湘南・鎌倉から リタイヤ16年目 BLOG19

団塊世代の残された人生の、日々感じる事・出来事、想いを書き述べています



4/19 年金シニア年齢層がメインの団体パックお花見ツァーに参加してみた。

16年前の退職直後、東北青森をメインとした、団体パック旅行に参加したことがあります。
弘前城と角館を廻る2泊3日、クラブツーリズムでした。
4月中頃から後半にかけては、普通のサラリーマンではなかなか休暇が取れない時期でもあり、退職したら イの一番に、東北の桜を見たいと考えていましたので、退職後の国内の旅は初めての団体ツァーに参加した経験があります。

その時感じたことは、全て込々の団体パックツァーは確かに、移動は楽ちんですし、旅行費用も個自由旅行 に比べたら、格段に安い・・・のですが、まるで大きな子供の遠足です。
旗をかかげた添乗員の後をゾロゾロと歩き、昼のお弁当の席まで決められ、桜の名所観光地では、帰りのバス の時間をきっちりと決められ、どんなに素晴らしい情景が目の前に広がっていようが、或いは反対に天候が悪く 全くカメラの対象がない時でも、時間をコントロールされます。
ただ座っているだけで、次の目的に連れて行ってくれる、点と点の移動、お任せの食事・・・
それは、子供の遠足であって、大人の「旅」ではないのです。
それ以来、国内の団体旅行パックは参加したことがありませんでした。

海外も一部の国々を除いてほとんど個人自由或いは、夫婦単位の手配旅行でした。
しかし、国情の違うシリア・ヨルダン・イラン・パキスタン・中央アジア諸国などは、団体パックが好きでない私たちですが、 仕方なしに日本の地域専門旅行社のツァー参加でしたが、主催者・参加者のレベルは高く、満足の行く旅ができました。

今回、二度目の国内団体パックに参加した大きな理由は。
個人旅行で行くには、足の便が悪い桜の名所が結構あるのです。
乗り鉄、撮り鉄ファンの私たち夫婦の足は、公共交通機関特に列車です。
常に一都市に滞在して、出来るだけJRや私鉄を乗り継いで、観光地に向かい、自由に心いくまで、自分たちの時間を エンジョイしているのですが、今回のケースで云うと、 「三春の滝桜」と「花見山公園」は鉄道駅からかなり離れています。
それでも行こうと思えば、最寄り駅からバスは出ていますが、圧倒的に本数が限られ、ヘタすると、一日一ケ所しか見れない のです。
今回のように、「三春の滝桜」と「花見山公園」を同じ日に廻るのは至難の業です。
ましてや、会津鶴ヶ城と山形霞(が)城、二本松霞(かすみ)城を一日で廻るの不可能なのです。

今回の阪急交通社の日程は。

一日目 東京駅集合 7:10 新幹線新白河下車
・白河 小峰城
・三春 滝桜
・福島 花見山公園
 宿泊は裏磐梯のリゾートホテル
二日目
・会津若松 鶴ヶ城
・喜多方 日中線枝垂れ桜並木
・山形 山形霞(が)城
・二本松 二本松霞(かすみ)城
・帰路 新白川から新幹線 東京駅21:50解散
総費用
一泊二日、昼食二回、夜、朝ブッフェ 入場料込みで一人29,900円なり

信じられない値段に釣られて、ついつい、過去の団体パックのあのツァーバッチをつけて、添乗員の旗の元ついて歩く、あの恥ずかしさ を我慢して、申し込んでしまいました。
ツァー出発日の10日前あたりから、毎日お天気と桜開花状況をネットで調べる毎日でした。

桜を見て、映像に納めるには、第一に桜開花状況と第二にお天気です。
個人自由旅行でしたら、お天気はともかく、桜開花に合わせていくことはできるのですが、ツァーは無理です。
どんなに、お天気が吹雪いていても、桜が咲いてなくても、散っていても出かけなくてはならないのが、団体パックツァーなのです。

第一日目、東京駅の集合場所に行くと、クラブツーリズム、阪急、JTB旅物語、その他旅行会社の団体でいっぱいでした。
4月15日、東北の桜ツァーの最盛期初日なのです。
私たちのツァーは、3台のバスの2号車で36名。
私たち36名のうち、男性5人グループ一組、、女性3人グループ一組、後は全て私たちと同じ夫婦での参加でした。
どうみても、年齢層は平均75歳前後と見受けられます。
60代の我が家のカミサン一人が場違いな感じでした。

7つの観光地、桜の様子は、鎌倉レポートにて掲載予定です。



4/12 新語「8050問題」とは、新たな社会の課題「ひきこもり、孤立と困窮」

団塊世代の退職後、老後の生き方、過ごし方をテーマにしたホームページを運営しているせいか、新聞・マスコミ各紙の 記事には丁寧に目を通しています。
先月の朝日新聞一面のサブ中見出し「ひきこもり、長期高齢化」、「中高年61万人、20年以上19%」に目が留まりました。
一面の記事の詳細は三面で詳しく紹介する、かなりの力の入れようで、読んでみました。

「8050問題」とは何だ、解説では

全国61.3万人、40~64才の中高年ひきこもりの広がりが内閣府の推計で初めてあきらかになった。
老いて行く親とひきこもる子の孤立と困窮は、80代の親と50代の未婚の子の世帯の困窮という意味で 「8050問題」とも呼ばれる、どう支援していくか、新たな社会の課題となっている


ひきこもりの定義とは、今回の調査では

仕事や学校など社会参加を避けて、家にいる状態が半年以上続くこと こうした人たちを把握するため、今回の調査では、 普段は家にいるが近所のコンビニなどに出かける人らも「ひきこもり」とみなした。
加えて、これまで一律に除外していた専業主婦(夫)や家事手伝いの人で、最近半年間に家族以外と会話が ほとんどなかったと解る場合、今回から「ひきこもり」に含めている。


「ひ老会」(ひきこもりと老いを考える会)

そんなネーミングの会が紙面で紹介されていました。
ひきこもりの高齢化に直面する40代以上の当事者、経験者が集う交流の場のようです。

・親亡きあと、息子が一人で行きねばならない期間を35年間とし「餓死しない」程度の蓄えを残さねば・・・
・年末年始、一言もしゃべらずに過ごしたと云うシニア男性
・中高年のひきこもりにとって自分の死をどうするかかが悩み。それ以前に認知症になったらどうしよう。

ひ老会について 長期・高齢化するひきこもり その実態と解決のヒントとは
NHKが2018年に特集を組んでいたようで、NHK NEWS Webで紹介されていました。


私たちの世代の「7040問題」

「8050問題」は現在70代団塊世代がかかえる「7040問題」のすぐ先にあるのです。
私たち団塊世代の抱える老後の問題点の一つに「未婚・非正規就労の団塊ジュニア」問題があります。
この私たちの世代の子供たち団塊ジュニアは時代に翻弄され続けてきました。
大学卒業時の就職氷河期、それに続く小泉政権による非正規雇用業種の拡大、女性の社会進出による晩婚化 、非婚化、長引く経済成長低迷期。
親世代の私たち昭和生まれの世代は子供の能力・努力の問題と捉えており、自己責任、と考えていました。
私と同じ70代の家庭にはかなり高い割合で、非正規・独身の息子さん、お嬢さん、或いは離婚して孫を連れて戻って 娘さんと同居してる団塊同世代家庭は多いのです。

ひきこもりの定義を当て嵌めれば、子供たちの世代の問題だけではなく、シニア男性にも当てはまるのです。

  1. 1日家族以外の人と会話したことがない考えて
  2. 外出は近くのコンビニ程度
  3. 外界からの情報は、新聞・TV・インターネットのみ
  4. 地元コミュニテイの接触はなし
良く考えてみれば、一週間のうち、なん日は、カミサン以外、誰とも話さない日があります。
NPOセンターの私がやらなければ誰もやらない仕事を一日、パソコンに向かっている日は、ありますし、 外出したって、誰とも会話をしない日もあります。
相当の努力をしないと、70代に入った団塊世代は、世の中、政府機関からみれば「ひきこもり」と見られるのでしょう。

最後に
「ひきこもりは個人や家族の問題と捉えられ、偏見は根強いが、社会全体の課題」
と結んでいました。
でも、古稀を過ぎると、積極的に出歩くよりも、自宅の自分の部屋が一番居心地の良いの確かな事実なのですが。



4/5 そろそろ本格的終活の実践、カミサンの銀行窓口・貸金庫デビュー

カミサンの母親が亡くなり、ほんの少しですが遺産相続があり先週、カミサンの口座に振り込まれました。 振り込みがあったのは、地元の銀行からの電話で知り、とりあえず記帳して確認し、振り込んで来た妹に連絡が必要となり ましたので、カミサンに銀行に行くように伝えました。

銀行へ行くのが大嫌いなカミサンは
カミサンは私に、「記帳してそこから一部、お小遣いとして幾らか、現金で降ろしてきて」と云います。 結婚して以来、お金の管理などは全て、私の役目だったのですが、71才を迎え、そろそろ私が亡くなったり、長期入院する ことも考えられるので、これを機会にカミサンに自分で銀行に行って、記帳・引き出しをやってもらわなくてはいけません。
今時、信じられないでしょうが、我が家のカミサンは、銀行へ一人で行って、CDでお金の出し入れをしたことが有りません。
「それは、貴方の役目でしょ」と敬遠していたのです。

貸金庫の仕組みを覚えてもらわないと
銀行のカード・通帳・印鑑は貸金庫に入っています。
貸金庫に保管するほどの財産はないのですが、退職直後から10年間、海外ロングステイを目指していた私たちは、日本の家を 空けることが多いので、地元の銀行のなかで一番安い貸金庫を借りました。(年間15,000円)、 それ以来、毎月月末に翌月の二人の生活費や、小遣い、旅行費用などを降ろすのは私の役目です。
貸金庫室への入室カードはカミサンが保管し、貸金庫本体の鍵は私が保管しています。
Wチェクの体制は確かに安全なのですが、何時までも二人が健康でいられるかは解りません。

今回初めて、貸金庫室への入室、自分の貸金庫の開け方、貸金庫から退出を、私のサポートなしで実践してもらいました。
貸金庫室入室カードの暗証番号は以前に教えてあったのですが、忘れていたようです。
次に、実際に自分の貸金庫をあけなくてはならないのですが、鍵には何番の金庫なのかは、書いてありません。
それも、以前教えてあったのですが、忘れていました。
退出の際に、入室に発行された一時的なキーの返却をしないと、外に出られないことも、今回学習してもらいました。

銀行窓口オンジョブトレーニング
次に、窓口へ行って自分の口座から、必要な金額を降ろす、実践トレーニングです。
68才になるカミサンは、窓口やCDからお金を降ろすのも初めての経験です。
「自分の預金口座から本人の私が降ろすのに、なんでこんなに手続きをしたうえ、色々聞かれなくちゃいけないの?」と云います。
「今、銀行はシニア女性が現金を降ろす時、必ず、オレオレ詐欺ではないかと、声掛けが義務つけられているから」と私。
「私、そんな年寄り、シニア、おばあさんに見られるのかしら」とカミサンは不満顔でした。
ちなみに、銀行で聞くと、CDコーナーから一日に降ろせるキャッシュは50万円だそうです。

CDコーナーに慣れてもらう
先ず、この貸金庫と銀行窓口を経験してもらい、次は年金が振り込まれる銀行へ移動です。
来月の二人の生活費、公共料金、旅行費を現金で降ろさなくはいけません。
二人の年金振込口座は同じ銀行にしています。
先ずは、記帳して現在の残高を確認します。
「なんだ簡単じゃない」と云うカミサン。
「記帳や入金は簡単だけど、出金はそうでもない」と私。
カミサンは、カード・通帳を入れる順番や、暗証番号で何回か間違えます。
昔、これをやって後ろに並んでいる人に迷惑をかけたトラウマがあり、懲りてやらなくなったのです。 「昔と違って並ぶ列は、フォーク並びだから気にしなくていいよ、解らなくなったら行員を呼べばいい」と私。
必要な現金を降ろし、次は公共料金支払い口座のある銀行へ移動します。
ここは、入金だけですから簡単でした。

次に向かうのは、クレジットカード引き落とし口座のある銀行へ向かいます。
カミサンはそろそろ飽きてきたのか、「一つの銀行で全てやれないの?」と云います。
「口座を分散しておかないと、事故がおきた時危険だから」
「日本の銀行は安全と思わない方がいいよ」
「クレジット引き落とし口座には、常に必要最低限プラス10万程度の残高にしておくのが鉄則」と私。

貸金庫に戻して施錠確認
最後は再び貸金庫がある銀行に戻って、通帳・カード類を戻して終了です。
「必ず、指差し確認して、金庫に閉まってね」と私。
「貴方は、毎月こんなことをしていたの?」とカミサン。
「そう、結婚以来40数年づっと、これからは君がやらなくては」と私。
「まだ早いはよ。いつまでも健康でいてね」とカミサン。
「それにしても、普通の家庭の奥さんはみんな、やっているのかしら」
「私たちは、銀行まで徒歩圏だから良いけど、ちょっと離れた人達って半日仕事ね」
「私、現金をこんなに持って歩くのは心配、今晩のおかずを商店街でお買い物するから、お金を持って先に帰って」 とカミサン。

今日の一回でカミサンが全て、理解したとは思っていませんが、これから機会がある毎に、すこしづづ終活の一環として やってもらわなきゃ。



3/29 団塊年金シニアの最大関心事は、「遺産相続」・「お葬式」・「介護問題」

最近の週刊誌は、若い世代のネットからの情報入手が中心で、活字離れが進み購買層のメインはシニアになっているようでして、 扱う特集記事は各社ともに毎週なんらかの形で「遺産相続」・「お葬式」・「介護問題」を扱っています。
毎週毎週、同じような内容なのに、それでも実際に買って読む人が多いのでしょう。
今週「週間現代」は、当サイトブログでも扱っている、定年後、老後の住まいについてでした。

60過ぎてからの選択は、失敗すると取り返しがつかない
自宅を売って老後の資金に、は大間違い
・「戸建てを売ってマンションへ」予想外の出費がこんなに。
・「家を売って老人ホームへ」突然の倒産、予想外の長生きリスク。
・「家を売って子供と同居へ」優しかったのは最初だけ、自分の居場所を失う?
・「少し小さな家、少しだけ田舎へ」環境の変化はストレスへ

買って読まなくても、キャツチコピー、見出しだけで内容は想像できますが・・、コンビニでの立ち読み程度で十分でした。

さて、 我が家のカミサンは、先々週「老後資金がありません」垣谷美雨著 中公文庫を読み終えると、次は同じ著者の「夫の墓にははいりません」 を買って、一心不乱に読み始めました。
お互いに高齢者となり、活字離れは進み、なかなか昼間、リビングや自分の部屋で本を読む機会が減っています。
今、我が家のブームは、早めの夕食後、ぬるめの39℃のお風呂に入り、タイマーを1時間にセットして本を読むのが流行っています。

一時間してお風呂から出てきたカミサンは、自分の部屋に戻って再び読み始めていました。

「今度の本のテーマは何なの?」
「そんなに面白いの?」と聞くと
「子供のいない私たち夫婦にも当てはまる話なの、」
「そうだよねと共感する内容ばかり」
「何の話なの?」
「お葬式、遺産相続、介護。」
「シニアの三大テーマよ」
「読み終わったら貸してあげるわ」

かなり分厚い350ページの本を2日間で読み終えたカミサンから借りて、読んでみました。

粗筋は・・・40代の子供のいないご夫婦の話
東京下町生まれの主人公の主婦と長崎の旧家出身の夫は、東京で知り合い結婚し、東京に住んでいました。
夫の転勤で、故郷長崎に引っ越しし、港の見える高台に家を新築し、東京と違った地方の暮らしを楽しんでいました。
主人公の女性は、知らない土地ながらも、長崎の名家の姑さんは、東京下町の定食屋を営んでいる実家の母と違って、 上品で教養もあり、実に良くしてくれます。
子供がいないので、パートとして勤めたタウン紙も面白く、友達も出来て楽しい長崎の生活でした。

しかし、夫が長崎市内のビジネスホテルで脳出血で急逝します。
どうして、東京に出張のはずが・・と云う疑惑を考える暇もなく、葬儀が進行していきます。
お葬式は、全て長崎の名家である夫側の姑さんの手筈で旧家に相応しい規模で進みます。
お葬式の費用は全て、夫の実家が負担してくれました。
お葬式が終り、今後どうしようか、このまま長崎で暮らすか、東京に帰るかと思案します。
新しく建てた港の見えるこの家が気に入っていたし、パートではあるが遣り甲斐のある今の仕事も好きだし、この家で 暮らそうかと思っていたら、突然自宅に大きな立派な仏壇が届き、姑さんが現れました。

家を建てた時に、合いかぎを渡していたのです。
大きな立派な仏壇は、今後一人で過ごすことを想像していた、港の見えるお気に入りリビングの隣の和室を占領するように置かれ ました。
その後、姑は彼女の留守にも上がり込んで、その仏壇の前で泣き崩れているのです。
49日が過ぎると、納骨です。
姑と夫の実家の墓地に行くと、墓に夫の名が刻み込まれていました。
そして、姑に、「私たち夫婦もこのお墓に入るのよ、貴方の名前も今回入れてもらったわ」と云われ、墓誌の裏をみると 赤く刻んだ、自分の名前がありました。

私はこの地でずっと暮らし続ける運命なのか・・・と思案する主人公
夫の実家には両親と、引き籠りの40代独身の姉がいます。
やがて、舅が認知症を発症しているのを知ります。
葬式と仏壇の費用の裏返しは、この先年老いた夫の両親と引き籠りの義姉の世話・介護なのだと悟るようになります。
この土地は好きだし、この家も好きだが、40代半ば以後の人生を、自分の知らない裏が垣間見える夫の両親・家族の為に 捧げなくてはならないのか・・・と考えるようになります。
友人に云われます。
「嫁には、舅・姑の遺産相続権はないのよ、それでも社会的には、亡くなった息子の嫁として舅・姑の老後の世話は 当たり前とおもわれているのよ」と
結末は買って読んでください。

読後感想
この小説の物語設定はかなり私たち夫婦に似ています。
子供のいない夫婦、二人とも実家から離れて都会で生活している。
伴侶が逝っても、残されたほうは贅沢は出来ないものの、ある程度の生活は維持できる経済環境にある 違うのは、二人ともにお互いの両親の介護経験もなく、両親のお葬式も終わっていること。
そして、葬儀・お墓に関しては、少なくとも私の実家のほうは、地縁・血縁関係が薄いので全く無頓着。
お葬式にしても、亡くなってから知らせてくれればそれで結構と云う間柄です。
カミサンのほうは、それで済ませられるかどうかは、その時にならないと解りませんが、しかし、99%私が先なので どうでもいいと思っています。



3/22 高齢者は部屋を借りられないのか、これからもっと増加する「終の棲家」問題

新聞紙上である投稿に対しての反響が現在論点となっているようです。
80才の一人暮らしの女性の投稿がきっかけです。
夫を亡くし、一人暮らしになった女性は、少々広い戸建てを売り払い、娘夫婦が住む近くの賃貸物件を探すのですが 高齢・一人暮らしを理由に断られ続けている、趣旨の投稿について、 リスクを考えると貸せないと云う貸側の投稿が多くあったそうです。

  • 家主が住居を貸すのは「営業」の為である。
  • 店子といえば子も同然は、今は通用しない。
  • 家賃滞納リスクは若い世代よりも低いが、病気・死亡の確率が高い
  • 部屋で亡くなると、次の賃貸に大きく影響する。
  • 公的な見守りをする組織の補償がないと貸せない

等々ありました。

私たちの場合
現在、鎌倉の80平米超のマンションに住んでいます。
最寄り駅から徒歩9分※不動産公式表示・・・・確かに越して来た当時、15年前は駅まで9分で楽勝でした。
それも成田空港に行く為にスーツケースを引っ張っての時間でしたが、最近は、乗る電車の時刻の15分前には 家を出ています。
そして当初感じていなかった駅までの坂道は、古稀を迎えた今少しの傾斜を感じています。
ベランダの前は公園で部屋からまわりの谷戸の自然や、子供たちの遊ぶ声が聞こえます。
買い物は、湘南のアメ横と云われる庶民的な駅前商店街、徒歩10分の大型ショッピングモール、徒歩数分の 地元スーパー・コンビニで十分満足しています。
医療関係は、徒歩12分に大型地域基幹総合病院があります。
行政関係の支所・図書館・公民館も徒歩10分以内にあります。
生活便利な環境の上、廻りは男子進学校・キリスト教系女子高がある文教地区でもあり、かなり満足しています。

しかし、私たち二人の間では、将来的にはここを売り払って、何処か2LDKの中古マンションに買い替えるか 或いは少し広めの賃貸を考えてます。

理由は、これからのどんどんと出てくる老後の病気と逝き方を考えたからです。
昨年、兄(72)・妻の母親(92)を見送って自分たちの終の棲家について、改めて考えています。
実兄はがん宣告後、地元の姉と兄が介護保険の手続きや、訪問看護の手配などを行い、死後の葬式、アパートの引き払いまで 全てやってくれました。
同じ地元に住む肉親・兄弟だから出来たことです。
昨年末の妻の母親の場合、 妻の妹夫婦が同居しており、認知症気味で何度もの入退院の繰り返しの生活を2年ほどで逝きました。

この二人の闘病生活、介護生活、逝き方を見ていたカミサンは、私が逝った後の生活に大きな不安を抱きました。
私が逝った後のカミサン一人での老後生活資金のメドは、30年間分は確保しています。
経済的な問題はクリアしていても、一人暮らしで、母親と同じように、軽い認知症になったり、ガン宣告されたりした時 「私の世話は誰が見てくれるの?」と云います。
介護保険・行政の支援、介護保険・・・でも肉親のような訳にはいかない。
基本的には、これらの支援をあてにするけど、やはり血のつながった肉親・親族となるのが日本の社会だから。

そこで、何時かはここを引き払い、かなりの現金・預金を持って、甥っ子・姪っ子のいる地方都市に賃貸物件を借りようと 考えました。
この齢で新しく物件を買う必要はない、現金を持つ方が、子供のいない夫婦は自分たちが頼りにする、肉親 甥っ子・姪っ子のためになる、(金で親族の世話をあてにするのか・・?、と問われるかもしれませんが、ないよりは随分マシ )と考えていたのですが、この投稿記事を見て、考え方を変えなくてはいけないのかな、と考えるようになりました。

日本では、最終的には「自己責任」が常に付きまといます。
建前は、国家、行政、社会保険、地域共同体でしょうが、最終的には自己責任、 そして頼れるのは、やはり肉親・資金力・・・となるのが現実でしょうか。



3/15 退職年金シニアの冠婚葬祭 都市部と地方農村部の違い

退職する前に、すでに退職していた諸先輩に色々お金にまつわるお話を伺っていた時、現役時代と違って意外と 大きいのが、冠婚葬祭費用と医療費と云われました。
確かに、自分が齢とっていくのですから、廻りの親族、友人知人も年老いてゆき、葬儀に関わる出費は現役時代と違って格段に増えていくでしょうし 冠婚にしても、55才と52才夫婦の早期退職ですから、甥っ子、姪っ子の結婚もこれから増えていくのは目に見えていました。

私の生まれ育ったのは、地方の県庁所在地の大繁華街の街中でした。
小学校頃からの遊び場は、近くのデパートの屋上やスーパーのなか、そして名刹寺院の境内でした。 父・母は同じ市内でも郊外の農村部の出身ですが、実家は農家ではなく何れも勤め人だったり、商売をしていました。 一方、カミサンが生まれ育ったのは地方の農村部です。
今でも最寄鉄道駅からは、二時間に一本の少ないバスで45分ほどかかる地域やお寺さんとの結びつきが強い、昔ながら風習が残っている、地方の田舎です。

当然ながら、各々の地域の冠婚葬祭の慣習の違いがあります。
退職後に最初に訪れた「どうする?」は各々の甥っ子、姪っ子の結婚式です。
私の甥っ子の場合、実姉から 「どうする?、出でくれる、」 「遠方からで新幹線も高いし、○○子さんまで来てもらうのは大変だから、貴方一人で良いわ」と云われました。
カミサンと一緒ですと、交通費も倍になりますし、兄の家に泊まるのも面倒でホテルのほうがどれだけ良いか、と云っても実家に泊まらない と断るのも義姉に何かと失礼になるのです。
結局、私一人で、気楽に参加しました。
カミサンは喜んでいました。

次に、カミサンの姪っ子の結婚式がやってきました。
カミサンの地では、兄弟の子供の晴れやかな舞台ですから、叔父叔母揃って出席するのは当たり前なのです。
しかし、交通費はともかくとして、泊まる所はカミサンの実家となります。
運転免許を更新しなかった私たち二人はとって、娘を送り出す準備で忙しい実家に送迎をお願いするのは避けたいし、他人の私への気遣いも大変でしょう。
カミサン一人なら何とでもなるでしょうから、私は行くの辞退しました。
向こうの家には、上手に伝えてくれ、とカミサンに頼みました。
案の定、私が出席しないのに不満があったように聞こえてきました。
冠婚葬祭の冠婚に関しては、団塊ジュニアの晩婚化が原因で今のところ、この2つだけですんでおり、後5人の甥っ子の結婚式の話は全く有りません。
何れにしろ、我が家のルールでは、自分の側だけの出席と決めています。

さて、葬祭のほうですが・・・・
昨年冬、私の実兄が亡くなり、寒い一月の信州で葬儀を行いました。
出席者は残された姉・兄・兄の伴侶・兄の長男・末弟の私の五人だけです。
最初から生涯独身だった兄の葬儀は、兄弟だけの家族葬と考えていましたので、私の伴侶が、わざわざこの寒い季節、 新幹線に乗って、 冬の礼服を抱えてくる必要はないと、姉・兄から事前に云われていました。
ましてや、カミサンの実家、姉妹に伝える必要はありませんでした。
その後の49日、納骨なども私一人の出席でした。

元々、私の家族は地方と云っても、町なかで育ち、父親が6人兄弟の末っ子だったこともあり、そんなに濃厚な姻戚関係、冠婚葬祭 の付き合いは、限られた範囲でした。
子どもの頃、母の弟、つまり私の叔父が亡くなった時でも、出る必要はないと云われたことを覚えています。
その後、私が首都圏住み、家庭を構えるようになると、実家の兄からは、親戚関係の冠婚葬祭の連絡はいっさい有りません。
父母が亡くなった後、実質的に家を継いだ、兄は薄いとは云え、叔父叔母、従兄の範囲までのお付き合いはしているようです。

カミサンのほうの葬祭はたいへんです。
数年前、カミサンの姉妹の伴侶の兄弟が亡くなり、「わざわざ来なくても良いけど、お香典幾ら包む」 と云う電話連絡がありました。
兄弟の伴侶の兄弟?、それって何親等になるの?、私の地元では考えられない、親戚でも、親族でもない範疇です。
しかし、カミサンは亡くなった母の病室にも来ていただいこともあるし、全くの他人でもないので、 せめてお香典でもと、葬儀に出席する姉に託しました。

何処の範囲まで列席或いはお香典を包むか

  • 自分の兄の配偶者(自分からみて義姉)の祖父祖母は4親等
  • 自分の兄の配偶者(義姉)の父母 は3親等
  • 自分の兄の配偶者(義姉)の兄弟姉妹 は4親等
  • 自分の兄の配偶者(義姉)の兄弟姉妹の子どもは5親等
昔なら6親等までは親族と言われましたから、全て出席でした。
しかし今は、都市部なら3親等といわれていますが、年金シニアの世界では、相当親しい間柄でないと、 兄弟の配偶者の両親の葬儀には出向かないでしょう。
次に葬儀のお香典の相場と云うものがあるようです。
父母
5万円から10万円
兄弟
5万円
祖父母
1万円から5万円
親族
1万円から3万円
友人
5千円から1万円
職場関係
5千円から1万円
仲人
1万円
恩師
3千円から1万円
隣近所
3千円から5千円

これも一般的な相場であって、亡くなった方との関係の濃さにもよるでしょう。
そして、現在退職リタイヤ年金シニアの生活環境における葬儀はどうなっているか

私の住む鎌倉での場合
趣味のクラブ、スポーツクラブ、ボランティア団体の間では暗黙の取り決めなのでしょうが、家族・身内或いはご本人がなくなっても 連絡は致しません。
皆さん、連絡があれば何かしらの義理で列席や、お香典のことを考えるでしょうから、これらのお知らせはしません。
葬儀が済んでから必要があれば、ハガキ等でお知らせすることはあります。
定年退職期に入ったら、廻りだけでなく、何時自分が逝ってもおかしくないご同輩なのです。



3/8 小説「老後資金が足りません」 垣谷美雨著 中公文庫 を読んで

カミサンが読んでいる本

夜中の1時頃、最近だんだんと間隔が短くなってきた尿意を感じて、トイレに行くと廊下越しのカミサンの部屋から灯が漏れています。
※団塊世代、神田川世代の私たち夫婦は、結婚前の1DKのアパート時代は別として、マンション購入後40余年、寝室は別です。※

カミサンの部屋をノックしてのぞいてみると、本を読んでいます。
「まだ寝てないの?、何を読んでいるの?」
「読み始めたら面白くてやめられないの?」
「何の本なの?」
「女性目線で書かれた、老後資金のお話、貴方のホームページの参考になるから、読み終わったら貸してあげるわ」

現役時代は往復2時間強の通勤電車でしたから、1週間に一冊のペースで文庫本を読んでいました。
退職後はそんな空間・時間がないうえに、本格的なパソコン時代の到来で本を読む機会はめっきりと減りました。
その上、老化による視力の低下で、文庫本の小さな文字が疲れるようになってきています。
先月の旅先に同じ著者の本を持参したカミサンが読み終わった本を貸してくれました。
しかし、乗り鉄派の私はせっかく知らない土地なのですから、車窓に流れる風景のほうが優先でよみませんでしたが、帰宅して から東京に行く用事があったので、その本を借りてもっていきました。

確かに、面白い。
老後退職後の生活、過ごし方については、多くの退職シニア男性の手記や小説は数多くありますが、女性、主婦目線で 書かれたものは少なく、ここに登場する女性の性格、考え方があまりにも、我が家のカミサンと 似ているのにびっくりしました。

小説の粗筋は

主人公の篤子は55才パートで経理をしている、夫は58才中堅の商社勤め、戸建てに住み、退職金でローン返済を考えている。
子供は二人、上の女の子は28才で結婚を控えており、下の男の子は今年大学を卒業して就職も決まっている。
話は、篤子の失業から始まる。
小さな会社のパートの経理ながら長年勤めており、代れるものはいないと自負していたところ、 経理のIT化で失業してしまう。
貯金が1300万円あり、失業保険も貰えるしそんなに慌てなくても良いかとのんびりと次のパート先 でも事務職とを考えている。
この頃、娘の結婚式の費用についての問題が起きる。
相手の男性は都内に勤める会社員、実家は地方のスーパーの経営者。
相手の実家としては、盛大にやりたいと都内の一流ホテルでの挙式を提案しており、費用は600万円、両家で半分づつ負担 しなければならない、花嫁である長女は引っ込み思案で、自己主張できないタイプの子で、短大卒業後も定職につかず づっと派遣の為、貯金は全くない。
結婚式の費用半分と新婚旅行、新居への引っ越しなどで、親が400万ほど負担しなくてはならない。
主人公の篤子は、頭の中のソロバンを弾くまでもなく、老後資金が減るのを恐れ、簡単な質素な家族だけの結婚式を提案するが 相手の実家はおろか、自分の夫までも、せっかくの自分の娘の一生に一度の晴れ舞台だからと云って結局、400万負担する。

やがて、次の問題が発生する。夫の父親の死
夫の実家は都内の老舗の和菓子屋さんであった。
両親二人は、店を畳んで売却し、その金で千葉のリゾート型老人フォームに入居する。
入居一時金やら何やらは両親が払ったが、毎月35万円もかかる、入居して20年経つと、当初の自己資金は底をつき、 二人の国民年金でははるかに足りず、夫と夫の妹が月に9万円仕送りしている。
そこに父親の死、遺産は千葉の田舎の別荘戸建てのみ、預貯金はゼロ、葬式を上げなくてはならないな。
夫の妹は、篤子の夫が長男なので葬儀一式を取り仕切り、費用の全額負担を求めてくる。
葬儀社の打ち合わせが始まり、その費用明細にびっくりする。
燃やしてしまう棺桶一つが最低でも10万円もする。
祭壇はピンキリで、葬儀社の担当女性は 「一般的には普通、中の上程度を選びます」というが、値段は100万もする 「どうせ使いまわしのリース品」なのにどうして、と思うが、夫は昔の和菓子業界知合いも来るから、ある程度の葬儀にしたい それに、葬式はお香典で半分は還ってくるからと云う。
廃業して20年にもなる父親への昔の仲間は誰一人来ず、香典はわずか。
結局、葬儀には300万の出費となる。
またしても、老後資金は減り600万円になり焦る。

市の学習センターのチラシで、老後資金と退職後についてファイナンシャルプランナーによる講座があると、出かけて みると、ほとんどは自分で調べたことや、ネットで書かれていること同じで幻滅する。
頭の中に、65才定年で必要な資金は、住宅ローンは完済されており、子供の結婚・学資がない状態、夫厚生年金・妻国民年金 の夫婦の場合の必要な資金は最低3000万と云う数字のみが残る。

最悪の事態が発生する
夫の会社が倒産し、失業する、予定していた退職金はゼロ
夫婦二人で失業、姑への月々9万円の仕送りが負担になり、結局、男の子が就職で空いた部屋に姑を引き取り同居することになる。
この間に、主人公篤子の女友達との付き合い、確執などが細かく描かれている。
表から見た相手の生活の裏には表面化しない色々な事情がある。
篤子は自分は浪費家でもなく、家庭を守り節約してやってきた自負がある。
生まれた実家の環境、学歴、婚姻関係、50才を過ぎて初めて、日本社会の格差を知ることになる。

エンディングは
篤子は結局、事務職の仕事探しはあきらめ、コンビニのパートとして働きだす。
簡単に考えていたコンビニのパートは意外に覚えなくてはいけないことが、山ほどあり、肉体労働であるのに 戸惑いながらも働くことを止めることが出来ない、と覚悟する。
夫は昔の部下が起こした会社に拾ってもらう。
65才からは、年に250万円程度の年金が入る。
それで生活出来るように今から、無駄を削り落としていこう。
それでも二人とも70才までは、健康に心掛けて働こう。
他人の懐具合は詮索しない。
平均的な貯蓄高とか、平均的な生活費とかと比べるのを止そう。
で終わるのでした。

エピローグ

今月に終わるNPOセンターのwebプログラミング講座の生徒のなかに、この小説の主婦と同じ世代、環境の女性と、 社会保険労務士の55才の男性がいるので、この小説を紹介しました。
お二人とも、廻りにはこれによく似たお話が沢山あり、他人事ではないことは実感している、と云います。
社会保険労務士が云うには、「この小説のエンディングはまだ甘い」と云います。
厚生労働省が発表している夫婦二人、夫厚生年金、妻数年の独身時代の厚生年金と第3号被保険者の場合のモデルケースで 月22万、という数字を信じている社会保険労務士は誰もいない、と云います。
厚生労働省が発表している数値はあくまでも、平均値であるのと、現在貰っている団塊世代の実績値まで含まれて いると云うのです。
給与がどんどん減っていき、消費税増税が今後続くのを考慮すると、自分のような独立した、 個人営業の社会保険労務士の老後を考えると、この小説のようなソフトエンディングは考えられない、と云っていました。
後書き
カミサンは今、同じ著者垣谷美雨の「夫の墓には入りません」を読んでいます。
内容は、介護問題と遺産相続に関するお話のようです。
私も読んでみて、面白いようでしたら、次週、ご紹介致します。



3/1 下呂温泉・白川郷・高山


初めての下呂温泉

今年、71回目の誕生日を迎え、何時まで毎月夫婦二人で旅に出かけられるのか、考えるようになり始めて います。
1月に暖かい沖縄に行って、さて2月は何処に行こうか?と思ってみると、この寒い季節やはり、温泉へと云う 思考はやはり年老いてきた証拠と、我ながら寂しくなりますが、それが日本人シニアが辿る道、と変に気負わず 旅行会社から毎月送られてくるパンフレツトから、新幹線と特急で自宅から4時間と云う近距離とも云える、飛騨・高山 の玄関口の、草津・有馬と並んで日本三名泉と云われる下呂温泉に行くことにしました。

こだまではなくのぞみ
普段、自宅鎌倉から西方面京都へ行く時は、時間は多少かかっても、安い「こだま」を使ってのんびり旅するのですが 今回のトレイン・ホテルパックは「新横浜」からの「のぞみ」以外の選択肢はなく、久しぶりに新横浜・名古屋ノンストップ の「のぞみ」です。
早いことは早いのですが、「こだま」に乗り慣れている貧乏シニアには、旅する醍醐味にちょっと欠ける印象が 残りました。名古屋からはこれまた高山線富山行のワイドビュー特急しか選択肢はありません。
乗鉄マニアとしては、ローカル線の旅が好きで一応調べてみましたが、下呂、高山方面直通の各駅の電車はなく、 そろそろシニアの旅に慣れないといけない、年齢になってきているようです。

さすが日本三名泉、賑わっていました
TV・映像メディアの多チャンネル化でコンテンツが不足しいる影響で、旅番組が多くなり温泉ブームと云われて います。
さぞかし、下呂温泉もシニアの団体客が多いのかと思っていましたが、どうやら昔のバブル期の社員旅行のような 客層でなく、圧倒的に若い客層とアジア系観光客が、この温泉街を支えているようです。
泊まったのは、ひと世代前の大型、大きな舞台では「タイ・ニュハーフショー」が行われているようなホテル でしたが、春休みに入った学生グループと、中国からの団体客で満室の状況でした。
下呂温泉は交通の便も良く、背後に高山・白川郷が控えているのが一番の原因なのでしょう。

下呂温泉を拠点として、白川郷へ

白川郷は15年前、退職直後に来ています。
その当時、高山のシティホテルに泊まった時に、西欧系白人観光客がチラホラいて、この山深い町が 意外に人気なのを知り、旅行好きの日本人としては嬉しい気持ちになったことを覚えています。
しかし、今のようにアジア系外国人が増えてくるとまた違った印象を持ちます。
旅の計画では、下呂からJRで高山に行き、高山から高速バスで白川郷を目さす予定でした。

高速バスは予約で満席状態
旅の2日目月曜日に白川郷に行く為に、金曜日にネットで予約状況を調べると、既に満席です。
高山から白川郷へは高速を使うので、立ち席・補助席は使用できない為、全て予約制なのです。残す手段は 予約なしの濃尾バスの路線バスしかありません。当初の予定は乗鉄の私は、ローカル線で高山へ行き、 バスターミナルから路線バスに乗る予定でした。このルートで行くと白川郷に2時間半滞在ではるのですが、 変更した下呂発白川郷行き路線バスですと、白川郷滞在は1時間40分しかないのです。
しかし、これしか方法はないので、下呂からの路線バスで高山バスターミナル経由で行くことにしました。 バスが高山バスターミナルに着くと、バス乗り場は長蛇の乗客の列で、待っていた乗客の半分も残して 出発する状態でした。
後から聞くと、臨時バスをだしたようです。

白川郷に雪の姿はなし
白川郷は15年前とかなり違っていました。
バスターミナルの場所は変わり、飲食店・お土産物屋さんが増えていました。そして、この季節に期待していた 雪はたんぼにはあるものの、合掌造りの大屋根には全く雪はありませんでした。
今年は異常に暖かく、雪が少ないようです。
路線バスを降りる際、外国人観光客だらけのなか、日本人シニアを意識したのか運転手さんから、「帰りのバスで高山に戻り観光してから 下呂に戻るなら、30分前バス停に並ばないと、予定が厳しくなりますよ」と云われました。
そうでなくとも、白川郷の滞在時間が短いのに、30分前に並ぶとなると、白川郷を見下ろす展望台に上って 和田屋周辺で写真撮影したら、直ぐに戻ってこなくてはならないほどタイトな過ごし方になってしまいます。
この日は晴天の青空
ここでお昼を食べて、ゆっくり散策、カミサンはお土産物屋さんでじっくり品定めの予定が慌ただしく、駆け足で 30分前にバス停に行くと、外国人観光客の長蛇の列です。
これはヤバイと人数を数えると私たちの前までで、36名。このままなら何とか高山へ戻れそうですが、後から後から 行列は長くなる一方、そして前のグループに仲間が加わりもしましたが、何とか41名の最後の二人として滑り込み 高山行きに乗れました。

白川郷から高山へ

高速バスが高山の町に近づくと、高山の町のはるか彼方に美しい白い山々の姿が見えだしました。
あの山は何だ!とスマホのグーグルマップで自分たちの位置と山の方向を見てみると、どうやら穂高連峰です、そうか 高山の向こうは長野県、そう云えば松本上高地から高山行きのバスを見かけたことがある。のを思い出しました。
高山の町歩きよりも、あの美しい北アルプス連峰はを映像に残したいと、観光案内所に行き、高山の町中で あの山々を眺められる場所を聞くと、そんなことを聞く観光客は初めてのような言い方をされました。
下呂の観光案内所でも、下呂から高山へのルートを訪ねると、JR特急ワイドビュー飛騨以外の回答がでてきません。
どうやら外国人慣れし過ぎているのか、国内シニア観光客、リピーターが何を望んでいるのか分かっていないようです。

観光名所の古い街並み上三之町周辺
昔15年前と違って高山は2度目ですし、退職後の16年間、日本の古い街並み保存の町を沢山見てきました。 高山はあまりにも有名になってしまい、この街並みは映画のセットのようで実際に住んでいのる人々の生活 の温もりが感じられません。
外国人観光客に受けるかもしれませんが、まるでテーマパークのようです。

高山祭を訪ねて
この町並みに興味はなく、お買い物・お土産買い出しのカミサンと別れ、日本三大祇園祭の一つと云われる (後の2つは勿論京都祇園祭と秩父の夜祭)高山の山車展示されている、櫻山八幡宮の高山祭り屋台会館へと 廻りました。
外国人観光客の姿はなく、一般日本人も少なく静かでした。
これまで、祇園、秩父と2つの祇園祭を見て来たので、最後はこの高山祭を映像に納めたいとおもっており、 案内の方にお話を伺いました。
高山の特徴としては、春と秋2回祇園祭が行われるのだそうです。
理由は、春は日枝神社の例祭で、秋は櫻山八幡宮の例祭で各々の町内会の 動く陽明門とも称される「祭屋台」が春には12台、秋には11台曳き揃えられるのだそうです。
これは、一度そう、春の桜の季節見たいもの。と上段の画像の赤い橋のたもとの陣屋前のホテルの 喫茶室で色々な情報をいただきました。
高山祭の映像で使われる、赤い橋と桜と山車はこのホテルの私たちが今、コーヒーを飲んでいる このテラスからの撮影されているものだそうです。
ちなみに、今年の春の例祭の日のこのホテルは、当然ながら満室だそうです。

高山から下呂へ戻ります

高山から下呂へは念願のJR各駅電車です。
東京首都圏のターミナル駅周辺にに住んでいると、行きたい方面と例えば横浜方面への路線は 京浜東北線・東海道線・横須賀線・湘南新宿ライン・と4つあり、駅に行けば5分待たずに何かしらの 電車があると云うのが常識として身についていますが、地方に行くとしみじみ有難さ、便利さを再認識します。 高山線の下呂と高山の間には、平日昼間は一時間に3本ありますが、そのうち2本は特急列車で 各駅は2時間に1本しかないのです。
通勤・通学時間帯は1時間に1本です。

誕生日のご褒美
私たちが乗った2両編成各駅の電車は家路に帰る通学客の女子高校生でいっぱいでした。下呂に 着くと、温泉街はオレンジのナトリウム灯で照らし出され、雰囲気のある絵が撮れました。
この日のホテルの夕食は、自分の誕生日プレゼントとして、特別に飛騨牛の朴葉焼をお願いしました。 小さなお肉でしたが、初めて食べる飛騨牛そこそこ、柔らかくて美味しかったです。

さて、3月は何処へいこうか。



2/22 団塊の世代・平成時代の終焉、堺屋太一の死去


私たち昭和22年から23年(1947年~49年)生まれの戦後ベビーブーマー世代の大きなひと塊の名付け親 である作家「堺屋太一」が亡くなった83才。
善きにつけ悪しきにつけ、戦後の高度成長期から学園闘争、バブル時代の常に社会の鏡となる世代 「団塊世代」の終わりを感じずにいられないニュースでした。
堺屋太一さんが大阪万博を企画・牽引してきたことは、今回の逝去記事で知りました。
団塊世代にとって、日本経済のテイクオフを実感する大イベントであったのでしょうが、私は既に海外に おり、その時代を知りません。
その後のオイルショックも知りません。
「団塊の世代」と云う言葉を知ったのは、帰国した翌年の1976年の堺屋氏の小説以後でした。

団塊世代と敢えて名付けられなくても、私たちの世代は、小学校入学時から一クラス60名と云う大所帯で、他の 学年とは違っていることは意識付けられていました。
中学校はマンモス校で、私たちの学年は16クラスもあったのです。
この頃から、担任の先生に、「君たちは戦後の大きな塊であることから、この先の高校受験、大学受験から 社会に出ても、結婚、住宅、墓場まで競争社会を生き抜いていくことになる。
」と云われたことを覚えています。
私は、この言葉を人一倍受け止めていました。
そんな、廻りの同じ世代と一生競争したくない、競争しなくても生きていける世界を子供ながら夢見ていました。
大学紛争のポッカっと空いたエポックの時、私は海外に逃げたのです。
競争しなくても生きていける場所を求めて、海外の会社に就職する道を。
私が海外、南米で戦後ベビーブーマーとは無縁の南米で、競争社会に背を向けて青春を謳歌していた時、日本は 大阪万博での盛り上がり、田中内閣の列島改造論、三島由紀夫の市谷割腹事件などを海外から眺めていました。
やがて、住んでいたアルゼンチン・ブエノスアイレスは、政治的混乱から経済の立ち遅れが目立ち始めて、一旦の帰国 を決意して、戻って来たのは1975年の時でした。
高校・大学の同期生たちは、学園闘争を経て社会人として活躍していました。
日本に戻り、子供の頃怯えていた、日本の競争社会に入らざるを得ませんが、決意したのは、今更日本の経済社会の 主流にはいるのではなく、サブでも良いから何か、特別な技能が生かせる業種で生きていこうと、考えました。
入ったのは電子専門学校です。
まだ当時ソフトウェア・ハードウエア―の言葉の違いも解りませんでしたが、これからは 電気でなく、電子の世界であること、これから先、ハードよりもソフトであることは、朧気ながら見えていました。

入ったのは、自動制御機器・システムで日本一の日米合弁会社の関連子会社の工事部門でした。
時代は、不動産バブルへと向かう前夜です。
学歴・学閥は関係なく、仕事は幾らでもあり、面白かったです。
給与はあれよあれよと云う間に、同じ年代を遥かに超えてきました。
子供の頃に怯えていた、同じ世代との競争は意識しませんでした。
自分は、今、日本経済のトップを走っている、給与も、生活環境も申し分のない生活を送っている。
そう思っていました。

そして、バブル崩壊
しかし、不動産バブルが崩壊しても、建設業界はバブル時契約した受注残が残っていました。
まだまだ、年に数度、夫婦で行ってみたい世界の秘境に行けるだけの余裕はありました。
その時に知り合った、アメリカに在住している日本人夫婦と知り合い、「日本の賃金体系は異常である」と告げられました。
こんな賃金体系が続くわけがない、と云われた時、崩壊直後のソビエトを旅して、目にしたのが、市場で靴下をぶら下げて 売る大勢の年金生活者の姿でした。
そして、思い出したのが、ブエノスアイレス時代の年金支給日に銀行に並ぶ長蛇の老人たちの姿でした。
何時かは、日本もそんな時代が来る、団塊世代が一斉退職して、年金生活になる時代が来る、老人になっても、社会のひと塊の 世代がお荷物になる時代が来る・・・そう思うようになりました。

自立しなくては。
1996年、48才の時、これから先についてカミサンと話し合いました。
子供のいない夫婦、これから先の人生、生き方、老後について話し合いました。
子供の頃に考えた、団塊の世代と云うひとくくりから離れて、自分たちの生活をしよう。
退職目標を55才と決めて7年後に向けて再スタートを切りました。

2003年、夫婦ともに退職し、あれから16年経ちます。
当時、退職後再び専門学校に入り直し、習得したweb言語・技術でホームページを立ち上げてした時のメインテーマが、団塊世代の過ごし方 と海外ロングステイです。
まだ、団塊世代の定年まで5年あり、団塊世代が将来の定年後の生活を模索し始めていた頃で、このサイトは多くの団塊世代からのアクセスがあり、大きく成長しました。

しかし、団塊世代・海外ロングステイの検索ワードは、死に語になりつつあります。
奇しくも、平成の世が終わり、団塊世代の名づけ親「堺屋太一」死がこの世を去った今。
団塊世代は今、如何に綺麗に、家族に迷惑をかけずに、社会から消えていくことを考えているのです。
堺屋太一の死去、ある一つの時代のターニングポイントになるでしょう。

編集後記
この記事の数日後同じ団塊世代の芥川賞作家三田誠広が追悼文を寄せていました。
このなかで、一番目を引いたのが、次の文章です。

「団塊の世代」と名付けた堺屋氏は、執筆当時資源関係の部署だった為、例えば海底資源の「マンガン団塊」等と云う 言葉と親しんでおられた。人間の塊も同じように表現されたと伺って、確かに団塊の世代が働き盛りだった頃は、 巨大な労働資源であり、リタイヤすると巨大な廃棄物となってしまうのだと、妙に納得した覚えがある。

堺屋太一さんは、やはり官界出身者なんですね。
団塊世代は国の資源であった、そしてこれからは巨大な産業廃棄物、社会のお荷物になるのでしょうか。



2/15 今月、父が亡くなった年齢になる、そして来年は兄が亡くなった年齢に。


二月は如月です。先日TVで如月の語源についてやっていました。

如月は、寒さで着物を更に重ねて着ることから、着更着(キサラギ)とする説が有力 その他、気候が陽気になる季節で「気更来」、「息更行」とする説 草木が生え始める月で「生更木」とする説 草木の芽が張り出す月で「草木張り月」が転じたとする説があるそうです。

二月は生命について、考えたり、何かを感じたりする月のようです。 私の父は、動脈瘤破裂で33年前、71才で亡くなりました。
私は、今月その父が亡くなった年になります。

父が亡くなる数年前、カミサンの実家の両親二人と、私の両親二人計4人を友人の会社のハワイ社員旅行枠に いれて、招待しました。
両親は初めての海外旅行と喜んで、お揃いのシャツを買って楽しみにしていたそうです。
しかし、出発する一週間前に、バイクで転倒し結局初めての父と母の海外旅行はキャンセルとなりました。
この時の父は65才、母60才でした。
今の私たちよりもはるかに若かったのか! そして、数年後相撲が好きだった父親を招待し、私たちの小さなアパートに泊まっていきました。
母に、横浜崎陽軒のしゅうまいと、上野御徒町の昇龍の餃子を買っていくのが楽しみと云っていました。 あの時の父親は今思うと、67才です。

男は常に、父親が亡くなった年齢を意識するものです。 カミサンは、大正生まれの戦前・戦後の食糧難の時代を過ごして来た人と、今は違うのだから比べるのはおかしい。 と云いますが、人類の寿命がそう簡単に、100年ほどで飛躍的に伸びる訳がないと私は信じています。 今年71才、来年2020は2度目のオリンピック、72才になる年が一つの節目であることは間違いありません。

気力・体力・好奇心と云います
確実に体力が落ちてきています。
今週、築16年目を迎える我が集合住宅のキッチンの天井埋め込み蛍光灯がきれました。
もう、新築の鎌倉のマンションにきて16年になるのです。 16年も蛍光灯が保ったのが不思議なくらいです。
埋め込み式の電気器具を開けて、型番を調べて買いに行かなくてはなりません。
自分の部屋から、撮影用に使う高さ60センチの脚立をだしてきて、この器具を開けようとしました。
しかし、数年前の大晦日の掃除で台所のレンジフード清掃をやった際に、頸椎を痛めてから、見上げたままの作業 が辛い、出来ません。
また、たった60センチの脚立の上ですが立つと少し、身体が揺れたような、不安定な感じます。
見上げたままの姿勢は辛く、カミサンに代わってもらい、この器具の開け方を口で伝えるのですが、カミサンは上手く 取り外しができないようで、私はイライラが増します。

やっと、外した蛍光管の型番の文字がこれまた、薄く、小さくて読めません。 虫眼鏡と懐中電灯を探しに、押し入れにはいり、道具箱から探すのですが、鼠径ヘルニアの手術をしてから、屈むと云う 姿勢、動作が極端に鈍くなってきています。
前まで、お年寄りが町の便利屋さんにお金を払って、蛍光灯の交換や、庭の雑草取りをお願いしているのを見て、その 程度のことを何でひと様に頼むの?と思っていましたが、少しづづ解るようになってきています。

現役時代、大型建設プロジェクトの現場監督をしていました。 その頃、60才以上の職人さんに、現場での脚立作業を禁止の通達、高所作業車免許の取得命令をだしたことがあります。
「監督さん、60才で脚立作業禁止はひどいよ」と云われました。 「60才と云っても、サラリーマンと違って毎日身体をはって働いてきているのだから、一緒にしないでよ」とも。 私も全く同感で、同じ年齢でも個人差、それまでの鍛錬や過ごし方によつて違うと思っていました。

しかし、老化は確実に平等にやってきます。 古稀、70才を境に体力は急激に落ちてきています。
いつも思い出すのは、小津安二郎映画「東京物語」をリメイクした山田洋二監督「東京家族」で田舎で退職して、東京の息子 に来た父親を演じていた「橋爪功」の年寄りの演技です。
役の想定年齢60代後半の役を演じているのですが、腰を屈めるのも、坂道を上がるのにも過剰な演技と思ってみていました。
しかし、今古稀を過ぎ、自分の父親が亡くなった年齢に近づくと、あの映画の中の演技は、あれで良かったのだと思うようになって います。
 年老いて、知ることは沢山あるようです。



2/8 退職16年のリタイヤライフには、特にほしい買い物がないのだが


リタイヤ退職後の一か月のお小遣いは月に30,000円です

これには、時々の外食代も含まれていますが、基本的にはお昼は自宅で済ませ、午後からの活動が多いので 外で食べるのは、せいぜい週に一日か二日程度です。
お昼は、日高屋の中華そばがお気に入りです。
日高屋の中華そばは昔ながらの中華そばとは少し違い、 あっさりな魚介系の香りに味は割と動物系です。 ただ、背油ギトギト系ではないので幅広い世代に好まれる、飽きないラーメンです。
390円は助かるのですが、672kcalと意外に多いのが少し気になりますが・・・

この一か月の小遣いの他に、教養・娯楽費として、一年に12万円の枠があります。
これは、主にスポーツクラブや、趣味のクラブの月謝、活動費及びスマホ・ネット代に充てています。
つまり、ひと月40,000円は自由につかえるのですが、飲まない・打たない・買わない?ですし、ゴルフはしない、旅行は カミサンと一緒ですから、別会計ですし、私は独自に、パソコン・Web・プログラム講座の講師をしているので、ボランティア 料金程度、時給は神奈川県の最低賃金ですから多寡が知れていますが、年に確定申告の必要がない20万以内の収入があります。

一般的な退職年金シニア男性の皆様の一か月のお小遣いはどの位なのか? いろいろネットで調べたり、廻に聞いてみても、ピン・キリです。
ゼロから7,8万円、使い道もガソリン自分持ちの場合もありますし、100%自分だけの為の小遣いという話もありました。
平均して、30,000円は近辺が妥当な線ではないかと思います。
でも何につかうの?
時々、臨時収入的なもの、予定していなかった入金があった時も、果て何に使おうか?、何を買おうかと考えます。
かなり大きな金額でも、今更海外旅行には行きたくありません。
現役時代、世界の果てまで歩き、退職後の10年間で行きたい所、経験したいことはほぼやり尽くしました。
ビジネスクラスでハワイへ行って、今まで泊まれなかったようなラグジュアリーなホテルに泊まって、豪華な食事でも と、友人は云いますが、元々染みついた、貧乏性ゆえ、仮に持っていてもそんなお金を、その程度のことで使いたくない と考えてしまいます。

今月もほんの少しですが、予定外の収入がありました。
さて、どうしたものか? 旅行・・・?、国内旅行はカミサンと二人の年間予算があります。
この臨時収入を加算すれば、今までよりも豪華な宿に泊まり、食事できるかもしれませんが、 先立つ案はもったいないで、結局は何時ものトレイン+ホテルパックの自由な旅行形態になってしまうのが目に見えています。

では身の回りのものを何か欲しいものがあるか? そうだ、スマホを使い始めて、今苦労しているのが、スマホ用の三脚、スマホホルダー、そしてスマホカメラリモコンがあれば 手振れが発生し易いスマホカメラ撮影が楽になる。
さっそく調べました。
ここで年金シニアライフの習性が現れます。
スマホ用三脚なんて、必要がない、今持っているカメラ・ビデオ用の三脚がある。
スマホフォルダーだけで良い。
ネットで探すと、ほとんどのスマホなら、100円ショップのフォルダーで十分とのことです。
では、リモートシャッターリモコンは、と探すと、何とアマゾンで140円で売っていました。
よく見ると、納期は4~5日、という事は100%中国製のバッタものでしょう。
もう一度ググると、何とダイソーで同じものが300円で売っています。
同じものでも、実物が見られるし、今日手に入るし、100均と云っても、ダイソーで売られているのだから、買ったその場で ダメはないだろう・・・と自宅周辺のダイソーを調べると、家から20分ほどの距離にありました。

退職後の買い物の鉄則として、欲しい買い物があっても一日置いて、再度考えてみる。

・本当にその品物が欲しいのか?
・それがないと困るのか?
・便利だけど、他に代用できるものはないのか?
・その金額を払うだけの価値があるのか?

安物買いの銭失い
何時もはこの鉄則を守っているのですが、今回は臨時収入ですし、出ていくのは、スマホフォルダー108円、 リモートシャッター324円ですから、まあいいじゃないかと、寒空の中、買ってきました。
スマホフォルダーは、事前に自分のスマホの大きさを測っていきましたので、何ら問題はありません。
肝心のスマホ用リモートシャッターがちゃんと機能するのか?
当然のことながら、取説なんてありません。
スマホの詳細設定画面から、ブルートゥースを選択し、ペアリングを試みますとちゃんと反応しました。
やった324円でもOKだと、早速カメラをセットして撮影しようとしますが、シャッターは落ちません。
ボタンを押す度に、画面が拡大していくだけです。
試しに、IOSのボタンでも、画面の拡大、音量の拡大は出来ても、シャッターは効きません。
ネットで調べていくと、アンドロイドの簡単スマホでは、リモコンによるシャッター機能がどうやらないようです。
結局324円のリモートシャッターは使えない。
言ったじゃないか?1日置いて考えろって! 便利かもしれないけど、無くても何とかなるのじゃないの? それに、それってこれから何度使うの? 頻繁に使うものなの? 確かに、おっしゃる通りです。

スマホカメラの使い方が解ってきた 手振れを防ぐには
1,カメラメニューの手振れ防止機能を使う。
2,状況に応じて、自動HDRを使う。
3,シャッターは手で押さないで、セルフタイマーを2秒にして使う。
これで、スマホのカメラでも何とか撮影出来そうです。

動画は実際に撮影して分かったこと
1,ズームが効かない!。
画面をピンチして拡大撮影が出来るものの、これは光学ズームではなくデジタルズーム なので画質は極端に劣化して、使い物にならない。
2,パーンが追い付かない
PAN(パン)は一つの画面に入りきらないものを全部見せるためにビデオカメラを左右に動かすビデオ撮影 技法なのですが、相当ゆっくりとパンしても、スマホの動画書き込みスピード能力はビデオ専用機と違って 能力不足なので、追いつかない。

結果として、スマホカメラは押しても、引いても、動かしてもいけない。動いているものをただ撮るだけ と、理解しました。

さて、アンドロイド動かない324円のリモコンシャッターはどうするか!
これは、ビデオクラブメンバーでアイフォンを使っている人に差し上げるとしましょう。



2/1 沖縄は海外かも知れない、帰路羽田に着いて、日本に戻ったと思った


年金シニアの沖縄旅行4日間の予算

沖縄は現役時代は、建設業界特有の現場打ち上げ旅行や、協力会社さんの社員旅行ご招待などで度々行ってました。
新婚旅行で行く沖縄から修学旅行で行く沖縄、そして会社・現場単位で行く沖縄。
時代はそう云う時代だったのです。
退職してから、沖縄本島を含め、石垣・宮古・久米島など何度か行っています。

最初は、阪急激安団体パックツァー四日間で298なんてこともありました。
が、今でもある団体沖縄激安パックツァーは、初日の羽田発のフライトは午後便ですから、3時間後那覇に着くと、 そのままホテルで一日目は終わり、2日目に、主な島西部の海洋博公園、美ら海水族館や、沖縄テーマパークを廻り、 二日目は那覇のホテル泊まり。
三日目は、那覇市内の首里城を観光した後、お昼の便で羽田に戻る、ツァー会社の云う「シニアの体に優しい早めのお帰り」、 と云うわけで、実質観光は中の一日、シニア・沖縄初めての方向けで、それでも四食・交通費込みで39,900円ですから、決して 安いとは云えません。

沖縄に何度か来ている退職・年金シニアは、大手旅行会社のホテルとフライトパックをお勧めします。
今回の私たち夫婦の沖縄四日間のホテルとフライトパックは、当然ながら食事なし、フライトは選択出来ますが、追加料金が 必要になります。
羽田空港に近い私たちは、往路追加+1,000の羽田7時台、復路追加+2,000円の17時台、ホテルは、那覇中心部 新都心のやや高級ビジネスホテルの20平米以上のツインを選択し、二人合計66,000円でした。
当然ながら、観光は全て自力、食事は普段と変わりませんが、出来るだけ沖縄らしい家庭料理をと心掛けました。
予算は、旅行会社に支払った66,000 +私たち二人の自宅・羽田間と現地移動交通費 +観光費+食事・喫茶合計44,000で総合計110,000で、今回納めました。
但し、これにはカミサンの一番の楽しみのお友達へのお土産代は含まれてはいません。

お天気は絶好調でした

1月の沖縄のチケツト、ホテルが安い理由に、お天気が悪いことが挙げられています。
冬の乾燥した西高東低の気圧配置で、関東首都圏に住む私たちは、冬のイメージはカラッとした青空に 映える富士山とも言えますが、南国沖縄は意外と曇り・雨が続くのは、昔からプロ野球キャンプニュース などで知っています。
出発前10日前からネットで沖縄の天気を見ていると、雨はないものの、どんよりとした曇り空が続いていたのですが、 私たちが着いた1月27日の午後から、帰る日まで、連日の晴天が続いたのです。
宿泊先は、画像「沖縄県立博物館」近く、モノレール「おもろまち」です。
古いコンクリートむき出しの建物が多い、沖縄・那覇のなかで、新都心として開発された「おもろまち」周辺は は、静かで緑も多く買い物・移動にも便利で、ホテルに朝食がついていないので、気温が上がる前、 澄んだ青空が広がる朝の時間、毎日、朝食と散歩していました。

驚くべきは気温なのです

毎日、地元のテレビで翌日の天気予報を見ていますと、予想に反しお天気は良い方向に動いていきます。 散歩中、朝の陽ざしのなか、通勤の女性の3人に1人は、日傘をさして歩いています。
それほどの気温でもないのですが、陽ざしはキツイのです。
ホエールウオッチングに申し込んだ際も、係の女性に、海の上なので。東京を出る時或いはそれ以上の防寒 対策をして来て下さい。と云われのに、実際はセーターも脱ぎたいくらいの温度になりました。

路線バスは冷房モード
連日、路線バスで移動していました。
朝はちょうど良い気温ですが、郊外へは45分から1時間乗るのが普通の沖縄のバス事情ですから、午後になると ほとんどのバスは冷房モードに、 1月の第4週、出てくる時はダウン・マフラー・手袋・ヒートテックズボン下だったのが、帰る日の糸満は23℃ でした。
日本一早い桜まつりの会場、今帰仁城址の桜は3分咲きでした。

沖縄って、本当に日本なの? こんなことを云うと、差別的と怒られそうですが、今回本当にそう思いました。
先ずは、内地、日本との前述した気温・気候の差です。
1月の最終週、北陸、東北日本海側、北海道は豪雪に見舞われ、零下何十度の世界なのに、私の居た沖縄は 青い晴れた空・紺碧の海、の同じ日本国と思えない気候です。
次に、ここは日本のハズ・・・と思ったのは
外国人労働者の多さです。
内地でもコンビニ店員や、居酒屋のバイトが外国人がいても当たり前、驚くことはないのですが、沖縄 の外国人コンビニ店員は、日本語もおぼつかない低レベルなのです。
ホテルに入って制服姿のスタッフに、「レストラン」ではなく、「喫茶」を訪ねても通じません。
私の泊まっているホテルの、ベッドメイキングスタッフは全員が外国人で、コーヒーカップの2つは チクハぐ、口紅の汚れがついたまま、スリッパは脱いだそのまま

沖縄って完全失業率、ワーストナンバーワンじゃないの どうして、こんなに失業率が高いのに、低レベルの外国人雇用に頼っているの?
この外国人労働者の多さに驚く以上に、外国人観光客の多さに三度びっくりです。
先週のTV番組のなかで、5年間統計、外国人旅行者が増えた割合世界でNo,1は日本でした。
主な理由として上げられるのは

1,円安
2,ビザ発給条件の緩和
3,周辺国の経済成長

ごもっともです。那覇市内のモノレールに乗ると、乗客の2/3は外国人です。
那覇バスターミナルで韓国人女子高生4人グループに、行きかたは聞かれ、英語で答えて喜ばれました。
那覇国際通りに巨大なホテルが建設されています。オーナーは台湾資本です。
国際通りを歩いている観光客は間違いなく、80%は外国人なんです。

4日間、目いっぱい、明るい、暖かい沖縄を楽しんで、羽田に戻って来たのは夜のの8時でした。
外は寒そうです。
ダウンのコートを羽織って機外に出た時、思わず「日本は寒い」と云って しまいました。沖縄だって日本なのに。それとも異国か。

沖縄の旅で楽しかった、ホエールウオッチング、今帰仁城址の桜、斎場御嶽、南部戦跡巡りについては、 順次、鎌倉レポートで掲載します。



1/25 内向きな日本の若者と年金シニアの海外ロングステイブームの終焉


海外から日本にくる外国人は、10年前の2008年は年間800万人だったのが、今年は3,000万を突破し、 政府・関係諸官庁は東京オリンピックの年には4,000万人の受け入れを目指しているといいます。
一方、海外へ旅立つ日本人はどうなのでしょうか?。
人口に対して、国外に旅行に出る人の割合を表すのが出国率と云う云います。
日本は13%と近隣アジア諸国に比べると低いです。
※これは全人口に対する割合の為、総人口が多い国は数字上は相対的に低くなります。
日本と他国の出国率の違い

日本の若者は「内向き」と云われて久しいです。
海外旅行にも関心度が低く、日本の20代の若者の出国者数は1996年からの20年間で40%も落ちているという 数字がありますが、実はこの世代の出国率ほぼ変わらず、23.4%と全世代平均の13%よりも多く、若者人口が減ったことに過ぎないようです。
そして云えることは、若者の二極化がすすんでいることのようです。
海外に出かける若者うちは、何度でも出かけるが、出ないものは全く出ていかない。
私の甥・姪はカミサンの親戚も合わせると、甥6人、姪2人の計8人います。
そのうち、海外に出たことが有るのは、二人だけで他の6人は海外へでたことはありません。
海外に出る甥っ子の一人は、仕事で海外出張が多く何度もでています。
もう一人の姪っ子は、新婚旅行で一度、 ハワイに行っただけです。

なんでそうなるのか?
一つは、私たちの甥っ子・姪っ子は団塊ジュニア、就職氷河期の子供たちです。
6人の甥っ子のうち、
2人は上場企業正社員
2人は卒業後、転職し、中小企業正社員
後の2人は、最初から非正規・派遣社員です。
6人の甥っ子のうち、結婚しているのは一人だけです。
2人の姪っ子は結婚していますが、子供がいるのは一人です。
私たち夫婦二人と両家の親類の子供たちの状況は、今の日本の抱えている、格差社会、少子高齢化そのものを反映しています。
日本が抱える諸問題の根源は、日本の戦後の政治・政策・教育にあり、それを支えて来た団塊世代にも一因が あると云うのは、云い過ぎでしょうか。

私たち団塊世代が20代の頃は、海外旅行は一つの夢でした。
その延長が定年後の海外ロングステイへと繋がっていったのです。
しかし、団塊世代が古稀を迎えると、この世代の海外旅行への興味は激減していきます。
私が55才で退職して、「団塊世代の海外ロングステイ情報」サイトを立ち上げた頃は、「ロングステイ」は一種のブームでした。
マスコミ・テレビは、こぞって、退職者シニアのひとつの過ごし方、暮らし方として、日本の年金でゆったりと 暮らせる海外ロングステタイとして、「タイ」・「マレーシア」・「ハワイ」・「オーストラリア」で優雅に 暮らす、日本人シニアの生活ぶりを取り上げていました。
私のサイトも、毎年アクセス数はうなぎ上りになり、年間200万にもなりましたが、私たちが海外旅行を卒業し た5年前(65才時)から徐々に落ちてきており、最高アクセス時の65%程度となっています。

海外ロングステイ数の信頼できる統計はありませんが、確実に少なくなっています。
原因の一つは、私たちが当時目指した「年金だけで暮らせる国」がなくなったことです。
アジアの国々の経済成長で生活物価が上昇したこと、日本の年金の減額化・・・特に企業年金が少なくなってきている のが多くの要因と、私たちのサイトによる情報発信で、海外で暮らすことの問題点の提起なども考えられます。
もっと大きな原因は、60才定年が65才まで延長されのが大きな要因です。
65才で定年を迎え、さあ、自由な身、今まで考えていたこと、やりたいことをやろうと思っても、男性の65才シニアに残された 時間は、人間として生物学上70才になると、確実に体力・気力・好奇心は落ち、第二の人生ではなく、残された人生と 云う意味に代ることを悟るからです。

若者が海外にでない、シニアが海外に出なくなる、出国率が低いは、成熟した日本社会構造では、経済発展する新興アジア諸国よりも低いのが当たり前なのでしょう。



1/18 初めてのおつかい、67才シニア箱入り奥様のチャレンジ


初めてのおつかい
人気のテレビ番組に、小さな子供を初めてのお使いに出す親御さんの様子ドキュメントがあります。
子供育ての経験のない私たちでも、陰ながら見つめる親御さんの姿や、健気に涙をこらえて、未知の世界に歩みだす 子供の姿は、そうでなくても涙もろくなってきたシニアの私たちの共感を誘います。
今回の私の場合、そんな気持ちで、我が家の箱入りカミサンをお使いに出すことにしました。

昨年、カミサンの母親が92才で亡くなり、実家では少ないけれど母親が残した預貯金の遺産相続が発生しています。
先日、実家を継いでいる末妹から、遺産相続に必要な書類を送るよう、連絡がありました。
取り敢えず、用意しなくてはいけないのが、
・カミサン本人の戸籍謄本
・カミサンの印鑑証明
の2つです。

戸籍謄本は、鎌倉市ではなく、まだ本籍を残してある、結婚した時の住所、東京にあります。
入手方法は2つ、直接、本籍地の区役所に取りに行くか?
或いは、郵送で依頼するか?
印鑑証明は、印鑑証明カードを持って、近くにある市の行政支所にいけば簡単にとれます。
カミサンはこのような役所とか、銀行とか、保険手続きとかが苦手で結婚以来すべて私がやってきました。
しかし、私も古稀を迎え、いつ、ぽっくり逝くか、或いは長期入院するかも知れませんので、これを機会に自分のことは 自分でする、良いチャンスなので、カミサンに一人で全てやるように提案しました。
案の定、嫌だと云うのですが、TVで幼稚園の子供でさえお使いに行くのだし、ここは外国ではなく、日本語が通じる のだから、一人でやりなさい。と宣言しました。
カミサンは「貰った遺産、少し上げるから、貴方がやってよ」と云って拒否します。
「少しって、去年僕の兄貴が亡くなった時、兄貴の遺産の半分あげたじゃない」
すったもんだした挙句、私が丁寧なマニュアルを書いて渡すことで、決着しました。

初めて一人で行く貸金庫
ミサンにとって最初で最大の難関は、銀行の貸金へ行って、印鑑証明カードをとってくることです。
我が家のカミサンは、これまで一生に一回も銀行のCDコーナーで入出金したことがないと云う現代では「稀有な存在」 です。
お金に関しては40年間ノータッチで過ごしてきた女性ですから、銀行、それも貸金庫に行ってなかから、必要な ものを取り出してくると云うお使いは、カミサンにとって海外旅行よりもハードルが高いのです。
先ず、貸金庫前室に入るカードが必要で、暗証番号も必要と説明します。

貸金庫全室に入ったら、自分の金庫を開ける前段階のスライドキーを受け取る操作が必要です。
そして、自分の金庫をスライドキーで開けて、自分だけが持っているキーで開けて、取り出し、閉めて、再び金庫室を 出る時に、スライドキーのデーターを消去し、返却ボックスに返さないと、金庫室から出れない仕組みです。

カミサンは「出れなくなったらどうしよう」と云います。
私「大丈夫、金庫室に行内電話があるから、解らなくなったら電話すればいいよ」
「一度も行ったことがないので、入口まで案内して、外で待っていて」
「金庫内におトイレはあるの?」
というのですが、幼稚園の子供でも、お豆腐屋さん まで買い物に行けるのだから、一人で行って、と銀行内と金庫室の詳細図を書いて渡しました。
次は、その印鑑証明カードを持って、行政事務所へ行って印鑑証明書をもらってこなくてはいけません。
一応、本人であることを証明しなくてはならないので、マイナンバーカードを持って行くように話しました。

初めて一人で行く、東京の区役所
わざわざ東京まで行くのは面倒なので、郵送依頼するというので、調べてみると
1,区役所のホームページからダウンロードし書き込んだ申請書
2,申請者本人であることの証明書のコピー
3,発行手数料の郵便為替
4,簡易書留での返信用封筒
以上が必要とのことをカミサンに伝えると、「それも私がやるの?出来っこないから、電車で東京までいくわ」
「ならそうしたら、子供じゃないんだから、一人で東京までいけるでしょ」と私。

そして、結末は・・・遺産相続が全て終わった時にご報告致します。
「かわいい子には旅をさせろ」ではありませんが、夫が70才を超えたら、妻は自立しないと!後が大変だから。



1/11 ETV特集 南米移住 50年目の乗船名簿


ようやく、長い正月休みが明けて、通常の生活に戻ってきました。

子供も孫もない年金リタイヤシニアにとっては、特別な予定もなく、TV番組は相変わらず、お笑い芸人の楽屋落ち的 つまらない番組だらけで食傷ぎみでしたが、唯一期待していた番組だけは、NHK、Eテレの夜の11時と云う、シニアには 辛い時間帯でしたが、目覚ましをかけても起きて見ました。

昭和43年、一隻の船で南米各地へと渡った移住者を取材した番組「乗船名簿AR29」。
ディレクター相田洋は、移住10年目、20年目、31年目と移住者を訪ね、その暮らしを見つめてきた。
そして移住者たちが日本を旅立って50年が経った2018年。
人々はどのような人生を歩んだのか。
4回にわたり放送する。
第1回目は「アマゾンに生きた人々」 第2回目は、ブラジルの地に生きた人々の半世紀にわたる夢と希望と愛の軌跡を見つめる。


この番組過去に、3回放送されています。
移住10年目、20年目、31年目私がこの放送を見たのは、恐らく19年前の2000年、まだ現役時代早期退職を、2年後に控えていた 時の31年目の記録だと思います。
何故、この番組を期待を込めて見るのか?
それは、私の青春時代とリンクしているからです。

この番組の舞台の、NHKスタッフが乗った昭和43年2月の「あるぜんちな丸」が横浜から南米へ向かった1年前の5月、同じく 横浜の大桟橋から三井商船「ぶらじる丸」に乗って南米を目指していたのです。
時は、日本の経済成長が始まる前夜、大学紛争は激化しており、学園封鎖が続き、授業もなくなり思案していた時に、南米 アルゼンチンの日米アルゼンチンの合弁会社の現地駐在員の仕事が舞い込み、片道切符、現地雇いと云う条件を苦ともせずに 旅立ちました。

当時、日本人の海外渡航は自由化されていましたが、20才の青年にそんな金もなく、 海外に出れる喜びでいっぱいでした。
まだ貧しかった日本では持ち出し外貨は制限されており、今でも持っている初めてのパスポートに、 345ドルと記載されています。
当時ドルレートは1ドル360円でしたから、124,200円、大卒初任給が26,000円ですから、 大卒初任給の5か月分ほど、今の価値感では、100万円ほどで、今考えると貧しかった両親に迷惑を かけてしまったと思いますが、当時は、港に送りに来てくれた両親・兄弟の心の内を 察する気持ちは全く湧かず、テープが切れて、岸壁を離れると万歳をしていました。

船内は大きく分けて2グループです。
1年後の「ETV特集 南米移住 50年目の乗船名簿」のあるぜんちな丸と同じで、海外渡航が自由化されて、アメリカへ 渡る、留学生や観光グループと、海外移住事業団募集の南米へ移住者グループです。
船の最初の寄港地はハワイ・ホノルル港で、ほぼ全員の乗客にとっての初めての外国でした。
やがて、船はロスアンゼレスに到着すると、このグループは一斉にアメリカの大地に旅だって行きました。
残されてた南米移住者はここでまた、移住先や、移住目的によつて細分化されていきます。
ブラジルグループは多きく分けて、家族移住でアマゾン開拓に行くグループ、今の日本と同じ農業実習生グループ、 そして少数ですが技術移住グループの青年たち。
次に大きなグループは、パラグアイの海外移住事業団が開発中のイグアスへ行く家族グループです。
そして、アルゼンチンメンドサ州に新たに開発中のこれも海外移住事業団のコロニアに入植する家族移住のグループです。
一番少数派は、アルゼンチン、ブエノスアイレス近郊の花卉園芸農家への実習生グループです。
私は、ブエノスアイレスで働くサラリーマンですが、どちらかと云う年齢が近く、住まうところも大都市ブエノスアイレスと いうことで、これらの花卉園芸実習生グループと一番仲が良かったです。

ETV特集 南米移住 50年目の乗船名簿
の放送では、一回目はアマゾン・トメアス移住地に入植した家族を50年、4回に渡って 取材した映像でした。
緑の魔境大アマゾンと云われているように、理想と現実は大違いで、胡椒ブームは数年で去り、疫病・交通不便などで次々と 入植地を離れていく家族の様子を50年間追い続けていました。
2回目の放送は、ブラジルサンパウロに入って農業実習生のその後を追っていました。
今、サンパウロは、これまで世界一危険都市と云われ続けていた、ヨハネスブルグを抜いて、凶悪犯罪世界一の悪名高い都市に 変貌しているようで、昭和43年当時19才だった農業実習生は、人生の大半を経済発展著しい日本での出稼ぎで過ごし、3人の息子の 歯医者さんにする学資を稼いでいました。

この特集は、後2回の放送予定があるようです。
恐らくですが、ブエノスアイレス近郊の花卉園芸農家に入った実習生は、取材対象ではないでしょう。
とても、全国放送のドラマになるような、波乱万丈の人生は少なく、南米で一番白人が多い国の大都市近郊で、堅実な人生を 歩んでいる人が大半ですし、日系移民の70%が沖縄県からの戦前移住した方々ですし、 戦後も沖縄本土返還前に、日本の海外移住事業団 の掌握外ルートで入国した方ばかりで、ほとんどが呼び寄せ移住で、主にブエノスアイレス市内で クリーニング店を営んでいます。

アルゼンチンと云う白人優先の国柄か、日本から真っ直ぐの正規ルートで入った人は少数で、ほとんどは、ブラジル・パラグアイ ボリビアなどの政府事業団移住地に見切りつけて、豊かな大都市ブエノスアイレスにたどり着いた方が多いのが特徴です。
後、2回の放映でどんなドラマが待っているのか、楽しみにしています。

私と云えば、ブエノスアイレスの合弁会社にサラリーマンとして働いていましたが、 南米でサラリーマンはないだろうと、6年後、アルゼンチンで開催される、 サッカーワールドカップを機会にテレビのカラー化放送が始まるのをラストチャンスとして、 日本の専門学校で学び直す為に、 今回は海路ではなく、空路チリ・ペルー・タヒチ・グアムと乗り継いで 羽田空港に戻ってまいりました

これらの経験が、早期退職、海外ロングステイにつながったのは云うまでもありません。



1/4 団塊世代夫婦の今年のお正月の三日間


元旦。終活年賀状をだしたのに!年賀状が来ていました。

2019年1月1日元日、朝10時半に集合住宅の郵便受けを、もしかして思いながらと開けると、年賀状の薄い 束が入っていました。
全くゼロとは思ってはいませんでしたが、意外にも多いのにびっくり、そして少しの安堵感です。
年賀状は二種類ありました。 一つは、毎年義務的に出された、印刷されたもので、自筆の一言もないもの。 もう一つ、主には、昔の旅行仲間からのものでした。
その多くには、「私もその年齢になったら、年賀状を止めるかも知れませんが、○○さん(私)との繋がりを 大事にしたいので、一方的かも知れませんが、年に一度のご挨拶を致します」的な言葉が書かれていました。
やはり、このような年賀状をいただくと嬉しいです。

これらの年賀状は全て、あまり日本人が来ない国での出会った人々で、共通しているのが、シングルの女性 です。
私は、例え男性であっても、このまま何も返信しないような不義理な人間ではないので、早速近くのコンビニ に年賀はがきを買いに行き、パソコンに向かい、超特急で、返事の年賀状を作成・印刷して投函しました。
さて、一旦年賀状を出すのを止めてみたものの、今日のような年賀状をいただくと、来年は少なくとも 今日、返信した方々には出した方が良いのではと思った一日でした。

二日目、暇人年金シニア夫婦の初詣は地元鎌倉ではなく、成田山新勝寺へ

わりと信心深く、パワースポットとか、ご利益のある神社・仏閣へは足繁く通う我が家のカミサンは 退職後のお正月は毎年、二日に初詣に行きます。
ひとえに、宝くじが当たるようにお願いしているだけなのですが・・・・。
退職後、鎌倉に越して来て15年経ちますが、地元鶴岡八幡宮さんに行ったことは有りません。
あまりにも身近すぎると云う面もありますが、何よりも混雑しているから嫌なのです。
昨年は、当時のTVワイドショーの話題となった富岡八幡宮とお隣の深川不動尊にいきました。
その時、深川不動尊が成田山新勝寺の別院と知り、今年来たわけです。
地元最寄り駅の大船からは成田へはもう、何十回はおろか100回以上行っているところです。
最寄り駅大船から横須賀線に乗れば座ったまま2時間20分で、東京国際空港成田ターミナルに到着します。
しかし、5年前に海外旅行を卒業してから、成田へは一度も行ってません。
それにもまして、カミサンは成田空港へは行っていても新勝寺は一度も行っていません。
私は、東京の建設業界では、一年の安全祈願と云えば「成田山新勝寺」で、お正月明け、ここで安全を 祈願して、帰りにみんなで参道の有名ウナギ店で宴会と云うのが定番コースで何度も来ています。
退職後は、成田新勝寺は遠い、交通費が高い・・と敬遠していました。
今回、横須賀線座って一本ではなく、船橋で京成線特急に乗り換えると云う手段をとれました。
交通費で云うと京成は往復でJRより630円安く、時間は全く変わらないのです。
せこい話かも知れませんが、退職してからは、安い・早いの選択は先ず、安いを優先しています。
成田山の初詣や、節分の時の混雑は、何度もTVニュースで見ており、覚悟は出来ていました。
我が家のカミサンの持論は、「観光地は混雑しているいないと面白くない」・「自分たちの目指している場所 が、つまらない、魅力的でないのか」ですから、混雑は平気と云うより楽しんでいるようです。
成田駅から参道に入ると、既に前方では渋滞が始まっています。
理由は「ウナギ屋さん」に入る整理券を求める為の行列が歩道まで占拠していました。
やがて、山門が近づくと、DJポリスの登場で、前方の入場制限の様子を実況しています。
「はい、前の前進制限が解除されゆっくりと動き出しました。」」 「ゆっくり、ゆっくり、前の人との間隔を保って進んでください。」
「ハーイ停止してください。」
」 こんな調子で、山門から賽銭箱のある本堂まで30分ほどかかりました。
私はこのようなお寺や神社で真面目に手を合せてお願いをしたことは有りません。
一応はとなりのカミサンに合わせて、ムニャムニャで済ませているだけです。
実際に実在した人物やお坊さん、偉人に向かってお願い事をするなんて、ナンセンスと信じています。
お願いする神と云う存在は、大宇宙の自然であり、光、無形な偉大なもの、日本の八百万の神が一番私の信仰に近い のかも知れません。
カミサンは何をお願いしたと、いつも聞きますから「ピンピンコロリで逝けますように。
少なくとも2020まで健康でいられますように」 と云っています。

「うなぎ」には目もくれずラーメン屋さんへ
混雑した参道を抜け、「うなぎ」には目もくれず、目指したのは参道の入口にあるラーメン店「ラーメンばやし」です。
この「ラーメンばやし」は、客の90%は外国人と云う、TVのワイドショーの超有名店です。
成田という土地柄、外国キャリアのスタッフの間で大人気のラーメン店です。
ちようどお昼時、入ると満席状態でした。

今日は1月2日、成田が一番混む時期なので、お客さんは日本人のほうが多かったです。
行列の私たちの前は、外国人女性一人で店のスタッフが私にねこの外国人との相席で構わないかと聞くので、OKと了承しました。
彼女は、何度もこの店に来ているようで、注文もカタコト日本語、餃子と四川ラーメンを注文しました。 私はこのお店の人気NO,1ピリ辛四川チャーシューを注文、カミサンは普通の醤油ラーメン630円です。
4人掛けテーブルに3人ですから、自然に会話が生まれます。
彼女はデルタのCAで、何度もこの店にきているそうです。
「アメリカと違って、一人で来ても安全だし、安いし、早いし、チップもいらない、そして美味しい」 「昨晩成田に着いて、今晩のフライトで戻るので、東京には行ったことがない」と。
ラーメン屋を出て、二人の会話は 「もう何年海外に出ていないかしら」 「あのCAのように、気軽にアジアの食堂で食事していた頃が懐かしい、今はちょつと出来ないかもしれないわね」 「電車で2時間かけて来て、2時間成田にいて、2時間かけて再び戻るのがしんどいのに、12時間の夜間フライトなんてもう無理ね」 こうやって、2019年の2日目は過ぎていきました。

三日目は新春初売り特売へ
毎年、元旦の朝刊のチラシのなかで唯一チェックするのは、近くのショッピングモール内の家電量販店の特売チラシ です。特に家電やパソコンには興味なく、狙うのは超格安小物類です。
神奈川県内を展開する「ノジマ」は、その年の西暦年数に因んだ値段で特売をします。
今年も2019年に因んで、クラス10、128GBマイクロSDがなんと2,019円です。
この値段が如何に驚異的・破格な値段であるかは、パソコンやカメラ、スマホを扱うものならは解ります。 しかし、店がオープンするのは、2日の朝の10時、カミサンと成田へ行く約束をしてしまっていました。

昨年、「ノジマ」は小物類を2,018で売り出しました。
3.0 USBメモリー64GB2,018円でした。
売り出し初日一番で行って手に入れましたが、3日目に行った時まだ少しですが残って おり、少し拍子抜けしたことを覚えています。
そんな経験もあり、カミサンとの約束を優先して二日目は初詣、売り出し二日目の1月3日、開店と同時に行くと、目的の目玉が見当たりません。
店員さんに聞くと、昨日開店と同時に、鎌倉店が用意したもの10ケは全て売り切れたそうです。 やはり、この値段の価値を解っている人は大勢いるもんなんです。

どうしても必要なものだったの?と、カミサンは問いかけます。
否や、今すぐ必要、どうこうと云うものではなく、あまりにも破格の値段だから取り敢えず抑えておこうと思って! と、私
女性のデパートバーゲンへ行くのを、ああ、こう云うけど、それと同じね。
はい、その通りかもしれません。

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