湘南・鎌倉から BLOG5

日々感じる事・出来事、そして年齢を重ねていく 団塊オジサンの独り言を綴っています


8/17 空想・机上旅行計画 世界中の空港の発着便が調べられるサイト

昨夜8月16日のTBSTV番組「世界の果ての日本人」のなかで、南米パタゴニア、氷河観光の拠点の町 カラファテでゲストハウスを営む日本人夫婦が登場していました。
カラファテの町の映像を見て、あまりの変貌ぶりにびっくりしました。
私たちが、カラファテに行ったのは、1991年。もう21年も前、当時日本からのパタゴニアツァーは皆無で、アルゼンチン・ ブエノスアイレスに住む、友人を通してチケットを手配してもらった記憶があります。

インターネットが普及していない時代、Windows95の発売の4年前、私たちの世代ではつい最近の 感があります。
日本とブエノスアイレスの通信手段は国際電話のみ、相手の声が何拍か遅れて戻ってくる、当時の 国際電話環境が思い出されます。
番組を見て、一番驚いたのが、ブエノスアイレスからカラファテにダイレクトに飛行機で入ったことです。 当時、軍関係の飛行機は飛んでいたものの、民間のフライトはなく、大西洋岸のリオガジェイゴから陸路、6時間 パンパを走って入ったものです。
2012年、ブエノスからカラファテまで飛行機が飛んでいる。!!
早速、インターネットで調べてみました。

世界中の空港の発着便が調べられるサイトがある
驚くべきことに、自宅から日本語で南米の最果てパタゴニアにある町の空港発着便が調べられ、価格も解り、 ホテルパックも予約出来るのです。

サイト名はFlyteam私のサイト内の 世界遺産・ロングステイの旅を目指す 個人・自由旅行者の為のお役立ち情報検索サイトを 覗いて見て下さい。

以前から、格安航空券の検索の際に使っています。
値段が破格に安い航空券のほとんどは、乗継便です。これは、一度取り扱っている旅行代理店に問い合わせしないと、前泊・後泊が必要か 解らないし、現地に到着する時間も解りません。がしかし、自分で調べる事は出来るのです。

ロングステイも良いけれども、世界の秘境にも行ってみたい。
しかし、先立つものがない。いったい幾ら必要なのだろう。
そんな時、先ずはパソコンに向かって、空想・机上の旅行計画を立てて遊んでいます。ボリビアのウユニ塩湖へは、絶対に行って見たい。 日本から、ボリビア・ラパスへのルート・金額は簡単に算出出来ますが、一度ブエノスアイレスに入ってから、ウユニに向かう手だて・ 金額は、ブエノスアイレスの日系旅行代理店に頼むか、或いは英語・スペイン語で、ブエノス又はラパスの代理店を探すしか、方法は 無かったのですが、空想・机上の旅行計画でしたら、大まかな予算・スケジュールは、自宅の前のパソコンで調べられる世の中になった のです。

この記事を脇で読んでいたカミサンが云いました。
昔なら、若い時だったら、こんなに事前に調べないで、バックパツクを背負って出掛けたのにね。
現地で行き方を調べ、現地でホテルを探していたのに
私たちはもう、そんな旅が出来ない年齢になったのね。

8/26 男の厄年?、8の倍数64才 今年2度目の救命外来そして緊急入院へ


最近の「養命酒」のTV・CMで 女性は7の倍数の年齢、男性は8の倍数で、からだに変化が訪れると伝えています。

団塊世代のど真ん中は今年64才。確かにからだの変化は意識していました。

3月のミャンマー旅行から帰った後の、大下痢とそれに伴う発熱・嘔吐・悪寒で、人生初めての救急車搬送による 救命外来と一時入院と、前立腺生検による検査入院で、もう若くない、からだに無理が効かないのを実感はしていたのですが・・・・・

今回、再び救命外来に飛び込み、そのまま4日間緊急入院となってしまいました。 病名は急性ウィルス性肝炎の疑いによる経過観察入院です。
金曜日の夜にNPOセンター部会の暑気払いで居酒屋で過ごした翌日の土曜日の昼過ぎから、胃の上部の痛みを感じ、 そのまま大人しくしていたのですが、深夜になると痛みは増すばかり、躊躇したのですが、近くの湘南鎌倉総合病院 の救命外来に行きました。深夜1時です。

痛みは、ピンポイントみぞおちです。ドクターが云うには、

「みぞおちが痛い場合、何が原因と考えれるかということですが、 腹部の場合は実にいろいろな病気が考えられ、胃腸に疾患がある場合、肝臓に疾患がある場合、 肝臓に疾患がある場合など、みぞおち自体にいろいろな神経が集中しているために、 みぞおちが痛いだけでは判断がつきかねる。」

と云う訳で、最悪の場合を想定しての検査が始まりました。
大量の採血による血液検査、エコー、心電図、造影剤CT、全てのデーターが解析されるまで、救命外来 観察用ベッドでの点滴で朝まで過ごし、幾らか痛みはなくなったですが、原因は解らず帰宅しました。

その日の日曜日の夜、今度は深夜の発熱です。みぞおちの痛いはないものの、38.5度が何回も出たり引いたり、それに伴う体の倦怠感。 翌朝一番で、掛かり付けのファミリードクターを訪ねました。ここで経過を説明し、点滴で少しは楽になり、翌日の点滴を予約して 帰路についたのですが、体のだるさは尋常ではなく、昔やったA型肝炎の症状が頭を過りました。

翌朝、ファミリードクターから電話があり、そのまま、湘南鎌倉総合病院へ直行するように言われました。 肝機能の数値が尋常ではなく明らかに何らかの「肝炎」であることは間違いない、入院の準備をして、近いけど 劇症肝炎になる可能性もあるので、タクシーで行くように。
やっぱりね。

緊急入院
再び、救命・救急外来です。一昨日と同じ検査です。もう検査はいいから、大人しくベッドに横にならせてくれ と思うのですが、入院前の検査項目が沢山あるようです。
病院側よりも、入院する私のほうが、入院前に処置しなければならない事は山ほどあるのです。
還暦年齢での入院前の準備、処置
生前整理とか、老前整理とか自分のブロクで書いている割には、64歳ならまだまだ先の事、と思っていました。が しかし、いざ、経過観察入院と云っても、経過が悪くなったら何時自宅に戻れるか解りません、或いはこのまま ベッドで最後を迎えるか解らないのです。

これだけ、設備の整った大病院でも、携帯電話は持ち込み禁止、パソコンはOKだがインターネット回線はなし、となると 外界との連絡はカミサンに頼るしかありません。しかし、カミサンは銀行のATMの操作も出来ないほどの機械オンチですから パソコンを使っての通信手段なんて無理に決まっています。
だるい、今すぐに横になりたいからだに鞭打って、先ずは、来週予定していた北海道旅行のキャンセル方法・返金の銀行口座番号・ 判子のある場所と種類、歯医者の予約キャンセル、もし、長引くようだったら来月から始まる講座にも影響するので、NPOセンター への連絡メモ、と思いつくままに、カミサンに頼んでからの、入院手続きになりました。

部屋は快適・12階、角の3人部屋
画像はホームページ掲載の個室ですが、今回入院した部屋も、ほぼこれと同じで、広く・清潔で、バス・トイレ付、私のベッド廻りは 冷蔵庫・レンジ・台所付です。保険の範囲内の大部屋をリクエストしたのですが、此処を振られました。
但し、最初に同室の二人の患者は、身動き出来ない、完全看護が必要な患者さんで、一日中・一晩中人の出入りが激しく、機械類の音が するけど、構わないか?、と云う事前条件つきではありましたが。

急性ウィルス性肝炎の治療方法はないのです。
ただ、ひたすら安静、行動範囲はベッドとトイレ間だけです。食事は塩分・脂質ゼロ、全カユ、一日1600Kcal、お陰さまで1.5kg痩せました。

四日目に退院 さて幾らかかったか
治療はただひたすら、病院の味のない健康食を食べ、ベッドで寝て、肝臓の数値が下がるのを見ているだけです。 四日目の朝のドクターの巡回で、今朝の血液検査の結果が良かったら、午後退院してくれ、と言われました。私はこの猛暑のなか、飯は不味いが、涼しく、ダイエット になる 病院で週末まで居ても良いかと考えていたのですが、病院はそう云った冗談は通じないようです。

今回の急性肝炎騒動の医療費は?
1,最初の救急・外来の時の検査・診療費が10,000円
2,ファミリドクターの診療・加療が6,000円
3,四日間の検査・加療・入院代が48,000円  合計64,000円

果たして、これを高いと考えるのか、安いと考えるのか、ともかくこれは予定外の出費ではあるけれども、予算としては計上済み、 その分、旅行費が少なくなったのは事実です。
そして、こうやって団塊世代は着実に老いて行くのです。急がねば!

9/4 急性ウィルス性肝炎のその後経過報告


この度の騒動で色々な方からお見舞いのメールをいただきました。
お陰さまで元気に復活しましたと、云いたい所なのですが、肝機能の数値、あのGPTとかGRT は、急激に上昇するわりには、減少は穏やかな右カーブで、時間がかかるようです。
退院して自宅に戻った時は、やっと、あの不味い・味気のない食事から解放され、パソコンの前に戻って体力が回復したと 思ったのですが、一週間後の再検査の肝機能数値は、まだ正常値には程遠い値でがっくりきました。

それまで、元気・回復したと思っていた体力も心なしか、疲れが残りだるい気分が続いています。
再診のさいに、今回のデーターを渡されました。「A型ウィルスは検出されず」。それはそうでしょう。A型は現役時代の ウズベキスタンで感染しているので、再感染はあり得ないのです。「B型ウィルスは検出されず」。これは一安心、全く身に覚えは ないと断言できるほどの聖人君子でもないので・・・・
「C型ウィルスは抗体を確認」。これもOK、子供の頃のケガによる輸血が原因で、現役時代にC型が発覚しインターフェロン療法 で完治しているのですから。

では、今回のウィルスは何だったのか?、原因は何だったのか?、不明のままなのです。
又、来週に再検査です。来週頃はきっと正常値に戻ってきている事でしょう。でないと、秋からの旅行計画・予約が 出来ないと、カミサンはこぼしています。

それにしても、定年退職後の住いの条件の一つに、大病院が近いことと云うのは、当たっていますね。

9/17 団塊世代が高齢者になる日

9月17日は、いわゆるハッピーマンデーで「敬老の日」です。
敬老の日は、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としているようですが、 マスコミ紙面・報道の重点は、お祝いよりも、高齢者問題に置いているようで、団塊世代が65才に達し、 65歳以上の高齢者人口は、過去最高の2,975万人となり、総人口に占める割合(高齢化率)も23.3%となったと報じています。

昭23年、団塊世代のど真ん中の私は、来年、晴れて65才に達し鎌倉市から、福寿手帳 なるものを渡されます。市内のお寺や、観光施設に無料で入れるだけがメリットの青い手帳です。

おそらく全ての団塊世代の人たちは 同じだと思いますが、高齢者と云う意識は全くなく、高齢者・老人と呼ばれることを嫌悪しているでしよう。
普通、夫婦は子供と共に成長・成熟していくのでしょうが、私たちのように子供のいない夫婦は何時までも成長せずづっと、 ニューファミリー・友達夫婦でいる為に、家族意識が少なく、比較対象が無い為か(孫も当然いません)、特に高齢者・老人と云う意識は全くありません。
最近、サイトで使用するシニア夫婦や、リタイヤメントイメージ画像を、インターネット上で探すのですが、出てくるのは 私たち団塊世代がイメージしているのとはほど遠い、「杖をついた夫と白髪の老妻」的なものばかりです。
まだ世間一般の、退職者=老人=高齢者のイメージは、こんなものなのでしょう、そこで 21世紀のヤング高齢者(夫65才・妻62才)これから海外ロングステイを目指す夫婦のイメージは、こんな感じかなと、画像を加工 したのが上図です。少し奥さんが若過ぎるかな。

最近、ここ10年二人で一緒に写真に収まったことがありません。恐らく、高齢者と云われる年代に入ろうとしている私たち夫婦の写真は、 インターネットに溢れているイメージ画像とさほど変わらないのでしょう。
しかし、意識は今でもリタイヤ直後、安住の地を求めて海外を移動していた、夫55才・妻52才のまま。今回UPしたイメージ画像のままです。

来年65歳になる敬老の日、私のサイトのタイトルから団塊世代と云う言葉・文字を外そうと考えて います。
今月新設した情報掲示板 に思ったよりも多くの人が訪れ、足跡を残し、自分の考え・思いを書いています。年齢層は、団塊世代よりも少し若い50代後半 、出来れば早期退職・アーリーリタイヤ・ハッピーリタイヤ・そして一時期でも海外ロングステイを考えている人々です。

団塊世代のお役目は、来年で終わるでしょう。何時まで未練を持たないでサッサと云いましょう。 「ありがとう good by」

9/27 少し遅い夏休み 過つての国内移住地候補地の軽井沢へ

早期退職した365連休中の身には、「夏休み」と云う言葉は似つかわしくもないのですが、閑散とした誰もいない 観光地が面白くないように、やはり世間並みに、暑いさなかに避暑地や・涼しい所に行きたいものです。

今年の夏は、幾らか値段の下がる8月下旬に北海道・函館を予定していました。
3泊4日トレイン&ホテルで函館市内と大沼国定公園、帰りに 途中下車して「青森ねぶた館」に寄る予定でしたが、急な肝炎騒動でキャンセル。 少し体調が回復してきましたので、近場の涼しいであろう軽井沢へ行く事にしました。

国内移住地候補地
かつて、軽井沢は退職後国内移住の候補地のひとつとして、何回か訪れています。
海外のロングステイ地と共に、国内の終の棲家を探し求める時期がありました。 何も考えず、取り敢えず漠然と考えたのが
・沖縄&八重山
・京都
・伊豆高原&熱海、湯河原
・千葉、南房総
・八ヶ岳山麓&軽井沢
 でした。

特別具体的な理想はなく、漠然とした大まかな資金プランと膨らませた夢をもって候補地に行き、 実際にその土地に立ってみて、ここで老後を過ごす自分を想像して見るのですが、全てNO、でした。
50代前半当時から、退職後、運転免許証の返納を決めていましたので、交通の便の悪い所は却下、 少なくとも、歩いて15分以内(1km)に、ある程度の品揃えのスーパーと、30分以内(2km)に総合病院 があるのが最低限の条件でした。

高原は確かに、緑あふれる森と美しい清流に囲まれ、都会の喧騒から離れての晴耕雨読の隠居生活・ 現役のビジネス生活の一時的なバカンスには良いかもしれませんが、50代・60代の退職者の日常的な 生活の場としては、私たちの場合は無理でした。
日本の中のアジアと位置付けた沖縄&八重山や、京都も一時的な滞在は出来ても、此処に住まう自分 のイメージを膨らます事が出来ませんでした。この辺りの詳しい事情は国内移住計画 に書いています。

結局、最終的には元の住いの横須賀線沿線(成田空港へ直通、座って乗り換えなしで行けるのが大きな理由の一つ)鎌倉市内 の自分の決めた条件に合致する場所に落ち着き、かつての候補地は、のんびりと滞在型旅行地と毎年訪れることにしています。

国内旅行は、旅行社各社がリーズナブルな団体PACを多く発売しており、料金は魅力的ですが私たち60代前半の夫婦には無理です。 観光が目的ではなく、海外セミロングステイと同じく、今の何の変哲もないリタイヤ生活のアクセントとしての旅して ゆっくり・のんびりが大前提となります。

旅の商品は、全てフリーのトレイン&ホテル、エァー&ホテルの2泊3日を基本としています。
宿のレベルは年齢と共に変化しています。50代の頃は最低限のビジネスホテルでも良かったのですが、60代に入ると、体力的にも旅先でも ホテルで過ごす時間が多くなり、ある程度ゆったりと過ごせる宿に変化してきています。
今回は、軽井沢プリンスにしました。
プリンス系は色々誤解があると思いますが、一部を除き(高輪・東京・八ヶ岳高原ロッジ等)決して一流・高級ホテルではありません。
東京にお住まいの 方ならご存知でしょうが、品川・新宿かつての赤坂などは、かなり低ランクのビジネス・ファミリー系ホテルです。
軽井沢プリンスも、富良野プリンスと同レベルで、私たちリタイヤ中高年がゆっくりと過ごすのに、可もなく、不可もなく 十分でした。

退職後の経過年数の変化と共に、海外で過ごす時間・回数は確実に減って行き、国内の旅が増えて行くことを念頭において、 退職後の旅・資金計画を立てることをお勧めします。


10/5 団塊の64才、人生これからだと言うのに、病院通い 胆石の疑い?

先週末、前回と同じ腹部の刺し込むような痛みが有り、月曜日に病院に駆けこむと、やはり肝機能の数値が 異常に上がっていました。
素人目に見ても、病状はみぞおちの痛みの後、肝機能障害が来るのですから胆嚢・胆管結石 に間違いないと思うのですが、造影剤CTまでやっても石は見つからず、病院の見解はあくまでも胆石の疑いです。

対処方は、結石を流れやすくする薬の服用と、脂っこいもの、コレステロール分の多い食事を控える、つまり肥満予防と 云う、消極的な策です。肥満? そんな訳はないでしょう、170cm・64.5kで肥満ですか?

現役時代の健康診断の際、医者から、「早期退職を考えているのなら、今から毎日食事に注意して、歩き、体重を落としなさい。でないと 退職後、医者通いで海外ロングステイどころでなくなるよ。」と云われました。

確かに、当時から良く聞く話で、夫婦で退職後の過ごし方・夢を話し合っていたのに、夫は現役時代の不摂生な生活の影響からか、 数年で病院・医者通い。
定年前に思い描いていた生活とは違い、奥さんに濡れ落ち葉的扱いを受けている実例を沢山見聞きしています。

その日から三年間、毎朝夕、東京駅から内幸町までを、皇居前広場から日比谷公園を大回りに廻って、最低20分以上は歩くように努め、70K台の体重を ベスト64K台に落とし、55才の退職を迎えたのでした。

今回の私の場合、団塊世代の同僚と同じように会社に残ったとしても、今年は64才で満期退職。そして、これからと云う矢先に、いつ発作が起きるか解らない 胆石の疑いと、退職後に判明した高い数値の前立腺PSAをかかえていては、今まで目標の為に一生懸命働て来たのは何だったのか?悩むところでしょう。

カミサンは「早く退職して良かったわね。」と云います。
それって、どう云う意味、まるで本当の病人・不治の病みたいではないですか?
ともかく、少し落ち着くまで海外は、英語が通じ、直ぐに飛んで帰って来れる、ハワイ程度にします。

10/13 老前・生前整理?の加速、アルバム写真のデジタル化完了


掲示板にも書かれていましたが、生前整理以前に老前整理が必要であるとの認識で、少しづつ 旅のアルバムの整理を始めたのは、ちょうど昨年の今頃でした。

昔は、海外へ出かける度に、一冊のアルバムを造っていました。
旅先の写真と共に、地図や入場券等の 思い出も一緒に。
このアルバムの完成で一つの旅行の完結と考え、将来自分が歳を取って 海外へ出掛けられなくなった時、陽だまりのベランダで(縁側が理想なのですが)このアルバムを 見る自分を想像していました。

昨年、老前整理を思い立ってこのアルバムの数を数えた所、結婚前の二人のアルバムも含めると、 100冊を超えていました。結婚後二人一緒の海外旅行だけでも80冊以上ありました。

このアルバムをどう処理し、保存するか?
ともかく、プリントされた写真をアルバムから剥がし、スキャナーに取り込んで、デジタル化するしかありません。
スキャンが終了した写真は少しもったいない・名残惜しいのですが、思い切ってシュレッダーで裁断しました。(この目的の為だけに 電動シュレッダーを買いました)。バラしたアルバムの残骸と細かく切り刻まれた写真は、燃やすゴミとして出しました。 (鎌倉ではアルバムは紙類ではなく、燃やすゴミに分類です。)

後はパソコン内にアルバム名のフォルダーを造り、画像ファイル名は整理しやすく通し番号で簡単にして、フォルダーに 放り込みひと先ず完成、後はこのフォルダーを何処に永久保存するかです。
昔は、CDに書き込んでいたのですが、読み込めない・破損したCDが発生した為、外付けHDDに保存しました。 ここまでは、昨年から1年かけて、少しづつ作業し、残されたアルバムは、後20冊程度でした。

作業を加速しなければ!!
今回の二月続けての入院・通院騒動、或いは元会社同僚や義理の兄の死で、21世紀と云えども、霊長類の 64歳は決して若くなく、いつ自分の番になっても不思議ではない、と悟るようになりました。
ともかく、カミサンの負担を軽くせねば、先日亡くなった「流通ジャーナリスト」のように、出来る事は 出来るだけ準備しておこう。

デジタル化した画像写真をどうやって見せるか!
写真好きで、パソコンが扱える人が思いつくアルバム整理は、プリント写真のデジタル化と保存までで、その後 の事を考えている人は少ないです。
残された奥さん・子供たちが、亡き夫・父親を偲んでその画像ファイルフォルダーを開けるチャンスは、精々 一回忌まででしょう。
ましてや、銀行のキャシュカードさえ使えない我が家のカミサンが、パソコンを立ち上げ、外付けHDDを繋げ 写真フォルダーを開き、スライドショーとして見る可能性はほぼ0%です。
機械・パソコン音痴の 誰でもが手軽に、スイッチ一つで、夫の残した写真画像を見れる状況を造って残すのが、妻への愛情(夫の身勝手)と云うもの と、達した結論が、デジタルフォトフレームでした。

二人の思い出の写真を映画フィルムのように時系列に並べて、お気に入りの音楽と共に見てもらい、夫との思い出に浸り涙の一つも・・・・ と云う魂胆です。
出会った頃は二人とも若く、本当に良く写真が残っています。
ここにはBGMとして「かぐや姫の神田川」に登場してもらいましょう。 昭和のあの頃、唄の世界と同じで、二人で東京の下町「根津」の銭湯へ通ったものでした。 二人+両親だけでやった慎ましやかな結婚式の写真のBGMは「良い日旅立ち」か「秋桜」です。

デジタルフォットフレームでしたら、テーマ・年代・旅先毎に保存したUSBメモリーを差し替え、後はリモコンを 押すだけで、残された静止画・動画映像メツセージをみる事が出来ます。
ここで、機械オンチのカミサンでも絶対見る為に少し、工夫しました。 彼女の結婚前の写真類も全てデジタル化し、デジタルフォットフレームの内臓HDに保存しました。これなら見るだろう!!

田舎から上京し、東京で青年期を過ごし、結婚し、働き、郊外に住まいを移し、退職し、これから初老期を迎えようとしている団塊世代は、ほぼ似たり寄ったり の感傷に浸って、今を過ごしているでしょう。

10/25 老前・生前整理(2) さて次は本の整理・処分です


お世話になった本の処分前の記念撮影


私の肝臓・胆嚢は、私が生前整理の為に過去のプリント写真のデジタル化が完了したことを、 見透かしているかのように近頃、益々機嫌が悪く 体調不良の日々が続いています。
来月の、再びの精密検査入院までに、本棚にある書籍関係を処分・整理しようと、再び重たい腰を上げました。 (実際に体が重い・だるいのです。)

・文庫本類は全て、廃棄処分と決断
・ハードブック小説類も全て、廃棄処分(そんなに量はありません)
・デザイン・プログラムらの技術的専門書は、必要分のみを残す
・旅行情報誌・ガイドブック類は2008年度以降は残し、その他はすべて廃棄

問題は、若い頃から読み続けてきたバックパッカーのバイブル的な本・ロングステイや老後の行き方に関する色々な方の著書・世界遺産・文明、 仏教に関する本類の処分です。


残した本は本当に、読み返すだろうか
これらの本は、歳をとって動けなくなった時、自宅の明るい日差しのリビングで、ロッキングチェアーに座り、外に広がる鎌倉の緑を眺めながら、 これらの昔読んだ本を読み返し、思い出に浸ろうか、或いはそれは病室のベッドかも知れないけれど、と思い描いていたのです。

私の理想は、ゴッドファザーの最後のごとく、ロッキングチェアーの上で人知れず亡くなり、気づいた妻が優しく抱きしめてくれ、そしてエンディング ロールがゆっくりとせり上がってきて、ブラックにフェードフウトのちENDのタイトル。そんなシネマのような人生の終わり型。良いですね。
しかし、実際には恐らく、体は沢山のチューブに繋がれ、ベッドに横たわり、最後に網膜に映るのは、病室の天井の合板の縞の形でしょう。 Este es la vida

懐かしき・名残り惜しい本たち
現役時代の忙しい仕事の日々のなか、これらの本を読み、空想・夢見る世界のなかでは自由にアジアの糞尿溢れる裏町を歩き、南米の遺跡行きのボロバスに乗り、 アラブの商人と騙されまいと丁々発止の駆け引きをし、南太平洋の浜辺で夕日を眺めていたのです。
仕事の性質上、比較的自由に長期間のまとまった休暇がとれる環境だった為、これらの夢・ 妄想の90%程度は、実現しました。
(カミサンはその分、何度職場が代わった か知れませんが・・・)、この思い出深い本も処分するか、大いに迷いました。
カミサンは、一度読んだ本は再び読まない、と云うし、恐らく私も手元に置いてもこれらの青春の思いが詰まった本を眺めることはあっても、 再び読み返す事はないだろうと処分する事にしました。そして、思いついたのは、それではお葬式の遺影ではないけれども、思い出として写真に 残そうと、急遽処分用に束ねた本を撮影した次第です。(こんな種類の本を読んでいたのです。)

だんだんと、私の書棚に空きスペースで増えてきました。
この空いたスペースは、既にカミサンの手芸関係の本の予約が入っています。

老前整理・生前処分の関するブログ内リンク
老前整理の1 大量の写真アルバムの処分
老前整理の3 思い出の海外旅行の品々の老前処分
老前整理の4 フィルムカメラ・手紙類の処分


11/02 遺言状あるいはエンディングノートの類、書いてますか?

普通、団塊世代の64才と云えば、定年退職・リタイヤしたてホヤホヤか、数年たった頃で、遺言とか自分の葬式に ついて、改めて書き起こすなんて事は希でしょう。
しかし、子供のいない夫婦というのは意外と大勢のご夫婦が、早い時期から書いているケースが多いのです。
理由の一つが、遺産の相続がお子さんがいらっしゃるご家庭と、いない夫婦ではかなり違う事が原因です。

左図のように、子供いない夫婦の場合、夫名義の遺産の全額は妻に相続されず3/4のみで、後の1/4は、夫方の親族 に相続されます。
実際には私たちの場合、不動産・預貯金の名義は夫婦各々50%にしてあるので1/8になります。さしたる割合ではないのですが、 不動産をも含むため、金額としては無視できない金額です。つまり現住いの評価額の1/8に当る金額+夫名義預貯金・金融資産の1/4 となります。
カミサンにしてみれば、夫婦二人で築き上げた財産の1/8が夫の親族に相続されるのは納得出来ないでしょう。

他にも遺言状を書く理由があります。
頻繁に二人で個人旅行の形態で海外旅行していますと、事故・災害に遭遇する割合は、他の方々と比べるとかなり高確率になります。
中米のジャングル地帯をスレスレの高度で行く単発セスナ機・観光客を喜ばしたいのか、曲芸飛行するギアナ高地のヘリコプター・アジアの夜行寝台列車・クラクションを鳴らしぱなしで行くインド亜大陸 山岳バス・いつ飛んでくるか 解らない国内線を待つマダカスカルの田舎の空港ホテルの夜、湿地帯を猛スピードで突っ走るニカラグアのモーターボートetc....

今思えば、何時、事故が起きても不思議ではない状況でした。
あの時、若し事故が起きていても、個人自由旅行の場合、パスポートが残っていない限りは、現地の日本大使館・領事館のスタッフは私たちが日本人で ある事を証明さえしないでしょうし、日本の親族はかなりの長期間不在であることさえ、知らないでしょう。
そんな理由もあって、私たちは30年前以上から毎年、二人で遺言状を書いていました。
そして、妻の姉だけには、旅先の大まかな日程と連絡が付く住所と、この遺言状の存在を伝えて旅にでていました。
今週、再び遺言状を書きなおしました。
来週、少しリスクが伴う検査入院に伴い、10通にも及ぶ誓約書・承諾書にサインしたからです。
お互いの配偶者が亡くなった時と云う想定があるのと、旅先の事故で二人同時に亡くなった場合が想定されますので、最低でも三通 作成します。
これらの手書き・日付入り・捺印された遺言状がどれだけの法律的に有効かは、知りませんが、自分たちの考え方だけでも 、伝えたいと書いています。
今回から、葬儀に関する件を追加しました。
最小限知らせる方の連絡簿プリントを添えて、簡潔に書きました。これがあれば、もしもの時私の田舎の親族がうるさい事を 云ってきても、カミサンは対応できるでしょう。
他には、インターネット上のサイト・メルアドの削除や、クレジットカード自動引き落としの停止等、カミサンが一番苦手とする 分野の処理マニアルも作成しました。

毎年11月は、翌年の旅行計画の仕込みに入っている時期なのに、今年は体調不良の為、身動きが取れません。 在宅時間が多くなるほど、部屋と自分の身の廻りの整理・整頓が進んで行きます。


11/07 クラブツーリスモのバスツァーでもいいか!! と一瞬考えたが

9月に要望が多く、設置したみんなの情報掲示板が、賑わっています。
若い世代が多く利用するチャット風・書き込み掲示板は沢山あるのですが、このサイトビジターのような50代後半から70代前半にかけて同じ思いを抱く世代の方々が、 自由に発言、書き込める掲示板はなかなか有りませんでした。

ロングステイと定年後の過ごし方が、この掲示板のテーマで、盛り上がっているなかで、最近こんなやりとりがありました。
最近段々と近場でのちょっとした旅行が楽しくなってきております。
と云う書き込みに
確かに。クラブツーリズムのバス旅行でもいいやってしばしば思います。
と云うレスが書かれていました。
無理に背伸びをして、海外ロングステイではなく、家族・友人と身近な旅を楽しむ、それが豊かなリタイヤライフに繋がる、その 通りで、私もこの投稿に、同感!とレスを書こうと思った矢先、「問い合わせメール」を受信しました。

東京都にお住まいの72才の男性からで、来月、御一人で中米グァテマラから、ホンジュラス・サルバドール・ニカラグア・ コスタリカ・パナマ・コロンビアとバスで南下して、最終的にベネズェラ・ギアナ高地へと計画している、私のサイトで 紹介している、ギアナ高地を扱う現地旅行会社に関する問い合わせでした。   その名も「バックパッカーツァー社」と云う文字通り、若者バックパッカー向けの旅行会社です。

若いバックパッカーも緊張するあの中米を、メールによると、ブロークンイングリッシュはOKだが、 スペイン語は全くダメな72才の男性一人で行く。無謀・怖いもの知らずと、思いました。
昔、日テレのやらせ番組「すすめ電波少年南米編」でも、あまりのリスクの多さに、ベネズェラからメキシコまでは、高速長距離バス に無料同乗したことにして、端折ったぐらい、ヤバイ地域です。

私たち夫婦は、この地域を何度かに分けて、最初はパックツァーで、後には二人だけの個人手配・或いは自由旅行の形態で旅して います。スペイン語が何不自由ない、分別のある中年夫婦二人連れでも、サルバドール・ニカラグア・パナマは緊張の連続でした。
大通りから人気の少ない脇道は入らない、大通りでも常に後ろを気を付ける、バスターミナルのトイレは利用しない等、基本的な注意 をしていても、繁華街のど真ん中で、ポケットに手を突っ込まれる有様でした。
パナマシティーのマクドナルドの入口には、マシンガン むき出しのガードマンが立っている、そんなお国柄です。

何度かのメールのやり取りで、この方の旅の経歴をお聞きしたり、 ブログオヤジの世界を拝見して 納得しました。
元々大学山岳部の山男で、58才で大病をした後、その後の人生を自由に生きる為に退職し、1年間かけてアフリカ大陸を旅したり、南米を 何度か、今回のような旅のスタイルで歩いている大ベテランの先輩でした。

大病を克服して、72才現役で、これからあの中南米ルートを通って、山男憧れのギアナ高地、南米の最もディープな場所、ガイアナ・ ブラジル・ベネズェラの三国国境地帯に鎮座する1000mの絶壁を持つ、魔の山「ロマイラ」に挑む、男のロマン・わがままと片付けて良いのか?

振り返って今の私は・・・何と弱気なことか
8月からの、肝炎ウィルス・胆管結石疑惑騒動で、かなり弱気になっていると、自覚はしています。
今週の精密検査の結果次第ですが、クラブツーリズムのバス旅行でもいいやは、もうしばらく は置いておき、予ねてからの夢、南米でただ一つ残っているウユニ塩湖の旅計画を復活をしようと考えています。これが私の最後の わがまま旅行になるかも知れませんが。

年齢を重ねたとは云え、青年は荒野を目指さねば・・・
この記事を傍で読んでいたカミサンは、云いました。男はバカね。
先ずは健康を回復してからの話で、ボリビアは私のお気に入りの国 だから、一緒に行ってあげるけど、ホテルは良い所にしてね。陸路のバス移動ならトイレ付のバスにしてね。
ですと。ホテルはいいけれど、ボリビアでトイレ付高速バスはね?
お願いだから巻スカート持って行って。


11/14 一番知りたいのは退職後の医療費 検査入院四日で幾らかかったか

8月から続いている、肝炎・胆管結石疑惑に終止符を打つために、再び検査入院しました。
自宅から徒歩12分の湘南鎌倉総合病院(徳洲会)は、鎌倉・湘南地域では一番新しく・大きく・最新設備 が整った病院です。これは私の独断かも知れませんが、現代の医療は、ドクターの出身大学・系列・知識よりも 如何に的確な検査機器を使って、データーを集め、解析し、最新の治療をするかにかかっていると思います。

湘南鎌倉Hの医師は、旧国立・都内有名医大の先生は少なく、多くは地方大学医学部出身の優秀な若い先生です。見ていると 昔のシステムと違い、全てIT化、データーの共用化がされ、カルテは常に患者がモニターが見える場所で打ち込み、何時でも 公開請求があれば、見れる状況でした。

今回の検査は、胆管に結石があるかどうかの検査です。
過去2回、造影剤を使ってのCT検査では、発見されなかったものを、今回はERCP(内視鏡的逆行性胆管膵管造影)という 内視鏡を胃経由で十二指腸まで挿入し、十二指腸乳頭部から、細い管を使って胆管と膵管に造影剤を入れ、レントゲン撮影すると 云う、かなり高度なテクニックが必要となる多少リスクがある検査でした。 病室は11階の4人部屋
そして結果は
やはり、予見していた通り、胆石はありませんでした。
ではいったいこれまでの痛みとか、肝機能障害はなんだったのか?石が原因ならば取り除く或いは、胆嚢自体に外科的 処置など出来るのでしょうが・・・・
石ではなく砂状のもので、流れてしまったのかも知れないと、ドクターは云うけど、そんな素人にでも云えること! 原因は何なのか、!誰がこの疑問に応えてくれるのか?

それで、幾らかかったのか!
検査日前に前泊し、検査後に安全を見て二泊、3割負担で合計58,700円でした。
まあ、こんなもんでしょう。しかし、お叱りを受けるのを承知で書きますが、高額医療で後から23,300円戻ってきます。 理由は、私が市民税非課税の低所得者だからです。年に何回も海外旅行して、仕事もせずに遊んでいるのに、 何が市民税非課税の低所得者だと怒られそうですが 、昨年63才の団塊世代の年金だけが収入の世帯は、低所得者になるのです。
来年からは、ある程度の住民税課税はあるでしょうが、今は市民税非課税の低所得者で間違いなく、過去の蓄えで生活している だけです。

再発
土曜日に退院・帰宅して、久しぶりに味のついた食事が食べられるようになり、体調ももほぼ90%に回復した日曜日の夜、 食事直後、再びの悪夢、鳩尾の痛みが襲ってきました。以前の痛みよりは幾らかましなのですが、深夜2時にも痛み再発
翌日、今度は胃カメラで内部を見たのですが、これも異常なし。
来月、再び胆嚢・肝臓・膵臓専門センターにて再入院検査となり、最悪の一年になりそうです。
11月末は、リタイヤ後恒例となっている「紅葉の京都」は予約済みなので、頼むからそれまでは、 暫く大人しくしていてくれ と、自分の体に云い聞かせています。


11/21 ついに携帯電話を持つ事になりました。全然簡単ではないジャン!

不思議に思うでしょうが、現役当時は、 ビルシステムエンジニアであり、リタイヤ後の現在はWebグラマーの端くれである私は これまで生涯を通じて、現代ITの象徴である携帯電話は持った事はありませんでした。

現役時代、大型ビルプロジェクトの建設現場にいたのですから、当然携帯電話は必須アイテムと 考える方が多いのですが、安全衛生教育が行き届いている日本を代表するような建造物を建てる 一流の現場では、携帯電話の現場持ち込みは禁止されていました。
理由は作業員にとって危険だからです。
携帯電話は、相手先の時・所を全く考慮しません。昔でしたら電話する時こんな時間にと遠慮していたのに、 携帯では、平気で電話してしまいます。建設現場では特に、作業する職人さんの環境は危険を伴う事が多く、 時には、携帯が鳴って対応したが為に、事故が起きたこともあります。
職場の事務所環境は大抵、地下2階3階の電波の届かない場所でもあり、現役時代は携帯は必要ありませんでした。
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リタイヤした今、主な生活行動範囲が自宅周辺と、ボランティア活動のNPOセンターであるのと、子供も孫もいない 夫婦二人だけの生活なので、特別携帯電話が なくても、全く不自由も必要性も感じませんでした。
しかし、不自由していたのは講座の受講生や、NPOセンタースタッフで、度々、緊急連絡の為の携帯電話を持つように 薦められてはいましたが、連絡だけでしたら、家の固定電話や、常に持ち歩いているモバイルPCがあり、 敢て、時・所をわきまえずに繋がる携帯を持つ必要はない、と固く信じていました。
先日のTV番組のなかで、大橋巨泉が「タモリも、たけしも、携帯は待たないと云っていたが、どうやら今年持ったようだ」、 「俺は携帯を持たない最後の芸能人になってやる」と云っていました。私も賛成・同感・必要はない。

そんな私が持つことになった理由は
廻りの諸先輩シニアと同じです。私よりもかなり上、70代の方々が持った理由と云うのは、家族・子供たちが 買い与え、持たされたと云うのが一番です。
・外で倒れたらどうするの?
・緊急の時に連絡がつかないと、私たちが困る

我が家も同じ理由です。
今回の体調不良ての入退院の繰り返しのをきっかけに、カミサンが云いだしたのです。 カミサンは銀行のATM操作も 出来ないくらいの機械オンチですから、当然携帯は持っていません。しかし彼女のお付き合い仲間の全員が、 持っていて、少しひけ目を感じていたようで、前々から、私たちもそろそろと云う話は有りました。
そして、今回の騒動で、保険代わりに、最低限の機能の携帯電話を持つ事になったのです。

機種は0円携帯・月の経費は千円台を目指して
恐らくですが、私たち二人が持ったとしても、使うのは家族間(と云っても二人だけですが・・)ひと月に 数回程度ですから、最低限の機能・料金設定・操作の簡単なもの、そして、端末にお金をかけたくないので、 0円携帯にと絞り込みました。

家族間・同じ携帯会社間は無料で、他社間もリーズナブルな料金設定は、CMでもお馴染みの「ウィルコム」でした 、しかし、0円端末はなく一台2万~3万円もします。契約料金も含めると2台で7万円。購入後使い勝手は良いものの 保険代わりに、一時的な7万円の出費と、月々の利用料2台分の3980円は、高すぎます。
結局、月々の利用料は通話・dataパケット通信料に応じて発生するものの、最初の端末代金0円、家族間無料のホワイトプラン のソフトバンクにしました。

シニア向け簡単携帯 でもぜんぜん簡単ではない。
文字も操作ボタンも大きく、初めて携帯を持つシニアに優しい、かんたん携帯が売りなのですが・・・
確かに、全てセットアップしてもらい、携帯通信会社の云う通りに便利なオプションに入り、全てハイハイと答え、使いもしない オプション料金を延々と払い続け、 シニアにありがちな電話だけを使えば簡単かも知れません。
がしかし、プログラマー の端くれとしては、何でも自分が使い易いように、無駄なものを省き、安く使う為にカスタマイズしなくてならない性分 ですから、格闘が始まりした。
慣れ親しんでいるスタンダードキーボードはなく、この小さなスペースに収まる範囲の10ケのボタンのみで、 操作するのは、パソコンユーザーには、苦役です。
一つのファイルを削除するにも、パソコンの ようなエクスプローラ・ツリー構造ディレクトリーもサブメニューもないのですから、ボタンを選択してから、10数回間違わずにルートを辿らないと目的のファンクションに 辿り着かないもどかしさ、イライラ。辞めたハズの煙草に手が伸びそうになります。

一番苛立つのが、文字入力です。
日本語漢字だけでしたら、何とかこの入力手順は許せるのですが、英文・ローマ字・記号混在の入力となると、 この携帯電話は21世紀のものとは思えず、明治初期のタイプライターの方がマシと思うのは、私だけなのでしょうか。
購入して、4日目未だ、私のサイトURLで使用している ~ 読みはチルダの入力方法が解りません。


11/29 定年退職後、こんなに大量の薬を飲むことになると。

以前まで、TV番組のなかでお年寄りが、仕切られたプラスチツクの釣り餌ボツクスのような 薬入れから、何種類の大量の薬を飲む映像を見て、日本の医療はおかしい、老後こんな薬漬けの 老年になりたくないはない、と思ってみていました。

しかし、まさか自分が64才にして毎食後、4種類の薬を飲むようになるとは!

肝機能障害の結末・結論
11月28日、湘南鎌倉総合Hの胆嚢・肝臓・膵臓専門センターで、これまでの経過・データーを、センター長の 肝臓の権威元T大教授の先生に診ていただきました。
結論は、特別、特殊な病気ではなく、よくあるケースの胆管結石症であるというのです。
胆石症とは?引用によると

胆石症は、この胆汁のながれ道に石ができる病気です。
胆嚢の中にできた石を胆嚢結石、胆管にできた石を胆管結石、肝臓の中の胆管にできた石を肝内結石といいます。
石の種類は、成分によってコレステロール系結石と色素結石に分けられます。
日本人の胆石は、古くは色素結石がコレステロール系結石よりも多かったのですが、 近年食生活の欧米化、すなわち脂肪摂取量の増加によって胆石保有率が増加するとともに、コレステロール系結石の割合が増加しています。
日本人の胆石保有率は15%前後(7人に1人)と推定され、一種の国民生活習慣病とも云われるようになってきています。
胆石が胆管を塞ぐと、鳩尾に強烈な痛みが発生し、結果的に肝臓障害である黄疸になりますが、個人差もあります。
私の場合、何回も高度な検査で調べても、胆石が見つからず、他の病気を疑いましたが、それも先生によると、 レアなケースではなく、ごく一般的ケースで、私の場合胆石でも胆砂でもなく、胆泥と推測されるそうです。
胆泥が一時的に胆管に詰ると鳩尾に痛みを感じますが、大きな胆石でしたらその痛みは尋常でないそうです。
治療方針
あまりにも頻繁に胆石発作がある場合や、胆石が認められた場合、外科的手術で破壊したり、胆嚢をとってしまう方法もありますが、 私の場合、胆泥と推測されるので、胆汁を流れやすくするお薬の服用で、十分だそうです。

 結果的に私が一日に飲む薬は四種類になってしまいました。
  1,血圧上昇を抑える薬
  2,痛風を予防する薬
  3,逆流性食道炎を改善する薬
  4,胆石を出来にくくする薬
調剤薬局のオバチャン薬剤師に云われました。
   「中高年が飲む典型的なお薬ね、お大事に」

ともあれ、年内は大人しくしていて、年明けからは再び海外に出られそうです。
とりあえず、ハワイ程度なら大丈夫でしょう。


12/7 定年後の恒例行事 秋の京都、今年の紅葉はかなり早かった。

秋の京都へ行ってきました。
胆石の不安は少しありますが、数か月ぶりに二人で旅に出ました。
最近の体調不良で今年の夏に予定していた北海道函館と、11月のバンコクをキャンセルし、一泊二日程度の軽井沢トリップ程度しか行かなかった ので、カミサンの持病「つまんない病」が悪化していたのです。

退職後、終の棲家探しの一環として、秋の京都を旅するようになりました。
京都の終の棲家探しはとうに諦めていましたが、五年前に初めて訪れた秋の京都の紅葉の美しさは圧巻でした。
私たちが住まう鎌倉も、関東首都圏では緑あふれる街並みの観光都市ですが、海に近い温暖な気候のせいか、紅葉はそれほどではありません。
さすが京都は千年の都、こんなに紅葉が身近な街中で楽しめる大都市があるとは。

京都へは「トレイン・ホテル」2泊3日パックを毎年、9月末に予約しています。
最初の頃は、新幹線新横浜乗車のひかり指定席・宿は八条口の大型ホテルにしていましたが、ここ数年は新幹線小田原乗車のこだま自由席、宿は 京都の繁華街、四条河原町のある程度のレベルのシティホテルにしています。

鎌倉から新横浜間は行きも帰りも、通勤時刻帯で混む電車に乗り、横浜・東神奈川と二駅乗り換えなくてはならないのに比べ、小田原方面は 逆方向にあたる為、乗り換えなしでゆっくりと座って行けるのと、新幹線特急券もかなり安くなります。
一番大きなメリットは、自由席なので行きも帰りも、その日の自分たちペース・スケジュールで列車の時間を選べることです。 こだまの自由席が満席になることは、お正月などの場合以外まずないでしょう。
デメリットは時間がかかる事です。各駅停車は良いのですが、駅に停車する度に後続の「のぞみ」・「ひかり」に追い越され5分停車するのです。 小田原・京都間、2時間55分かかります。
費用は新幹線こだまとシティホテル二泊で二人で5万円を切る金額です。ここに市内の移動費・観光入場料・食事代 等を入れると、海外とさしては変わらぬ金額になります。

今年の京都の紅葉は遅れていると聞いていたのですが・・・
例年、「トレイン・ホテル」パックの値段のピークは、11月第三週から12月の第一週の日曜日です。 私たちは、値段が少し下がる、12月第一日曜日からの3日間をいつも選んでおり、十分秋の京都を楽しんできたのですが、今年はほぼ全滅でした。

一大紅葉観光名所てある、東山周辺の東福寺・清水寺・南禅寺・永観堂・哲学の道はほぼ終わっていました。
私たちは、紅葉を求めて、洛北の名所大徳寺の高桐院・光悦寺・源光庵や、郊外の醍醐寺・随身院・勧修寺 などを巡ってきました。スライドショーをご覧ください。


京都を旅するなら、団体PAC旅行は絶対に避けなくてはいけません。夫婦二人の思い出を共用する旅ですから、 来年からは予算を少しUPして、紅葉ピークシーズンに合わせて行くことにしましょう。
続く・・・


12/21 今年最後のプチ旅行 都内一泊、東京スカイツリーを見に行く









今年は、夏からの体調不良もあって、海外へはハワイの2回とミャンマーと台北の計4回でした。
年末が押し詰まってきた12月第3週、今年の旅行予算が余り、来年の海外旅行へ繰り越すには金額が中途半端 なので、少しプチ贅沢をすることにしました。

先週放映された、都内のイルミネーションの名所巡りTV番組を見て、過去、建設途中に見に行った「東京スカイツリー」 のライトアップを見に行こうと云うことになりました。
自宅の鎌倉から、東京スカイツリーのある浅草までは、電車で乗換一回、所要時間1時間、片道900円の距離ですから、 スカイツリーのライトアップを見て帰宅しても、十分夜10時頃には戻れるのですが、ここはプチ贅沢をして、東京 スカイツリーのビューポイントとして名高い「浅草ビューホテル」のスカイツリービュールームにゆっくりと宿泊して、 夜景・日の出の東京スカイツリーの姿を楽しもうと云う計画を立てました。

都内のシティーホテルの予約
首都圏に住んでいると、深夜作業や徹夜明けでビジネスホテルに泊まる事はあっても、 家族と都内のシティーホテルに泊まる事は考えた事もありませでした。
海外のホテルの値段は、経験値で解っており、何時・何処のサイトで予約すれば安いかも知っているのですが、都内の シティーホテルの予約は初めてです、宿泊費の相場も初めての経験です。

今回、噂に聞いていた一休.comを覗いてみました。
「浅草ビューホテル」はシティーホテルと云っても星は3つ半の、どちらかと云うと古いホテルです、しかし、近年東京スカイツリー効果で 人気上昇中で、調べてみると一部屋二人で、9,800から31,000と、思ったよりもリーズナブルでもあるし、そして、思ったよりも高かったです。
9,800は、二連泊・シテイービューのお部屋が条件の一泊分と解り、平日でスカイツリービュー・ツインの最安値が、水曜日のみ、15,000円と 判明しました。
ホノルルの定宿「アンバサダーホテル」の約二倍の値段です。しかし、今回はプチ贅沢、最近の入院騒動でカミサンに迷惑をかけて いるし、クリスマスプレゼントのつもりで、普段、絶対につけない朝食ブッフェまで付けて、17,000円。
一休.comの獲得ポイント340ptをその場でクレジット決済すると、16,660円です。
問題は、水曜日がもっとも安いと解っても、その日のお天気がどうかです。
国内旅行で良く利用する、新幹線と抱き合わせのホテル・トレインパックは安いのですが、お天気の補償はなく、前回の京都の ように、紅葉が終わっていたとか、出発日にはもう雨が降るのが解っていても、出掛けざるを得ないのですが、今回のように、 湘南から都内の場合、天気予報を確認して行く事が出来ます。
1週間前から、天気予報をチェックして、12月19日水曜日が晴れと確認した所で、前日の夜に予約入れて取れました。

当日はピーカン、絶好のスカイツリー観光日和り
東京スカイツリー開業当時、入場券は日にち指定の予約のみ、と云われていましたが、今は当日券でも入場出来ます。
この日は、展望台までの待ち時間は40分~50分、一度券を購入すると、そのままエレベーターで350mの展望デッキに 直行しなくてはならないので、夕景・夜景が目的の私たちは、それまでの間、隣接商業施設「ソラマチ」で食事・買い物を して、2時半に並び始め、3時半には350mの展望デッキ(2000円)に到着し、そのまま450mの展望回廊(1000円)に並び、15分後に、 最終目的地に到達しました。
眺めは良いのですが・・・・、東京スカイツリーの東側は、江東区・千葉側で見るものがなく、人々は新宿・東京タワー・富士山が 見える、西側に集中し、大混雑でした。入場券には、滞在時間の制限がありませんので特に今回の夕景・夜景が目的でしたら、 かなり早めに登って、撮影箇所を確保しなければなりません。

浅草ビューホテルからは絶景が楽しめます。
スカイツリーからは、都営地下鉄で浅草まで戻り、撮影ポイントの一つである吾妻橋から、アサヒビールのウンコと一緒に撮影し、 浅草ロックの先の浅草ビューホテルに歩いて戻りました。
今回のお部屋は、14階、1409号室、スカイツリービューのお墨付きです。
お部屋からは、浅草寺越しに遮るものなしに絶景がみえます。遠く葛西臨海公園の観覧車や、東京ディズニーランドの花火が 微かに見えました。
夜景も綺麗でしたが、期待もしていなかった日の出の風景が圧巻でした。
今回、何時もよりほんの少し贅沢した価値がありました。

朝食も合格点
日本のホテルの朝食は期待していないのですが、 失礼ながら、浅草ビューホテルとは思えない充実した内容でびっくり、朝食会場の26階「武蔵」(634)からは、東側に東京スカイツリーが眺められ、 西側には、富士山・新宿の高層ビル群が眺められる椅子の配置になっており、ホテル宿泊客以外でも食べられます。
20階には、宿泊客に限りますが、シテイービュー側の客室に泊まられている人たちが、自由に出入りできる、東京スカイツリー展望室が ありました。

今年の旅行はこれで終い
今年最後のプチ贅沢も終わり、体調も回復してきたので、来年のミドルステイ・秘境・国内旅行をそろそろ開始しても大丈夫かな


12/25 歳をとるとだんだんと涙腺が緩んでくる

掲示板に同じ団塊世代の方の、「70代のニューミュージックを聞いて、思わず涙がこぼれた、歳をとったせいか」 と云う記事が投稿されていました。
私も同じ番組を見て、外国人が日本語の歌詞を理解して、あんなに感情豊かに、浪々と謳うのに思わず感動の涙を流しました。 恐らくですが、若い頃にはなかった事です。 私も、中島みゆきの「時代」を聞いて、あの歌が流行っていた、文字通りの時代を思い出していました。
私の涙腺は、これらのニューミュージックの他に、必ず反応してしまうジャンルの音楽があります。
60年代末から70年代半ばまで滞在していた、アルゼンチン・ブェノスアイレス時代 を鮮明に蘇る音楽は、アルゼンチンタンゴとフォルクローレです。

ブェノスアイレスは、他の南米の都市と違って一種独特の雰囲気を持つ町です。完全にヨーロッパ調の何処か 頽廃感が漂う大都市です。
この町で20才から26才までの青春時代を過ごしました。
ミュージカル「エビータ」の夫ペロン元大統領が現存していた時代です。タンゴの名曲「淡き光」に描かれている Corrientes348が日常の生活の場にありました。

二十歳代そこそこの私は、朝まで遊んで外に出ると、昨夜降った雨でブエノスアイレス名物のジャカランダの紫の 花が石畳の道路にいっぱいに散っており、今、自分は南米のパリで生きているのだ、と云う実感を感じた事を、この 曲・バンドネオンの調べを聞く度に思い出されます。

アルゼンチンタンゴと共に、私の涙腺を刺激するのが、フォルクローレです。 南米のフォルクローレとして有名なのは、アンデス地方の「コンドルは行く」や「カルナバル」でしょうが、 アルゼンチンフォルクローレは全くジャンルの違ったもので、日本の民謡・ポルトガルのファドに近い、泥臭い アルゼンチン演歌?・浪曲です。
日本で一番有名なのは、神様アタワルパ・ユパンキが歌うトゥクマンの月です。
ユパンキの公演は行ったことが有りませんが、唄の舞台、アルゼンチンの北部トゥクマンで、地元の風景を 観ながら、この曲を聞いたことが有ります。

来年高齢者の仲間入りをする団塊世代は、昔の青春時代の曲CDを聞いて懐かしがり、涙を流しているのか?と云うとそうでも ありません。確証はないのですが、まだまだ未来ある人生は続くのです。


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