湘南・鎌倉から BLOG8

日々感じる事・出来事、そして年齢を重ねていく 団塊オジサンの独り言を綴っています


1/2 2014 今年の年賀状


あけましておめでとうございます。
今年も、数は少ないですが50通ほどの年賀状をいただきました。私も年々減ってきていますが、今年も50通ほどの年賀状を出しました。
年賀状を書くようになったのは、退職してからです。
それまで、現役時代は年賀状と云うものは出したことはありませんでした。
大きな理由の一つは、お正月に日本にいたことがなく、年賀状に代わるものは、旅先からの絵葉書でした。
バブル時代、もっとも恩恵を受けた業界の一つ、建設業界にいたせいか、本当に土曜・日曜・深夜の区別もなく働いており、 週に三回は、都内から当時の自宅、横浜の新駅開発された駅前高層マンションまでタクシーで帰るような生活をしていました。 正月・ゴールデンウィーク・お盆休みのみが休める状態ですが、自宅でゆっくりと休むよりは、海外の秘境・世界遺産への旅を 優先させる生活でした。
退職して、自由に安く動ける状態になって振り返ると、よくもあんな高い料金で旅したものと思います。
一般的なパツクツァーの行かない、南米・中近東・アフリカ・ディープアジアに、日本発ピーク料金設定の時期、夫婦二人の 個人手配旅行は、軽く二人で100万を超えていました。
それでも、共稼ぎ夫婦の二人のボーナスで楽勝の範囲だったのですから、今は昔の思い出です。

私の年賀状は、古くから旅の友人と、昔の仕事仲間への近況報告です。
旅の友人からの年賀状も最近リタイヤ報告が増えており、やはりと云うか、私の同じで、年と共に世界の辺境の旅から、のんびりと 過ごす近場や国内の温泉が増えてきているようです。

今年は、退職してから12年目を迎えます。
午年ではないですが、「無事これ名馬」まずは健康でいられるように願う年の始めです。


1/6 長い、暇な正月休み、ベランダのウッドデッキペンキ塗り始末記

退職してから毎日がサンデー、何をやっても自由な、お休みの日が続いているのですが、それでもスポーツの日、NPOセンターの広報部の 仕事?の日、半公式的なweb講座の日や、市民活動団体に対するホームページプログラムの支援などで、原則として 日曜日と、各月の最終週以外は埋まっているのですが、12月の3週目の終わりから、一般世間のお正月休みが明ける 1月の第2週が始まるまでは、何の予定もありません。

9連休、お金に十分な余裕があるならば、現役時代なら100%海外へ出かけているでしょうが、仮に年末ジャンボで100万円当たったとしても、 最安値の三倍も高い料金を払って出かけるのには、抵抗と貧乏人根性とほんの少しのプライドがあり、出かけないでしょう。

暇なものですから、1年分の書斎の整理をしたり、ホームページのメンテナンス・パソコン内の不要なファイルの削除などをしたりしても、 大して時間はかかりません。
カミサンは、せっせとデパートバーゲン・お友達と出かけている間に、年末から気になっていた我が家のベランダのウッドデッキのペンキ 塗り替えを思い立ちました。

11年前に、この共同住宅を購入した際、目の前が公園なので、このベランダをウッドデッキにしてのんびりと読書でもして過ごそうと 思い立ち、市内の工務店に発注して出来上がったのが、ちょっと厚めのスノコ板状のもの、歩くと軽くギシギシする代物で少し後悔したのですが、 外から見えるものでないし、まあまあのものと、満足しました。

それから毎年、お天気の良い5月頃になると、防腐メンテナンスの為にペンキ塗り替えをしてきましたが、一昨年の胆石騒動の為中止したまま 2年近く経ってしまったので、カミサンはお出かけ、ベランダの洗濯ものもないので、急遽思い立って、塗り直しに取り掛かりました。

ペンキは二年前の残りが半分ほど残っていますが、とても足りそうにもないので色番号を控えて、近所の大型ホームセンターに行きました。 しかし、全く同じ色・型番のペンキがないので、色々思案した挙句、私の記憶している我が家のデッキの色と色見本が近そうな色 「アースレッド」を購入して、家に戻りました。
広くもないウッドデッキに這いつくばり、二年分の埃を払い、サンドペーパーをかけ、さあ塗ろうと、先ずは半分残っていた一昨年の ペンキから塗り始めました。
案の定、三分の一塗ったところで、足りなくなり、さて今日買って来た新しい、ペンキ缶をあけてびっくり!
なななーーーだ、この色は


「アースレッド」ってこんな色なの、前の色とは全く違うではないか!
もしかすると、塗って乾くと色が変化するのか?そんな訳がない。頭をよぎるは、帰ってきてからのカミサンの反応と、そして何故か ブエノスアイレスの観光名所であるタンゴ発祥の地ボカの色とりどりに塗られたの家々が浮かびました。

あのボカの家は、最初からああ云うイメージで塗ったのではなく、もしかするとペンキが足りなくて仕方なしに塗ったのではないか? 我が家のウッドデッキのように。
ともかく、カミサンが帰ってくる前に同じ色で塗るしかありません。
一度塗った所を再び塗り始めましたが、なんて色だ!・・・・救われるのはボカのような観光名所ではなく、人から見られないベランダの内側だと云う事です。

ほぼ塗り終わった時に、カミサンが戻ってきました。
「あら、変わった色にしたわね。南フランスにありそうな色」の一言だけ。そう、全面塗り終わると、「アースレッド」もそんなに 可笑しな色ではなく、我が家の狭いベランダは、新年早々リゾート雰囲気になったのでした。

追伸;ちなみに、再度丁寧に塗り、乾いて光沢がでると、上記画像のようなくすんだ汚い色ではなく、まあまあ見られる・馴染んだ色になっています。


1/11 退職後の元会社への年賀挨拶は今年から辞めることにしました

55才で退職し昨年で丸10年。正月明けの仕事始まりの日には、例年、元勤務会社に年賀の挨拶と云いますか、顔を出すように してきました。
しかし、11年目の今年から辞めました。
理由は・・そんなに大した理由もないのですが

  • 一番お世話になった社長が亡くなっていないこと
  • 集まる協力会社の代表者が代替わりして、知らない方が増えていること
  • 親しい同期も65才雇用契約が切れ、退社していなくなったこと
  • 昔と違って、年明け初日から仕事モードで迷惑がかかるのでは
  • 通勤電車で都心に行くのが面倒になったから
と、色々と言い訳はあるのですか・・・・・
時代は変わったのです。
バブル全盛期の建設業界に属する会社の年始は、社内に年始受付用の別室が設けられ、関連会社・会社OBの 為の酒席の場には、女子社員が一日応対していました。
そこに集まる、元上司のOBは現役時代の部下に囲まれ、ひと時、現役時代に戻り怪炎をあげ、三々五々OB同士で 二次会へ消えて行くものでした。

しかし、最近は別室こそありますが、応対用の女子社員はおろか、昔の部下たちは偉くなり、元上司のOBを相手に する暇もなく、初日から客先へ出向いて誰も相手にしてくれなくなります。
55才で勝手にリタイヤした、身勝手な先輩を知る社員も数少なくなり、一連の年始の挨拶客が途絶える午後になると、 年始応対部屋は、暇を持て余した元OBだけになって行くのです。

前日、年賀のご挨拶として持っていく、鎌倉の定番鳩サブレーを幾つ買うか、カミサンが 聞いてきた時、10年で打ち止めにすると伝えました。
雑談ですが・・・鎌倉の住民はお土産に困りません。定番の鳩サブレーは、そんなに美味しくもないのですが、味に飽きが来ないし、値段の割に かさがあって、迷うことなく何時もこれにしています。
10年経ったし、通勤電車に乗るのも億劫だしと言い訳すると、「○○さんが社長になったし、もういいか」 と云います。
一言余計、カミサンはデリカシーがない。○○さんとは私より三つ下の直属の部下でした。彼は、本当に会社のことを思い 会社の為に働く、トップとして優秀な人材でした。
それに比き代え、私は、バブルが弾け、本格的な叩きあいが始まった厳しい建設業界を、自分の勝手・55才満願打ち止め退社の 敵前逃亡同然の不良社員でしたから、当然の結果でしょうね。


1/16 Googleの挑戦状 「1,1,5,8で10を造る」にチャレンジ

昨年、御年80才になられる方に、かなり高度な動画映像加工・処理を月に2回程度のペースで教えてきました。今年から この方は、ボームページ制作の為にhtml・Javascript・CSS(Cascading Style Sheets)の学習を希望されており来週から 開始するのですが・・・

ご本人が常におっしゃっているのですが、年齢と共に体力・筋力・持久力などが衰えて行くのは仕方がないが、記憶力・計算力 が日を追って低下していくのが、残念、悔しいとおっしゃいます。

  • その場では理解できたのに、すぐ忘れてしまう
  • 何時も使う簡単な計算式や、プログラムミングの英語綴りを間違える
  • 人、物の名前が出てこない
  • 時計の引き算が出来ない

この方は、次の回の時に、疑問点・出来なかった箇所、絶対に今日質問すること等をパソコンで書き出し、プリントアウト して持ってきます。「えらいですね」と云うと、「いいえ、こうして印刷物として残して置かないと、何が出来なかったのか、何を 質問するか?さえ忘れてしまうのです。」「先生はお若いから、80才の老人の頭の中と違って、脳に十分な量の血液が流れていて、 活性化されているでしょう。」

いいえ実は、時計の引き算どころか、単純な三けたの引き算暗算さえこの頃怪しくなって来ているのです。
子供の頃、家が商売をしていた関係かそろばん塾に通っていたので暗算はかなり得意で、五ケタの足し算ぐらいは出来ましたし、 ついこの間まで、三桁ぐらいは自信があったのに、今は二けたの引き算さえ、怪しくなってきているのです。


そこで昨日、前から気になっていた、GoogleのCM「1,1,5,8の四つ数字を+、-、×、÷を使って合計が10になる計算式」に チャレンジしてみました。
世界の全ての疑問・質問は今や、ネット検索それもGoogleに聞けば、答えてくれる、と云うメッセージCM。
私の講座で、パソコン・プログラミング上の問題解決はパソコンに聞け、先ずは私に質問する前にググレと指導していますが、 このGoogleの挑戦状は、意地でもググらないで、自分で問題を解いてみようと思いました。紙と鉛筆を用意して、真剣に取り組めば 15分で回答できるだろうと安易に考えて、挑戦したのですが・・・・難題でした。
一晩考えれば、良いアイディアが思いつくだろうと思ったのですが、無理でした。
結局、24時間で降参、ググってみました。
もちろん、Googleの思惑通り簡単に回答をみけられました。なるほどね!、そういう発想は団塊世代のオジサンは出来なかったな

回答はこのブログでは書きません。ひとつだけヒントは
最後は8を使った割り算です。+、-、×、÷を使って10にすると云う計算方法を逆算して、最終的に10になる割り算に使用する2つの数字、値を導き出す ことです。

1/21 恋ちゅんでも踊ろうか ビデオクラブ創立30周年記念事業

ビデオクラブの例会が開かれ、今年創立30年になるので、何か記念となる催し・イベントでも企画しようか、と云う話になりました。 アイディアの一つとして、今流行りの恋ちゅんのSVC(湘南ビデオクラブ)版でも作ろうか、と云う案がありました。
何なのその、恋ちゅんって
会員の平均年齢は60才半ば、提案者以外は、恋ちゅんを知りませんでした。
「恋ちゅん」とはAKB48が歌い・踊る「恋するフォーチュンクッキー」のことです。


退職シニアのブログページにいきなり、AKBの画像が現れ、驚かせて申し訳ございません。 このサイトをご覧になっている方の何パーセントぐらいが、恋ちゅんとか、「AKB 恋するフォーチュンクッキー」をご存知でしょうか?
元々はご存じのアイドルグループの歌と踊りなのですが、このバロディーを企業が面白半分に社員を登場させCMとして、テレビではなくネット上 に流したものが、意外に受け、企業だけではなく、自治体・職場・学校でも大流行しているのです。
AKBとしては、宣伝にもなりますので、著作権・放映権などの細かいことをうるさく言わないので、現在どんどん加速中です。
神奈川県が造ったバージョンは、知事が率先して踊り、県内の観光地を紹介し話題となり、再生回数は300万を突破しています。 動画はこちらから

動画なら、ユーチューブだろうが、にこにこ動画だろうが、こちらは専門、私たちの土俵内、60代半ばのおじさんたちが踊りだすのは、 受けるに違いない、ネットの上の情報発信は私が専門家だから、やろーと賛成したのですが・・・・・
誰が踊るの?恥ずかしい、それにこんなオジサン達が踊っている絵は気持ち悪くて誰も見ない、と云う意見がどんどんと増えてきます。
それでは、SVC(湘南ビデオクラブ)のユルキャラを造り、メインで踊らせて、私たちは被り物で踊っては?と、今回はここまで話は煮詰まって 30周年イベント案は、次回例会に持越しとなりました。

帰りの居酒屋で、別案も浮上しました。
数年前に議論した案、「エンディングビデオ」いわゆる生前遺言ビデオとか、自分の葬式会場に流すビデオを造るサービスをやろうではないかと、 と云う、私たちの世代らしい発想ですが、どうなりますことやら。

ともかく、60代のおじさんと云う観念に囚われず、いつも新しい感性を磨き、世の中にアンテナを張り巡らして、楽しく遊んで 行こうと、考えています。
ちなみに、フォーチュンクッキーFuture cookieとは、アメリカの中華レストランで食後に出されるおみくじ入りの お菓子のことです。中国の習慣と勘違いされますが、アメリカの日系人が考案したもので、日本の神社のおみくじがそもそもの発祥です。
ハワイのフードコートでも、中華系のテイクアウトではだされており、日本人にはかなり御馴染みで 最近では、横浜中華街のお店でも出されているようです。

1/26 北鎌倉・六国見山ウォーク

先週、北鎌倉の六国見山ウォーキングに行ってきました。 このウォーキングは、鎌倉市NPOセンターが登録市民活動団体懇話会に先立って、難しい話ばかりではなく、 たまには、楽しい事もやろうと企画したものです。

東京駅から横須賀線で川崎・横浜を過ぎて大船から三浦半島に入ると、都会の景色から一変し、小高い緑の丘・山の 風景に変わります。
東京から55分、古都鎌倉は日帰りにはちょうど良い観光・ハイキングの街です。

一般的な観光コースと云えば、北鎌倉駅を降りて、円覚寺・明月院・東慶寺・浄智寺・円覚寺を廻って鶴岡八幡宮へ 出で、鎌倉駅から江ノ電に乗って、江の島へと云うのが、もっともポピュラーなカップルのコースです。

都会から電車で1時間以内の海と山の自然と歴史に恵まれた街として、古くから別荘地として文化人に愛されてきましたが、 高度成長の時期から、宅地開発が進み、山の斜面は崩され次々と住宅が建つようになりました。

こんな状況に危機を感じた鎌倉市民は立ち上がり、乱開発から守るへく、住民らが募金活動を行い、開発対象となっていた土地を購入して 守りました。これが日本で最初のナショナルトラスト運動として、現在でも鎌倉市民に受け継がれてきています。

今回、歩いた六国見山もそんな宅地開発から残った場所の一つです。
北鎌倉から住宅街を抜けた先に、市民と行政が協働で整備している公園があり、標高147mの山頂からは名前の由来となった旧国名で相模、 武蔵、安房、上総、下総、伊豆の六国が見えます。

私たちは、下りは大船方面に抜けました。
長く鎌倉に住んでいる市民でもなかなか知らない、古い田園風景の残っている今泉・岩瀬を歩き、旧松竹大船撮影所が開所記念として植樹した 、桜の名所「砂押川プロムナード」と撮影所記念碑を通って、NPOセンターへ戻りました。



自宅から、徒歩圏内にこのような自然の緑と旧跡が残っている鎌倉市民は幸せです。 そのような恩恵を受けていることを鎌倉市民は自覚し、ほかの市よりも、市民活動意識が高いと云われています。特に環境保全面では顕著です。
鎌倉市市民活動センター(NPOセンター)には、色々な団体が登録され、 定年退職されて地元に戻ってきたシニアに参加を呼びかけています。 どうぞ、湘南或いは首都圏のリタイヤシニアの方、定年後の時間の一部をボランティアとしてご一緒しませんか?ほんの一部ですがご紹介します。 の団体はホームページ立ち上げから、私がサポートしています。



1/29 チリ イースター島・パタゴニア 思い出は遥か昔に遠ざかる

フジテレビの「行って見たらこんな所だった チリ」を見て、変貌ぶりに驚きました。
イースター島を最初に目指したのは、1973年でした。当時はそんに有名ではないものの、少年マガジンの不思議の世界に憧れていた私は休暇を利用して ブエノスアイレスからバスでパンパ大平原を渡り、メンドサからアンデス山脈を越えてサンチアゴに入りました。
しかし、イースター島へは入れませんでした。あの有名な世界初の選挙による共産党政権アジェンデ政権が軍部ピノチェットによるクーデターで倒された その場に出くわしてしまったのです。 サンティアゴは大混乱していて市街戦が始まろうとしていました。この時の様子は後に、『サンチャゴに雨が降る』と云うフランス映画に描かれています。
私はサンティアゴで2泊した後、再びバスでアルゼンチン側に戻る道すがら、大勢の逃げてきたチリ人が軍隊に拘束され、連れ戻される姿を今でも忘れられません。

そして、憧れだったイースター島に行ったのはそれから22年も後の1995年でした。
この時の様子・ルート等詳しくは世界遺産・イースター島に書いています。
TVをみて、20年前との違い、変貌ぶりにびっくりしました。
当時、島には外国人が宿泊するホテルと呼べるものは二軒だけ、後は民宿だけでした。今では五つ星リゾートホテル・スパですか!。 そして車の多いのにびっくり、島唯一の村のメインストリートには、島の重要な交通手段の馬で溢れていたのですから。
そして、当時は写真のようにモアイに触れて、一緒に写真に納まることは出来ました。この写真の女性がガイドさんで、ランチレの元スチュアーデス。 当時まだ日本人観光客は少数派で、旅行会社は英語のガイドを手配してくれたのですが、私がスペイン語が堪能な事を知ると、イースター島はこれから 世界中の観光客が集まるようになる、それだけスペイン語達者なのだから、此処に引っ越しして旅行会社を一緒にやろうと、持ちかけけられた思い出が あります。

私のイースター島のページデーターは20年も前のもの、時々、現代のフライトスケジュールを調べて更新しているものの、これで良いのか、今日の TVを見て思いました。

パタゴニア
今回のTV番組内で紹介されたパタゴニアはチリ側・アルゼンチン側に1986・1991年と2度に亘って往きました。
やはり、日本からのツァーはなく、カミサンと二人の個人手配旅行でした。
サンチアゴの空港も長距離バスターミナルも最後に行った時から、23年も経っています。

番組・映像を見て、今年2014から当時行った時の年号を、何度暗算で引いてみた事でしょう。最近四ケタの引き算でも間違えることが有ります。
もう、20年も前の話なんです。高齢者と呼ばれる年齢になり、40代の何も怖くなかった、昔の旅の自分達二人の姿を思い出していました。



2/2 朝日日曜版 なるほどマネー 定年後の資産設計、老後資金と貯蓄高

日本人はとかく、今自分のいる位置・社会的なポジション・スタンションレベルを気にします。 平均値以上なのか、以下なのか、まあまあ中の上あたりにいれば安心なのかなと、思いがちですが、 世間で公表されている、平均値って何処か、自分がイメージしている値と違いませんか?

平均値と標準偏差;
ある集団についてのデータがどのように分布しているかを表すものとして、 その集団の代表値(中心の値)を示す平均値及びそのばらつき具合を示す散布度があります。
平均には算術平均が、散布度には標準偏差がよく用いられてます。
平均値とは、全部のデータを足し合わせて、データの数で割った値です。
平均値は計算が単純ですし、集団を表す値として便利です。 しかし、現実のデータ解析では、平均値の扱い方が原因で、集団の真の姿を表現できない場合があります。
代表的な理由は、2つあります。
  1. データに 異常値 が混ざっていて、平均値がその値に引きずられてしまう。
  2. データの 分布 が非対称になっている
今回の例、高齢者の老後資金の場合、ごく一般的・大多数の給与生活退職者に群に、少数派の極めて裕福な自営業者・企業家 が混じったり、反対に生活保護を受けている孤独な一人暮らし、

朝日新聞の記事「なるほどマネー 定年後の資産設計」で老後資金・貯蓄高について論じていました。
定年後六十代の老後資金・貯蓄高は、金融広報中央委員会(日銀)の調査による単純平均額は670万円ですが、 実感としては、そんなに少なくないと思います。
一方、定年した後、一体いくら必要かと云うと、生命保険会社等の調査(これも調査対象に偏りあると云われています。) によると3、000万円とも言われています。
 この差はなんなんでしょうか?
この問題を解決する方法として、偏差値を平均値の代わりに使う方法がありますが、そのようなデーターは残念ながら ネット上で公表されていませんでした。
一つ、政府内閣府の高齢者世帯の貯蓄高分布グラフ(平成23年二人以上の世帯・不動産は含ます)が公表されています。
この分布グラフにはびっくりしました。
分布的には、2,000万から4,000万に集中しているではないですか?そう、3,000万は欲しいと願っており、実際持っている金額 なのです。
但し、これが必須・最低条件かと云えば違います。 朝日新聞に執筆しているFA(ファイナンシャルプランナー)は今回、この事に関して解説していました。

以下は、朝日新聞の記事の抜粋です。
筆者はFA「家計の見直し相談センター」代表 藤川太氏


3,000万円とは、豊かな老後生活を送ろうとする場合で、3,000万円以上の貯蓄のある人は全体の15.7%しかいません。
3,000万円も必要なら8割超の人は苦しい生活をしていることになります。
安心して定年後の人生を過ごすには、現実的ではない貯蓄をめざすより、持っているお金をいかに効率的に使うかを考えるべきです。
退職すると時間に余裕ができ、退職金が入れば気も大きくなりがちです。自宅の改修、高級車の購入、海外旅行、子供への資金援助などの 出費が嵩みます。特に体が元気な70才前後までが要注意で、破たんの原因になります。
老後の収入は現役時代の半分以下になる家庭がほとんどですから、 多くの場合は、貯蓄を取り崩しての生活になります。

先ずは、ライフプランシートを造ること。
  1. 家族構成と年齢を表にする
  2. 考えられる人生のイベントとその費用を出す。
  3. イベントに優先順位をつける
  4. 年毎に合計費用を計算する
ポイントは
 ・無理に貯めるより、賢く使うことを考えよう
 ・老後のの生活は、貯蓄を取り崩すのが前提
 ・予め計画を立てて、不安を解消しておく

・・・だそうです。納得、当たり前の話でした。


2/8 シニアの時間の過ごし方 今月から、月曜日は映画館へ

今年から、毎週月曜日が暇になりました。
昨年まで月曜日は、グラフィク系の講座を持っていたのですが、月曜日がハッピーマンデーになる日が多く、会場の確保が 難しくなるのと、提供する講座内容と受講者のニーズが一致しないので(そんなに高度な事を望んでいないようで)、今年から当分休講としました。

さて、この空いた曜日、何をしよう?
原則として私たち夫婦は、週のうち月曜日から金曜日は二人同時に一日中在宅しないように、そして、昼食は各々自分で造る・食べる をルールとして決めてこれまでやってきました。
退職し、自由な時間を手にした日から、多かれ少なかれ『スケジュール帳空白恐怖症候群』はやってきます。しかし、その空白は何とはなしにいつの間にか 埋まっていくのが普通なのですが、やはり最初のうちは、何をしようか、何処へ行こうか、少し焦ります。
急に月曜日に空きが出来て、さて何をするか・・・一日中パソコンに向かっていれば時間は流れていきます、講座資料造りとか、 動画作成とかやることは山ほどあるのですが、それでは一日一歩も動かず(携帯の万歩計が三桁にも達しせず)机の前にいることになります。
それでは健康的にも、夫婦の自主ルールにも違反するので、二時間でも半日でも外にでなくては!
”そうだ、映画館に行こう”
先々週、セキュリティ支援で二駅先の辻堂へ行きました。辻堂駅前は数年前、昔の化学工場跡地に大ショッピングセンター『湘南テラスモール』 がオープンしたのは知っていたのですが、その時初めてなかに、10スクリーンを持つシネコンや、フードコート街あることを知りました。

私は子供頃から映画が好きでした。地方ながら県庁所在都市の繁華街に生まれ育ったので、映画館は身近にありました。小中学校の頃映画館への出入りは 不良扱いされていたのですが、良く見に行きました。
カミサンとの初デートは、東銀座にニューオープンした「松竹東劇」で、日本で一番座席間の余裕がある映画劇場と云われ、確かに足が楽に組めました。 結婚後、横浜に越してきたり、仕事にかまけたりして、リタイヤするまで映画館に足を運んだこと有りませんでした。

鎌倉に越してきてからは、鎌倉市内に映画館もないこともあり、映画と云えば市民活動団体や映画鑑賞会グループが、鎌倉芸術館などの 施設で上映する「名画」「社会派ドキュメンタリー」だけでしたが、還暦を過ぎシニア料金(1,000円)が適用されるのだから、昔のように ゆったりと座って、大型スクリーンで映画を見る時間を持とう。月曜日は映画の日にしようと、辻堂の湘南テラスモール内にある、109シネマ へ初めて行きました。
お目当ては評判の山田洋次監督『小さなおうち』です。
10時10分開演なのに、ホールは9時30分にはシニアの皆さんでいっぱいです。
湘南テラスモール内のカフェテリアはオープンしていて、コーヒー とスナック片手に、映画を楽しもうとスタンバイしているのです。

映画が始まりました。久しぶりのゆったりとした足が伸ばせる座席と大型スクリーンです。 しかし、何か映像の解像度・色のキレに違和感があります。そう、プロジェクター映像なのです。今時の映画館はフィルム投射ではなく、プロジェクター映像 なのが当たり前なのでしょう。グラフィック系を扱っているパソコン人間は、高輝度の液晶モニターの映像に慣れてしまっているので、 ついつい比較してしまうのでしょう。


映画は山田洋次監督の世界、キャストは先週TVで見た「東京家族」そのまんま。
でも、十分楽しめました。終わって『湘南テラスモール』のフードコートで食事して、大船へ戻りました。映画館入場料1,000+JR交通費190円×2+ランチ 630円=合計2,010で、予定のなかったシニアのオジサンの月曜日が埋まりました。

さて、来週もまた映画館?でと、考えていると、不思議なもので予定がなかった月曜日は、私の予定が空いているのが解かったかのように 次々とNPOセンターのボランティアやらWebサポートで埋まって行くのです。
ひと月に2回くらいは、こうやって昼間から一人で映画館へ行き、ショツピングモールでブラブラする日を造りたいものです。


2/13 足の痛みの原因が判明、解決・対策に思わぬ出費 52,000円

昨年12月、左足の痛みを発症して痛風ではないかと疑った記事をブログに書きました。 今日は2ヶ月たったその続きのお話です。
痛みの原因が
 ・使いすぎ
 ・ハイアーチの足型
 ・柔軟性の低下、筋力の不足
 ・加齢
正式な病名は「両側外反母趾」と云う診断書をいただきました。
こんな難しく言わずに簡単に云うと、「偏平足」による足の形の歪みによる痛みと云うことになります。
本来、人間の足は、荷重を三点で分散して支えられているのだそうですが、偏平足の足の人は、アーチが浅く荷重が つま先に集中し、親指と小指に負担がかかり、痛みの原因となるそうです。
65年間この足で歩いてきましたが、今まで痛みを感じたことがないのに、急になんで?。その原因が前記の 加齢による柔軟性の低下、筋力の不足なのだそうです。

原因は解かりました、さてその対策は


通っている整形外科スポーツドクターの指示は、1ヶ月のスポーツ禁止と「足に合った靴の選択と、インナーソール(足底版)による補強」 でした。これが昨年12月の話だったのですが、鎮痛飲み薬と湿布で3日間で治ってしまい、そのままほったらかしで2月になってしまいました。
完治した訳でもなく、また普通に歩き、スポーツを再開すると、前ほどではないのですが、夕方になると、チクチク・チリチリと痛みを感じるようになり、 決断しました。
 まずは、オーダーメイドのインナーソールを入れるしっかりとした靴を買わなくてはなりません。近所の靴屋さんではお気に入りの、足型に在ったものが 少ないので、横浜のデパートのスポーツシューズ専門店に行き、アシックスとアサヒメディカルのインナーソールが交換出来るタイプの靴を二足買いました。
異なった色・デザインの二足を買って、交互に使用する方が長持ち・経済的と云うのが理由です。 一足各々17,800円二足で35,600円です。
これを持って、整形外科指定の義肢装具士のもとで足型をとり、一週間後に出来上がりました。

オーダーメイドインナーソール(足底版)のお値段
治療装具採寸費は保険適用で、1,800円
足底版片足 11,330円、両足で22,660円で、この時点では健康保険は効かずに現金払い、後から 以下の書類を揃えて、市の健康保険窓口に申請すると、7割戻ってくることになっています。

  1. 保険還付申請用紙(窓口にある)
  2. 義肢装具会社の領収書
  3. 医師の診断証明書
  4. 保険証
  5. 印鑑
  6. 預金通帳など口座番号が確認できるもの
最終的には、両足で6,800円ほどの負担になります。
今回の足の痛みの治療と対策では 合計3回の通院・診療費+オーダーメイド足底版+それなりの靴2足=合計52,000円となりました。
これで、健康な足が手に入るなら安いものなのですが・・・暫く試してみてから再度ご報告致します。

ともかくも、退職前には予定も推測もつかなかった事が、年齢と共に起こるのがシニアの世界なのです。


2/18 リタイヤシニアの過ごし方 月曜日は映画館と個人出前授業

先々週に引き続き、今週も月曜日は映画の日です。
映画は見に行きだすとクセになるようで、前回の予告で見た「大統領の執事の涙」を見てきました。観客の入りは先々週の 山田洋次監督作品「ちいさな家」ほどではなく、座席は半分にも満ちていませんでした。隣のスクリーンはまだ「ちいさな家」をやっていて、 ベルリン音楽祭の受賞もあって、満席のようでした。
月曜日の10時開映の客層は、ご想像の通り、私を含めたシニア層で圧倒的に女性グループが多いです。
入場料はシニア料金の1,000円です。自動券売機で購入するのですが、券売機にはシニア証明が必要と書かれているので、係の人に何処で 証明するのか訊いた所、入場の際チェックするというのですが、私は全くノーチェック・素通りでした。
つまり、どう見てもシニアと見えているのでしょう。ちょっとだけ残念。

 映画の内容は?
この宣伝用ポスターのキャッチコピーと中身は、良い意味で大違いでした。
このポスターを見る限りでは、ハリウッド映画が大好きなセンセーショナルな、 大統領・ホワイトハウスの裏側・内幕を黒人執事の目を通して暴露するよう娯楽作品と受け取られますが、実は内容は全く違った どちらかと云えば社会派的映画内容です。

話は1926年のアメリカ南部の綿花農場から始まります。
黒人奴隷解放が行われてから100年も経っているのに、まだこの当時、白人農場主は絶対で、この主人公の父親は農場主に撃たれて死に、 牧場主の母親の家のハウス・ニガーとして雇われ、少年期を過ごします。 しかし、此処にいては何時かは自分も白人に殺されると農場を抜け出し、町に出て、仕事を変遷しながら、遂にはホワイトハウスの バトラーにまでなるのですが、その時代背景は私たち団塊の世代が微かに目にしてきた、黒人差別・公民権運動の歴史が浮き彫りにされて ストリーが進んでいきます。
ケネディの公民権法・1963年のダラス・キング牧師のワシントン大行進・1968の暗殺・ベトナム戦争・グラックパンサーの黒いこぶし、私たちの 青春時代、日本の高度成長時期でもアメリカでは現実的に、黒人人種差別が行われていたのです。
私たちに身近な国、オーストラリアても1973年まで、白豪主義と呼ばれる、先住民族アポリニジの差別、アジア系移民の禁止政策が、南アフリカでは 1994年まで厳格なアパルトヘイト政策が行われていたのです。

映画の流れの中で、この画面の出来事何処にいただろうか?、何歳だったろうか?と少し涙ぐみながら見ていました。
映画の最後はストーリーの流れから少しは想像できていまして、その通りの終わり方は、ハリウッド映画かな。

お昼は、テラスモール湘南のフードコートで済ませ、一度自宅に戻りお昼寝をし、夕方から個人的にwebプログラムレッスンを希望している シニアの男性に二時間の授業で、暇な65才のリタイヤシニアの月曜日は埋まりました。本日は収支トントン、恵まれた楽しい1日でした。


2/22 週刊現代拾い読み まさか「がん保険」に入っていませんよね


退職後通った、情報処理専門学校のWebクラスのなかで、コンテンツの重要性・話題性・社会性について の授業がありました。今、社会が必要としているコンテンツをタイムリーに、そして的確なキャツチコピータイトル で発信するのが重要。
そこで、先生が取り上げたのが週刊誌でした。
多少、大げさ、エキセントリック・センセーショナルな見出しかも知れないが、読者が読んでみたいと手に取って くれなくては、どんな重要な情報・記事も伝わらない、と云う内容でした。
たいがいは、実際に読んでみると、見出しに相違してたいした話でもない事が多いのですが、今回の週刊現在の見出しは、 定年を迎えるシニア予備軍には、かなり訴える見出しです。

  • 60過ぎたら、保険はいらない
  • まさか「がん保険」に入っていませんよね
  • もしかして、生命保険に入ったままなの
  • どう考えても、60すぎたら損をする。
  • 保険会社は絶対損をしない
  • あなたは、これでもまだ入り続けますか?
と、ここまでまくし立てられると、不安になり、ついつい手を伸ばします。
今、週刊誌は420円です。さて、それだけの 価値があるのか?、先ずは店頭で立ち読み・拾い読みしてみました。

二人に一人「がん」になる時代なのに、保険会社は大儲け
記事を要約すると、”がんを筆頭に誰でも病気は怖い、健康に自信が持てなくなってくる60代ともなると、なお更だ、けれども その不安に苛まれ、月々数千円から数万円の保険料を支払い続けることがが本当の安心なのか”
そもそもがん保険とは、がんにかかった時にその治療費や入院費を保障する保険で、ほとんどが掛け捨てタイプ、現在 の保険は、終身型が主流です。
この場合、もしがんにならずに長生きしたら、80才になろうとも、90才になっても保険料を払い続けなくてはなりません。
確かに、がんになれば、今でかけてきた掛け金以上の保障がありますが、誰も、がんにかかって元がとれたとか、儲かったなんて思いません。がんになり、 死の恐怖を目の前にすれば、自分の持っている全財産を注込んでも逃れたいたいと思うものです。

がんの治療費ってそんな高いの?
一般的に「がんになると大金がかかる」とされています。では実際はどうなのか?数値でデーターで知りたいのが、団塊世代の特徴なので調べてみると。

がんの種類 平均入院日数 治療費(3割)
胃がん 20.2日 約25万円
結腸がん 19.9日 約28万円
直腸がん 16.8日 約23万円
気管支がんおよび肺がん 11.5日 約13万円
乳がん 12.2日 約18万円
出展データー元 日本経済新聞

週刊現代は都内某大学病院に協力を得てと題してもう少し詳細なデーターを掲載しています。
病名 治療法 3割負担
平均治療費
平均
入院日数
胃がん 内視鏡治療(SED) 15.8万円 8日
開腹手術(部分切除) 42.6万円 12日
開腹手術(胃全摘出) 68.7万円 11日
肺がん 胸腔鏡手術(部分切除) 42万円 8日
胸腔鏡手術(区域切除) 54.3万円 9日
放射線治療(手術なし) 36.6万円 29日
大腸がん 腹腔鏡手術(直腸切除) 47.4万円 11日
開腹手術(直腸切除) 51.6万円 16日
肝臓がん 腹腔鏡手術 39.6万円 11日
開腹手術 44.7万円 11日
乳がん 手術(リンパ節廓清なし) 20.2万円 5日
手術(リンパ節廓清あり) 29.4万円 10日

これを見ると決して安くはないが、想像を絶する或いは、老後人生の資金計画が根本から狂うような金額ではことが解かります。 ただし、これは保険適用の医療費であり、個室料金とか、その他細かくかかる家族や本人の経費などは含まれていません。
そして、日本には保険適用の医療費に対して、一定額以上の医療費が後から戻ってくる高額療養費制度がありますから、患者の負担額は もっと少なくなります。

高額医療費制度計算方法
年齢や所得により若干違ってきますが、60代の一般的年金所得者区分の人は以下の計算式になります。
80,100+(1ヶ月間で支払った医療費ー267,000)×1%
これによると、胃がんで全摘手術をしても、ひと月に9万以内には納まることになります。 但し、申請してから戻ってくるまでに3ヶ月ほどかかりますから、当座は一時的に自己負担することになりますが・・・・

とりあえず100万あれば何とかなる!
月々数千円から数万の保険料を何年も、そしてがんになるまで払い続けるか!。
60才で特約の入院一日一万円に加入すると、月額10,000円程度の保険料を払うことになります。年間12万円、5年間で60万円です。元を取る為には には60日・2ヶ月入院しなくてはなりません。上記データーを見ても、今時2ヶ月入院させてくれる病院はありません。
但し、保険のきかない先進医療や、個室ベッド差額、交通費などは当然ながら高額医療費制度には含まれていません。

退職を機に、新たに医療保険に入る必要はあるか?
週刊現代は以下の記事で締めくくっています。
「老後は個々人で多様性に富み、その全てに備えられる保険はありません。
だからこそ、必要なのは金融資産ではなく現金なのです。保険に代わるものとして、現金・知識・情報が必要になります。 病気になった時、介護が必要になった時、いざと云う時に備えて日頃から、地域の情報を調べ、保険に頼らなくとも済むだけの お金を準備しておくことで、豊かな老後生活をおくれるはずです。」
そのまとまったお金がないから、月々小額支払でリスクを分散・共有するのが、保険の役割と保険会社の方々はおっしゃりますが、 保険は、確率・統計学理論の数学的な立証で保険金額が決まり、それに経費を上積して決まるので、支払準備余剰資金の運用に失敗しない限り 絶対に儲かる、社員の給与が日本有数高額な業界なのです。そんな甘い体質の生保も、そろそろ損保と同じくネット契約の時代に変わり、若干下がっていくことでしょう。


2/25 誕生日をハワイ・ホノルルで迎えています。


2/27 マウイ島でクジラを見てきました。

マウイ島沖 モロカイ島・ラナイ島に囲まれて水域は世界一のウォッチングスポットと言われています。
マウイ島でクジラを見てきました。
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2/28 暇なハワイ・ホノルルの過ごし方は食べ物の話

今日の朝食はダイモンドヘッドグリルのパンケーキ



暇なハワイ・ホノルルの過ごし方は食べ物の話
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3/1 ワイキキの住宅事情はアラワイ運河の向こう側に真実がある

朝の定番のウオーキングコース

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3/2 朝から一日雨、時々雷鳴、初めて経験するハワイ

初めて経験するような大雨、気温は21℃

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3/5 常夏の楽園ハワイはいつも晴天のハズが、帰国日も朝から雨

八日目、帰国の朝、これで三日連続、朝から雨です。

常夏の楽園ハワイはいつも晴天のハズが
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3/8 これがハワイ・マウイ島のホエールウォッチング


3/13 ワイキキの一日の過ごし方と、ホノルル2014年の現状報告


3/16 ハワイ三部作完成 最終 マウイ島自然紀行


3/21 もう、バックパックを背負っての旅はお仕舞いの年齢なのか?

先週の朝日新聞の特集記事「be Extra」で春の行楽シーズンを意識してか、日本のLCC特集が組まれていました。 その中の記事一つ、漫画家ヤマザキマリさんのインタビュー記事に興味が引かれました。

テレビの旅番組って、みんながやってみたい一人旅を見せて、苦労もせずにお金もかけず、街に溶け込んでるかのような 疑似体験までさせてくれるけど、ても実際にはありえない。
一人旅って、トイレに行くにもスーツケースやバッグを持って行く事の苦労があるってことを、誰もしらないのかしら。
中略・・・・・

海外で団体旅行をしている人達を見て思ったのは、テーマパークを旅するのと変わらないということ。
帰って来てどこを訪ねたのかもよく覚えていない。自分で旅程を組み立てて、列車をひとつ間違えるくらいやらないと。! 間違えたって死にはしないし。無防備すぎてもダメだけど、人には生命力があって、意外といろんなことが出来るもの、と私は旅から学んだ

このコメントは、彼女が14才の時に、母親の用事でヨーロッパにお使いに行かされた時の経験が初めての海外旅行で、 それ以降の彼女の旅の原点・スタイルとなっているようです。
しかし、このような体験は、海に囲まれた島国日本では稀有なケースで、一般的な日本人てすと、中学生ならば親と一緒のアジアや 太平洋のリゾートか、或いは学校行事での団体旅行でしょう。
本格的に旅と云えるのは、大学の卒業旅行からではないでしょうか。

日本の若者は幼い
これまでの私でしたら、この彼女の意見に諸手を挙げて賛成し、そうだ、そうだと無条件に賛同していたでしょう。
卒業旅行がたった3泊5日のしかも、全ておんぶに抱っこのパックハワイで、はしゃぐ、幼い日本人大学生グループ。お前らはアホか、それでも22才か!、青年は荒野を目指さないと!

ヨーロッパの団体パッケージ旅行の写真を見せびらかし、海外旅行の回数を自慢するオジサン・オバサン、あんたのは旅ではなく、ただの点と点の移動。 座っていれば自動的に連れて行ってくれて、飯まで食わしてくれる。そんなの旅ではないし、マチュピチュやカッパドキアを「世界の大秘境」なんて言わないでよ。

つい最近までそう思っていました。
でも、人それぞれ、色々なスタイル・生き方があっても良いじゃないか。タカが旅のスタイルで 人生観が変わる訳でもなし、少なくても人に押し付けてはいけない、そう思うようになってきたのは、そう年齢です。

老成と云う言葉は嫌いでした。
まだまだ、どろどろとしたものを中に抱え込んでいるのに、年相応に生きるということが誤魔化しのように思えていたのですが、 自然体で過ごしていると、不思議に年相応に生きるのが、一番楽なんだと気づくようになります。
心と体にムチ打って、インドの奥地を目指さなくたっていいじゃないか!、行くんだったら、空港からスルー日本語ガイドを付けて、 ある程度のレベルのホテルに泊まって、日本の60代夫婦らしい旅をすればいいじゃないか。

正直に書きますと、そのような旅をする資金的な余裕はとっくにあったのですが、プライドとか云う変なものを意識し、 「旅は地元に溶け込まなくては」とか、「あんな高い飯など食えるか、半分以下で食えるところがあるのに」とか、肩を怒らせて 旅してきたのも事実です。
いつかは、外国人が行き交う空港ターミナルよりも、鄙びた地方鉄道のホームのベンチが似合う年齢がやってくる。

ところで幾つになったの? 66才! バカじゃないの、未だ老成なんて歳と違う。と先輩から怒られていますが。


3/26 映画「ライフ」見てきました。定年間際の男性にはかなり危険な映画

月曜日は映画の日と決めたのですが、いざ月曜日をフリーと宣言したことが、このブログを読んでいる NPOスタッフの間で知られると、次々に色々なサポート、制作依頼、会議が舞い込んできてなかなか、見に行けなかった のですが、24日、月曜日、何時もの湘南テラスモールの109シネマに行ってきました。
今回の映画は、TVCMでも評判の「ライフ」です。
ストリーは;(映画会社からの引用)

1936年の創刊から2007年に休刊されるまで、世界で幅広く読まれたアメリカのグラフ誌「LIFE」の写真管理部で 働く臆病で不器用な男が、人生変える波乱万丈の旅に出る姿を描く。
LIFE誌の写真管理者として毎日地下鉄に乗って通勤し、変化のない日々を過ごすウォルター・ミティ。彼の唯一の楽しみは、 むなしい現実から逃避する刺激に満ちた空想をすることだった。
そんなある日、LIFE誌の最終号の表紙を飾る 大切な写真がないことに気付いたウォルターは、カメラマンを探すため一大決心をして一歩を踏み出し、 グリーンランド・アイスランド、アフガタニスタン、 ヒマラヤを旅するのです。

映画から帰ったら、カミサンが、「どんな映画?良かった?、私とお友達で見に行っても大丈夫?」と聞いてきました。
「否や、この映画は女性向けではなく、どちらかと云うと男性向け」
「アクションとか、SFものなの」
「そうじゃなくて、何時までも少年のような心を持つ、男性向け、定年間際の男性シニア予備軍にはちょっと危険な映画」
「あっそ、良くわかんないけど、止めとくは」

この映画に度々登場するのが、LIFE誌のスローガンです。
  Things dangerous to come to
  危険でも立ち向かおう

  To see behind walls
  壁の裏側をのぞこう

  To draw closer
  もっと近づこう

  To find each other
  お互いを知ろう

  And to feel
  そして感じよう

  That is the purpose of LIFE
  それが人生の喜びだから

男性の心はいつも少年であり続け、子供の頃は誰でも冒険心があって夢を見るのですが、大人になると想像だけで一歩を踏み出せないのが、普通の 本当のリアルライフ、人生と諦める?、或いは悟って生きてきているのですが・・・・。
自分が何歳だろうと、やりたいことをやろう、殻を破ろう。そんな男達の迷っている背中をトンと押してくれる、そんな危険な映画です。

定年になって自由な時間が出来たら・・・
私に廻りには旅好きが多いのです、アジアの田舎への旅、未知の南米への旅、アメリカルート66を横断する旅、ピスボート世界一周の旅、東海道を歩く旅、 自転車で日本一周をする旅・・・・ 不思議なことに、奥様と一緒ではなく、何故か男性の一人旅が圧倒的に多いのです。
訊くと、「女房には男のロマンが理解できない、興味も示さない、一人で行ってきて」と云われるそうです。

我が家の場合は・・・120%有り得ませんでした。
この映画の主人公が旅し、見てきた世界の絶景や接してきた人々、経験と同じものを、私たちは夫婦はこれまで ずっと共有してきています。
パタゴニアの氷河・マダガスカルの真っ赤な大地・ペルシャの砂塵・ベトナムの寝台列車・キューバの青い海・アラフラ海の 満天の星空、ブータンの子供たちの笑顔、・・・そして数えきれないほどの旅のトラブル。
それは、子供いない夫婦であることが大きな理由・原因なのでしょう。

悪魔のささやき
自分の人生、定年後ライフを電卓を叩いて想像するだけで良いのか!、それで本当に良いのか!・・・・・ しかし、、、そもそも自分一人の人生ではなく、夫婦二人の人生と考えるのが、平成の世の正解なのですが。

結末は
英語の原題「The Secret Life of Walter Mitty」
一歩を踏み出した主人公ウォルターの得たものは?
それは遠くから見て空想していた同僚の女性と最初のデートと家族愛
そして 失ったものは、職場・仕事と母親の持っていた年代物のグラドピアノ
この一歩はにはお金が必要だったのです。
このピアノの持ち主、主人公ウォルターの年老いたお母さん役が、「シャーリー・マクレーン」です。 懐かしい、久しぶりに見る彼女は、いまだ洒脱な演技で魅力的でした。このサイトを読んでいる方は彼女を知っていると思うのですが。
昭和は確実に思い出の世界として遠ざかっていきます。


3/31 懐かしの青春時代の音楽 何時でもあの時代に戻れる唄がある

退職後の二人の生活で一つのルールがあります。
アルバイト・臨時収入があった場合は、平等に折半しようと云う約束です。
今月は、WinXPのサポート切れの影響もあって、パソコン支援の謝礼などの臨時収入がありました。現役時代 でしたら、とるに足らない金額なのですが、収入が年金だけの生活では一万円単位の臨時収入はありがたく、 小遣いに潤いを与えてくれます。ルール通りにカミサンに半分渡し、さて何に使おうか?。
消費税増税を四月に控えて、今月中に何かを買おうと考え、携帯・小型の音楽プレイヤーにしました。
今、持っているのでも良いのですが、モニター画面が小さく、操作も面倒です。
ネットで探すと、比較的大きなモニターで、音楽は勿論、静止画・動画・ラジオ・テキストも再生・表示できて、 5,000円以下の台湾メーカー「Transcend」のものにしました。
これを持って旅に出よう。


誰にでも忘れられない音楽・曲があります。
その曲、メロディを耳にすると鳥肌が立ち、人には見られたくない涙を感じる事さえある、思い出深い 唄、歌詞。
それを耳にした途端、そう、あの時、あの時代、あの国、あの街、あの街角、通り、 そしてあの人・・・・に自然に戻れる曲・音楽があります。

私の場合、青春時代とはアルゼンチン・ブエノスアイレスで暮らした日そのものである。
南米アルゼンチン、ラプラタ川・パンパ・アンデス・ビーノ・パタゴニア氷河 、他の南米諸国にはない、頽廃・爛熟した文化の香りのする白人国、古いヨーロッパ調の下町に流れる気だるい タンゴの調べ、ハカランダーの紫の花が昨夜の雨で石畳みを埋め尽くすカージェ、物悲しい年老いたガウチョが 奏でるアルゼンチンフォルクローレ
全てが私の青春そのもの。
このセピア色の写真からもう、45年が過ぎた・・・・・

団塊世代の青春の曲とはどんなものか、ご興味ある方はお聞きください。
 IE9以上のバージョン及びフラッシュがないと音楽は再生されません。
技術的未熟の為、ヴリューム機能が付けられませんでしたので、PCで音量を調節して下さい。
西語・英語の歌詞原文を掲載します。原文の意味が解かるとまた違った楽しみ方ができます。


青春時代の7年間過ごしたブエノスアイレスの街角には色々な思い出が詰まっており、掲載した思い出の歌は、 アルゼンチン人なら誰でもが知ってる歌ばかりです。

Caminito(カミニート・小道)は、小学生でも歌える国民的タンゴの名曲。恋人との別れと思い出を唄ったもので、 現在ブエノスアイレス地区の観光名所となつているボカに、カミニートと呼ばれて いるところがありますが、歌詞の内容とは全く関係ありません。思い出としては、スペイン語を習い始めた当時、最初に覚えた歌です。

media luz(淡き光)も、誰でもが知っていますが、子供が唄う歌ではありません。
このタンゴは発表されてから既に90年近くたっており、現代のアルゼンチン人でもほとんどの人が この歌の意味を誤解していると云われています。
歌詞を良く読むと解かりますが、実はこれは高級売春クラブのコーマシャルソング的な内容で、住所や電話番号が織込まれて おり、当時、世界有数の経済先進国であったアルゼンチンの首都の夜の遊びの雰囲気が伝わる名曲なのです。
特に私は、青春時代の一時期、この曲にあるコリエンテス通りや、フンカル界隈で遊んでいたことがあり、思い出深い曲です。

Zamba de mi Esperansa(希望のサンバ)、タンゴと共にアルゼンチンが誇る楽曲にフォルクローレ(民謡)と云う分野があり、 サンバと云ってもブラジルのsambaとは全く違い、ポルトガルのファドのような哀愁を満ちたものや、ガウチョの生活を唄ったものがあり、 この直訳すると「希望のサンバ」は、タンゴのカミニートと並び、99%の小学生でも歌える名曲です。

Luna Tucumana(トゥクマンの月)は、アルゼンチンフォルクローレの神様「アタワルタ・ユパンキ」の名曲の一つ 北部トゥクマン州の月に、政治的な自由をなぞられたと云われていますが、楽曲の素晴らしさを、4人グループのチャウチャレーロや、メルセデス・ソウサ などが世界中で歌って、いまでは古典として誰もが知っている曲となっています。
私は、この曲で歌われているトゥクマンとはどんな所なのか、旅した思い出があります。

Los ejes de mi Carreta(牛車にゆられて)は、神様「ユパンキ」の心情を唄った最高傑作です。
歌詞の内容は、パンパの田舎の荷車でわだちが出来た道を油もさしてないギーギー鳴る牛車に乗った男の独り言なのですが、年老いた アルゼンチンのガウチョ(牧童)の人生感が伝わる、世界的な名曲です。
60年代末~70年代初頭、ブエノスアイレスから30kmしか離れていない、国道から入った日本人入植地には電気が通っていない場所も多くあり、 その家を訪ねて、唄に登場するようなわだちの泥道を1時間も歩いたことが思い出されます。

El condor pasa(コンドルは飛んでいく)は、不思議な曲です。アルゼンチンとは全く関係はありませんし、 歌詞の内容と地元アンデスやコンドルは関係なし?、遠回しに考えればその意味にとれないことはないのですが、サイモンとガーファンクルが 唄ったこの曲の時期が私の最後の南米生活が重なるので、思い出深い曲です。
英文の歌詞、直訳以外の色々な意訳がありますが、チャレンジしてみて下さい。

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