湘南・鎌倉から リタイヤ16年目 BLOG19

団塊世代の残された人生の、日々感じる事・出来事、想いを書き述べています



2/15 今月、父が亡くなった年齢になる、そして来年は兄が亡くなった年齢に。


二月は如月です。先日TVで如月の語源についてやっていました。

如月は、寒さで着物を更に重ねて着ることから、着更着(キサラギ)とする説が有力 その他、気候が陽気になる季節で「気更来」、「息更行」とする説 草木が生え始める月で「生更木」とする説 草木の芽が張り出す月で「草木張り月」が転じたとする説があるそうです。

二月は生命について、考えたり、何かを感じたりする月のようです。 私の父は、動脈瘤破裂で33年前、71才で亡くなりました。
私は、今月その父が亡くなった年になります。

父が亡くなる数年前、カミサンの実家の両親二人と、私の両親二人計4人を友人の会社のハワイ社員旅行枠に いれて、招待しました。
両親は初めての海外旅行と喜んで、お揃いのシャツを買って楽しみにしていたそうです。
しかし、出発する一週間前に、バイクで転倒し結局初めての父と母の海外旅行はキャンセルとなりました。
この時の父は65才、母60才でした。
今の私たちよりもはるかに若かったのか! そして、数年後相撲が好きだった父親を招待し、私たちの小さなアパートに泊まっていきました。
母に、横浜崎陽軒のしゅうまいと、上野御徒町の昇龍の餃子を買っていくのが楽しみと云っていました。 あの時の父親は今思うと、67才です。

男は常に、父親が亡くなった年齢を意識するものです。 カミサンは、大正生まれの戦前・戦後の食糧難の時代を過ごして来た人と、今は違うのだから比べるのはおかしい。 と云いますが、人類の寿命がそう簡単に、100年ほどで飛躍的に伸びる訳がないと私は信じています。 今年71才、来年2020は2度目のオリンピック、72才になる年が一つの節目であることは間違いありません。

気力・体力・好奇心と云います
確実に体力が落ちてきています。
今週、築16年目を迎える我が集合住宅のキッチンの天井埋め込み蛍光灯がきれました。
もう、新築の鎌倉のマンションにきて16年になるのです。 16年も蛍光灯が保ったのが不思議なくらいです。
埋め込み式の電気器具を開けて、型番を調べて買いに行かなくてはなりません。
自分の部屋から、撮影用に使う高さ60センチの脚立をだしてきて、この器具を開けようとしました。
しかし、数年前の大晦日の掃除で台所のレンジフード清掃をやった際に、頸椎を痛めてから、見上げたままの作業 が辛い、出来ません。
また、たった60センチの脚立の上ですが立つと少し、身体が揺れたような、不安定な感じます。
見上げたままの姿勢は辛く、カミサンに代わってもらい、この器具の開け方を口で伝えるのですが、カミサンは上手く 取り外しができないようで、私はイライラが増します。

やっと、外した蛍光管の型番の文字がこれまた、薄く、小さくて読めません。 虫眼鏡と懐中電灯を探しに、押し入れにはいり、道具箱から探すのですが、鼠径ヘルニアの手術をしてから、屈むと云う 姿勢、動作が極端に鈍くなってきています。
前まで、お年寄りが町の便利屋さんにお金を払って、蛍光灯の交換や、庭の雑草取りをお願いしているのを見て、その 程度のことを何でひと様に頼むの?と思っていましたが、少しづづ解るようになってきています。

現役時代、大型建設プロジェクトの現場監督をしていました。 その頃、60才以上の職人さんに、現場での脚立作業を禁止の通達、高所作業車免許の取得命令をだしたことがあります。
「監督さん、60才で脚立作業禁止はひどいよ」と云われました。 「60才と云っても、サラリーマンと違って毎日身体をはって働いてきているのだから、一緒にしないでよ」とも。 私も全く同感で、同じ年齢でも個人差、それまでの鍛錬や過ごし方によつて違うと思っていました。

しかし、老化は確実に平等にやってきます。 古稀、70才を境に体力は急激に落ちてきています。
いつも思い出すのは、小津安二郎映画「東京物語」をリメイクした山田洋二監督「東京家族」で田舎で退職して、東京の息子 に来た父親を演じていた「橋爪功」の年寄りの演技です。
役の想定年齢60代後半の役を演じているのですが、腰を屈めるのも、坂道を上がるのにも過剰な演技と思ってみていました。
しかし、今古稀を過ぎ、自分の父親が亡くなった年齢に近づくと、あの映画の中の演技は、あれで良かったのだと思うようになって います。
 年老いて、知ることは沢山あるようです。



2/8 退職16年のリタイヤライフには、特にほしい買い物がないのだが


リタイヤ退職後の一か月のお小遣いは月に30,000円です

これには、時々の外食代も含まれていますが、基本的にはお昼は自宅で済ませ、午後からの活動が多いので 外で食べるのは、せいぜい週に一日か二日程度です。
お昼は、日高屋の中華そばがお気に入りです。
日高屋の中華そばは昔ながらの中華そばとは少し違い、 あっさりな魚介系の香りに味は割と動物系です。 ただ、背油ギトギト系ではないので幅広い世代に好まれる、飽きないラーメンです。
390円は助かるのですが、672kcalと意外に多いのが少し気になりますが・・・

この一か月の小遣いの他に、教養・娯楽費として、一年に12万円の枠があります。
これは、主にスポーツクラブや、趣味のクラブの月謝、活動費及びスマホ・ネット代に充てています。
つまり、ひと月40,000円は自由につかえるのですが、飲まない・打たない・買わない?ですし、ゴルフはしない、旅行は カミサンと一緒ですから、別会計ですし、私は独自に、パソコン・Web・プログラム講座の講師をしているので、ボランティア 料金程度、時給は神奈川県の最低賃金ですから多寡が知れていますが、年に確定申告の必要がない20万以内の収入があります。

一般的な退職年金シニア男性の皆様の一か月のお小遣いはどの位なのか? いろいろネットで調べたり、廻に聞いてみても、ピン・キリです。
ゼロから7,8万円、使い道もガソリン自分持ちの場合もありますし、100%自分だけの為の小遣いという話もありました。
平均して、30,000円は近辺が妥当な線ではないかと思います。
でも何につかうの?
時々、臨時収入的なもの、予定していなかった入金があった時も、果て何に使おうか?、何を買おうかと考えます。
かなり大きな金額でも、今更海外旅行には行きたくありません。
現役時代、世界の果てまで歩き、退職後の10年間で行きたい所、経験したいことはほぼやり尽くしました。
ビジネスクラスでハワイへ行って、今まで泊まれなかったようなラグジュアリーなホテルに泊まって、豪華な食事でも と、友人は云いますが、元々染みついた、貧乏性ゆえ、仮に持っていてもそんなお金を、その程度のことで使いたくない と考えてしまいます。

今月もほんの少しですが、予定外の収入がありました。
さて、どうしたものか? 旅行・・・?、国内旅行はカミサンと二人の年間予算があります。
この臨時収入を加算すれば、今までよりも豪華な宿に泊まり、食事できるかもしれませんが、 先立つ案はもったいないで、結局は何時ものトレイン+ホテルパックの自由な旅行形態になってしまうのが目に見えています。

では身の回りのものを何か欲しいものがあるか? そうだ、スマホを使い始めて、今苦労しているのが、スマホ用の三脚、スマホホルダー、そしてスマホカメラリモコンがあれば 手振れが発生し易いスマホカメラ撮影が楽になる。
さっそく調べました。
ここで年金シニアライフの習性が現れます。
スマホ用三脚なんて、必要がない、今持っているカメラ・ビデオ用の三脚がある。
スマホフォルダーだけで良い。
ネットで探すと、ほとんどのスマホなら、100円ショップのフォルダーで十分とのことです。
では、リモートシャッターリモコンは、と探すと、何とアマゾンで140円で売っていました。
よく見ると、納期は4~5日、という事は100%中国製のバッタものでしょう。
もう一度ググると、何とダイソーで同じものが300円で売っています。
同じものでも、実物が見られるし、今日手に入るし、100均と云っても、ダイソーで売られているのだから、買ったその場で ダメはないだろう・・・と自宅周辺のダイソーを調べると、家から20分ほどの距離にありました。

退職後の買い物の鉄則として、欲しい買い物があっても一日置いて、再度考えてみる。

・本当にその品物が欲しいのか?
・それがないと困るのか?
・便利だけど、他に代用できるものはないのか?
・その金額を払うだけの価値があるのか?

安物買いの銭失い
何時もはこの鉄則を守っているのですが、今回は臨時収入ですし、出ていくのは、スマホフォルダー108円、 リモートシャッター324円ですから、まあいいじゃないかと、寒空の中、買ってきました。
スマホフォルダーは、事前に自分のスマホの大きさを測っていきましたので、何ら問題はありません。
肝心のスマホ用リモートシャッターがちゃんと機能するのか?
当然のことながら、取説なんてありません。
スマホの詳細設定画面から、ブルートゥースを選択し、ペアリングを試みますとちゃんと反応しました。
やった324円でもOKだと、早速カメラをセットして撮影しようとしますが、シャッターは落ちません。
ボタンを押す度に、画面が拡大していくだけです。
試しに、IOSのボタンでも、画面の拡大、音量の拡大は出来ても、シャッターは効きません。
ネットで調べていくと、アンドロイドの簡単スマホでは、リモコンによるシャッター機能がどうやらないようです。
結局324円のリモートシャッターは使えない。
言ったじゃないか?1日置いて考えろって! 便利かもしれないけど、無くても何とかなるのじゃないの? それに、それってこれから何度使うの? 頻繁に使うものなの? 確かに、おっしゃる通りです。

スマホカメラの使い方が解ってきた 手振れを防ぐには
1,カメラメニューの手振れ防止機能を使う。
2,状況に応じて、自動HDRを使う。
3,シャッターは手で押さないで、セルフタイマーを2秒にして使う。
これで、スマホのカメラでも何とか撮影出来そうです。

動画は実際に撮影して分かったこと
1,ズームが効かない!。
画面をピンチして拡大撮影が出来るものの、これは光学ズームではなくデジタルズーム なので画質は極端に劣化して、使い物にならない。
2,パーンが追い付かない
PAN(パン)は一つの画面に入りきらないものを全部見せるためにビデオカメラを左右に動かすビデオ撮影 技法なのですが、相当ゆっくりとパンしても、スマホの動画書き込みスピード能力はビデオ専用機と違って 能力不足なので、追いつかない。

結果として、スマホカメラは押しても、引いても、動かしてもいけない。動いているものをただ撮るだけ と、理解しました。

さて、アンドロイド動かない324円のリモコンシャッターはどうするか!
これは、ビデオクラブメンバーでアイフォンを使っている人に差し上げるとしましょう。



2/1 沖縄は海外かも知れない、帰路羽田に着いて、日本に戻ったと思った


年金シニアの沖縄旅行4日間の予算

沖縄は現役時代は、建設業界特有の現場打ち上げ旅行や、協力会社さんの社員旅行ご招待などで度々行ってました。
新婚旅行で行く沖縄から修学旅行で行く沖縄、そして会社・現場単位で行く沖縄。
時代はそう云う時代だったのです。
退職してから、沖縄本島を含め、石垣・宮古・久米島など何度か行っています。

最初は、阪急激安団体パックツァー四日間で298なんてこともありました。
が、今でもある団体沖縄激安パックツァーは、初日の羽田発のフライトは午後便ですから、3時間後那覇に着くと、 そのままホテルで一日目は終わり、2日目に、主な島西部の海洋博公園、美ら海水族館や、沖縄テーマパークを廻り、 二日目は那覇のホテル泊まり。
三日目は、那覇市内の首里城を観光した後、お昼の便で羽田に戻る、ツァー会社の云う「シニアの体に優しい早めのお帰り」、 と云うわけで、実質観光は中の一日、シニア・沖縄初めての方向けで、それでも四食・交通費込みで39,900円ですから、決して 安いとは云えません。

沖縄に何度か来ている退職・年金シニアは、大手旅行会社のホテルとフライトパックをお勧めします。
今回の私たち夫婦の沖縄四日間のホテルとフライトパックは、当然ながら食事なし、フライトは選択出来ますが、追加料金が 必要になります。
羽田空港に近い私たちは、往路追加+1,000の羽田7時台、復路追加+2,000円の17時台、ホテルは、那覇中心部 新都心のやや高級ビジネスホテルの20平米以上のツインを選択し、二人合計66,000円でした。
当然ながら、観光は全て自力、食事は普段と変わりませんが、出来るだけ沖縄らしい家庭料理をと心掛けました。
予算は、旅行会社に支払った66,000 +私たち二人の自宅・羽田間と現地移動交通費 +観光費+食事・喫茶合計44,000で総合計110,000で、今回納めました。
但し、これにはカミサンの一番の楽しみのお友達へのお土産代は含まれてはいません。

お天気は絶好調でした

1月の沖縄のチケツト、ホテルが安い理由に、お天気が悪いことが挙げられています。
冬の乾燥した西高東低の気圧配置で、関東首都圏に住む私たちは、冬のイメージはカラッとした青空に 映える富士山とも言えますが、南国沖縄は意外と曇り・雨が続くのは、昔からプロ野球キャンプニュース などで知っています。
出発前10日前からネットで沖縄の天気を見ていると、雨はないものの、どんよりとした曇り空が続いていたのですが、 私たちが着いた1月27日の午後から、帰る日まで、連日の晴天が続いたのです。
宿泊先は、画像「沖縄県立博物館」近く、モノレール「おもろまち」です。
古いコンクリートむき出しの建物が多い、沖縄・那覇のなかで、新都心として開発された「おもろまち」周辺は は、静かで緑も多く買い物・移動にも便利で、ホテルに朝食がついていないので、気温が上がる前、 澄んだ青空が広がる朝の時間、毎日、朝食と散歩していました。

驚くべきは気温なのです

毎日、地元のテレビで翌日の天気予報を見ていますと、予想に反しお天気は良い方向に動いていきます。 散歩中、朝の陽ざしのなか、通勤の女性の3人に1人は、日傘をさして歩いています。
それほどの気温でもないのですが、陽ざしはキツイのです。
ホエールウオッチングに申し込んだ際も、係の女性に、海の上なので。東京を出る時或いはそれ以上の防寒 対策をして来て下さい。と云われのに、実際はセーターも脱ぎたいくらいの温度になりました。

路線バスは冷房モード
連日、路線バスで移動していました。
朝はちょうど良い気温ですが、郊外へは45分から1時間乗るのが普通の沖縄のバス事情ですから、午後になると ほとんどのバスは冷房モードに、 1月の第4週、出てくる時はダウン・マフラー・手袋・ヒートテックズボン下だったのが、帰る日の糸満は23℃ でした。
日本一早い桜まつりの会場、今帰仁城址の桜は3分咲きでした。

沖縄って、本当に日本なの? こんなことを云うと、差別的と怒られそうですが、今回本当にそう思いました。
先ずは、内地、日本との前述した気温・気候の差です。
1月の最終週、北陸、東北日本海側、北海道は豪雪に見舞われ、零下何十度の世界なのに、私の居た沖縄は 青い晴れた空・紺碧の海、の同じ日本国と思えない気候です。
次に、ここは日本のハズ・・・と思ったのは
外国人労働者の多さです。
内地でもコンビニ店員や、居酒屋のバイトが外国人がいても当たり前、驚くことはないのですが、沖縄 の外国人コンビニ店員は、日本語もおぼつかない低レベルなのです。
ホテルに入って制服姿のスタッフに、「レストラン」ではなく、「喫茶」を訪ねても通じません。
私の泊まっているホテルの、ベッドメイキングスタッフは全員が外国人で、コーヒーカップの2つは チクハぐ、口紅の汚れがついたまま、スリッパは脱いだそのまま

沖縄って完全失業率、ワーストナンバーワンじゃないの どうして、こんなに失業率が高いのに、低レベルの外国人雇用に頼っているの?
この外国人労働者の多さに驚く以上に、外国人観光客の多さに三度びっくりです。
先週のTV番組のなかで、5年間統計、外国人旅行者が増えた割合世界でNo,1は日本でした。
主な理由として上げられるのは

1,円安
2,ビザ発給条件の緩和
3,周辺国の経済成長

ごもっともです。那覇市内のモノレールに乗ると、乗客の2/3は外国人です。
那覇バスターミナルで韓国人女子高生4人グループに、行きかたは聞かれ、英語で答えて喜ばれました。
那覇国際通りに巨大なホテルが建設されています。オーナーは台湾資本です。
国際通りを歩いている観光客は間違いなく、80%は外国人なんです。

4日間、目いっぱい、明るい、暖かい沖縄を楽しんで、羽田に戻って来たのは夜のの8時でした。
外は寒そうです。
ダウンのコートを羽織って機外に出た時、思わず「日本は寒い」と云って しまいました。沖縄だって日本なのに。それとも異国か。

沖縄の旅で楽しかった、ホエールウオッチング、今帰仁城址の桜、斎場御嶽、南部戦跡巡りについては、 順次、鎌倉レポートで掲載します。



1/25 内向きな日本の若者と年金シニアの海外ロングステイブームの終焉


海外から日本にくる外国人は、10年前の2008年は年間800万人だったのが、今年は3,000万を突破し、 政府・関係諸官庁は東京オリンピックの年には4,000万人の受け入れを目指しているといいます。
一方、海外へ旅立つ日本人はどうなのでしょうか?。
人口に対して、国外に旅行に出る人の割合を表すのが出国率と云う云います。
日本は13%と近隣アジア諸国に比べると低いです。
※これは全人口に対する割合の為、総人口が多い国は数字上は相対的に低くなります。
日本と他国の出国率の違い

日本の若者は「内向き」と云われて久しいです。
海外旅行にも関心度が低く、日本の20代の若者の出国者数は1996年からの20年間で40%も落ちているという 数字がありますが、実はこの世代の出国率ほぼ変わらず、23.4%と全世代平均の13%よりも多く、若者人口が減ったことに過ぎないようです。
そして云えることは、若者の二極化がすすんでいることのようです。
海外に出かける若者うちは、何度でも出かけるが、出ないものは全く出ていかない。
私の甥・姪はカミサンの親戚も合わせると、甥6人、姪2人の計8人います。
そのうち、海外に出たことが有るのは、二人だけで他の6人は海外へでたことはありません。
海外に出る甥っ子の一人は、仕事で海外出張が多く何度もでています。
もう一人の姪っ子は、新婚旅行で一度、 ハワイに行っただけです。

なんでそうなるのか?
一つは、私たちの甥っ子・姪っ子は団塊ジュニア、就職氷河期の子供たちです。
6人の甥っ子のうち、
2人は上場企業正社員
2人は卒業後、転職し、中小企業正社員
後の2人は、最初から非正規・派遣社員です。
6人の甥っ子のうち、結婚しているのは一人だけです。
2人の姪っ子は結婚していますが、子供がいるのは一人です。
私たち夫婦二人と両家の親類の子供たちの状況は、今の日本の抱えている、格差社会、少子高齢化そのものを反映しています。
日本が抱える諸問題の根源は、日本の戦後の政治・政策・教育にあり、それを支えて来た団塊世代にも一因が あると云うのは、云い過ぎでしょうか。

私たち団塊世代が20代の頃は、海外旅行は一つの夢でした。
その延長が定年後の海外ロングステイへと繋がっていったのです。
しかし、団塊世代が古稀を迎えると、この世代の海外旅行への興味は激減していきます。
私が55才で退職して、「団塊世代の海外ロングステイ情報」サイトを立ち上げた頃は、「ロングステイ」は一種のブームでした。
マスコミ・テレビは、こぞって、退職者シニアのひとつの過ごし方、暮らし方として、日本の年金でゆったりと 暮らせる海外ロングステタイとして、「タイ」・「マレーシア」・「ハワイ」・「オーストラリア」で優雅に 暮らす、日本人シニアの生活ぶりを取り上げていました。
私のサイトも、毎年アクセス数はうなぎ上りになり、年間200万にもなりましたが、私たちが海外旅行を卒業し た5年前(65才時)から徐々に落ちてきており、最高アクセス時の65%程度となっています。

海外ロングステイ数の信頼できる統計はありませんが、確実に少なくなっています。
原因の一つは、私たちが当時目指した「年金だけで暮らせる国」がなくなったことです。
アジアの国々の経済成長で生活物価が上昇したこと、日本の年金の減額化・・・特に企業年金が少なくなってきている のが多くの要因と、私たちのサイトによる情報発信で、海外で暮らすことの問題点の提起なども考えられます。
もっと大きな原因は、60才定年が65才まで延長されのが大きな要因です。
65才で定年を迎え、さあ、自由な身、今まで考えていたこと、やりたいことをやろうと思っても、男性の65才シニアに残された 時間は、人間として生物学上70才になると、確実に体力・気力・好奇心は落ち、第二の人生ではなく、残された人生と 云う意味に代ることを悟るからです。

若者が海外にでない、シニアが海外に出なくなる、出国率が低いは、成熟した日本社会構造では、経済発展する新興アジア諸国よりも低いのが当たり前なのでしょう。



1/18 初めてのおつかい、67才シニア箱入り奥様のチャレンジ


初めてのおつかい
人気のテレビ番組に、小さな子供を初めてのお使いに出す親御さんの様子ドキュメントがあります。
子供育ての経験のない私たちでも、陰ながら見つめる親御さんの姿や、健気に涙をこらえて、未知の世界に歩みだす 子供の姿は、そうでなくても涙もろくなってきたシニアの私たちの共感を誘います。
今回の私の場合、そんな気持ちで、我が家の箱入りカミサンをお使いに出すことにしました。

昨年、カミサンの母親が92才で亡くなり、実家では少ないけれど母親が残した預貯金の遺産相続が発生しています。
先日、実家を継いでいる末妹から、遺産相続に必要な書類を送るよう、連絡がありました。
取り敢えず、用意しなくてはいけないのが、
・カミサン本人の戸籍謄本
・カミサンの印鑑証明
の2つです。

戸籍謄本は、鎌倉市ではなく、まだ本籍を残してある、結婚した時の住所、東京にあります。
入手方法は2つ、直接、本籍地の区役所に取りに行くか?
或いは、郵送で依頼するか?
印鑑証明は、印鑑証明カードを持って、近くにある市の行政支所にいけば簡単にとれます。
カミサンはこのような役所とか、銀行とか、保険手続きとかが苦手で結婚以来すべて私がやってきました。
しかし、私も古稀を迎え、いつ、ぽっくり逝くか、或いは長期入院するかも知れませんので、これを機会に自分のことは 自分でする、良いチャンスなので、カミサンに一人で全てやるように提案しました。
案の定、嫌だと云うのですが、TVで幼稚園の子供でさえお使いに行くのだし、ここは外国ではなく、日本語が通じる のだから、一人でやりなさい。と宣言しました。
カミサンは「貰った遺産、少し上げるから、貴方がやってよ」と云って拒否します。
「少しって、去年僕の兄貴が亡くなった時、兄貴の遺産の半分あげたじゃない」
すったもんだした挙句、私が丁寧なマニュアルを書いて渡すことで、決着しました。

初めて一人で行く貸金庫
ミサンにとって最初で最大の難関は、銀行の貸金へ行って、印鑑証明カードをとってくることです。
我が家のカミサンは、これまで一生に一回も銀行のCDコーナーで入出金したことがないと云う現代では「稀有な存在」 です。
お金に関しては40年間ノータッチで過ごしてきた女性ですから、銀行、それも貸金庫に行ってなかから、必要な ものを取り出してくると云うお使いは、カミサンにとって海外旅行よりもハードルが高いのです。
先ず、貸金庫前室に入るカードが必要で、暗証番号も必要と説明します。

貸金庫全室に入ったら、自分の金庫を開ける前段階のスライドキーを受け取る操作が必要です。
そして、自分の金庫をスライドキーで開けて、自分だけが持っているキーで開けて、取り出し、閉めて、再び金庫室を 出る時に、スライドキーのデーターを消去し、返却ボックスに返さないと、金庫室から出れない仕組みです。

カミサンは「出れなくなったらどうしよう」と云います。
私「大丈夫、金庫室に行内電話があるから、解らなくなったら電話すればいいよ」
「一度も行ったことがないので、入口まで案内して、外で待っていて」
「金庫内におトイレはあるの?」
というのですが、幼稚園の子供でも、お豆腐屋さん まで買い物に行けるのだから、一人で行って、と銀行内と金庫室の詳細図を書いて渡しました。
次は、その印鑑証明カードを持って、行政事務所へ行って印鑑証明書をもらってこなくてはいけません。
一応、本人であることを証明しなくてはならないので、マイナンバーカードを持って行くように話しました。

初めて一人で行く、東京の区役所
わざわざ東京まで行くのは面倒なので、郵送依頼するというので、調べてみると
1,区役所のホームページからダウンロードし書き込んだ申請書
2,申請者本人であることの証明書のコピー
3,発行手数料の郵便為替
4,簡易書留での返信用封筒
以上が必要とのことをカミサンに伝えると、「それも私がやるの?出来っこないから、電車で東京までいくわ」
「ならそうしたら、子供じゃないんだから、一人で東京までいけるでしょ」と私。

そして、結末は・・・遺産相続が全て終わった時にご報告致します。
「かわいい子には旅をさせろ」ではありませんが、夫が70才を超えたら、妻は自立しないと!後が大変だから。



1/11 ETV特集 南米移住 50年目の乗船名簿


ようやく、長い正月休みが明けて、通常の生活に戻ってきました。

子供も孫もない年金リタイヤシニアにとっては、特別な予定もなく、TV番組は相変わらず、お笑い芸人の楽屋落ち的 つまらない番組だらけで食傷ぎみでしたが、唯一期待していた番組だけは、NHK、Eテレの夜の11時と云う、シニアには 辛い時間帯でしたが、目覚ましをかけても起きて見ました。

昭和43年、一隻の船で南米各地へと渡った移住者を取材した番組「乗船名簿AR29」。
ディレクター相田洋は、移住10年目、20年目、31年目と移住者を訪ね、その暮らしを見つめてきた。
そして移住者たちが日本を旅立って50年が経った2018年。
人々はどのような人生を歩んだのか。
4回にわたり放送する。
第1回目は「アマゾンに生きた人々」 第2回目は、ブラジルの地に生きた人々の半世紀にわたる夢と希望と愛の軌跡を見つめる。


この番組過去に、3回放送されています。
移住10年目、20年目、31年目私がこの放送を見たのは、恐らく19年前の2000年、まだ現役時代早期退職を、2年後に控えていた 時の31年目の記録だと思います。
何故、この番組を期待を込めて見るのか?
それは、私の青春時代とリンクしているからです。

この番組の舞台の、NHKスタッフが乗った昭和43年2月の「あるぜんちな丸」が横浜から南米へ向かった1年前の5月、同じく 横浜の大桟橋から三井商船「ぶらじる丸」に乗って南米を目指していたのです。
時は、日本の経済成長が始まる前夜、大学紛争は激化しており、学園封鎖が続き、授業もなくなり思案していた時に、南米 アルゼンチンの日米アルゼンチンの合弁会社の現地駐在員の仕事が舞い込み、片道切符、現地雇いと云う条件を苦ともせずに 旅立ちました。

当時、日本人の海外渡航は自由化されていましたが、20才の青年にそんな金もなく、 海外に出れる喜びでいっぱいでした。
まだ貧しかった日本では持ち出し外貨は制限されており、今でも持っている初めてのパスポートに、 345ドルと記載されています。
当時ドルレートは1ドル360円でしたから、124,200円、大卒初任給が26,000円ですから、 大卒初任給の5か月分ほど、今の価値感では、100万円ほどで、今考えると貧しかった両親に迷惑を かけてしまったと思いますが、当時は、港に送りに来てくれた両親・兄弟の心の内を 察する気持ちは全く湧かず、テープが切れて、岸壁を離れると万歳をしていました。

船内は大きく分けて2グループです。
1年後の「ETV特集 南米移住 50年目の乗船名簿」のあるぜんちな丸と同じで、海外渡航が自由化されて、アメリカへ 渡る、留学生や観光グループと、海外移住事業団募集の南米へ移住者グループです。
船の最初の寄港地はハワイ・ホノルル港で、ほぼ全員の乗客にとっての初めての外国でした。
やがて、船はロスアンゼレスに到着すると、このグループは一斉にアメリカの大地に旅だって行きました。
残されてた南米移住者はここでまた、移住先や、移住目的によつて細分化されていきます。
ブラジルグループは多きく分けて、家族移住でアマゾン開拓に行くグループ、今の日本と同じ農業実習生グループ、 そして少数ですが技術移住グループの青年たち。
次に大きなグループは、パラグアイの海外移住事業団が開発中のイグアスへ行く家族グループです。
そして、アルゼンチンメンドサ州に新たに開発中のこれも海外移住事業団のコロニアに入植する家族移住のグループです。
一番少数派は、アルゼンチン、ブエノスアイレス近郊の花卉園芸農家への実習生グループです。
私は、ブエノスアイレスで働くサラリーマンですが、どちらかと云う年齢が近く、住まうところも大都市ブエノスアイレスと いうことで、これらの花卉園芸実習生グループと一番仲が良かったです。

ETV特集 南米移住 50年目の乗船名簿
の放送では、一回目はアマゾン・トメアス移住地に入植した家族を50年、4回に渡って 取材した映像でした。
緑の魔境大アマゾンと云われているように、理想と現実は大違いで、胡椒ブームは数年で去り、疫病・交通不便などで次々と 入植地を離れていく家族の様子を50年間追い続けていました。
2回目の放送は、ブラジルサンパウロに入って農業実習生のその後を追っていました。
今、サンパウロは、これまで世界一危険都市と云われ続けていた、ヨハネスブルグを抜いて、凶悪犯罪世界一の悪名高い都市に 変貌しているようで、昭和43年当時19才だった農業実習生は、人生の大半を経済発展著しい日本での出稼ぎで過ごし、3人の息子の 歯医者さんにする学資を稼いでいました。

この特集は、後2回の放送予定があるようです。
恐らくですが、ブエノスアイレス近郊の花卉園芸農家に入った実習生は、取材対象ではないでしょう。
とても、全国放送のドラマになるような、波乱万丈の人生は少なく、南米で一番白人が多い国の大都市近郊で、堅実な人生を 歩んでいる人が大半ですし、日系移民の70%が沖縄県からの戦前移住した方々ですし、 戦後も沖縄本土返還前に、日本の海外移住事業団 の掌握外ルートで入国した方ばかりで、ほとんどが呼び寄せ移住で、主にブエノスアイレス市内で クリーニング店を営んでいます。

アルゼンチンと云う白人優先の国柄か、日本から真っ直ぐの正規ルートで入った人は少数で、ほとんどは、ブラジル・パラグアイ ボリビアなどの政府事業団移住地に見切りつけて、豊かな大都市ブエノスアイレスにたどり着いた方が多いのが特徴です。
後、2回の放映でどんなドラマが待っているのか、楽しみにしています。

私と云えば、ブエノスアイレスの合弁会社にサラリーマンとして働いていましたが、 南米でサラリーマンはないだろうと、6年後、アルゼンチンで開催される、 サッカーワールドカップを機会にテレビのカラー化放送が始まるのをラストチャンスとして、 日本の専門学校で学び直す為に、 今回は海路ではなく、空路チリ・ペルー・タヒチ・グアムと乗り継いで 羽田空港に戻ってまいりました

これらの経験が、早期退職、海外ロングステイにつながったのは云うまでもありません。



1/4 団塊世代夫婦の今年のお正月の三日間


元旦。終活年賀状をだしたのに!年賀状が来ていました。

2019年1月1日元日、朝10時半に集合住宅の郵便受けを、もしかして思いながらと開けると、年賀状の薄い 束が入っていました。
全くゼロとは思ってはいませんでしたが、意外にも多いのにびっくり、そして少しの安堵感です。
年賀状は二種類ありました。 一つは、毎年義務的に出された、印刷されたもので、自筆の一言もないもの。 もう一つ、主には、昔の旅行仲間からのものでした。
その多くには、「私もその年齢になったら、年賀状を止めるかも知れませんが、○○さん(私)との繋がりを 大事にしたいので、一方的かも知れませんが、年に一度のご挨拶を致します」的な言葉が書かれていました。
やはり、このような年賀状をいただくと嬉しいです。

これらの年賀状は全て、あまり日本人が来ない国での出会った人々で、共通しているのが、シングルの女性 です。
私は、例え男性であっても、このまま何も返信しないような不義理な人間ではないので、早速近くのコンビニ に年賀はがきを買いに行き、パソコンに向かい、超特急で、返事の年賀状を作成・印刷して投函しました。
さて、一旦年賀状を出すのを止めてみたものの、今日のような年賀状をいただくと、来年は少なくとも 今日、返信した方々には出した方が良いのではと思った一日でした。

二日目、暇人年金シニア夫婦の初詣は地元鎌倉ではなく、成田山新勝寺へ

わりと信心深く、パワースポットとか、ご利益のある神社・仏閣へは足繁く通う我が家のカミサンは 退職後のお正月は毎年、二日に初詣に行きます。
ひとえに、宝くじが当たるようにお願いしているだけなのですが・・・・。
退職後、鎌倉に越して来て15年経ちますが、地元鶴岡八幡宮さんに行ったことは有りません。
あまりにも身近すぎると云う面もありますが、何よりも混雑しているから嫌なのです。
昨年は、当時のTVワイドショーの話題となった富岡八幡宮とお隣の深川不動尊にいきました。
その時、深川不動尊が成田山新勝寺の別院と知り、今年来たわけです。
地元最寄り駅の大船からは成田へはもう、何十回はおろか100回以上行っているところです。
最寄り駅大船から横須賀線に乗れば座ったまま2時間20分で、東京国際空港成田ターミナルに到着します。
しかし、5年前に海外旅行を卒業してから、成田へは一度も行ってません。
それにもまして、カミサンは成田空港へは行っていても新勝寺は一度も行っていません。
私は、東京の建設業界では、一年の安全祈願と云えば「成田山新勝寺」で、お正月明け、ここで安全を 祈願して、帰りにみんなで参道の有名ウナギ店で宴会と云うのが定番コースで何度も来ています。
退職後は、成田新勝寺は遠い、交通費が高い・・と敬遠していました。
今回、横須賀線座って一本ではなく、船橋で京成線特急に乗り換えると云う手段をとれました。
交通費で云うと京成は往復でJRより630円安く、時間は全く変わらないのです。
せこい話かも知れませんが、退職してからは、安い・早いの選択は先ず、安いを優先しています。
成田山の初詣や、節分の時の混雑は、何度もTVニュースで見ており、覚悟は出来ていました。
我が家のカミサンの持論は、「観光地は混雑しているいないと面白くない」・「自分たちの目指している場所 が、つまらない、魅力的でないのか」ですから、混雑は平気と云うより楽しんでいるようです。
成田駅から参道に入ると、既に前方では渋滞が始まっています。
理由は「ウナギ屋さん」に入る整理券を求める為の行列が歩道まで占拠していました。
やがて、山門が近づくと、DJポリスの登場で、前方の入場制限の様子を実況しています。
「はい、前の前進制限が解除されゆっくりと動き出しました。」」 「ゆっくり、ゆっくり、前の人との間隔を保って進んでください。」
「ハーイ停止してください。」
」 こんな調子で、山門から賽銭箱のある本堂まで30分ほどかかりました。
私はこのようなお寺や神社で真面目に手を合せてお願いをしたことは有りません。
一応はとなりのカミサンに合わせて、ムニャムニャで済ませているだけです。
実際に実在した人物やお坊さん、偉人に向かってお願い事をするなんて、ナンセンスと信じています。
お願いする神と云う存在は、大宇宙の自然であり、光、無形な偉大なもの、日本の八百万の神が一番私の信仰に近い のかも知れません。
カミサンは何をお願いしたと、いつも聞きますから「ピンピンコロリで逝けますように。
少なくとも2020まで健康でいられますように」 と云っています。

「うなぎ」には目もくれずラーメン屋さんへ
混雑した参道を抜け、「うなぎ」には目もくれず、目指したのは参道の入口にあるラーメン店「ラーメンばやし」です。
この「ラーメンばやし」は、客の90%は外国人と云う、TVのワイドショーの超有名店です。
成田という土地柄、外国キャリアのスタッフの間で大人気のラーメン店です。
ちようどお昼時、入ると満席状態でした。

今日は1月2日、成田が一番混む時期なので、お客さんは日本人のほうが多かったです。
行列の私たちの前は、外国人女性一人で店のスタッフが私にねこの外国人との相席で構わないかと聞くので、OKと了承しました。
彼女は、何度もこの店に来ているようで、注文もカタコト日本語、餃子と四川ラーメンを注文しました。 私はこのお店の人気NO,1ピリ辛四川チャーシューを注文、カミサンは普通の醤油ラーメン630円です。
4人掛けテーブルに3人ですから、自然に会話が生まれます。
彼女はデルタのCAで、何度もこの店にきているそうです。
「アメリカと違って、一人で来ても安全だし、安いし、早いし、チップもいらない、そして美味しい」 「昨晩成田に着いて、今晩のフライトで戻るので、東京には行ったことがない」と。
ラーメン屋を出て、二人の会話は 「もう何年海外に出ていないかしら」 「あのCAのように、気軽にアジアの食堂で食事していた頃が懐かしい、今はちょつと出来ないかもしれないわね」 「電車で2時間かけて来て、2時間成田にいて、2時間かけて再び戻るのがしんどいのに、12時間の夜間フライトなんてもう無理ね」 こうやって、2019年の2日目は過ぎていきました。

三日目は新春初売り特売へ
毎年、元旦の朝刊のチラシのなかで唯一チェックするのは、近くのショッピングモール内の家電量販店の特売チラシ です。特に家電やパソコンには興味なく、狙うのは超格安小物類です。
神奈川県内を展開する「ノジマ」は、その年の西暦年数に因んだ値段で特売をします。
今年も2019年に因んで、クラス10、128GBマイクロSDがなんと2,019円です。
この値段が如何に驚異的・破格な値段であるかは、パソコンやカメラ、スマホを扱うものならは解ります。 しかし、店がオープンするのは、2日の朝の10時、カミサンと成田へ行く約束をしてしまっていました。

昨年、「ノジマ」は小物類を2,018で売り出しました。
3.0 USBメモリー64GB2,018円でした。
売り出し初日一番で行って手に入れましたが、3日目に行った時まだ少しですが残って おり、少し拍子抜けしたことを覚えています。
そんな経験もあり、カミサンとの約束を優先して二日目は初詣、売り出し二日目の1月3日、開店と同時に行くと、目的の目玉が見当たりません。
店員さんに聞くと、昨日開店と同時に、鎌倉店が用意したもの10ケは全て売り切れたそうです。 やはり、この値段の価値を解っている人は大勢いるもんなんです。

どうしても必要なものだったの?と、カミサンは問いかけます。
否や、今すぐ必要、どうこうと云うものではなく、あまりにも破格の値段だから取り敢えず抑えておこうと思って! と、私
女性のデパートバーゲンへ行くのを、ああ、こう云うけど、それと同じね。
はい、その通りかもしれません。

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