湘南・鎌倉から リタイヤ14年目BLOG15

日々感じる事・出来事、そして年齢を重ねていく 団塊オジサンの独り言を綴っています



6/30 大手旅行会社のホテル・トレインパックは本当に安いのか

鬼怒川温泉Aクラスホテル二泊(食事付)+往復特急指定席込み24,000円の検証
海外を卒業し、国内の温泉を中心とした旅行にシフトするようなってから、阪急交通社を利用する機会が増えました。
海外は個人手配が中心だったのですが、国内のホテル料金の高さに戸惑い、宿+交通機関のセットパックのほうが、 大分安いので、最近はもっぱら旅行会社から毎月送られてくる情報誌を読み漁るようになりました。

安さ・手軽さから云えば「団体パック旅行」のほうが断然安い!
のは、重々承知していますが、時間の制約が一番煩わしいと考える私たちは、飛びっきり・極端な、お得価格の場合は 考えますが、通常は個人・フリーの「宿+交通機関のセットパック」を利用しています。
これまで一番利用回数の多いのが、JR東海ツアーズ阪急交通社です。

JR東海ツアーズの良さは、何といっても新幹線と良質な宿の組み合わせの安さです。
私たち湘南エリアに住む人間は、小田原からのこだまが一番使い易く、京都までの総合的な乗車時間は「のぞみ」 と比べて30~45分ほど長くなるだけですし、普通自由席に確実に座れますので、座席指定による時間制約制限もなくなり 旅の日程・お天気・体調に合わせて、普通の電車同様に使える便利さと、JR東海ツアーズの扱う宿は極端に安いのはありませんが、60代シニア夫婦をがっかりさせる ような宿はありません。

一方の阪急交通社の良さは、驚くべき価格の安さです。
海外団体旅行においては、阪急は安かろう・悪かろう・慌しかろうの代名詞的時代を知っていましたが、国内にシフトして から、送られてくる国内旅行の情報誌にはびっくりしました。
赤倉温泉二泊三日・夕食/朝食付き・新幹線長野往復・長野駅/ホテル間送迎付き=一人20,000円也です。
単純に個人で手配すると交通費は往復18,300円です。残りの宿代は1,700円しか残りません。
この旅行に関しましては ブログ4 定年後国内旅行赤倉温泉に詳しく 書いていますので、ご覧ください。

現在2017年の阪急フリー個人旅行形態は、当時よりもかなり変化して、駅での団体集合はなく自宅に交通機関の 引き替えチケットを送ってくるようになっています。
格安フリーパックの問題点は足の時間帯です。
今回の鬼怒川温泉の場合、足は浅草・鬼怒川温泉駅間、東武特急指定席が付いているのですが、行きは浅草発 13:30、鬼怒川温泉着15:31分、帰りは13:08発・浅草着15:15と、如何にも中途半端時間で、 一日目と三日目は移動のみとなり観光には使えません。
そして、普通 大手の「宿+足パック」の場合、割り増し料金で時間帯が選べるケースが多いのですが、阪急の個人フリーセットは 団体パック用に安く・大量仕入れした自社企画券を個人フリー向けにバラ売りする為、時間帯は選べないのです。
阪急の2泊3日セットは安いのですが、実質自由に動けるのは、二日目だけなのです。

その二日目、天気予報では大雨の予報
今回の鬼怒川温泉ホテル二泊三日の二日目は40年ぶりに日光に行くと決めていました。
しかし、太平洋上にあった梅雨前線は私たちの旅行予定の二日目から北上し、本格的な梅雨に入るのは確定的となり、 一日目・三日目は中途半端な時間での移動日、自由に使える二日目は確実に雨となり、 旅行自体の キャンセルも考えましたが、前日ですと払い込み料金の40%にもなります。
そこで、一日目は100%の晴れなので、阪急の企画チケットの浅草・鬼怒川間を捨てて、自力で 早朝鎌倉をでて、9時台に東武日光に到着するルートと料金を前日ネット検索してみました。

私鉄だから足代は思ったよりも安い
浅草から鬼怒川温泉まで東武特急指定席で往復5,000円です。
すると、2泊3日総額24,000のうち宿代は19,000円、一泊8,500円となり、思っていたよりは、劇的には安くはないのです。
ちなみに、ネットで個人レベルでのこのホテルのスペシャルday料金を見ると一泊8,600円ですから、別に 阪急の時間的に不便なホテル+足パックを使わずとも、自分の時間に合わせたプランで、さほど変わらない 価格設定が出来ることが解りました。

JRは湘南新宿ラインと東京/上野ラインで直通運転を開始しましたので、神奈川県民は移動で都内山の手線の乗換 をせずに、埼玉・栃木・群馬方面に行くことが可能になり、大船から東武日光まで3時間・2,900円で行けるのが 今回のケースで判明し、早朝6時の東京/上野ライン「快速ラビット宇都宮行き」に乗り、特急列車を一切 使わずとも、3時間で東武日光駅に到着しました。

一日目 私は滝マニアなんです。
日光は結婚前の初めての旅行で来た、思い出の地です。 今回は一応、定番の東照宮のリニュウアルされた陽明門は見ましたが、目的は日光三大瀑布です。
現役時代に三度、南米のイグアスの滝を訪れてからと云うものの、滝の持つパワーに圧倒されて以来、 世界の滝に魅せられてきました。
北米のナイヤガラ/ギアナ高地のエンジェルフォール/インドシナ 半島メコン川のコーンの滝/ラオスのクアンシーの滝/ベトナムのバンゾック滝等々
各地で日本では知られていない名もなき滝があれば、必ず訪れてきました。
69才の今となって心残りなのは、一度計画したアフリカ・ジンバブエのビクトリアの滝へ行けなかった ことです。
今、この体力・気力では、かの地に個人・フリーで行く余力は残っていません。かと言って 今更、高いお金を払って、団体パック旅行で連れて行ってもらうのは、しゃくですし。
今回は、定番の「華厳の滝」と「龍頭の滝」・奥日光の「湯滝」を楽しんできました。
お勧めは 湯ノ湖から流れ出る姿全体が見渡せる「湯滝」です。東武日光からバスで70分、往復3,400円のバス代 は痛いですが、「吹き割の滝」・「袋田の滝」と並ぶ、滝マニアの聖地です。
今だから云える提言
ビクトリアの滝に行ってないのが、今でも悔やまれています。
行きたい時、行ける時に行くべきだったのです。

二日目は予報通り大雨で温泉ホテルに缶詰です。
鬼怒川温泉郷は初めてです。
文字通り、鬼怒川渓谷を挟んだ両側に沢山の大きな温泉ホテル・旅館が連なる、バブル期には 大賑わいに栄えた温泉街だったのでしょう。が、今は日本全国の温泉街と同様、社内旅行や団体旅行 の減少で外観の汚れた、閉鎖されたままのホテルが目立っていました。
今回の宿「鬼怒川プラザホテル」は温泉街の中ほどにある、大型(阪急のホテル算定レベルAクラス) の温泉ホテルです。外観はかなり痛んでいるものの、お部屋は昨年リニューアルしデザイナールーム のようですし、窓から見える景色は、阪急のフリーパックの値段とは思えない、鬼怒川渓谷を一望 出来る良いお部屋で、大満足で、二日目の雨の一日、何とか過ごすことが出来ました。

この年齢になり、色々な評判の良いホテル・旅館に泊まるようになって
退職して15年近くなり、旅のスタイル・宿も若い頃とはかなり違ってきています。昔は泊まるだけの宿 でしたが、ここ数年「おもてなし」のワードが流行り、私たち自身もそれ相応の年齢になって来たのでしよう 、少しランクの上の宿・ホテルを選ぶようになって来ています。

ここ数年泊まった宿で、もう一度泊まってみたいと思った宿はやはり、星野リゾート系 の宿です。お部屋・お風呂・食事・スタッフどれを取っても、ほぼ満点です。
阪急がAクラスとした今回の宿「鬼怒川プラザホテル」はどうか?
お部屋と景観は合格Aクラスです。
しかし、お風呂は一つしかなく、男女の入れ替えもなし、夕食・朝食のブッフェは平均的な大型温泉ホテルより 悪く、50点以下、2日目の部屋食は30点(もう数さえ出せば良いという時代ではない)、スタッフサービスは総合40点、 もう一度泊まりたいとは思いません。

三日目 今市杉並木公園へ
ホテルのチェックアウト時間は10時です、帰りの特急指定券は13時08分ですから、ホテルを出た後、3時間も あり、旅行企画会社としては、この3時間で近くのテーマパークである「日光江戸村」・「東武ワールドスクェア」 に行って欲しいのでしょうが、旅慣れたシニア夫婦は、そんな偽物施設に2,500~4,700円もする入場料は払いません。
鬼怒川温泉駅乗車の特急指定席を、次の特急停車駅「下今市」で乗車可能かどうか、確認の上、私たちは早めに宿を払い 昔の日光街道・例幣使街道の杉並木の上今市に行くことにし、帰りの特急発車時刻13:35まで、このあたりでのんびり過ごすことにしました。

日光街道は会津に繋がっている。
今回、東武鉄道で下今市から鬼怒川線に乗ってみて、初めてこの鉄道が南会津の大内宿を通って、会津若松まで 繋がっているのを知りました。
例幣使街道の杉並木旧道と、上今市駅に隣接されている「杉並木公園」を散策して帰路につきました。自宅まで3時間 強、日光って意外と近いんだ、と実感した、今回の旅でした。


6/23 私が逝った後のカミサンの年金は幾らなのか?

貴方が逝った後、私はやっていけるかしら?
この疑問は、リタイヤ資金計画を作っている時から考慮していましたが、40代ではまだ先の話でして、 世の中で云われている位の資金を残しておけば、まあ大丈夫程度でしたが、リタイヤして実際に60才で年金を 受取りはじめ、カミサンが満額年金を受け取る年齢になって、初めておおその数字は弾き出しました。が、 そろそろ古稀を意識しだし、実家の兄弟の病気を知るようになると、正式に計算して もらわねばと、社会保険事務所に行ってきました。

遺族年金の計算方法
一般的な給与所得者の年金は、右図のように、国民基礎年金と厚生年金保険が二階建てになっています。
官公庁や教職員或いは大企業の場合、三階部分として、共済年金や企業年金あるいは組合による、 厚生年金基金が上乗せされます。


現在、日本の一般的な給与所得者の平均的な所帯の年金は年額250万円から280万円と云う統計資料 があり、凡そ下記のような年金構成です。
 

夫が亡くなったら、妻に引き継がれる遺族年金の計算は

 

計算式は複雑で、妻の年齢などによって違いますが
1,夫の基礎年金は引き継がれず、消滅する。
2,遺族年金は二階建て部分の3/4の金額
3,3/4の金額から、妻の二階建て部分を引いた額が寡婦遺族年金となる。
4,妻の二階建て部分が、夫の3/4を超えている場合は、引き継げない。
5,妻の生まれた年月日により、寡婦加算が付け加える場合がある。年額凡そ12万円

上記金額は、日本の平均的な年金シニア世帯(年間年金収入250万)から弾かれた数字を元にしています。
当然ながら、上には上がいますし、下を見ればキリが有りません。
女性の平均寿命がどんどんと長くなり、90才は当たり前になっている世の中、妻が貰えるだろう、年金金額 を把握しておくことは、年金シニアライフにとって必須項目です。
年間、150万の年金でやっていけるハズはありません。
夫の逝った後、子供たちに迷惑をかけずに、多少ゆとりある生活をするためには最低でも年間250万とすると、 毎年100万の預貯金の取り崩しが必要となります。
夫が亡くなった後、20年一人暮らしをするとして、最低2,000万を確保しておく必要がある、と云う結論に 達しています。


日本の平均的な年金の根拠データー
リアリティのある数字 参考DATA
画像化した、平均的な国民基礎年金・厚生年金の金額が少ないのでは、と思うでしょうが、実際の数字は物語って います。
国民年金 単身者        55,244円
国民年金 夫婦        110,488円
厚生年金 単身者        145,305円
厚生年金(夫)+国民年金(妻)  221,364円
厚生年金 夫婦共稼ぎ      268,251円~290,610円

社会保険事務所は混んでいました。
退職直前・直後、何度も藤沢の社会保険事務所(現在の日本年金機構)へ行ってましたので、混むことは解っていました。 しかし、今回は遺族年金の計算なので、簡単に済む、と気軽に9時過ぎに出かけました。
受付で要件を伝えると、現在予約制になっており、予約優先ですから、当日受付の方はかなりお待たせします、と 云われましたが、内容が簡単ですし、7人待ちとのこと、一時間待てば良いぐらいに考えて待つことにしました。
待合室の案内表示の「一般年金相談」は7人待ち、待ち時間は35分と表示されています。7人で35分はないでしょうが、 倍の一時間は待つ覚悟をして待合室でTVを見ていました。

廻りは私と同じ年代だったり、少し若いオバサンが多かったり。
受付時間のシートには9時38分と印字されていますが、10時40分になっても、「一般年金相談」は7人待ちのまま、 やがて、11時を過ぎてから動きがあり、私の番号が呼ばれたのは、2時間ジャスト11時40分でした。
対応してくれたのは、若い女性職員で、テキパキと処理して10分でデーターを打ち出してくれました。
私が、自分で年金機構のホームページである程度の計算をしていた数字と、職員が打ち出してきた数字は、 寡婦加算の11万円の違いだけだったのと、書類を完璧に準備してあったことが早く済んだ要因です。

社会保険事務所へ行く時は
1,出来るだけ予約する。日本年金機構相談窓口
2,用意するもの;
■ 身分証明書
■ 自分の年金番号が解る書類
■ 妻の年金番号が解る書類
3,妻が夫の亡くなった時の遺族年金を調べることは出来ません。出来るだけ二人一緒に いくことをお勧めいたします。

さあ、これで終活のひとつはクリアしたぞ。


6/16 我がファミリーはがん家系ではないと思っていましたが

今回の帰省のもう一つの目的は
五月末の中学校の同級会の日程が決まった頃、実家の兄に前泊の連絡を入れると、実は、5月に手術で入院すると云います。
「何の手術?」と云うと「前立腺全摘」「ダビンチでやるから大したことないよ」と云われびっくりしました。
続いて、再びびっくりの言葉です。
双子のもう一人の兄も、同級会の日に大腸がんの手術をすると云うではありませんか。
四人兄弟の長女の姉も前から「リンパ系の腫瘍」と云うことを聞いていました。

我が家は、血圧系はあるけど、がん系はないと思っていたのに
父親は71才で、腹部動脈瘤破裂で二日で亡くなりました。
母は85才、寒い冬の朝、トイレで倒れているのを発見され、一週間で亡くなりました。
母方・父方の親戚も血圧が高いのが原因と思われる病気で亡くなったと、聞いています。
医学的には、体質の問題ではなく、同じ屋根の下の食生活や生活習慣が原因と云われています。
特に寒い信州の塩分の濃い食事と、喫煙が原因(両親・姉を除く三人兄弟共に喫煙習慣がありました)なのでしょうが、 やはり、かなり意識して育ってきました。

上の三人ともにガンと云うことは!
親族にがんになる人が多いと、「うちはがん家系だからがんにかかる可能性が高い」、 「がん家系だから、がん保険に入っておかなきゃ」ということをよく聞きます。
がん家系と聞くと「=将来がんになる」というイメージを持つ人が多いと思いますが、 果たして本当にがん家系の人は一般の人よりがんになりやすいのでしょうか。
医学的結論からいいますと、遺伝性のがんはかなりレアなケースのようです。
なぜならがんにつながる遺伝子の変化は後天的なものだからです。
がんは生まれてから何十年もの間にさまざまな要因を積み重ねっていた結果、 遺伝子が傷つくことで引き起こされる病気のようです。

とは云っても、実際にがん家系は存在します。
私の友人(団塊世代)がそうです。
父親と男三人と女性一人の四人兄弟、現在生きているのは、末っ子の六十代の男性だけ、父親を含めた 四人全て、三十代・四十代でがんで亡くなっています。
今現代の医療事情なら、助かっているかも知れませんが、亡くなった友人は、常々自分の家族のがん家系 であると云うことを認識して、早め早めの検診をしていましたが、三回の手術のち40才で亡くなりました。

上三人の兄姉に詳しく話を聞いてみました。
前立腺がんの次男(72才)の場合
これまで、血圧高め、糖尿の気が少しありました。
PSA検査(前立腺腫瘍マーカー検査)は一度も受けたことがなく、今年2月に初めて受けたところ、値は11(基準値は4) で、直ぐに生検をしたところ、三か所にステージ1のがんが検出され、骨への転移を調べたところ、転移はなく、 ドクターの勧めで、ダビンチによる全摘手術となった、そうです。
噂に聞くロボットダビンチ手術の後を見せてもらうと、良く見ないと解らないほどの傷跡です。が、意外と手術 難航したそうです。この日初めて知ったのですが、兄も鼠径ヘルニアの手術を受けており、その補強メッシュが 今回の前立腺全摘の障害になり、予定よりも時間がかかったと、話していました。

手術支援ロボット「da Vinci Surgical System(通称:ダビンチ)」 を使う手術の保険適用対象は、従来は前立腺がんだけでしたが、2016年に腎臓がんにも 適用されることになりました。

【ダビンチ特色1】 患者の身体的負担を軽減できる。
「ダ・ヴィンチ」を使用する手術では腹部に鉗子を挿入する小さな穴を4~5か所開けるだけで、 手術痕はほとんど目立たず。また、腹部を大きく開かないため、手術による出血が少なく、 術後に感染症を引き起こすリスクを減らすことができる。
創口が小さい上に痛みが少なく、回復も早いため、入院期間を短縮し元の生活への早い復帰が可能。
【特色2】 より安全で確実な手術が可能となる。
【特色3】 医師への肉体的負担の軽減

まだ仕事をしている兄は、手術して12日後から働き始めていました。
何にも障害や後遺症・痛みはないの?と聞くと、「尿漏れ」が半端ではなく、まだまだ尿袋を携帯している とのことで、水芭蕉の撮影に同行した時も、止まる度にトイレに駆け込んでいました。・・・でも転移がないのだから 良かったじゃない。ところで入院費用は幾らぐらい、と聞くと、自己負担で10万ぐらい。でもがん保険に2つ 入っていたから、かなり小遣いが増えた、と云っていました。
私は医療保険には入っていません。
手術にしろ、ガンにしろ今の日本の医療体制では、年金シニアに限って言えば、一時的に出て行くお金さえ 確保しておけば、生活に困窮したり、その後リタイヤライフの大幅見直しを迫られるほどの負担はありません。 但し、現役・子育て世帯では、医療費以外の出費や収入減がありますので、政府系以外の自己防衛手段は必須 だと思います。

姉(73才)は血液系のがん?
昨年、帰省した時に、寡婦となった姉の家に寄りました。いつも明るい姉が沈んだ様子なので聞くと、「来週結果が 出るのだけど、悪性のリンパ腫のよう・・・どうやら血液系のガンみたい」と云うではありませんか。
それ以上聞くのを躊躇われる雰囲気でしたから、今回の帰省まで、何も知らされませんでした。
姉は明るい表情をしていました。
詳しく話を聞くと病名はMALTリンパ腫
胃のピロリ菌が粘液に感染し、リンパ節に転移した時に悪性化するのだそうですが、ピロリ菌を 飲み薬で除菌することにより、ガン化する確率はゼロに近づくそうで、この除菌に成功した と、話していました。
ヤレヤレ、我がファミリーのがん家系リスクは、少し減ったようです。

双子の長兄は大腸がん?
中学の同級会が開かれる日、長兄の手術日と云うことなので、前日の夕方、病院にお見舞いに 行きました。
これまで、何人もの知人・友人が若くして大腸がんで逝くのを見てきました。
病室で詳しく話を聞くと、大腸がんではなく、虫垂ガンだそうです。しかも、転移はない とのこと。それなら大丈夫、と安心して帰りました。
翌日、実家の次男の兄に聞くと、手術は中止。
長兄は、高校卒業後東京に出て、学生運動・労働運動に参加し、仕事も住所も転々とし40代半ばに 帰郷して以来ずっと一人暮らしをして現在に至っています。
一人暮らしの食生活から、糖尿を患い、現在人工透析一歩手前の腎臓病の状態です。他の兄弟3人とは 違い、経済的にも苦しい様子で、今度は虫垂ガンとは、それでも転移はないのだから、思っていましたら、 手術日当日、急性肺炎と診断され、手術は当分延期となったと聞かされました。

父と母が逝ってから、もう何年たったでしょう。
残された、四人兄弟は姉73才、双子の兄二人72才、末っ子の私は69才、来年古稀を迎えます。
まるで日本の戦後の縮図・歴史・現在の日本が抱える問題を全てトレース・反映しているファミリーだと 、まるで他人の目で眺めている自分がいます。


6/9 家族はつらいよ2を見てきました。

シニア高齢者にとってこの映画は喜劇ではありません。
この映画は山田洋次監督が四年前の2013年に、小津安二郎の『東京物語』を リメイクした『東京家族』に連なる三作品目の映画です。
2016年『東京家族』と全く同じキャスト・俳優で造った『家族はつらいよ』の続編的なもので、 一作目がある程度ヒットすると、二作目以降は作品のパワーが少しずつ落ちていくのが世の常で、あの黒澤明監督の 晩年の作品は、見ていて哀れに感じる出来栄えと、世の中のズレを感じたものですが、この「家族はつらいよ2」は 自分たち高齢者と呼ばれる世代をテーマにしているせいか、山田洋次86歳にしても流石と云える出来栄えになっていました。
本作品で設定されているテーマは、前半部分が「高齢者の免許返納問題」、 後半が「無縁社会」「下流老人」といった、高齢者をめぐる最新の時事・社会問題で、明るい暖色系のポスターの 色使いのわりには、シリアスなテーマを扱っており、最後には先週の同級会に一度も出席していない、 中学校時代の旧友の顔が思い浮かび、少し泣けました。

前半の高齢者の免許返納問題
物語前半で、自損事故を繰り返す主人公周造(橋爪功実年齢75才)は、家族全員から「免許返納」 を執拗に迫られますが、周造は頑なにそれを拒否し続けます。
周造にとって免許を取り上げられることは、自らの自由が奪われることにも等しいでしょう。 特に、今の団塊世代以上の男性にとっては、自分の車「自家用車」を持つことは憧れであった時代を経験 していますし、車はある意味「自由」の象徴なのです。
車がなくなったら、ゴルフや友人とのレジャーはどうするのか?
足腰がそれほど強くない75才シニアにとって、郊外の自宅から最寄り駅まで徒歩で往復するのは 良い運動になるのでしょうが、他人の目から「良い運動・ウォーキング」 と見られるのは75歳にしても、抵抗感があるのでしょう。

この映画の三世代家族の住むエリア設定は、横浜市青葉区美しが丘です。
最寄り駅は東急田園都市線「たまプラーザ」です。

かつてのバブル期、TVのトレンディードラマの舞台設定となった地域です。 地方出身の優秀な青年が、東京の大学を出て大会社に就職し、時代と共に頑張ってきたサラリーマンが手に入れた 象徴的住まい環境は、田園調布や湘南鵠沼でもなく、大手ディペロッパにより開発された坂道の上のひな壇住宅 地、ステータスシンボル的な街なのです。

現役時代は、駅までの送り迎えは奥さんがしてくれ、土曜日曜はゴルフだ、釣りだと自分で車を運転していたでしよう。 買い物は駅前のショッピングモール、車で10~15分程度。住宅街は住民協定によりコンビニも自販機もありませんが、 車さえあれば、何不自由暮らしていけます。

車さえあれば・・・・
買い物・医療難民と云う言葉は、地方・過疎の町だけでは有りません。
都会の大規模開発されてた山の上のこの映画の主人公のような、少し頑張った、時代に恵まれた、 日本のサラリーマンの本流を歩んで来た人々の住む地域にも住宅地に広がっているのです。
映画の中の主人公周造75才は追突事故を起こし、家族会議で免許を取り上げされそうになります。 ここまでが、前半の部分です。

映画の後半は、「無縁社会」「下流老人」「孤独死」といった問題
主人公周造(75才)は、奥さんがカルチャースクールのお友達とノルウェーのオーロラツァーに行っている間に、 (これもシニア高齢者社会格差を表現したストーリー設定です。)、毎回登場する小料理屋のオカミ(風吹ジュン) と一緒に車を走らせていた時、道路工事のガードマン止められ、昔の高校の時の同級生丸田君(お馴染みの配役・小林稔侍)と再会します。
丸田君との再会を喜ぶ主人公周造は、後日、少し嫌がる丸田君を小料理屋に誘います。(三作とも同じパターン)
ここから、先週の同級会とダブりはじめます。
映画の主人公周造と旧友丸田君は広島県の島部出身と云う設定です。周造は比較的優等生で東京の大学を出て、 ある程度の企業に就職し、自己努力・責任と時代の流れで、定年後は東京郊外の私鉄沿線のステイタスシンボル的な 街の、三世代住宅に住んでいます。
一方丸田君は、父親の仕事を継ぎ、マドンナ的存在の同級生と結婚し一女をもうけるのですが、不動産バブルで 会社は倒産、離婚して、仕事を求めて上京し、現在はガードマンとして働き、 アパートで独り暮らしをしています。
過去の借金問題から妻と子供に逃げられ、親類からも縁を切られていたにも関わらず、 丸田君は頑なに生活保護を申請せずに、厳しい肉体労働をしてまで自活することにこだわっていました。
ここで、周造と丸田に共通する思いは、「プライド」です。
後期高齢者といっても、 まだまだ体はそれなりに動くし、気持ちの上では老け込んでいるわけではないのです。 だから、車の免許の件で、周りからある意味「子供扱い」 される余計な親切は、彼らにとって押しつけでしか無く、我慢ならないのです。

同級会と云うと私には、いつも気にかかっている旧友がいます。
明るく、スポーツ万能で誰からも愛されていた旧友は、一度も同級会に現れて来ないのです。地元幹事に聞くと 高校卒業後は、地元でも有名な父親の会社を引き継いだのですが、何が原因か知りませんが、倒産・破産し、 家族と別れ、現在は一人暮らし、タクシーの運転手さんをしているそうです。

現在の状況と過去の中学時代は関係ない
と云うのは、古稀目前の69才・70才の恵まれた人生を送ってきた人の云うことであり、過去のことを懐かしがるより 現在の生活、今までの生き様を語り合うような同級会に参加したくないと云う理由は、納得させられます。
映画のストーリーは思わぬ方向へ
主人公周造と丸田君は深夜まで飲み明かし、周造の家に泊まるのです。
翌朝は、主人公周造(橋爪功実年齢75才)の免許返納の家族会議で全員が集まりますが、昨夜泊まった丸田君が 起きてきません。末っ子(妻夫木聡)の嫁(蒼井優)は看護師なので、様子を見に行くと亡くなっていました。
救急搬送を依頼した救急車は既に死亡した人は運べず、警察が家族全員の事情聴取すると云うドタバタです。
エンディングは
独り身の孤独死の扱いは警察・行政・社会福祉協議会等が関わり、縁者が現れなかったり、引き取りを拒否 した時は最終的に行政が、火葬・共同墓地納骨まで行うのだそうです。
映画の中では、誰も縁者・知人のいない火葬も寂しかろうと、主人公周造は丸田君の最後の晩餐だった 銀杏を大量に棺のなかに詰めるのです。当日忙しいと出棺立ち合いを断った、家族も全員出席して丸田君のお見送りで 映画はエンディングでした。

「家族はつらいよ」と云っても、喧嘩する相手がいるだけ幸せよ。
と、先週この映画を見たカミサンは云います。
子供のいない夫婦のどちらかは、何時かは一人で逝く、孤独死・孤立死なのですから。
ここまで書き終えた後、ニュースで主役橋爪功さんの息子の薬物逮捕報道がされていました。
可哀そうに、75才になって、ただ名前と顔が売れているだけで、30才才にもなった大の大人の不祥事で 親の責任を問われるのですから・・・本当に「家族はつらいよ」


6/2 中学校の同級会が開らかれ故郷に行ってきました。

子供の頃の遊び場だった町の変貌
生まれ育った信州・善光寺は、小学校の頃放課後の遊び場でした。
特に絶好の遊び場は「お戒壇めぐり」でした。
善光寺のご本尊が安置されている瑠璃檀と三卿の間の床下に部屋があり、 その部屋をロの字型にめぐる暗黒の回廊があり、御本尊の真下ある錠前に触れると極楽浄土 に行けると云われており、この回廊をめぐるのが、善光寺のお戒壇めぐりです。

お戒壇めぐりは各地のお寺にもありますが、信州善光寺のお戒壇めぐりが最も有名で、 善光寺に参拝したら必ずめぐっておきたいものとして参詣者にも人気です。
このお戒壇めぐりは、別名、胎内巡りといわれることもあります。真っ暗闇で擬似的な死を体験する・・・ 少しオーバーに感じるかもしれませんが、本当に真っ暗闇の中に足を踏み入れてみるといろいろと考えさせられ、 普段は感じないことを体験できるはずです

入場料は勿論必要ですが、地元の毎日遊びに来るガキは顔パスで毎日この暗闇の空間で、観光客が悲鳴を 上げるのを、暗闇の中で楽しんでいました。
オリンピックによる町の変貌
中学の同級会は、日曜日の午後、近くの温泉旅館で一泊して行われますので、前日、 これから手術をする実兄のお見舞いの為 早めに長野に入り、どんどんと変わり、薄らいでいく昔の思い出の街をビデオに記録することにしました。
オリンピックを境いに、道路が大幅に変わりました。
表通りは、電線・電柱の埋め込みが進み、スッキリとした印象で、善行寺近くは昔の蔵をイメージした デザインの建物が増えて行き観光地らしく、美しくなったのですが、大通りを外れて一歩奥の古くからある 通りは、流れていた町の川は暗渠に変わり、オリンピック不動産バブルが去った街は、 駐車場だらけ、歯抜けの町となり、官公庁建物だけが立派な県庁所在地方都市に変貌していました。

中学校の同級会
中学校の同級会は私の知らない間に、頻繁に開かれていたようです。
理由は私が日本に居ることを知らなかったようで、中学卒業後初めて連絡が来たのは、ちょうど 私が早期退職した2002年でした。
この当時、同級生は55才、働き盛りで中学卒業以来初めて現れた「南米がえり」の私が、退職し、 これから海外でセミロングステイ生活を始めると云う話は、驚きよりもかなり胡散臭い、ほら話と 受け取られていたようです。
幹事に聞くと、この2002年の参加者がこれまでの最高人数で、その後減少の一途だそうで、60才の還暦や 65才の完全退職で参加者が増えるかな期待していたが、増えず、今回は九名でした。 温泉旅館の割引や送迎サービスが10名なので、頑張って 参加を呼びかけましたが、男性5名、女性4名に留まりました。との幹事さんの挨拶でした。

内訳、男性は;
市内在住 W大卒 自営会社経営者
市内在住 高専卒 自営会社経営者 未婚
市内在住 W大卒 元JA、現在JA嘱託
首都圏在 K大卒 元NTT 現在無職
首都圏在 専門卒 元建設業界 現在無職
女性は;
名古屋圏在 大卒 既婚 主婦
県内中信在 高卒 既婚 主婦
県内中信在 大卒 既婚 主婦
市内在住 高卒 未婚 無職

私たち戦後のベビーブーム・団塊世代の中学校は一学年17クラス、全校生徒2,000人のマンモス校 でした。上記修学旅行の鎌倉大仏前の集合記念写真に写っている旗にあるように私たちは15組でした。 (この時、この古都に自分が住むようになるとは、思いもしませんでした。人生は不思議なものです。)
地元に残った幹事は毎回丁寧に往復はがきで、昔のクラスの同級生50名に出欠、現況の一言メッセージ、 今後このような案内の必要の有無等をお聞きしています。
50名のうち、鬼籍にはいったのは、4名。連絡が取れない方は3名いらっしゃいます。中学卒業後 43名へ連絡が取れるのは、幹事さんの努力の賜物と一同感謝しています。
通常、還暦・退職を迎えるにつれ、参加者が増えると云われていますが、年々減少するのは、何故かと 云う話題になりました。

同級会・同窓会に参加したくない理由は?
  • ◆ 面倒くさい
  • ◆ 時間的余裕がない
  • ◆ 会いたくない人がいる
  • ◆ 遠くに住んでいる
  • ◆ 人生がうまくいってない
  • ◆ あの頃の自分に戻りたくない
前回から一泊温泉旅館での同級会としてからは、確かに女性の参加は減りました。時間的・金銭的に 負担がかかるのは、事実です。返信はがきに参加できない理由として親の介護と、まだ現役で 働いていて、泊まりでは行けない云う回答がありました。 しかし、本音・本当の理由を書く方は皆無でした。
ネット上では前記り理由の他に色々な理由を述べられています。
◇ 余裕・ゆとりのある人たちだけが参加しての自慢話が嫌
◇ 自分の過去を知っている人と会いたくない
◇ 参加するのは当時の優等生、リーダーとその仲間だけ
ここ数年の参加者はほとんど変わっておらず、同じメンバーです。これらの集合写真を見て、我が家の カミサンは「女性はみんな若くて綺麗ね。」「60代後半の女性の髪をみればゆとりのある生活をしてるのが 解るわ」「年金生活シニアの女性が美容院にかけるお金は大変なのよ」と云いました。

私が遠方の同級会に参加する理由は
単純に、懐かしく、あの少年時代を一緒に過ごした同級生の卒業後から古稀を迎える現在までの 人生の話を聞きたいからです。
私の場合、同じ世代の日本人とは全く違い、大学を出て一流会社に就職し、日本経済を 牽引する組織の一員として働き、結婚し、子供を設けて現在に至るという、日本のサラリーマンとは ほど遠い人生を歩んできたからこそ、温泉に浸かり、深夜までじっくりと話してみたいと前々から 思っていました。
特に2年前の同級会は、鼠径ヘルニアの術後不良でキャンセルしたので、今回はとても楽しみにしていました。
温泉に一緒に入ると中学一年生の旅行で行った万座温泉の話題になり、当時下の毛が生えてきた のを見せびらかしていたヤツが誰それでと云う話や、今回不参加のクラス一の美少女だった子の話題と昔に戻って 長湯しました。
夕食後も男女とも別部屋を取ったのですが、一緒の部屋に集まり昔や今の話題に花が咲き、寝たのは 深夜一時を過ぎていました。
大勢参加の座っての会席では、話す相手も限られてしまったりして、立ち席・ブッフェスタイルにしたことも 有りましたが、やはり日本人シニアは、和室で各々持ち寄ったお菓子や漬物を囲んでの10名程度での話が一番のようです。

今、長野在住の人々で一番盛り上がる話題は
夕食を何時にしますかとの宿のリクエストに、女性幹事は、今日は日曜日だから6時半にしてと答えるのを 聞いて、不思議に思い聞くと、日曜日・千秋楽、御嶽海の三賞受賞の結果とインタビューを見てからにして と、県内・市内在住の3人の女性が云うではありませんか?
長野県出身の幕内力士が39年ぶりに誕生し、にわか「すうじょ」が県内に急繁殖中なのです。 我が実家の義理の姉もそうですし、今回参加の同級生女性はもう何度も本場所を見に行ったり、県内の 旅行会社では、稽古場ツァーを何本も出している、大人気フィバーなのだそうです。

翌日は昔よく行った戸隠へ
深夜までお喋りした翌朝、幹事役のご自慢の新車レクサスに分乗して晴天の戸隠で お蕎麦を食べて解散となりました。
昔は、歩いて行った一日がかりの道のりも、今ではオリンピックの道路整備のおかげで、市内から 30分ほどで、気軽にお蕎麦を食べるだけの目的で行けるようになりました。
新緑とまだ少し雪が残った、戸隠連峰と北アルプスを楽しみ、新幹線開通で様変わりした長野駅で3時解散となり、 懐かしい同級生との2日間は終わり、帰途に着きました。
中学3年の修学旅行の際は8時間かかった鎌倉へは、今では2時間40分で自宅に到着。夕飯はカミサンのリクエストの 野沢菜のおやきで済ませ、パタンキューとベッドに直行。楽しかったけど、やはり年齢を感じる疲れた3日間でした。


5/26 養老保険がついに満期を迎える、さあどうしよう。

朝、カミサンが新聞を取りにメールボックスに行って戻ってくると、沢山の書類の束を抱えて戻ってきました。
「これなんだか解る?」
「ええー今年だったっけ」
「なんなのこれ?」
「養老年金満期時生存給付金請求書」
「お金が入ってくるの?」
「うん、でもそんなに単純な問題ではないけどね」

もう20年たったんだ、来年だと思っていたのに
20年前、49才の時、時はバブル崩壊で、銀行の統廃合が進み、生命保険会社も例外ではなく、20代の頃から 会社ぐるみでお付き合いしていたCH生命も連日、破綻・買収のうわさが新聞紙上を賑わかせていました。
40代初めから、早期退職を計画し、老後資金の骨格をなす大きな金額をこの保険会社に託していたのですが、 どうやら保たないと判断し、損を覚悟で解約し資金を引き揚げあげました。

問題はこの資金の転用先をどうするかでした
個人年金は既に50才、55才、60才から10年間受け取りとる形の3本を手当していましたので、 引き揚げてきたものは70才から10年間に渡り受け取る形のものにと、探し始めました。
バブルが崩壊し先の3本のようなお宝養老年金型の保険はすでに有りませんし、かと言ってリスクの高い株式や手数料・口座維持料 がかかる投信ものは敬遠しました。
そこで、取引先の銀行から紹介されたのが、一時払い満期時生存受取型の一種の生命保険です。70才まで20年一括支払い で保険会社から出てきた、20年後の金額は元金の1.65倍でした。
20年複利計算してみると年率2.65%と、当時は低いと思いましたが、何もせずに、リスクもなしの確定利率ですから 良しとすることにし、万が一の将来の生活リスクに備えて、夫10本・妻10本合計20本の保険契約書を作成することにしました。

CH生命崩壊時に学んだ知恵です。
このような形の保険を中途解約すると、経過年数が短い場合は中途解約金は元金よりも少なくなります。人生何があるか 解りません。いつ何時どの程度のお金が必要になるか解りませんが一括解約する必要がないほどの金額でも、契約が一本 ですと、中途解約戻り金は大きく違ってきますので、20口にしておけば必要に応じて細かく対応出来るのです。

税金対策を考えなくては
大きな資金の20年分の収益は結構な金額になります。
生命保険契約に係る満期保険金等を受け取ったときの税金
満期保険金等を一時金で受領した場合には、一時所得になります。
一時所得の金額は、その満期保険金等以外に他の一時所得がないとすれば、 受け取った保険金の総額から既に払い込んだ保険料又は掛金の額を差し引き、 更に一時所得の特別控除額50万円を差し引いた金額です。
課税の対象になるのは、この金額を更に1/2にした金額です。
国税庁ホームページ

夫・妻が一本で契約してこの満期保険金を受け取ると、上記計算式では税額(所得税+復興特別所得税)が70万円を超え、それが 翌年の住民税・国民健康保険・もしかして介護保険にも反映することになります。※実際に国税に相談してみないと判りませんが。
当初の計画では、夫・妻各々10本契約して、10年かけて満期保険金を受け取る予定でした。 こうすることにより、一時所得への課税が避けられます。
しかし、保険会社から 送られてきた書類の据え置きで受け取る欄には、5年或いは10年据え置きにしか チェックが入らないようになっているではありませんか!!
これは、保険会社に確かめるしかない。そして若し5年後或いは10年間の一括据え置きしか方法がないのなら この資金を10年或いは私が逝くまで・・・、カミサンの老後資金として運用を考えなくては!!

ほけんの窓口ってどの程度の知識があるのか

据え置き受取りについて、2年前に打ち合わせしたS生命本社営業社員も代理店の担当もその後、退職・定年で 在籍していませんので、改めて後日この件で打ち合わせする話になりました。
昔ながらの「保険屋のおばさんシステム」なら、こんなことにはならなかったでしようが・・・
そんな折、東戸塚の歯医者さんのついでにショッピングモール内にブースを構えている「ほけんの窓口」 のデスクの感じのよい美人と目が合い、今CMで評判の「ほけんの窓口」の実力は如何にと、寄ってしまいました。
この若さで、バブル期を勝ち抜いて来た団塊おじさんにどんなアドバイスが出来るのかと、楽しみにコーヒー をいただきながら、当方の抱えている現状の問題と、お金・資金・老後の生活に対する考え方等をお話しました。

予想外の答えでした。

「ほけんの窓口」の美人ライフパートナー「Yさん」40代は、今、真剣に老後資金・老後の生活スタイル・子供の教育資金等を考え、一生懸命に貯めて 、運用を考えているそうです。
「ほけんの窓口」はただ単に、保険や金融商品を紹介して手数料を稼ぐと考えられて いるようですが、確かに個人の営業的には、それがないとやっていけませんが、根本的なスタイルは、お話を聞き、 第三者の目で、その人の人生スタイル・ポリシーに見合った商品を提示するのが仕事なのだそうです。
彼女が云うには、先ずそのS生命さんが、満期の顧客にどんなアドバイスをするのか?、どんな保険や金融商品を勧めるのか? 伺わせて下さい。私たちライフプランナーは、その提案が本当にお客様のニーズに合うのか、不安な点はないか、 同程度のリスクでももっと良い商品はないのか、等を提案させていただくのが、メインの仕事です。と云うのです。
なるほど、模範的・理想的なお答えでした。
S生命の回答・提案がどうであれ、美人だからまた次の歯医者さんの時に寄ってみよう、と云う気にはなりました。


5/19 15年ぶりに国内団体パックツァーに参加しました。

国内旅行で旅行会社が主催する団体観光ツァーへの参加は、14年ぶり二回目となります。
海外旅行の場合は、行く時期・場所・内容・価格により、やむ終えず団体主催旅行に参加してきました。 現役時代に参加したツァーは二社「西遊旅行社」と「ユーラシア旅行社」です。
辺境の世界遺産や絶景を扱う旅好きには有名な二社ですが、価格も旅の質も添乗員も全く異なる旅行社です。 西遊はシルクロードの仏教・イスラム文化の世界遺産・ヒマラヤ登山・ マスメディアの取材コーディネートも扱う知る人ぞ知るパイオニア的会社です。
ユーラシアは、一部の辺境・異文化・秘境・絶景好きのマニア向けの高額大名旅行をリーズナブルな 価格にと目指し設立された若い旅行社で、創業時からお付き合いがあります。(※最近、大きくなりすぎて、人件費 ・事務所経費がかかるようになって、今は全くお得感のない普通の旅行会社になってしまいましたが・・)

退職した後は、海外旅行は会社に頼らずに
昔は航空券の予約は勿論のこと、フライトスケジュールを入手するのも、個人レベルでは困難でしたが、 ネットの発達で、旅行会社同じレベルの情報が自宅のパソコンで入手できる時代が到来、自分の旅のスタイル・予算に 合う旅行計画が出来るようになり、ホテル&エァーパックの利用や、完全個人自由滞在型旅行となり、これも二年前に卒業しました。
国内旅行はどうか
退職した年の四月末、退職前に時間的に行きたくても行けなかった「東北の桜・角館・弘前・黒石」の団体パックツァーに 初めて夫婦二人で参加しました。
二泊三日新幹線・温泉宿・食事・観光全て込みこみで一人70,000円ほどだったと思います。
この時の団体として動くことの時間的な制限や煩わしさから、その後の国内旅行はホテル+移動手段のセットパック の一都市連泊・公共交通での周辺観光旅行に徹してきました。

何で?今回は再び団体パック旅行に参加したのか?

大昔、高校生の頃、当時はやりのバックパツクを背負って、国鉄の均一周遊券で道内を廻るカニ族と云われる スタイルで、北海道を廻ったことがあります。
社会人になってからは、北海道は遠い土地で行くことは有りませんでしたが、退職後はホテル+移動手段パックを 利用し、一都市滞在型のスタイルで函館・札幌・旭川・苫小牧などの大都市に連泊し、拠点として二人で歩くスタイル でこれまで旅してきました。
北海道道南・中央の大都市はそれで廻れたのですが、道東・道北はそうは行きません。
高校生時代に行った、釧路・根室・網走・阿寒湖・摩周湖・知床・宗谷・利尻/礼文を、昔のような公共交通手段で 個人レベルで廻るのは、現代の北海道道東は全く不可能では有りませんが、至難の業。日数・費用が掛かりすぎます。

例えば:
◆釧路から網走へのJR釧網線は一日6本しか有りません。うち2本は摩周止まり。
◆釧路から摩周湖展望台へのバスはJR摩周駅から一日2本です。帰りを考慮すると一日1本。
◆釧路から根室へは一日9本です。根室から納沙布岬まではバスで一日7本です。
◆網走から知床斜里へは一日7本です。帰りを考慮すると実質一日6本
やってやれないことは有りませんが、時間・体力そして忍耐力が必要で、都会の便利な公共交通機関に慣れた シニア夫婦には向かないでしょう。
北海道道東を自由に旅するには、レンタカーが必須条件となるのです。
しかし、私たち夫婦は60才時点で運転免許を更新しませんでした。車もバイクも乗れないのです。 関東首都圏・神奈川の都市部に住んでいるので、車がないことに何の不自由を感じたことは有りませんが、 このような地域を観光で巡る時は、あったら良いな、と思いますが、後の祭り。それに私はオートマ車を運転 したことがないので、怖くて運転は出来ません。

阿寒湖温泉最上級ホテル「鶴雅」に泊まる2泊3日 29,900円
と云うメールマガジンに目が留まりました。
お馴染みの格安パックを扱うH旅行社のブランド商品です。 中身を確認しなくても、バス一台満席の団体駆け足パックツァーなのに間違いないのですが、 値段に釣られて開けて見ました。

一日目;羽田でEチケット受け取り、午前便で釧路へ、市内プリンスホテルまで自己負担路線バス、以降 二日目朝の集合までフリー、夕食なし、朝食ブッフェ付

二日目;観光バス(ガイド付き)で、釧路湿原展望台・摩周湖第一展望台下車、午後早い時間に阿寒湖温泉「鶴雅」にチェックイン 以後自由、夕食60品のブッフェ・朝食付き、昼食は自由

三日目;朝ゆっくり出発、網走・天都山(流氷館・監獄博物館は自由入場、自己負担)、能取岬経由女満別空港へ 羽田着早めの15時台、最小催行人員35名

悪かないじゃん。
食事はどうでも良いけど、行き帰りと道東内の足が確保されていて、宿はプリンスと鶴雅で29,900円なら、 十分我が家の国内旅行予算でお釣りが来る。
団体パック旅行が大嫌い・拒否反応の我が家のカミサンに説明すると。
「5月の連休、何処にも出かけないと、スポーツクラブのお友達からのお土産のお返しがなくて困るから何処かへは 行かなくちゃいけないのは確か。」「どうせ団体パック旅行慣れした、孫と旅行の自慢話のジジ・ババの集団でしょうが、二日目だけだから 我慢するわ。」「浮いた予算はお土産代に使って良い?」という訳で、国内二回目の団体パック旅行となりました。

42年ぶり、春まだ浅い早春の釧路・阿寒・網走の旅

一日目 街の中心にあるホテルにチェックインして、3時には釧路の街に出ました。まずは最初に向かったのは 釧路駅です。 さいはての駅に下り立ち雪明り
さびしき町にあゆみ入りにき

石川啄木が明治41年、釧路新聞社に就職する為に降り立った時に読んでうたです。
5月7日、関東は桜が終わり、新緑が芽吹いている季節ですが、道東釧路の街路樹はまだ裸木ばかり、温度は7℃でした。 太平洋側の強い風が吹く日、この啄木のうたが身に沁みます。
釧路港にある、旧釧路新聞社屋を保存した 「港文館」内に啄木が釧路に残した足跡が保存展示されていました。 ただ、啄木はこの地たった76日間しかいなかったのですが。

この季節、釧路は特別見るものはありません。唯一の名所の郊外の釧路湿原(この季節、雪も丹頂もなく無彩色の世界)と、世界三大夕陽と云われています 幣舞橋からの夕陽です。
(雑学 世界を旅する船乗りの間で云われているという後の2つは何処?バリ島とマニラと云う説が ありますが・・・本当ですかね。)
夕陽までの時間はたっぷりあるので、事前に調べておいた、その名も春遅い釧路らしい春採湖湖畔に ある、釧路市立博物館に行き道東の歴史を見学し、夕暮れ迫る幣舞橋に戻りました。
夕刻、晴天ですが水平線には厚い雲があり、釧路名物の霧に覆われ始めて、夕陽は撮れませんでした。幣舞橋の 脇にある、観光施設フィシャーマンズワーフMOOの屋台村で食事にすることにしたのですが、 この日ゴールデンウィークの最終日の日曜日、混んでいるかと思いきや、7割がたのレストラン・屋台は休業ですし、 7時には、観光客向けのお土産物屋さんも、海産物を扱うお店も店仕舞いをしています。
関東首都圏の観光地とは別の論理・理由があるのでしよう。
結局私たちは、屋台・フードコートスタイルの場所で、釧路ラーメン(魚介系・極細めん)と北海道ではザンギ と呼ばれるから揚げで済ませました。
帰りに、宿泊先のプリンスホテルの近所のコンビニで釧路らしい、現地限定のものを探したのですが、何も 有りませんでした。このコンビニも24時間営業でしたが、本当に必要なのでしょうか?、たった半日歩いた 観光客の目だけで云われたくないと地元の人たちは云うでしょうが。・・・・

二日目の釧路プリンスホテルのロビーで初めて、このツァーのメンバーにお会いしました。予想していた通り 、見回すと中国人女性留学生の二人をのぞくと、私たち夫婦が一番の若者のようですが、似たり寄ったりの44名、 バスに座席表が貼られているのは見て、団体パックツァーであることを実感しました。
バス内では、トイレ休憩のお話からスタートです。
寒さと、広い北海道の道路事情と、乗客の年齢構成からでしょう。バスが最初に停車したのは、釧路湿原展望台 ですが、このは小雨予報の曇り空、何も見えず、鉛色の空と無彩色の風景で、カメラも構えずに、再びバスに戻り ます。
摩周湖第一展望台は昔二度来た時には霧に隠れていましたが、今回は湖面が見えましたが、外はみぞれと小雪模様 、必要ないだろうがと思いながらもと持ってきた、厚手のセーターを重ね着しました。
阿寒湖温泉に到着した頃には、晴れてきて雄阿寒岳の姿も見えてました。湖畔にはまだ根雪が残っており、 関東首都圏と気候の違いを再認識しました。
出発前の一週間、ネットで毎日北海道の天気予報を見ていた話をガイドさんに話すと、本州のTV天気予報は 北海道の天気・温度と云うと、札幌だけを表示する局が多いけど、北海道は広いし、特にオホーツク側の網走・ 山間部の阿寒町と太平洋側の釧路は、本州の日本海側新潟・山間部の甲信越・太平洋側の東京と同じような 相対気候関係なのです。と説明してくれました。なるほど納得。
この日の阿寒湖温泉最上級ホテル「鶴雅」は
自慢の展望露天風呂は、ホテル最上階の 屋上にあり、阿寒湖畔を見下ろす屋根のない本当の展望露天風呂です。が、この季節・この天気では、寒くて のんびりと風景を楽しむようなお風呂ではありませんでした。
夕食の60品豪華ブッフェはそれなり・・・、最近は齢のせいかバイキングよりも量は少なくとも、和食懐石の ほうがありがたいのですが。

三日目 一番の好天に恵まれました。東京よりもかなり東に位置する北海道道東の朝は4時半には明るくなり、 この日の出発も9時半とゆっくり目なので、食べ過ぎないようにとバイキング朝食をパスして、朝から阿寒湖湖畔 ハイキングに出かけました。
湖水は思っていたよりも透明度があり、気持ち良い朝を ボッケと云われる地獄を廻ってホテルに戻りました。
ホテルの前に、昔懐かしいアイヌコタン村が有ります。
早朝で観光客のいないなか、散歩していると、アイヌ民族の血を 引く風貌の老人が声をかけてきて、42年前に来た頃や、昨年行きました 白老ポトロの話になり、道南と道東のアイヌ 民族の扱い、歴史の話が長引きました。要約すると、白老は国の施設であれは、地元出身のアイヌ族国会議員のおかげ 、それに引き換え、道東のアイヌ民族は、観光の対象と云う位置、終いには、選挙の権利・一票の格差、恵まれた環境の 東京の一票と、みてきただろう厳しい気候・土地の一票の重みは違う、鈴木宗男・松山千春は正しい、と云う話になり。 そろそろ集合時間と9時15分にバスに向かうと、私たちが最後でした。

網走監獄博物館
42年前、17才の夏、網走駅でストーブを囲みながら甲子園の野球を見ていた記憶があります。かように、道東の春は遅く、 北海道で一番桜が遅いのが釧路だそうで、桜は諦めていましたが網走は桜が咲いていました。
北海道の桜は染井吉野ではなく、「エゾやまざくら」と云う種類で 濃いピンク色のやや小ぶりの花で、茶色の葉と一緒に咲きます。
訪れました、網走監獄博物館の庭には沢山の「エゾやまざくら」が植えられており、これからもっと内地の人たちに ここの桜をネットで宣伝したほうが良いですよ。とアドバイスしました。
網走から帰りの「女満別空港」に向かう道すがら、沢山の「エゾやまざくら」が見られました。5月初旬から中旬まで 見頃のようです。

能取岬と知床半島
旅の最後は、網走郊外オホーツク海に突き出した小さな岬「能取(のとろ)岬」です。
何にもない岬ですが、冬は流氷を、夏は知床の山々が眺められる、最近評判の観光地で、中国人観光客を乗せた 大きな観光バスも停まっていました。かれらは、ここまで来るようになったのか!!驚嘆。
5月のお昼前、能取岬から東側の知床半島は逆光とカスミ空で撮影には適しません。出来れば午後とか夕方に来たかった のですが、それが出来ないのが団体観光パックツァー、最後はいつも299だから仕方ないか!でした。

旅の後書き

一度目はこんなもんで仕方ない。次に来るときはちゃんと時間配分・季節を考えて来よう。と思うのですが、 カミサンは、「そんなこと言っても次はきっとないわよ。」そうかも知れない。道東は遠い、そして疲れた。
羽田から自宅に戻ったのは5時過ぎ、二人で疲れたね。どうしてこんなに疲れたのだろうね。
一日の移動距離が長い、座っている時間が多いせいかな。
そして、自宅に戻って最初の仕事、体重計に乗ってみてびっくりしました。
行く前は豪華バイキングで体重増が怖かったのに、何と痩せていたのです。たいして歩いていないのに。 原因は、間食しなかったせいではないか?。普段の個人自由旅行では毎日歩き、しょっちゅうカフェに入って いたのに、今回は間食と云えば自由行動の「啄木記念館」の喫茶店のチョコレートだけでしたから。
それと心当たりは、今回の団体パックと個人自由旅行の違いは・・・お昼寝タイムがなかった事。 もう安い金額に釣られての駆け足・団体旅行の三回目はない?、否、当分はないでしょう。


5/12 ダウンサイジング 捨てる・手放す・もっと小さく簡便なもので良い。

若い頃から旅好きだったので、映像機器にはかなり拘ってまいりました。
プロ仕様とまでいかなくても、ハイアマチュアとして予算的に手が届く範囲の最高スペックのもの を手に入れたいとこれまでやってきましたが、最近、ここ1年は、重い・大きい・高いに ついていけなくなって来ており、今まで見向きもしなかったスペックの機器に向きだしています。
齢相応のダウンサイジング・・・とでも云うのでしょうか。

ビデオカメラのダウンサイジング

これまで、ビデオカメラは民生用で初めてエベレスト山頂撮影に使われたビクターのSVHSから始まり、Hi8・ デジタルと変遷し、その都度その時のアマチュアレベルのハイエンド機種を選択してきて、昨年末までは、 名機と云われ、私たちビデオクラブのなかでも人気の、CANON・HFS-21を使ってきたました。
CANONらしく、色合いの良い・解像度の高い鮮明な画像が撮れるのですが、最近、この大きさ・重さが 負担になってきました。
電子技術の発展スピードは激しく、2011年最高スペックだったこのカメラと同等クラスで、 もっと小さく・軽い、ファミリー用、子供の運動会・学芸会用と云われる機器が安く出回っています。 価格も、重さも半分以下で、解像度は同じフルハイビジョン1920X1080の画像素子なのです。
ついに先月、この手のコンパクトビデオカメラを購入しました。パナソニックです。
軽い・小さい・バッテリーの持ちが良い、シニアの旅行用のビデオカメラとしては大ラクチンで、前回の旅から 使い始めました。
画質もそこそこ。しかし、欠点もあります。

欠点の1 ファインダーがない
ファインダーがないので、撮影は液晶画面を開いての撮影しか出来ません。今ではプロのTVカメラマン もそうやって撮影しているので普通に見えるかもしれませんが、私たち昔から撮影してきたシニア はやはり、脇を絞めて動かないようにファインダーを覗きながら撮るスタイルに慣れており、どうしても 固定出来ないのと、液晶画面が光って対象物が良く見えないことがあります。

欠点の2 画質に物足りなさが・・・
画質については、一般的に自分のパソコン画面や、ユーチューブで見ている分にはさほどの不満は ないのですが、大型スクリーンに映し出した時、或いは静止画で切り出し、印刷すると、今までの CANONと大きな違いが現れます。
同じ画像素子数フルハイビジョン1920X1080なのに画質が違う。
理由は、撮像素子( イメージセンサー・CCD・CMOS)の大きさの違いです。

上記表で解るように同じ画像素子数1920×1080でも、光を受ける撮像素子、ひとつづつの大きさ違うので す。CCD・CMOSと云われる、光を受けて電子信号に変換するものの違いで、画像のクォリティが違ってしまい、 価格にも大きさにも反映するのです。
コンパクトデジカメでも、高級一眼レフでも解像度は同じなのに、綺麗さが違うのは、これが 理由です。(※他にレンズの大きさ・使う枚数・性能が違うのは勿論のことですが)
でも、もうこのパナのファミリータイプビデオカメラ(子供の学芸会・運動会レベルと云われる) でも良いやと思う年齢になってきました。
実際、GW明けの三日間の北海道旅行で使って見て、バッテリーは標準最小のもので三日間保ち、ケースなしで 上着ポケットに入り、何時でも・何処でも撮影が出来ました。

パソコンのダウンサイジング
NPOセンターの事務用のパソコンを買い替える時期になり、適当なスペックのパソコンを選んで 下さい。と事務局から依頼を受けました。
今までなら、パソコンに関しましても、かなり仕様にこだわりを持ってました。
道具・工具としての使い易さ、ストレスなく作業できるスピードスペックは必須と考えてましたが、 ここ数年のマイクロソフトOSの対応の不手際、スマートフォンによる、アンドロイドとi-OSの普及で、 パーソナルパソコンは消耗品と化してきており、いつまでも高価な、ハイスペックPCに拘ることはないでは、と 考えるようになってきました。
これまでの私のパソコンの仕様
1,頭脳であるCPUはi5が最低条件
2,処理能力であるメモリーは最低4ギガ、予算が許せば8ギガは欲しい
3,記録装置であるHDの大きさは拘らない、出来れば軽く大容量のSSDが良い
4,価格はOfficeが入って80,000~最大100,000円まで

もっとも拘ってきたのは演算能力、CPUです。
XP時代の各CPUメーカーはスビートに拘り開発を続けてきましたが、ある一定以上のスピードは、汎用パソコンでは無理と 悟り、一つの作業を一つのCPUで行うのではなく、2つのCPUで分担して行うとの結論に達し、出来たのが、Core2Duo です。
この考え方はレストランの厨房のコックさんと調理台に例えると、解りやすいです。
 

やがて出来たCorei3はコックさんは二人ですが、一人のコックさんには2つのコンロがあり 調理スピードが上昇しました。Corei5は図のように、コックさんが4人になり、 一人に一つづづのコンロになり、現在最高スピードのCorei7は4人のコックさんが各々二口コンロを 使って調理しているイメージです。
※i7の型番によっては、コックさんの数・コンロの数は倍数的に増えていきます、一般的なパーソナルパソコンでは なく、3Dアニメ動画のような大容量を同時に処理するのに使われています。
もう拘るのはやめました。
これも一種のダウンサイジングです。NPOセンターの事務用ですから、ワード・エクセル・メール・ネット・パワーポイント と、専用の会計ソフトがストレスなく動く程度のCPU、Corei3で十分。持ち運ぶのでないですから 重いハードディスクでも良いく、メモリー4ギガは重いWin10-OSでは必須なのです。
三・四年後に買い替える道具、メーカーは何処でも中身は同じ、と云うことで最近初期不良が減り、NECと一緒になった 事によりサポート体制も良くなったレノボにし、価格は68,000円也。
これで十分です。

住まいのダウンサイジング

今、直ぐではありませんが、来年70才になったら一度真剣に住み替えを検討しようと思っています。 現在の住まい、環境に不満がある訳ではありません。
4線利用のJRの駅から徒歩10分、湘南のアメ横と云われる商店街・駅ビルデパート・県内最大の総合病院・文化施設 が整っており、家の廻りは文教地区で自然に恵まれているのですから、十二分なのですが・・・

老夫婦二人暮らしに83平米超の3LDKは必要ない
夫婦各々の部屋に、リビングダイニングの2LDKで十分、現在空き部屋同然と使っている和室は必要ないと考えいます。
カミサンには常々、「私が逝ったら、住み替えなさい」と云っています。
固定資産税は共同住宅なのに土地柄か戸建て以上に高いし、当然ながら共益費・修繕積立費もかかります。 これら両者の費用は月にすると75,000です。小さなアパートの家賃並みです。 当然広さに応じての光熱費もかかります。
特別、生活費に困窮している訳でもないのですが、カミサンの一人暮らしになった場合を考えると、現在の 家の売却想定価格を考えると、同じような環境条件の中古2LDK物件に買い替えれば、引っ越し・リフォーム・売却 手数料を考慮しても、最低1,000万以上が私の亡き後のカミサンの老後人生にプラスすることになるでしょう。

カミサンは二人とも元気なうちに、住まいのダウンサイジングをと云うのですが、今と同じレベルの住環境 で、中古2LDK・引っ越し・リフォーム費用を差し引いてプラス1,000万という条件はなかなか難しいのでは、と 考えています。勿論、鎌倉を離れれば十分探せるのは解っていますが、70才を超えての新たな地元コミュニティへの 参加は難しいのは、目に見えています。

理想の間取りは、上記の間取り図のような、全室南向き、バルコニーの前は緑の公園に面しているような65~70平米の 広さ、駅・買い物・総合病院まで徒歩圏の中古物件、価格は2500万程度・・・こんな物件なら即ダウンサイジングする のですが。


5/5 シニアライフにとって大型連休は苦手なんです。


現役時代もゴールデンウィークは休めなかったのに!

現役時代の年末は、翌年のカレンダーを眺めるのが楽しみでした。
建設業界では一週間以上連続して休め、海外に出かけられるのは、年末年始と、お盆休みだけでした。
ゴールデンウィークは祝祭日になっていても、四月年度初めから着工した現場はやることが多く、良くて、旗日とおりの 休みでしたし、退職前7年間は大型ビルのリニュウアル改修工事部門にいましたから、企業が休む大型連休は 絶好の工事或いは内部に入っての調査をする大チャンスなのでほぼ連日出勤でした。

それに比べると、年末・年始とお盆夏休みは、実際に工事を行う協力会社・職人さんたちは帰省や家族サービスで 100%、フルに休みますので、この期間は割とカレンダーに関係なく、 一般会社・官庁よりも長く休むことが出来きました。
48才から退職する55才までの気力・体力・好奇心と若干の経済力 ある7年間は毎年10日から2週間の休暇を取り、世界の秘境・絶景の旅に夫婦二人で出かけました。
私は立場上かなり自由に自分のスケジュールを調整出来たのですが、カミサンは職場を休めない時は 退職し、私と一緒に旅に出かけていました。医療関係の経験と資格があるので、旅から帰ってきて 半月も経たないうちに、再び別の職場で働き始めるパターンの連続。 (これがカミサンの現在の年金が少ない大きな理由です。)

しかし、毎日サンデー、365連休の身になると・・
日本の大型連休、年末年始・ゴールデンウィーク・夏のお盆休みは、年金シニアは身動きがとれません。特に海外は 航空券の値段が急騰しますし、国内のチケット、宿も高く取りにくくなり、毎日サンデーの年金シニアは 大人しく、自宅周辺でブラブラと過ごすしかないのです。
カミサンの日課の女性スポーツクラブ「カーブス」も日曜・祝祭日は休みですし、私のボランティア活動の 拠点のNPOセンターも休館。スポーツも同世代の仲間は、孫が来るとか云って出てこず、遊び相手もすくなくなります。
外に出ると鎌倉の街は一年で一番人出の出る季節で、観光客でごった返していますし、近所のフラワーセンター も人でいっぱいです。

閑散とした人のいない観光地はつまらない
リタイヤして何時でも出かけられる身になって解ったことは、物凄く混む観光地は困ったものですが、 反対にガラガラ、ひとのいない観光地もこれまたつまらない、味気ないものだと悟りました。 来週、ゴールデンウィーク明けから北海道に出かけますが、それでもこの一週間何処にも出かけない のは、カミサンの持病「つまんない病」が悪化しないようにと、一日だけ人混みは覚悟で出かける ことにしました。

藤の季節だ、亀戸天神へ行ってみよう

我が家の周りの山に自生している藤の花が目立つようなり、五月の連休後半初日、お天気も良さそうなので 東京の藤の名所、亀戸天神に行くことにしました。
カミサンの情報源、朝のラジオの「おはよう中年探偵団」によると、 亀戸天神は先週からすごい人出で、入口の太鼓橋を渡るのに苦労するほどの情報で、自宅を七時台にでて、 九時前に着いたのですが、情報は本当でした。
9時前なのに蔵前橋通りには既に大型観光バスが四台も駐車しており、境内の屋台が開店の準備中なのですが、 もう入口の太鼓橋は記念写真のスマホと、大型一眼レフカメラのシニアおじさんでいっぱいです。
初めて来た亀戸天神の藤だなですが・・・イメージの中には、群馬あしかがフラワーパークの長い、地面に 届くような藤の画像があり、拍子抜けするような気分でした。
それでも、藤だな越しに東京スカイツリーを臨める風景もあり、ゴールデンウィークらしい気分も味わえて まあまあのGW連休後半初日の出だしでした。

スカイツリーがこんなに近くだから

亀戸天神のあるのは、江東区亀戸です。ここから北に目を上げれば、何処でもスカイツリーが目に入ります。 押上まで歩いて15分の距離。
スカイツリー建設中を含め4回目なので、今回は展望台には上がらず、下の眺めの良いスペースでブランチにする ことにしました。
スカイツリーの周辺は来る度に変わっていきます。押上口には大きなスーパーが出来て、朝10時前なのに 大勢の外国人観光客がイートインコーナーで買ってきたパン・総菜・飲み物でブランチしていました。 スカイツリーと鯉のぼりショットをカメラに納めているとと、お隣の若い外国人カップルが「あの魚はどういう意味」? と英語で聞いてきました。
「In Japan carp symbolize success in life」これぐらいなら喋れます。
少し話してみて、このカップルの英語に懐かしさを感じて、もしかしてスペイン語を話すのと聞くと、アルゼンチンの コルドバから来たそうです。私のルドバの発音・アクセントに彼らも驚き、初めてそのアクセントで話す 日本人に会ったと喜んでいました。

ちなみに、アルゼンチンのコルドバは、「母を訪ねて三千里」のお話で、イタリアから出稼ぎに出た母を訪ねる マルコが最後に母と再会する、アルゼンチン中部の古くある大学都市です。昔、第一次世界大戦の前は、アルゼンチン は、当時最先進国、最も豊かな経済大国だったのです。

アメ横 NHK72時間で放送されていたバック屋さんへ

彼らと楽しいお喋りをした後、上野・アメ横に向かいました。
カミサンのお目当ては、NHKの番組「72時間」の舞台となったバック屋さんです。
ちなみにNHKの番組「72時間」3日間72時間は、同じお店や通り、場所に定点カメラを置き、ここを舞台に 交差する人々にインタビューするドキュメント番組です。バックが大好きな我が家のカミサンの今日の 最大の目的地でした。
バックが大好きと云っても、高価なブランドバックではなく、年金シニア女性に手が届く範囲の小型セカンドバック です。沢山持っているのに、連休明けの旅行に持っていく春らしいものが目的のようで、このお店で一時自由解散し、 昔良く散歩した上野公園で落ち合って、帰路に着きました。


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長い大型連休の初日、久しぶりの東京・台東区(まだ本籍地はここ、結婚した時の住所のまま)で過ごしましたが、 まだ連休は4日も続き、さてどうしたものか?と考えていると、帰宅し開けたパソコンには、NPOセンターから 開館日の土曜・日曜のヘルプ・サポートの依頼メールが入っていました。
うん、暇だから何でもやるよ。日曜日から出かけるけど、土曜日はOK。
年金シニアライフは、お金・報酬ではなく、人と人の繋がりなんだから。


4/28 終活開始のタイミングがやって来た

前々から準備し、やろうと思っていたのですが、・・・
先々週、田舎の実兄から電話が有り、前立腺がんの手術を受けるとの連絡がありました。
私より3つ年上、今年72才になるはず?、話をよく聞くと、ドクターの勧めで初めて、 前立腺腫瘍マーカー検査、PSAを受けてところ、基準値4を超す14だったので、生検をしたところ 3か所から疑わしいものが検出され、精密検査の結果ステージ1の悪性のものとされたそうです。
ドクターから提案は
1,72才と云う微妙な年齢であることから、このまま経過観察
2,ダビンチ手術による、削除・撤去
3,抗がん剤による治療
4,放射線による治療
の4つを提案され、兄はダビンチ手術を選択しました。

同じDNAを持つ私ですし、兄よりも15年も前からPSA検査を受け、値はこのブログでも 公表しているように、4か月毎の検査の値はずっと高値安定の10~14です。
生検は4回もやっていてますが、いずれも判定は「白」でした。が・・・

血のつながった兄が前立腺がんだとなると
詳しい術後の経過などは、五月の中学校の同級会で帰省した時に聞くこととして、前々から 考えていた、終活の準備にそろそろ手を付けねばと、行動を開始しました。

パスワード・ID・アカウントの管理・見える化

一番最初に手を付けたのは、前々からビデオクラブの先輩がやっていた、パスワードの見える化、プリント化 です。この先輩は私のビデオ映像造りの先生でもあり、パソコン・映像機器に精通した達人です。
そして共通点として、家族関係が少なく、現在一人暮らし、これまで全て生活・人生に関わる資料・データー・ 思い出などは、コンピューターの中に保存してきました。

パソコンはいつかは壊れるもの、消耗品と云う認識は、以前からありバックアップに努めてきましたが、 そのパソコンもwin10になってからは、起動時にユーザーサインインパスワード入力が必要になります。
一般的な知識では、故人のパソコンにサインインするのは、難しく、専門業者に頼むことになります。 (勿論、ある程度の知識があれば出来ないことはありません)
この問題をクリアして故人のパソコンにログイン出来ても、あらゆるサービス・契約、或いは ファイルDATAそのものにも、メールアドレス ・ID・パスワードが設定されていることがありますので、残されたものがその全てを開くことは、 無理でしょう。

他人ではなく、本人でさえパスワード・IDが多すぎ、把握してなく、パソコン内にパスワード管理 用のソフトを入れているのですが、それそのものが読み取れなくなくなる可能性は大ですから、 「パスワードの見える化・プリント化」は終活の必須ワークとなります。
先輩は、この問題を昔からある市販の電話帳に手書きで残しており、日常生活でも使っているそうです。 が、私は手書きによる記入ミスを恐れ、原稿の画像化・テキスト化して、一つづつポストカードに 印刷し、カードフォルダーにインデックスを付けて、カミサンの目に見える所に保管することにしました。

必要のないID・パスワードの整理
作業を始めて解ったのは、色々な所に登録している、ID・パスワードの多さでした。
特に多かったのは、海外旅行の時に登録していた、航空会社・旅行サイト・代理店、他には ネットサービス・通販サイト・等々、合計100近く有りました。
これらは元DATAは消さずに残しましたが、カミサンに残すプリント化したものには含めず、 私が逝った後に、困らないものだけにしました。
銀行関係・保険関係・その他ネットサービス契約を解除する為のもの等(我が家のカミサンは貸金庫の 入室カードのパスワードも、金庫番号も知らないのですから・・・)、それでも50枚以上の カードになりました。これらも定期的に更新しなくてはならないでしょう。

私の生き方連絡ノート

私の生き方連絡ノートは、受けたい医療を家族に伝える治療為のエンディングノートの一種で意思表示カードとして病気・治療に特化しています。
自分らしい「生き」「死に」を考える会 発行で アマゾンで買いました。497円
このノートに書くことは

1,自分自身について
今まで病歴・現在かかっている医療機関、と大切にしていること、生き方について書く。
2,自分が望む医療について
今の自分が、病気になったとしたら、どのような医療を望むのか、治療をしながら何を大切にした生活をしたいのか?
3,自分で意思表示出来る時
病気になった時に、病気について知りたいか、知りたくないか、自分の病気について知って欲しい人の名を書く
4,自分で意思表示が出来ないとき
急な病気や事故、認知症で意思表示が出来ない場合、どのような治療や生活を望むのかを書く
5,自分の代わりに判断して欲しい人の名前、関係を書く
ここには、カミサンの名と、万が一を思って、いつも二人に何かあった時としてカミサン三姉妹の長女 の名前を書きました。
6,意思表示カードの記入
このノートに自分の希望を書き、ノートの保管場所を記入した携帯用のカードを作る。
※但しこのノートに記したことは法律的に正式に拘束力があるわけではありませんが、医療側・家族側の一つの目安に なるでしょう。
このノートと一緒に、退職後に受けた医療機関での血液検査の全データ、胃カメラ・大腸カメラ・ エコーデーター画像・心電図のコピー・肺レントゲン画像のコピーがフィリングされた ものを一緒に保管しています。
これは、元医療関係者だったカミサンのこだわりと、私自身が病気の問屋と云う意識が あるからでしよう。

「いざと云う時に」と云う見出しのファイル

これはかなり以前から作成しているもので、私のパソコン内の各種ファイルをプリントアウトして、 パソコンの出来ないカミサンが何時でも見えるようにしたものです。
内容は;

1,緊急連絡先リスト
2,貸金庫リスト
3,自筆遺言状のコピー
4,銀行預金通帳・保険・年金書類のコピー
5,印鑑の種類と押印のコピー
6,退職後資金計画書
7,自宅登記簿のコピー
8,シンプル火葬式・埋葬、散骨の連絡先コピー
今回、これらの書類を見直しし、最新のDATAに更新して収納しました。

団塊世代の69才、とりあえずここまでやっておけば、大丈夫でしょう。
次の見直しは、東京オリンピックが終わった頃2020年、72才。自分の父親もカミサンの父親も逝った齢だ。


4/21 映画「LION 25年目のただいま」を見てきました。

四月は暇なんです。
長かった今年の桜の季節もようやく終わりを迎えようとしています。
私たち夫婦は毎週、部屋の大きなカレンダーにお互いの予定を書き込むことにしています。
似たもの夫婦と云っても、定年後の暇な日々を一日中狭い共同住宅のなかで過ごしていると、 ストレスになるのは、先輩方の忠告や、リタイヤライフレポートからも解っていましたので、 二人の個人の時間と空間を尊重する意味でも、一日同時に在宅することを調整しています。

三月までは、毎週NPOセンターのweb講座や、団体支援活動の日を設けていましたので、原則土日以外は、 スポーツと合わせて、月曜日から金曜日まで自然に埋まっていたのですが、それら講座や活動は役所がらみ の関係もあり、年度単位で一度閉めていますから、四月は暇なんです。

四月前半は、暇な予定のない日は、東京・湘南・近所の桜を追いかけて撮影し、編集・ユーチューブにUP すると云う趣味に走っておりましたが、桜も散り始め急に予定のない空白の日が出現しだしましたので、 そんな日は「さあ、映画を見に行こう」です。
良質な映画で、ほんの少し涙ぐみ、美女との妄想にふけって二時間、シニア料金で1,100円、お昼はフードコートで 900円のランチで、ほぼ半日、家を留守にして楽しめるのです。
家に帰ってからも、会話は、どんな映画であったのか、カミサンにもお勧めの映画化否か、等話題も 出来ますし、Facebookの恰好のトピックスにもなるのです。

見に行ったのは、少し泣けそうな「LION 25年目のただいま」
今回の映画は、注目していた「LION 25年目のただいま」、珍しくオーストラリア映画です。
映画に行く時は、ほぼ平日の午前が多いのですが、今回は暇なはずなのに、平日全て、予定が入っており、 次の週の平日にこの映画がやっているかの保障はないので、日曜日、それも朝8:50開演と云う時間帯になりました。

土日に映画館に行くのは、リタイヤしてから初めてなのですが、子供・ファミリー層の多さにびっくりしました。 いつもの平日午前一番封切りの映画と云えば、私たちと同じ、或いはそれ以上のシニアが8割くらいが当たり前 などですが
最近、109シネマのような大型シネコンで上映されているのは、アニメ・若者向け・荒唐無稽のハリウッドCGもの ばかりで、この日も子供・ファミリー層のお目当ては、
・名探偵コナンから紅の恋歌
・ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険
・クレヨンしんちゃん 襲来!!宇宙人シリリ
・ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-
・劇場版 黒子のバスケ LAST GAME
・モアナと伝説の海 だったようです。

この映画、旅とパソコン好きにはもってこいの映画です。
映画の舞台は、インド・コルカタと、オーストラリア・タスマニアです。
あらすじは簡単
インドの田舎町で5才の男の子が、兄とはぐれて迷子になり、乗った無人列車が 辿り着いたのが、東インドの大都市コルカタ、身元不明の子として孤児院に引き取られ、やがて オーストラリアに住む白人夫婦の養子となり、タスマニアで成長していく。
成長した青年には、兄と別れた5歳の時の記憶が残っており、何処か解らないが、何時かは 自分を待っていてくれている、兄・母・妹に会いたいと思い始める。
そんな時、大学の友人がパソコンのGoogle Earthを紹介してくれる。

Google Earthで実家を探す実話なんです。
何か、Googleの陰謀、仕掛けの臭いがしないでもないのですが、どうやら本当の話のようです。
主人公の記憶にある、コルカタの橋「ハウラー橋」や、兄とはぐれた乗ったインド国鉄の当時の時刻表や 乗っていた時間、そして故郷の駅の給水塔の記憶・・・、全てインタネットの世界が主人公を母のもとに 導いてくれるのです。
この映画を見ていて、私も何回か乗った、インド国鉄の車両・車内を思い出していました。そして、あの 喧噪・混沌・混迷・阿修羅の世界、東インドのコルカタの街、街を象徴する、バックパッカーなら必ず一度は 訪れたことのある「ハウラー橋」を。
人口1,100万、浮浪者の数200万、19世紀のイギリス人はこの町を「この宇宙で最悪な場所」と呼び、 マザーテレサの活躍した街。コルカタ。
インドは広く、日本人観光客が多く行く「北インド」、経済発展の著しい「西インド」今最も注目されている IT産業の「南インド」とそして、一番貧しく、遅れていると云われているコルカタを中心とした「東インド」 ベンガル地方です。
過去、三度インドを旅していますが、この映画でコルカタを思い出した後、もう昔のように、自由個人旅行で のインドは無理だなと、思いました。添乗員・食事・観光ガイド付きの大名旅行なら考えるかも知れませんが、 来年古稀を迎える年齢・現在の生活環境では、気力・体力的に、再びあのインド人民衆とネゴしながらの旅は 出来ないでしょう。

脅威・驚異のグーグルマップ

この映画を見て、改めてグーグルの脅威を感じました。
グーグルマップで、昔住んでいたアルゼンチンの下町ボカのアパートを探り、ストリートビューで 自分の住んでいた部屋の窓を見上げたことがあります。
四十数年前と全く変わっていませんでした。
ストリートビューでそのまま、歩くと昔のアルマセン(雑貨店)は小ぎれいなスーパーになっていたり、 通りを走るバスが四十数年前と同じ番号、同じデザインなのが懐かしい。
世界中のあらゆる所が見える・・・何度も何度も行ったバリ島ウブドのモンキーフォレストから、馴染みの ゲストハウスも、勿論ストリートビューではっきり見えます。
ちなみに、絶海の孤島「イースター島」はどう見えるか、ストリートビューでみますが、さすがに 連続した道路の画像は有りませんが、360度パノラマ写真ですべてのモアイ遺跡が見れました。 昔、図書館の大百科事典でしか見えなかったものが、全て自宅のパソコンで見える時代になったのです。 それは、便利だけでは語れません。
世界の情報を全て、グーグルが握っていると云っても過言ではない時代なのです。

編集後記
ネット上での、個人情報・名前・住所・メルアドなどの公開にご注意ください。
私は住所も本名もメルアドも公式には公開していませんが、私の住んでいる共同住宅なんぞは、 このサイトを良く読めば、想定でき、私の部屋のベランダの洗濯物まで解ってしまう時代なのですから。


4/14 東京の花見は「今浦島」・「お上りさん」気分

今年の日本の桜の開花は全国的に異常なのですが・・・
しかし、東京だけが平年通りに開花宣言し、TV報道を見る限り確かに、先週末は満開のようでした。 しかし、我が家の前の公園も、小学校の庭も、近くの谷戸池も、七分咲き、観音様の桜に至っては、 このブログ原稿を書いている時点でようやく満開となりました。

春になると思います。後何年、桜が見れるのか?
半分冗談、半分本気で思っています。・・・が、今年は地元と東京都心の温度の違いで長い時間、桜が楽しめそうと 解り、先週4月5日に東京の桜を撮影に行ってきました。
現役時代、桜の季節は年度初めや、新入の入社・教育・移動等でサラリーマンにとって、最も忙しい時期で、 桜は通勤電車から眺めるだけ。現場に入っている時に時たま、花見に呼ばれ程度で、桜をじっくりと眺め、愛でる 楽しみは有りませんでした。
今日はお天気も良し、時間はある、出かけよう、さて何処へ
年金シニアは毎日が休日です。ことお花見や撮影は、その日のお天気を見てから決められる、と云う現役世代にはない、 大利点があります。から どうせ一日出かけるのですから、有名どころ五か所、動画で撮影して、老後、懐かしがろうと云う魂胆は、まさに 老人性のものなのでしよう。
大まかなルートを前日に、首都圏交通MAPを見ながら、組み立ててみました。
東京らしい桜の風景と云うテーマに絞り、順路は
1,芝公園と東京タワー
2,六本木桜坂とARKタワービル
3,千鳥ヶ淵とボート
4,隅田公園とスカイツリー
5,目黒川の夜桜ライトアップ

路線図を見ながら考えてしまいました。
最短距離・時間、それ以上に料金の安いルート(現役時代は考えたこともなかった)。
現役時代は地下鉄路線図を見なくても、普通に移動していたのに、今回は、退職して14年目、 つくづくとMAPを眺めました。 乗ったことのない路線だらけなのです。
東京のサラリーマンと云っても、使う路線はいつも同じようなものですから、全てを頭の中にインプット されている訳でもなく、地方の方や、外国人が迷うのは当たり前です。
14年前まで、毎日通勤していた私でも、今や都会を忙しそうに動く人々から見れば、メトロのルート図を 一生懸命に見上げている、お上りさんのお年寄り爺さんに見えていたかも知れません。

芝公園と東京タワーのある風景

退職前の5年間、東京は内幸町・虎ノ門近辺の現場を担当していました。
毎日の通勤は、最寄り駅の新橋で下車せず、一駅先の東京駅まで行って其の後は、皇居廻りを歩いたり、日比谷の街を 抜けたりして、日比谷公園を横断して現場事務所に通っていました。全ては退職後への準備・体力づくりとダイエット です。
帰りは出来るだけ、日比谷通りを田町まで歩くことにしていました。
途中の増上寺・芝公園と東京タワーは、見慣れたサラリーマン人生の一部でしたが、カメラを向けたことは有りませんでした。 今と違って、コンデジもスマホもない時代です。
今回は交通費の節約と、健康のことを考えて、浜松町から歩きました。
一番近い駅は芝公園です。足の便が良いこともあって外国人団体観光客が多く来ており、桜と東京タワー と云う典型的な被写体にカメラを向けていました。

六本木桜坂とアークARKヒルズ

アークヒルズは1986年(昭和61年)に完成した、赤坂一丁目と同六本木一丁目にまたがって位置する TV朝日やサントリーホールがキーテナントの複合施設とレジデンスの総称で 私たち工事関係者の間では(akasaka) (roppongi)(keikaku)と呼ばれていました。
31年前、38才(バブルが始まろうとしていた頃)だった私は、初めての超大型物件、施工グループの一員として建設工事に携わった思い出 ある場所です。
芝公園からARKヒルズに移動する時、ルート選択にかなり迷いました。 最寄駅は地下鉄・南北線の「六本木1丁目」です。 南北線?・・なんじゃそれは。東京タワーからは大江戸線の赤羽橋から乗り、麻布十番で 南北線に乗り換え、一駅目の「六本木1丁目」で下車。が正解なのですが、現役時代、南北線も大江戸線も 有りませんでしたし、麻布十番や六本木1丁目のようなお洒落そうな場所とは縁がない生活をしていましたから 、まるで東京の地下鉄が初めてのお上りさんのようでした。
何にもない、古い戸建てが密集していたこの近辺は、お洒落な街になり、その当時植えられた桜は並木道 となり、都内屈指の桜の名所へと変貌していました。
桜の写真を撮っているのは、ちょうど昼休みの若い・小ぎれいな女子社員や、外資系の外国人社員が 目立ち、一般的な桜目当ての一目見てお上りさん的な観光客・おじさん・おばさんは少なかったです。
ついつい、スマホで桜を撮っているお洒落な女子社員に、「おじさん達が昔建てたビルなんだ」とか、「この桜は昔は なかったんだ」とかは、間違っても云いませんでしたが・・・・知らないだろうな、あのバブルの頃を。

千鳥ヶ淵と北の丸公園

次の目的地、千鳥ヶ淵と北の丸公園の最寄り駅は、九段下です。
「六本木1丁目」から南北線で行き「永田町」で半蔵門線に乗換、「九段下」下車です。
九段下は古くから馴染みがある場所ですが、私が知らない南北線からの乗り継ぎには、これまた 駅の地下鉄路線図とにらめっこしてから、到着しました。
千鳥ヶ淵は連日のTVニュースで、上野公園と共に報道されていましたので、この日一番の混雑ぶりで、 アークARKヒルズとは違って、圧倒的にシニアのご夫婦の姿や、首都圏以外の方と思われる観光客の姿が目立ちました。
九段下から半蔵門にかけての千鳥ヶ淵のお堀端は大混雑です。
ここでのお勧めは、北の丸公園内に入り、お堀の内側から眺めることです。今年は当然もう遅いですから 来年お試しください。(気力・体力・好奇心が十分にありましたら)

浅草隅田公園とスカイツリー

今回の、東京の桜撮影プランで、どうしても外せなかったのが、隅田公園から見た東京スカイツリーでした。
桜の静止画撮影は意外と難しいのは知っていました。
晴天では桜の色は白っぽく写りますし、あの桜の木の持つボリュウム感・春らしさを表現するのは難しく、どうしても アップ画像の植物図鑑的な絵になります。何か桜を撮る時には、背景なりにテーマを決めて撮影する必要があるのです。 今回のテーマは「東京」ですから、東京タワーとスカイツリーは外せないのです。
しかし、浅草隅田公園の桜開花状況は五分から七分咲きでした。(4月5日)

目黒川とライトアップ

この日最後の撮影地「目黒川の桜」は、夕方から夜にかけてのライトアップ開始時間と決めていました。 五か所の雰囲気の違いを表現したいのと、暗くなってからの桜のライトアップよりも黄昏時のほうが、映像的に 良いのは、これまでの経験からです。
浅草から目黒川への移動は、全く迷うことは有りません出した。
銀座線・日比谷線・東横線等、学生時代から使っていた路線ですから・・・しかし渋谷駅で銀座線から東横線の 乗換に苦労しました。
渋谷は今、大変貌中です。
東横線がJR渋谷駅から「ヒカリエ」の地下に移ったのは知っていました。が・・・東横線のホームにたどり着く のに一苦労。この大都会に住んで50年近くなるのに、駅構内で迷い、人に尋ねるのが恥ずかしい、・・・・ これも、一種の老人性のものなのでしょうか。

後書き
後何年の桜かな。
私よりも少し上の世代のお方に訊ねると、「70才を過ぎた頃から春は毎年そう思ってますよ」と云うお答えを かなり多く方より聞きます。
地元では、ボランティアもスポーツもNPOセンターの講座でも、ほぼお付き合い・お話するのは、同世代或いは 上の世代の方々ばかりですが、時々通勤電車に乗り、大都会の最先端の建物に入ったりすると、今、自分の半径 1Km以内の世界は如何に狭く、自分を中心に考え、発言しようとしているか、良く解ります。

今浦島にならない為にも、ひと月に一度は、自分の半径の外と接しなくては。


4/7 国内旅行 三月は岡山・倉敷・児島・尾道へ

海外旅行を卒業して三年目になります。
リタイヤライフの旅予算は多少減らしましたが、それでも海外旅行に比べれば国内旅行は圧倒的に安く・ 短いので、回数は増え、毎月基本的に何処かへ一泊以上の旅に出かけています。

何故、毎月出かけるの?
理由は簡単・明解。
1,出かけないと、二人で家にいる時間が増えて行き、リタイヤ生活がマンネリ化します。スケジュール的に 身近な目的・楽しみを設定する必要があるのです。
2,カミサンの女同士のお付き合いの都合があります。
スポーツクラブ仲間は、皆さん余裕のある方ばかりのようで、カミサンはスポーツから帰ってくると、何かしらの お土産をいただいて帰ってくる毎日ですから、最低ひと月に一度は、お土産を買うような所へ出かけなくては ならないようです。
私は「お付き合いは大変だね」と云うと、「私もそれが楽しみなんだから、云わないで」とおっしゃります。
何故、三月は岡山なのか?
明確な理由はありませんが・・・。
リタイヤしてからの国内旅行は、西日本が圧倒的に多くなる理由の一つとして、私たちは飛行機よりも、新幹線が 好きだから・・・必然的に、「JR東海ツァー」の「レイル+ホテルパック」が個人旅行レベルでは、値段も リーズナブルで、出発・帰りの時間・ホテルの場所、ランクの設定が自由に出来るからです。
3/30日発、と云うは三月が未だ出かけてなかったらと云う理由であり、岡山・倉敷は二人とも現役時代に、各々の 会社関係では旅していても、その後は行っていなかった、と云う単純な理由です。
二泊三日の国内旅行のお予算は?
今回の旅は、いつもの「JR東海ツァー」のWeb限定、早期割引、のダイレクトメールから一月後半に決めました。 いつも大阪・奈良・京都で利用している「小田原からのこだまの旅」ではなく、「新横浜からののぞみ」ですから 多少高くなりますが、岡山・新横浜間ののぞみ列車指定は自由に設定でき、選べるホテルランクも多彩でした。
◆のぞみ 新横浜・岡山の往復座席指定
◆岡山駅徒歩三分の三井ガーデンホテル、ツイン指定(食なし)・屋上大浴場あり
で、JR東海ツァーへの支払い66,000円。旅先の交通費・観光費・食事34,000円、合計私たちの国内旅行予算 10万円に納まりました。

毎日、ネットでローカル列車時刻表とお天気と桜開花状況を調べる日々
個人自由旅行は、団体パック旅行と違って、暇な時間・余ってしまう移動時間は付き物で、それも旅の一つと楽しむことにしているのですが 出来るだけ、3日間を有効に過ごす為に、予め、列車は勿論のこと、路線バスの時刻・値段までしっかりと調べて 出かけるようにしていますが、スケジュールを変更しなくてはならない大敵はお天気です。
これまでの2泊3日の国内旅行では、3日間ともにピーカンのお天気は記憶にありません。
3日のうち、何処かで半日は雨が降る・・と云うのが私たちの経験則のようです。
今回は、この雨で予定を変更、桜の花の開花予測が大幅に狂って、またまた変更の旅でした。これが個人自由旅行の 宿命&楽しみなのでしよう。

一日目から予定変更 はじめての尾道へ
予定では三日目に西日本さくら100選の「津山城」に行く予定でしたが、桜はとうに諦め、津山城の代わりに 少し足を延ばして、二人とも行った事のない広島の「尾道」に行くことしました。
しかし、出発当日の朝、ネットで広島・岡山を調べると、一日目は「曇りから晴れへ」、二日目は「終日雨」三日目は 「曇り」との予想でしたので、一番歩くことが多い観光地「尾道」を岡山に着いた当日に急きょ変更しました。
岡山から尾道は山陽本線普通各駅で、1時間20分、1,320円です。東京での感覚的には、鎌倉・千葉間と ほぼ同じ距離感ですから、私たち関東首都圏に住む人間的には、結構近い距離です。

一日前に急きょ決めた観光地で、予備知識はゼロ
駅の観光案内所で、三から四時間の徒歩コースを紹介されて、尾道の町を歩いてみました。
お天気は、予報通りの午後から陽ざしがでて、恰好のお散歩日和でした。
観光客の定番どおり、「尾道ラーメン」を食べた後、わざわざ細い路地・階段を選んで、一番の名所 千光寺に行ってきました。
眼下には、瀬戸内海・しまなみ海道・尾道の古寺の甍とイメージ通りの尾道の街並みが開け、少しですが 早咲きの桜も咲いていました。きっと桜の季節はもっと美しいことでしよう。
急きょ変更した「尾道」はカミサンの言葉で云うと、「今回の旅行で一番良かった」場所でした。

二日目 天気予報は午後から小雨がいきなり本降り 倉敷・児島へ
倉敷は、二人とも来たことがありますので、多少の雨でも仕方ないか・・と云う心境でしたが、傘なしでは 歩けないほどの雨でした。
土蔵造りの街並みは美しいものの、どこか造り物、観光用の雰囲気、本物のの古い宿場町のような趣に乏しい と云うのが、数十年ぶりに見た、倉敷の印象です。
昔、若い頃職場の旅行で大型バスで乗り付け、団体で駆け足で巡った頃と違い、あれから日本各地の現在でも 人が実際に住み、郷土の文化を守ってきている地方の古い宿場町・城下町とは、やはり違う、何処かテーマパーク を感じさせる町並み、と云うのが、年齢を経てきた六十代シニアの感想です。
大原美術館はさすが! 二重丸
倉敷の街歩きはそこそこにして、大半を大原美術館で過ごしました。 グレコの古典派から始まって、印象派の名画の数々、ピカソ・マチスと、教科書で目にするような 名画がこれだけ多く収納されている民間の美術館は世界でも稀でしょう。
一番のお気に入りは「セガンティーニのアルプスの昼間」で、印象派の点描の筆遣いをじっくりと 拝見させていただき、大満足でした。

雨の中、倉敷からバスで児島へ一時間
児島観光の理由は:
1,日本夕焼け百選に選ばれている「鷲羽山からみる瀬戸内海の夕陽」
2,ジーンズ発祥の地のジーンズストリート観光
3,カミサンの目的、畳のへり生地によるバック

鷲羽山の夕陽は、とうに諦めていましたが、 ジーンズストリートは、駅から雨の中歩くにはかなり遠く、畳のへり生地によるバックはお店が閉まっている と云う最悪の状況で早々と明るいうちに、岡山に戻りました。
岡山は大都会です。
児島から岡山はJRで34分、500円の距離です。今まで通過していた岡山に初めて降り立った感想は 一言で云えば「大都会」もしかすると「横浜」よりも大都会・便利では!
市内は路面電車走り、私たちが泊まったホテルの隣には、大型ショッピングモール イオンモールがあり、夕飯はここで済ますことにして、出かけてびっくり。東京・神奈川の 都市部には見られないような巨大さ、そしてセンスの良さで溢れています。
私たちが良く利用する湘南住民自慢の「テラスモール湘南」より数倍魅力的でした。

三日目 旅の最終日 岡山城・岡山後楽園と吉備路へ
旅の最終日、帰りの新幹線は午後三時台で、午前岡山城と後楽園を回り、午後から吉備津神社の予定 の一日です。
岡山城へは駅から一本道の1kmと姫路城と町の構造同じです。一日二万歩を目標に歩いて行きます。
泊まっているホテルに多くの外国人団体観光客の姿を見かけました。広島や京都が多いのは解りますが 、日本人観光客にとっても、岡山後楽園に寄ることはあっても岡山に泊まることは少ない、少し不思議 でしたが、岡山城・後楽園は大勢の白人系観光客の他に、台湾系の個人旅行客の姿の多さに、びっくり しました。

吉備津神社
吉備津神社へは、岡山から「ももたろう線」と云う呼称のJR吉備線で15分、210円の距離と近いのですが、 電車は一時間に一本しか有りません。午後のその電車のは台湾系とみられる観光客でいっぱいでした。 理由は良く解りませんが、どうやら桃太郎がらみのゲームがアニメの舞台となっているようで 人気があるようです。
今回の旅でカミサンのお気に入りNO,1は「尾道」でしたが、私のお気に入りはここ、吉備津神社です。 桃太郎伝説の残る神社の一番のスポットは、国宝の本殿や拝殿ではなく、この画像の360mにわたる 大回廊なのです。そして、神社のある周辺は本当にのどかな田園風景が広がっています。
お天気の良い最終日の午後、田舎の田園風景と、2両編成のローカル線を楽しみました。

旅の後書き
今回、JR東海のWeb限定早割りに釣られて、何の目的も知識もなく、申し込んでからどんな所か 調べました。場所は良かったのですが、季節が良くなかった。
今年は、桜の開花が異状だったのですが、それでもやはり、尾道・千光寺は桜の季節がベストですし、 吉備津神社は新緑の紫陽花の季節が良いようです。
そろそろ予算重視よりも、60代後半ゆとりあるシニア世代の旅に切り替える時期かもしれません。


3/30 テルミークラブの破綻と海外・ハワイ旅行の卒業

掲示板で中堅旅行会社「テルミークラブ」が取り上げられて、初めて何が起こっているのか知り、 3月26日の昼間のTVニュースで、破綻・倒産を知りました。
初めて「テルミークラブ」を使ったのは、55才でリタイヤした2003年のハワイのロングステイ調査の時でした。
それまでハワイは、1968年、生まれて初めての外国の地として上陸して以来、何回も会社・現場・取引先 関係の旅行として訪れていましたが、プライベート・個人手配・夫婦二人だけの自由旅行としては、この時が 初めてでした。

これまでハワイと云えば4泊6日が当たり前でしたが、ネットで辿り着いた「テルミークラブ」には、自由に宿泊日数 が設定でき、先ずは調査と云うことで10泊12日、エコノミークラスのホテルの設定で出てきたのが、それ以来 何度もお世話になることになったバジェットホテル「アンバサダー」でした。
14年前、燃油サーチャージもない頃で、航空券・ホテル・送迎で一人99,000円
ネットですべて完結し、宿泊先のアンバサダーもワイキキ中心部から若干離れいるとか、豪華ではないものの お部屋は広く清潔で、スタッフも日系人だけで居心地の良さに惹かれ、それ以来の10数年、ワイキキの定宿として 「テルミークラブ」と共に三年前までやってきました。

あれ、ちょっと変だな、最近ネットが繋がらない
65才の高齢者と呼ばれるよう年齢になった2013年頃、これまでのアジア・中南米の奥地・僻地への自由・個人旅行はそろそろ 少なくして、海外はハワイだけにしようと、「テルミークラブ」のホームページのいつも利用している、ハワイ滞在 自由設定のページにアクセスに出来なくなっていました。 普通の一般的な三泊五日、四泊六日のパックは表示されるのに、何故か何時ものページがないのです。
この頃から、ハワイ専門店としてやって来た「テルミークラブ」は、近場のアジアの格安パック旅行を扱うようになり やがて自宅には、大手旅行会社よりも立派な全世界を相手にした旅行マガジンが毎月届くようになり、やがて全国紙一面 広告が目立つようにました。

これは、あまり良い兆候ではない
地域専門旅行会社としてやってきた会社が、豪華な旅行マガジンをダイレクトメールで配りだす。・・・・ 今までの地域専門ではなく一般的なアジア・ヨーロッパに乗り出すには、何か理由があるのです。
道玄坂のハワイ専門店の「テルミークラブ」と同じ経過を辿ったのは、銀座に本社を構えていたアフリカ専門店「ザ・世界」、 八重洲にあったアジア専門店「地球の旅」、いずれも専門店から脱皮して、豪華な旅行マガジンを発行して、他社よりも かなり格安の一般的な旅行パックの販売をはじめてから、数年で消えていきました。

上手くいかなかった理由は?
あくまでも推測ですが・・・・
「テルミークラブ」場合は、本業のハワイでの利益率がかなり下がったのでは、と推察されます。 ネット社会の過当競争、2003年当時、HISのハワイ扱いはかなり少なかったです。客の多くはJTB・日本旅行・近ツリー 等の大手旅行代理店が大半でした。
「テルミークラブ」のような中堅専門店は、若い世代やリピーターを相手に、大手よりも若干安い料金を提供出来て きたのは、地元ハワイでの営業努力と所帯の小ささでした。
しかし、ハワイに変化が現れたのは、ここ5年ほど前、日本人以外観光客の増加です。
ワイキキには韓国のペアルックの新婚カップルが目立ち、中国本土の大観光団体がカラカウア通りを黒い塊で 闊歩するようになってくるのと比例して、ホノルルのホテル価格はぐんぐんと上昇しだします。
そして、「テルミークラブ」が送り出し先としていた、パジェットホテル「アンバサダー」は中国資本に買い取られ 今までのような「テルミークラブ」の価格では、泊まれなくなったのでしょう。 恐らくですが、私が見ていたホームページが見れなくなった頃。

そして、破格の格安ツァーに活路を見出した?
このブログ2月3日にイースター島の記事で「テルミークラブ」の 「アルプス絶景紀行8日間、添乗員・全食事つき、 7月出発でも188,000円」は信じられない安さ、と書きました。 恐らく、この時点で支払いの為の自転車操業に陥っていたのでしよう。

69才にして、海外旅行を卒業しました

「テルミークラブ」がおかしいなと感じ始めていた頃、65才前後から、立て続けに入院・検査・手術と続きました。 最初は、新幹線内での胆管結石(確定ではないが、可能性大)の発作、ミャンマー帰国後の原因不明の悪寒による救急搬送、 そけいヘルニアの手術とその後遺症、右足首軟骨のすり減りによる長時間歩行困難、等々。
元医療関係者のカミサンは、これら全てが日本国内で起きたから良かったものの、英語もしゃべれない外国で 私が倒れたらと思うと、海外はもう行けない、と宣言しました。
その翌年、ついに40年間切らした事のなかったパスポートの期限が切れました。

海外旅行は何歳まで・・と云うことではありません。
70才「古稀」になったら海外旅行はもう無理、と云うことではありません。
一般的に、健康・資金・インタレスなどを考えると、定年退職後10年までが私たちの経験からの結論です。 私の場合は55才退職ですから、65~68才辺りが健康・資金・インタレスがピークでしょう。一般的な60才定年、 再雇用5年の場合、健康・資金面を気にせずに夫婦二人で海外旅行を楽しめるのは、長くて75才までと考えるのが 妥当な線でしょう。

世界の秘境・絶景・世界遺産を見たいのなら
私たちは、北朝鮮も、パタゴニア氷河も、イグアス大瀑布も、中米密林のマヤピラミッドも、マダガスカルの バオバオ並木も、北極圏のオーロラも・・・ほとんど全ては、現役時代40代・50代でした。

団体添乗員付きの豪華パックなら60代後半でも十分に楽しめると思いますが、人生いつかは見たい絶景・世界遺産が ある方は、出来るだけ若いうちに、行くことをお勧めします。
年齢を重ねると、先ずその費用が先に思い浮かび躊躇します。
若いうちなら何とかなるさ・・で済むのです。そうやって私たちは世界中を旅してきました。

69才と66才の夫婦はへんに悟って、国内旅行です。本当はまだ海外にも未練があるのですが・・
3月30日から、楽ちん・新幹線で岡山二泊三日の個人自由旅行です。桜はまだのようですが。


3/24 定年後の地域デビューで、やってはいけないこと

2003年に退職して、三月で14年になります。
その年に立ち上げました、同じ団塊世代をターゲットとしたサイトの当初のメインテーマは、その当時 の一番の関心事「海外ロングステイ」でした。
やがて、団塊世代が高齢者となる65才を過ぎ、定年後の生活が落ち着き、それが当たり前の日常になると 当サイトへのアクセスキーワードは、「定年後の過ごし方」と変化してきています。

当サイトのリタイヤライフ・コミュニティを形成する 定年後の過ごし方・ロングステイ・みんなの伝言/情報版 への投稿者は年々若返ってきています。(※団塊世代から見て)
10年前の団塊世代の頃と違い、 社員が希望すれば(原則として誰でもが)65歳まで再雇用される時代と変わって 投稿テーマは海外旅行情報から定年後資金の話、定年後の仕事、過ごし方への比重が 多くなってきています。

65才での地元コミュニティへのデビュー
私たち「定年後生活の先輩」である団塊世代はそろそろ、次の世代へ、経験を伝え、アドバイスをしなくてはいけない 年齢になってきていると実感しています。
特に私は、55才で退職し、終の棲家の土地で地域活動・自治会・町内会・老人会・ボランティアを行う団体の支援をする非営利活動法人に 関わって来た立場から、積極的に生の情報をお伝えしなくては、と考えるようになりました。

必要な情報は一元化されていない
日本の縦割り行政の影響で小さな自治体でさえ、私たち定年後シニアに関わる情報を得るためには、ネット上でさえも 何か所も廻らなくてはてはならないのです。
何か地元にお役に立つボランティアをしたい・・と思って市役所に行っても、どんな事をしたいのか、何が出来るかに よって、窓口は違うのです。
各地域の行政の窓口に行って相談する際は、自分が何をしたいのか、何が出来るのか、明確な意思がないと、市役所の 各部署をたらい回しにされます。
何が出来るのか?、どんな活動があるのか?、自分でも解らないので相談にきているのに!!

何処へ行ったら良いのか? 一般的な市町村の場合は
何か趣味のサークルを探す場合は
各地域によって名称は異なりますが、生涯学習センター
社会福祉・介護関係
各行政には必ずある社会福祉協議会
社会活動・ボランティアなど携わるには
各行政にはより名称は異なりますが市民活動センターorNPOセンター
スポーツや自分自身の健康造りをやりたい場合は
各行政には市のスポーツ課或いは市営体育館やスポーツ施設

団体に所属してから。やっていけない「それダメ」
  • 問われるまで、学歴・職歴を話してはいけません
  • 所属のした、団体の組織・やり方を批判してはいけません
  • 自分はもっと出来るからと云ってひとの仕事を奪ってはいけません
  • 学歴・職歴
    自分がやりたい、出来そうな団体に所属し最初の自己紹介のご挨拶の最初から、ご自身の学歴・職歴を 延々とお話する方がいらっしいます。
    特に、現役時代一流会社でバリバリと仕事をしてきた、と自負されている方に多い傾向ですが、 退職されて段階で、それらの経歴は一度リセットして下さい。
    今は、一年金生活シニアなのです。貴方の職歴・学歴が必要となった時にお話し下されば良いのです。 今の段階では、ただ単なる自慢話とか、聞こえないのです。

    批判・非難するな
    確かに、営利を目的とした会社組織からみると効率の悪い組織体系であり、会議の仕方も非効率かも 知れませんが、今までこの組織形態で何とか先輩たちが上手くやって来たのです。若し、問われたら その時に柔らかく、今までの経験からの持論を展開すれば良いのです。
    いきなり、企業の論理を持ち込むと、反感は必須です。いつかは貴方の時代が来るので急ぐ必要はありません。

    人の仕事を奪うな
    一番多い例がこれです。
    特にパソコン・IT関連は、ドックイヤーの名の通り日進月歩で進んでおり、目を覆いたくなる非効率・ 古いシステムで動いている場合は多く存在します。だからと云って、貴方から改革・改修を進めてはいけません 。組織のなかにはこれを作り、維持してきた方がいらっしゃるのです。
    この方はもしかすると70才を超えているかもしれません。貴方はこの方の負担を軽くして上げ、もつと 最新のシステムにしてあげたい、と善意で云ってるのでしょうが、結果的にはこの方の日々の やりがい・仕事を奪う事になるのです。
    問われたり、お願いされたりした時は、一緒に新しいシステムにしましょう。と共同作業を申し出なければ いけません。

    これらの助言は全て私の経験からです。
    老人の認知症を増進する、一つの原因は、生き甲斐・仕事が奪われる事である、と云う一つの学説は当たっています。 今は亡き私の母親は70代後半から、軽度の認知症になりある時期を境に進みました。
    今から思い起こせば、そのある時期とは、同居していた義理の姉が退職して家事全般を引き受けた頃ではないかと 思います。義理の姉からすれば「お母さん、これからは私が今まで出来なかったことを全てやりますから、ゆっくり と休んで下さい。」と云う善意からでたものなのですが、亡くなった今、考えれば、あの時から。
    例え年老いて、体に少し負担がかかろうとも母は母なりに、自分の仕事を生き甲斐としてやってきていたのでしよう。

    今、私は同じような経験に直面しています。
    1948年生まれの団塊世代ど真ん中は、来年「古稀」を迎えます。
    70才になったら、現在のNPOの第一線の仕事をもっと若い世代に引き継いでもらい、私自身は今までサポート して来た、後継者のいない団体に移り、お手伝いをしようと考え、二つの団体にその旨をお話しました。
    二つの団体からは感謝の言葉と共に、是非、うちに来てください。先生のような方に来て頂ければ 私も憂いもなく、お任せ出来ます、と云われました。
    69才を迎え、ソフトランディングする為にも、今年からその二つの団体の会合に参加する旨をお伝えしたのですが、 一向にご返事が有りません。
    その二つの団体の会員さんからのお話では、代表のお二方とも、現在のIT業務はおろか一般的な業務も 自分以外の人に託す気は毛頭ないようです。とお聞きしました。
    ここで私は理解しました。
    私は今、義理の姉と同じことをしようとしている。
    ゼロからその団体を立ち上げた83才の方の仕事・生き甲斐を奪ってはいけない。
    老人・シニアと云っても常に社会と繋がっていない、自ら衰えていくのだと。

    世代は一廻り違いますが、石原慎太郎のようにはなりたくない。

    3/17 六十代最後、古稀までの一年 カミサンに残すもの。

    69才の誕生日、古稀までの一年間、何を優先すべきか考えた
    団塊世代の健康寿命は71才、平均余命12年と一般的な統計で言われています。
    家族の手や、社会保障・介護・援助を全く必要としないで生活しつづけて行ける、心身ともに健全な状態は後二年と 考えると、古稀までのこの一年に為すべきことは何かと考えています。

    天然気味のカミサンにパソコンを教えること
    我が家の奥様は、これまで一回も銀行へ行ったことがありません。
    自分の小遣い口座からキャッシュカードでおろすことは愚か、通帳の記帳も出来ません。
    辛うじて携帯で話すことは出来ても、ショートメールも出来ないし、電話番号の登録も 出来ません。ましてやパソコン・タブレットを触ることも出来ません。
    それはそれで、やらずに済んできたのですから、何の問題もないのですが、しかし、いざと なったら、私がいなくなったら・・・。子供がいない、親族は遠く離れた地で暮らす二人ですから 最低限のパソコン知識・操作が出来なくては、21世紀の世の中、生きて行くには、嫌い・苦手では すまされない世の中になっているのは、ご本人も十分承知しています。

    昨年の一月、キーボード入力の苦手なカミサンに、ひらがな入力が出来るATOK入力アンドロイド タブレットをプレゼントしました。
    あれから一年、何か興味あること、調べたいことがあると、私にタブレットを渡して、操作を 頼みます。電源の入れ方・アプリの起動から教えようとしても、カミサンは「私は私の得意とすることが有り、 家事もしているのだから、貴方がやって。貴方に掃除・洗濯・料理を教えてもやらないでしょ。」で終わりです。
    でも、若し僕がお手伝い出来ない状況・状態になってからでは遅い、と云っても、来月から、今は忙しい、 必要に迫られたら、友達の○○さんだって出来ない・・・で一年が過ぎました。

    貴方にパソコンを教わりたくない
    それは、良く解ります。確かに夫婦・家族間でのパソコン教授は最悪なのは、職業柄知っています。 カミサンは、市内のどこかで、安くて親切なところで習うから、調べて。でも、貴方が関係している ところや人は嫌。と申します。
    安い・親切なところ、と云ったら私の部署NPOセンターでやっている一般市民向け教室が ベストなのですが、そこは私も紹介したくないし、かといって他の市民活動団体のパソコン教室 の先生のレベルは低すぎるし、家電店や専門教室は、営利中心なのでこんな簡単な事を教えるのに こんな金額を取るの?、知りたい事はこれだけなのに、なんで他のことをやらなくてはならないの 。そんな所に、たかがパソコンの基本を習うのに時間とお金をかけたくない。

    やっと問題は解決した、これなら出来るだろう
    カミサンがやりたいことは?
    興味がある手芸・料理・映画・本・旅行等の情報をインターネットで検索して調べることです。
    キーボード、マウスが苦手なら、音声認識入力があるじゃないか。
    PCでもタブレットでもGoogleChromeなら、マイクスイッチをタップして、画面に向かって しゃべるだけで認識してくれるのですからこれを 使わせてみると、興味を抱き、ようやく自分でやってみるようになりました。
    古稀までの一年はなるべく手を出さず、カミサンの「やる気スイッチ」がONになるのを 待つ一年になりそうです。
    君はやればできる子、と褒めて伸ばす戦術に方向転換です。

    チョット気になる問題も残っています。
    カミサンがやる気になって困ること。それは今回のように、私のブログでネタとして 使えなくなってしまうこと。です。
    カミサンは私のwebサイトもブログもFacebookも見たことはないのですから。


    ファイル・DATA・パスワードの見える化、プリント化
    もうひとつの大きな仕事・課題は見える化、プリント化です。

    どちらかと云うと、パソコンハードユーザーの私たちは、全てのファイル・DATA・画像などを、PC内、 外付けハード、クラウドストレージ、USB、DVD等にダブル・トリプルセーブしていますが、これらの 機器は、いつかは壊れる事もありますし、今までの経験から、デバイス自体が無くなり、読み込み出来なくなる 可能性は大いにあります。

    遂に昨年暮れ、MOを処分しました。
    さすがに、FD(フロッピーディスクドライブ)はかなり前に処分しましたが、MOの処分にはかなり抵抗 がありました。が、思い切って昨年、処分しました。
    理由の一つに、MOドライブのドライバーが更新されずに、Win10PCで読み込めなくなったのが原因 でした。MOは合計50枚ほどありました。現役時代の仕事や、海外旅行の画像も入っていましたが、 全て処分したのです。
    今は当たり前と思っているデバイスもいつかは使えなくなる、と云うことは、パソコンの黎明期を 生きてきた団塊世代の私たち知っているのです。

    カミサンに残すのはプリント化・ペーパー化しかない
    パソコンハードユーザーでも常々、困ってたり、工夫しなければと思っているのは、アカウント・ID・パスワードの 管理です。管理ソフトは沢山出回っていますが、いざ使うとなると、現在、今、入力を要求されているネット画面から 離れ、パスワード管理ソフト類を立ち上げる手間が生じます。
    諸先輩方もこの悩みは同じようで、先月、ビデオクラブの先輩からアドバイスを受けました。
    電話帳ブック様式にして、常に引き出せる場所に置いておく。いちいちパソコンの管理ソフトを立ち上げなくても 目で見える。これからの事を考えると、電子データー以外にプリントされたデーターは絶対必要。

    ナイスアドバイス、これしかないでしょう。

    IDやパスワードだけの問題ではなく、住所・連絡先・銀行、クレジットカードの番号等様々な、カミサンに伝えて 置かなくてはならないものは、現在私の二つのパソコンや外置きHD・大容量USBにセーブしていますが、最終的には 「プリント化・見える化」しなくては、それもあと一年以内に。
    それにしても、手書きは辛い。
    写真やビデオにして映像として残すことも考えましたが、やはり紙ベースが一番、如何に書く方に楽で、 見る方にも楽な方法・・・と考えた末に達した結論は、ハガキフォルダー方式です。すべて100円ショップ で収まります。文字もPCで入力し、大きな太文字で見易くする、インデックスラベルをつければ、直ぐに 目的のカードを探しだせる。
    ここまで考えて、材料を購入し・・・でもまだ何も手を付けていません。


    3/10 春近し、房総・勝浦の雛祭り

    関東も少しづつ暖かい日が続き、そろそろ裏山でウグイスの初鳴きも聞こえてくる季節になりました。
    現役時代の3月は、年度末を迎えて一番忙しい季節で、雛祭りも桜にも無縁の生活でしたが、 リタイヤして毎日が日曜日の生活になると、日々の季節の移ろい・歳時記にも目を配れる 生活になり、今月・今週・今日は何処へ行こうかと云う生活になっています。
    69才の誕生日を迎え、来年は「古稀」と云う年齢を考えるようになると、来年の桜は、来年の 雛祭りは、どうなっているのか解らない。今行ける時に行こう。と云う意識に変化してきています。

    勝浦のビックひなまつりは数年前より意識していました。
    この季節になると、マスコミの報道で、千葉・房総・勝浦市の町おこし「ビック雛祭り」のニュース が話題になり、何時か行こうと考えていましたが、神奈川県・三浦半島根本の鎌倉から、東京湾の反対側 千葉県房総半太平洋側の勝浦市は、遠く、日帰り旅行が嫌いなカミサンにとって腰が重い地域です。

    有名な勝浦の雛祭りを見て、ゆっくりと温泉に浸り、美味しい海の幸を食べて帰ってくるのが 理想ですが、我が家の年間旅行予算では、3月は関西・西日本方面の旅が既に支払い済みで、 予算オーバーであること、鎌倉から横須賀線・総武快速・外房線ローカル乗り継ぎ で一人片道2500円、二人往復10,000円の交通費であることを奥様に説明し、日帰りとなりました。

    鎌倉から勝浦までJRで約3時間
    鎌倉から約3時間と云うと、新幹線なら京都に着く時間です。
    土曜日の6時半の通勤電車は辛うじて大船駅で座れましたが、意外にも千葉・茂原経由の外房線は 勝浦まで満席、満員の状態でした。
    勝浦市の市を挙げての「町おこし」イベントは、ここ数年のメディアへの情報発信と市民の参加協力で 大成功しています。JR駅から続く、五か所のイベント会場に続く商店街・お店・一般民家に至るまで 、軒先、自宅内まで開放して、ひな人形を飾っています。

    遠見岬(とみさき)神社
    一番有名で、マスメティアに必ず登場するのは、この神社の60段の石段に飾られた1,800体の 雛人形です。この「かつうらビッグひな祭り」は2017は2月24日から3月5日の10日間の開催ですが、 ついつい雨が降ったらどうするのか、気になってしまいました。
    この境内で売られていました甘酒が美味しかったです。
    地元造り酒屋蔵元の大吟醸の酒粕で作った甘酒(100円)は、酸味と香りが今まで飲んだことのある 甘酒とぜんぜん違っていて、多少のアルコール成分の残った文字通り「甘酒」でお土産に ここの酒粕を購入してきました。

    最大の展示会場 勝浦市芸術文化交流センター【Kuste(キュステ)】
    2001年に全国勝浦ネットワークの縁により、徳島県勝浦町よりおよそ7,000体のひな人形を里子として譲り受け、 ここ千葉勝浦でも「かつうらビッグひな祭り」が開催されるようになりました。 全国勝浦ネットワークとは
    全国には、「白浜」を代表するように、同じ由来・地名の箇所が多く存在します。
    特に、和歌山県と千葉県には黒潮が結ぶであろう共通した地名が多く、これを受けて 平成13年「勝浦」の地名を持つ、千葉県勝浦市、徳島県勝浦郡勝浦町、 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の3市町が協力し、姉妹都市としての友好的な連携や災害時の 相互応援協定を目的とした「全国勝浦ネットワーク」を発足したことに由来してます。
    会場の広大なひな壇に6,000体のひな人形が並ぶ様は、豪華絢爛と云うよりも、これを手作業で並べ そして、後片付けする職員・ボランティアの皆さんのご苦労を想像してしまいます。

    勝浦の5か所の展示場に集まったひな人形は、どうやって集めたかと云うと、最初の徳島からの寄贈の後は 市民に家で飾ることのなくなった、処分に困るひな人形を、市と観光協会が共催する団体が広く受け入れた ことにより、全国からひな人形が集まるようになりました。
    子供が成長し、飾ることが無くなったものでも、人形となるとゴミとして処分することを躊躇する 日本人にとって、引き受けて飾ってくれるのが行政機関・公共団体なら、と喜んで送ってきてくれた、と お話していました。が現在では多すぎて、受け入れはしていないそうです。

    たいへいようがわ

    町おこし成功にあやかって 隣町・御宿では
    3月4日の土曜日、JR勝浦駅は大勢の人出で賑わっていました。
    改札で受け取った会場案内図をよく見ると、市内の5か所の他に、「御宿会場」と云う記載が 有りました。メイン会場の【Kuste(キュステ)】から無料シャトルバスが出るというので、最後に 行ってみました。

    一度は国内移住先として考えた町 御宿
    2003年に退職した私たち夫婦の、この一年間は、国内・海外の安住の地、終の棲家を探し歩く一年でした。
    当時、千葉・茨城の太平洋側地域は、団塊世代の退職を見据えて、大々的に田舎移住地として もてはやされておりました。温暖なそして、都会にない人と自然の温もりと調和、何よりも土地が 安いこと等で人気となっていました。
    では、どんな所かと見学に行く気になり、ネットで物件を探し始めて見ました。太平洋見渡す 高台・南向きのひな壇・家庭菜園も可能な100坪の土地・築15年の中古上物で二千万弱でした。
    確かに、この値段ならその当時の住んでいたマンションを売って、引っ越し費用から全て込みでもお釣りが きます。しかし、いざ下見をするとなり横浜の自宅からの電車の時刻表を調べて愕然としました。
    当時の自宅から千葉でさえ遠い・田舎・不便と感じているのに、御宿はさらにその先、房総半島の中央部 を横断し、太平洋海岸を走る外房線で横浜の自宅から3時間かかります。
    退職当時、年に120日は海外に住む、暮らすことでしたから、日本の自宅と国際空港へのアクセス・時間は気になって いました。同じ千葉県なら、その当時横浜よりも近いのではと考えたのですが・・・。それは間違いでした。
    始発は横浜と同じ時間に到着するのですが、最終は一時間も早く終わってしまうことが判明。
    最終的には、何よりもここ御宿で生活するには私が苦手とする車が必須だったことです。

    え、御宿に住むことを検討していたの?初めて聞いたわ。
    今回の旅行で、カミサンは初めてこの話を聞いた、と驚いていました。
    話してなかったっけ?と、私。
    どっちにしろ、私は田舎育ちだから、街中育ちの貴方と違って不便な生活は無理

    第二会場の御宿と月の砂漠の関係
    御宿の役場は、隣町の勝浦の成功にあやかって、吊るし雛と月の砂漠で町おこしを企画しています。 町・商店街をあげてのイベントとしては、まだ市民の参画が少なく、無料のシャトルバスでやってきても 今一つ盛り上がっていません。が、一つだけ、初めて知ったことがありました。
    サーファーで賑わう御宿の浜辺に、童謡「月の砂漠」のモニュメントがありました。
    月の砂漠を作詞した「加藤まさを」氏は出身は静岡県ですが、後年、御宿に住みこの町を愛したことから 一説に月の砂漠の歌詞のイメージが、ここ御宿と云われていることもあり、町が浜辺に造ったのだそうです。
    同じ地方都市の町おこし事業に関わっているものとして、そして一度は移住を考えたものとして「頑張れ、御宿!!」

    帰りの2時台の外房線千葉行も、千葉からの快速横須賀線直通電車も満席で座れませんでした。
    土曜日の午後便でこんなに混むなんて・・・久しぶりの満員通勤電車の3時間は疲れました。
    昔は平気だったのに、60代後半だもん、仕方ないか。

    動画をYouTubeで見る


    3/3 60代最後の誕生日を迎えて

    「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」は、 有名な一休和尚の狂歌ですが、門松を誕生日に置き換えると、まさに「古稀」を迎える前の最後の旅の指標のように感じる60代最後の 誕生日を迎えました。
    子供のいない二人だけの世帯では、誕生日は結婚以来、特別の日として祝ったことは有りません。夕飯をちょっと 豪華に贅沢をしようと、いつも二人で話すのですが、いざ当日になると適当に普通の食事になります。

    理由の大きな要因のひとつが、体重です。
    私たち夫婦二人の誕生日は一週間以内に納まっている為、その都度カロリーの高い食事・誕生日ケーキを食べると てき面に、二人とも体重が増えるのです。
    私たち二人は、結婚した40年前から体重はほとんど変わっていません。
    私は170センチ・64~65キロ台、カミサンは160センチ・48~49キロ台をづっとキープしています。 特別ダイエットをしている訳ではないのですが、健康の基準は体重・運動量と云う信念のもと、 毎朝起きてすぐに体重計に乗り、その記録を40年間つけています。
    その割には、私は病弱で大病をしているのですが・・・
    一週間に二回のお互いの誕生日を祝い、好きなものを食べ、その都度誕生日ケーキを食べるとどうなるか?、 基礎代謝が落ちている六十代後半シニアでは、この増えた体重を元に戻すのには、若いころの倍以上の時間と 努力が必要となるのです。

    65才以降、誕生月には各医療科の健康チェック・診察を集中していれています。

    私は健康オタクではありません。
    反対にそんなに「生きる」という事に執着がないほうで、人生適当に楽しく・健康で生きてきたのであれば、人様より 少し、早めに逝っても何にも問題なく、後悔もしない・・・くちです。

    今週の医療機関の受診・検診は

    月曜日 ファミリードクター内科クリニック 誕生月検診
    胸部レントゲン・腹部エコー・心電図・尿検査・血液生化学検査
    何処も異状なく、ポックリ死は脳以外は考えられない・・と云われました。
    クリニック支払い医療費 5,420円 調剤薬局 3,370円 合計8,790円


    火曜日 皮膚科医院 乾燥肌のかゆみに我慢が出来なくて電車に乗って隣駅の 懇意にしている医院へ 医療費 1,050円 調剤薬局 1,190円 交通費 308円 合計2,548円


    水曜日 総合病院泌尿器科 定期前立腺がんマーカー検査 本日の値14、依然として高値安定が 10年以上続き、様子見・経過観察で次は4か月後の7月です。
    医療費 1,260円 合計1,260円


    木曜日 眼科医院 緑内障予防の3か月定期検査 眼圧やや高め・視力異状なし、次は来月に 視野検査で、医療費 2,600円


    金曜日 歯科医院 定期歯石取り 医療費 1,060円 交通費 308円 合計1,368円


    毎月医療費がこんなにかかっているいる訳ではありません。

    今週、支払った医療費とそれに伴い交通費の総合計は16,566円です。
    毎月、こんなにかかる訳ではなく、先週が私の69才の誕生日なので定期的な健康診断を敢えて、誕生月に集中して いるだけです。ご覧になってお判りになるように、治療を目的としているのは、乾燥肌の痒みの為の皮膚科だけで 、あとは全て予防を目的とした検査なのです。

    そして別の理由も、2月は年金振り込み月だから

    リタイヤした直後、平日の銀行・郵便局に長い列が出来るのを見て、当初、何事かと思いましたが、暫くして 偶数月15日の年金支払日であることを知りました。
    大昔、若いころ、ブエノスアイレスの銀行に並んでいたあのお年寄りと同じなんだ。
    55才で勝手に退職、仕事辞め、「海外で遊んで暮らす」を夢見ていた頃、年金ははるか10年先ですから、全く 政府の年金支給日は意識しないで来ましたが、カミサンが65才の満額になり、そして取り崩す大きな塊がどんどんと 小さくなり、次は何処の塊に手を付けようかと考える財政状態になりますと、偶数月の15日は自然と意識するように なりました。

    二人とも年金満額受給になったからと云っても・・・
    好き勝手な働き方をしてきた夫婦、夫は55才、妻は52才で辞めているのですが、政府系の年金はほぼ 全国平均ですから、食べては行けても、ゆとりある生活はしていけません。
    毎月、全預金・残高の現実の数字を否応なく受け止めねばならないのです。
    そんな時のほんの少しの気休め、医療費のかかるのは、なるべく年金支給月に、という訳です。

    退職資金計画のなかでの医療費の組み方

    このサイト・ブログを立ち上げた時の発信先対象と読者ターゲットは、同じ団塊世代でしたが、サイト がネット上である一定の位置を占めるようになった現在、掲示板を見ている限りでは、読者世代はかなり 若返っています。 そのような事情を考慮して、年金シニアとして財布の中身を出来るだけ公表するように努めています。

    1,医療費は月々の費用とは分けて別会計としています。
    退職14年目、夫69才、妻66才の夫婦で年間12万円、ほぼこれでクリア出来ています。

    2,大きな手術・入院でも、今の日本の医療では高額医療払い戻しがありますから、一時的に仮払いは 発生しても、退職資金計画を揺るがすほどの出費はありません。

    3,病気になる・治療する、という今までの医療費と云う考えではなく、65才を過ぎると予防する・早期発見して 重篤に状態にならないように回避する、という形態による医療機関への出費が必ず増えます。

    4,異論・反論はありますでしょうが原則として、掛け捨て医療保険は必要ありません。
    ましてや、死亡保険も必要ないと考えています。但し、常に最高・最新・ファーストクラスの医療を受けたい、 出来うる限り長生きしたい、と考える方は別でしょうが。


    ここまでは、現在69才になったばかりの私たち夫婦の考え方です。
    これが来年「古稀」を迎え、やがて後期高齢者と呼ばれるようになった時も同じ年間予算・考えでいられるか どうかは、その時にならないと分からないでしょう。
    誰でもがネットで発信出来るようになった時代、これから先、色々な情報・個人の経験談が現れるでしょう。 それを如何に取捨選択するか、そんな時代になってきています。

    2/24 孤独死・安楽死・尊厳死を考えるようになる。

    今月末、団塊世代の私は誕生日を迎え、69才になります。
    まだ辛うじて六十代ですが、来年は遂に古稀を迎えます。
    この頃新聞・雑誌の記事の孤独死・安楽死・尊厳死等の言葉に敏感に反応するようになって来ているのを実感 している自分を認識しています。

    関東首都圏のなかでも比較的温暖な湘南・鎌倉でも、二月は結構寒いが続く時の楽しみは、夜早めの お風呂でゆっくりと本を読むことで、ここ数日はお風呂に長時間(ほぼ一時間)、半身浴の状態で、ペットボトルを用意して 朝日新聞土曜日版の「孤独死はひとごとではない」や、今月の文芸春秋の特集「安楽死は是か非か」 を読んでいます。

    孤独死はひとごとではない
    誰にも看取られることなく息を引き取り、一定期間発見されない孤独死。高齢化、核家族化が進む中、「ひとごとではない」 と思う人が増えています。
    不安の声が寄せられる一方、「望むところだ」・「よくないものとしてとらえるのもどうか」という声も。 自分の望み通りに死にたいと願う人は多いようです。

    不安、その理由は:多い回答順
    ■ 友達が少ない
    ■ 親戚と疎遠
    ■ 認知症になるかも
    ■ 相談できる人がいない
    ■ 近所付き合いが悪い
    ■ 金銭面が不安
    ■ 健康面が不安
    ■ 人に頼りたくない
    ■ 仕事をしていない
    ■ 一人暮らし

    マイナスイメージへの疑問の声もあります
    ■ 孤独死は悪いことだろうか。看取られるから幸せだと思えない
    ■ 一人暮らし憧れているので、一人で死ぬのは仕方ない、むしろ自由死といいたい
    ■ 一人暮でも孤独でなければ「在宅ひとり死」と呼ぶべき
    ■ 人は一人で生まれ一人で死んでいくもの、一人で死んで孤独死いうのはオカシイ
    ■ 孤独死という表現は、人生の終わり方孤独で寂しいものという印象を与える

    私の友人にも、七十代未婚・一人暮らし男性がいます。
    彼は孤独死に備え、自分の発信するツィッターが一週間途絶えたら、市の担当部署に連絡してくれと、 近辺の友人・知人に頼んでいますし、その後処置などの書類関係をパソコン内の他に印刷物として、 解るように整理して保管しているようです。
    「在宅ひとり死」は避けられないかもしれないが、出来るだけ、ご近所・友人・親戚・行政に負担のかからぬ 最後を迎えたい、と話しています。そして、ひとりで死んでいっても、自分の人生が決して孤独ではなかった、 と皆さんに伝えたい。と

    橋田寿賀子の問題提起 理想の逝き方を探る
    文芸春秋三月号の特集は、2016年12月号で橋田寿賀子さんが提起した「私は安楽死で逝きたい」の反響を うけて、各界著名人に対してのアンケート結果と橋田寿賀子さんと医師鎌田實さんの対談、他、寄稿記事の大特集で、 数日・毎晩、お風呂の中でじっくりと読みふけりました。

    特集記事は「安楽死」・「尊厳死」・「自死」の違いを明確に区別、分けて考えることから始まっています。
    今回は私は、アンケートに答えた各界著名人60人のなかから、自分と同じ年齢・ 世代の方の回答を主に読むことにしました。
    理由は、60代・70代・80代では、死に対するる感覚が、あきらかに違うだろう。と今回のブログ記事では、 文芸春秋3月号の記事から引用させていただきました。

    上野千鶴子さん 68才 社会学者
    安楽死・尊厳死に反対
    生まれる時も生まれ方も選べないのに、死に時と死に方を選ぶのは、人間の傲慢。「生きるに値しない命」を 選別する根拠にもなる。尊厳死と安楽死とのグレーゾーンで境界線がつけられない。本人も周囲も最後の最後まで 迷い、悩みぬけばよい。

    内館牧子さん 68才 脚本家
    尊厳死に限り賛成
    死は本人だけのものではなく、遺された人のものである。本人は「積極的な死」に満たされても遺された人は その「自死」が一生頭から離れられないだろう。

    橋本治さん 68才 作家
    安楽死に賛成
    老醜を避けたかったら、人の手を借りずに自殺すればいいのにと思いますが、別に安楽死に反対する理由はありません。 どのくらいの人が希望するか知りたいように思います。
    ただ「直ぐに死ぬ安楽死」ではなく三か月くらいかけて段落的に生理機能が麻痺していく安楽死であって欲しいと、 生と死と老いの尊厳を考えています。

    近藤誠さん 69才 医師
    ラクに逝けるがんで逝きたい
    ボケないうちにポックリ逝くのが理想です。直前まで元気で瞬時に死ねたらラクでしょう。
    ボケないことも、ピンピコロリも現実的には難しい。脳卒中や心筋梗塞での突然死を望んでも生き残ってしまう リスクがあります。後々身体が不自由になってもリハビリを余儀なくされることもある。僕自身はそこまでして 生きたいと思いません。
    だから、家族には「僕が倒れているのを見つけても、絶対に救急車をよぶな」と云ってあります。救急車を呼ぶのは 「ありったけの処置をして救命して欲しいと」と云う意思表示になってしまうからです。後述省略

    鎌田實さん 69才 医師
    橋田さんの考えに基本的には賛成
    最後のときぐらい自分で決めたい、という気持ちは良くわかります。諏訪盆地で地域医療を43年やってきて、 患者の命は医者などの他人が決めるのではなく、自分で決めるほうがいいと考えるようになりました。 僕が一番守ってきたのも、患者さんの「こうしたい」という気持ちに添うことなんです。


    同じ世代68才、69才の方々の考え、意見は予め予測出来ていました。
    これまでに、両親の死を看取ってきた経験があるでしょうが、来週69才を迎えんとする自分自身、「死」は まだ身近な問題と捉えられていない現実があります。
    来週、定期的な前立腺がんマーカー検査があります。PSA値、正常値よりも遥かに高いのですが、 ここ10年変化せず、高値安定の状態が続いており、高を括っています。
    もし、次回の値が急激に上がった異常値であったならば、この同じ年齢の各界著名人と同じように 考えられるかどうかは、解りません。が・・・恐らくジタバタはせず、積極的な治療は選ばす、成り行きに任せる ことを選ぶでしょう。カミサンも承知済みですし。


    2/17 日本の年金生活・シニアスタンダードモデルに非ず

    昨年の夏の終わり頃、当サイトのメールフォーム経由である問い合わせがありました。
    このようなサイトを運営していると、各方面からのメールがあります。
    TVマスコミ・雑誌関係が一番多く、次いで海外の不動産会社・旅行代理店・ホテル等、そして一番多いのは個人の方で 行こうとしている現地のホテル・民宿の情報提供等でした。
    今回の問い合わせは、インタビューの申し込みでした。

    このようなメールを開いた時に最初にチェックするのは、@の後のアドレスです。
    いわゆる、Gメールやヤフーメールのような、誰でもが簡単にいくつでも作れるような、webメールメルアドの場合は、 内容次第ですが、ほとんど反応致しません。
    ちゃんとした組織・会社・団体でしたら、かならず@の後はカンパーニー名を使っており、それを手掛かりに 実際に存在するのか、どんな組織なのか、ネット上ではありますが、確認できます。

    相手は、外資系のコンサルタント会社

    ネットで検索すると簡単に、一発で判明し、驚きました。
    アメリカにある、企業に対する主にデザインや企業ストラテジーをアドバイスしたり、調査・企画を 行う日本で云えば、電通・博報堂のような役割を持つ会社の日本支社です。
    面白そう、信用しても良さそうと、取り合えず目的と背景をメールで問い合わせ致しました。
    目的は、「日本の年金生活者・シニアの意識調査」だそうです。
    なんで私何ですか?、私は、そんな平均的な日本の企業退職、年金生活者ではありませんよ。
    相手は、「解っています。ネット上で十分調べました。」 「日経」さん、「FP協会」さんの記事も読ませていただき、失礼ですが信用調査もしてあります。

     具体的に何を聞きたいのですか?
     ○○さんが、55才で退職を決意した理由と、退職資金計画についてです。
     それなら、ネットに書いてありますが。
     直にお会いしてお聞きし、記録としてビデオ撮影をしたい
     映像は資料としてで、メディアに載せないのですね。
     社内資料として、調査依頼のあったクライアントに提出します。
     依頼先は何処ですか?
     お話できません

    最終的にOKした理由は?

    インタビューの場所を自宅または、普段活動している拠点・会社等と指定きた時、かなり本気だな と思った事と、大変少なくて申し訳ございませんが、「謝金」は当社の規定で一万円とさせて、いただきます。 とのメール内容でした。
    二時間ぐらいのインタビューで一万円か、時給5,000円はNPOセンター講師の五倍だなんて考え承諾し、 インタビュー場所は、自宅はカミサンが絶対に許可しないので、普段活動しているセンター会議室となりました。
    来たのは、如何にも外資系キャリアウーマンと思われる二人の若い女性と、アメリカ人らしくラフなスタイルの 男性と、カメラ担当のこれも半ズボンといういで立ちの若い日本人男性でした。
    質問はすべて英語によるもの、少し私が判断に苦しむような場合は、メールの連絡相手でした、 若い女性が間に入り通訳してくれました。
    インタビューの内容は、事前にメールで下打ち合わせしたもので、かなりスムーズに二時間で終わり、 最後にはアメリカらしく、秘密保持のサインを求められ、その場で謝金を受け取りました。

    もう一度インタビューしたい?

    第一回目のインタビューから二か月ほど経った頃、再びインタビューしたい、謝礼も同じようにするので 、ご都合は如何とのメールがあり、お受け致しました。
    この時は、私の話と言うよりは、彼らがクライアントへ提案するストラテジー方向について、 意見を求められました。
    日本の定年シニアとアメリカ人退職者シニアの考え方、人生観、投資に関する意識の違い、等を彼らと 話し合い、記録していきました。
    これで、お終い、結構良いアルバイト収入、しかも源泉はなしなんだから。

    クライアント企業からの依頼、なんで私なの

    秋も深まって、臨時収入を何に使おうか考えていた頃、例の外資系調査会社から、依頼先クライアントが 会いたいと云っているので、メールアドレスを教えて良いか?、というメールです。
    良いですよ、というと翌日、クライアントの担当部署と云う女性から、先ずはお会いしたい、という話です。 例の如くメルアドを見て、ネットで調べると、これも外資系の保険会社でした。なるほどね。

    この会社が調査・コンサルタント会社に日本のシニアの意識調査を依頼し、これからの事業戦略の提案を 受け、新たな事業を始めるようです。
     なんで私なの?話に聞くと全国で 数十名リタイヤシニアのインタビーをしたみたいだし、私は日本のサラリーマンの王道を歩いてきた訳でもないし、平均的とも 云えないのに、私の話・境遇・経験・経過はどちらかというと異端の部類なんですよ。
     これまた、如何にも外資系企業のマネージャークラスの若くて美しい女性担当者は、調査した数十人のインタビュー映像を見て ○○さんに来ていただくように推薦したのは当社のCEOです。 確かに、日本企業の王道を歩んできた人のインタビューを聞きましたが、正直、過去の仕事の武勇伝・今の生活の自慢話 的なものが多く、参考になりませんでした。
     何処で、何の目的で何を話せとおっしゃるのですか?
     インタビューされ、お答えになった事を社員の前でお話いただきたい。
    ■どうして55才で退職しようと考えたのか
    ■何時から考えたのか
    ■どうやって資金計画をたてのか等々、2時間トーク・質問形式で行いたい


    これ以上は、企業の秘密保持もありますから書けません。
    解ったことは、すでに退職している、バブル勝ち逃げ団塊世代や、60代前半の数年で退職を迎える世代ではなく、 これから定年後を考え始める、50代をターゲットとしているようです。
    私たち団塊世代は今年、来年に古稀を迎えます。
    もう、企業や社会の消費や投資のターゲットから外れていく世代になるのを今回実感しました。
    勿論、この企業からも相応の謝礼を頂きました。インタビューと合わせた謝礼金は、新しいビデオカメラに なり、それなりに社会還元し、勤めは果たしたつもりです。


    2/10 雨男・雨女の春の小旅行、熱海・三島


    定年・退職・リタイヤ後に発症したカミサンの持病「つまんない病」は一か月以上、何らかの形で旅に出ないと悪化します。 ここ数年は、財政的な基盤というよりは、海外旅行の煩わしさ・飽きたからか、日本国内の旅行で十分カミサンの 「つまんない病」は緩和されるようで、二月は、超近場、湘南に住む私たちからすれば、電車で 一時間、日帰り圏内の熱海となりました。
    うたゆの宿 熱海四季ホテル

    先月、昨年泊まった箱根と同じ四季ホテルグループから、通常よりも1000円引きの8,980で泊まれる 割引クーポンが送られてきて、熱海梅園を見下ろす、「うたゆの宿 熱海四季ホテル」を熱海梅園の梅が 見頃となる2月の第一週に予約しました。
    ところが、直ぐに電話がかかってきて、この割引クーポンは二月は使えないけど如何しますか、云います。
    確かに、このホテルのピーク・かき入れ時は梅園最盛期の二月ですから、それでもOKしました。

    切れやすい、暴走老人?
    昨年の箱根四季ホテルは値段の割にはまあまあでしたから、梅園に近い(梅園裏口まで徒歩一分)このホテル に少し期待していましたが・・・
    今まで海外・国内と色々な宿に泊まった経験、及びホテル建設にも携わってきた経験から、私たちが通された 208号室は、このホテルの最低ランクの部屋でした。
    狭い。ベッド2つ置いたスペースの他、寛げる場所は皆無
    眺望が悪い。窓を開けると、外は駐車場と隣の中銀ホテルのボイラー室
    うるさい。直ぐとなりはELVホールで廊下の人声が聞こえる。
    ホテル側は無作為で、部屋割りをしているのでしょうが、想像するに、二人客よりも、グループ客を優先 しているのでしょう。
    何故かというと、この宿の「うたゆの宿」の歌とはカラオケのことで、カラオケルームが地階に沢山あり、 7時までは無料、以降も格安料金で楽しめる、とカラオケ好きシニアに大人気と云うことを宿泊して初めて 知りました。 部屋の変更を求めても、先ずこの時期「満室」と云う返事は予想されたので、止めました。
    五階建て全室100室の料金はほぼ年間を通して同じがうたい文句ホテルで、その最低の部屋を割り当てられた のは、運が悪かったと諦めるしかなく、二度とこのホテルに泊まらなければ良いのです。

    ついでに、熱海で一泊9,800の宿のレベルとは
    ・お風呂は小さい、大浴場ではなく中浴場、露天風呂とは名ばかり超浅い
    ・スタッフが少なく、チェックイン・アウトに時間がかかる
    ・食事処でもスタッフが少なく、タイムリーな配膳が出来ていない
    ・平日のせいか、客層の80%は70代のシニア層、子供・若い世代は皆無
    このような環境ですから、安らぎを求めるのなら、 60代後半、古稀を目前に控えた団塊世代夫婦はもう、安けりゃ良いやは卒業すべきなのでしょう。

    一日目は天気予報通りの雨 熱海の桜と梅は?

    関東地方は、ここ一週間以上真っ青な晴天が続いていましたので、嫌な予感はしていました。
    肝心な時、旅行の時に限って雨が降る予感は的中。
    早めに家を出たのに、熱海駅に降りるとポツンと来ました。 宿のチェックインタイムは午後の2時、それまで熱海銀座・糸川沿いの熱海桜を見る予定です。
    駅からの坂道の途中 のコンビニで雨傘を買ってたどり着いた「糸川桜まつり」の屋台はちょうど雨で撤収中、肝心の早咲きの熱海桜は 2月5日で、葉桜です。10日間遅かった。

    熱海梅園の梅は?
    昨年は第二週に来て遅かったので、今年は第一週に来たのですが・・・
    梅は桜と違って、開花時期長いのと、熱海梅園は高低差があり、下が終わっていても上が盛り、と云うことで あまり、時期に拘らなくても良い場所なのです。

    二日目は天気予報通りの晴天 三島へ

    今回の小旅行のメインは、先ごろ評判の富士山の絶景を楽しめる、新しい観光スポット、三島スカイウォーク です。二月の空が澄み切った季節、きっと素晴らしい富士山がのぞめるだろうと期待して、熱海から東海道線に 乗車しJR三島駅の改札を抜けると、自動改札は警告音とともに閉鎖されました。
    何故?、スイカは使えないの?
    今時、京都でも大阪でも全国主要都市ではスイカが使えるのに、熱海から二駅の三島は使えないの? 三島は静岡県。同じ東海道線でも管轄は、JR東海です。
    駅員さんの説明ですと、JR東日本とJR東海を跨いでの使用は出来ないというのです。ここで再び切れやすい シニアの発作が出そうになりましたが、我慢・ガマンです。

    箱根方面は曇り空
    熱海・三島の海沿いはすっきりした青空なのに、スカイウォークに近づくにつれ、どんどんと雲が多くなって行き 、路線バス三島大吊橋に到着する頃は富士山は雲に隠れていました。
    おまけに、強風と寒さ、イメージしていた画像は撮れず、カタログの写真を撮って、早々と同じバスで三島に Uターンです。

    時間はまだお昼前、さてどうしよう。

    名物料理
    三島から私たちの自宅のある駅までは、ほぼ一時間強。
    まだ帰るには早すぎますし、とりあえずお昼と云うことで、三島名物の「うなぎ」でもと、お店を覗いたのですが、 うな重は4,000円もします。
    ここでも貧乏・節約根性丸出しの年金シニア夫婦の旅のお馴染みの業、家の近所や都内の ウナギ屋さんの方が、駅前の観光客相手のお店よりも、安いし、美味しいハズと、結局は食べたことのない、 「静岡おでん」定食と相成りました。

    柿田川湧水公園
    時間はまだたっぷりあるし、今日は東海バスの一日三島乗り降り自由のパス「みしまるくん」を買っているので 昔、一度行ったことのある、富士山の伏流水の湧き出る、柿田川へ行くことにしました。
    三十年ぶりに行った「柿田川湧水公園」近くは大きく変貌して、国道は広くなり、周りにはショッピングセンター が立ち並んでいました。自分たち夫婦が過ごしてきた時間の長さを感じる思いです。
    でも、柿田川の湧水は変わらず、美しく、こんこんと湧き出ています。今回のお天気にも、宿にも恵まれなかった 小旅行ですが、最後にはこの水の美しさに癒されて、日常生活の戻る電車に乗り、帰路に着きました。ヤレヤレ、終り良ければ すべて良し。

    旅の動画をユーチューブにUPしました。
    熱海・三島スカイウォーク


    2/3 今時の海外旅行のお値段 イースター島六日間60万とアルプス八日間18万

    「定年後の海外ロングステイと世界遺産の旅」というタイトルのwebサイト の管理人なのに、ここ二年近く海外旅行に出ていない、と云う矛盾が発生しています。
    サイトのグーグル検索ランキングで長らく上位を維持していた
     ★キーワード マレーシア ロングステイ、は二位
     ★キーワード ハワイ ロングステイ、は二位
     ★キーワード 定年後、はトップ と検索順位を維持しているものの
     ★キーワード 世界遺産ランキング、 に至っては、情報の更新が全くされていないのを、googleは知っているようで圏外と正直なものです。

    55才で退職して、今年で14年目を迎え、海外旅行に行かなくなった理由は分析するまでもなく
     一に、健康不安・体力不足・老化
     二に、海外旅行への好奇心の低下、現役時代に行きたいところは行ってしまった?
     三に、面倒くさくなって来たこと、などがあげられるでしょう。

    そんなものぐさ、シニアおじさんの目についた新聞の旅行広告が幾つか


    日本旅行のイースター島六日間、599,900円と、 テルミークラブのアルプス絶景八日間、168,000円です。

    日本旅行のイースター島、高すぎない!、テルミークラブのアルプス、安すぎない!!

    テルミークラブのアルプスは
    「スイス」・「ドイツ」・「オーストラリア」・「イタリア」アルプス絶景紀行8日間、添乗員・全食事つき、 7月出発でも188,000円
    その上一人部屋料金+40,000円ですから、どう見ても安い。
    しかし、よーく読んでみると、スイスとは書いてないんです。
    宿泊はミラノ一泊、インスブルグ二泊、コルティナ二泊、機中二泊、行きのドバイは早朝着乗り換え、帰りのドバイ は深夜着乗り換えですから、おん齢69才にならんとする、健康不安を抱えているシニア団塊おじさんには到底無理な 代物です。
    何処をどう仕入れると、ヨーロッパがそんな金額に納まるのか不思議です。

    一方の日本旅行のイースター島は
    何処で仕入れ、何処に泊まると、六日間で600,000万円になるのか?
    イースター島は、一回目は二十代の南米時代、チリから船で行き、帰ろうとした時に当時の左派政権アジェンデの 映画にもなった「サンティアゴに雨が降る」の反革命が起きて、島に取り残された経験があり、二回目は1995年、 個人旅行で一人38万円、カミサンと二人で合計80万円、8日間を経験しています。

    今、イースター島が高い理由
    日本からのイースター島旅行が高い理由は、私のサイト タヒチ・イースター島 に書いていますが、再度このブログで説明します。

    2017年の日本からイースター島への最短ルート
    成田からエァータヒチヌイ航空でパペーテへ飛び、ラタム・エアラインズ・チリ航空に乗り換えて イースター島に行くルートが一番近いです。・・・・が
    日本とタヒチ間は原則週二便( エァータヒチヌイ航空フライトスケジュール参照)
    タヒチとイースター島間は週一便 (エアラインズ・チリ航空フライトスケジュール参照)
    どんなに上手にフライトを組んでも、タヒチに三泊、イースター島に六泊の13日間必要となるのです。
    昔、1995年当時は、成田・ハパーテ間はエアーフランスが週3便、パペーテ・イースター島間はラン・チレが週二便飛んでいましたから タヒチ2泊・イースター島3泊の日本発8日間38万円が成り立っていていたのです。

    イースター島へ他のルートはないのか
    チリのサンティアゴからイースター島へは一日一便あります。
    (エアラインズ・チリ航空フライトスケジュール参照) でも、日本からどうやってチリ・サンティアゴまで行くの?、2017現在ではアメリカ本土経由、ドバイ経由、 ニュージーランド経由とありますが、先ずは南米に行かなくては、ならないのです。
    南米旅行の途中でイースター島なら安くつきますが、日本発着ではコスト的に無理です。

    日本旅行の六日間、66万円の理由は
    イースター島2泊・タヒチ2泊、旅行日数6日間が成り立つのは、タヒチ・イースター島間をエアータヒチヌイの チャーター便を使っているからです。
    恐らくですが、日本旅行単独チャーターではなく、日本の大手旅行会社各社の共同企画だと思いますが、ネット上 では解りませんでした。

    空想・机上、イースター島へ40万円で行くプラン


    今すぐいくならの机上プラン
    2月6日(月) 17:40NRT→PPTタヒチ
    同日(月) 9:40着 乗換待ち時間16時間
    2月7日(火) 02:30 E島へ13:00 ホテル泊1
    2月8日(水) イースター島 ホテル泊2
    2月9日(木) イースター島 ホテル泊3
    2月10日(金) イースター島 ホテル泊4
    2月11日(土) イースター島 ホテル泊5
    2月12日(土) イースター島 ホテル泊6
    2月13日(月) 23:40→タヒチへ
    2月14日(火) 00:30着 タヒチホテル1
    2月15日(水) タヒチホテル2
    2月16日(水) タヒチホテル3
    2月17日(金) タヒチ07:00→成田へ
    2月18日(土) 成田着14:05
    予算計画
    成田・タヒチ間往復 165,150円
    タヒチ・イースター間往復 112,000円
    タヒチゲストハウス 3泊 36,000円
    イースター島ゲストハウス 6泊 48,000円
    イースター島バイクレンタル3日 30,000円
    食事・観光費・その他 60,000円
    合計 450,000円

    どうしても、フライトスケジュール的には13日間は必要となり、40万円は切れませんでした。
    タヒチのホテル・物価高を考えると、このあたりが限界でしょう。
    しかも、この机上空想プランは、英語力は必須、出来ればスペイン語が必要で、ゲストハウスに泊まることを 厭わずのかなり旅慣れた方ようです。
    団体パック6日間60万円を選ぶか、13日間ゆっくりとイースター島とタヒチを貧乏は厭わずに楽しむかです。 70才古稀を目の前にした私たち夫婦でしたら、何方も選びません。
    夫婦二人で120万円だして、たった6日、実質3日半の旅に、そんな大金は払えません。
    そんな大金があったら慣れたハワイで豪華に過ごします。

    退職計画を考えている50代・60代の皆様へ
    遠いところ・秘境・世界の果て・交通の便の悪い所などは、体力・気力・好奇心・経済力のある現役の うちに、行っておくことをお勧めします。
    退職して自由な時間が出来たらでは、遅すぎます。


    1/27 話題の映画「沈黙」を見に行く

    久しぶり・懐かしい、遠藤周作を読み返す
    1970年代、20代前半、南米アルゼンチン時代は現代のようなインターネットもNHK衛星放送もなく、日本語の 活字に飢えていました。
    そんな時代一番の楽しみは、三ヶ月遅れの日本の雑誌、特に「文芸春秋」を読むのが一番の楽しみでした。
    この頃の遠藤周作と云えば「狐狸庵」と称し、ぐうたらを軸にしたユーモアに富む 洒脱なエッセイで知られていましたが、本当はキリスト教を主題にした作品を多く執筆しているのは、 帰国してから、代表作の『沈黙』と『深い河』を読んで知りました。

    『深い河』は仏教・ヒンドゥー教の生まれ変わりをテーマに、キリスト教徒の遠藤周作が死と生を如何に 受け入れていくかの話です。
    この頃、休暇が取れれば世界遺産の地を年に何度も旅していた時期です。インドのバナラシ(昔はベナレス とよんでいた頃)は80年代に訪れていますが、この頃の私はまだヒンドゥ・仏教にさして興味がなく、 汚い・物騒な街、死んだ牛が脇を流れるガンジス河で沐浴する人々を、死体を焼く煙を観光客として カメラを構えていたました。
    この『深い河』を読んだ後、インド南部・ネパールと旅すると、必ずその地には、ガンガを模した聖地・ 聖なる河の存在を知り、再び文庫本の『深い河』を持ってバナラシを旅したことがあります。

    映画・沈黙
    109シネマ湘南で月に一度は映画を見るようにしていますが、最近の映画はアニメか、ハリウッドのCG主体 のエンタメものばかりですが、館内の予告でこの『沈黙』を知り、期待し、上映を待つていました。
    ストーリーはと云うと
    1614年、切支丹禁止令の江戸時代初期の長崎・雲仙・平戸・五島が舞台です。 マカオ滞在の二人のポルトガル人宣教師は、師と仰いでいた、日本に向かった先輩宣教師の行方を捜しに 密かに日本に上陸するところから始まります。
    日本の隠れキリシタンの農民に匿われ、布教と同時に先輩宣教師の行方を探すうち、二人の存在は 密告により長崎奉行に囚われ、棄教・背教を迫られのです。
    信仰を捨てない宣教師の前で、切支丹農民は次々と拷問にかけられ、そして死んでゆくのです。 長崎奉行の井上から、お前たちは、このような農民を救う為に日本に来たのではないのか?、宣教師が 棄教すれば、これらの農民の命を救える、それが本当の主の教えでないのか、踏み絵を踏むのは単なる 行為・簡単に、深いことを考えずに、これらの農民の前で行え、と迫るのです。

    どうしても棄教・転ばない宣教師の前に現れたのは、探していた師と仰ぐ先輩宣教師です。
    彼は和服を着、名前も沢野という日本名を名乗り、日本人の妻と子供もいました。
    長崎奉行所はこの師と慕う宣教師に説得を託したのです。
    やがて、自分をパードレと慕う農民が次々と目の前で拷問されていく姿に、彼は負けて、遂に 踏み絵を踏むのです。

    遠藤周作のキリスト教感
    見終わって帰宅すると、カミサンが「どうだった、良い映画ならお友達と見に行くけど」、とおっしゃいます。 うーーん、良い映画だけど、テーマがかなりシリアスだから、一緒よりも一人で見に行くほうが良いよ。 と私。

    遠藤周作のキリスト教の原点は
    このブログ書くにあたって、遠藤周作のキリスト教の原点は何か?、何処か?を調べてみました。 遠藤周作は慶応大学仏文科だと覚えていたのですが、彼は慶応の前に私がスペイン語を学習した、 イエズス会系の大学に入学していたのです。(中退した後慶応へ入学)
    そっか四谷が原点か。
    そんな同じ出発点を持つ私ですが・・・・68才の日本人はどちらかというアジアの上部座仏教や チベット系仏教を身近に感じています。
    この世で功徳を積めば輪廻転生の苦界から解き放たれる・・・なんて難しい話よりも、タイ・ラオス・ ミャンマーの田舎のお寺のお坊さんのように、朝は托鉢をして施しをもらい、昼は洗濯・昼寝をして、夕方 から子供を集めての寺子屋、夜は蛍の飛び交う田んぼ、蛙の合唱のなかで寝床につく、もし生まれ変われるのなら 私は貝ではなく(古い、若い世代には理解できない言い回し) 次の人生はそんなアジアのお坊さんになりたい。

    「映画・沈黙の感想がこんな結論で終わるとは、齢老いてきたな。」と呟く。


    1/20 肩こり・手先のしびれ 頸椎性神経根症 これも老化なのぉ?

    この齢で八種類の薬を飲むようになるとは
    つい最近まで、TVのなかに登場する高齢者が何種類もの大量の薬を、食後に飲む 姿を見ていて、そんなに薬を飲んて大丈夫なの?、却って健康を害しないの?、それって 本当にドクターが飲めと、指示しているの?と思ってみていました。
    その、68才の私が本日の飲まなくてはならない薬は8種類あるのです。
    今まで飲んでいたのは四種類。

    ・血圧を下げる薬
    ・痛風を予防する薬
    ・逆流性食道炎を緩和する薬
    ・胆のうに胆石を造りにくくする薬

    そして、正月明けから飲まなくてはならない4種類は

    ・痛みや炎症を抑える薬
    ・薬による胃炎を修復する薬
    ・末梢の血行を改善する薬
    ・末梢神経の障害性疼痛を抑制する薬

    これでは、TV画面の中の高齢者所帯で見かける、「お薬カレンダー」なるものが 必要なのを実感しています。

    年末から少し痛かったですが・・・正月明けに整形外科へ
    こんなに大量の薬を飲むようになったのは、BBS掲示板にも書きましたが、12月頃から 左肩から 二の腕にかけての痛みを時々感じていました。
    これは、年末にかけて何ケ所かの「webサイト立ち上げ支援」を抱えており、1日8時間 以上、PCに向かっての作業する日々が続いての、肩こりだろうと思っていたのですが。

    左肩から二の腕の痛みは次第に左手の指先の痺れへと拡大していき、お正月明けの4日 新年明けで混むことを覚悟して、以前から右足首軟骨のすり減りでお世話になっている 、整形外科のドクターに駆け込みました。

    問診票を見た顔見知り・お友達感覚のドクターは開口一番
    「年末の大掃除でレンジフードをやらなかった?」
    「年明け早々に来る60代シニアの典型的な例なんだよ」
    「病名は頸椎性神経根症」
    「発症の原因は老化、PC作業と姿勢の悪さ、後は枕」
    右図のように首の骨を支えている椎間板が加齢により変形することで 神経を刺激し、片側の腕や手、肩に症状が現れる疾患を「頚椎症性神経根症」という。

    治療方針とやってはいけないことは
    初回はレントゲンを撮って、ロキソニン系の沈痛・消炎症剤でまず痛みをとる ことが、ここのスポーツ整形ドクターの方針です。
    一週間後、指先まで痺れが生じたことで、MRI撮影で、首の断面からみてヘルニア 部分を特定しました。
    普段生活していて、痛い時と痛くない時、なにをやったら痛いのか痛くないのか 自分でも良く解らなかったのですが、MRI画像で確定してました。
    ・首を左に向けると痛む、右は大丈夫
    ・首を上に向けると痛む、下方向は大丈夫
    先ずは、痛み・炎症を抑えること、そして正しい姿勢を維持し、パソコン作業 は30分毎に休憩をして、腕・方のストレッチする。
    その時に首を急激に曲げる、肩をぐるぐる回すなどの運動はしてはいけない などのアドバイスを受け、2週間後にまた来てください。とのことです。

    世の中には同じ病気の人が沢山いるようです。
    ドクターから、首のコルセットを勧められました。
    よく見る車の追突による「むち打ち症」の方がしている如何にもコルセット と云ったタイプではなく、図のような柔らかスポンジ系の、急激な 首の動きを抑えるもので、ちょうどこの冬の季節、マフラー代わりにもなり 、現在着用しています。
    帰宅して、キーワード「頸椎性神経根症」でググると、沢山の方々が苦しみ、 治療法などを書いています。当然ながら玉石混交ですが、そのなかで一番 気に入り、親しみがもてたのが、
    頸椎性神経根症に効果のあるモノ、無いモノ
    効果があったのは脳神経外科の適切な診断と、ロキソニン、 頸椎をサポートする枕くらいでしょうか。 反対に効果が無かったものはいくらでも挙げられます。
     ・整体
     ・漢方薬
     ・ビタミン剤
    完治するのか、しないのか。
    どのくらい時間の月日が必要なのか
    五十肩でも半年かかったのですから、ゆっくり、じつくりとこの痛みと付き合い 時々ブログにて報告するようにします。

    1/13 冬の津軽・五所川原ストーブ列車と星野リゾート青森屋

    星野リゾート青森屋 2泊3日 驚き398

    今年の旅のスタートは、冬の東北の温泉宿での湯治からです。
    国内旅行は、個人・自由旅行と決めていますが、宿も移動交通もすべてネットで個人レベルで取ると非常に高くつくのは 解っています。確かに大手旅行社の主催旅行のほうが断然と安いのですが、あのバッジをつけて先頭の旗のもと、 団体としてぞろぞろと歩き、お仕着せの昼食会場で出されたものをいただくのは、この年齢だとまだまだ抵抗があります。

    時間的・金銭的にかなり余裕あり、ネット通販になれた年金世代向けに、旅行業界は団体パック並みの料金で、 個人・自由旅行を販売するようになってきており、私たちの旅のスタイルと合うので、海外旅行から国内旅行にシフト してきている私たちは、主にこのようなレール&ホテルバックを利用しています。
    今回は大手H社のダイレクトメールにあった超目玉、「新幹線+星野リゾート青森屋2泊3日 朝食・夕食付き+往復送迎 398」 です。
    JR東日本のビュープラザ窓口で売っている「トレイン・ホテルパック」の青森ビジネスホテル一泊が35,000円程度ですから、 如何に安いか分かります。但し、今回の商品は期間限定・列車は選べませんでした。
    東京発10時の新幹線で行き、帰りは八戸発13時台ですから、実質中一日という日程になり、全くの自由旅行ではないのです。 しかし、この値段なら仕方ないか!が本音です。

    星野リゾート青森屋
    星野リゾート青森屋の前身、古牧温泉は十数年前に泊まったことがあります。
    青森から遠く離れた「三沢」にある広大な敷地を持つ温泉施設で、旅行新聞社の「行ってみたい観光地」10年連続1位となり、 一時期アニメ映画「千と千尋の神隠し」の舞台モデル と云われた人気のホテルですが、バブル期の奥入瀬ホテル建設で財政破綻し、外資ゴールドマンサックスに買収された後、運営を「星野グループ」に委託されて 、今では超人気のリゾートホテルとして生まれ変わりました。
    生まれ変わった「星野リゾート青森屋」は、津軽の祭りをテーマに楽しめる温泉リゾートです。
    館内はすべて改装され、津軽の祭りで彩られています。
    画像はホテルスタッフによる、最近人気の「スコップ三味線」です。
    津軽の居酒屋発祥の宴会芸で、スコップを三味線に見立てた、今はやりの「エァー津軽三味線」で、大人気でした。

    二日目 五所川原へ
    今回の旅の目的は、今人気の星野リゾートを体験することと、冬の津軽の体験です。
    日本海の地吹雪の中を入る小さな私鉄ローカル線のストーブ列車がメインです。
    星野リゾート青森屋では、ホテルのアトラクションとして多くの体験ツァーを設定しており、今回、ネットで事前に 「五所川原の立佞武多とストーブ列車ツァー一日 昼食弁当付き 7,500円」を申し込んでおきました。
    青森の三大ねぶた祭りは、青森・弘前とここ五所川原です。
    昨年夏、吉永小百合のCMで有名になった「鶴の舞橋」に行きたくて行く方法を調べていて、五所川原の立佞武多の存在を 知ってから気になっていたところです。
    五所川原の立佞武多は他のねぶたと違って、縦方向に大きく、23メートルもある巨大なもので、1998年復活再現されて 今は、五所川原市の地域興しの礎となっています。
    五所川原 立佞武多館参照

    津軽鉄道ストーブ列車
    日本海からの地吹雪、そして達磨ストーブで暖をとる津軽弁が飛び交う地元の人々、そんなイメージを抱いて 津軽中里から乗車しました。
    列車は二両編成で、ストーブのある車両は特別車両でストーブ券が必要、一般車両にはストーブはなし、私たちが乗った 車両は観光客のみ、ここに二人の津軽鉄道アテンダンドさんと、石炭焚きの車掌さんが乗車してました。
    車窓にはほとんど雪はありません。
    アテンダンドさんの説明では、今年は異常で温度は零下と寒いのですが、全く雪が積もらず、観光客の皆様はがっかり されているようですが、地元の方は喜んでいます。と云います。
    確かに、け嵐・地吹雪のなかを行くイメージなのですが・・・
    津軽鉄道は太宰治の生まれ故郷「金木」を通ります。ストーブ列車で有名になりましたが、春のさくら並木を走る 津軽鉄道も是非見に来てください。と紹介していました。
    津軽鉄道写真ギャラリー参照

    三日目 大寒波襲来 雪

    関東首都圏に住む人にとって東北の冬のは、強い風と豪雪のイメージですが、星野リゾート青森屋は太平洋側の三沢にあります、 三沢は東北・北海道新幹線の八戸の北、送迎バスで35分の距離で、行くまでは 知りませんでしたが実は雪は青森で一番少ない地域なのです・・・
    前日の五所川原では、雪がないとぼやいていましたが、三沢への帰路は八甲田に続く標高の高い峠近辺では、ホワイトアウト するような吹雪で真っ白でしたが、太平洋側の三沢に近づくにつれ、白から青い空に代わっていく様を見てまいりました。

    雪見露天風呂
    地元青森のTVニュースで、大寒波が青森県にやってくると報じていました。
    夜、星野リゾート青森屋ご自慢の冬の風物詩 絶景雪見露天「ねぶり流し灯篭」に入ると、穏やかな舞うような雪が舞っていました。
    水中に浮いたように 設計された露天風呂には、ライトアップされた津軽ねぶた・ねぶた灯篭・空中ぼんぼりが幻想的な雰囲気を醸し出していました。

    翌朝は銀世界
    元々、古牧温泉時代は敷地内に鉄道線路があるほどの広大な敷地があり、いまでも当時のまま公園として引き継がれています。
    敷地内には創設者杉本氏の師「渋沢栄一」の旧渋沢邸、古民家南部曲屋、岡本太郎記念公園があり、朝の散歩で一まわりすると 一時間はかかるほどの広さです。
    昨夜の雪は止んでおり、太平洋側の三沢は空気は冷たいものの空は真っ青に澄んでいており気持ち良い朝の雪景色でした。

    1/6 定年後のお正月の過ごし方

    六十代最後の年賀状

    新年あけましておめでとうございます。
    リタイヤライフに入って14回目のお正月を迎えています。
    現役時代のお正月は100%海外で過ごしていた為、年賀状は出したことがありませんでした。出すようになったのは、 退職して、お正月を日本で過ごすようになってからです。

    退職初年度は、現役時代にお世話になった方と、これまでの海外旅行仲間へで、100通以上を書いていましたが、 徐々に減らして行ったのと、年齢を重ねる毎に増えていく、喪中ご挨拶のハガキの増加で、今年は半分の50通でした。

    当然、受け取る年賀状も年々減り続けています。
    今年2017年の誕生日で69才になり、来年の「古稀」を目安に年賀状を止めようかと考えていますが、ちょつと寂しい 気がするのでは、とも思うことでしょう。

    年賀状は生存確認?、生きてきた証、忘れないでね、と云う友人のアドバイスもあるのてすが・・・その時になったら 再び考えることにしましょう。

    お正月の過ごし方 元旦 近所の神社へ

    大晦日の紅白歌合戦は、60代後半の夫婦には全く興味がなく、除夜の鐘を待たずに就寝。元旦の朝は普通に起き、 恒例となっている「デパートの二人用おせち」を囲んでお仕舞です。
    年末の慌ただしさのなかで忘れていました、左肩から二の腕への痛み・・そう昔右腕でやった五十肩のような症状 なのですが、後ろ手を組めるから六十肩ではなさそうで、単なる老化なのでしょうが、気が滅入る元旦の朝です。

    しかし、関東のお正月一日目は、雲一つない晴天・風もなく穏やかな暖かい一日ですから、正月早々自室に籠って パソコン相手では、と思い、陽光を目いっぱい浴びれば、少し塞いでいた気分が晴れるかと、ご近所の神社に初詣に 行ってきました、

    私どもの住む地域は、小田原北条氏の末城があった地域で、古くから北条や武田氏の因縁があり、白旗神社とか諏訪神社 が多く点在している地域です。
    ご近所の方も滅多にこない小さな神社ですが、お正月の三が日は、周辺の老人会・氏子の皆様が、甘酒などのご接待を していました。
    いつか、もう少ししたら、この方たちと一緒に活動するのかな、と思った一日でした。

    お正月の過ごし方 二日目 初売りお買い得品

    ご近所では、コスパの西友を除き、駅ビルルミネ・スーパー・大型量販店すべて休みで、二日から営業・初売り大特売 のチラシが入ってきます。
    このような特売チラシより、ネットのほうが安いので普段目を通しても心動かされないのですが、近所の家電量販店の チラシに目が留まりました。
    64G・クラス10のSDカードが2,017円は絶対安い!、それに嘘か誠か超ハイスピードと謳っています。

    SDカードを何に使うかというと、現在使っている新しいPCはハードディスクではなく、128のSSDです。OSに半分持っていかれて 実際に使用できるのは、50Gちょっとしかないのです。
    64G・クラス10・超ハイスピードのSDカードは、このPCの追加SSDになるのです。

    チラシには数量限定と書いてあったので、開店30分前に並べば、整理券をゲットできるだろうと、1月2日の朝から並びました。 しかし、開店の10時間際になっても整理券は配られず、シャッターをくぐって飛び込んで、売り場に直行して購入しました。
    帰宅して直ぐにテストを試みました。
    試しに5Gぐらいの重いファイルを書き込んだところ、10分もかかりました。ちっとも超ハイスピードではないのです。 ネットでこのメーカーを調べて分かったのは、このSDのメーカーは家電量販店のPB(プライベートブランド)で、詳しい 情報がないのです。

    午後、詳しく調べるために、売り場に行くと目玉なのに大量に残っていました。
    店員さんに、「このSDそんなに早くない」と云うと、読み込みスピードは80MB/sと早いが、書き込みスピードは解らないと言うのです。
    SDカードは読み込みよりは書き込みが命でしょうよ。
    まあ、64Gで2107円だから仕方がないかと・・というお正月2日目でした。

    お正月の過ごし方 三日目 鶴見・横浜

    二人での年始参りは總持寺
    退職して鎌倉に越してきてからのお正月の初詣は、鶴見の総持寺と決めています。
    「總持寺」は永平寺と共に曹洞宗大本山として石川県にあったものが、明治時代の火災消失で、現在の鶴見に 移転された禅宗のお寺で、駅からも近く、広大な敷地は静かで参拝客も川崎大師のような観光客ではないので 、お正月の新鮮な気持ちでお参りできるお寺さんとして、お気に入りにしています。

    ちょっとだけお正月は贅沢に
    總持寺の初詣を済ませ、かみさんは、横浜のデパート巡りと決まっています。 お正月三が日は、絶対に台所仕事はしないと云うカミサンなりの決め事があるので、お昼は横浜で。
    今日はほんの少し贅沢をして、「牛タンの根岸」にしました。家庭では滅多に食べれない厚切り牛タンと 絶妙加減の麦とろごはんを一緒にいただき、カミサンはデパートへ、私は、ちょうど良い時間、横浜駅前を 通過する箱根駅伝を見える場所へと移動です。

    箱根駅伝復路は横浜駅で
    朝、復路芦ノ湖畔をスタートしたのをTVで見た後、二人でJRで鶴見・横浜と戻り食事を済ませると、 12時近くなり、先頭ランナーが通過する時間になるのが、例年の恒例行事となっています。

    NPOセンターのスタッフの一人が、青山学院神奈川同窓会の会長をしており、彼の話では今年も選手の 持ちタイムだけの話だったら、楽勝3連覇と云う通り、先頭を切って目の前を飛んでいきました。 駅側ではなく、国道の反対側、そごう側からコンパクトデジカメの連写モードでも、何とかこのくらい の画像が撮れて、自己満足の一日でした。

    今年は一月四日が仕事始めです。
    来週から始まる講座の準備がまだ済んでいないのですが、その前に、・・・。
    冬の青森、星野リゾート青森屋とストーブ列車の旅で今年はの国内の旅はスタートします。

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