である。
後の二人はIT技術者と学生である。
女性のうち三名は主婦である。
将来は通訳や翻訳など日本関連の仕事を希望している。
残りの一人は美容師である。
美容師が何故、日本語を勉強するのか興味があり尋ねてみた。
彼女は日本のアニメを通じて日本に関心を持ち日本で美容師をしたいらしい。
動機は様々であるが、総じてインドの女性は手に職を付ける事に熱心である。

多少の心配はあったが、初日の研修は順調に終えた。
教室でほっとしていると事務所の責任者が私を呼んでいる。
心あたりはないが、とにかく事務所に行く事にした。
事務所に行き責任者の顔を見て嫌な予感がした。
細身で神経質そうな顔である。
俗に言うキツネ顔である。
経験的に好ましい顔相ではない。
運悪く私の予感は当たってしまった。
責任者は私の顔を見るなり「オーナが家賃を2倍にする」と伝えた。
僅か三日前に正式契約したばかりである。
しかも、今日は開講初日である。
九人の生徒でも赤字であるのに、この上に家賃が2倍に上がったら、いくらボランティア精神旺盛な私と言えども続けるのはとても無理である。

家賃を上げる理由を聞いても「オーナの意向」の一点張りでラチが空かない。
既に日本語教室は開講しており生徒も集まっている。
せめて開講前に言ってくれれば、対処の方法もあるが今ではどうにもならない。
インドでは借りる方よりも貸す方が圧倒的に強い。
借り手を守る法律などはないだろう。
仮にあっても貸し手はインドの裁判はとてつもなく時間がかかる事を織り込み済みである。

何故、オーナが急に値上げを言いだしたか腑に落ちないでいると、友人が「私に理由がある」と言う。
開講当日に私(日本人)が主宰である事がわかったので急に言いだしたのである。
確かに教室を借りる交渉はすべて友人が行っていた。
良く言えば、オーナは素晴らしいビジネスマインドである。
確かに私は日本人である。
しかし、既に退職し年金暮らしの身である。
オーナはきっと私の事を大金持ちと勘違いしたのだと良いように考えて自らを納得させた。

日本語教室を中止にするのは生徒に申し訳ないので場所を移す事にした。
直ぐに、新しい教室は決まった。
 
日本語教室開設の経緯 OPEN/CLOSE

日本語教室開設の経緯
私は長年、コンピュータ関係の仕事をしてきた。
その関係で海外のコンピュータ技術者と一緒に仕事をしてきた。
その中にインド人のコンピュータ技術者もいた。
当時、私のプロジェクトでは技術ミーティングは日本語で行っていた。
技術ミーティングでは海外の技術者も積極的に発言していた。
しかし、何故かインド人技術者は余り発言しない。
内容が理解出来ないのかと時々確認をしてみると理解はできている。
寧ろ、他国の技術者よりも理解は優れていた。

実は日本語でのコミュニケーションに問題があった。
海外から来る技術者は日本に来る前に一通りの日本語研修を受けているのだが、インドに関してはこの研修が余り役に立っていない。
詳しく調べてみると、驚くことに研修で使っている教材は1991年初版のものである。
15年以上前のものである。
しかも、講師はインド人であり発音や語彙の使い方にも問題があった。
当時、何度かインドにある日本語学校に改善を申し入れた。
その度、色よい良い返事はあるが改善される事はなかった。

それから数年が経ち退職を迎えた。
私が退職した事を知ると、同じプロジェクトにいた海外技術者の何人かが誘ってくれた。
その中の一人がバンガロール在住の友人であった。
彼はインドで会社を興していた。
コンピュータ会社、経営コンサルト会社、日本語学校の3つの会社を持っていた。
しばらくはゆっくりするのも良いかと思い、私はインドに行った。
2008年の暮れのことである。

当時、海外における日本語教育は1972年に外務省所管の特殊法人として設立された国際交流基金(2003年10月1日に独立行政法人)が海外21カ国に22の海外拠点を持って普及を担っていた。
普及と言うとすぐに認定試験や資格という安易な方法をとるのが法人の悪いクセである。
国際交流基金も日本語能力試験(JLPT)を中心に日本語の普及活動を行っていた。
研修カリキュラムも教材もJLPT向けであり、偏ったものが多かった。

JLPTは言語の試験にも関わらず会話に関する試験がない。
出版されている日本語教材もほとんどがJLPT対策である。
語彙や文法などの日本語の知識は身に付くが会話能力はほとんど身に付かない。
言語教育としては良いが、実際の仕事で使う日本語の教材としては不十分であった。
調べれば調べるほど「仕事に役立つ日本語」研修は期待できない事がわかった。

そこで、自分の考えている事を実践するための会社を友人と共同でインドに設立した。

会社名は「GoBunSho」と言う。
GoBunSho is a Bangalore based organization specialized in providing Language services (translation, interpretation), Market Research services and Business Support services to Japanese and Indian companies. We also provide Japanese Language, Culture and Business etiquette training on request. Formed in 2008, GoBunSho has been able to build up a steady base of marquee customers, primarily due to its customer-centric approach, and high quality and cost-effectiveness of our offerings towards our corporate customers. The name 'GoBunSho' is derived from three Japanese characters, Go (語: language), Bun (文: culture), Sho (商: business). Our mission is to act as a bridge to facilitate and promote greater business, language and cultural cooperation between India and Japan.
「GoBunSho」ホームページ

友人はネルー大学の日本語学科の修士号を有する。 ネルー大学は日本語に関しては世界有数の大学である。
友人はバンガロール大学やクライスト大学で客員講師として日本語教育を担当したことがありJETOROの視察では同時通訳をするくらいの日本語能力の持ち主である。
恥ずかしい話だが、漢字に関しては私は彼の足元にも及ばない。
会社を退職して自分の子供と同年齢のインド人と会社を作るとは想像だにしていなかった。
JLPT対策「七福神」 OPEN/CLOSE

JLPT対策「七福神」
会社は設立したが「仕事に役立つ日本語」を教えるにはどうすれば良いのだろうか。
ボランティア日本語講師の経験はあるが私にとっては未知の世界である。
彷徨が始まった。

まず、何を教えるか である。
幸いに、やるべきことはこれまでの経験から簡単に決まった。
仕事に役立つと言う面からは次の3つである。

  ◇JLPT対策
  ◇Can-Do型カリキュラム
  ◇ビジネス日本語

JLPTは、よくある資格試験とほとんど変わらない。 言語の試験にもかかわらず会話などの実技試験がない。
日本語の文字や語彙、文法についてどのぐらい知っているかを問う試験である。
端的に言えば暗記力の勝負である。
これはインド人が最も得意とする分野である。
そこで、用意したのは暗記のためのツールである。
答を下敷きで隠して問題を次から次にやっていく、あの懐かしいツールである。
昔のアナログの世界をパソコンで実現した。(今ならスマホ?)
読解と聴解を除けば、このツールでほとんどの課目を学習する事が出来る。

JLPTの資格はN1からN5まである。
凡その出題範囲も公開されている。
過去問題も公開されている。
出題範囲も出題数も出題傾向も判っている。

過去問題と想定問題を徹底的にやれば良いのである。
そのために開発したシステムが「七福神」である。
「七福神」の開発には、約3年を費やした。
「七福神」には、N1からN5までのすべてのコースの問題が用意されている。
「七福神」には、44,549の問題が用意されている。

「七福神」にはJLPTに準じ、過去問題、文字問題、語彙問題、文法問題、読解問題、聴解問題、模擬問題が用意されている。
学習者は講師の指示に従って問題を解いていく。
講師は学習者ひとりひとりの理解度、進捗度を観ながら次に行う問題を指示する。
このようにIT(e-Learning)を活用すれば個別指導が簡単に行える。

出題形式はJLPTと同じく4択問題である。

採点結果は直ちに正誤で示され下段には得点と合否が出る。
「七福神」の合格ラインはJLPTと同じにしてある。
学習者は実施日とスコアを評価エクセルシートに記入する。
そして、課目修了ごとに評価エクセルシートを講師に提出する。











WBT(Web Basaed Trainning)「文殊」 OPEN/CLOSE

WBT(Web Basaed Trainning)「文殊」
次は「Can-Do型カリキュラム」と「ビジネス日本語」の教材開発である。
Can-Do型カリキュラムは、何を知っているかではなく何が出来るかを重視する実践的なカリキュラムである。
Can-Do型カリキュラムの設計では、東京外国語大学のカリキュラムが参考になった。
さすがに多くの外国人に日本語を教えている大学だと感心した。

ビジネス日本語の教材開発では、参考すべき情報がほとんどなかった。
BJT(Business Japanese proficiency Test)向けの教材はあるが、これもJLPTと同じく試験のための教材であり、仕事の実践力を身に付けるのには不十分である。
ビジネス日本語に関しては、一から手作りする事になった。
退職をして還暦近くになって、このような分野に取り組むとは思ってもみなかった。
ビジネス日本語は言い方を変えれば「仕事に役立つ日本語」である。
私は日本語研修関係の資格はないが仕事の経験なら豊富にある。
持ち前の好奇心が目覚めた。

まず、以前に海外の技術者と仕事をしていた時の事を思い出した。
そして、仕事で必要とするのは日本語やビジネスに関する知識よりも「コミュニケーション能力」であると考えた。
すなわち、言語能力だけではなく相手の文化的背景や価値観を知る事も重要な研修科目であると結論づけた。
私は文化や価値観は歴史と深く関連して形成されると考えている。
この観点からビジネス日本語の教材を開発する事にした。

日本の歴史を考えてみる。
日本は昔から周りを海に囲まれた小さな国である。
そして、鎖国政策で200年もの間、他国とほとんど交流がなかった。
また、植民地化の歴史もない。
この結果、日本は「同質社会」になった。
今日、言われている日本人の国民性はこの同質社会に起因するのではないかと考えた。

同質社会で一番重要な価値観は「調和(Harmony)」である。
「皆から良く思われたい。皆と仲良くしたい。」と言う行動原理である。
この行動原理をテーゼとして、日本人の国民性を説明する事にした。
「和」「本音と建前」「恥の文化」「あいまい性」「謙遜」「沈黙は金」などである。

ここで、私がインドで聞いた面白い話を一つ紹介する。
日本では「沈黙は金」と言われている。
インドでは「沈黙は死」である。
あなたが生まれた時、周りはすべて日本人ですべての人が日本語を話しており、あなたがお腹が空いた仕草をすれば、誰かがそれを察しあなたにミルクを与えるであろう。
一方、インドでは周りの人の肌の色は異なりいろいろな言葉を話しており、あなたがお腹が空いたと泣き叫んでも、誰からもミルクを与えられないかも知れない。
このように国が違えば国民性は異なるのである。
この本質を理解すれば、全ての人々が一緒にうまく仕事をやれるのではないかと考えた。

これらの教材は体系づけて提供する事にした。
そのために開発したシステムが「文殊」である。
「文殊」の開発には、約2年を費やした。
「文殊」には、N2からN5コースの日本語教材、ビジネス日本語教材、会話訓練ツール、BJT対策などが用意されている。
「文殊」には、1,417ページのテキスト、515ページのOHP、69のビデオが用意されている。

会話訓練ツールでは、TPOに合わせてBeginner,Intermediate,Advanceの3通りの表現が学習できるようになっている。

3通りの表現は、ビジネスでしばしば必要とする。
日常語、丁寧語、尊敬語(謙譲語)の使い分けである。
(話す)(話します)(おっしゃる、お話くださる)(申す、申し上げる) また、ビジネスの世界では独特の慣習的な使われ方もする。
例えば、「おーい、コピーをとってくれ」などである。
いろいろな会話表現を知らないと…. 「すいません。コピーは重いので運べません。」となってしまうのである。

日本語研修の動向(2014年追記) OPEN/CLOSE

日本語研修の動向(2014年追記)
私は2007年から約5年をかけて日本語関連の教材開発に取り組んで来た。 この間に日本語教育に大きな変化があった。
それは、2010年3月に国際交流基金が『JF日本語教育スタンダード2010』と 『同ガイドブック』を発表した事である。

JFスタンダードは、ヨーロッパの言語教育の基盤であるCEFRの考え方を基礎にして作りました。
CEFRとは、Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessmentの略で、 ヨーロッパの言語教育・学習の場で共有される枠組みです。
CEFRは、2001年に発表されて以来、ヨーロッパのみならず世界で広く着目され、 各言語で実際に利用されるようになりました。
JFスタンダードも、CEFRの考え方にもとづいて開発しました。
JFスタンダードを用いることにより、 日本語の熟達度をCEFRに準じて知ることができます。
上図は 「JFスタンダードの木」と呼ばれ言語能力と言語活動の関係を整理したものです。
言語によるコミュニケーションのためには、基礎となる言語能力が必要です。
この言語能力を使って、さまざまな言語活動を行うことができます。
学習者の習熟度は「Can-do」で示します。
「Can-do」とは、日本語の習熟度を「~できる」という形式で示した文です。
※JF日本語教育スタンダードの概要(出典:国際交流基金WEBサイト)
また、国際交流基金は「日本語事業中期重点方針(平成 24年度~28年度)」 で次の四つの方針を策定している。
 (1)「JF日本語教育スタンダード」の活用推進、定着
 (2)「JF日本語教育スタンダード」の考え方にもとづく日本語普及事業の展開
 (3) 日本語能力試験の安定的拡大
 (4) Eラーニング事業の整備、推進

国際交流基金もやっと世の中の流れに気づいて、次の事に取り組み出した。
 ◇ 国際標準への準拠
 ◇「Can-do」での習熟度評価
 ◇ コンピュータを活用した事業
私には10年遅い気がするが......

私は日本語教育の専門家でもなく日本語講師の資格もない。
皮肉な事にこの国際交流基金の取り組みは、5年前に一生懸命に考えた私の日本語研修への取り組みが間違っていない事を示している。
しかし、今の私には「文殊」と「七福神」をJF日本語教育スタンダード準拠に改造する気はない。

来年の2月には6回目のインド訪問を予定している。
「文殊」と「七福神」はバンガロール日本語教師会の仲間に引き継ぐつもりである。


第五巻 インドで躍動する好奇心 目次 OPEN/CLOSE 

「家外制手工業」が盛んなバンガロール
私の住むHSR layout地区は建設ラッシュである。
通常ならここは住宅地なので建築ラッシュと書くところだが、なにせ建物が大きい。
敷地は優に400坪はあり、そこに3階から4階建ての建物である。
この規模では建築の粋を超えて建設の域に入る。
また、その建て方が凄まじい。
ほとんどが手仕事である。
「家内制手工業」というのは社会の時間に習って知っていたが「家外制手工業」 というのがあることはインドに来るまでは知らなかった。

それでは「家外制手工業」について説明する。
まず、基礎と地下車庫を作るために巨大な穴を掘る。
これは鍬を小さくしたような簡単な道具で、大勢の作業者がまるで金脈があるかのように一心不乱に掘る。
掘り出した土は、頭の上の笊を乗せて運ぶ。
セメントは、タンクローリ車にあるような機械を使って自前で作る。
機械類は、セメントを作る段階で初めて登場する。

巨大な地下穴と大住宅である。
使用するセメントの量は半端な量ではない。
そのため工事が始まると、現場の近くにセメントの材料である砂が山となって置かれている。
風のある日にはこの砂が風に乗って容赦なく部屋に飛び込んでくる。
たとえ窓を開けていなくても、一日で床や机上は砂埃で覆われてしまう。
一番の被害者はパソコンなどのコンピュータ機器である。
使用する時はしょうがないが、使っていないときは全体を布で覆ってクローゼットの中に入れてある。
それでも砂埃がつく。
F社も高齢者向けのパソコンや携帯電話を開発しているが、砂漠仕様のパソコンも開発すればインドで売れるかも知れない。

家の基礎が完成すると、次は床と壁を立ち上げる。
外見からは分からないが壁はコンクリートではなく、レンガかブロックを積み重ねただけである。
四方の柱には申し訳なさそうに鉄筋が入っているが、壁には鉄筋は入っていない。
全力で壁に体当たりすれば、そのまま壁と一緒に落下するように設計してあるとしか思えない。
もっとも、インドと言えども意味もなく体当たりなどする人はいないだろうし、地震もない国なのでこのやりかたで十分なのであろう。
建築基準法のような法律はあるだろうが、こんな法律は賄賂の前には何の役にも立たない。
一方、労働安全基準法のような法律もあるだろうが、こんな法律は何の役にも立たないことは作業者の服装を見れば一目瞭然である。
まず、履いているのはサンダルである。
安全靴はおろか運動靴の類さえ履いていない。
道路を歩くのと同じサンダルである。
サンダルがない作業者は裸足である。
当然、頭にヘルメットなど被っていないし安全ベルト等も締めない。
このやりかたは、10階建ての建物でも変わらない。
服は普段着である。
女性はサリーである。
サリーは正装と思っている人が多いが、インドの女性は労働着として着ている。

こんな危険な仕事であるが、彼らの一日の稼ぎは僅か100ルピー(約150円)である。

               
ナンディヒルズは断崖絶壁の岩山 OPEN/CLOSE

ナンディヒルズは断崖絶壁の岩山
ナンディヒルズは、文字通り標高600メートルの小高い丘である。
バンガロールの北60kmに位置する。
当時のマハラジャTIPU SULTANが避暑地として利用していた所でもあり、現在でもバンガロール市民に人気が高く、週末ともなれば多くの市民が憩う場所である。
インドに来て、かれこれ3ケ月を過ぎようとしているが、未だバンガロールから外に出た事がない。
ローカルの友人に会うたびに、OUTSIDE(郊外)は何処に行ったか聞かれて少し閉口していた。
ナンディヒルズ迄は僅か2時間のドライブではあるが、OUTSIDEである事には間違いない。
これからは、友人に聞かれたときは「ナンディヒルズに行った」と堂々と言うことにする。

ナンディヒルズからの眺めは、丘とは思えないくらいの壮大さがある。
よくインドは悠久の大地と称されるが、ナンディヒルズでもこの事は十分に実感できる。
東西南北の位置関係はよく分からないが、360度のパノラマが展開している。
頂上には、お決まりのヒンズー教の寺院もある。
丁度、寺院の中では映画の撮影をしていた。
有名な女優が来ているらしく、若いインド人たちが周りを囲んでいた。
近くまで行って見学する事はあきらめたが、大きな音楽が流れてきて撮影が開始された事が分かった。
大きな大量の撮影機材を持ち込んで撮影をしている所に出くわすと、この国の人はつくづく映画が好きなのだと言う事がわかる。

写真は合成ではない。
ナンディヒルズはいわゆる岩山であり、その下は正真正銘の600メートルの断崖絶壁である。
その崖っぷちには鎖は勿論、注意を喚起する看板すらない。
よく言えば、ここでは誰でもが自分の責任で自由に自然を謳歌できるようになっている。
勿論、私たちでも(足が動けば)もっと岩の先まで行くも可能である。
子供も周りを走り回っている。
それを親たちは平然と見ている。
鎖がない所を見ると、まだ転落した人間がいないのだろうか。

多分、転落しても誰も発見されていないのであろう。
記事CLOSE
インドの竹は真っ直ぐではありません OPEN/CLOSE

インドの竹は真っ直ぐではありません
家の近くに、なぜか竹やぶがある。
いつも気になって近くに行った時には何度も確認しているが、確かに竹やぶである。
しかし、竹は真っ直ぐに伸びていない。
いずれの竹も、勝手気ままな方向に伸びている。
上の方の竹は空に向かって伸びているが、もう少し下の方にある竹はすべて曲がっている。
実にいろいろな方向に伸びている。
まるで日本人とインド人を象徴しているようなので、いつも興味を持って見ている。
日本では、竹はみんな同じ方向に真っ直ぐに伸びている。
高さもほぼ同じである。
それに比べて、インドの竹は自由に好き勝手に伸び自己主張している。
高さもまったく異なる。

今、研修の一環で異文化コミュニケーションというテーマに取り組んでいる。
私は「単一と多様」と言う言葉で、日本とインドの文化の違いを理解すると良いのではと考えている。
例えば、生まれた時を考えてみる。
私たち日本人が生まれた時には、周りの人はみんな同一の日本民族で同一の日本語を話す。
自己主張をすることなくおとなしくしていても、それなりにミルクを与えられ、幸せな日々を過ごせる。
一方、インドはどうであろうか。
生まれた時には周りには多くの民族がおり、実に多様な言語を話す。
もし日本のように自己主張をすることなく、おとなしくしていればミルクはおろか何も与えられずに下手をすれば命すら落としかねない。
長い間、単一の文化の中で暮らしてきた人々と、多様な文化の中で暮らしてきた人々の習慣や価値観が同じにならないのは当然の帰結であろう。
異文化コミュニケーションのネタとして、竹の違いを使えないか考えている。

ついでに私が聞いた話を紹介する。
 ◇ その1
 日本では「沈黙は金」と言う。
 インドでは「沈黙は死」である。
 ◇ その2
 日本の入社試験では「自分の意見ばかり言う人」は不採用になることが多い。
 インドの入社試験では「自分の意見を言わない人」は必ず不採用になる。
 ◇ その3
 インド人には「竹のような真っ直ぐな心」などは理解できない。

記事CLOSE
巨大なバスステーション  OPEN/CLOSE

巨大なバスステーション
オートリクシャを捕まえて町中まで走る。
行き先はKSTDCである。
KSTDCは、KARNAKATA STATE TOURISM DEVELOPMENT CORPORATION INFORMATION CENTERと言う恐ろしく長い名前である。
インドではこのように長い名前が多く、その上、やたらに名称を略す。
略し方にも規則などなく人々が自分流に勝手に略しているので、ほとんど意味が分からない。
最初はどうやって意思疎通をやっているのか、不思議に思っていたが注意深く聞いていると、どうやら道路の名前で場所の見当をつけているらしい事が分かって来た。
そこで、今日は場所の番地だけではなく、予め地図でKSTDCまでの道路順をチェックしてドライバーに告げた。
すると、一発で目的地のKSTDCに行けた。
また一つ知恵がついたような気がする。
この年になって、自分が賢くなっていくのを実感するのは気分の良いものだ。
 
KSTDCは大きなバスステーションの傍にあった。
いや、このバスステーションを大きいというのは間違いである。
正確に言い直す。
巨大である。
正式にはKempegowda Bus Terminalと言う。
歩道橋の上からバスを見渡しても、ざっと40から50台くらいは見える。
多少、インドに染まりかけているがそんなに大げさではない。
バンガロールの市内バスや長距離バスは、ほとんどここから出発している。
私はMYSOREとOOTYに行くバスをチェックした。

OOTY行きは7番乗り場である。
MYSORE行きはいろいろな所から出ているらしく、切符売りのお兄さんが盛んに「MYSORE、MYSORE」と言いながら集客していた。
OOTYまでは8時間、370ルピーの旅になる。
知識と楽しみがまた一つ増えた。

この年になって自分が賢くなっていくのを実感するのは気分の良いものだ。

記事CLOSE
やはり昔の技術者はものが違う  OPEN/CLOSE

やはり昔の技術者はものが違う
昨日の夕方、懐かしい技術者にあった。
彼は私たちがバンガロールに滞在していると聞いて、わざわざ子供を連れて会いに来てくれた。
彼と会うのは実に15年振りである。
彼は私が働いていた会社の初めてのインド人技術者であった。
当時は日本に来るインド人技術者は珍しかった。
彼と他にもう1人の技術者2人で日本に来た。
残念ながら私には当時の記憶は余りない。
顔は良く覚えていないが、何故か2人の名前はハッキリと記憶している。
多分、当時は初めてのインド人技術者と言う珍しさもあって、いろいろと交流はあったのだろう。
しかし、彼は当時の事を鮮明に記憶していた。
そればかりか、当時、一緒に写した写真を今でも大切に持っているという。
2度と会えないかも知れない人との記憶や写真を大切に持っているインド人がいた事に感激するのは可笑しいだろうか。
現在、彼は日本の某大手メーカが設立した同名のインドの会社の技術責任者をしている。
彼の所では、プリンターの組込みソフトウェアを開発しているとの事である。
日本には良く行くらしく、今年も4月に行って今月末からまた行く予定らしい。
彼の会社の研究開発拠点は亀山と天理などにあり、今回は天理市に6ケ月間、滞在するらしい。

私はバンガロールに来て何人かのインド人技術者と話をする機会があったが、彼と話をしていると全く他の技術者とは受ける印象が異なっていた。
彼は日本語をほとんど話さない。
私の下手な英語で話を聞いていても、その違いは一目瞭然である。
自信に満ち満ちているのが自然に伝わってくるのである。
背筋をピーンと張り、落ち着いた態度でかみ締めるように話す。
話の内容も経験にもとづき説得力がある。
確か年は私より20近くは下のハズであるが、何かこちらが悟るような感じである。
これぞまさしくインドのIT技術者である。
インド人IT技術者は世界的にその優秀さが有名であるが、それは彼などが築き上げたものであり、申し分ないが現在の学問的なバックボーンだけで打算的で自己顕示欲が強いインド人IT技術者に与えられた評価ではない。

省みてこれと同じ事が今の日本にも言えないか。
ちなみに、彼と一緒に日本に来たもう一人の技術者はアメリカの大手企業のCISCO社の副社長をしているそうである。
来週の土曜日には彼の家に招待された。
とても、楽しみにしている。

日本とインドとの技術力がドンドン縮まっているのを実感する。
記事CLOSE
二つのインド人観 OPEN/CLOSE

二つのインド人観
 
インド人に関するお話を二つ。
最初は相方から聞いた話。
昨日、相方はジーニアさんに会いに彼女が働いているサービスアパートメントに行った。
そこに、たまたま宿泊していた某自動車会社の人から聞いたインド人観である。
その人は今年の6月から7月までバンガロールに滞在していたが、一旦、日本に戻り長期駐在のために再度、訪印した。
彼は某自動車会社でインド人相手に技術指導をしている50歳代のベテランである。
彼は相方に次のようなインド人観を一気に話した。
◇ インド人は100%できなくてもノープログレムを連発する。
◇ インド人は自分の方の非には無関心だが他人の非には目を向いて非難する。
◇ インド人は日本人を信頼していない。
◇ インド人に何かを注意するときは他のインド人を通じてしたほうが良い。

ある時、ロッカーに入れておいた彼の作業帽がなくなっていた。
作業帽には自分の名前を書いておいたので、それとなく捜した。
そして、彼の名前の入った作業帽を被っているインド人を見つけた。
その作業帽は自分のものであり、ロッカーに入れておいたものである。
「何故、無断で持ち出したのか」を尋ねた。
そのインド人は悪びれずに「自分の作業帽がなくなった」からだと答えた。
勿論、謝罪の言葉はない。
ざっと、こんな話である。
良く聞くインド人の代表的な話である。
彼は僅か2ケ月のインド滞在で、しかも、毎日、会社の車で送り迎えをされ、休日には日本人同士でゴルフをしている。
彼が知っているインド人と言えば、同じ会社で働くインド人社員だけではないだろうか。
彼の話が実話か否かは知る由もないが、たまたま、体験した事をインド人全体としてひっくるめて、初対面の相方に朗々と論じるのはいささか無理があるような気がする。
よく「木を見て森を見ず」と言う。
次は、インド人から見た彼を論じてもらいたい。
きっと良くある日本人論になるだろう。

次は愛読誌で見つけたインド人観である。
論じているのは、8年間インドに滞在しているあるイギリス人。
彼はインドでのサバイバル・ガイドと称して次の6つの点を説いている。
◇ 心を広く持ち新しい事を積極的に受け入れなさい。
◇ 困ったときに助けになるのでローカル・フレンドをできるだけ多く作りなさい。
◇ あなたが親切にすればインド人も親切に接してくれるでしょう。
◇ コミュケーションのためにローカル言語を勉強しなさい
◇ 文化伝統が違うように観点も異なるが時にはインド人の観点も参考にしなさい。
◇ 外国人は興味の目で見られるがこれに慣れなさい。

先の御仁と比べてどうであろうか。
実に公平に冷静にそして示唆に富んだ言葉だと思う。
同時に彼の見識の高さと懐の深さも印象に残った。

私のインド人観は、どちらに近いのだろうか
記事CLOSE
セキュリティは本当に安全か OPEN/CLOSE

セキュリティは本当に安全か
インドには実に様々な仕事がある。
この背景には富の分配と言う慣習がある。
富の分配は多くは寺院への寄進という形で行われるが、時として仕事の分業という形でも行われている。
その分業の一つにセキュリティという仕事がある。
日本でも警備員と言う仕事があるが、名前は同じでもやっている内容は少し異なる。
大きな家の前には必ず椅子が置いてあり、そこには必ず制服を着たセキュリティが座っている。
インドのセキュリティは、じっと椅子に座っているのが仕事である。
来訪者の取次ぎは、セキュリティの仕事ではない。
使用人の仕事である。
セキュリティの多くは地方から来た人が多い。
そのため地元の言葉も英語も話せない。
したがって、訪問者との会話が全くできないのである。
この面から言えば、表現は悪いが番犬と同じである。
外からの脅威はセキュリティが守ってくれるが、内からの脅威はセキュリティには守れない。
何故なら、セキュリティ自体が脅威に成り得るからだ。
したがって、家の鍵は絶対にセキュリティに渡してはいけない。
地元新聞では、セキュリティが彼の友人を誘導する危険性も論じられているくらいである。
私たちの住む家でも2人のセキュリティが12時間交代で24時間、門の前の椅子に座っている。
仕事と言え、何故、何もしないで一日中じっと椅子に座っていられるのかが不思議で堪らない。
時々、私の好奇心が頭をもたげるが、何故か理由は聞けない。
言葉の問題だけではなく、多分、聞いてもその答えを私が理解できるとは思えない。
もう一つ、セキュリティで不思議なのは新聞配達の人や牛乳配達の人と時々、会話をしている。
セキュリティはバンガロールから遠く離れたオリッサ州から来ている。
彼の言語はヒンディである。
地元の配達人の言語はカンナダで、日本語と中国語くらいに異なるハズである。
それがどうして会話ができるのか不思議である。
インドは身近にも不思議な事が沢山ある。
不思議は解明しないから不思議なのである。

セキュリティに纏わる2つの不思議は当分は不思議のままとっておく事にする。
記事CLOSE
日本語で「XX荘」は正しいか OPEN/CLOSE

日本語で「XX荘」は正しいか
私たちの住むHSR layout地区は住宅地である。
バンガロールの市内からは、多分、南東に35kmほど離なれた所にあると思う。
思うと書いたのは、正確な距離がわからないからである。
手元にはインドで買ったバンガロール市内地図があるが、距離が書いていない。
もし、書いてあっても縮尺が違うかもしれないので余り信用できない。
先日もこの地図を頼りに、とある場所に行こうとしたが全く役に立たなかった。
買うときには表紙にNew BANGALORE TOURIST GUIDE & MAPと書いてあるのを確認したが、私たちが住む肝心のHSR layout地区が載っていない。
HSR layout地区は、10年前からカルナカタ州政府によって開発が進んでいる大規模な住宅地である。
ほとんどのオートリクシャのドライバーは知っている。
INDIAN MAP SERVICE社の社員が知らないわけがない。
不思議である。
INDIAN MAP SERVICE社とカルナカタ州政府の関係が悪いのが理由としか考えようがない。
陽の昇り具合でHSR layout地区が南東の位置であることは間違いない。
35kmと言う距離は、市内からのオートリクシャの所要時間から算出した。
オートリクシャの所要時間も時と場合で大きく異なるが、インド式計算で算出したといえば日本人なら納得して頂けるであろう。
HSR layout地区の建物はほとんどが個人の家であるが、中には大きなFLATも見受けられる。
FLATは日本で言うところの集合住宅である。
集合住宅の名称としては、世界中でいろいろな呼名が用いられているが意味を取り違えると笑い話になる。
インドではマンションやレジデンスのイメージは、日本のそれとは異なっている。
マンションに住んでいると言えば、それは大邸宅を意味しマハラジャか政府の高官と間違えられる。
また、アパートメントは、時にはマンションやレジデンスより高級なイメージとして捉えられる場合がある。
インドのアパートメントの一例を示そう。
これは友人が所有するアスカ・サービス・アパートメントである。

アスカ・サービス・アパートメントの敷地は日本流に言うと1000坪近くあり、建物は総4階建てで約200坪である。
玄関を入って直ぐには、約50坪のエントランスが待ち構えている
部屋数は10部屋と意外に少ないが、各部屋には最新のジャグジーバスが備わっている。
庭にはお決まりの広い芝生の庭園と大きなプールがある。
   
これを「XX荘」と日本語に訳して、果たして正しくイメージが伝わるであろうか。
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長男の誕生日に思うこと OPEN/CLOSE

長男の誕生日に思うこと
今日は長男の誕生日である。
早いもので、今年でとうとうゾロ目になった。
残念なことに22歳ではない。
長男は東京都世田谷区三軒茶屋で生まれた。
初めての子供なので名前をいろいろと考えた。
両方の両親や兄弟、親戚からもいろいろなアドバイスを受けた。
迷いに迷って決めたのが進太郎という名前である。
画数や意味は全く考慮していない。
至ってシンプルな考え方で決めた。
私の名前が進で長男だから進太郎である。
当時の著名人として石原慎太郎がいたので、慎太郎とも考えたがSimple is Bestでいく事にした。

長男の思い出と言えば、高校時代の進学相談で担任の先生から高校生三年生にもなればもう夢はあきらめて現実的な選択をするのに、長男は未だ宇宙飛行士になりたいと言っていると言われて恥ずかしい思いをした。
現在は某自動車メーカの基礎研究所第五研究室に勤務している。
この第五研究室は2足歩行ロボットの研究開発で有名な研究室である。
すこし前に、このロボットがサッカーをするテレビCMが流された時があったが、実はスタジオの隅で長男がロボットを操縦していたそうだ。
テレビCMではサッカーは、イタリアでしていたように見えるが実際は日本の某スタジオである。
私は良く知らないがロボットというのは極小コンピュータの集まりらしく、そのせいか長男はコンピュータやプログラミングに関しては親の私が感心する程、詳しい。
今回の訪印でも2台のF社製パソコンを持参しているが、このパソコンのトラブル相談はF社ではなく長男にしている。
残念ながらF社のサポートセンターの専門家も長男には適わない。

ロボットの研究開発は、アメリカのスタンフォード大学が進んでいるらしい。
先日も2週間ほど出張に行ってきたらしい。
私へのメールにその時の写真が何枚か添付されていた。
その中の一枚に私の目が止まった。
はっきりとは写っていないが、どうも機内食が映っているようだ。
よーく見て驚いた。
どうみても私がインドに来るときに2回も食べた機内食とは明らかに違う。
料理だけではなく器も違う。
僅かに写っている椅子の肘掛部分も違う。

これはビジネスクラスだ。
多分、多少は意図して送って来たに違いない。
私は仕事では新幹線も飛行機もビジネスクラスには乗った事がない。

ビジネスクラスの写真を見ながら、何か悔しい反面うれしくも感じた。
記事CLOSE
神様の部屋  OPEN/CLOSE

神様の部屋
ついに待望の神様の部屋ができた。
本当は大理石の立派な部屋を作りたかったが、たまたまルピーの持合わせがなかったので、神様には少し狭いが我慢してもらう事にした。
神様の名前は、正式名称をデーヴァナーガリー・クリシュナ(通称はクリシュナ)と言う。
クリシュナは、インド神話に登場する英雄でヒンドゥー教におけるヴィシュヌ神の第八の化身(アヴァターラ)である。
インドではヴィシュヌに匹敵するほどの人気があり、ガウディヤ・ヴィシュヌ派では最高神に位置づけられ、他の全ての化身の起源とみなされている。
クリシュナには別名が数多くあり、広く知られている呼称としては
 ◇ ゴーパラ(GOPALA、牛飼い)
 ◇ ゴーヴィンダ(GOVINDA、牛と喜びの保護者)
 ◇ ハリ(HARI、奪う者)
 ◇ ジャガンナータ(JAGANNATHA、宇宙の支配者)
 ◇ マーダヴァ(MADHAVA、春を運ぶ者)
 ◇ ダーモーダラ(DAMODRA、腹に紐をかけた者)
 ◇ ウーペンドラ(UPENDRA、インドラ神の弟)
などがある。

ヴィシュヌから生まれたブラフマーが世界を創造し、ヴィシュヌが世界を維持しシヴァが破壊する。
永遠の海のなかでヴィシュヌは眠り、また無から世界が創られていく。
創造のためには破壊が必要であるというのは、一見矛盾するようだがその繰り返しが世界のリズムであるという考えがヒンドゥー教にはある。
西洋的な直線的な時間ではなく、永遠回帰の時間の捉え方である。

もしかしたら、私たちの人生はヴィシュヌの見ている夢のヒトコマなのかもしれない。
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素敵なインドのご婦人 OPEN/CLOSE

素敵なインドのご婦人
近所を散歩していると、見知らぬ家の前で「日本人の方ですか」と声をかけられた。 そして、家に招き入れられた。 日本でも初対面の人を家に招く事など余りないが、インドでは絶対に初対面の人は家に入れないと聞いていたので最初は耳を疑った。 声をかけてくれたのは、JAYAさんという50歳くらいの品の良いご婦人であった。
JAYAさんは最初に庭を案内してくれた。
JAYAさんと一緒に興味深く庭を見て回った。
実は以前から散歩の途中でこの家の前を通るたびに、いつも素敵な家と庭に感心していた。
芝生で覆われた庭には、睡蓮の池があり淵には亀の置物が置いてあった。
インドで亀の置物をみようとは思わなかったのでしばらく眺めていた。
この庭はすべてJAYAさんの手づくりだそうだ。
この近くには立派な庭の家が多くあるが、手づくりの庭は珍しい。
普通インドでは家の持ち主は、買物、料理、洗濯、掃除、庭の手入れはやらない。
自分の時間を使うよりも人に頼んだ方が安くつくからだ。
私が住む友人の家では1メートに満たない小さな芝生でさえも庭師が来て手入れしている。

私たちが庭を案内されていると、家の中からご主人が微笑みながら出てきた。
恰幅の良い見るからの温和そうなご主人である。
しばらくすると、ご主人が家に入るように進めてくれた。
家の中はインドのお金持ちの家を実感するのに十分過ぎる程の素晴らしさであった。
まず、置いてある物が違うのである。
次に、広さが違うのである。
1階には、応接室、台所、ホール、主寝室、神様の部屋、家事部屋がある。
応接室は何畳あるかわからないほど広い。
神様の部屋は総大理石である。
しかも、一つ一つの大理石が大きい。
2階へはベルサイユの薔薇に出てくるような螺旋階段がある。
子供は米国に留学中なのでご夫妻だけでここに住んでいる。
家は3階建てである。
一体、2階と3階には何があるのだろう。
当然、使用人は何人か居るだろうが贅沢というより、只、唖然としてしまう。
噂には聞いていたが、インドのお金持ちはスケールが違うと言うことを日本の貧乏人は実感した。
「日本に来たら私たちの家にも遊びに来てください」と言う気にはならない程、圧倒的に凄い屋敷だった。
ちなみにJAYAさんのご主人は54歳でMODEL EDUCATION SOCITYという学校法人の理事長である。
NURSERY SCHOOLからPre-UNIVERSITY COLLEGEまで5校を経営している。

今日はまた素敵な宝物を一つ手に入れた
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お気に入りの散歩道 OPEN/CLOSE

お気に入りの散歩道
良く行くお気に入りの散歩道がある。
その散歩道は家から歩いて5分くらいの所にある。
そこは何の変哲もない普通の道である。
日本では良くある散歩道である。
少し違うと言えば両側に緑が沢山ありとても静かな事である。
バンガロールは「公園都市」と言われているように多くの公園や緑地がある。
しかし、緑が沢山ある事はさほど珍しくはない。
私が気に入っているのはその静けさである。
とにかくインドはうるさい。

 ◇ あるとあらゆる車はクラクションをやたらに鳴らし続ける
 ◇ 日本では必ず口論になると思うくらいにクラクションを鳴らす
 ◇ 追い抜いていく車だけではなく前から来る車もクラクションを鳴らす
 ◇ これに野良犬や野犬の吠える声
 ◇ やたらに甲高い物売りの声
 ◇ 喧嘩しているとしか思えない現地語の声
 ◇ ムスリムの祈りの音楽

など身の回りにはあるとあらゆる喧騒と騒音がある。

ところが此処はどうだろう。
さして早い時間ではないが、人もあまり歩いていない。
何人かの人がのんびりと散策を楽しんでいるだけである。
きっと、日本なら何の気もなしに通り過ぎてしまう普通の道だろう。
ところが、何の変哲もないがタダ静かであると言う事だけで気に入ってしまう。
私の感性が徐々に生まれたときに戻っているような感覚に陥る。

インドは実に不可解な所である。
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お気に入りの庭 OPEN/CLOSE

お気に入りの庭
お気に入りの散歩道の傍にカラフルな庭がある。
とにかく、いろいろな花が植わっている。
特にブーゲンビリアを始めとした、南洋の花の鮮やかな色には目を見張る。
この家の庭以外にもお金をかけていそうな庭もあるが、なぜかこの庭が気に入っている。
庭全体のバランスがいいのである。
それとなんとなく落ち着いていてシックな感じもうける。
カラフルな花だけではなく、蔦などの深い緑もベランダから下がっている。
決して広くはないが一つ一つの植物が主張することなく、されど埋没するととなく全体でハーモニーを創りだしている。
きっと、この庭の主もこの庭と同じように落ち着いていて穏やかな人なのだろう。

いつか、お目にかかれる日を楽しみにしている。
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お気に入りの家  OPEN/CLOSE

お気に入りの家
HSR-layout地区には、素敵な家が沢山あるが中でも群を抜いているお気に入りの家がある。
最初に見たときには、とても個人の家とは思えなかった。
それくらい周囲の家を圧倒していた。
侘び寂びの世界もいいが、これくらい威風がある家もかえっていい。
変に回りに媚びていない所もいい。
バルコニーの形もいい。
色が白なのもいい。
植木もこれでもかと言うくらい大きいのもいい。
私には絶対に手が届かないと思わせるくらい高級なのもいい。
家の中を見たいとは思うが住んでみたいとは思わない。
何しろインドは砂埃がすごい。
外からでは分からないが、きっとべら棒な数の部屋があるのだろう。
毎日の掃除が大変である。
僅か4LDKHの住まいの掃除でヘキヘキしている。
こんな大邸宅に住んだら掃除だけで私の人生は終わってしまう。

この事を相方に話したら笑われた。
この家の主は自分では掃除などやっている訳はない。
きっと大勢の使用人がいるハズである。
何人もの掃除専用の使用人がいる。

やはり私の感性ではこのような大邸宅には一生かけても住めないことを痛感した次第である。
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お気に入りのレストラン OPEN/CLOSE

お気に入りのレストラン
おいしいレストランを見つけた。 名前はARANYAと言う。
いつも行くCOMPLEXにある。
看板にはFamily Restaurantと書いてあるが、お店の造りはなかなかのものである。
いままでは地元の気楽なレストランで地元の人たちに混ざって食べていた。
この地元のレストランの味もいけたが、ARANYAにはとうてい敵わない。
ARANYAは、見るからに高そうなお店で以前からその存在には気が付いていた。
しかし、なんとなく敷居が高く入れそびれていた。
昼間はともかく、夜はますます敷居が高い。

ARANYAに行ったのは私たちのためだけではない。
日本から子供たちや知人が来た時に、一緒に行くレストランを見つけておくためである。
日本からのお客がインドに来て、私たちのようにいきなり気楽なレストランで地元の人たちに混ざって食べるわけには行かないだろうと考えた。
「気楽」とは書いているが若干、本来の日本語の「気楽」の意味とは異なる。
要するにローカルが利用するお店である。
当然のようにお店の周りにはゴミの山があり、テーブルは汚れ放題である。
水は極めて危険で砂漠からやっと生還した人でさえ、敬遠するような代物である。
私たちはマレーシアに長期滞在した時に、毎晩のようにローカルが利用する中国街のお店で良く食べていたので、料理がおいしければその他の事には無頓着で居られる。
しかし、潔癖で清潔なお国からいらした御仁達にはちょっと厳しいかもしれない。
ARANYAなら間違いなくお墨付きを与えてもらえる。

ARANYAの店内はインドらしからぬ程、掃除が行き届いている。
ざっと店内にテーブルが10席、外に6席ある。
インテリアや照明のセンスもインドらしからぬセンスである。
しかし、ここには私たちの好きなDOSAやタンドリィチキンなどはない。
多分ARANYAではこれらは正当な料理の部類には入らないのだろう。
気を落ち着けてメニュを注意深く見る。
 
食前のワインから前菜へとのお決まりのフルコースである。
値段も80ルピーから150ルピーである。
これは単品の値段である。
同じCOMPLEXのローカルのお店なら2人分のセットメニューの値段である。
同じ場所でどうしてこんなに値段が違うお店があるのだろうか。
ARANYAでフルコースを二人分頼んだら、一体、いくらになってしまうのだろう。
私たちの一週間分の食費など軽くすっ飛んでしまうかもしれない。
もうテーブルに出された水は飲んでしまったので、さすがの私もお店を出るわけにもいかないし、ウエータは私たちが注文するまで傍から立ち去ろうとはしない。
カレーとNANNのオーダでは日本人のイメージダウンにならないか。
そうかと言って知らない料理では激辛だと問題だし食べ方にも不安がある。

ここで一つの考えが閃いた。
確か看板にはFamily Restaurantと書いてあった。
Family Restaurantなら中国料理があるはずである。
中国料理ならフルコースを注文しなくても済む。

懸命にChineseのスペルを捜す。
あった!!
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インドの古典音楽  OPEN/CLOSE

インドの古典音楽
インドに来て初めて古典音楽を聴いた。
踊りも音楽も本物はやはり感動モノである。
唄い手はPOORNIMA KULKARNIという50代の女性である。
CDやカセットを出しているので、多分、地元では有名なのだろう。
彼女は唄いながらシタールを巧みに弾く。
正式にはHindustani Classicalという部類の音楽である。
単調な調べが延々と続く。
約2時間のコンサートで演奏されたのが僅か4曲である。
単純計算で1曲の平均が30分である。
余りのも長いので即興演奏かと思ったが、リクエストで弾いた曲もあるので何れも正式な曲なのだろう。
何か物寂しげな音階で単調な音楽ではあるがなぜか心に響く。
まるで母親のお腹にいるかのような.. 遠い昔に聞いた事があるような.. もしかしたら琵琶法師が弾いた「耳なし芳一」の原典かもしれない。
POORNIMA KULKARNIは何かの物語を語っていたのかも知れない。
それなら演奏時間が30分なのも納得できる。
周りの人に確認しようかと思ったが、皆、熱心に演奏に聞き入っている。
多分、Hindustani Classicalが心から好きな人たちが来ているのだろう。

インドでは演奏の合間に必ずセレモニーがある。
私たちはセレモニーの合間に「日本からのお客さん」と紹介されてCDをプレゼントされた。
日本でも演奏の舞台上など滅多に上がった事がない。
それがインドで舞台に上げられようとは思っても見なかった。
関係者の粋な計らいで貴重な体験ができたことに感謝している。
ちなみにCDは75ルピーで入場料は25ルピーであった。

本物のインド音楽を本場のインドで聴く
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インドの古典舞踊  OPEN/CLOSE

インドの古典舞踊
インドに来て初めて古典舞踊を見た。
踊り手はSAWANTHと言う僅か16歳の若者である。
今日が彼のお披露目の初舞台である。
彼はまだプロではない。
したがって、今日の観客はすべて招待客である。
なぜ、私たちが地元の招待客(名士)しか入れない古典舞踊を見る事ができたのかを説明しよう。

私たちのローカルな友人の1人にプリーマさんがいる。
プリーマさんはMAHARANI’SCIENCE COLLEGE FOR WOMENと言う名門大学のBiotechnology のHODである。
日本流に言えば王立女子科学大学のバイオテクノロジ学部の学部長である。
私たちが日課の散歩をしている時にプリーマさんの家の前でご主人と知り合った。
これが縁で何度かプリーマさんの家に招待された。
その際に私たちがインドの古典舞踊を見たい事は伝えていた。

ある日の夕方、突然プリーマさんから電話があり、これから古典舞踊を見に行くので一緒に行かないかとの誘いがあった。
あまりにも急な話なので、間に合うか心配で開始時間か尋ねた。
プリーマさんは平然として、開始時間は午後6時と言う。
既に、時計の針は午後6時30分を過ぎている。
これから準備して会場に行くには、少なくとも1時間30分はかかる。
私が躊躇していると、プリーマさんは自分の家に来るように告げて一方的に電話を切った。
急いで準備をしてプリーマさんの家に行くとご主人は散歩の最中で、帰ってきたのは午後7時少し前であった。
ご主人がシャワーを浴びるのを待って出かけたので、会場には午後8時頃に着いた。
午後6時開演の舞台に午後8時の到着である。
2時間の遅刻である。
ご主人は散歩で遅刻しているのに、日課のシャワーも浴びる始末である。
これが俗に言うIndian timeである。

話を古典舞踊に戻す。
古典舞踊の会場は大学の講堂である。
バンガロールには常設の舞踏会場はない。
イベントがある時は、大学などの施設で行われる事が多い。
したがって、新聞を細かくチェックしないと捜せない。
私たちには到底見つけられない。
やはりローカルな友人がいないとこのような幸運にはめぐり会わない。

SAWANTHの踊りはプロ級である。
私はインドの古典舞踊には詳しくはないが、彼は地元では小さい時から有名だったらしい。
来賓の挨拶では盛んに彼は地元の誇りであると賞賛していた。
5歳から有名な先生に習っており、既にライセンスを得ている。
古典舞踊ともなると、人前で踊るにはライセンスが必要らしい。
私が宴会で踊る踊りとは訳が違うらしい。
幸いにも、公演の後でSAWANTHと話をする機会があった。
私は舞踊には素人であったが率直に「力強いだけではなく、あなたの踊りはエレガントである」と感想を率直に伝えた。
同席していた彼のグル(導師)はとても喜んでいた。
以前には、多少、知ったかぶりもしていたが、インドでは感想は素直に言うのが一番である。
いろいろと周りの話を聞くと、どうも今夕の舞台のすべての費用は彼のご両親が負担したようだ。
会場設営、パンフレットの作成、プロの楽器演奏者、招待客への食事などで莫大な費用がかかっているハズである。
日本のピアノ発表会などは複数の人で負担するがインドでは個人負担である。
どこの国でも親は大変である。

余談であるが、どこかで彼にあったような気がしていた。
今日、あらためて写真を見て思い出した。

そうだ!美川憲一だ。
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ジャパンハッバは楽しいお祭り OPEN/CLOSE

ジャパンハッバは楽しいお祭り
 
バンガロール大学でジャパンハッバがあった。
ハッバとは現地語(カンナダ語)で「祭り」と言う意味である。
最初、ジャパンハッバと聞いたときは全く意味が分からなかった。
昔の音楽家のような名前なので何かの音楽会かと思った。
ジャパンハッバは、今年で7回目を迎える日本とインドとの国際交流の催しである。
国際交流協会や日本人会などが主催している。
バンガロール大学には、国際学部がありこの中に日本語科もある。
したがって、当日は日本語を専攻する学生が大勢来ていた。
学生たちは大学で日本語を専攻しているだけあり、驚くほど流暢に日本語を話す。
当日の催しで「花」や「島唄」などの沖縄の歌を日本語で唄っていたが、感情の挿入の仕方が巧みなのか日本人が唄うよりも心に響く。
「島唄」はバンガロール大学で日本語を教えているSRIVATSA先生が唄った。
SRIVATSA先生は私たちの知り合いである。
先生は沖縄に行った事はないが、沖縄の唄の旋律が大変好きとの事である。
もう、来年のジャパンハッバでは「さとうきび畑」を唄うことにしているそうである。
ジャパンハッバは年に一回、バンガロールで開かれるお祭りであるが、インド各地から日本人の人が集まってくる。
この中の1人の方と知り合いになった。
以前はバンガロール大学にいたが、現在はマンガロール大学で客員教授をしている。
バンガロールとマンガロールは似たような名前であるが、距離は四百キロメートルも離れており車で7時間もかかる。
ジャパンハッバに来るためには車をチャータして、往復14時間の旅である。
このくらいの好奇心と行動力がないと、インド生活は楽しくないのかも知れない。
現在の私には、残念ながら好奇心はあるがたった一つのお祭りに往復14時間かける根性は持ち合わせていない。
先生は62歳である。
奥さんは日本にいるので単身インド生活である。
次はマンガロールで会うことを約した。
バンガロールは内陸であるがマンガロールは海岸であり刺身が美味しいらしい。

マンガロールで美味しい刺身を食べる楽しみができた。
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インド流、新築祝い  OPEN/CLOSE

インド流、新築祝い
先日、3軒離れた所に建設していた家のHOUSE WARMINGが行われた。
HOUSE WARMINGとはインド流の新築祝いである。
運よくこのインド流新築祝いに招待された。
招待してくれたのは、この家のオーナではなく設計者である。
いつも散歩をしながら建設中の家の様子を見ていた。
私はこの家の大きな窓が気に入っていた。
ある日、家の前を通りかかって偶然にこの家の設計者に会ってこの事を告げた。
設計者は自分の意図を理解してくれた私にいたく感謝してくれて、HOUSE WARMINGには必ず来るように何回も念を押した。
実は、HOUSE WARMINGは身内を対象にした盛大な催しであり、出席するには招待状が必要である。
当然、オーナからの招待状は来ていない。

いろいろと迷ったがお言葉に甘えて思い切って行ってみた。
当日、設計者は玄関の所で招待客を迎えていたが、私たちを見つけるとわざわざ近くに来てオーナに紹介してくれた。
家の内部は、外部から想像していた通りであった。
インド品質という言葉は、この家には当てはまらない。
いろいろなローカルな家を見たが、すべてのグレードが高い。
この家は設計者の意図がハッキリ見える。
きっと住み心地も良いに違いない。
当日は僧侶が来ていろいろなセレモニーが行われた。
私たちも参加したがすべてが初体験である。
オーナの奥さんが親切に手取り足取り教えてくれた。

いつか友人になれたらと思わせる雰囲気を持つオーナ婦人であった。




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DIWARIはインドの光のお祭り OPEN/CLOSE

DIWARIはインドの光のお祭り
   
バンガロールの町の至る所で大きな音が響き渡っている。
日時は10月27日午後7時。
どこかで銃撃戦でも始まったのであろうか。
大砲のようなズバッという音もあれば、ドンという砲車砲のような音、パンと言う拳銃のような音、機関銃のような連射音も聞こえてくる。
すぐ近くでもお腹に響くような音がした。
大変な騒ぎである。

でも心配は無用。
爆弾テロなどではない。
今日と明日はインドで1番大きなお祭りDIWARIである。
インドの10月はお祭り月間である。
DUSSEHRAに続いてDIWARIがある。
10月には多くの会社や学校が休みとなり、モールにはきれいな飾りがなされ町中が一段と賑やかになる。
私の日本語教室の生徒もこの休みを利用して、金曜日から里帰りしている。
DIWARIはヒンドゥー暦でカーティック(西洋暦では10月か11月)と呼ばれる月の満月から2週間後の「新月」の日、DUSSEHRAはその20日前と決められている。
したがって、年によって日にちが変わり今年は今日がDIWARIとなる。
新月の日が何故2日間あるのか不思議な気がするが、ローカルな友人の話では出身地でDIWARIが分かれるそうだ。
その友人によると、今日はタミル州の出身者で明日がカンナダ州の出身者だそうだ。
祭りの日が出身州で異なるなどとは聞いた事がない。
インド人は人からものを聞かれて知らないと言うのは失礼と考えるそうである。
私の友人もインド人である。
DIWARIの日が出身州によって異なる事は保証の限りではない。

DIWARIはヒンドゥー教の神様ヴィシュヌの化身である英雄ラーマが14年間追放されていた自分の王国アヨーディヤに無事帰還したことを祝って行われ、女神ラクシュミ(富と幸運の神で、ヴィシュヌの相方)を迎える祭りである。
別名『光のお祭り』とも呼ばれ(もとのサンスクリット語「ディーパーワリー」は「灯明の列」の意味)家々は「ディヤ」とよばれる小さな素焼きの皿のランプやろうそくの灯で飾られる。
日本のクリスマスのデコレーションのように豆電球でバルコニーや外壁にイルミネーションを施す家もある。
でも、なんといっても爆竹や花火が凄まじい。
昔、未だ子供が小さいときに家族で大晦日を横浜で向かえた。
この時に、中華街で新年を迎える爆竹を経験したがインドのそれは比ではない。
中華街とバンガロール市街との規模の違いを言えばご理解頂けると思う。

DIWARIに向け家々では、家中すべての壁の塗り替え(ホワイトウォッシュ)をしたり大掃除をしたりするそうだ。
新しい服を用意し、親しい人やお世話になった人、親戚の人や近所の人などにあげるプレゼントやお菓子を準備したりする。
DIWARIはインドの人々にとって、クリスマスとお正月のようなものである。

DIWARIには新しい服で身を包み "HAPPY DIWALI !!" とお互いに声をかけあう。
DIWARIの夜は一晩中大騒ぎする。

今夜は女神ラクシュミが寝かしてくれないかも知れない。
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楽しみなケララ州への旅行  OPEN/CLOSE

楽しみなケララ州への旅行
ケララ州への旅行を計画している。
期間は11月17日から27日の10日間を予定している。
以前からケララ州は行きたいと思っていた所で、多くのローカルな友人も行く事を薦める。

ケララ州は、インド南西の沿岸に位置する狭く肥沃な細長い州である。
人口は約3180万人で、州都はティルヴァナンタプナム(トリヴァンドラム)である。
ケララ州の周囲には、インドの中央に位置するデカン高原とその周りの高い山々があり、その地形から多くの侵略者たちの手から逃れた。

また、長く続く海岸線は海の向こうの国との交流を活発にした。
その結果、複数の文化が交じり合い独特の風習や芸術形式など不思議な魅力を放っている。
代表的な観光地としては、
 ◇ バックウォータを宿泊施設付船で旅するアレピィー
 ◇ アラビア海の夕陽が印象的なゴア
 ◇ 伝統的な踊りカタカリが有名なコーチン
 ◇ インド亜大陸の南の地の果てカニャークマリ
など魅力的な場所が点在している。

今回は僅か10日間の旅なので、すべてを訪れる事はできない。
今回の旅も相変わらず手作りである。
泊まるところは、幸いにもインターネットで直ぐに見つけることができた。
トリヴァンドラムでのホームスティである。
問題はどうやっていくかである。
トリヴァンドラムへは、バス、車、列車、飛行機の4つの方法がある。
バスと車は地理的にも時間的にも肉体的にも早々にあきらめた。
そこで行きを飛行機で帰りを列車にすることを考えた。
飛行機の手配はなんとなく自信があったが、列車の予約については全く自信がない。
まず、どこで予約をすればよいか皆目、検討がつかない。
バンガロールには主要な駅が2つある。
予約ができるのは、どちらの駅なのかさっぱりわからない。
ローカルな友人に聞くと、例のごとく様々な答えが返ってくる。
一番、信用できそうな人の言うことを信じて南インド鉄道局のオフィスに行った。
オフィスは雑多な古いコンプレックスの中にあった。
沢山の人でごった返していた。
どの窓口でどのようにして申し込むのかさっぱりわからない。
周りの人も係員も殺気立っている。
とても、ものを聞けるような雰囲気ではない。
     
どうしても列車で行かなければならない訳でもないので、結局、予約はあきらめた。
後日、列車の予約は2、3週間前にしなければまず不可能である事を知った。
みどりの窓口で難なく予約できる国の便利さを痛感した。
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第六巻 私がインドに行く理由 目次 OPEN/CLOSE 

何故、またインドなのか
第六巻からは梅雨の始まる2012年6月に日本を発ち、南インドに長期滞在後、スリランカとマレーシアを経由して、 秋の訪れを感じる9月に日本に帰国する約4ケ月の滞在記である。
今巻では日本での準備の様子を記す。

 
ここ5年間で通算すると、南インド滞在は600日を優に超えた。
バックパーカでもなく駐在員でもない普通の還暦過ぎの老夫婦だけで、良くこんなに長くインドに滞在できたものだと思うと一種の感慨も湧いてくる。
はっきりした根拠がある訳ではないが、これからの人生に少し自信を貰ったような気がする。

ところで、友人等によく「何故、またインドなの?」との質問を受ける。
正直言って、私にも確たる答は持ち合わせていない。
強いて言えば、インドの友人から聞いた次の言葉かも知れない。

インドには人生を春夏秋冬と同じく「学住期」「家住期」「林住期」「終住期」の4つに分けて考える文化習慣がある。
 ◇ 「学住期」は自分を高めるために一生懸命に勉強する時期である。
 ◇ 「家住期」は家庭を持ち一生懸命に働く時期である。
 ◇ 「林住期」はこれまでの実りをゆっくり謳歌する時期である。
 ◇ 「終住期」は清々と人生の終わりを迎える時期である。

同じ人生の過ごし方でも、日本とインドでは随分と異なることを知った。
私はこのインドの考え方を素敵だと思う。

そして、少し早いが妻とともにインドのバンガロールで林住期を過ごす事にした。
インドでやりたいこと  OPEN/CLOSE

インドでやりたいこと
今回の訪印では、2つのことをやろうと考えている。
1つは、LCCへの挑戦である。
もう1つは、インドの某財団への関与である。

LCCは、Low-Cost Carrierと呼ばれる格安航空会社である。
既に、ジェットスターやエアアジアXが日本にも就航している。
インドにも「キング・フィシャー」「インディゴ」「エア・デカン」「ジェットライト」「スパイスジェット」「ゴーエア」など多くのLCCがある。
最近、テレビや雑誌等でもLCCは注目を集めている。
 
LCCの存在は、以前から知っていた。
数年前にマレーシアやインドで挑戦してみたが、いずれも上手くいかなかった。
マレーシアでは、エアアジアXでオーストラリアのパースへの渡航を試みた。
パースは「兼高かおる世界の旅」というテレビ番組で世界で一番美しい街と紹介されていて、私の憧れの街でもある。

当時はパソコンを持参していなかったので、インターネットではチケットを手に入れる事は出来ない。
そこで、エアアジアXのオフィスで手に入れる事にした。
オフィスはクアラルンプールの中央駅の構内にあり現地の人でごった返していた。
私はオフィスで辛抱強く待った。
やがて、順番が回ってきた。
私はオーストラリアのパースに行きたいと一生懸命に説明するが、早口で事務的な係員の言う英語が良く理解できない。
係員もこちらの事情が良く理解できないようだ。
時間ばかりが経ち気が焦る。
私たちの後ろには、大勢の現地の人が順番を待っている。
次第に係員も迷惑そうな態度を示すようになってきた。
交渉自体はインドで訓練されているので自信があるが、英語力は余り自信がない。
自分なりに頑張ってはみたが、とうとう目的を果たすことはできなかった。

LCCは格安であることで、いくつかの制約がある。
その1つが航空券は原則、WEBでしか購入できないことである。
しかも、英語版WEBである。
当然、サーポートセンター等もすべて英語の対応である。
この事が私のLCC挑戦の最大の難関であった。
ところが、エアアジアXが2010年12月9日から羽田に就航し、2011年11月30日からの関空就航に伴い、日本語版WEBで航空券が購入できるようになった。
これを切っ掛けとして、今回の訪印でやりたいことの1つはLCCへの挑戦に決めた。

インドでやりたいことのもう1つは、インドの某財団への関与である。
これまでの訪印でも、いくつかのボランティア活動を考えていた。
例えば、前回の訪印では「洗濯広場」を作ることを計画したが、実を結ばなかった。
前々回の訪印では「COWCOWバンク」なるものを計画したが、これも実を結ばなかった。

挫折はしたが、これらの構想を簡単に紹介しておく。
◇ 洗濯広場
インドの就学率は極めて低い。
この大きな原因は家の手伝いである。
家での洗濯に時間が取られ学校に行けない子供たちが学校に行けるように、地域共同の洗濯場を作り、そこに洗濯機を設置し洗濯の時間を減らし、子供たちが学校に行けるようにする構想。
◇ COWCOWバンク
就学率が極めて低い原因の一つに貧困がある。
現金収入がなく子供たちが学校に行けない家庭に牛を貸し与え、この牛を育てて町でミルクを売り、現金収入を得ることにより、子供たちが学校に行けるようにする構想。

今回もいろいろと構想を考えている中で、知り合いのブログに興味ある記事を見つけた。
それがOBL財団である。
OBL財団は正式名称をOne Billion Literates Foundationと言いAnamika Majumderによって2010年7月にバンガロールに設立されたNon Profit Charitable Trustである。
   
インドではカースト制度が有名であるが、カースト制度は身分制度の意味合いよりも、職業世襲制度の意味合いが強いことは余り知られていない。
生まれた子供は、カースト制度により親の職業を何代にも渡り延々と引き継いでいくのである。
このメカニズムは、ある意味で貧困からの脱皮が個人の努力だけでは極めて困難であることを暗示している。

今、インドは急速に発展している。
その原動力は、コンピュータやファイナンス等の新しい産業である。
新しい産業は、これまでのカースト制度の制約は受けない。
これが幸いにも、インドの若者にチャンスを生み出した。
今から20年前、インドの若者は必死になってコンピュータやファイナンスを学び今日のインド繁栄の基礎を築き上げた。
この時代に日本に技術を学びに来て、その後、インドに会社を設立したインド人は多い。
私もこの時代に多くのインド人技術者と知り合った。

コンピュータやファイナンスには、英語とIT技術を必要とする。
この影響なのか定かではないが、現在のインドで良い仕事を得るには、英語とITリテラシーは欠かせない要件の一つになっている。

OBL財団は、貧しさの根源は良い教育が得られないためであると考えており、子供や女性に英語とITリテラシーを教えている。
現在はカルナカタ州政府の協力を得て、バンガロール近郊の7つの学校で教育を行っている。

主宰者のAnamika Majumderはアメリカ帰りの主婦であり、メンバーの多くは学生やIT企業で働く若い技術者である。
Anamika Majumderはホームページの中でOBL財団を立ち上げた理由を「アメリカから帰って来て、アメリカとインドの子供たちが置かれている教育環境に愕然としたこと」を挙げている。
日本でAnamika Majumderのような思いを実現するには何々委員会などの存在があり、多くの制約があり難しいが、インドでは個人の思いを形にするのは驚くほど容易である。
そのためかボランティア活動している若者は意外に多い。
思いを同じくする若い人たちと一緒に活動することを今から楽しみにしている。

Quality education for all !

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格安航空券の手配  OPEN/CLOSE

格安航空券の手配
今、私の手元に5枚の航空券がある。
4枚はAirasia/Xで、1枚はSrilankan-airLineのe-Ticket Receipt & Itineraryである。
今回は6月10日に日本を出てマレーシア経由でインドに入り、帰りはスリランカとマレーシア経由で9月29日に帰国する予定である。
インド国内も含めて3ケ国10都市を約4ケ月かけて巡る旅である。

この中でスリランカは初めて訪れる国である。
スリランカは1948年にイギリスから自治領(英連邦王国)のセイロンとして独立した。
1972年にはスリランカ共和国に改称し英連邦内の共和国となり、1978年から現在の国名となった。
以前はセイロンと呼ばれ、文字通り「セイロン紅茶」で有名な国である。
またスリランカは世界遺産の多い国としても知られており

 ◇ 聖地アヌラーダプラ(1982年)
 ◇ 古都ポロンナルワ(1982年)
 ◇ 古都シギリヤ(1982年)
 ◇ 聖地キャンディ(1988年)
 ◇ ゴール旧市街とその要塞群(1988年)
 ◇ ダンブッラの黄金寺院(1991年)
など魅力に富んだ多彩な文化遺産がある。
今回はこのうちの古都シギリヤと聖地キャンディの2ケ所を訪れる予定である。
   
以前からスリランカには一度は行ってみたいと思っていた。
しかし、2006年から政府軍と反政府ゲリラとの戦闘が再燃していた。
政府軍と反政府ゲリラとの戦闘も2009年5月には政府軍が制圧し、現在は治安状況も良くなり観光客が戻りつつある。
今回は下見をかねての旅となる。
気に入れば、スリランカはゆっくりと時間をかけて再訪してみたい。
その際にはスリランカ航空がモルディブにも飛んでいるので、モルディブも旅の計画に入れたい。

今回、往復の航空券をマレーシア経由にしたのはLCC(Airasia/X)に挑戦するためである。
LCCについてはWEBや市販本で調べたり、Airasia/Xに電話で確認したりして、4つの路線の航空券を手配した。
その結果、LCCを利用するにはいくつかのポイントがあることが分かった。
 
1つ目は何をおいても早く予約することである。
今回の旅で日本出発(6月10日)のマレーシア便の予約は2月11日にした。
4ケ月前である。
LCCは早ければ早いほど料金は安い。
ちなみに、この時の料金は二人で日本からマレーシアまでが約3万円である。
驚くことに、私の家から羽田空港に行くよりも1万円以上も安い。
さらに、この料金は空港税等の諸費用込である。
Airasia/Xは燃料チャージ制を採っていないので燃料費は請求されない。
一人なら羽田とマレーシア間を3万円で往復できる計算だ。
東京に行くよりも安い。
こういう時代なのである。
最初e-Ticket Receipt & Itineraryを見たときには私も信じられなかった。
とにかくLCCは驚くほど安いことは確かである。

2つ目はLCCで良く言われる座席の狭さである。
確かに同じ機種の飛行機でも、LCCは客席数を多くしており席の前後の幅は狭い。
そのため、搭乗時間は6時間くらいが限度と言われている。
関空とマレーシア間がちょうどこの時間に相当する。

座席の狭さを解決するには、2つの方法がある。

1つは「Pick A Seatオプション」を利用する方法である。
1番前の席と中ほどの非常口傍の席を指定できるオプションである。
これらには前の席がないので足元が広々としている。
「Pick A Seatオプション」を利用すれば、座席については通常の飛行機と変わらない旅が可能である。
そのせいか「Pick A Seatオプション」の値段は1席あたり4千円と少し高い料金設定となっている。

もう1つはOptiontown Customer ServiceのUTo (Upgrade Travel Option) を利用する方法である。
Utoは飛行機の出発2から3日前(遅くとも4時間前)にプレミアム・フラットベッド(ビジネスクラス相当) に空きがある場合に限り、座席が確保できるというものである。

座席の確保は運しだいとなるので、料金は正規料金の75%デスカウウントという破格の値段である。
Utoを申請した場合にはWEB Check-inをしてはならない。

Check-inすると席が確定しまいUtoが適用される確率が下がる。
Check-inは当日、空港のカウンターで行うのが良い。
私たちはLCCを利用するのは初めてなので、今回の旅ではすべてのAirasia/X便で「Pick A Seatオプション」と「Uto」の両方を申請している。
運がよければビジネスクラスで、運が悪くても足元が広々とした席での旅が約束されている。
ただし、Utoが成功しても「Pick A Seatオプション」料金は戻ってこない。

3つ目は手荷物や食事等の通常は、無料のサービスがLCCでは有料であることである。
手荷物についてAirasia/Xのシステムを少し説明する。
 ◇ 15kg 20MYR
 ◇ 20kg 35MYR
 ◇ 25kg 50MYR
 ◇ 30kg 60MYR
これはWEBから事前に予約した場合の料金体系であり、単位MYRはマレーシアリンギット(約25円)である。
当日カウンターで申し込むと15キログラム60 MYRと3倍の料金を支払うことになる。
超過分についてもkg当たり 40 MYRと驚くほど高額な金額を請求される。
したがって、手荷物はWEBから少し多めに予約しておくのが賢明である。

またAirasia/Xのシステムには、基本的に返金という仕組みはない。
例えば、35キログラムで申請したものを30キログラムに変更しても差額は返金されないので、最初は少なく申請しておいて後から増やすのが賢明である。
蛇足として、同一旅程(一枚のe-Ticket Receipt & Itinerary)の範囲で重量は積算できる。
例えば、私も妻も25キログラムで予約しているが、当日、私が30キログラムでも妻が20キログラムならば追加料金は発生しない。
また、通常は自分で機内に持ち込む荷物は預ける荷物と加算されることは滅多にないが、LCCでは機内持ち込み荷物も厳密に加算される。
(今回の挑戦で確かめてくる)。

最後に、LCCは余りに安いので安全面が懸念されるがこの点はあまり心配していない。
それはAirasia/Xの飛行機の整備はマレーシア航空が担当しており、運行している機種も絞られているので、日本のすぐ近くの国から飛んでくる飛行機よりは安心であると思うからである。

LCCへの挑戦を決めてからAirasia/Xに関する手続きを市販本やWEB等で調べてみた。
時にはAirasia/Xのコールセンターにも問い合わせた。
当初はこのコールセンターへの電話が全く通じなかった。
通じなかったのは私の英語力ではなく、回線が混んでいたせいである。
なぜなら、日本のコールセンターは日本語対応している。
コールセンターについては、2つのことが分かった。

1つはオペレータの質の高さである。
毎回、豊富で正確な知識でどんな質問にも的確な回答を与えてくれる。
説明もこちらが出来の悪い生徒のように丁寧に噛むように教える。
LCCは格安であると言われているが、重要なところには見えなくても必要な費用を投資していることに感心した。
もう一つはAirasia/Xのコールセンターは、昼休み直後か就業間際が繋がりやすいことである。

LCC(Airasia)のビジョン「誰もが、大空に飛び立てる」。
バスや電車と同じ感覚で飛行機に乗れる時代が来たのである。

LCCは確かに安いが安いにはそれなりの理由がある。
私はこの理由を受け入れられる人々にとっては、LCCはとても魅力的な選択に成り得ると思っている。
この結論が正しいか、今回の旅で自ら体験して確かめてくる事にしている。

LCCは退職者の心強い味方!

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宿泊先の手配  OPEN/CLOSE

宿泊先の手配
今回の旅での宿泊地はバライティに富んでいる。
 ◇ マレーシア(クアランプール)  
 ◇ スリランカ(コロンボ)     
 ◇ ラジャスタン州(インド)    
 ◇ ケーララ州(インド)      
 ◇ タミル・ナードゥ州(インド)  
  6泊
  4泊
 10泊
  7泊
  4泊
残りの期間はバンガロール(カルナカタ州)の友人が所有するアパートである。

多くの時間を過ごす友人のアパートは、名称はアパートだが日本のそれとはだいぶ趣が異なる。
 
14階建で150世帯が住み、中には医療センターやなど健康ジムなどがある。
良くロングスティで紹介されている、コンドミニアムと言った方がピッタリする。
このアパートは前回行ったときは、未だ建設中であった。
どうやら昨年の秋に完成したようだ。
予定通りの完成は、インドでは大変珍しいことである。
部屋は2LDKとインドでは狭い部類に入るが、私たちが滞在するには十分である。
ちなみにこの友人は40歳前であるが、バンガロールに3つの住居を持ちマイソールには将来のために広い土地を保有している。
インドでは財産を不動産で所有する場合が多い。
丁度、日本のバブルのように不動産は値上がり続けている。

さて、バンガロールでは友人のアパートに泊まるとしても、30泊近くは他に泊まる場所を確保しければならない。
いくら海外のホテルが安いとは言っても、すべてホテルに泊まるとなると膨大な費用がかかる。
そこで、トリヴァンドラムとチェンナイは知人の所にホームスティすることにした。
インドも4回目ともなると結構な数の知り合いが出き、そのお蔭で普通の日本人にはなかなか出来ない滞在が可能になる。

今回の旅では、泊まる場所を確保するためにいろいろと工夫と努力を重ねたが、結局、クアランプール(マレーシア)、コロンボ(スリランカ)、ラジャスタン州(インド)で合わせてホテルに20泊する必要が生じた。

私はホテルの手配はAGODA(http://www.agoda.jp/)を利用している。
WEB上には様々なホテル手配業者があるが、経験的にAGODAが優れていると思っている。
特に海外のホテルの手配では、AGODAがナンバーワンだと思っている。
私がAGODAを気に入っている理由は、手配できるホテルがバライティに富んでいることとキャンセルポリシーが比較的ゆるやかな点である。
海外、特にインドには様々な形態のホテルがある。
バックパーカが泊まる安宿から7つ星クラスのマラジャ宮殿ホテルまで、値段もピンキリである。
AGODAは契約ホテル数もさることながら、バリエーションの多さで私のわがままなリクエストに確実に応えてくれる。
肝心の宿泊料であるが、先ほども書いたようにビンキリである。
バックパーカが泊まる安宿はそれこそ100INRからある。
一方、宮殿ホテルの中には7つ星のものまであり、これだと最低でも1泊5万円は下らない。

インドでは「Taj」「The Oberoi」「The Leela Palace」の3つの系列ホテルが最高級ホテルとして名高い。
ラジャスタン州にはこの最高級ホテルが3つともある。
その中でも「Taj Lake Palace Hotel」は、湖の中にある白亜のホテルとして日本人にも有名である。
私たちはこれまでの滞在で「Taj」と「The Leela Palace」には宿泊したが「The Oberoi」での滞在経験は未だない。
しかし、The Oberoi Udaivilas Udaipur Hotelは約3万円/泊なので今回もパスする。

クアランプールとコロンボのホテルは直ぐに決まった。
クアランプールは、乗り継ぎの利便性を重視してKLセントラル(日本でいうと東京駅)から徒歩で5分の
Hotel Summer Viewにした。
スリランカは、雰囲気の良い郊外にあるLake Lodgeにした。
 
この2つのホテルは、宿泊客の口コミ評価が高い。
海外のホテルの予約では、私は口コミ評価を重視して決めている。
きれいなパンフレットでは見えて来ない雰囲気や料理の味、従業員の態度等がリアルタイムに知ることができる。
以前、国内ホテルの宿泊客の口コミ評価でやらせ問題があったが、海外のホテルの宿泊客の口コミ評価には日本人の評価はあまり見当たらないので信頼しても良いと思う。

ラジャスタン州のホテルはまだ決めていない。
候補としては、
Hotel Fateh Garh
Trident Udaipur Hotel
Hotel Raas
を考えている。
   
ラジャスタン州のホテルを決められない理由は、ラジャスタン州には上記以外にも宿泊客の評価が高い魅力的なホテルが数多くあるからである。 現地の友人の評価も参考にしてインドに行ってから決めることにしている。
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私たちが実際に滞在したインドの素敵なホテルをデジタルブックで紹介する。
インドの素敵なホテル
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インドビザの手配  OPEN/CLOSE

インドビザの手配
今朝、早くから相方は東京に行っている。
表向きはインドビザを取得するためである。
表向きと書いたのは、帰ってくるのが5日後の日曜日の夕方。
どう考えてもビザの取得に5日はかからない。

インドビザは郵送でも取得できる。
これまでも何回か郵送で取得した。
実は横浜には娘が居る。
多分、娘の所に泊まって束の間の東京をエンジョイしてくるに違いない。
最近できた≪そらまち≫は、絶対に目的の1つにしているハズである。
さて、人間が小さく見えるといけないので本題に入る。

インドに入国するにはビザがいる。
できることはすべて自分たちでやるのが主義(好き)である。
当然、ビザも毎回、自分たちで取得している。
以前は在東京インド大使館に申請していたが、現在は東京のインドビザ申請センターに申請する。
インドビザ申請センターは、地下鉄銀座線の茗荷谷にありジャパンオーバーシーズコーポレーションが在東京インド大使館より認定を受けて業務を代行している。
北海道から東海(岐阜、静岡、愛知)と沖縄の人は東京のインドビザ申請センターに、近畿から九州と東海(三重)の人は在大阪インド総領事館に申請する。
沖縄と三重の扱いが不自然に感じるが、インド方式なので深くは追及しない。
多分、何かの占いかインド大使の単なる思い付きで決めたのだろう。

簡単にインドビザの取り方を紹介する。
これまでに観光ビザを3回とビジネスビザを1回、所得している。
ビジネスビザは提出書類が多く手続きも複雑なので、観光ビザに関してのポイントを書く。
なお、申請方法は頻繁に変更されるので必ず最新の情報を確認して頂きたい。
http://www.indianvisaatjapan.co.jp/index_jp.html
注:2014年12月現在では申請は全てシステム上で行うように変更された。

1. 申請に必要なもの
◇ 申請書1枚(英文A4裏表)
◇ 証明写真1枚(45mmx35mm、裏面にサインあるもの)
◇ パスポート(有効残存期間は6か月以上、必要な空欄査証ページは2ページ以上)
◇ 申請料(2,135円)
2. 注意事項
◇ 有効期限は6カ月。ただし、ビザは発行日より有効となりインド入国日ではない。
◇ インド出国後2ヶ月以内の再入国を予定している観光ビザ申請者は、ビザ申請書と航空券または 英文旅行日程表(空路が含まれている場合は空路すべてのEチケットコピーも必要)を 提出した場合に限り、最大3回(滞在日数は合計60日以内)の再入国許可がおりる。

少し、説明を加えておく。
申請書は英文の設問にしたがって記入していく形式である。
英文はそれほど難しくはないが、普段使わないような用語があるので、最初は多少、困惑するかも知れないが、わかりやすい記入例やWEBのヘルプも用意されているので観光ビザの申請くらいならできると思う。
28項目の設問の後に宣言がある。
宣言(サイン)は、必ずパスポートと同じサインをする。
これまではA4で1ページであったが、今回は2ページに増えていた。

申請書に書かれている注意事項は「インド出国後2ヶ月以内の再入国は原則としてできない」ことを意味している。
もし、再入国をするならビザの取得時にその旨の申請をしておかなければならない。
例えば、インドから一時的に他国に旅行する場合等である。
実は、この制度に関して、いささか苦い思い出がある。
前回のインド滞在時にインドのコーチンからモルディブに2泊3日のクルーズに行った。
モルディブはハネムーンの候補地として日本人には良く知られている国である。
コーチンからは20時間のクルーズである。

 
蛇足であるが、このクルーズはギリシャ船の処女航海であり、 インド人以外の乗客は私たちだけであり、間違いなく私たちはクルーズでモルディブに行った最初 の日本人である。
クルーズを終えてインドに戻ってきてから、友人(日本人)からどうやってインドに 再入国できたのかと聞かれた。
最初は何のことかわからなかったが、新しい入国制度が現地の日本人(主に駐在員家族)の間では センセーショナルな制度であったらしく、いろいろな情報が飛び交っていたようだ。
新しい制度では、インドから出国すると2ケ月は再入国が出来ない。
私たちは、駐在員でもなく日本人会にも入っていないので、そんな制度ができることなど露にも知らずに モルディブに行ってしまったのである。
当時はどうして再入国ができたのか不思議であった。
この疑問は今回のビザ申請でインドビザ申請センターのWEBで注意事項の記事を見つけて解けた。
この制度の適用は2011年3月17日と書いてあった。
私たちがモルディブに行ったのは2月であり、辛うじて適用を免れていたのである。
しかし、考えてみるとインドにいる私たちがインドビザ申請センターのWEBを見る機会などはない。
インドでは制度変更など日常茶飯事である。
さりとて、私たちには情報はなかなか入ってこない。
一つのアイデァが浮かんだ。
それは、インド各地の日本人会のホームページを頻繁にチェックすることだ。
日本人会のホームページには滞在時に注意すべき情報がてんこ盛りである。

もう一つ、インドに長期間滞在する時に気を付けなくてはならないことがある。
それは、180日以上インドに滞在する場合は、インド到着後14日以内にFRO(外国人登録事務所)又は、 警察署で外国人登録を行うという制度である。
観光ビザは180日未満の滞在なので適用されないが、ビジネスビザで行った時はこの制度に難儀した。
これに関しては別の機会に紹介するが、とにかくインドに長期滞在するのは...... >
ビザはインドの貴重な収入源!
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大切なインドの友人 OPEN/CLOSE

大切なインドの友人
今回の訪印では、親しい友人を訪ねる予定でいる。
友人には以前に仕事の関係で、日本で知り合った人と訪印して知り合った人がいる。
訪印を重ねるに連れて、今では、インドで知り合った友人の数が上回っている。
何人かとは家族ぐるみの付き合いをしている。
私たちの友人を紹介する。

◇ Mr.Srivatsa
私のビジネスパートナーであるMr.Srivatsaとは、家族というよりSrivatsa一族と付き合っている。
叔母も妹夫婦もバンガロールに住んでいる。
彼らはタミルナード州出身で一時期はデリーに住み、その後、バンガロールに住んでいる。
Srivatsa一族は敬虔なヒンズー教徒である。
家の中には神様の部屋があり、朝晩、その部屋の前でお祈りを捧げている。
日本では朝晩のお祈りはほとんど見られないが、人が神と向かい合う姿は言い知れぬ光景である。
Srivatsa自身は愛知県岡崎市に3年ほど住んでおり、この時には母と妹も来日し長期滞在しているので日本や日本人についての多少の知識はある。
私たちが訪印した際には、一族で何かと私たちのサポートをしてくれる。
彼らのサポートなしにはインドの長期滞在は難しいと思う。
彼らにはいつも感謝をしている。

◇ Mr.Sankar
Mr.Sankarとは日本で知り合った。
20年くらい前に私が居た会社でコンピュータ技術者として働いていた。
4年前の初めての訪印の時、私の滞在を知ってわざわざ家族で会いに来てくれた。
それ以来の家族での付き合いである。
今はSharp Software Indiaの技術部門の責任者であり、時々、来日(天理市)している。
以前にはインドでお正月を迎える私たちのために日本から鏡餅やお飾りを買ってきてくれた。
私のビジネスパートナーであるMr.SrivatsaはMr.Sankarの会社の日本語講師を勤めていた関係でMr.Sankarから紹介された。
奥様のMs.Kalpanaはインド料理が得意であり、妻の南インド家庭料理の先生の一人である。
今回の訪印のメールに対するMr.Sankarからの返信である。

Dear Fujita-san
I am glad to hear about your visit to India.
But it surprise why only 4 months visit and why not you can stay here for 1 year ?
How about your stay (home) during this time ?
If you have not arranged yet, please feel free to stay at our house. As usual please use necessary utensils from us for your needs such as Oven, Glass pan etc. Look forward to meet you soon !
With regards
B.Sankaralingam

◇ Mr.kaushik
Mr.kaushikとは1回目の滞在の際に知り合った。
私たちが散歩をしている時に声をかけられた。
Mr.kaushikは家の前で友人と立ち話をしていたが、私たちを家に招きいれてくれた。
この時に奥様のMs.Preemaを紹介された。
kaushik家は豪邸である。
床や壁は総大理石で作られ階段の手すりには黒檀の仏像が刻まれている。
家の中を案内してもらったが1回では覚えきれない程の部屋数であった。
その後、日本語教室に使っても良いと言われ地下にある部屋を案内されたが教室に使えるくらい大きい部屋が5部屋もあったのを覚えている。
Mr.kaushikは以前はバンガロール市の税務責任者で、現在はいろいろな組織の顧問等を務めている。
友人のMr.Srivatsaによると、Mr.kaushikのキャリアは日本では想像できないくらいのものであるらしい。
奥様のMs.Preemaは、王立科学女子大学の学部長である。
Ms.Preemaの紹介で王立科学女子大学の事務長や教授たちとも親交がある。

◇ Mr.kana
Mr.kanaはトリヴァンドラムでホームスティを経営している。
Kanaは略称で正式にはprakash shunmughamと言う。
トリヴァンドラムは、バンガロールからは飛行機で2時間くらいのケララ州にある。
以前にホームスティをした際にMr.kanaの家族と親交を深めた。
Mr.kanaにはMr.Uniという双子の兄弟がいる。
食事はMr.kanaの姉が担当しているが、この食事が天下一品なのである。
文字通り南インドの家庭料理。
今回の訪印ではMr.kana家に長期間ホームスティして、妻はMr.kanaの姉から南インドの家庭料理を習う予定である。
ケララ州はアユベーダ発祥の地でもあるので、私は腰痛の治療に専念するつもりでいる。

日印にかかわらず老いてからの友人は宝である

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インドで癒される OPEN/CLOSE

インドで癒される
インドは真ん中のデカン高原で南北に分かれる。
私たちが滞在するバンガロールは、南インドの中央部分にある。
これまでの滞在で南インドの主要な観光地は旅した。
◇ インド最南端のヒンズー教徒の聖地
 《カニャクマリ》
◇ 西洋人の避暑地として名高い
 《ゴア》
◇ マハラジャ宮殿で有名な
 《マイソール》
◇ 世界遺産の宝庫
 《マハーバリプラム》
◇ ホイサラ朝を代表するヒンドゥー寺院
 《ハレピード》
◇ インド有数の産業都市
 《チェンナイ》
◇ オランダ植民地時代の建物が残る港町
 《コーチン》
◇ 主要産業である紅茶農園が散在する
 《ニルギル》
◇ インド最大の商業都市
 《ムンバイ》   等々








しかし、北インドは日本から来た娘と一緒に俗にゴールデントライアングルと呼ばれるデリー、アグラ、ジャイプルを旅しただけである。 北インドの知識に関しては、普通の観光客と変わらない。

そこで、今回の訪印ではインドの北西部ラジャスタン州をゆっくり旅してみたい。
ラジャスタン州は西にタール砂漠、東に荒涼たる岩肌の丘陵地帯、そして、乾燥した大地と野生動物の暮らす深い森を有する「王者の大地」と呼ばれる所である。
また、ラジャスタン州には、それぞれが独自の文化や歴史を持つ、ウダイプル、ジョドプル、ジャイサルメルなどインドでも有数の観光都市を抱えている。

ウダイプルは、別名を「ホワイト・シティ」と呼ばれ、ピチョラー湖を中心に広がるオアシス都市である。
ピチョラー湖の中心に浮かぶ「レイクパレスホテル」は、白亜の宮殿ホテルとして一度は泊まりたい憧れのホテルとして日本でも有名である。

タール砂漠の入り口にある町、ジョードプルは長さ10kmもの城壁に囲まれ、旧市街のほとんどの建物が青色に統一されているため「ブルーシティ」と呼ばれている。
青色の家はバラモン階級(僧侶、祭司)の家を意味し、バラモンは殺さないようにとの区別がされていたそうである。

  
ジョードプルからさらに西へ287km、パキスタンとの国境まで100kmの距離にあるジャイサルメルは、 タール砂漠の真ん中に位置する砂漠の街であり、城壁や家々が黄色い為「ゴールデン・シティ」とも言われている。

これらの町には、歴史のある宮殿ホテルや王族ホテルが点在している。
たっぷり時間をかけて、じっくりと一つ一つの町を訪ね歩くつもりである。

さらに、インド北西部ラジャスタン州のラナプール村にはジャイナ教の総本山アーディナータ寺院がある。

     
ウダイプールからは約2時間である。
ジャイナ教は仏教とほぼ同じの約2500年前にインドに生まれた。
五つの大誓戒を持つ厳格な宗教である。
生き物の殺生を厳しく諌めており、私の知人にもジャイナ教徒がいる。
インド人には菜食主義者が多く居るが、その中でもジャイナ教徒は徹底している。
例えば、人参や大根などのいわゆる根野菜も食べない。
理由は収穫する際に土中にいる虫などを殺す恐れがあるからである。
以前からジャイナ教には関心があるので車をチャータ―してでもジャイナ教総本山アーディナータ寺院には行ってみたい。

時折、日本から遠くラジャスタンの旅に想いを馳せる
どこからともなく旅芸人の歌が聞こえてくるようである。

私たちが実際に北インドを旅した時のデジタルブックを紹介する。
北インド紀行Ⅰ

北インド紀行Ⅱ

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第七巻 カルナーカタ州立小学校 目次 OPEN/CLOSE

ちょっとした出来事
朝の散歩の途中で、とある小学校の朝礼に出くわした。
何かいろいろとやっているが、カンナダ語なのでさっぱりわからない。
なんとなく見ていると、そのうちに生徒同士でお互いの手を見せ合い始めた。
最初は何をしているのかチンプンカンプンであったが、どうもお互いの手の爪を検査しているようだ。

そのうち、先生が手に持った細い棒で何人かの生徒の手先をひっぱたき始めた。
まるで鬼軍曹が新兵をいじめているようである。
よほど痛いのか生徒は手を引っ込める。
すると先生は、前よりも強く手をひっぱたく。
女の力とはいえ、そうとう痛そうである。

正直、びっくりした。
日本の小学校でこんなことをしたら、モンスターペアレントが黙ってはいないだろう。
確かに体罰は良くないとは思うが、一概に言い切れるものだろうか。
ある年齢までは、教育的側面では体罰も必要なのかも知れない。
例えば、「熱さ 」を人はどうやって知るのだろうか。
他人から絵や言葉でどんなに説明されても、自らの体験に勝るものはない。
しかし、体験したくても人は意志が弱いので他人からの強制で知ることも必要である。
「熱さ 」ならまだしも「人の心の痛み 」はどうやって知れば良いのだろうか。
「心の痛みを知っている人は他人にやさしくできる」という歌があったが、最近の日本人は自分の心の痛みさえ避ける傾向があるように思う。

ちょっとした目撃談であるが、とても考えさせられる出来事であった。

カルナーカタ州立小学校  OPEN/CLOSE

カルナーカタ州立小学校
インドの小学校には州立(公立)と私立がある。
学校数からすると圧倒的に州立が多いが、生徒数からすると圧倒的に私立が多い。
この理由は自明である。
州立の教育の質が圧倒的に悪いのである。
正直、教育と呼べる代物ではない。
保育園に毛の生えたようなレベルである。

インドでは子供の教育に信じられないくらいのお金をかける。
良い教育を受ける → 良い仕事を得る → お金持ちになる → 幸せな生活が出来る という極めて単純明快な親の論理である。
私の友人は、私立の中でも特に有名なインターナショナル小学校に行かせている。
将来の為に子供に英語を学ばせているのである。

確かに、カンナダ州政府には教育に回せる資金があるはずはなく、質の低下はやむを得ない部分もあるが、実は問題は他にもある。
それは教育をする先生の質である。
先生も平気で朝礼に遅れてくる。
先生も生徒と同じように紙クズやゴミを平気で校庭や教室に捨てる。
教室はコンクリートでうす暗く黒板はキズだらけでデコボコ。
机と椅子はなく生徒は床に座り込んで授業を受ける。
授業は一方的に先生がしゃべって終わり。
時間になれば、生徒より先に先生がさっさと帰ってしまう。
月給が14,000INR(約2万円)では、しかたがないのかも知れないが、情熱が全く感じられない。
余計なことはしないで、淡々とやっている先生がほとんどである。
聖職などとは程遠い存在である。

しかし、先日、偶然に訪れた小学校で出会った若い先生は(私の直感では)情熱があるように感じた。
そこで、彼と少し話してみた。
彼は英語とITリテラシィの担当とわかった。
公立学校に英語とITリテラシィを専門に教える先生がいる事にも驚いたが、もっと驚いたのは教室にコンピュータが10台もあった事だ。
韓国製ではあるが新品である。
彼の話によると有名な韓国企業からの寄付らしい。
インドでは、日常の中で韓国や中国の商魂逞しい影が垣間見られる。
残念ではあるが、日本は発展途上国への実質的な進出が遅れているのは認めざるを得ない
さて、今回の訪印の目的の一つは地元でのボランティ活動である。
まさに願ったり叶ったりの小学校と先生が見つかった。
問題はこの小学校が果たして私たちを受け入れてくれるかどうかである。
多分、ほとんどの先生は日本も知らなければ日本人とも接触したことがないだろう。
片言でも英語は話せない。
どのようにして、話を進めたらよいか。

ここは、持ち前のダメモトで行くしかない。
一番、偉そうに(少なくとも私には)見えた女の先生に話かけてみた。
すると、いきなり「週に何回来れるか」と聞かれた。
こちらが面食らった。
インド流にしても余りに極端な展開である。
何処の誰が何をするかも良く聞かないでのこの質問である。
さすがの私も面食らってしまった。
とりあえず、来週の月曜日に来ることを約束して引き上げた。

何をやるかは相方と相談する事にした。
少なくとも子供たちが楽しめる授業にしたいと思っている。
日本代表として恥ずかしくないような授業にはしたい。
この年齢で小学校の子供たちに授業ができるとは….
インドの柔軟さを再認識した。
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俄か教師の初授業 OPEN/CLOSE

俄か教師の初授業
今日はカルナーカタ州立小学校での初授業の日である。
充分な準備時間が取れなかったが、こちらから頼み込んだのだから言い訳はできない。

私と相方は、約束の時間に少し緊張気味に職員室に入る。
うす暗い職員室にいた事務長らしき人は、ビックルームに行けと言っている。
ビックルームが何処にあるかは先日の訪問で知っている。
ビックルームと言っても20畳ほどの教室である。
他の教室は6畳ほどなので、この学校では確かにビックルームである。
早速、コンピュータがあるビックルームに行った。

既に、教室には先日の若い男の先生と生徒が居た。
男の子と女の子が半々で30人ほどであった。
生徒は、インド人以外の人間を身近で見るのは初めてらしく極度に緊張している。
こちらは、この年での初めての先生で生徒以上に緊張している。
双方とも顔を見合わせてしばし黙りこむ。
状況を察した(本物の)先生が私たちの紹介を現地語で始めた。
私たちが日本から来たことなどを話しているのだろう。
しかし、この先生も日本の事は知らないと思う。
先日、初めて会った時に私たちに「チベット人ですか」と聞いてきた。

先生の話が終わったので、思い切って「ナマスカーラ」と唯一の現地語で言ってみた。
いきなり、現地語が出るとは想像していなかった生徒たちもやがて口々に「ナマスカーラ」と返事をし始めた。
この一言でお互いの緊張が少し解けた。
これは、教える方と教えられる方との緊張を解くためのアイスブレイクという法である。
日本語教師の講習会で以前に学んだ。
余談であるが、私が思うアイスブレイクの一番の達人は鶴瓶さんである。
一度、NHKの「家族に乾杯」を見て確認して頂きたい。

いよいよ、授業の始まりである。
初めに日本から持参したいくつかの漫画DVDを見せることにした。
映写の準備をしていると次から次に他の生徒が入ってくる。
椅子や机がなく生徒は床に座る。
やがて、教室は生徒と先生で超満員に膨れ上がった。
当然、クーラなどなく窓も2か所でありサウナ状態である。
後で、妻が数えたところ生徒だけで130人以上居たそうだ。

さて、DVDの上映である。
マイクの調子が少し問題があるが画面の方はどうにかこうにか見える。
生徒に喜んでもらうためどんな順序で上映するかいろいろと作戦を考えていた。
最初はディズニィの美しい画像を見せた。
美女と野獣である。
見ていることは見ているが反応はイマイチ。
次に、同じくディズニィのFANTASIAを見せた。
これはディズニィが子供に聞かせたいとクラッシック音楽ときれいな映像とを調和させた話題のDVDである。
これも似たような反応である。
インドの大人も理解できないが子供も同じだ。
こんなきれいなDVDを大画面で見せているのに…. 少し、焦ってきた。
ドラえもんとアンパンマンで起死回生を狙ったがこれも空振り。
もう、期待できるのはDONALD DUCKとTOM&JERRYしかない。
DONALD DUCKを見せた。
上級生は笑っているが下級生の反応は鈍い。
最後のTOM&JERRYは、DVDではなくユーチューブからの貰い物で版権が切れている中古品である。
時間が余ったのでダメモトで上映した。
すると、どうだろう。
最初の画面でライオンが映ると一斉に拍手が起こった。
後は、上級生も下級生も大笑いの渦である。
1本目が終わるとリクエストが来た。
私たちの予定は3時までであるが、先生から3時30分までOKがでた。
TOM&JERRYはユーチューブから無償でダウンロードできるので購入したDVDを合わせると20本近く持っている。
月曜日の授業は「TOM&JERRYエンタテーメント」に決まった。




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思いがけない招待 OPEN/CLOSE

今日、カルナーカタ州立小学校に久しぶりに行った。
ケーララ州に旅行に行っていたので2週間ぶりの訪問である。
生徒たちは私たちの事を覚えていた。
皆、とても元気そうである。
何処の国でも無邪気な間は愛らしい。
   

少し早い時間に行ったので校長先生としばらく歓談した。
8月15日はインドの独立記念日に当たり、小学校でも記念式典を行うらしい。
その式典に私たちは校長先生から直々に招待された。
以前の訪印時に地域の式典には招待された事はあるが州立小学校の招待は初めてある。
とてもうれしいが、正直なところ式典の内容などは皆目見当がつかない。
私たちは来賓なのだろうか。
来賓なら当日の挨拶は必要だろうか。
挨拶はカンナダ語でしなければいけないだろうか。
どんな服装で行けば良いのだろうか 等々。
心配のタネはつきない。
当日までには時間があるので、少し探りを入れてみよう
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第八巻 Guests of Honor 目次 OPEN/CLOSE 

インド独立記念日
8月15日はインドの独立記念日である。
この日は日本では終戦記念日にあたる。
また、私事では娘の30-α回目の誕生日でもある。

日本は植民地化されたことがないので独立記念日はないが、インドでは独立記念日は特別な日である。
一週間くらいまえから町中にお祝いの旗などが見られるようになる。
お店では独立記念日セールも盛大に行われる。
この日に向けて祝賀の雰囲気が一気に高まる。
うまく表現できないが、何か町中がウキウキしている。

独立記念日には、ほとんどの会社や学校は休みになる。
政府系の祝賀行事は勿論、学校や地域でも祝賀行事が盛んに行われる。
数日前、私たちがボランティ活動をしている地元の小学校の校長から祝賀行事への招待を受けていた。
めったにない機会なので快諾していた。

服装や雰囲気などは、友人からアドバイスを受けていたので余裕を持って参列した。
ところが、式が進むにつれてどうも私たちは単なる招待客ではなくGuests of Honorではないかと思うようになった。
席は地元政府責任者の隣で校長も挨拶の中で私たちの紹介をしている。
確か式の前に名前とスペルを聞かれた。
やがて、地元政府責任者の挨拶が終わると司会者がJapanと言い始めた。
ついに恐れていたSUSUMUという単語が出た。
会社を辞めてからも地元の自治会長などをしていたので挨拶には多少は 慣れている。
しかし、ここはインド。
それも地元の小学校。
しかも、即興の挨拶である。
実は数日前「もし当日に日本を代表して挨拶するなら地元の言葉で」と相方と話していた。
勿論、冗談半分である。
まさか、半分が本当になるとは!










こちらの意志確認もなくマイクが渡された。
とっさに、唯一知っている地元の言葉で「ナマスカーラ」と大きな声で叫んだ。
後は、英語で「仲良く勉強してください」と簡単に挨拶した。
どうにか乗り切ったが、5回目のインド滞在で最も冷や汗をかいた瞬間であった。
後で聞くと、日本人が地元の言葉で挨拶したと政府責任者が校長に感心していたそうである。
インドには多くの日本人がいる。
そして、多くの式典に招かれている。
しかし、何も肩書のない還暦過ぎの夫婦が地元の小学校に招かれて歓待され、おまけに偉そうに生徒の前で挨拶までさせて貰えるとは実に得難い経験である。
参考までに当日の式次第を書いておく。
 ◇ 神への感謝(会場の隅に即席の祭礼壇あり)
 ◇ 国旗降下(掲揚ではなく上から降りてくる)
 ◇ 国旗敬礼(全生徒が起立して上向き挙手敬礼をする)
 ◇ 校長訓話(どこの国でも面白くない)
 ◇ 来賓挨拶(私の貴重な挨拶も含む)
 ◇ 記念品贈呈(政府から生徒へのいわゆるヤラセ)
 ◇ 生徒の催し物(感動するような踊りもあり)
 ◇ お菓子の配布(飴とクッキーを350人分寄付した)
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うれしい出来事 OPEN/CLOSE

懐かしい人からメールが来た。
ショバナさんからのメールである。
まずは、原文を読んでほしい。

藤田さん、
ショバナです。
いつもお世話になっております。
長い間ご無沙汰しておりました、お元気ですか。
おかげさまで、修士課程の1学期の試験では35%で合格しました。
結果をもらってすぐ、藤田さんにメールを送りました。
来月2学期の試験も行ないます。
日本文化、文学、言語学などいろいろ面白いことを教えていただいていますが、まだまだ解らないことがたくさんあると気がつきました。
日本語学部の先生は私たちの作文を載せたBlogを作っていますので、このリンクを送ります。
時間がある時見ていただけませんか。
http://agpnihongotsuushin.blogspot.in/ 2学期で南インドと日本の絆というテーマで研究を修士課程の生徒4人が研究しましたがこれも添付しますのでよろしくお願いいたします。
今年はインドにいらっしゃいませんか。
いらっしゃる時お会いするのを楽しみにしています。
それでは、よろしくおねがいいたします。

所々にあやしい表現はあるが、全体としては立派な日本語文である。
これがインド人の語学能力である。

彼女は2年前の私の教え子である。
日本に帰ってからも、SKYPEを使って教えていた。
日本語検定1級に合格して、バンガロール大学日本語学部の修士課程に入学した。
二人の子持ち主婦である。
彼女は私がバンガロールにいるのをまだ知らない。 短い滞在ではあるが、頑張っている彼女をサポートするつもりである。 なまじの日本人よりも、インド人は情に厚い。 私がインドを好きな理由の一つである。
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日本からのお土産 OPEN/CLOSE

長期滞在が観光旅行と大きく異なるのは、荷物の中に多くのお土産があることである。
その数は行きの方が帰りよりも断然多い。
また、回数を重ねるにつれて年々、増えてくる。
お土産は何かのきっかけで渡す場合と最初から渡す人が決っている場合とに二分される。
悩むのは後者の場合である。
前者の場合には定番のお土産がある。
クリアファイルと4色ボールペンである。
いわゆる文房具である。
日本製の文房具はデザインと質が良いので老若男女を問わずに海外では喜ばれる。
クリアファイルは、子供にはディズニーやアニメ等が大人には沖縄や富士山等の日本風景のものが喜ばれる。
子供用を50枚と大人用を10枚ほど用意した。
子供用が多いのは地元の学校を訪問するためである。
クリアファイルがない場合は日本の新聞等で作った兜も喜ばれる。

4色ボールペンは若い人が気に入ってくれる。
ボールペンはインドでも日常良く使うが、ほとんどが例の黒ボールペンである。
たまに見かける多色ペンも、せいぜい赤との2色である。
私のはその倍の4色である。
喜ばれないハズはない。
左はシャープペンシル付で会社勤めの友人に渡す高級品。
真ん中はキティちゃんとドラゴンボールの絵がかわいい子供用。
右は顔見知りの運転手や旅行でホームスティ先に渡すちょっとしたプレゼント用。
気を付けなければならないのは「日本製」であることを確かめてから購入する事である。

次は友人へのお土産である。
訪印も5回目にもなるとその選択は結構、難しい。
中には、今でも仕事で度々、日本に来ている友人もいる。
家族ぐるみの付き合いをしている友人が多いのでので、奥様や子供の分も必要になる。
数もさることながら、バリーエーションも考えなければならない。
何にしようか、いつも悩んでいた。

ある日、何気なくテレビを見ていたら銀座にユニクロの店舗ができたことを報じていた。
これだ! 私の直感が閃いた。
私の家の近くにもユニクロはあるが余りバリーエーションはない。
この銀座の店舗は、売り場面積が世界一らしい。
早速、相方が銀座に買出しに行った。
その行動力にはいつも頭が下がる。
ただ、娘の所以外の買出しにも同じくらいの行動力を見せてくれたら申し分ないのだが……。

インドではユニクロは一つのブランドとして認知されているらしい。
子供たちには、やはりディズニーやアニメ等が人気がある。
女の人には、キティちゃんや有名ブランドと提携したものが人気がある。
男の人には、日本語が書かれているものが人気がある。
これは、日本語講師のグルさんへのお土産である。
グルさんはお寿司と漢字が大好きなちょっと変わったインド人である。

友人の顔を思い浮かべながら買っていたらTシャツは10枚以上になった。
今回はリーズナブルで良いお土産が手に入ったと思ったところでハタと考えた。
ユニクロのTシャツはリーズナブルであることは間違いない。
ただし、ある事を除いての話である。
買出しの東京までの新幹線代である。

この他に、私たちが用意したユニークなお土産を紹介する。
京抹茶チョコレート、抹茶KitKat、苺KitKat、きな粉、ドライイーストである。
チョコレート類は私のビジネスパートナの奥様ハルシニさんへのお土産である。
KitKatは、インドでは珍しいのかとても喜ばれる。
中でも抹茶味のものが喜ばれる。
きな粉とドライイーストは、20年来の友人であるシャンカーさんの奥様カルパナさんへのお土産である。
相方がパンの作り方を教えて以来、時々、カルパナさんは自家製パンを作るらしく、私たちが日本から良質なイースト菌を持って行くのを楽しみにしている。

ビジネスパートナのお母様スリデビさんへのお土産はジャガリコである。
あのカルビーのジャガリコである。
しかも、お母様からのリクエストはベーシックなサラダ味の指定である。
以前、岡崎に3年ほど住んでいて、その時にジャガリコのファンになったそうだ。
ジャガリコはジャガバター味に限ると思うが、先方からのリクエストなのでサラダ味を用意した。

ビジネスパートナの子供たちアプーとアナンタへのお土産はアニメ物にした。
日本ではちょっとブームは過ぎたが、インドでテレビ放送しているアンパンマンは子供たちに絶大な支持を得ている。


最後のお土産は布である。
わかりにくいので、ちょっと説明を加える。
名古屋の千種駅の近くに大塚屋という大きな生地屋さんがある。
相方はこの大塚屋でフラダンス用の布を手に入れているので私も良くお供で行く。
大塚屋には、驚くほどの種類の布がある。
先日、退屈したので店内をブラブラしていて、お土産によさそうな布を見つけた。
舞子さんや武者人形、大漁旗や歌舞伎役者等の日本文化柄の布である。
以前、風呂敷をお土産にあげたら、額に入れて飾っていた友人がいたことを思い出した。
日本からきれいな布を持って行きインドで額装してあげたらきっと喜ぶと思い、舞子さんと武者人形の布を少し多めに購入した。
私たちは格安航空会社を利用するので荷物の重量にはいつも気を使う。
インドでは質の良い木材が安く手に入り加工賃も驚くほど安い。
日本から布を持参して現地で額装するやり方は私たちの密かなノウハウである。

ハルシニさんたちの喜ぶ顔が目に浮かぶ!?
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特別巻 インドのお土産 目次 OPEN/CLOSE

インド滞在で多くのお土産を買いました。
その内のいくつかを紹介します。

細密画


細いリスの毛筆一本で絹布に描き上げるインド伝統の細密画です。
北インドのウダイプールから車で1時間、モンスーンパレスの山麓にある 細密画家養成所の先生が描いた貴重な細密画です。 いろいろな細密画を見ましたが、これより気に入ったのはありませんでした。
動物の表情が良いと思います。

   
観光客向けの細密画です。
真ん中の細密画はマララジャの行列を描いたもので長さが1mあります。
インドから絵を持ち帰り、日本で額装しリビングに飾っています。

簾画


   
ケーララ州の手書きの油絵です。
「簾(すだれ)」に描かれています。
左はケーララ州のカタカリです。
日本の歌舞伎に似て物語風の踊りです。
右はタミルナードゥ州発祥の古典舞踊バラタナティヤムです。
インド四大古典舞踊のうち最古の伝統を誇る神話の踊りです。
簾は丸めて運べるので多量に持って帰りました。
友人たちにとても人気があり、今は2つしか残っていません。
次回、訪問時のお土産候補の筆頭です。

神画


   
バンガロールのインド全国物産展で買いました。
竹でできた神画です。
インドの南東部にあるオリッサ州の家庭で使われています。
友人の話ではインド暦により神様が変わるそうです。
神様の絵の中央が上下に分かれ、神様を変える事が出来ます。
インドでも宗教の効率化が進んでいます。

   
マイソールの土産店で買いました。
箱根の木細工のようにいろいろな木を貼り合わせた神画です。
珍しいので衝動買いでした。
右の神画の左下にはハヌマーンが描かれています。
ハヌマーンは、西遊記の孫悟空のモデルとして有名な神様です。
多量に買いたかったのですが、意外に重量があるので航空運賃を考え2つにしました。
次回訪問時のお土産候補です。

装飾品


   
西インドのゴア州で毎週、水曜日に開かれている「アンジュナ蚤市」で買いました。
ゴア州は日本ではあまり馴染みがありませんが、保養地としてヨーロッパ人に人気の高い観光地です。
左の壁掛けはチベット地方で作られたもので、石はターコイズ(トルコ石)です。
右の絵は地元の兄弟画家が描いたもので、インドらしい構図とやわらかな色使いが気に入っています。

木彫の神像


     
滞在記にも書きましが、左右の神像はバンガロールの有名物産店で買いました。
このお店の神像はデザインも品質も良いので、外国企業が顧客への贈り物にしています。
真ん中の神像は観光客目当ての土産店で買いました。
私は神像を買う時は、顔の表情で選びます。
顔の表情の違いがわかりますか。

白檀のクリシュナ像

バンガロールの州政府公認土産店で買いました。
クリシュナは恰好よくて、強くて、優しくて、愛がありパーフェクトな神様です。
私の目標です。
白檀のとても良い香りがします。
ちょっと手で擦って本物か匂いを確かめから買いました。
しかし、この像を良く見ると周りの飾りの上の部分が左右対象ではありません。
匂いがする事は確かめましたが、まさかデザインが左右で違っているとは思いませんでした。
州政府公認土産店なのですっかり安心していました。
これがインド品質です。

白檀の神像

ケーララ州の政府公認物産店で買いました。
インドでは、象牙、トラの毛皮、白檀は政府の許可が必要です。
このように一本の木を刳り貫いた白檀の神像はなかなか手に入りません。
日本から来た事を知った政府の役人が倉庫から出してきてくれました。
政府の許可が必要になる前に作られたものを大切に保管していたそうです。
顔の表情も申し分ありません。
私の一番の宝物です。


鋳物の神像

バンガロール市内のオアシスモールの催事場で買いました。
鋳造の神像はたくさんありますが、2色の物は珍しく見た目も美しいと思います。
重厚に製造されているので航空運賃が少しかかりました。

白檀の石鹸

高純度白檀油配合のマイソールソープとゴールド版です。
良い匂いがするのでお風呂ではなく、タンスに入れて芳香剤として使っています。
お土産として大量に買ってきましたが、評判が良く直ぐになくなりました。
友人に頼んで送ってもらいましたが、もうこれだけしか残っていません。
余談になりますが、石鹸を送って貰うには日本政府の特別許可が必要になります。
但し、個人が使用するレベル(年に24個以内)は許可は不要です。

民族衣装


   
定番のサリーとパンジャビドレスです。
サリーは友人からプレゼントされましたが、なかなか着る機会がありません。
相方がボランティアでやっている「インドの家庭料理講習会」で時々着ています。
パンジャビドレスは日常で着ても違和感はありません。
インターネットでは7,8千で売っていますが、現地では絹物でも千円前後で買えます。

バングル

インドの腕輪です。
サリーやパンジャビドレスを着た時に腕に付けます。
本物の石とイミテーションの物があります。
真偽を価格で見極めるのは危険です。
インド商法はしたたかです。
相方はいつもインド人の友人と一緒に買いに行っています。

宝石

マラカイトのネックレスです。
マラカイトは日本名で孔雀石です。
ケーララ州の政府主催の物産展で買いました。
日本の宝石店で「これだけ大きい石がそろっている物は珍しい」と言われ、相方は喜んでいます。


     
北インドのウダイプールに旅行した時に買いました。
エメラルドのネックレスと翡翠のブレスレットです。
タクシードライバーに無理やり連れて行かれた宝石店で1時間余り交渉して、破格の値段で手に入れました。
一緒に手に入れたルビーのピアスとサファイヤの指輪は娘の所に行ってしまいました。
熱心に交渉中したのでお店の責任者から「明日から、ここで働かないか」と言われました。

   
ムンバイに記念旅行した時に買いました。
相方はトパーズの大きさときれいな色が気に入りました。
ムンバイは金や宝石が安いと聞いていたのでそれなりの資金は持って行きましたが、底をつきそうになり冷や汗をかいたことを思い出します。
インドには魅力的なお土産がたくさんあります。
私たちは2月4日から3月9日までインドに行きます。
7回目のインドです。
どんなお土産が手に入るか今から楽しみです。
2015年1月
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第九巻 インド見聞録Ⅰ 目次 OPEN/CLOSE

インドには大小合わせて85の空港がある。 日本の空港は規模の大小はあっても、設備や空港係官の質にはそれほど差はない。
しかし、インドでは国際空港と地方空港では雲泥の差がある。
特に、北インドの空港係官の質は同じ国とは思えない。
高慢で横柄で高圧的で典型的なインド人気質である。
北インドの空港を利用する際には、いつも私たちは右ポケットに500ルピーを左ポケットに1000ルピーを入れている。
これは、友人のアドバイスによる。
幸いにも使ったことはないが、空港係官への賄賂である。

次に、インドの空港のセキュリティの厳しさはアジアの中でも群を抜いている。
北インドの空港では国境紛争の影響もあり以前から厳しいが、南インドの空港でも最近のテロ事件の後は厳しくなってきている。
空港への出入口には、必ず銃を構えた兵士が二人一組で警戒している。
一人はパスポート保持の有無や身体検査をしている。
もう一人は列に並んだ乗客を見つめている。
不審な動きをしている乗客がいないか監視しているのだ。
インドでは空港に来た瞬間から兵士の厳しい目に監視されている。
平和な国の住民にはちょっとした恐怖すら覚える。
大きな祭りや行事がある時には航空チケットがないと空港ロビーにすら入れない。
以前、日本から来る娘をデリー空港に迎えに行った時には空港ロビーに入れなくて難儀した。

私たちが良く利用するベンガルール国際空港の設備は日本の空港と遜色はない。
但し、空港係官の質は北インドと余り変わらない。
とにかく、高慢で横柄で高圧的である。
インドでは航空機を利用するのはお金持ちの部類に入る。
この事が空港係官の態度に影響しているのかも知れない。
残念ながら私たちはお金持ちの部類には入らないが、もしかしたらチベット人か中国人と勘違いされているかも知れない。

今後、空港を利用する際には相方と出来る限り日本語で会話しながら利用しよう。

インドの貨幣 OPEN/CLOSE

インド貨幣はルピー(Rupee)とパイサ(Paisa)である。
1ルピーは100パイサである。
ルピーの表記はINR(INdian Rupee)である。
スリカンカやネパールなどのルピーと区別するためである。

ルピーは日本国内では両替できない。
インド貨幣は海外への持ち出しが禁止されている。
両替はインド国内で行うことになる。
旅の本には両替時に紙幣の枚数を騙すと書いてあるが、私たちは数え切れない両替をしたがこのような目にあった経験は一度もない。
両替率は地元の人が利用するメイン通りを一本入った小さな両替専門商が良い。

インド紙幣は、とてもカラフルでおもちゃのお金に似ている。

インド紙幣はとても弱く破れやすい。
そのせいか、ボロボロの紙幣が実に多い。
破れた紙幣にお金の価値はない。
切れていたり一部分が欠けている紙幣は誰も受け取ってくれない。
お釣りを貰う時には十分に気を付ける必要がある。
枚数だけではなくボロボロの紙幣が隠されていないかも必ずチェックする。
運悪く受け取ってしまったら、分からないように誰かに押し付ければ良い。
インドでは国民全員が壮大な「トランプのババ抜き」を楽しんでいるのだから……

紙幣の肖像画はすべてガンジーである。
日本ではお金は大切に扱うように教えられてきたが、インドでは紙幣の空白部分をメモ代わりに平気で使う。
ほとんどの紙幣には計算式などがメモられている。
中には電話番号やメールアドレスなどもある。
個人情報保護法で大騒ぎしている国からきている身には理解不可能である。
今は禁止されているが、以前は札束をホッチキスで留めていたらしい。

各国の物価水準は貨幣額で大凡わかる。

インドの最高額紙幣は1000ルピー(2000円)で、最低額硬貨は5パイサ(10銭)である。
インドの物価が日本の1/5と言うのも、あながち的外れではない。

余談であるが、2008年に初めてインドに行った時は1INRは3円であったが、現在は1.5円である。
円の価値が倍になっている。
友人に預けてある資産は倍増である。
日本の銀行やI首相に頼まなくても自然資産倍増である。

インドの長期滞在は当分止められない!
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インドの飲水 OPEN/CLOSE

旅行雑誌などでは、インドと言うと必ず飲み水に注意するように書いてある。
確かにこれは事実である。
しかし、どのように注意すれば良いのか具体的な方法が書いてある雑誌は少ない。
これでは、頭上注意とか落石注意とかの看板と同じで気休めにしかならない。

私たちは、ここ5年間で通算すると500日以上は滞在している。
この間に、いろいろな場所に行っているのでインド各地のいろいろな水を飲んでいる事になる。
幸いと言うか不思議と言うか、二人ともこれまで一度も飲み水で問題を起こした事はない。
私たちがどのようにインドの飲み水に対応しているか紹介する。

最初はアパートの飲み水である。
アパートには常に4種類の水を用意している。
お風呂や洗濯などに使うもの、炊事に使うもの、大量の有料ボトル水、そして、少量のミネラルウォータ一である。
このうち、飲み水として使っているのはミネラルウォータ一だけである。
インドの家庭では、炊事用水、有料ボトル水も飲み水として使っているようである。
水圧の問題なのか各家庭の屋上には水タンクが必ず設置されている。

私たちは、ミネラルウォータ一購入時にも栓が抜かれた形跡がないかをチェックしている。
以前、回収した容器に水道水を入れて販売していた悪徳業者の話を聞いたからである。
更に、最後の水はボトル水かミネラルウォータ一を必ず使う事にしている。
例えば、炊事用水で野菜などを洗った後にも必ず最後はボトル水でもう一度洗う。
歯磨きの濯ぎも最終はミネラルウォータ一でしている。
私たちはインドの飲み水を全く信用していない。
私たちは飲み水に関しては注意の上にも注意をしている。

次は旅行先のホテルや街中のレストランの飲み水である。
レストランで席に着くと水がでるが、私たちはこの水は決して飲まない。
必ずミネラルウォータ一を頼む。

この際にもキャップが付いた状態で持ってきてもらう。
理由は前に述べた。
レストランのメニューに新鮮野菜を見ると食欲がそそられてつい頼んでしまう。
一流のホテルやレストランと言えども、どんな水で洗っているかわからない。
私たちは生野菜類を決して注文しない。
生で食べるのは信頼できる人(相方?)が用意したものだけにしている。
ホテルの部屋にあるboild waterも危ない。
ホテルの設備は一流かも知れないが、そこで働く従業員が信用できるとは限らない。
従業員がboildの意味を知っているとは限らない。
どんな水が入れられているかわからない。
部屋にあるWellcome fruiteを食べる時にナイフや果物を部屋の水で洗うのも怖い。

インドでお腹を壊した経験のある御仁は、一流ホテルや一流レストランで生野菜を食べたり、部屋のboild waterを飲んだ心当たりはありませんか。
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インドの言語 OPEN/CLOSE

インド紙幣には13から15の言語で額が書いてある。
上から、アッサミー/マニプリ、ベンガリ、グジャラーティ、カンナダ、カシュミーリ、コーンクニー、マラヤラム、マラティ、ネパーリ、オリヤー、パンジャビ、サンスクリット、タミール、テルグ、ウルドゥー/シンディーである。
インドは国土が広いこともあり、多くの言語が使われている。
インド人が大好きな映画では、複数の言語の吹替版が上映されている。
正式には17言語が法律で定められているが、細かく分類すると800以上にもなるらしい。

国の公式言語はヒンディ語で第二公用語は英語である。
インド国内でもヒンディ語を使っていない所ではヒンディ語は全く用を足さない。
その理由からか一般的には第二公用語の英語が使われている。
バンガロール市内でも日常の会話は英語である。
但し、例のインド英語である。
私には、英語も現地語も同じように聞こえる。
今でも、インド人の「R」の発音には苦労させられている。
多分、インド人は私たちの「L」の発音に苦労している。

友人の家では日常生活の中で、ヒンディ語、タミール語、カルナーカタ語、英語と4つの言語が飛び交っている。
夫婦間では、時折は日本語も飛び交うそうである。
友人は4つの言語を奥様は3つの言語を子供は2つの言語を使っている。
私たちと同年齢のお母さんも、ヒンディ語、タミール語、英語の3つの言語が使える。
私たちは友人とは日本語で、奥様とお母様とは英語で会話する。
全員での会話は共通語の英語になる。
時折、会話の途中で友人夫婦が突然、現地語(ヒンディ語?)で話し始める。
小心者の日本人は何か悪口を言われているのではないかと、とても気になる。
私たちは友人の子供を日本語で叱る。
そのせいか、子供が唯一知っている日本語は「ダメ!」である。

インドのほとんどの私立小学校では英語で授業が行われている。
日本でも最近では小学生が英語の勉強を始めている。
しかし、英語を勉強するのと英語で授業が行われるのでは雲泥の差がある。
今後の国際社会に於いて、この差がいろいろな面で表れてくるのではないかと危惧している。

ちなみに多言語のインドに長期滞在して、これまで困ったことは一度もない。
私たちは、ヒンディ語、タミール語、カルナーカタ語など現地語は一つもしゃべれないので、いくつあっても私たちには同じである。

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インドの挨拶 OPEN/CLOSE

インドの挨拶は、とても便利で朝でも昼でも夜でも「ナマステ」である。
「さようなら」も「ナマステ」である。
語尾に「ジー」をつけて「ナマステジー」とすると、より丁寧になる。
手を胸の前で合掌させる動作も加えると、更に丁寧になる。
バンガロールでは「ナマステ」が「ナマスカーラ」となる。
どちらにも「ナマス」と言う言葉があるが、これは、日本の「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」の「南無」に当たる。
「南無」は仏に帰依すると言う意味である。
仏教発祥の地インドと日本とのつながりは、ちょっとした挨拶にも見る事ができる。

長い間、バンガロールに滞在してきたが、インド人同士が「ナマスカーラ」と挨拶するのをあまり目にしない。
若者は「Hello!」とか「Hi!」と気軽に挨拶している。
日本人の私たちが「ナマスカーラ」と挨拶すると最初はびっくりするが、必ず「ナマスカーラ」と笑顔の返事が返ってくる。

挨拶は現地の言葉でするのが一番である。

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インドの時間 OPEN/CLOSE

インド人の時間感覚についてである。

良く言えばインド人は総じて時間に大らかである。
飛行機や列車が遅れても余り気にしない。
日本では、飛行機や列車は時刻表通りに来るのが当たり前であるが、インドには当てはまらない。
数時間の遅れは普通である。

以前、ビジネス講座で日本人の時間感覚を説明する際に、新幹線の分単位の時刻表を見せたが信じて貰えなかった。
時速300Km近くで走る列車の時刻表が分単位である事の必要性が理解されないのである。

インド人は、時間を守る事にもかなりルーズである。
以前、友人に同行してインド舞踊を観に行く際にも2時間待たされた。
インド舞踊は夜の8時から始まるので夕方6時には友人の家に行った。
友人が日課の散歩から戻って来たのが7時過ぎ、それからゆっくりとシャワーを浴びたので出かけるまでに家の中で2時間も待たされた。
結局、インド舞踊には3時間遅れた。

10分前には待合せ場所に行く日本人の私にはインド人の時間感覚はなかなか理解できない。
好意的に解釈すれば、この要因は日本とインドとの交通事情の違いかも知れない。
とにかく、インドの交通事情は悪い。
公共交通機関は定時運行などは最初から考えていない。
その証拠にバス停には時刻表はない。
道路は日常的に大渋滞である。
ランチの時間になると運転手はバスを道端に停めてランチに行ってしまう事もあるらしい。
個人の努力ではどうしようもないのである。
以前、約束の時間に10分遅れた友人に質した事があった。
その時の友人の答えは……

10分早く来るのも10分遅れて来るのも時間を守らない事は同じじゃないの……でした。

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インドの道路 OPEN/CLOSE

  
インドの道路には「混沌」と言う言葉が良く似合う。
とにかく、いろいろな物が行き来している。
人は勿論、牛も犬も羊もいる。
これらにバスや車や自転車やオートリクシャなどの乗り物が加わる。
道路上での動きは縦と横が普通であるが、インドでは各々が勝手気ままな方向に動いている。
どのようにして折り合いを付けているのか、不思議と流れが留まる事はない。

このようなインドの道路を横断するのは、譲り合いの精神溢れる日本人には難しい。
気をきかして車が停まる事や譲る事は決してない。
たとえ横断する人がいても決してスピードを緩めたりはしない。

インドの道路を横断するにはちょっとしたコツがある。
まず、カーブの近くでは決して横断しない。
道端で辛抱強く車が途切れるのを待つ。
そして、車が少しでも途切れたら速攻で渡り始める。
慎重に車の速さを見極めながら(何故か)斜めに渡る。
横断が出来ない時には、道路の途中でも躊躇なく立ち止まる。
いわゆる、細心の注意で大胆に渡る事である。
しかし、一番のコツは現地の人にくっついて渡る事である。
交差点に信号はある事はあるが、その意味は日本とは少し異なる。
赤はスピードを下げて進め、黄はそのままのスピードで進め、青はスピードを上げて進めである。
赤でも横断者(車)がいなければ停止しない車が多い。
青だからと直ぐに渡るのは危険である。

この道路はバンガロールからマイソールに続く最新のハイウェイである。

ハイウェイと言うには、いささかイメージが違うような気がするが、注目して頂きたいのはこれが「最新」の道路である事である。
日本のテレビに出てくる新規開通の道路とはあまりにも違いすぎる。
道路は平らではないような気がするし、汚れているし、所々に「わだち」も見受けられる。
何処を見ても白線など一つもない。
道路際のコンクリートも微妙な曲線を描いている。
中央分離帯には申し訳なさそうに木が植えられている。
気になりだしたら限りがない。
これがインドの道路工事の実態である。

インドにお世話になっている身としては申し訳ないので次は褒める。
実は街の至る所に最新工法の道路があるのに驚いている。

一見すると普通の道路のようであるが、中央部分を良く見て頂きたい。
ふっくらと膨らんでいるのがおわかりになるだろうか。
水道管が破裂したわけでもなければ、手抜き工事でもない。
「ハンプ」 である。
道路を凸型に舗装し、事前にこれを見たドライバーがスピードを落とすことをねらったものである。
私の住む街の道路にも「ハンプ」が採用されている。
当時は、日本でも「ハンプ」は珍しく他県の関係者が見学に来ていた。
インドでいつ頃から「ハンプ」が採用されているのかは知らない。
イギリスのロンドンなどでは市街地の道路に「スピードハンプ」と呼ばれる隆起が多数設置されている。
インドの「ハンプ」はイギリス植民地時代の名残りなのかも知れない。

ところで、あなたはこの道を通り抜ける勇気がありますか。

  
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インドの乗物 OPEN/CLOSE

     
日本人駐在員は会社の運転手付の車で優雅に買い物しているが、私たちは駐在員ではないので会社から車は貸与されない。
そうかと言って、自家用車など持つべく事由もない。
私たちの足はもっぱら「オートリクシャ」になる。

オートリキシャーは前部に運転席、後部に二人掛けの屋根突きの座席がある、大きな三輪車である。
二人掛けと説明したが実際は異なる。
これでもかこれでもかと人が乗り込んでいる。
詰め放題の特売のように人が乗り込んでいる。
通学の小学生などは6,7人はザラに乗っている。
大きなお尻が食み出して走っているオートリキシャーも珍しくない。

インドには流しのタクシーはないので、オートリクシャは庶民の足として定着している。
庶民の私たちはオートリクシャを良く利用する。
オートリクシャに乗る日本人はあまりいないので、私たちが乗っていると珍しがられる。

慣れてるとはいえ、オートリクシャに乗るのはかなりシンドイ。
何がシンドイかと言えば、オートリクシャの運転手様との交渉である。
まず、行き先はお客が言うが、行くかどうかは運転手様が決める事になっている。
遠い所や運転手様の気分が乗らない所にはまず行かない。
帰りの客が見つかりにくい所へも行きたがらない。
乗車拒否は当たり前。
乗せて頂けたら幸運と思うくらいの感覚が必要である。

乗せて頂ける事になれば、次は料金交渉が待っている。
オートリクシャにはメータがあるが、これは単なる飾りもの。
まず、メータで行く善良なる運転手はいない。
インド人以外の客となれば、なおさらである。

まず運転手様が料金をおしゃる。
インド人以外の客の場合は最低でも相場の倍料金。
運転手様の顔色を見ながら、こちらの希望額を申し上げる。
まず、1回でOKは頂けない。
粘り強い交渉が必要である。
現役時代のおこづかいの値上げ交渉のように…… 最後は10INRを巡る交渉になる。
10INRは日本円で僅か15円。
私はこれまでの滞在で大凡の料金は知っている。
私のような上級者ともなれば、ある意味で運転手との交渉を楽しむ余裕ができる。

これまでに私が学んだオートリクシャの賢い乗り方である。

◇ 白い帽子を被った運転手のオートリクシャは無視する
 イスラムの運転手は自己主張が激しいので交渉自体を楽しむ余地がない。
◇ 若い運転手のオートリクシャはねらい目である
 オートリクシャの運転手は地方から来ているので若いと交渉に不慣れである。
◇ 交渉時には知っている場所や道路の名前を連発する
 観光客と思われるとなめられる。
バーラ、ネーラ、エーダ等のヒンズ語やカンナダ語で道を指示すると効果大。
◇ 極力、メータでいくように仕向ける
 例えば、メータ+10INRと言う(+10INRはチップで15円)。
◇ 雨の日のオートリクシャと泣く子には勝てない
 雨の日のオートリクシャの運転手は極めて強気である。
無駄な交渉はせずに言い値に従う。

普通の日本人はインドでオートリクシャに乗る機会はないだろう。
万一、乗る機会があったら応相談。

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インドの宗教 OPEN/CLOSE

インドにはヒンドゥ教徒 とイスラム教徒が多い。
 ヒンドゥ教:約 80%
 イスラム教:約 10%
 キリスト教:約  3%
 シーク教 :約  2%
 仏教   :約  1%
その他はジャイナ教やゾロアスター教などである。
仏教発祥の地なのに仏教徒が1%なのは不思議である。

インドでは、私たち日本人は全て仏教徒と思われている節がある。
キリスト教やいろいろな宗派の宗教があると言うとビックリする。
そして、必ず「日本にはどれくらいのヒンドゥ教徒が居るのか」と訊いてくる。
さすがに、私も日本にいるヒンドゥ教徒の数は知らない。
ヒンドゥ教は民族宗教なので日本人のヒンドゥ教徒はいないと思うのだが……

とにかくインド人は神様が好きである。
町の至る所でヒンドゥー教の神様のポスターや落書きなどを見かける。
店先にはポストカードやワッペン・キーホルダー等、色々と神様グッズが売られている。
子供が生まれれば、神様の名前をそのまま借用して命名する。
神様が命名権ビジネスをしていたらいたら、インドは大金持ちの神様だらけになる。

ヒンドゥ教では、牛は神聖な動物として崇拝されているのでヒンドゥ教徒は牛肉を食べない。
イスラム教では、不浄であるという理由からイスラム教徒は豚肉を食べない。
したがって、インドでは食材としての牛肉や豚肉はほとんど見かけない。

先日、インドでしか経験できない出来事に遭遇した。
オアシス・モールでの出来事である。
オアシス・モールはバンガロール(インド全体)でも指折りの高級モールである。
私達の家からもオートリクシャで30分くらいなので以前から良く行っているモールである。
当日、何気なく生鮮品売り場を歩いていると、食料品棚の上の方に隠れるように見慣れない色の肉が陳列されていた。
手に取って見ると、BEEFという表示がある。
ここはインド。
ヒンズーが80%を占める国。
BEEFはその神聖な神の使い。
でも、私の好奇心はそれらよりも勝ってしまった。
そっと、買い物籠の下に忍ばせた。
ここまでは、大きな問題はない。

問題が起きたのは支払いのレジであった。
BEEFを店員が全く触らないのである。
BEEFは厳重にパックされている。
それでも触らないばかりか目もやらないのである。
レジの隅の方に追いやられたまま行き場所もなく置かれたままである。
そのうち、店員は軽蔑するかのように私たちの顔を一瞥すると黙って何処かへ行ってしまった。

異文化で理解が一番難しいのは食文化かも知れない。

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インドの動物 OPEN/CLOSE

ここはインドなので象やトラを主役にしたいが残念ながら主役は「お犬様」である。
日本ではいわゆる野良犬はほとんど見かけない。
ところがインドでは野良犬のオンパレードである。
さすがに一等地にある住宅地やショッピング街では見かけないが、私たちの住む新興住宅街では路上だけではなく至るところに居る。
特に、アパートの駐車場などの広いコンクリートがある場所には数頭が屯している。 彼らは昼間はほとんど寝ていて夜になると活動し始める。

私も犬を飼った経験があるが、普通、犬は人間と同じように昼間は起きていて夜は寝るものである。
しかし、インドの野良犬は夜行性である。
ライオンなどの野生動物は夜に行動するので、インドの野良犬はだんだん野生化しているのかも知れない。
私は野良犬と野犬の違いは詳しくは知らないが、その怖さは明らかに違う。
とにかくインドの犬とは何年居ても怖くて目を合わせる事ができない。
丁度、夫婦喧嘩をした後のように…… 食べ物などを持って傍を歩くと、匂いでわかるのか後をそーっとついてくる。
走るのは危険だし、そうかといって戦うのも大人げない。
こういう時は無視して歩くしかない。
丁度、夜道で私に後から歩かれているご婦人と同じように……

インドのお犬様には明確な縄張りがある。
この縄張りをめぐって壮絶な闘争が深夜に繰り広げられる。
その鳴き声と言うか叫び声はすざましい。
時々、耳やしっぽがちぎれたお犬様を見かけるがこの闘争によるものだと思う。
インドに来た当初は気になって眠れない夜もあったが今では全く気にならない。

私もだんだん野生化したのかも知れない。
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第十巻 南インド見聞録Ⅱ 目次 OPEN/CLOSE 

インドの新聞屋

  
私たちは、The Times of IndiaとBangalore Mirror の2紙を購読している。
The Times of IndiaにはBangalore Timesというおまけの地方版新聞が付いてくる。
インドに来て通算5年間にもなるが、いまだかつて新聞販売店なるものを見たことがない。
しかし、毎朝、しっかり新聞は届いている。

新聞は歌の題名ではないが、新聞少年が届けてくれる。
新聞少年は年の頃だと中学1、2年と言ったところであろうか。
とても明晰な顔立ちであり英語が堪能である。
新聞少年は家計を助けるためというのが定説であるが、もしかしたら彼は自分の健康のためにやっているのかも知れない。

新聞の配り方は片手一杯に新聞を持ち、空いている方の手で一気に各戸の玄関前に投げ捨てて行く。
新聞は1紙で大凡30ページあり、かなりの重さである。
この時に「バッサ!」という大きな音がするので新聞が来たことがわかる。
時間的には朝の6時30分頃から7時の間である。
以前に4階建てのこじんまりしたアパートメントに居た時には、信じられないかも知れないが新聞を丸めて表通りから4階のベランダに投げ入れていた。
時々は失敗するのが新聞が大きく破れている事でわかる。

実はバンガロールに来て3ケ月を過ぎたが、まだ新聞代は払っていない。
誰も請求に来ないのである。
気になって隣人に聞いてみたが、なんと隣人は6ケ月も払っていないとの事である。
大らか言うかインドらしいと言うか。
新聞代は1紙で5ルピーで2紙でも6.5ルピーである。
私の家では2紙とっているので、1ケ月で僅か200ルピー(300円)である。
新聞を古紙として売ると1ケ月分で約40ルピーにもなる。

未だ元手が0なので、これまでに120ルピー儲けた。
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インドの床屋 OPEN/CLOSE

先日、やむにやまれずにインドの床屋さんに行った。
それも、近くの地元の人しかいかない床屋さんである。
知らずにいると店の前を通り過ぎてしまうような薄暗い小さな問題の床屋さんである。
正確に言うと、問題があるのは私の方で床屋さんには何も問題はない。
まず、言葉が通じない。
次に、カミソリが怖い。
良く切れるから怖いのではない。
全く消毒していないのが怖い。
2年程前にもインドの床屋さんに行った経験があるが、店構えといい主の雰囲気と言い、今回の床屋は比較にならないくらい怖い。
とにもかくにも、まず入るのに勇気が必要なのである。
お店の前の道を行く人も店の前でボーット立っている私を見て不思議そうにしている。
きっと、彼らはこの床屋の怖さを知らないのだ。

いつまで待っても床屋さんが変わる訳ではない。
しかたがないので思い切って中に入る事にした。
何故か清水寺を思い出した。

案の定、店主は全く英語を話さない。
一方、私も全く現地語を話さない。
鏡を前に双方の睨み合いがしばらく続く。
手で後ろの髪を切る仕草をしてみた。
すると、店主は何も言わずにおもむろにハサミで髪を切り始めた。
私は下手な事を言ったりしたら何をされるかわからないのでただじっとしていた。
店主は黙々と器用に髪を切っていく。

道具はハサミと薄汚れた櫛が一つである。
電気と名のつくものは電燈以外は何もない。
その電燈もやっと点いている状態である。
椅子も手動式でドライアー、電気カミソリは勿論、シャンプ台すらない。

どうやら髪を切り終えたらしく、店主は、突然、ハサミをカミソリに持ち替えた。
どうみても、何年も消毒などはしていない代物である。
何千人のインド人の顔を剃ってきた年代ものである。
私などが剃ってもらうのは恐れ多いので「ダメ!ダメ!」と訳の分からない言葉で懸命に止めさせようとする。
店主は、私が言う事を理解したように一旦はカミソリを置くが、私が黙ると直ぐにカミソリを持つ。
こんなやり取りが2、3回続いた後、店主は諦めたのかカミソリを元に戻した。
私はほっとするとともに、店主の楽しみを裏切ってしまったような複雑な気持ちになった。

最後にお金を払う段階で店主は私の頭を見てぶっきらぼうに20ルピー(30円)と言った。
なんと、店主は少しは英語を話せるのである。
髭を剃らない分は安くしたかも知れないが、それにしても20ルピーと言う言い値にはビックリした。
インドでは言い値が高くてビックリするが、安くてビックリしたのは初めてである。
ちなみに、妻が行っているパーラ(美容院)は1回800ルピーでなんと私の40倍である。

良い経験と言うにはほど遠いが、インドの日常の一コマを体験した一日であった。
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インドのクリーニング屋 OPEN/CLOSE

正確に言うとアイロン屋さんである。
確か前に何処かで大量の洗濯物が干してあるのを見たことがあるので、インドにもクリーニング屋さんはあるのだろうが、私達の周りにあるのは単にアイロンをかけるだけの文字通りアイロン屋さんである。
実はこのアイロン屋さんがなかなか厄介なのである。

まず、何時、お店を開いているかが皆目、見当がつかない。
開いていると思って洋服を持って行くと、突然、店が閉まっていたりする。
一度、閉まってしまうと何日も開かない時もある。
急ぎの物は出せない。

次に、頼むのがこれまた厄介なのである。
英語は勿論、ヒンズー語や現地の言葉すら話せないのである。
それでも普通の物は手振り素振りでどうにかなるが、絹のような微妙なものは恐ろしくて頼めない。

料金はハンカチやワイシャツなどは僅か4ルピー(6円)である。
大きさは関係ないのかと思い、一度、大きな敷布を頼んだがさすがに4ルピーではなかった。

一人が一度に何枚も出すが日本で言うタグ類は一切、付けない。
それでも、依頼主と依頼物はキチント覚えているらしく間違える事はない。
どうやって、覚えているのか知りたいが全く会話が成り立たないので、多分、永遠に不明なままだ。
インドには私の理解を超える御仁が時々いる。

アイロン屋さんも間違いなくこの一人である。

記事CLOSE
インドの主婦 OPEN/CLOSE

とにかく、自己主張の強さが目立つ。
特に、隣州のタミールナード州の出身者は目に余る。
スーパなどのレジでは平気で割り込むし、レストランなどでは自分の子供が暴れているのは知らんプリしているくせに、他人の子供がちょっとでも騒ぐと強い口調で叱る。
傍若無人とはタミールナード州出身の主婦のためにある言葉かと錯覚する程である。
良く親の顔が見たいと言うが、私はタミールナード州出身の妻を持つ夫の顔を見てみたい。

実は…… 私の友人の中にもタミールナード州出身者を妻としている御仁が何人か居る。
かわいそうとは思わないが災難だとは思う。
偏見ではないが、大凡の友人が恐妻家である。
以下は、タミールナード州出身者を妻としている御仁の実話である。

その1
ある御仁の家のベットルームは、天井、壁、ベット、家具まですべてピンク一色である。
本人が日本に行っている間に、妻がデザイナーと相談して決めてしまったようである。
きっと、毎夜、変な夢に魘されていると思う。
その2
ある御仁の家ではアパートの家賃回収はすべて奥様がしている。
理由はアパートの家賃収入は将来の子供の教育費に使うので、夫には一切、触れさせないためである。
せめて、お小遣い程度はあげてほしい。
その3
ある御仁の家では隣家との境界線でもめていたが交渉していたのはいつも奥様であった。
少しは、夫の出番も作ってあげてほしい。

また、タミールナード州出身の奥さんは結婚すると何故か直ぐにふくよかにおなりになる。
ベジタリアン(菜食主義者)なのに太る理由がさっぱりわからない。
昼間はスナック菓子を食べらながらテレビを見て、夜の9時過ぎにバターやギーなどで コテコテに炒めた夕食を1時間かけて食べているダケ…….と言うが。

自己主張が強いお相撲さんたちにいつも囲まれて生活しているのを想像して頂ければ、私がヘキヘキしている理由が、 少しはおわかり頂けるのではないだろうか。
写真と本文は(直接は)関係ありません。
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インドの子供 OPEN/CLOSE

インドには2種類の子供しかいない。
お金持ちの子供とそうではない子供である。

 
私は圧倒的に後者の子供が好きだ。

とにかく、インドのお金持ちの子供は性質が悪い。
平気で物を路上に捨てる。
飛行機やレストランで傍若無人に振る舞っているのは必ずお金持ちの子供である。
これは確かな事である。
何故なら、お金持ちでない子供は路上に捨てるものは持てないし、飛行機には乗れないし、レストランにも行けない。

実は私たちはインドに滞在中に4回、物を盗まれた。
そのうち、3回は取られた物を取り戻したが電子辞書だけは最後までしらを切られて諦めた。
盗んだのは何れも私たちと同じアパートに住むお金持ちの子供である。
子供と言っても12歳と19歳の分別のある年齢である。
盗む子供にも問題はあるがもっと深刻な問題は彼らの親である。
自分の子供を信じるのは自由であるがその対応には唖然とさせられた。

まず、19歳(女子大生)の子の場合は、母親が一方的に電話で私たちの対応(単に物がなくなったので知らないか聞いただけであるが)を詰った。
次に、父親が子供と一緒に家に押しかけてきた。
実は父親と私は面識がある。
初対面の印象では普通の父親と思っていたが、子供の事になると見境がつかなくなるのか支離滅裂な事を言い続けた。
埒が空かないので、私は以前にもその子が物を盗んだ事を話した。
その事実を子供に確かめた父親は、私をそっちのけで激しく子供を詰りながら帰って行った。
その後、その子からも両親からも一度も詫びの言葉はなかった。

12歳の子供の件は、つい先日の事である。
私のパソコンのインターネット接続機器(USB)がなくなっていたのである。
私は遊びに来ていた二人の子供がパソコンのある部屋に入っていったのを目撃していた。
そこで、子供の家に行き確認しようとした。
あいにく子供たちは外へ遊びに行っており会うことが出来なかったので、その子の母親と探していると子供が帰ってきた。
母親がインターネット接続機器の事を聞くと、その子は突然、どこかに行き友達と一緒に戻って来た。
友達の手にはインターネット接続機器があった。
私は二人の子供にインターネット接続機器を捕ったのは誰か尋ねたが、二人とも自分ではないと言い張る。
すると、母親が私の責任で確認すると言ったので母親を信頼して部屋に戻った。

しばらくすると、母親は子供と父親と三人で部屋に来た。
何故か、父親は初対面なのにニヤニヤ薄ら笑いをしている。
母親はいきなり自分の子供と友達のどちらがやったと思っているか私に聞いてきた。
このやりかたは、インド人が良く使う問題のすり替えである。
私は事実を知りたいだけであると突っぱねた。
実はこの子供は以前にも私の机から手帳を盗んだ。
私も相方も、この少年の仕業であることはこの少年の友人から聞いていて知っていた。

母親はどちらが取ったかわからないので盛んに問題をクローズするべきだと言っている。
子供は母親の隣でまるで関係のないような顔をしている。
とんでもない話である。
普通の母親なら、子供を叱責して事実を聞き出す。
埒が明かないので私は最後の通告をした。
それは警察に調べてもらう事である。
インドの成金は周りの評判を異常なほど気にする。
以前の19歳(女子大生)の場合も警察と言う名前を出したら盗んだ事を認めた。
すると、この少年も意外にあっさりと盗んだ事を認めた。
私と相方は少年を許した。
そして、三人は家に帰って行った。
事実が判明したにもかかわらず、この時も両親からは一言の謝罪の言葉はなかった。

子供は本来、純真で無邪気なものである。
それは顔に表われる。
一度、インドに来て邪気に満ち溢れた金持ちの子供の顔をよーく見てほしい。
ついでに同じ顔をした親の顔も見てきてほしい。

記事CLOSE
インドのお金持 OPEN/CLOSE

お金持ちの友人が何人かいる。
別に財産目録を盗み見したわけではないが住んでいる家や話の内容からそれとなくわかる。

一番のお金持ちはプリーマ家である。
御主人は既に退職しているがバンガロール市の税務部門トップの経歴を持つ。
奥様は某大学の現役の学部長である。
家が近い事もありプリーマ家には良く行く。
家はバンガロールでは超高級住宅街として知られているHSR-LAYOUTにある。
ここは超高級住宅街だけあって、平均坪数はざっと400坪くらいである。
プリーマ家は地下1階で3階建である。
何回も家に入ったが正確な部屋数は知らない。
何しろ、地下だけでも5部屋以上はある。
一部屋だけでも私の(日本の)家のリビングの3倍はある。
これだけで、プリーマ家の大きさは想像できると思う。
宮殿までとはいかないが御殿のような大きさである。
日本のお金持ちの家も確かに凄いがスケールが違いすぎる。

家の中はもっと凄い。
3階まで吹き抜けのリビングの床は総大理石で50畳は下らない。
正面には大きなボードがあるが、この大きさが縦4mで横が6mもある。
映画館のスクリーンを思い浮かべてほしい。
そして、上に通じる螺旋階段も総大理石で両側には紫檀の手摺が施されている。
階段の入り口には見事な紫檀の仏像が置かれている。
紫檀は日本ではよく仏壇に使われている高級木材である。
それを3階まで通じる螺旋階段にふんだんに使っているのである。
小遣い稼ぎに紫檀の仏像を持って帰りたいと密かに思っている。

次に神様の部屋が凄い。

部屋の周りはこれまた紫檀の彫刻で埋め尽くされている。
当然、床や壁は総大理石である。
もっとも凄いのは、神様の部屋なのに広さが5畳くらいある事である。

プリーマ家の総資産は知らないが、マイソール郊外に広大なフォレストを所有し、最近は日本の青山通りのような一等地に全面ガラス張りの4階建てのビルを建てた。
プリーマさんのご主人は、私たちにインドに家を建てろと盛んに言う。
インドではよその国の人間は個人的な不動産は所有できないが、いとも簡単に「私が政府から許可を取ってやる」と言ってのける。
元タックスコミッショナーというのは、それくらい凄い権限があるらしい。

記事CLOSE
インドの結婚式 OPEN/CLOSE

インドでは「お見合い結婚」が多い。
お見合い結婚が多いのは、同じヴァルナ(varna:階級)や同じジャーティ(jati:生業)同士で結婚した方がうまくいく場合が多いと考えているからである。
最近は、バンガロールのような都市部ではお見合い以外の結婚も増えている。
友人は奥様のハルシニさんをインターネットのお見合いサイトで見て、その後「占星術」で相性を調べてから結婚したそうである。
新聞紙のお見合い欄には、顔写真を始め、使用言語や髪や瞳の色などが掲載されている。
結婚式の準備はだいたい半年くらい前から、長い時には一年前から始まる。
年収の4倍をつぎ込む大事な儀式であり、その準備にも長い時間を掛ける。

先日、相方が友人のプリーマさんに誘われて結婚式に出席した。
結婚するのはプリーマさんの従妹の子供である。
従妹の子供の結婚式に親の叔母の外国の友人が出るなど日本では考えられない。
インドでは新郎新婦との関係など気にすることなく実に多くの人が結婚式に出る。

日本人がインドの結婚式に行くとなると、いくつかの悩みがある。
まずは、何を着ていくかである。
日本を代表して出るには、それなりの身なりが必要である。
一応、日本から和服は持参しているが、結婚式ともなると髪型や着付けの問題がある。
現地のサリーやドレスも持っているが正式な物ではない。
結婚式には金色のサリーが一般的らしい。
結婚式用に買うにしても、これからそんなに使うとも思えないので無駄になる。
結局、当日の金色のサリーはプリーマさんに借りる事となった。
次は御祝いである。
手ぶらで行くのも日本代表としては気が引ける。
日本では現金を祝儀袋に入れて渡す。
インドでもお札でできた派手な首飾りを新郎の首にかける。
金額は凡そ200ルピーぐらい。
僅か350円なので、あまり親しくない近所の人にはとても重宝する。
しかし、日本人がお札でできた派手な首飾りをあげるのはどうか。
手ぶらで披露宴に行くのも……。
結局、プリーマさんと相談して200ルピーくらいの銀の小物入れにした。

インドの結婚式と披露宴の様子を相方から聞いた。

インドは暑いので10月から2月までが結婚式シーズンである。
結婚式も夕方から始まる。
新郎は真っ白なシャルワニに着替え、短剣とゴージャスな宝石を身につけ着飾る。
バラモンの僧侶と思われる偉そうな人が全体を取り仕切り、お米を撒いたり、甘いお菓子をお供えしたり、亡くなった親族の写真にお祈りしたり、お金で清めたりする。
インド人でもしきたりを知らない人がおり、僧侶に細かく指示されている。

  
インドの結婚式と披露宴は屋外にテントを張って行われたり、建物の中であっても会場の半分は屋外になっていて誰でも自由に出入りができるようになっている。
建物もドアというドアはあけたままなので出入りは自由である。
結婚式と言うよりも何かの舞台公演のようである。

  
招待状はあるが、席次はなく仲人の挨拶や友人の祝辞などもない。
いつ式が始まっていつ終わったのかは全くわからない。
流れ集合で流れ解散である。
参列者は、順番に新婦と新郎の傍に行きお祝いを述べる。

  

インドの結婚式は親戚も多く、友人も大勢招待するのでとにかく人が多い。
単なる通りがかりの人も平気で入場し、好きに物を食べることが出来きる。
誰か知らない人がいても、結婚相手の親戚か友人と思い気にはしない。
お祝いの日なので、どんどん飲んで食べてくださいという感じである。
時には村中の人が集まり、何百人もの料理を用意することもある。
インドの結婚式は通常は3日くらいであるが正式にやると数週間に渡る。
結婚式以外にもいろいろな儀式がある。
これらの儀式の一部始終は専門のカメラマン、照明、音声の三人組がいつもついて回り、ビデオに収める。

ビデオは全体で4時間ぐらいのかなりの長編になる。
この間は新郎新婦ともにムービスターの気分に成れるのである。

以前、プリマ―さんの長男の結婚式のビデオを見せて貰った事がある。
その時、新婦を見て驚いた。
インド映画に出てくる女優そっくりある。
ただ美しいだけではなく振る舞いに貴賓が漂っている。
私などが話しかける事など、とても出来そうもない。
後日、その新婦を紹介すると言うのでドキドキしながら行った。
そして……

私はインドのビデオ撮影技術の凄さを知った。
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最終巻 インドに教えられた事 目次 OPEN/CLOSE

日本の素晴らしさ

海外から帰ると日本の素晴らしさと日本人である事の幸せを再認識します。

安全で清潔で秩序があり社会インフラも整っています。
道路や公共場所にゴミは見当たりません。
蛇口から出る水は何も考えずに口にすることができます。
信号に従えば安全に道路を渡れます。
交渉することなく騙されることなく定価で物が手に入ります。
バスや電車は整然と安心して乗る事が出来きます。

こんな当たり前の日常がとても素晴らしい事に思えるようになりました。
第二、第三の人生を日本で過ごせる事に感謝しています。

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インド人の生き方 OPEN/CLOSE

◇ ケ・セラ・セラ
ある時、友人が職を失いました。
まだ、40歳前で妻子も居ます。
私が心配すると「どうにかなる」の一点張りで、挙句の果ては「何故、そんなに心配するのか」と言い出す始末です。
インドの人は、将来に対して楽観的です。

将来のことを考え過ぎると悪い方向になりがちです。
少し肩の力を抜いて自然の流れに身を任す余裕を持つようにしたいと思います。

◇ 十人十色
ある時、友人に「あの大きな家に住みたい?」と聞きました。
答えは「あの家は違う。
違うから何とも思わない」でした。
インドの人は、他との比較はあまりしません。

他との比較は、良ければ他人を卑下するし、悪ければ自分を卑下します。
これからも自分らしく生きていこうと思います。

◇ 日々好奇心
インドの人は私たちに日本の事をいろいろと聞いて来ます。
「原発はどうした?」「新幹線のスピードは?」「ヒンズー教徒の数は?」「忍者は元気か?」 インドの人は、老若男女を問わず好奇心が旺盛です。

年寄りとは好奇心を失った人を指すのかも知れません。
好奇心だけは失わないように心掛けたいと思います。

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インドとの関わり方 OPEN/CLOSE

これまでに、可児市、下呂市、高山市からの依頼で南インドを紹介しています。
これからも、この活動は続けていきたいと考えています。

     

謝辞

この日記は7年間に渡る南インド長期滞在の日常生活の様子と、その中で私たちが見聞きし感じた事を率直に書いたものです。
私たちは、いわゆるバックパーカでもなく駐在員でもありません。
普通の日本人がインドでの普通の日常生活を書いたものです。
皆様が知っているインドとは違ったインドを少しでも感じて頂けたら幸いです。

私の拙文を長らくご愛読頂いた皆様と何かとご支援下さった管理人様に感謝します。

私の我儘に7年間も付き合ってくれた妻に感謝します。

そして、何よりも私たちを迎い入れてくれたインドと多くのインドの友人に深謝します。

感想や問合わせはメールでお願いします。
shin732@wh.commufa.jp
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