湘南・鎌倉から リタイヤ16年目 BLOG20

団塊世代の残された人生の、日々感じる事・出来事、想いを書き述べています



8/23 現役時代の地元・新宿・歌舞伎町 “はぐれ者”たちの「ラストトーキョー」


日曜日の夜のテレビ番組は、本当ならNHK大河ドラマを楽しみにしていたのですが、今回の「東京オリンピック物語 いだてん」 は酷過ぎる。
別に私一人が見ないせいでもないのですが、視聴率は第22回で6・7%(関西地区6・0%)と、大河ドラマ史上最低の数字を 記録し、第23回も6・9%と2週続けて6%台を記録するなど低迷を続け、これで第6回から第28回まで23話連続で1桁の数字となっています。

かと言って、民放のお笑い芸人の「おふざけ・楽屋落ち」番組を見る気にもなりません。
新聞のTV欄をみると、9時からBS1で、NHK若手32才の女性ディレクター制作による、興味惹かれるタイトルの番組が2時間に 渡って放送されるのを知って、見ることにしました。
タイトルからして、東京歌舞伎町のアンタッチャブルな部分に切り込むのかと思ったら違っていました。
新宿生まれのディレクターと新宿で3つの雀荘を経営する実母が母娘関係を見つめ直すドキュメンタリーでした。

以下がNHKBS1のサイトで公表されている、ディレークターコメントです。

私は、新宿で麻雀店を経営してきた母に育てられた。
新宿といえば世界一の乗降客数を誇る街。
そんな激動の街で、母は45年、3店舗を一人で切り盛りしてきた。
でも私はその世界を知らない。
母が私を、新宿・歌舞伎町から遠ざけたからだ。
そんな“たたき上げ”の母に対して、私はいわゆる“優等生”。
小中高遅刻なし、受験勉強に邁進し、安定した職にもついた。
これまで、全力で生きる母を見習うつもりで、与えられた環境で最大限の努力をしてきたつもりだった。
でもやはり、自分には“たたき上げ”で生きてきた母のような強さがないのではないか… 見るべきものを見ずに来てしまったのではないか…という物足りなさがずっとあった。
母のような、我が道を歩む人々に憧れがあった。
母はなぜ、私をこの街から遠ざけたのだろうか? “近くて遠かった街”新宿・歌舞伎町へ潜入する旅は、 ひょんなことから自分と母の関係を見つめる旅にもなりました。
! (番組ディレクター 柚木映絵)

新宿、そして歌舞伎町近辺は、私の現況時代のスタート地点であり、バブル時代のほとんどを、この街で過ごしました。
18歳で田舎から上京して初めて足を踏み入れた大都会が新宿でした。
新宿西口には、まだ淀橋浄水場が残っており、西口開発が始まろうとしていた頃です。
西口には、当時大フィバーしていた、ボーリング場が何軒かあり、何処も数時間待ちの盛況でした。
やがて、学生運動のさなか、私は日本を離れ、27歳で海外から戻ってき、中途入社した建設エンジニアリング会社の西東京 担当事業所が新宿でした。
時は、バブルに向かっていました。
帰国して専門学校を出たと云っても、建設エンジニアリングの現場は右も左も分からないのに、直ぐに多摩方面の、大学建設 や、八王子周辺の工場建設のサブ監督・責任者として放り込まれ、協力会社・下請けの職人さんに支えられ成長してきました。
やがて私は、新宿を中心とする地域のオフイスビルの担当になりました。
超高層は一人では無理でも、一般的な12~13階建てのビルは一人で、同時に複数現場担当するようになり、毎日頻繁に 歌舞伎町・新大久保・三丁目近辺、明治通り以内までの現場を担当部署の責任者として歩き回っていました。

新宿は西側ではどんどんと超高層ビルが建てられて行き、ピークは東京都庁建設でした。
私が担当する新宿東口は大きなビルは少ないものの、毎月、毎日町の様子は変わって行きました。
歌舞伎町の飲み屋街、ゴールデン街、花園神社は毎日、仕事で通る通勤路でした。
1990年、都庁竣工と同時にバブルは崩壊します。
やがて、私は一時休職し海外に出た後、復帰した時には新宿を離れ、新宿とは正反対の、日比谷・丸の内・内幸町エリアの 部署となり、55才で退職するまで、新宿は同じ東京でも違う、何処かアジアの匂いが漂う街と変化していきました。

ディレクターの母親は71才、私と同じ世代です。
新宿で三軒の雀荘を経営しています。
もしかすると一度は行ったことがあるかも知れません。
母親は、わが子にはいっさい歌舞伎町に足を踏み入れることを禁止し、子供の頃から家庭教師を何人もつけ、 学歴の大切さを教え、日本の表社会の主流を歩くことを教えて行きます。
若者は時として、自分の歩んできた道を振り返った時、これで良いのかと思う時は必ずある。
しかし、それを全て手放した時、残るのは後悔だけである。
決して安易な思いで捨ててはいけない。
と、わが子に話すのですが、番組の終盤になり、それは自分のわが子への押し付けではなかったのでないかと 自問自答していました。

今回のBS1スペシャルは、過去に沢山見た民放の若いディレクターが一人、自主製作的に自分の家族にカメラを向けた ドキュメンタリーと同じようなもの、と想像していました。
32才の若い女性がどのようなカメラワーク・切り口・映像作成をするのかと、アマチュアながら、映像に関わるものとして 興味を持ってみましたが、全く違っていました。
ディレクター本人が家族を撮っている部分はごく少なく、NHKらしく、彼女の後ろ側には大勢のNHKスタッフがいるのを 感じられました。
映像もかなり凝っていて、編集にはかなり多くのエキスパートが関わっているのが看取れました。
やはり、NHKは違う。
金をかけている。
そりゃそうでしょう、国民の財産である公共電波を使い、高額な給与を貰っているNHKが、高校生の自主製作・ 素人の家族ドキュメンタリーなんか、放映できるハズもないものね。

「NHKから国民を守る会」がでてくるのも、ちょっと納得の番組でした。



8/16 さんざんな一日、一日二ケ所の病院・医院めぐり


退職し16年もすると、当然ながら病院・医院に通う日数は、現役時代と比べ物にならないくらい、増えていきます。

・2ケ月に一度のファミリードクターでの、高血圧、逆流性食道炎、痛風予防の検診と投薬。
・歯医者、眼科への数か月に一度の通院。
・老化による、足・腰の痛みでの整形外科。
・そして、男の宿命、前立腺がらみの定期検査。
昨年から、70才、医療費2割負担になり、加えて住民税非課税所帯は、1か月の通院・投薬の 上限が8,000円を超えると、高額医療還付となったので、なるべく、定期的な通院・検査・投薬をひと月にまとめるように しています。
今月は、4か月に一度の前立腺がんマーカー検査と2ケ月に一度の主治医の内科医院が重なる月で、一日で済ませる ことにしました。

前立腺がんマーカー検査PSA
自宅の前の道路から、徳洲会の旗艦病院「湘南鎌倉総合病院」が見えます。
パソコンの地図上の距離を測れるソフト、「地図蔵 ≫ 距離測定マップ」で、自宅から の直線距離を測ると、1Kmです。
しかし、自宅から湘南鎌倉総合病院へは、その間にある大船植物園と巨大ショッピングモールをぐるっと迂回しなくては ならず、距離は1.4Km,アプリ上では徒歩18分と表示されます。

※「地図蔵 ≫ 距離測定マップ」は、旅行のさいにとても便利です。
車がつかえない私たちは、どうしても鉄道・バスがたよりなのですが、便がなかつたり、間隔が長ったりする時に このアプリで距離を測り、歩ける距離なのかを決めています。
基本的には2kmまでなら歩いています。

PSA検査は事前予約で、朝一番で血液採取し、ドクターの受診は、検査結果のでる二時間後と決まっています。
この日のドクターの受診は11時でした。
9時に血液採取すると、最低2時間は病院内で待たなくてはなりません。
病院院内には、コンビニも、ドートールカフェもあるので2時間をつぶそうと思えば出来ます。
そして、2年前から、待合室ロビーで病院のWifiが使えるようになって、かなり待ち時間は潰れるようになりました。
しかし、病院まで徒歩15分の私は、湘南鎌倉病院の受付が始まる7時30分に行って採血を済ませ、8時に一旦自宅に戻り 朝食をとり、自宅で過ごし、10時45分に再び病院の泌尿器窓口に行ってます。
この日も、10時40分には到着しました。
待つこと、30分で私の本日の番号が最上位に表示され、もう直ぐだと思って待ちますが、予定の11時になっても、呼ばれません。
11時20分、泌尿器の顔見知りの受付にそっと聞いたところ、ドクターは緊急・重篤患者の処置が入ったので、しばらく時間が かかりそう、というのです。
なんで、30分以上前から予約で来ている私の前にそんなのが入ったの?とそれとなく聞いて見ると、私の場合、ただ 単なる定期検診、PSAの値を伝えるだけなので、医学用語で云うトリアージ対応になった。と云うのです。

医学用語トリアージとは
災害時発生現場等において多数の傷病者が同時に発生した場合,傷病者の緊急度や重症度に応じて適切な処置や 搬送をおこなうために傷病者の治療優先順位を決定することをいう。
フランス語のtrierからの派生語で,「選別する」意である。

結局、呼ばれたのは、予約の11時から遅れること1時間半の12時半でした。
そして、定期PSAは最悪、今までの最高値20です。
普通、初めてのPSAの値が20ですと、青ざめるような超高い値なのですが、伝えるドクターもそれを聞く患者の私も、 「あっそう、少し前回よりもあがったね」程度です。
この10年近く、前立腺がんマーカーは高値安定、やや年齢とともに上昇気味程度です。
過去に、このドクターで3回精密検査「生検」をしていますが、全てセーフでした。
ドクターの見解は、急激に上昇したらもう一度「生検」をしましょう。次の4か月後に下がっていれば。 このまま様子見にしましょう。では、次は11月。
たったの5分で終わりです。
この日の午前中は朝、7時15分に家を出て、8時15分に自宅に戻り、再び10時30分に家を出て、帰ってきたのが13時近くとなりました。
家から大病院が近いから良いもの、遠くからくる患者さんは本当に一日仕事となるのです。

この日はもう一つ、ファミリードクターの二ケ月に一度の検診日です。
このファミリードクターも同じ徳洲会出の女医さんです。
予約時間は、この医院の一番空いている時間、16時30分です。
自宅から歩いて、15分程度なので16時に自宅を出ました。
いつもは待合室は一人程度しかいないのに、五六人の患者がいます。
この女医さんは、患者の話をよく聞くドクターとして高齢者に人気の先生で、診察室に入った患者さんは 15分経ってもまだ出てきません。
やはり、顔見知りの受付で話を聞くと、この日、湘南鎌倉病院と同じで、診察した患者さんが重篤で救急車で 湘南鎌倉総合病院に搬送したばかりで、予定予約時間から1時間は遅れているとのことでした。
結局、いつもの血圧を測って、5分で終了。
帰宅したのは、18時半を廻っていました。
スマホの歩数計を見ると、8,000歩、良く歩き、待ちくたびれた一日でした。



8/9 脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人


以前から本書の著者「水谷竹秀」氏の本を読んでいます。
著者はマニラの「日刊まにら新聞」に籍を置き、これまで11年間、フィリピンで暮らす多くの日本人を取材してきた ノンフィクションライターです。
これまでに
■「日本を捨てた男たち フィリピンに生きる困窮邦人」
■「だから、居場所が欲しかった。バンコク、コールセンターで働く日本人 」
など、海外に暮らす日本人を取材した著書が話題を呼んできました。
今回の「脱出老人」は著者の一連取材と同系列のものですが、対象の日本人は、これまでの、ヤクザ・犯罪者や、 日本の社会に馴染めずに海外に出た若者と違い、日本の年金生活弱者の定年退職者、介護が必要な家族のお話です。

 第一章 寂しさからの脱出
 第二章 借金からの脱出
 第三章 閉塞感からの脱出
 第四章 北国からの脱出
 第五章 ゴミ屋敷からの脱出
 第六章 介護疲れからの脱出

いずれも、現代の日本人退職シニアが多少なりとも抱えている問題からの脱出がテーマで、本書に登場する方々は、 主に家庭的な理由、経済的な理由により、この問題の解決方法を海外にフィリピンに求めたケースです。
プロローグは東京ビッグサイトから始まります。

ロングステイ財団主催の「ロングステイ2012」入口に並ぶ長蛇の高齢者の行列を目にし、本当にこの人達は 皆、海外移住を考えているのだろうかと著者は唖然とします。
各ブースには、
 「癒しを求めて」
 「極上のセカンドライフを楽しむ」
 「ゆったりと海外生活」
といった謳い文句が目に飛び込んでくる。
来場者の表情も概ね穏やかで、これから始まる第二の人生にいささかの期待抱いているようにみえる。
 「フィリピンは英語も通じるし、同じ10万円でも豊かな生活が出来る」
 「フィリピンってみんな親を大事にするでしょ、そんな国なら介護も安心できそう」
 「セブ島は気候も良いし、海が綺麗で治安も問題なさそう、それに生活費がやすそう」
来場者からはこんな言葉が聞こえ、海外で生活することへの期待、日本で老後を送ることへの不安の気持ちが 交差してしていた。
日本で高齢者の海外移住やロングステイを扱った書籍が既に数多く出版されているのは知っている。
だがその多くは、各ブースのキャッチコピー反映した「塗り絵」のような内容だった。
このロングステイフェアにつめかける大勢の高齢者の姿を見て、「本当に移住して大丈夫なのか」 と云う違和感を拭い去ることが出来なかった。

私、実はフィリピンに行ったことはありません。
あれだけ、現役時代世界各国、それもアジア・中南米の奥地を旅していても、近場・簡単なフィリピンに行った ことはありません。
昔、一度だけ、現場関係の竣工打ち上げでマニラ旅行が企画され出発直前に、例のアキノ暗殺を発端とした 市民革命が起きて、キャンセルして以来、一度もこの国に足を踏み入れたことはありません。

理由は、日本人が個人旅行する国として危険すぎるからです。
パック・団体旅行でしたらOKです。
何かしら安全ネットやら、頼るべき場所が確保されているからですが、全く の個人旅行となると、全てが本人の責任になります。
フィリピンは、警察・入管職員・弁護士・裁判官・刑務所まで、99%お金次第で動く、典型的なラテン社会なのです。
マスコミのニュースで、出国時に自分のスーツケースの中から知らない、白い粉が発見んされたとか、 街角の警察官から不当に逮捕されたとか、そんな話はゴマンとあります。
言葉の解らない金持ち旅行者は、泣き寝入りして金を払って釈放を願うしかない国なのです。
正義を貫いてもダメです。
裁判官も簡単に買収される国なのです。
私は、昔暮らした南米ラテン社会でこのような目にあった日本人を、それこそ10本の指でも数えきれないほど 知っています。

早期退職して、団塊世代の海外ロングステイをテーマにしたwebサイトを立ち上げた時、一度は行かなくては と思った矢先、退職者の無知に付け込んだ 「セブ島 ロングステイ詐欺事件」が報じられ、フィリピンは除外されました。

各章では、様々な理由から、日本を脱出してきた日本人を取材した、生々しい記事が掲載されています。 私はこの本で一番衝撃をうけたのが、第六章の介護疲れからの脱出でした。

2003年早期退職した当時、ロングステイブームの到来し、2008年の団塊世代の一斉退職でピークを迎えて いました。
当時、それまでの比較的裕福なサラリーマンの老後の一次的な生活の場として、ハワイをはじめ とする、美しい西欧文化の国々、カナダ・オーストラリア・ニュージーランドが持てはやされていたのが、 この頃から、「夫婦ふたりの国民年金でも豊かに暮らせる」と云う謳い文句で、アジアの国々が人気になり フィリピンもその国の一つとしてもてはやされていたのです。

しかし、時代はそんなアジア諸国の経済成長で物価は上昇し、バブル以降に退職する日本人の年金は円安 傾向のなか、とても昔の夢のような暮らしは幻と気が付くようになり、経済的な問題で、海外ロングステイする 人は、激減しています。
しかし、この本で書かれている理由で、今でも老後を海外に住もうと考える人々がいます。
「介護移住」です。
日本の少子・高齢化で、今後高齢者が介護が必要になった場合の不安は、かなり裕福な高齢者でも抱えて います。
そこに、日本政府は、多くの介護現場で外国人労働者の受け入れを政策として決めました。

いつも登場するのが、フィリピンの女性です。
フィリピンは、家族、ファミリー、身内、高齢者を大切にする文化があると云われており、この人達に注目が 集まっています。
そんなお国柄もああって、フィリピンに次々に日本人を対象として、老人介護施設が誕生しました。
今まで、フィリピンには、老人ホームと云う存在は皆無でした。
理由は、その必要がなかったからです。
家族が一緒に親・親族を介護し、看取るのが当たり前の常識だからです。
この本で衝撃的な事実を知りました。
次々に建設された、日本人向け高齢者ホームはほぼ全て、経営難で現在閉鎖されている、とのことです。
理由は、日本人経営者と現地共同経営者との間の意識の違い・・・と書かれていますが、本音のところは、日本人経営者 がうまく、嵌められた、のではないか・・・と 日本人経営者側も、もっと大勢の日本人が来ると試算していたようです。
それでも、現在はこのような法人高齢者施設ではなく、個人がフィリピンの優しい女性を直接雇用して、親の介護を手伝って もらつているケースが増えていると、本書では伝えています。
但し、それには介護を依頼する、子供、伴侶本人が、フィリピンに正式に住むことが前提であるとしています。
親を一人、或いは二人フィリピンにおいて、数ヵ月・半年おきに訪ねるようなやり方は、失敗すると書いていました。

エピローグ

フィリピンに移住する日本人たちの姿をとおして、高齢者の幸福論をかんがえるのがこの取材のテーマであった。
結論から言うと、幸せになる人も、そうでない人もいる。
考えれば当たり前の話だが、そもそも海外で老後を送れば 幸せになれると云う論調のほうが不自然である。
分かっていても、島国から海をまたいだ海外という新天地は誰の目にもよく映るだろう。
・・・・中略・・・
ただし、日本でそのまま暮らしたら、寂しい老後を送っていた可能性の高い高齢者たちが、フィリピンに来たから幸せになった と云う事実だ。

ともかく百聞は一見にしかず、手に取って読んでみることをお勧めします。
「自分の人生もたいしたことないが、この本に登場するひとよりもマシかな」と。



8/2 住民税非課税所帯のメリット・デメリット、幾ら迄なら非課税なのか?


55才で退職し、56才で現在の住まい鎌倉に越してきて、15年、これまで住民税・県民税はゼロでした。
つまり、収入が二人の年金収入だけなので、住民税非課税所帯となっていたのです。
・・・が、今年2019年6月、 市役所から、納税通知書が届きました。
年額2,700円 金額面はささやかな額なので、市民の義務として払うのはやぶかさではないのですが、何で15年間非課税だった し、昨年の年金収入は前年よりも若干減っているのに、今年に限って、住民税課税なの?
そして、1週間後には、介護保険料決定通知書が届き、開けてみると、昨年よりも倍近い金額になっていました。

これは、市役所窓口に行って聞いてみるしかない

鎌倉市の市民窓口は8時30分から開いているので、朝一番で行ってきました。
原因は解りました。
カミサンの配偶者控除が落ちていたのです。
私は、昨年まで確定申告をしていました。
医療費が年間10万円以上かかつていたからです。
しかし、今年は確定申告をしませんでした。
理由は、メディアで65才以上で所得が年金だけの所帯は、確定申告は不要と云う記事を見たからです。
市民税課の窓口でこの件について聞いてみると、確かに「国税」に関しては、申告は不要だが、地方税に関しては、 原則必要、したほうが確実であると云うのです。
市のコンピューター上では、配偶者がいない一人所帯になっていました。
この場で再申告しなおして一件落着・・・と思っていたのですが。

先週、市から修正税額通知書が届きました。
確かに、配偶者控除330,000が引かれていたのに、納税額が変わっていませんでした。
再度、朝一番で窓口で尋ねると、複雑な通知書の見方の違いと判明しました。
今回の市から書類を見ると、前回同封されていた、市民税・県民税納付書は同封されていませんでした。

市民税課で、住民税非課税を確定してから、次は介護保険を扱う窓口「高齢者いきいき課」に行きました。
先ず、私の介護保険設定が昨年の第3段階から第6段階に、カミサンが第2段階から第5段階になつた理由を尋ねました。
二人合計で、年60,000も増えているのですから。
窓口で、修正申告をして住民税非課税確定をした旨を伝えると、私のマイナンバーカードの提示を求められ、データー ベースにアクセスすると、
「確かに修正されています。」
「数週間後、修正された介護保険料通知書がご自宅に届きます」
「8月までは、修正前の金額が年金から引かれますが、10月からは修正し直した金額での納付となります」
やれやれ、確定申告を続けていて、昨年分をしなかっただけで、こんな面倒なことになるとは。

一体、住民税課税・非課税のボーダーライン所得は幾らなのか?
その前に、住民税非課税のメリット・デメリットは?

メリット
・市民税、県民税がゼロになる
・介護保険の保険料段階が低くなる(3段階低くなる)
・国民健康保険は良く解らない、課税・非課税に関係なく、雑所得額(公的年金はこう呼ばれてる)によると思う。
・高額医療限度額は非課税所帯は低所得者となり、外来の場合、月8,000円を超えると戻ってくる
・政府の高齢者、低所得者給付金が受領できる(今回はプレミアム商品券)
デメリットは
特にない、但し、「住民税非課税なのに随分とゆとりのある生活をしている」、と冷ややかな目で見られたり 「不公平な税制」だと陰で云われているかも知れません。
つまり、日本の税制は前年度の所得によって決定されます。
金融資産がどんなにあろうとも、昨年の所得が少なければ、住民税非課税所帯になるのです。

では、住民税の課税・非課税の所得ボーダーラインは幾らなのか?

これはなかなか計算が難しく、市町村によっての違いがあると云われています。
私たち夫婦が早期退職する5年前ほどから、住んでいた横浜市の住民税課税所得額を調べてみました。
年齢や、扶養家族の有無などにより変わってきます。
調べていた段階では、ボーダーラインは雑所得額(公的年金)255万円と云う数字がありました。
最近よく目にする、給与所得者の平均1か月の生活に、2000万円問題に出てくる数字です。
255万割る12ケ月は212,000円、それでも生活するには50,000円足りないと云われて金額が、住民税非課税の ポーターラインなのです。

私たちは早期退職を目指しているさなか、毎年のように社会保険庁で、将来二人がもらう年金金額の概算をはじき出して もらっていました。
このまま、働き続けると将来このポーターラインをオーバーするのは、何時かを大まかでも知ることができました。
それと、自己資産の目標額が合致したのが、夫55才、妻52才の時だったのです。

つまり、2019、政府発表の年金だけが所得の平均的な所帯の大半は、住民税非課税所帯となるのです。
大半の所帯は、それでは足りない、それでは満足できない、それではゆとりのある老後ではない、少しでも働いて、可処分 所得を増やそうと、低賃金で働かざるを得ないのが、今の日本の退職者ライフなのです。
働かないで、住民税非課税のメリットを得るか? 少しでも働いて、非名誉な、聞こえの悪い低所得者所帯になるか? ひとそれぞれの考え方と、資産体力によることでしょう。

ネットで「住民税非課税の壁」と検索するいろいろな金額がでてきます。
211万円と云う数字をよくみかけますが、年齢・家族構成などが良く解りません https://manetatsu.com/2019/03/176402/

実際の例として、今回私たち夫婦の場合を実数値で公表しました。
鎌倉市に住む私たちは、公的年金だけが所得の世帯です。
一年間の雑所得額(公的年金)は、政府発表の標準世帯平均と同じです。
そして、住民税非課税所帯なんです。

そうそう、デメリットがあるのを忘れていました。
どんなに魅力的な返礼品があろうとも、ふるさと納税は出来ません。



7/26 アンケート 70才まで働きたいですか?


朝日新聞土曜版の「読者と造るアンケート」では、時代、時期を反映するアンケートを掲載しています。
先々週は、「年金2000問題」や、「働き方改革」などに関連し、参院選の焦点となるテーマの「何歳まで働くか」 を取り上げていました。
60才定年制度が当たり前で、既にリタイヤした団塊世代の私たちにとっては、「いまさら」の話題なのですが、やはり 今の現役世代にとっては、年金問題とリンクする切実な、スルー出来ないテーマ、アンケートのようです。
朝日新聞のイントロ記事は

「一億総活躍社会」・・・そんなキャッチフレーズを耳にするようになって久しいです。
国は5月、希望する人が70才まで働ける機会を確保するよう、企業に努力義務を課す方針を打ち出しました。
アンケート結果からは、多くの人が「活躍」というより、生活の為に働かざるをえない現実が浮き彫りになりました。

アンケート結果では、働きたい人は40%と思ったよりも少なく、少し安心しましたが、回答者数1748人の年齢別・世代別のデータは 示されていませでんでした。
考えてみるに、朝日新聞のアンケート質問に答える世代層は、日本の労働人口構成比率よりも、かなり高いのではないか? 毎日、毎週土曜日の朝日新聞のこの欄をみる人は、ある程度の企業に勤めている給与所得者層、それも平均値以上に属する 人達ではないか、と少し穿った見方も出来ます。


本音を云うと、退職金を受け取った翌月から、公的年金の受給が始まれば、多少少なくて、理想とする老後の生活に足りないに しても、スタートできるのですが、従来通りの60才退職した場合、年金受給(年金支給と云う言葉は使いたくありません、政府側が使う与えるのではなく、 自分が積み立てした当然の権利なのですから)開始まで、5年も待たなくてはなりません。

退職後の5年間の生活費は幾ら必要か?
家族構成によってかなり違いはでますが、年間500万と計算して5年間で2,500万、日本の一部上場企業の平均的な退職金は、この 5年間で消えてしまう、金額です。
当然、何かしら、最低限の質素な老後の生活を維持するには働かざるを得ないのは当然です。

私の場合、55才で退職しましたので、年金満期受給まで8年間ありました。
8年×年間500万とすると、4000万円が必要でした。
どう、補ってきたかと云うと、この8年間は個人年金、つまり、自己資産の食いつぶしです。
年金受給満期の63才になっても、実質25年間しか、年金をかけていないので、受給額は、カミサンの分も含めても、政府発表のモデルケース ギリギリ、住民税非課税所帯扱いです。

この欄にFPで社会保険労務士の方の談話が掲載されていました。

年金制度は、高齢者も若年者も痛みを分かち合う「助け合い」の制度です。
国も年金問題の改善策に苦慮する中、このまま少子高齢化が進むと、制度の存続自体が危ぶれます。
さらに保険料はあがり、支給額が減る可能性もあります。
日本の制度では、年金だけでは生活できるようには設計されていません。
「70才まで働かなくてはならない」と考えると憂鬱ですが、「働ける」と考えれば気が楽になります。
働いていると、孤独になりません。
友人も増え、お金にも余裕が生まれます。
後略・・・・

私の周りには、元上場企業を退職した63才~65才前後の方々が沢山います。
この世代の方々は生活費の為と云うよりは皆さん、自分の健康の為、自分の趣味の費用の為に、働いています。
働きたい理由の「社会と接点を持ちたい」は、アンケート収集者を意識した、優等生的な回答ではないかと思われます。
少なくとも、老後の生活が公的年金と、自己資産で成り立っているからなこその、回答ではないでしょうか?
アンケートの・「働きたい」と答えた方の第二位は、「生活する為、お金が欲しい為」です。

この調査は、やや革新的傾向の強い、朝日新聞の定期購読者層によるものです。
これが、年齢・収入・学歴・住んでいる地域など、全日本平均的な人たちから採集したら、この「生活する為、お金が欲しいから」 の数値はダントツの一位になるのではないかと、不安に思いました。

脱線ばなし
上の退職祝いに、職場から花束をもらう・・と云う典型的な退職者イメージ画像。
今でも、こんなふうなんでしょうか?
こんな花束を貰って、電車に乗って帰宅するって、僕は嫌だな!
私の時は、本社では何もイベントもなし、55才の我が儘退社なのですから、当然でしょう。が
このあいだ、落語家が云ってました。
「5千円の花束より、3千円のご祝儀」



7/18 定年後、住まいの引っ越しの勧め 


定年後の住まいとして、タワマンは買ってはいけない

最近、月に二回、二駅離れた街の歯医者さんに通っています。
この歯医者さんは、現役時代21年間住んでいた横浜新駅駅前の長巨大マンション群の一角にあります。
世代が近く、ボロボロの手入れを怠った私の歯をケアしてくれる気心の知れた歯医者さんなので、地元の鎌倉ではなく わざわざ電車代を払っても、この先生にお世話になっています。
この日、最近買った超小型ビデオカメラを持って、35才の時から退職した55才住み、そして16年経過した、この巨大 駅前開発マンション群をビデオに収めてきました。

16年前、自宅マンションを売却した時は、この駅前マンション開発はまだ100%完成していませんで、奥へ奥へと 建設ラッシュが続いていました。
不動屋さんに売却を依頼した時、

「どうして、これからまだ発展し続けるこの街を去るのですか?」
「中古マンション不況で、売却が難しいと云われていますが、このマンションなら10日で買い手がつきます」
「もし、宜しければ、不動産屋の営業マンとして、この時期売却する理由を教えて下さい」
「何処へ引っ越しなさるのですか?」
と云われました。
確かに、中古マンション不況で売りにくい時期でしたが、正式依頼した2日後に希望価格で売却が成立しました。 それほどの人気の高い、発展が期待される土地柄と、交通の便の良さと、バブル崩壊の底値の時期だったのです。
これほど、人気の何でも揃う、駅前徒歩5分のマンションを何故売ったのか?
理由は、「便利すぎる」が一番の理由です。
駅も、バスターミナルも、大型スーパーも、老舗デパートも、病院も、行政施設も、全て徒歩5~10分範囲にあるのです。
現役時代は、朝早く東京都内に出勤し、帰宅は早くて夜の9時の生活には確かに便利なのですが、いざ退職し、 365連休、サンデー毎日の日々になると、自宅のベランダの下は、駅に急ぐ通勤の人々の姿、風邪に乗って駅構内 のアナウンスが聞こえてきます。
日々の買い物にしても、全て目の前に揃っています。
現役時代の便利は、定年後、何もすることのない日々にとっては、或る意味「プレッシャー」になります。
55才、まだまだ十分に現役世代なのに、昼間っからブラブラ、まるで引き籠りのような生活になるのを恐れました。
戸建ては住みたくないけど、静かな、落ち着いた、緑の自然に包まれた定年後ライフを送りたい でも田舎は嫌、交通・買い物・医療の不便な所は嫌、都内中心部まで乗り換えなしで1時間以内、 でも埼玉は嫌、千葉は嫌、価格は、横浜のマンションを売った価格に引っ越し代、新しい家具をプラスしても 1,500万以内と設定し、現在の住まいとなりました。

5階建て、52戸の小さなマンションです。
横浜のマンションに何度来ていて、知っている姪っ子は、新しい我が家を見て云いました。
・外観も、内装も前のほうがづっと良かった。
・普通の賃貸アパートみたい
・駅前は、普通の商店街で、おしゃれな店もない。
・鎌倉のイメージじゃないな。と、のたまう

でも、ベランダからの風景をみてみろよ、目の前が桜の公園なんだよ。と私。
午前中は、幼い幼児をつれた若いママが三々五々集まってくるし。
放課後になると、子供たちの走り回る姿が見えるよ。
後ろの森からは、毎朝、小鳥のさえずりが聞こえるし。
ウグイスなんて、うるさいくらい泣いているだよ。
朝は、目の前の丘から陽が昇るし、月も星も、リビングからみえるんだ。
私の住む、田舎と同じジャン。と姪っ子は云います。
そして先日、NHKクローズアップ現代で、今首都圏で起きているタワーマンションのの異変について、特集していました。

いま、都会のマンションに“異変”が起きていることをご存じですか?
人気が衰えない新築マンションの平均価格はバブル期以来の高い水準。
しかし、その一方で、所有者がいるのに空いたままの「空室数」が過去最高を記録。
老朽化に悩む“空洞化マンション”も目立ち始めています。
さらに、都心を中心に急増するタワーマンションでも、「修繕積立金が十分ではない」という危機感を抱く管理組合まで・・・。
マンションの価格高騰の裏でいったい何が起きているのか? そして、私たちは、「マンションの終活」とどう向き合っていけばよいのでしょうか。

この問題は16年前、横浜から鎌倉に住み替えた時、既に予測していました。
21年間、巨大マンション群に住み、固定資産税・共益費・修繕積立金の高さをは実感していました。 おまけに、駅前と云う立地から敷地内駐車場は少なく、16年前、一台40,000円もしていたのです。
私たちの駅前大開発では、街区毎の管理組合と、プロジェクト全体の管理組合がありました。
マンション購入時、広いエントランスロビーが宣伝され、住民用の会議室、図書室、ゲストルーム、フィットネスルーム などが重宝されると思っていましたが、利用しなくてもこれらの維持には私たち住民の共益費、光熱費が一生続くのです。
修繕積立は、私たちの街区の場合、多少高額でも修繕の都度一時金を払わない、生涯積み立て方式だから良かったのですが 他の街区では、入居初期費用を抑える為に、比較的安く設定されていたようです。

そして、タワーマンションの費用の問題
友人がタワマンに住んでいます。
一番の問題は、共益費の中の電気代の高さだと云います。
高層マンションですから、エレベーターが何基もあります。
高層マンション住む人々のクレームの一つに、エレベーターが 直ぐに来ない、待たされるということが取りざたされ、新築設計段階から、高級といわれるタワマンほど台数が多いのです。
これらが、月々の電気代を圧迫しています。
共用スペースが広く、多いほど、電気代も清掃人件費もかかります。
一番の問題は、大規模修繕にかかる、仮設足場代なのです。
法律では10数階以上の建物に対して、良く見かけるパイプ鋼材足場は設置出来ません。
全て、屋上からの何らかの形の釣り下げゴンドラによる作業になり、タワマンの大規模修繕のネックとなっています。

定年後の選択
私の定年後のマンションとして選択したのは5階建て、52戸の姪っ子からシンプルな賃貸マンションと見られた物件です。
広い、豪華な共用スペースはありません、緑溢れる内庭もありません。
カミサンは、お友達を呼べないというほどシンプルな、立地だけが自慢の物件なのです。
既に16年経っていますが、大規模修繕は行っていません。
52戸の住民の平均年齢は若く、入居当時平均は40才を割っていました。
現役のサラリーマンが多く、法律・金融・建築の専門家もいます。
大規模修繕は10年毎と云うのは、建設会社や管理会社が勝手に決めたルールで、全く根拠のない数字なのです。
毎年こまめに、自分たちの積み立てた範囲でやっていけば良いのです。
私たちのマンションの場合、5階建てですから、仮設足場は組みませんでした。
ですから、仮囲いの黒いシートも蔽いませんでした。
屋上からの一人作業用電動リフトでの上下移動で済みました。

52所帯ですから、大型タワーマンションよりは、一所帯辺りの共益費は高いか?
いいえ、そもそも共用部が狭い、小さいので、圧倒的に安いです。
私の住むマンションの共益費・修繕積立合計金額は一か月38,000円です。
以前住んでいた横浜のちょうど半分程度です。
退職後、住環境を代える、引っ越すと云うのは大きな決断がいります。
それに、お金もかかります。
後何年、この地で二人でどんな老後の過ごし方をするか、先ず話し合って下さい。

最後に、老後は戸建てかマンションか?
我が家の場合、固定資産税+共益費・修繕積立で年間630,000円と云うことをお伝えしておきます。 この費用をどうとるか、考えるかは、人それぞれでしょう。



7/12 新・日本の階級社会と云う本を斜め読みしてみました


「一億総中流」社会は完全に消失

本の内容は・・・ かつて日本には、「一億総中流」といわれた時代がありました。
高度成長の恩恵で、日本は国民のほとんどが豊かな暮らしを送る格差 の小さい社会だとみなされていました。
しかし、それも今や昔の話です。
1980年代から始まった格差の拡大が40年近く放置された結果、国民の身分が固定化され、もはや「格差」ではなく「階級」となってます。
・「一億総中流」社会は完全に消失
・資本家階級の子息は資本家階級になりやすい
・中間層は「上昇」出来ず、子供は下の階級に転落
・男性の3割が経済的に理由で結婚できない
・非正規労働者の平均年収は200万未満
・労働者階級内が分裂、900万人の下層階級(アンダークラス)が新たに誕生
かなりセンセーショナルな書き方ですが、頷けるのは確かです。
最近の新聞紙上で目に付くのが、私たち団塊世代前後の子供たちが「ロストジェネレーション」と呼ばれていることです。
「ロスジェネ」は「ロスト・ジェネレーション」の略です。
つまり失われた世代という意味になります。

この「ロスジェネ世代」にあてはまるのはバブル崩壊後から約10年間の期間に就職活動をした人たちのことです。
つまり、1970年~1982年頃に生まれた世代がそう呼ばれているのです。
大学卒業時、就職活動時期の日本経済の落ち込みで、就職氷河期と云われたこの世代の、私たちの子供、甥っ子世代は 日本経済が持ち直し、好景気と呼ばれるようになっても、新卒中心の採用が定着した日本の企業にとっては、戦力外の 世代、下層階級(アンダークラス)として定着してしまったのです。

私たちが現役時代、階級格差は全く感じませんでした。
自分が所属していた業界では、同僚・仕事仲間・取引先は、ほぼ全員が同じような経済的環境であり、生きて来た 社会環境を共有してきていると、思っていました。、しかし、それは実は本当は自分の廻りの狭い範囲たけだった のかも知れません。
退職後「鎌倉」と土地に住んでから、いわゆる良家の子女の存在を知ることになりました。
現役時代は、同じような学歴環境、資産環境、年齢環境の仲間として仕事してきましたが、退職に住み着いた鎌倉では、 今までの社会生活では接触することのなかった人々と接する機会が多くなりました。

一番違うなと感じたのが、学歴でした。
私たちの頃、地方出身の団塊世代の大学進学率は20%未満でした。
しかし、鎌倉で出会う同じ世代の男性の進学率はほぼ100%近く、それも東京都内の偏差値の高い有名大学ばかりです。
そして、その子供たちも、地方に住む私の兄弟の子供たちから見れば、目もくらむばかりの有名大学にストレートで 入り、就職先も誰でもが知っている大企業の名が連なっています。
NPOやNGOで一緒になる、同じ団塊世代の女性にしても、ほぼ半数は学卒でした。
確かに場所柄ということが影響しているのは間違いありません。
が、この本に書かれている、 親の学歴、収入の差は確実に子供世代に受け継がれてするのをはっきりとこの目で見ています。

結婚にしても、私たちの世代では、この人と一緒に人生を歩みたいと願って結婚するのが当たり前でした。 相手の学歴、ましてや育った親の経済環境など考えたこともありませんでした。
その前の世代、私たちの祖父の時代では結婚は
「家と家のつながり」
「つり合った家柄同志」
「同じような経済環境」
「同じような学歴環境」
が望ましいと云われていたのを、無視した訳でもなく 自然と同じ、今でいう階層を選んで来たのかもしれませんが、この年齢になると、昔から先人が云ってきた意味が解るように なってきています。

いつの間に日本はこんな階級社会になってしまったのか?
成り上がり、のし上がって行くの無理な社会なのでしょうか?
あとは、こうなったら資本主義も金次第、ジャパンドリームはあるのでしょうか?



7/5 新聞の投書「定年後は年金だけで生活は当然」に唖然


同じ世代でこんな風に考える人もいるのだ

参議院選が近づき、新聞の投稿欄に今、国民の間で一番の関心事「年金2,000万円問題」に関する投稿が多く見受けられます。
年金は自助努力が当たり前、という投稿と、年金制度そのものに対する考え方の相違についての意見が寄せられていました。
その一つを要約して転載します。

投稿者 男性69才 定年制度が社会の仕組みとして存在する以上、定年まで普通に勤め上げれば、その後の生活は年金で賄える と云う年金制度でなければ、定年制を廃止しなければならない。
定年制が存在する背景には。
働き手の新陳代謝が組織の活性化に不可欠と云う企業側の都合があるからだろう 「戦力としてもはや必要とされない」から定年があるのであり・・・中略・・・・ 金融庁の報告書で「生活費が月15万不足する」とされたモデルケースはかなり恵まれた部類に属する。
・・・中略・・・・ 稼ぎが多く、蓄えも十分にあり加えて定年制の直撃を受けない恵まれた人達だけでこの問題を議論するのは やめてほしい。
定年退職したら「年金だけで生活できる」ことが当たり前の社会であるべきなのだ。
これは「甘え」でも「思い上がり」でもない

この投稿者は69才、つまり私と2つ違いますが全くの同世代、同じ社会・経済情勢の昭和/平成を生きてきた方です。
この方の考え方にはもしかして、社会保証・保険としての年金制度があるのでしょうか?
社会には、生命保険、自動車保険、損害保険、火災保険、医療保険、介護保険、失業保険など、多くの保険が存在します。
保険とは将来起こるかもしれない危険に対し、予測される事故発生の確率に見合った一定の保険料を加入者が公平に 分担し、万一の事故に対して備える相互扶助の精神から生まれた助け合いの制度で、私たちを取りまくさまざまな 事故や災害から生命や財産を守る為のもっとも合理的な防衛策のひとつです。
国や自治体が運営する、国民・住民の為の医療保険(国民健康保険)・介護保険や生活保護制度は、一般的に社会保険と いう云い方もあります。
「万人は一人のために、一人は万人のために」と考え方が基本となっています。
保険ですから、掛け金(税金)を払い、万が一の時は、この保険からの救済を受けられます。

では、老齢年金制度は、社会保険・社会保障なのでしょうか? 69才の投稿者は昭和25年生まれ、私と同じ時代を生きてきています。
定年退職したら、国の年金で老後の生活は安泰と本当に思っていたのでしょうか?
私と同じ世代で、そんな事を考えていた人、思っていた人は、信じていた人は100人中一人もいなかったと断言できます。
だって現在の国民年金は拠出制年金であり、同法改正により1961年4月から保険料の徴収が開始され、 国民皆年金制度が確立されました。
その後、1985年の年金制度改正により、基礎年金制度が導入され、現在の年金制度の骨格ができました。
1961年は昭和38年、私たち団塊世代が中学3年の時、1985年は昭和60年、私たちが37才の働き盛りの時です。
私たちは、社会保障としての年金制度は、鼻から自分の老後の生活費の一部と云う考えが浸透していたハズです。
この投稿者69才の男性は、その頃、何をしていたのでしょう。
政府・国が自分たちの老後を保証・保障していると、信じていたとは到底思えません。
私の場合、特に20代半ばまで外国で生活し、社会保障先進国と云われていた国に住み、現実的には、年金支給日に銀行に並ぶ長蛇の 老人の行列を目にしてきていて、老後の生活の一部にはなるかもしれないが、老齢年金だけで暮らせない、ということを学んできています。
私の両親は自営業でした。
両親が国民年金を払い始めたのはいつ頃だったのでしょう。
年金掛け金というよりは、一種の税金だと認識し、老後払った分だけもらえれば御の字的感覚だったのを覚えています。

今回の「老後2000万円問題」で、自助努力・自己責任と云う言葉が出る度に、猛反発の意見が沸き上がります。
でも、そうやって声を上げる人達より、「そうだよな、自分の人生、老後の為に、普段から蓄えるのは日本人として当たり前」と云う圧倒的多数の 声のほうが多いのではないでしょうか。
そうやって、今回の「老後2000万円問題」の火消しをする気は毛頭ございません。
格差の拡大、日本社会の階層化がすすむ平成・令和の時代、社会的弱者と云われる人々にたいして、本当の意味で云う社会保険・社会保障 を政府は真剣に取り組み、グローバル社会と云う隠れ蓑の裏で、大企業だけが潤う、今の経済構造を替えなくてはいけません。

今回の参議院選挙は、生まれて初めて投票所に行こうかと考えています。

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