定年後の過ごし方

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投稿者KAZUさんのProfileプロフィール

管理人紹介文
南米ボリビアのサンタクルスの日系宿を拠点として、南米を自由に楽しんでいるリタイヤ世代男性に、投稿をお願いを して、実現しました。今ではかなり多くのリタイヤ世代のオジサンが南米を歩いているのですが、ほとんどがペルー・ブラジル の観光地或はチリやアネゼンチン都会が多い中、戦後最悪環境の日系人移住コロニアと呼ばれていた、ボリビアの平原部に位置する サンタクルスを拠点と云う、初めて耳にするお話なので、是非と記事の投稿を依頼しいただきました。
長文なので、一回目は此処に至るまでの投稿者KAZUさん「老後の備え」・「退職後の生活」・「海外旅行」を掲載します。
1950年生まれの今年65歳、東海地方在
20代の前半にスペインに旅してから、海外旅行の虜に 今まで行った海外旅行は50回位
英語はアメリカに5年の赴任でもほんの少し、 スペイン語は20代で覚えたので英語よりまし程度。
旅行だけでなくビデオ撮影も大好き、趣味が高じてプロとして 結婚式のビデオ撮影も30代中ごろから始め、今も撮影依頼あり、 旅行にも、大きくて重いビデオカメラを持参して撮影して来たが、 今ではスマホでそこそこ撮れるので、重たいカメラは止めた。
念願だった家と同時に、男の城のガレージも完成してDIYと農作業と 海外ロングステーを何故か義務のように続けている年金受給者
老後の備え 第一章

私が初めて海外に行ったのは、第一次石油ショックの翌年の頃 ? でした。
何故、老後の備えと海外への個人旅行がクロスするのか、ぜひ終わりまでお読みください。
そのころ成田はなく、羽田からの格安便アエロフロートでモスクワ・旧ベルリン経由で ローマに到着しましたが、なにぶんにも英語もろくに話せず、苦労した事を今でも思い起こされます。

ローマ→フィレンツェ→ベニス→ニース→マドリード→マラガ→ミーハース→アロラと回り、ミーハース とアロラに約1.5年滞在してきました。
また当時滞在していた1975年11月に独裁者フランコが死亡し、一時は国が内戦になるのではと危惧 しましたが、ほどなく落ち着いたのを今でも思いおこします。
若かったとはいえ、怖いもの知らずでいろいろな事に接し、またいろいろな人達にも巡り合い、 人には真似出来ない青春時代を有意義に過ごせたと、本人は思っていました。
その後もダラダラとフリーターをしながら何度かスペインに行ったりしていましたが、 しかし今のかみさんと知り合い、状況が一変しました。

老後の備え 第二章

35才になっても定職にも付かず、貯金も一銭もないこんな私に、一緒になってから愛想をつか れ、最初はあきれていましたが、落ち込んでいても仕方がないと、共に発起してサラリーマンの 仕事のかたわら、土日は婚礼のビデオ撮影と、がむしゃらに働いてきました。

その後、勤めていた会社で、団体の個人年金に入らないかとの勧誘があり、一口入ったのが 老後への備えの始まりでした(これもかみさんの勧め)が、まだ漠然としていました。
その頃はバブル崩壊の前で、かなりの率が良かったと記憶しております。
30代後半からサラリーマンとして勤め始めたので、年金の支払い期間は長くても25年程度なので 年金受給額もたいしたことはないと思い、その後2口個人年金を追加して現在に至っている 次第です(受給期間10~15年間)。
1998年頃から、55歳早期退職を目指して、エクセルでその時点から80歳位までの、タイム スケジュールを作成してはシュミレーションを繰り返して来ました。

老後の備え 第三章

2002年52才の時にアメリカ勤務の辞令 (超超ロングステー ? ) をもらい、この時点で55歳早期退職 をあきらめ、赴任している間はそのまま働くを事を決心し、結局2007年まで5年間働いてきました。 この当時はリーマン・ブラザースのショック前だったので待遇が良かった(リーマン後の収入が65% くらいに下がった)ので、5年の間にかなり貯蓄ができ日本に戻った時のタイミングで早期退職を 決意しました。

日本に帰って来て直ぐに退職願いを出し、受理されるのと同時に、小売店を経営している義理 兄が脳出血で倒れたので、そのまま義理兄の店を手伝うようになりました。 義理兄の症状は比較的軽く済み、今は販売とパソコンは私が担当して、義理兄は社長としての 仕事に専念しています。
私達には子供がいないのと、親と同居で家の心配もありませんでしたので、57歳の時点での 貯蓄額は、9桁には届かなったものの、それにちかくあったので、上手く取り崩しながら60歳からの 厚生年金、今年65歳からの国民年金を受給して現在に至っています。

Coffee break: アメリカで暮らして分かった、全然通じない旅に関する和製英語
キャッシング → withdraw
ガソリンスタンド → gas station
モーニングコール → wake up cal
ホテルのフロント → recepcion
ノートパソコン → laptop
テイクアウト → to go
コンセント → outlet
バイキング → buffet
ハンドル → steering wheel
オープンカー → convertible
ホームスティ → stay with a family

GET
アメリカでアメリカ人と話しをしていた時に、GETが話題になりました。
日本人はなんでもGETを使いすぎだと言うのてす。
日本人の私 : I got this CD yesterdy.
アメリカ人 : How did you get this CD?  Did you stieal? ( ;∀;) 万引きしたの? と突っ込まれますので、要注意・・・・
さあここで問題です
ロングステーは英語でしょうか、和製英語でしょうか ?

老後の備え 第四章

鎌倉リタイアさんの受け売りになりますが、我が家の現時点での退職年金生活を公表します。

支出
生活・食費 90,000
雑費 45,000
税金・保険・他 35,000
夫小遣い 30,000
妻小遣い 30,000
水道(井戸がある) 500
浄化槽 3,800
新聞 2,900
電話(固定・携帯) 5,000
ADSL 3,000
NHK 2,200
ガス 1,500
電気 電気代が多いのは、
冬の間家まるごと蓄熱基礎暖房しているから
10,000
生命保険 2,500
支出合計 258,900
収入
サラリー 120,000
年金(妻の分含まず)
(来年からアメリカの年金あり)
110,000
個人年金2口
今年から10年と15年
61,800
収入合計 291,800
収支 +32,900

娯楽費・海外旅行費は含んでいないので、 他に別口(残りの個人年金1口)で特別雑費を計上してあります。
しかし海外旅行費は当然これでは足りず、毎月分配型投資信託のあがりを回しています。 我が家の貯蓄・投資割合は預貯金52%・国債28%・社債12%・投信7%・他2%となっています。 (国債は1年以上持っていれば、元本割れは無く解約すれば普通預金と同じになる) ただ投信は現在の為替相場の影響から、収益が悪化しているのは事実であり、「運用は するな、普通預金に入れておけ」は正しいと思います、私の場合は過去に為替のおかげ で、かなり利益を得たので、いつ処分しても良いと思っています

今後70歳位までは、体も動くし、仕事もできるとの前提でこれまでのプランで進めていこうと 思っていますが、仕事も無くなり体も動かなくなれば、まずは妻の年金を計上し、また海外旅行 費を取り崩して、あてがっていこうと思っています。
そしてつつましい生活を、新築した家(当分の間はリフォームなし(和製英語=使い方の間違い)) で、70歳以降の余生を過ごせれば・・・と思っています。

退職後の生活 その第一章

私の場合は、退職後の第二の人生を以下のように考えたことはありません。
 ・青春18キップで旅をしてみました。
 ・趣味のサークルにも入ってみました。
 ・人気の海外ロングステイの地へも行って見ました。
 ・市民活動ボランティアにも参加してみました。

典型的なB型とみな言うが、自分は我関せずなので、町内会の活動や隣近所の付き合い 等は最低限に抑え(というよりみんなと上手く付き合えない)ている反面、一人でできる事を 生きがいに生活しています。

退職後の生活 その第二章

我が家はかみさんの先祖から代々受け継いだ広い宅地と畑があり、ほんの10年前までは 父や母が管理していたのですが、相次いで亡くなってからは私と妻とで管理をして来ました。
東京生まれ、東京育ちの私にしてみれば、こんな田舎の生活なんてと思って、サラリーマン 時代は仕事の忙しさにかこつけて、全て親任せにしていました。
しかし受け継いでやってみると、他人の事を気にせず、マイペースでやれる畑・庭仕事は 自分に合っていると再認識し、寒い時期以外は農・庭作業に精をだしております(いつまで 出来るかは分かりませんが)・・・( ゚Д゚)

退職後の生活 その第三章

サラリーマンを退職後、たまたま義理兄の小売り店に働きに行けたのも幸いしたと思っています。 義理兄も体が動くうちは、店を続けたいと言っており、現実に70才を過ぎているのに、シャキシャキ としており、私より体が若いのかと思ったりしています
現在働いている店は、販売対象が農家や庭屋・・・等なので、自分で行っている畑・庭仕事に全て 関係していて、とても参考になるのですが、最大のメリットは冬に仕事がない事なのです。 ですので秋から冬は12月を除いて休みが長期にわたって取れるのです・・・(^^ それが海外ロング(ミドル)ステーへの始まりでした。

海外旅行 その第一章

結婚してからも、かみさんと一緒にいろいろな所へ行って来き、ヨーロッパはフランス・イタリア・ スペイン・ポルトガル・イギリス・スイス・ドイツ・ポーランド・チェコ その他はメキシコ・ジャマイカ・ カリビアンクルーズ等旅して来ました。

又アメリカへ赴任した時は西海岸を除いて、アメリカ各地を車(飛行機は4回だけ)で見て回り、 1日で1,000km走るのもたびたびありました、普通のアメリカ人より旅行したと思います。 またアメリカ駐在中、かみさんは母の介護とアメリカ暮しの為、たびたび日本との往復をしており、 空港で搭乗直前のボランティア募集(オーバーブッキング)に積極的に参加して、金券とビジ ネスクラス獲得のプロとなった次第です、なにせ1日2日の遅れは問題ないのですから・・・

海外旅行 その第二章

アメリカ赴任前に父を亡くし、帰国してからは歳をとった母親の面倒をみながら、海外旅行を 続けてきたのですが、当然二人そろって出かけることなど出来るはずもなく、交互にやりくり して行ったのでした。 その母も今年の2月に92歳で亡くなり、そして今が本当に退職後の二人での生活となりました。

海外旅行 その第三章

両親の介護などもあり、ここ10年の旅行は各自一人での旅行と変化してきました。
彼女が行った所は、ヨーロッパと赴任時期を除いてハワイが25回、ベガスが12回、その他が数回 ですが、私や母と一緒に行ったのは数回で後は全て一人旅です。
行く回数が多いのでマイレージがかなりたまり、何度も無料航空券で旅を楽しんでおり、さらに 私の陸マイルにも触手を伸ばし食い漁っているのが現状です。
私達の旅は、介護し始めてからは基本的に各自一人旅です、ですからお互い重ならないように 旅程を調整しています。
彼女が行く英語圏のアメリカへ2週間のロングステイで、一人で生の英語に接し、語学力をキープ したいとの事が最大の理由です。 2週間にかかる費用にたいして、駅前留学の○○にかかる費用が相当かかると聞ていますし、効果 の面が全然違います。
英語能力関しては、彼女は勉強から学んだ正統派の英語、私はと言えば現場でのたたき上げ ヒアリング重視の、多少文法が間違っていても構わず通じるのが最優先、なので英語に関しては いつもバカにされてます。
語学に関しての私の持論 → 読んで書いて覚えてはいけない、聞いて話して覚えるべし 日本にいたら難しいと思います、だからロング・ステーは最良・最適の語学のツール・・・・・

海外旅行その第四章 南米ロングステイ

退職後の生活その第3章でも書きましたが、私の職場は秋と冬に仕事がないのが普通です、 何故なら農薬と肥料の販売がメインなので、冬にはほとんど買い求めに来るお客はありません
そして我が家の畑と庭も、冬は草もあまり生えず、せいぜい剪定作業ぐらいなので、この期間は 1~2ヶ月休んでも問題ないので、長期旅行に行かれるのです。
過去に有給休暇を1~2週間程度取り、ヨーロッパをメインにいろいろと行きましたが、南米への 旅行は遠すぎるのでありませんでしたが、1~2ヶ月問題なく取れる今が南米旅行の始まりでした。

しかし何故南米なのかと言えば、
私がサラリーマン時代勤めていた工場に多くの日系人が 働いていたのが大いなる理由です。
殆どはブラジルからの出稼ぎの人達だったのですが、他にペルー・ボリビア等の国々からも 来ており、老後の備え第一章で書いたとおり、社内でスペイン語が分かるのは私一人、それ程 理解できる分けでもないのに、彼らの責任者にされみんなの面倒を見てきました。

その中にボリビアから出稼ぎに来た人から、あなたは南米にぜひ行くべきだと言われ、会社を 退職してから3年後の2010年初めて南米のボリビアに行ったのがきっかけです。

この時は、スペインで40年前に大変お世話になった人が亡くなったこともあり、お墓参りをかねて スペイン経由で初めての南米旅行だったので、南米に居た期間はわずか2週間程度でした。
初めてのボリビアに、一抹の不安を抱きながら空港に降り立つと、そこには日本に出稼ぎに 来ていた人のファミリーが、プラカードを抱えて立っていたのを昨日のように思いおこします。 この時私を向かえに来ていた人は、自営のタクシーをしており、ほとんど毎日のようにいろいろな 所へ連れて行ってもらい、いろいろな人達を紹介してもらいました。
これをきっかけに2011年~2013年までの間は年2回・約40日滞在のペースで旅して、サンタクルス をベースにして、南米の各地へと(全てバス移動)精力的に旅をしてきました。

これまでに旅した所は
ボリビア
(ラパス・コチャバンバ・コパカバーナ・ウユニ・トリニダード・スクレ・ヤクイバ・プェルトスアレス)、

ブラジル (ボニート・フォスドイグアス)、

アルゼンチン
(ブェノスアイレス・サルタ・カラファテ・ウシュアイア・プエルトイグアス)、

パラグアイ (アスンシオン・シウダデルエステ)

チリ (プエルトモン・サンチャゴ・イキケ・アタカマ)

ペルー (クスコ・マチュピチュ)

エクアドル (グアヤキル・ガラパゴス)等々です。

しかしここまで快調に飛ばしてきた車体に変化が・・・、それはある日突然にやってきました。 一昨年ぐらいから膝の痛みとしびれ、股関節の不自然な動きに戸惑い、2014年からの南米 への旅行は、年1回にスローダウンせざるを余儀なくなりました。

そうです、老いは確実にやって来たのでした・・・
70才くらいまで問題ないと考えていましたが、甘かったです。 そこで今まではどこに行くにも、バスを利用して時間をかけ移動しては、次から次へと都市を 渡り歩いていた旅の方法を変更し、いわゆる滞在型にして、出かける所も1~2ヶ所にしぼり、 移動は全て飛行機に変更しました。

また日本からサンパウロまでのエコノミークラスでの超長距離移動も、年1回にした分の浮いた 旅費をビジネスクラス利用に変更して、カタール航空のHPから直接予約・発券しております。

番外編: 何故アメリカ経由ではないのか?

アメリカ赴任の際E2ビザというのを取得し、アメリカでの生活と日本との往復にはかかせないものでした。
アメリカのビザの種類(インターネットより)
A-外交、B-一時訪問、C-通過、D-乗務員、E-駐在員、F-留学生、G-国際機関、H-一時雇用、I-報道、 J-交流、K-婚約、L-同系企業、M-留学 といろいろあり、詳しくは55歳からの鎌倉リタイヤライフの ハワイステーで確認して下さい。

私のE2ビザとは※
アメリカにビジネス投資をした人に発行されるビザ 1. ビザは通常5年間有効。その後何度でも再申請が可能。
2. 滞在期間は最初の入国時は通常2年。その後はアメリカを一度出国し、再入国すれば自動的に 滞在期間が延長される。
3. アメリカ国内でビザをスポンサーしている会社に就労できる
4. 家族の方はE-4ビザで入国できる
5. 移民局の審査は必要なし。直接アメリカ大使館に申請できるため、取得時間が短くてすむ。
6. 滞在期間に制限がないため好きなだけアメリカに滞在できる。このため「永住権にもっとも近い 非移民ビザ」といわれている。
以上のように、恵まれたビザが2度目の有効期限内だった為、会社を辞めてからアメリカを訪れた さいに仇となりました。 それは同僚を訪ね観光もかねてアメリカを訪れた時に問題となりました。

※ 入国時の審査官とのやりとり
何しにアメリカにきたのか → 観光です。
あなたはE2ビザを持っているのに、観光とは何故なのか → 会社を辞めたからです。
そのビザはどうしたのか → アメリカ大使館に返却した(嘘)
どうやって返したのか → 郵送です(嘘)
その後もいろいろと聞かれ、やっと入国できたのでした。

これにこりて、またサービスの悪い米国系の航空会社もしかり、以後はヨーロッパ経由を そして世界一サービス良いと言われているカタール航空を利用し始めたのです。
鎌倉リタイアクラブに書いてありましたが、ビザに付いて私もいつも疑問に思っています。
・・・近年、離婚 した芸能人がやたらと、ハワイに住んでいますが、「松原千秋」も「花田美恵子」も ここ、ハワイカイに 住んでいるとのことです。 どんなビザを持って暮らしているのでしょうか?聞いてみたいものです(←受け売り)。


幸いにも現在は(2015年)体調が落ち着いており、しびれ・痛み等はなくなり普通に歩けるように なりました、もしかしたらビジネスクラスのA級グルメが効いているのかも知れません・・・(;^ω^) 2014年1月の南米へはボリビアのアマゾン、トリニダードへ3泊4日、ガラパゴスへは8泊9日だけとし、 35日間のうち18日間はサンタクルスに滞在して、現地の友人達と過ごし充実した時が過ごせました。

今年もまた南米はサンタクルスに来て、この投稿を書いています。 のんびりと現地で暮らすうちに、何故気楽に現地で暮らせるのかが解かってきました。 コミュニケーションを全て現地の言葉(スペイン語)でやり取りができるようになったからだと・・・。 しかし私の語学力では、ニュースやこみ入った話は理解できるべきものはないのですが、 ある程度意思の疎通がはかれるのは、とてもロングステーにプラスになると思います。 勿論私のスティしている周りには、日系人もたくさんおりその影響もありますが、やはり言語を 理解できるのは素晴らしい事だと実感しております。

本来なら1月から2月にかけてこちらに来るのですが、今年(2015)は去年の5月からスタートした 家の建て替えが予想以上に伸び、今年5月にやっと終わり、9月に待ち望んでいた南米ロング ステーが実現した次第です。

番外編2 : 普通ホテル症候群

私達は国内旅行にはもともとあまり行きませんでしたが、家の建て替え中は海外旅行に行くほど家を 空けられないので、2回ほど1泊2日で近場の温泉に行って来ました。
温泉そのものは良かったのですが、最新の設備とある程度の広さを確保できた家に住み始めてみると、 今年2度程行った国内旅行はいろいろな面で我が家に比べて見劣りし(それ程費用をかけていない 旅行の為)あまり行きたくなくなったのは、思わぬ誤算でした。
5つ星クラスのホテルに泊まれれば良いのでしようが、もともと貧乏性の私達には急に変えられはず もなく、今後の国内旅行は未定です。 今のところ、私もかみさんも体にあまり変化もなく・病気もないので海外一人ロング・ステーを続けたい と思っています。


バブル勝ち逃げ団塊世代の妄言どおり、以下は全て事実だと思います。

・退職後男性の人生は思っているほど長くない
・60才から65才は第二の青春、やりたかった事をやる時期
・気力・体力・好奇心は65才を境に下降し続ける
・海外ロングステイ・海外放浪の旅はどんなに長くとも70才まで
・日本人の健康年齢、男性70才は本当です
・還暦60才は、暦ではなく人間の体、構造からきている普遍の真理です


我が家は子供がいないので、これまで蓄えてきた半分程度を、70歳位までは旅行・娯楽教養費等に に使ってしまっても問題ないので、その後をいかに過ごすかが今後の課題です。
またその時が来たら投稿したいと思います。
2015・11 Issue Kazu

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投稿者Kazuさんのブログ風南米旅行記2~9は、投稿をお待ちして順次掲載していきます。

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