湘南・鎌倉から BLOG7

日々感じる事・出来事、そして年齢を重ねていく 団塊オジサンの独り言を綴っています


7/1 六月は税金の季節、リタイヤ10年目でついに住民税が課税される

現役サラリーマン時代には、あまり意識していませんでしたが、国民の義務でもある納税は毎年、春から始まり 六月までに最終金額が決定する仕組みのようです。
前年度の確定申告が終わり、四月の固定資産税通知書で始まり、六月になると所得金額に応じて、国民健康保険・ 介護保険・市民税、県民税の通知書がいっせいに届きました。
固定資産税
こればかりは不動産を持っているかぎり仕方ないのですが、共同住宅(低層マンション)占有面積80平米超にしては、戸建て 並み或いはそれ以上で、年に15万円台と土地柄か高く感じています。
税金ではないですが、共同住宅の場合管理費・修繕積立金などは、住んでいる以上発生し、中低層共同住宅故に 戸数がすくないので、年間50万ほどになります。つまり、住まいにかかる費用は年間65万円。私が先に逝った後、 残されたカミサンの生活費に大きく食い込んでくるはずですから、処分するように云っています。

住民税
現役の納税者からは、お叱りを受け、非国民と非難されるかも知れませんが、リタイヤ直後の1年目を除くとこれまでの 9年間、住民税は非課税でした。
理由は明白、55才から60才まで収入はゼロだからです。
あれだけ、年に何度も海外ステイを繰り返しているのに、非課税とは何事か!とお叱りを受けるかもしれませんが、 事実、無収入なのですから仕方ないです。個人年金は自己資産の取り崩しですから 収入には該当しません。
春の確定申告の際、どうやって生活を維持しているのかの調査 項目の欄、自己資産の取り崩しにチェックを入れればOKでした。
厚生年金基金の支給が始まった60才から昨年64才の才誕生日までの総所得合計でも、課税対象額に達せず、 これまで住民税はいっさい支払ったことが有りませんでした。
そしてリタイヤ10年目、65才にして、ついにきました
市役所から封筒を恐る恐る開けて金額を確かめてビックリ。4300円。これは第1回目の支払いなのか、或いは年額なのか、じっくり読んで みると間違いなく、年額のようです。
現役時代の1/30です。多少後ろめたい気がしないわけでもないのですが・・・・、つまり私たちリタイヤ夫婦は、その程度の貧乏所帯なのです。
しかし、カミサンが65才で満額受給となると、かなりの金額が来るのではと、心配しています。
国民健康保険と介護保険料
同時に国民健康保険と介護保険料の決定通知書が届きました。
国民健康保険が年額15万円、介護保険料が年額6万円、つまり月々併せて18,500円の計算です。現役時代よりは遥かに安いのですが・・・・
早期リタイヤシュミレーションとは、若干異なっています。
私たちが、エクセルに向かってシュミレーション作り始めた30年前は、70才で医療費負担一割、75才から無料、65才からは、国民健康保険 料は、年間5万円程度、介護保険料は想定していませんでした。

今更、そんな事を云ってもしかたがないこと、この程度の変更はゆとり資金で補うしかないのです。
7月から、今年の予算書を少し修正しました。
現役の方はご存じないかもしれませんが、介護保険料・住民税は65才の翌年からは、公的年金から自動的に引き落とされるようです。 つまり、政府は取りパクレのない所から取る、しっかりしているのです。


7/7 マニアでなくても、誰でも、簡単に、動画情報発信時代の到来


今年二台目のカメラを衝動買いしてしましました。
ほぼ100gと軽く、小さいのに、フルハイビジョン動画が撮れてしまうのです。
今年、四月に、ビクターの広角・軽量(104g)のスポーツカムを買ったばかりなのに・・・
理由と言い訳は・・・・・
先月から、鎌倉の市民活動団体と特定のビデオマニア個人に向けて、ビデオ編集講座を開催しています。 ほんの数年前までビデオ編集というと、高スペックのパソコンマシンと高価な大きなビデオカメラが必要で、フルハイビジョン の編集ともなると、CPUが8個入ったデスクトップと云うのが常識だったものが、大きく様変わりしています。

何時からかと云うと、3・11東日本大震災の頃からでしょう。
あの未曾有の大震災の映像は世界を震撼させたの同時に、動く映像の持つ情報力・伝達力を世界中に再認識させました。あの頃、世界に 散らばる友人からのメールに、異口同音に書かれていたのは、日本という電子機器・情報社会だからこそ、あのような映像を市民が撮影、 社会に提供できたのだろう、と書かれていました。

あれから、たったの二年しか経っていないのに、動画の世界は、あの震災の時から比較すると、累乗倍進化しています。

1,どんな小さなコンパクトデジカメ、携帯、スマホ、タブレットでも綺麗なフルHD動画が撮れるようになった。

2,ノートパソコンのCPUがCore2duoからクアッドコア(4)、オクタ(8)へと進化して、一般汎用のPCでも普通に編集出来るようになった。

3,撮影した動画を公開する場が広がった。
以前はYouTubeや、ニコニコ動画と云ったサイトは、趣味の世界のものでしたが、今や YouTubeは、Googleの情報発信サイトの大きな柱となっております。
そんな時代背景のなか、鎌倉の市民活動団体でホームページを持っている所は、自分たちの活動を動画で情報発信したいと、要望が 多数寄せられるようになりました。
ある団体は、今も続く東北支援の活動の様子を、あるシニアの健康・体力向上を支援する団体は、ストレッチ体操を動画にして、紹介したい、 海外からくる子供たちに日本語を教える団体は、自宅で学習できるように動画日本語教室をと、広がってきているのです。

そんな訳で・・・
講師の私が、一般受講者が持っていないような、高級ビデオカメラ専用機や、超広角に特定したようなビデオカメラではなく、誰でも が気軽に使える、コンパクトデジカメで教えたほうが良いかな?と思った次第。
結局は、小さな、新しい機能のカメラが欲しかっただけかもしれませんが。

下記は、講座用に作成したサンプル動画です。
動画撮影のチャンスを逸していても、静止画を撮っておけば、あとから動画風に動かし、編集出来るのです。
もちろん、それなりのソフトは必要ですが、ウィンドーズのムービーメーカーでも、これに近いものは出来ます。
どうぞ、 アジアで今一番注目されている国ミャンマーをご覧ください。


7/13 リタイヤして10年 自然と国内旅行が増えていく

48年ぶり、青春の旅のトレース 北海道函館と青森
昭和40年、東京オリンピックの翌年、夏、17才高校三年生の私は、流行りのカニ族に憧れ、 当時はまだ少数派だった高校生のアルバイトで稼いだ金で買った、国鉄北海道均一周遊券を 握りしめ、リュックサックを肩に、上野発の満員の夜行列車で北海道を目指しました。 翌朝着いたねぶた祭りの余韻が残る青森駅前で 市場のオバサンたちの話す津軽弁を聞いて、東北を実感した ことを、今でも鮮明に覚えています。
当時日本一長いプラツトホーム364mとして有名な、青森駅のホームを走り、青函連絡船に乗って 津軽海峡を渡りました。

そして48年後2013年、新幹線はやて+津軽海峡線 スーパー白鳥
東京駅を7:32分に発車した新幹線「はやて」は、新青森に11:08に到着、スーパー白鳥に乗り換え函館に は13:44分、6時間12分でタイムマシンのように、青春の思い出の地に降り立ちました。
函館駅は昔の面影はなく、新しい近代的な駅ビルに生まれ変わっていましたが、路面電車は昔のママ、 ガタゴトと市内を走っていました。
関東地方は、梅雨が明け猛暑が報じられていましたが、函館は曇り空、上着を羽織ったり、脱いだりの気温25から27℃で過ごしやすい気候でした 。しかし、初日・2日目ともに昼は晴れている函館山は夕方からガスがかかり、ミシュランガイド三ツ星の夜景は、見られませんでした。
函館滞在中、お決まりの観光地、五稜郭・朝市・元町・湯の川温泉そして郊外の大沼国定公園をフリーで歩いて、改めて48年の年月を感じたのは、 外国人観光客の多さです。
函館空港は、インターナショナル空港です。
韓国仁川と台湾台北(桃園)と定期便があり、特に台北とは、ANA・Evaairの共同便・TransAsiaの3社が、週に4日 運行しています。何処へ行っても、台湾からの団体パック客の大型バスで駐車場はいっぱいでした。
大陸中国からの富裕層観光客ではなく、ごくごく一般の家族連れの人々が涼しい夏の北海道を楽しんでいる様子でした。

日本の観光地の案内板では当たり前になってきた、ハングルと中国語のほかに、タイ語文字が目立ちます。
これは、バンコクと千歳の間に定期便が飛んでいるからです。
私たちが泊まった駅前のホテルに、タイ人の若い女性4人組が泊まっており、セブンイレブンの イートインコーナーで楽しそう、珍しそうに夕食を楽しんでいる姿は、新鮮でした。
アジアの国々は着実に豊かになって来ています。

帰りは、青森で途中下車
リタイヤして10年 海外が減り、国内旅行が増えていくのは自然の摂理です。
二人だけで自由に滞在・歩くスタイルの旅では、飛行機よりもスケジュールの変更が自由な列車の旅を好んで利用しています。
今回も新幹線+ホテル2泊の JRのパックを利用しました。東京発函館3日間二人で72,000円です。
私たちは国内旅行は原則、込みこみで10万円と決めています。しかし、やはり北海道の場合、3日間で10万は少々キツク、今回だけは12万円にしました。 価格・旅の効率から見れば、団体パツクのほうがどれだけ安いかは、解かっていますが、点の移動・通過の見て、食べて、買い物をする旅ではなく、 面を見て、感じて、過ごす旅を心がけています。
これは私たちの海外旅行とも通じるものがあります。

旅の終わりに
最寄駅の大船に到着したのは、夜10時近くになっていました。
東京駅から乗った東海道線は、まだまだ混んでいました。大船駅の構内は明々と灯がともり大勢の人が行きかっています。商店街もほとんどの店が まだシャッターを下ろしていませんし、自宅までの道もコンビニの店の明かりが、帰路を急ぐ人の足元を照らしています。
つい、午前中までいた北海道の観光地函館にしろ、青森県の県庁所在地の駅前から続く商店街ですら、8時にはシャッターが閉じられてしまうそうです。

これらは、土産物屋や、食堂の値段、対応にも表れています。
通りいっぺんの観光客相手の味と値段の函館朝市の海鮮丼と、大都会での競争に打ち勝つ為に努力している居酒屋の海鮮丼、明らかに都会の居酒屋に軍配が 上がります。土産物屋にしても、試食ひとつも置かない函館と、甘い八つ橋の試食大歓迎、お茶サービス、漬物までつく激戦区京都の土産物屋の違い。
  人口が多い、競争力が必要になる大都市。
  マイペースでも何とかやっていける地方都市。
私たちは、やはり、大都市を選んで住み続けていくでしょう。


7/19 首都圏に住んでいても、退職したら東京は遠い都会です

知り合いから、明治座のチケット二枚をいただきました。
公演内容は、梅沢富美男・中村玉緒特別公演と云う、見る前から内容が想像されるものですが、演目よりもこれを機会に久しぶりに東京都心、日本橋界隈へ 夫婦二人で出かけることにしました。

京都の人が京都の隅々のお寺・名所旧跡を知っている訳でもないのと同じように、地方に住む人が思うほど、東京首都圏に住む人が、 東京の名所・旧跡、特に新名所を知らない、行ったことがない、食べたことがないのは、当然です。

明治座と聞いて、日本橋浜町・人形町が最寄駅であることは、長年のサラリーマン生活でわかります。
そうだ、人形町だったら前から一度食べてみたかった「玉ひでの親子丼」を食べてから、明治座に行こうと云うことになりました。


「玉ひで」はグルメブーム以前から軍鶏と卵料理で有名な行列の出来るお店で、特にランチの元祖親子丼は絶妙の玉子のトロトロ具合 が評判です。
私たち夫婦は、特別グルメ派ではなく、どちらかと云うと「旨い・早い・安い」派なのですが、先週の函館旅行であまりにも観光地化され 海鮮丼の値段に拒否反応を起こして、若干予算を余らせていたのです。

ランチは11時30分から13時入店までです。
私たちは11時20分にお店に到着しました。開店10分前で、10人ほどの行列で出来ていました。しかし、行列は後ろにはどんどん伸びるのに、 11時30分になっても前には一向に進みません。
お店の仲居さんが出てきて、一組を中に案内した後に外に、行列している人たちに説明があり、真相が解りました。
11時30分開店なのですが、この暑い季節、お客様を外に並ばせるのに忍びなく、11時からなかに入っていただいおり、現在テーブル・廊下・玄関 まで満席状態、これからランチの一回目の回転が始まるとのことです。(一回転およそ20分の目安)
なかに入って、テーブル・廊下・玄関の意味が分かりました。
大病院の外来診療と同じで、外待ち、なか待ち 以上に、先ずは玄関スペース、次に靴を脱いで廊下スペース、この間に注文、支払いまで済ませ、最後にテーブル席に案内されます。テーブル席 は当然相席、テーブルに着いてから念願の親子丼が出てくるまでおよそ10分です。
結局、11時20分に並び始めてから、15分で食事して、お店の外に出たのが13時ちょうど、1時間40分の玉ひでグルメ体験でした。
それで、お味の感想は?  1,500円の親子丼、ふーん、吉野家牛丼の5倍ね

新名所歌舞伎座
ランチを終え、まだまだ明治座の開演まで時間がありますので、地下鉄で10分、暑い外を歩かずにすむ、新名所歌舞伎座に行きます。
歌舞伎座は、学生時代に築地市場内で暮らしていたので、東銀座、三原橋、東劇、新橋演舞場の裏通りまで、青春時代の思い出が残る地ですが、 ずいぶん長い間来ることがなく、20年ぶりの三原橋交差点でした。
世界のブランドショップが立ち並び、名店ひしめく銀座4丁目から、たったの1ブロックに、パチンコ屋・ボルノ専門館が立ち並ぶ地区が あったのです。パチンコ屋は姿を変え、今でも残っていました。
大きく、様変わりしたのが歌舞伎座です。
チケットを持っていても、時間にならないとロビーにすら入れなかった昔ながら劇場システムと様変わりしたのが、ニュー歌舞伎座です。
地下ロビーは地下鉄出口と連結され、誰でもが日本の伝統芸能の歌舞伎に触れられ、展示物を見て、お土産ものを買い、軽い食事もできるスペース、 コンビニ、宅配センターまで完備されているのです。
次から次と、東京観光の団体客で歌舞伎座BFロビーは大賑わいでした。

本日のメインイベント 明治座公演は
今回いただいチケットは、販売促進用のチケットで、ネットで見ると正貨5,500円の一番安い席?、3階席の向かって左側です。 舞台の下手(客席からみて左側)と花道が死角となって何も見えない劇場で一番安い席でした。
見えないよりも問題なのは、空調と音響です。一般的な劇場の空調は一階客席の真ん中の温湿度を考えています。(専門的にみると、明治座は 一般的劇場空調レベルです。)天井に近い、3階席の向かって左隅の一番安い席の空調は滞り、この猛暑の時期、暑いこと、暑い事。
決定的なのは、音響です。仕事で世界的なホール建設に携わってきて、音響廻りの難しさは承知しています。全ての客席をベストな音にすることは 不可能です。空調と同じで、常に一階客席の真ん中(高いチケット席)をベストな状態にするようにしているのです。
最安値、販促用チケット席では音は割れ、セリフは聞き取れず、楽器は耳障りな不愉快な音としてか聞こえませんでした。
それで、梅沢富美男と中村玉緒は?
大衆演劇・歌謡ショー・無料チケットなのですから・・・2幕目で帰りました。

明るいうちに、外に出て、鎌倉まで直通で帰れるJR総武線「馬喰町」まで歩くことにしました。 とにかく、定年リタイヤ後の生活費用のなかで、意外と高く、重く感じるのが交通費です。
今まで会社の経費・定期券で 意識していなかっのに、鎌倉から都心に出て、公共交通機関である地下鉄を利用しても1日夫婦二人で、4800円もかかるのですから。
帰り道、清洲橋通りと東日本橋の交差点から、スカイツリーが綺麗に見えました。
日本橋界隈から、こんな綺麗にスカイツリーがビルの谷間から見れるんだ
歌舞伎座ロビーとこのスカイツリービューポイントの発見が、今日一日の収穫でした。

7/26 定年後の住まい ラジオ体操のある街に暮らす、普通の幸せ


子供たちが夏休みに入り、毎朝6時半になると我が家の前の公園から、これぞ「元気な日本の朝の声」ともいうべきNHKのラジオ体操 のアナウンサーの声が流れてきます。
昔と違って、子供たちのラジオ体操は夏休みを通してではなく、鎌倉では、終業式の翌日7月20日から31日まで12日間のようです。
この画像でも解かるように、私たちの定年後の住まいは、このラジオ体操が行われる正面の共同住宅です。
結婚してから4回引っ越しをしました。結婚当初は、東京・上野の山の手「根津・千駄木」、次に世田谷・井の頭線沿線(下北沢の隣駅)、 そして34才で購入したのが、横須賀線 の新駅駅前の大規模開発マンション群の第1期棟でした。
駅前にポツンと一棟だけが建ち、周りには当時雑貨屋さんすらなく、日常の買い物は 電車に乗って隣の駅まで行かないとならんない状態でした。
しかし、この駅前から周辺にかけての開発は、環状道路線が出来、湘南新宿ラインが開通し、横浜近郊のもっとも地価上昇が著しい 大マンション団地として、今でも発展し続けています。
ここにリタイヤする55歳まで21年間住みました。
まるで、日本経済発展と歩調を合わせたような典型的な団塊世代の人生と住宅遍歴そのものです。

どうして、定年後、今も発展する、便利になった街を離れたのか?
答えは、このラジオ体操をする子供たちの声です。
確かに、新駅駅前の大規模マンションは、便利で居心地が良いです。
品川から23:59の最終電車に乗れば、帰宅出来ますし、自宅から歩いて5分以内にデパート・病院・学校・区の行政機関まで生活に必要なもの全て整っています。 しかし、欠けているものがあります。
それは、住民コミユニティです。名前こそ知らないが顔をみれば挨拶をするおじいちゃん、どこそこの子供は今年、中学生か!、何時も同じ時間に散歩する老夫婦、 ごく一般的な日本の町で見られる風景が、この首都圏・郊外の新駅駅前大マンション群ではないのです。

毎日が日曜日の定年後には、ほどほどの便利さで
リタイヤ後の生活こそ、便利さが必要であると云われていますが、駅から徒歩9分、緑あふれる自然環境保護地区、大病院・大型ショッピングモール・図書館・ 植物園・体育館・コンサートホール全て徒歩圏内、これで不満を言っては、地方の方に叱られます。
ここには、普通に暮らしている人々の温もりがあります。
ここに越してきてから10年になります。朝のラジオ体操や、夕方のお散歩でご挨拶をする人が増えています。市民活動団体を支援するNPOをお手伝いする ことによって知り合いも増えました。

定年後のライフにある一定の資金力は必要です。
それ以上に大事なのは、人と人の繋がり・温もりと、当たり前のことを今更ながら、リタイヤ10年、ラジオ体操を通じて感じています。



8/1 オフ会でお会いした団塊世代の「戦友」のお話

オフ会とは
インターネット上で知り合いになった者同士が、直接会うことを云います。
ネット上は、バーチャルリアルティ(仮想現実)の世界です。
現実と非現実が微妙に交差している世界です。
それ故に、普段の日常、社会生活で封印している思い ・本音などを、比較的容易にさらけ出すことも出来るのです。

Webの世界は、有線・無線に関わらずオンラインで繋がっています。
BBS掲示板にしろ、SNSフェースブックにしろ会話・意見を交わす相手は見えず、常に 回線を通じてのオンライン上の相手です。
オフ会は、回線をOFFにして、コンピーターラインを介さずに、直接相手の顔・表情を見て お話することです。


55才退職時、少しでも早く失業保険を貰うのが目的で、ハローワークが勧める情報処理講座を受講したのを機会に、サイトを 立ち上げして10年、年間100万PVのある程度、同じ世代或いはこれから定年・ロングステイを考えている世代の方々から支持を いただけるサイトに成長しました。

この間、数多くの方々から、一度お会いしてお話を伺いたい等のメールをいただきましたが、全て丁寧にご遠慮申し上げて 参りました。
理由は・・・・
自分を含め、相手のオンラインとオフラインのギャップを埋められるか?、受け入れられるか?の自信が無かったからと、 ロングステイクラブでの経験からです。
ロングステイクラブの会員として、活動に携わってきて色々会員の方、外部の方とお会いする機会がありましたが、「お話を聞きたい」 と仰る方の殆どは、ご自身がお話したいケース、それも自慢話ばかりなのです。 そんな訳で、ネット上ではオンライン上のお付き合いに限定すると決めていました。

7月のある日、アメリカにお住まいの団塊世代の方から、日本に行った時にお会いしてお話をしたい、旨のメールがありました。
わざわざ、アメリカからご帰国され時間を都合してのお話ですが、今までの理由から丁寧にご遠慮申し上げました。そして、返信メール をいただき、その文面には、私の今までのオフ会へのポリシーを一時キャンセルする出来事・過去が語られていました。


1969年あるぜんちな丸
その方「F氏」は私と同じ1948年生まれ、学園闘争がピークを迎える1969年横浜発の太平洋・南米航路「アルゼンチナ丸」に乗船して 単身、アメリカに渡ったとメールに書かれていたのです。
私は1967年の「ぶらじる丸」でした。
私の場合は仕事絡みでしたが、船には大勢の新天地アメリカを目指す青年や、南米に移住する家族が多く乗り込んでいました。
当時 大卒初任給が26,000円、ドルは360円ですから、73ドルです。
その頃はアメリカの単純労働の時給が1から1.2ドル、1日8時間で10ドル、アメリカの1週間の賃金が日本の大卒月給だったのです。
ミッキー安川の「ふうらい坊留学記」・石川好の「ストロベリーロード」の数年後の世界です。

この方なら、私からお願いしてでも、お話を聞きたい。
私は大学をドロップアウトしたこともあり、学生時代の友人とよべるような友人を持っていません。でも、この「F氏」は同年代 を生きてきた、戦友のような親しみを感じ、バーチャルリアルティを超えて、お会いする事になりました。

所持金193ドル
「F氏」は現在、アメリカ・カリフォルニアの日本人家族が一人もいない、ウォーターフロントのリゾート地にお住まいで、 65歳を機に、経営している会社をやめ、ハワイ・オアフ島のカイルアに住まいを移す準備中です。
Fさんのお話の節々に、アジア人と云う言葉が出てきます。21歳、横浜港を出るときに持っていたのは、193ドル、この日本人青年が アメリカで生きて行くのに、度々「アジア人」を意識し、今でもそう思っていると云うお話に、私は共感しました。
1960年代末、日本を出るときにパスポートに持ち出し外貨が記載されていました。私の古いバスボートには345$と記載されていました。 345ドル日本円で124,000円、大卒初任給の4.5ケ月分、平成25年で云うと、900,000円位ですか。ほとんど親から資金でした。今更ながら 感謝しています。
Fさんは、会社を立ち上げ、グリーンカードを取得して、ガムシャラに働き、アメリカで生きてきました。。 そして、常に自分の定年後の生き方・住まいを模索し続けてきたそうです。
アジア人である事を意識し、老後はアジアに住まうことを念頭に毎年、年に四回はバンコクを中心にショートリピート ステイを繰り返してき、最終的な結論は、慣れ親しんだアメリカ文化があり、アジア人として居心地の良い、ハワイ・オアフ島に決めた そうです。

Fさんは日本語のwebサイトはほとんど見たことがないそうですが、奥様がハワイ情報を検索している際に、私の 「ハワイロングステイ情報」を見て、Fさんに紹介し、サイト内に書かれている、白人以外のアジア人の住宅環境や、観光客の行かないアライワ 運河の向こう側や、ハワイに住んでいるという芸能人はどんなビザ?と云う記事を見て、自分と同じ匂いを感じ、私にメールを寄せたそうです。

鎌倉のスターバックで3時間、色々なお話が伺えました。
印象に残っている言葉があります。「日本と云う国は、人間にもJIS規格を当てはめようとしている」。
確かに、私たちの世代は、70年安保・学園闘争を経験したかもしれませんが、その後は、素直に大学を出て一流会社に入り日本経済の良い時代を定年まですごし、マスコミがリードする「ロングステイ」情報に 踊らされている、定形型規格の日本人世代の最後かもしれません。

賛否はありましょうが・・・・青年は荒野を目指さないと
世界の青年に比べ、現代の日本人大学生のひ弱さに 一抹の不安を覚えています。



8/5 バリ島ロングステイへの道 アクションプラン

当サイト内一番の人気コンテンツ ロングステイ・みんなの伝言/情報版に、 定年退職後、奥様が希望するロングステイをインドネシア・バリ島を候補地として考え、計画する投稿がありました。 引用すると

私から女房への提案は、まずは1~2週間程度旅行に行って様子見しよう。
その後一ヶ月程度の日程で再度旅行しましょう。
それでよければ、1~2年のロングステイにしましょう。
まさに、ロングステイ計画・アクションプランの王道です。
みんながみんな、このように伴侶と良く話し合い、計画だって行えば旨く行き、失敗も少ないのでしょうが・・・(それでも有りますが)

この投稿者ハンドルネームくろとごまさんは、BBS開設当時からの投稿者で、ロングステイについては、良くご存じの方で、 計画だってやっておられますが、バリ島の友人ガイドの話では、初めてのバリで戸建てハウスの一年契約をする方も珍しくないそうです。

確かに、直感・フィーリング・勢いというものもあります。
あまりにも、事前に何から何まで調べ上げ、経験してしまうと当初のロングステイへの憧れ・強い思いが薄れていってしまいます。素直に書けば 飽きてきてしまいます。

その典型的な例が私たちです
退職直後、私たちが最初に向かったのがバリ島でした。
それまでに、短期の旅行で四回きておりバリ島の大まかな様子は解かっていました。そこで、私たちはバリ島の海岸部ではなく、内陸の 比較的涼しい古き良きバリアンの生活が残るウブドにターゲットに絞りました。

1,先ずはバリ専門旅行社を調べ、航空券+四日間のホテル、滞在延長最長三週間と云うパックを手に入れました。

2,最初の四日間の間に、ガイドブックを片手に、ウブドのホテル・ロスメンと云われる民宿をかたっぱしから訪問して、 お部屋・衛生環境・オーナーの人柄・スタッフ・食事・日本語・英語・値段などを調べました。
日本人中年夫婦が地元ガイドを伴わずに、三週間の宿泊が理由の下見で訪れれば100%歓迎してくれます。

3,四日目にパックのホテルを引き払い、後の17日間滞在するロスメンの車で引っ越ししました。
そこは、後から知ったのですが、日本人に大人気家族経営の民宿でした。詳しくはバリ島・ロスメンってなに? をご覧ください。

4,第一回目は、このようにして合計20日間、エキゾチックバリ・ウブドを堪能して、大満足で終わりました。

二回目以降は?
帰国してから、別のロングステイ候補地へ行くのですが、あのウブドで過ごす、気楽さ・心地よさ・スタッフの笑顔・そして安さが忘れられず に半年経たずして、再びウブドに向かいました。事前にロスメンにはメールしてあり、空港には迎えの車が来ており、宿に着くと「おかえりなさい」 とスタッフが歓迎してくれます。
この滞在中に、本気で、真剣に、数年或いはずっと住み続けられるかと云う観点でバリを見て歩きました。
前回の滞在では、初めての観光ではなく住まうように滞在する楽しさばかりでしたが、今回は、日常の毎日の生活を中心に考え、動いて みました。
すると、いままで見えていなかったものが見えてきます。
・公共交通機関がない。バリ島内陸部では車がないと身動きがとれないのです。
・コンビニ・スーパーがない。(2013現在はあります。)
・医療機関は、デンバサールまで行かないとない(日本人レベルのと云う意味)
・名所観光、お祭りは十分堪能した、飽きた
・日中のこの暑さはなんだ!日本の四季が恋しい
・毎日、何をして過ごすの

全て解っていたことなのですが・・・
その後6年間、馴染みのロスメンに10日間程度滞在しています。
ロングステイではなく、一般滞在型観光客のショート・リピートステイとして
しかし、最近3年間は一度も行っていません。

私たちのロングステイ候補地巡りは、ほぼバリ島と同じ経過を辿っています。
バンコク・チェンマイ・台湾・ペナン・クアラルンプール・ホノルル その他アジア・中南米の国々

ロングステイを目指すには、くろとごまさんの仰るとおり、最低3回、視点を変え、段階を踏んで進めるのがベスト・王道でしょう。


8/10 猛暑と鎌倉雪洞祭りと緊急地震速報

7月の梅雨明けの猛暑が再びやってきました。
海に近く緑も多い鎌倉も、東京都心ほどでは無いにしろ暑いです。
この季節の鎌倉歳時記は、鶴岡八幡宮の伝統行事 雪洞(ぼんぼり)祭りです。


ここ数年、鎌倉在住の著名文化人(平山郁夫・井上ひさし・なだいなださんら)がたて続けに亡くなり、ぼんほりの出展者に、映画人 が目立ってきています。山本富士子さんが出されていましたが、どうしているのでしょうか。

猛暑でしたが、ぼんぼりが点灯し、舞殿で奉納イベントが始まる7時すぎには、由比ガ浜海岸から一直線上の若宮大通りを通して 涼しげな汐風が伝わってきました。
そう、鶴岡八幡宮も、鎌倉大仏のある高徳院も、緑に囲まれた山のイメージがありますが、海からは1kmほどしか離れていないので、 津波は確実に到着する距離なのです。
前々日の緊急地震速報がこの時間帯であったら会場は大混乱に陥ったでしょう。
イメージするに、この境内に集まった大勢の観光客や地元浴衣姿の女性のバッグのなかの携帯・スマホ端末が一斉にブーブー と鳴り出すのです。
とりあえず、安全の確保と云われても、この鎌倉鶴岡八幡宮境内でどうすれば
一番高い所にある社殿の階段を駆け上がるしか 思いつきませんが、恐らくパニックになっていた事でしょう。

誤報であったのは、不幸中の幸い、良いシュミレーション体験ができました。
しかし、この誤報がもう一度あったら・・・・「オオカミ少年」にならないように。

無駄ばなし
今年のぼんぼりの奉納は400ほどでした。これは、一般の方でも参加できます。
一般的には、書・絵画が多いのですが、今年の一番のお気に入りは「富士山に負けた、日本遺産で頑張ります」でした。


8/16 ポリデントもコンドロイチンも別世代の話のハズが、老眼鏡と入歯

齢はとりたくないもので、メガネがますます合わなくなってきました。
今、日常的にかけているのは、遠近両用メガネです。初めてメガネを造ったのは、49才の時でした。その前の年 海外の暗い空港で、小さな入国カードに記入する際に初めてイライラし、これが老眼の始まりか?と感じたのですが、 そのままほって置いたのが、徐々に目が疲れるようになり眼科医から、老眼鏡を進められました。

検眼の際に、軽い近視(0.9程度)もあるので、これからは境目のない遠近両用メガネのほうが楽ですよと、勧められ て作りました。お値段は85,000円、こんなにするものなのか、少し高い気がしましたが、初めてのメガネ、眼科医 の検眼を担当している所なので義理もあり購入しました。
後から分かったのですが、この眼鏡屋さんは、のちに私が担当することになる内幸町の高層ビルに本店を構える、政財界の お偉いさん先生御用達の日本一高い眼鏡屋さんだったのです。
それから、今回に至るまで15年、少しづつ老眼が進み、今回で5本目です。
今回眼鏡屋さんに、「遠近両用は無理です。ちょうど良い手前側の度数のレンズと、遠場のレンズの組み合わせでは、街中を歩けません」 と云われました。
遠近ではなく、中近両用メガネ、ひらたく言えば室内用・パソコン用と、今まで通常生活で使っている遠近両用、2つ使って下さいとのお話 です。これまで、諸先輩シニアが、メガネを上げたり、下げたり、もうひとつのメガネにかけ替えたりしているのを、見ていましたが、遂に、 私も、カバンに2つ持って歩くようになってしまいました。

もっと年寄っぽい話は入れ歯です。
6月12日のブログで、書いた「抜歯の恐怖と入れ歯」の後篇です。
漫画の入れ歯のイメージと云えば、右のイラストのように、おじいさんが孫の前でスポッと入れ歯を外して 驚かせるのが一般的ですが、今は「総入れ歯」はそうそうなく、入れ歯と云えば部分入れ歯のことです。
虫歯を補修出来るのは、相当に程度の良い虫歯で、としを取るに従い、何回も補修・手入れしてきた虫歯は土台 からもたなくなって来てしまいます。
これは、年齢からくるものではなく、それまで、歯に対するケアが足りなかった、自業自得のせいです。
私は若い頃からカミサンと結婚するまで、朝晩歯を磨くという習慣がありませんでした。 結婚して、カミサンに監視され嫌々磨いていたような生活ですから、歯はボロボロです。鎌倉に越してからも、 あまりの歯の手入れの悪さをご近所の歯医者にさらすのが、恥ずかしいこともあって、歯医者さんは、 電車で二駅の昔からのかかりつけに通っています。

今回、奥歯の3本が土台からダメになり、部分入れ歯かインプラントと云う話になりました。
骨にドリルを入れてボルトを埋め込むなんて、もっての他、部分入れ歯と云うことになり、7月に土台の残骸を取りのぞき 翌週には、簡単に、すんなり、2回の微調整で違和感・痛みもなく、人生初の入れ歯が入りました。
テレビのCMでやっている部分入れ歯の洗浄剤とか、接着剤は、まだ必要ではありません。
テレビのCMでは、老人向け健康商品・食品、「膝の痛みに○〇○」なんかが日中大宣伝しています。入れ歯洗浄剤も、コンドロイチンも全く 世代の違うお年寄りの世界のものと、今でも思っているのですが、ジワリジワリと近づいてきているようです。


8/21 定年後シニアのスポーツ バドミントン 夏は過酷なスポー

バトミントンのベストシーズンは冬です。
夏のバドミントンは過酷です。
もちろんインドアです。白いシャトルを見やすくする為と、風に影響されない ように体育館を閉め切って行います。
一般的な市運営の体育館には、冷暖房設備はありませんから、この猛暑 のなか、ご想像どおりの暑さです。
女性のスポーツ?
昔はバドミントンは、女性がやるレジャースポーツと見られていましたが、今は違います。
中学・高校のクラブ活動のなかで、男子生徒の間ではNO,1人気スポーツとなっています。
野球やサッカーは小さい頃からの経験者が多く、入部当時から差がついている競技なのですが、バドミントンは さほどの経験者がいないので、同じスタートが切れるからと云う理由が一番のようです。

バドミントンは、スピード感がある競技です。
シャトルのスピードは、野球やサッカーやテニスのボールスピードより速く、スマッシュは男子のトップ選手 で初速が約300km/hと云われています。
バドミントンは、テニス・卓球その他球技と違って、ワンバウンドしたものを打つのではなく、グラウンドに 着く前に打たなくてはならない分、スピードが要求されるスポーツなのです。

私は退職後55才から始めました。
最初は一般の 方が考えているバドミントンのイメージで参加しました。
10年前、鎌倉にはシニアの男性を受け入れて くれるバドミントンクラブ・サークルはたった一つだけでした。
ほとんどは、女性限定で年代別の競技チーナメントに参加することを目的とした本格的なクラブでした。 私は、週に一度、心地よい汗を流せれば良い、バドミントンが特別に上達する意思もなく、ましてや市・県レベル の大会にでようとは思わないのですから。

たった一つだけシニア男性を受け入れてくれたクラブも、私が入る数年前まで、同じように女性だけで大会を 目指すクラブだったのが、クラブ員の高齢化により減少し、男性も受け入れるようになりました。 シニアの健康・体力維持のスポーツに変化する 、日本の本格的な高齢化社会への過渡期だったのでしょう。

私が入ってからも、クラブ員の減少は続き、遂にダブルス一組の試合が出来ない日が発生するようになって きました。
そこで、70代男性クラブ代表に、ホームページを作って、これから定年退職して地元に戻ってくる男性を募集 しようと提案しました。もちろん当初拒否されました。
今まで、市の広報や体育館にチラシ・ポスターを置いたけど何の反応もない、ましてやパソコンを日常的に 使わないシニアが集まるハズがない、それに誰が作って、誰が更新するの、誰がインターネット契約料を負担 するの、と云うもっとも理由です。

私は、Webの専門知識もあり、HPサーバーも持っているので費用はいっさい必要なし、先ずは作ってみましょうと、始まりました。 それから、あっと云う間です。
想定通り、リタイヤシニア男性の入会が来るわ、来るわ。
皆さん、退職当時の私と同じで本格的な、勝つため・上手に なる為のスポーツではなく、週に一度、楽しみ・汗をかくスポーツを望んでいたのです。

副産物的な効果も現れました。
若い20・30代の女性の参加も増えてきたのです。まさにインターネットを日常の情報源としている世代です。
昨日、昼間の13時から15時、場所は鎌倉武道館
参加者はこの暑さのなかですから、若干少なく12名です。男性5名(全て60代)女性7名(40代2名)、 試合はダブルス4名ですから3コートでぴったり。と云うことで誰も休めない日になってしまいました。

60代シニアがこの猛暑の中、体育館を閉め切ってバドミントンをやって、熱中症で救急搬送なんてニュースにでもなったら大変。 二試合毎に、十分に給水タイムをとり、休みながら良い汗どころか大汗をかき、シャワーを浴びて夏のバドミントンを楽しんだ一日でした。

湘南・横浜近辺にお住まいのシニアの皆さん、ご一緒しませんか?
当サイトの定年退職、リタイヤ後の男の趣味・ホビー・習い事 で紹介しています
鎌倉ハッピーバドミントンクラブをご覧ください。


8/26 定年後に始めるボランティア活動、思わぬ意識の違いが

昨年、自分のブログで定年退職者のボランティア活動に関して、次にように書いていました。(抜粋・要約)

定年後の有り余る自由な時間のなかで、自分の持っている経験・スキル・時間を幾らかでも、地元社会に 役立てるようなボランティアをしたい、と考えるのは極く当たり前の考えで、実際に何をやったら良いのか、 自分のやりたいようなボランティアを探せるのか、と考えるのは危惧に終わります。
今や、行政を問わず、色々な市民活動団体・福祉団体が多くのメディアを使って参加を呼び掛けています。

ボランティアとは
古典的な定義では自発(自主)性、無償(無給)性、利他(社会、公共、公益)性に基づく活動とされています。
平たく言えば、ボランティア活動とは、自ら進んで願い出て、自分の持っている才能・技術・時間・体力を 無償で、社会の公益に役立つ仕事をする事となります。

英語のボランティアと云う言葉に相当する スペイン語は善意と訳されます。私はこの善意と云う訳が一番、この仕事を端的に 表していると考えてきました。

退職後移り住んだ土地で、私が現業時代に培ったコンピュータープログラム、グラフィック系の能力、趣味で 極めた動画系の経験を、無償の善意で 地元の必要とされる組織に提供して、今日に至っています。
こうする事で、その組織にも、私自身の定年後の長い時間にも、お互いに役立つと思っています。(以降略)


しかし、最近色々なことを考えるようになってきています。

先月、市の行政の地域おこし、街づくりなどを担当する部署から協力要請が、私の所属するNPO団体にありました。
「市内の各地区の活性化の為に、地域毎にホームページを造り、ホームページを基幹に地区にある色々な団体の情報交換・共有を図り より良い街づくりをしたい、その為にご協力下さい。」と云うのです。
お話は、地区の町内会・自治会・老人会・PTA・社会福祉協議会・市民活動団体・商店街に参加してもらう予定で、 行政側は側面から応援します。 地区が主導となってやっていただきたい、特にNPOセンターは、技術的・人材的にも豊富なので、 中核となっていただきたい。

ご主旨はよく理解できます。
これから色々な知識・技能・人脈を持って地元に戻ってくる定年退職シニアが増えていくでしょうから、 良い受け皿になるかもしれません。
それで、初期予算・年間運営費を幾ら位予定していますか?
答えは
 会合・作業などの会場を優先的に、無料で提供します。
 ホームページの作成費・維持等は、設立する団体で賄って下さい。
 取材費・交通費なども、団体内経費です。

つまり、市の行政は、提案するだけでお金は出しません。皆さんの住む地域の為なのですから、全てボランテイァで行って下さい。 と云う訳です。
おそらく市は、県或いは国から、地域活性化の為に何らかのアクションを起こせと、指導されているようです。或いは勘ぐれば今の回覧板を 止めて、全てホームページでと目論んでいるないかと云う人もいます。

行政の予算が厳しいのは、解かります。しかし、定年退職して家でゴロゴロしていると奥さんが嫌がるから、外で何かしたい、出来れば 少しは、社会のお役に立てる事がしたいと願うシニアの「善意のボランティア」を弄ぶのは許せない。

ボラバイトとは言いません。ましてや神奈川県の最低労働賃金とも言いません、少なくとも交通費と一日缶コーヒー朝夕二本分ぐらいの金額は、 お礼として、これらに参加されるシニア市民ボランティアに報いるべきだと思います。

もっと視野を大きくしてみると、介護の現場にしてみても「介護士」の給与の低さが目立ちます。ある社会的な奉仕精神が必要な労働に対して、 日本人の意識のなかに、金銭を介入させることに何かしらの抵抗・違和感を感じることが、ままあったのは事実です。
しかし、現在の医療・介護・福祉の世界は、その日本人の持っている良さに甘え、シニアの持っている時間・お金・体力・知識をボランティア と云う響きの良い言葉に包んで、無意識に利用しているのが現実です。
このお話、結果がどうなったか? 9月には報告できるか?


9/1 伊勢神宮と鳥羽湾 だんだんと国内旅行が増えていきます。

今年の宿泊を伴う国内旅行は、春の伊豆に始まり、京都、函館、そして今回の伊勢・鳥羽で四回目、海外はと云うと ホノルルとバンコクの二回だけ、リタイヤ10年目にして国内/海外が逆転しました。

原因と理由は明白です。
一つは昨年の今頃発症した「胆石症の疑い」です。何時、なんどき、何処で突然痛みが来るか解からない(私本人はある程度の予兆と痛みの加減が 解かるのですが・・・)、カミサンが怖がって海外へはなかなかな出かけられないのです。
ホノルルとバンコクは海外ではないの?
確かにパスポートは必要ですが、言葉は通じるし、ホノルルもバンコクも私どもにとっては、感覚的には横浜とさして変わらない所です。

2つ目理由は・・・単純に飽きたからです。
何処へ行っても何度も来ている都市ばかり、空港もホテルも観光地も新鮮味が感じられなくなって来ています。
最初の頃のような、空港に降り立った時のときめきがないのです。

世界中には、私たちが行ったことのない、見たことのない大自然が沢山あります。でも65才と云う声を聞き出す年齢になると、何が何でもこの目で 見て、体験しなくては、と云う意欲・考えが薄れて行くのです。

なぜ今回は伊勢・鳥羽なのか
現役の頃、毎年2~3回かなりの世界の奥地を旅していました。
「destinationを決める理由は?」の質問に答えは「世界ふしぎ発見」と答えていました。 NHKが行く所は、金も人もつぎ込み、政府の後ろ盾があってこそ行けるような秘境が多いのですが、民放「世界ふしぎ発見」のTVクルーが行ける場所 は原則として、一般観光客が行ける所なのです。
今のように、NETが身近でなかった頃、TVのちからは大きかったです。
南インド・スリランカ・マダガスカル・イースター島・雲南・カリブ海・パタゴニアなどなど、ミステリーハンターの女性が行ける場所なんですから 私たちだって絶対に行けるはずと云う信念と、少しばかり余裕のある旅資金力で、「世界ふしぎ発見」の後を追うように旅していました。

そうなんです。
今回の伊勢・鳥羽もTVの影響というか、今年は伊勢神宮20年の遷宮の年で話題になっていたり、TVのバラエティ番組のなかで 「ゆーじ・こーじ」が長時間並んだ朔日餅(ついたちもち)の現場を見たかっただけのミーハーな理由です。
次の候補地は、会津若松か京都です。勿論NHK大河ドラマ「八重の桜」の史跡を訪ねるのが目的です。

関東から伊勢・志摩の団体98旅行は多いけど
これだけ今年話題の地ですから、退職シニア族の味方を自負している、団体98旅行のトラピクスとかクラブツーリスモは沢山の団体パックツァー を用意しています。値段は関東各地から2日間で198~398、廻るところは伊勢神宮だけでなく彦根であったり、京都であったり盛り沢山です。
私たちは、一回の旅行でそんなに多くの観光地を廻りたくないのです。
伊勢神宮をゆっくりと自分のペースで歩いて、おかげ横丁では、団体集合時間に急かされずにショッピングと食事を楽しみ、鳥羽のホテルに早めに 入って温泉を楽しめれば十分なのです。(ここまで書いて、年寄クサイなと自分でも思います。)

伊勢・鳥羽への個人旅行手配
関東から伊勢神宮への一泊二日個人旅行は、かなり割高になります。先ず 足は名古屋までは、JR東海の新幹線と限られ、選択の余地がほとんどないこと、名古屋から伊勢市までは近鉄特急が一番早い、しかし高い。 宿は、大都市のケースならシニア旅行者でも満足できるシティ・ビジネスホテルが数多くあるものの、鳥羽・志摩では、二食付の観光旅館・ホテルと限定されてしまいます。
この時期(8月)の京都が関東から新幹線+シティホテル込の二泊三日で25,000円を切るのは常識なのですが、個人自由旅行レベルで、伊勢・鳥羽は一泊二日で30,000円を切る のは難しいです。

JR東海ツァーズを駆使して
結局私たちは、小田原からコダマで名古屋に行き、近鉄の独壇場であった名古屋・伊勢市間の特急に対抗するためにJR東海および伊勢鉄道が名古屋駅 - 鳥羽駅間を関西本線・伊勢鉄道伊勢線・紀勢本線・参宮線経由で乗り換えなし、特急料金なしの 快速列車「みえ」と鳥羽の温泉ホテルをパックにしたものを利用することにしました。これで一泊二日温泉ホテル二食付で30,000を切って、私たち国内旅行予算内にかろうじて 収まりました。

快速「みえ」はお遅い、でも安い
近鉄特急なら伊勢市まで1時間21分で2,690円。快速「みえ」は1時間33分、2,250円です。 たった12分しか違わないのですが、JRはほぼ全線単線の田舎路線ですれ違い時間待ちが多く、都会の電車になれ私たちには、12分は予想以上に遅く感じます。
しかし、リタイヤしてからの旅では、時間と料金を考えた時には、ほぼ料金を優先しています。ですから私たちは、京都へ行くにも小田原から「こだま」なのです。

カミサンは神様よりもショッピング
夏休み最終週とあって、伊勢神宮は大勢の観光客で混んでいました。
大船を朝6時に出て、伊勢に着いたのが11時、参拝を済ますとちょうどお昼時です。TV情報入力ミーハーであり、そして決定権のあるカミサンの選んだのは、 伊勢うどんとてこね寿司セット1,250円、観光地価格としてまあまあ、でもコメントは差し控えます。
次に選んだのが、「赤福氷」。宇治氷の中身は赤福の餡と白玉500円、店頭は、これもTVで何度も放送されていますので大行列でした。おかげ横丁の赤福本店前よりも、 内宮前支店のほうが涼しくて、客席テーブルが多いのでお勧めです。

期待以上の鳥羽湾とホテル
JR伊勢市駅に戻り、今回の宿鳥羽へはJR参宮線4駅、20分です。
普段はビジネスホテルの素泊まりが多いのですか、今回のJR東海ツァーズの「トレイン・ホテルパツク」の宿の設定は、全て2食付の温泉旅館でした。 伊勢・志摩国立公園は初めてでしたが、何となく水族館とか、真珠とかを知っていて、さして興味はなかったのですが、小高い丘にある今晩の宿 「鳥羽グランドホテル」のロビーに立ってみて、鳥羽湾とはこんなに美しいのか、まさに山紫水明・日本の風景美を象徴しているような風景でした。

お部屋自体は、かなり年期が入っていますが、久しぶりの畳の部屋、大浴場・露天風呂の温度もちょうど良くゆっくりと浸かりながら目の前の鳥羽湾の大展望が 楽しめました。
夜は、ラッキーなことに、今年の夏最後の花火大会が開かれ、全室から花火が見れました。海外旅行にはない、言葉や安全に対する緊張感のない ゆっりと過ごせる国内自由旅行はこれからも増えていくでしょう。
これも年齢からくるのかな。




9/9 七年後の東京オリンピック 自分は、何をしているだろうか?

2020年のオリンピックの東京開催決定のニュースを聞いて、日本の人口の半分以上の人が7年後の自分の年齢 を考えたのではないでしょうか?
それと同時に、1/4ていどの人は、49年前の事を思い出していたでしょう。

1964年、東京オリンピックの年、団塊世代の私は高校二年生(16才)でした。
舟木一夫の「高校三年生」や学園ソングが流行っていた、今思えば戦後の昭和がまだ色濃く残っていた時代でした。

私が住む信州の町へも聖火リレーがやってきました。三年生の陸上部員の一人が聖火リレーランナーに選ばれた と聞いて、県庁の点火リレーを見に行った所、その先輩は、聖火ランナーの後ろを走る十数人の一人として参加 していました。
日本全国津々浦々まで、東京オリンピックを祝っていた時代でした。

一番の思い出
1964年当時、家庭のテレビは勿論白黒でした。この東京オリンピックで初めてNHKが一般向け電波でカラーで放送し、 ご近所の「パーマ屋さん」(美容院)で見ました。
日本選手団の真っ赤なブレザーが強烈な色彩として、半世紀たった今でも覚えています。そして、滲んだ赤を見て、カラー放送は 実用化したけど、まだまだだなと、子供心に考えた事まで覚えています。

もう一つ、これも映像としての記憶ですが・・・
オリンピツクから4年後、私は太平洋航路客船の映画上映会で市川昆が撮った「東京オリンピツク」を見ていました。
横浜を出てまだ2週間ほどしかたっていないのに、強烈に日本が思い出され、恋しくなったことを覚えています。

齢をとると、昔の事を思い出す。同じ昔の話を繰り返す、と云われていますが、どうやら本当のようです。未来は、明日は、ぼんやりと 霧の中のよう、今まで過ごした来た同じ日の連続・延長であるはずのに見えそうで見えない、反して忘れたはずの過去は、どんどんと鮮明に 蘇ってくる、これが大人から高齢者・老人へと続く道行なのでしょう。

今の日本、この夢の力が必要だ
国内向けののポスターとしては、あんたにそんな夢のことまで言われたくない、と思っていましたが、実際に7年後のオリンピック 開催が決定すると、自分の年齢に7年プラスし、その年齢の自分をイメージしたくなります。

今の年齢にプラス7すると、72才は、自分の資金計画人生シュミレーションの最少死亡可能性年齢です。ちなみに78才が平均的、82才が最長年齢と自分では思っています。 先ずは、おそらく、生きて東京オリンピックをみていることでしょう。
叶うなら、1日だけも陸上競技場で実際に味わいたいものです。冥途の土産として。

だんだんと線香クサイ話になっていく自分を冷静に見つめています。

9/14 「こんな所に日本人」 マダガスカルは秘境か

掲示板の投稿記事に、最近のテレビ番組で同じようなコンテンツの世界の秘境で暮らすたった一人の日本人を探しだす 番組が人気のようで、マダガスカルに興味を持つ女性から詳しい記事の掲載要望がありました。
いつか、書こうとは思っていたのですが・・・・、マダガスカルは稀にみる、カミサンに言わせれば史上最悪の旅 二度と行きたくない国で、書こうにもデーター・内容がないのです。

1989年、個人手配旅行と云う形で10日間、二人でマダガスカルへ行きました。
この頃、まだマダガスカルは、特定の旅行マニアの領域で一般的な団体主催旅行は、ごくごく一部の旅行社しか扱って いない時代でした。
手配をお願いしたのは今はないアフリカ専門店「The・世界」
成田からシンガポールへ飛び、深夜の乗り継ぎ便で就航したばかりのマダガスカル航空でインド洋を横断して、お昼前に 首都アンタナナリボに着く予定でした。

シンガポール
しかし、シンガポールの乗り継ぎカウンターへ行ってみると、私たちの乗る予定のフライトはディレー、予定は未定 の張り紙のみ。
マダガスカル航空の職員を探して詳しい話を聞こうにも、誰もいません。マダガスカル航空の職員は 存在せず、シンガポール航空に全て業務委託しているようなので、深夜なのにシンガポール航空の乗り継ぎカウンター へ行って事情を説明して、今晩の宿を手配してもらい、市内のホテルへ送ってもらいました。
部屋に入ると、シンガポール航空から伝言があり、明日のフライトは未定なので、翌朝再度連絡を入れるまで、その ホテルで留まってくれとのことです。

翌朝、朝食を食べて連絡を待っていても、なしのつぶて。ホテルは昨晩は暗くて解からなかったのですが、日本人観光客 が泊まるオーチャード通りの繁華街ではなく、華人街のアジア人向けビジネス。連絡がいつ来るか解からずに 動きようもなくお昼まで待ってるとようやく、迎えの車が来ました。
ところが、チェクアウトしようとすると、フロントが請求書を持ってきたのです。
こういう時、キレると不思議に英語がスラスラ出るもので、シンガポール航空かマダガスカル航空か知らないけど、 そっちに請求しろと、無視して空港に向かいました。 そして、またまた空港で待たされて、結局出発したのは、深夜、24時間のディレーでした。

アンタナナリボ
首都のアンタナナリボでは、日本語の達者な優しいそうなガイドが迎えにきていました。
今後の予定をガイドと打ち合わせを始めると、マダガスカルの最初の観光予定地、ベレンティ自然保護区の最寄りの 町、フォールドーファンの近くに季節外れのハリケーンが来ていて、今日は行けない、市内観光に変更となりました。

翌朝、いよいよマダガスカル航空国内線でフォールドーファンへ向かいましたが、時間的にはもう着く頃なのになかなか 着きません。窓の外を良く見るとさっき見た下界の風景が何度も見えてきます。どうやら同じところを何度も旋回しているようです。 機内アナウンスがあり、天候不良の回復を待っているというのです。
小一時間旋回したのちに着陸し、ベレンティ自然保護区に向かう道は、大雨と泥道の連続。ベレンティに着いたのは夜でした。 泊まったコテージはトタン屋根なので、一晩中、激しい雨音が絶えませんでした。

ベレンティ自然保護区
ベレンティ自然保護区は国立公園ではなく、個人の経営する外国人観光客むけの自然動物観察園です。ここには、マダガスカル 固有の輪尾キツネザルや、CMで有名になった横歩きするシーファカなどが、自然のなかで見れる、マダガスカル観光の目玉の 一つです。
雨は降ったり止んだり、コテージから動けず、コテージの周りにエサを求めて寄ってくる観光客ズレした輪尾キツネザルを 1日眺めて過ごす以外は何もすることが出来ない1日を過ごし、翌日、最大のの観光目玉、バオバオ並木のあるモロンダバに向かう ために、フォールドーファンの空港に向かいました。

フォールドーファンが今回の「せいじ」のTV番組で、美しい海のフランス的海岸リゾート地である事を初めて知りました。 私たちの知っているフォールドーファンは、嵐が荒れ狂う空と海とドロンコ道の町です。
嵐はいっこうにやむ気配はなく、私たちは結局3日間、小さな空港待合室とホテルの部屋で過ごした訳です。救われたのは 航空会社が用意してくれた、日本皇族の秋篠宮も泊まったという、フォールドーファン最高級リゾートホテルとフレンチ のコース料理でした。

モロンダバ
ガイドと今後の予定を話すのですが、帰国のフライトは決まっています。
帰国のフライトを変更しない限りは、目玉のバオバオ並木のモロンダバへは行けません。
ガイドの所属している国内旅行社は国内の手配は出来ても、日本からここまでの国際航空券については、業務外なのです。 ここは覚悟して、今回バオバオ並木は諦め、帰国し再度、日本の手配会社「The・世界」と再交渉することにしました。 画像のバオバオは、私たちの旅から2週間後に全く同じ日程で行った、旅の友人が撮影したものです。クヤシー

最後の試練
アンタナナリボのスーパーでお土産の80%カカオチョコレートを買い込んで、空港に行き出国したのですが、 マダガスカル航空は、時間になっても一向に飛び立ちません。アナウンスもありません。いつの間にか機体は引きずられて 視界から消えてしまう始末です。 機体不良・メカニック何とかと云うアナウンスが流れ、空港に5時間、もう、あきらめ、シンガポールの乗り継ぎどころか、 翌日の仕事にも間に合わないのは確実です。
予定していたシンガポールの乗り継ぎは間に合わず、再びシンガポールで一泊、マダガスカルで見たのは、ベレンティの 動物園のような輪尾キツネザルとシーファカだけ、後は曇天の空、横殴りの雨、泥道、ぬかるみ、怒りと諦め、二人で 65万円のバブル真っ盛りの時代の旅でした。

テレビ番組では、さして秘境でも奥地でもない場所をおおげさに扱っています。でも確かに、マダカスカルは今でも インフラ的には秘境かもしれません。

後日談
帰国して、今回の手配をお願いした旅行会社「The・世界」に交渉しにいきました。 特別私はクレーマーではないのですが、今後の同じような旅行者の為に、顛末を話に行ったのです。旅行会社「The・世界」は 今回、マダガスカル航空がシンガポール・アンタナタリボ間に就航したのを機会に、このようなツァーを企画し、初めての 客が私たちだったのです。「The・世界」はマダガスカル航空の日本担当者を呼び出し交渉してくれました。
結果は:
1,現金で一人50,000円の返金、あるいは
2,次回、国際線シンガポール・アンタナタリボ間と国内線全て、無料
のどちらかを選択してください。と云うことになりました。私は、二人で10万貰うよりは、次回の無料航空券を 主張したのですが、我が家のカミサンは、二度と、絶対行かないと言い張ります。
あれから、24年、私たちはマダガスカルへは行ってません。
良心的な対応をしてくれた「The・世界」は、もう存在していません。
マダガスカル航空のシンガポール線も今はありません。

9/19 初めて行く未知の国へ、久しぶりの旅行計画の楽しさとときめき

東京TV7chは最近面白い。
「世界の秘境に暮らす日本人」とか「Youは何しに日本へ」とか、あまり予算がかかつていない海外・外国人ものが多いのですが、 他局のお笑い芸人の楽屋落ちのおふざけバラエティよりは、断然面白い。
しかし、秘境を売り物にしているのか、知っている人からみれば、簡単に一直線に飛行機で行けたり、快適な高速バスで 行けるような所をわざわざ、遠回りしてオンボロ路線バスで悪路を行かせたりするのが目立ちます。
今週は「世界で働くお父さんに会いに行く」がやっていましたが、ここでも、不便でもなんでもないタイ・アユタヤ郊外の 日系工場団地内で働くお父さんを訪ねる少女に、水上マーケットの船に乗せたり、買い物をわざわざ メークロン線の線路上市場 で買わせたりしていました。
知らない人は、本当にそんな秘境だと思ってしまいます。
その前は、ラオスの秘境でラム酒作る団塊世代するおじさんをやっていましたが、 この場所は、首都ビエンチャンから立派な舗装のアジアハイウェイで47kmの地点、近所にはカラオケ屋がある所です。
まあ、情報番組ではなく、娯楽・旅番組の一種なのですから、TV東京なのだから仕方ないのですが。

その番組の中で、フィリピンの工事現場で働くお父さんを訪ねる少女が行った場所に目が釘付けになりました。
ななんだ!!、この美しい山は。まるでおとぎ話に出てくるような、絵に描かれたような、今にも恐竜が出てきそうなイメージ通りの 活火山は。こんな山がこの地球にあったのか!!
山の名前はマヨン山です。 少女がこの美しい火山が見える町、ルソン島南部のレガスピにたどり着くルートは、セブシテイからフェリー・路線バス・ボートを乗り継ぎ 二泊三日の長旅でした。私も知らない本当の秘境なのだ!!、行ってみたいと、番組終了後にネット検索してみると・・・・・ありました。
さっそく、ルートを調べてみるとなんと同じルソン島、首都マニラから飛行機で一時間弱、そしてマヨン山は、中心都市レガスピ の何処からでも眺められるではないですか。!!
番組とは云え、なんでこんな小学生の少女に遠回りをさせるのだ。
TV東京のプロデューサーでてこいや!!

それはさておき。
ここ一年、ブログでも書いていますが、リタイヤ後10年、ロングステイはショートリピートステイに変わり、海外の厳しい・きつい秘境が億劫に なりつつあり、イージーに日本の温泉に浸っていた気分が、このマヨン山を見て、再び海外への意欲がムラムラと湧いてきました。 現役時代の行ってみたい、この目で見てみたいWANTが蘇ってきたのです。
私たちの現役時代の旅は、いつもこのような動機で出かけていたのです。
さて、初めてのフィリピン。このマヨン山に行くツァーがあろうはずもなく、 あったとしても、有り余るお金で行く世界秘境マニアのおじさん・おばさん団体パックはご免ですから、何時もの通りネットで調べ始めました。

実は、旅はこの段階が一番楽しいのです。
先ずは、フィリピンの現地旅行会社をネットで調べました。これが一番簡単・有効な方法です。キーワード「フィリピン 観光 現地旅行社」 ここで、玉石混合・大小の旅行代理店がヒットします。しかし、これらの会社は、ほとんどセブとかボロカイ等のマリンリゾートを扱う会社なのですが、 先ずはメールで問合せすることから始めます。
1,私たちは世界の秘境に旅慣れた60代の夫婦であること
2,フィリピンは初めて(カミサンは独身時代に何度かきているようですが)
3,英語は困らない程度
4,ホテルランクは、安全・清潔な三ツ星程度のスタンダード
5,行ってみたい場所の個別詳細見積もり
6,マニラ空港の送迎料金などなど
とりあえず、数社に送る事から、現在始めています。

今現在、夏バテぎみ、体調は完璧ではないのは、カミサンには話さず。マヨン山が一番美しく見える季節を旅行社に聞いてみないと解からないでしょうが、 来年はそうそうになりそうです。今年の予定は全て決まっているので、来年までこのフィリピン・マヨン山旅行計画で楽しめそうです。



9/24 初めての海外、新婚旅行先のハワイのアドバイスと云っても・・

休日(と云っても365連休中なのですが・・)の午後、今月結婚式を挙げたばかりの地方に住む姪っ子から電話が ありました。新婚旅行に行くか、行かないか迷っていたのですが、何とか若い共働きの二人の休暇が取れて、 結局ハワイに行くことになったのです。

当初、結婚式を挙げるウェディングプラン会社から紹介された「ハワイ新婚旅行5泊7日」一人25万円が高いのか、 安いのかの相談があった時に返答に窮しました。
内容は実際にパンフレットを見ていないので解かりませんが(ホテルはヒルトン・ハワイアンビレッジとのこと)、恐らくは、 一生に一度の新婚旅行、空港の送迎にリムジンを使い、サンセットディナーや、ポリネシアセンターを含んだ島内観光などを 含んだ典型的な初めてのハワイ、新婚旅行用の至れり尽くせりのプランなのでしょう。

確かに、フリーに慣れたハワイリピーターからすれば、例えヒルトンにしろ、島内観光や食事が一部付いているにしろ、25万は 私たち7泊9日の二人分より高いのですが、しかし、新婚旅行・初めてのハワイ・周りにハワイリピーターの少ない地方都市から の二人の情報量の少なさ、海外旅行経験のなさを思うと、ムゲに高い、止せとは言えないのです。

私たちのアドバイスは・・・・
先ず、一般的なガイドブックを買いなさい。
そして、ある程度ホノルルの知識を掴んだら、幾ら地方都市だからと云っても、駅の近くには旅行代理店があるはずだから、 そこでパンフレットを貰って読み比べ、基本的な料金ベースを理解しなさい。
次に、自分たちがハワイ・ホノルルでしたい事、買いたいもの、食べたいもの、お土産などは、ネットで調べなさい。
若い世代・初めてのハワイの君たちと、私たちリタイヤ・リピーター夫婦では、根本的に価値観が違うので、具体的なアドバイス あそこのホテルが良いとか、ここへは絶対行った方が良いとは、言えない。

そして、今日の電話です。
JTBの4泊6日、サーチャージ・税込で一人16万円、ホテルはハイアットリージェンシーに決まった、と云うものでした。
廻りに海外旅行経験者が少ない地方都市の新婚の二人としては、及第点・無難な選択です。 そして、 お決まりの、スーツケースの大きさは?、電気のコンセントは?、チップは?、英語は?などの質問の次は、何を着ていけば 良いの?には、私たちの経験を話しました。
昔に比べ、ハワイを新婚旅行先と選ぶ若者は減っています。
平成の世、大都市・首都圏の新婚旅行先はオースラリアが一番人気のようで、 次には、ヨーロッパやアジアへ、自分たちらしい個性的な場所を選ぶ傾向にあります。理由は、大都市圏に住む、特に女性は 結婚前から海外へ出る機会が多く、経験を積んでいるからです。
反して、地方都市では、周りに頻繁に海外に出る女性が少なく、海外旅行への刺激・情報も少ないからと云われています。
ホノルルで、地方から来た新婚カップルは割と簡単に見分けられます。
一つは、服装・ファションです。昔のように如何にも新婚旅行的なカップル(代表的なペアルックはほぼ90%韓国新婚カップルです)は 少ないのですが、極端なのです。東京の都会のカップルに負けじと、原宿的センスか、昼間から一流レストランに入るようなおめかし をしているか。或いはまるでハイキングのような服装かのどちらかです。
ホノルルの街歩きは、ごく普通に、昼間の東京・横浜の街中を歩く服装あるいは、もう少しカジュアルで良いのです。シニアの男性で あれば、襟のついたポロシャツに短パン足元はスニーカー。つまり、テニス・ジョギングスタイルがもっともホノルルの街に似合うの です。

姪っ子には、もし、事前予約が必要なような、一人100ドル近くかかるレストランでディナーをする予定があるなら、ある程度のおしゃれな 服を持っていくようにアドバイスはしました。私たちは?、勿論持っていきません。丸亀製麺或いは白木屋のフードコートで十分ですから。

最後の質問:何か持って行って便利なものは? 答えはお金。
全く、充てにならない叔父・叔母。質問相手をもちがえたと思った姪っ子でしょう。



9/30 退職老後計画に及ぼす想定内の問題 リスクヘッジは出来るのか

以前このホームページで、定年退職後の資金計画、生活設計の想定されるリスクについて書きました。

 1,自分或いは伴侶の病気
 2,双方の親の介護
 3,自立しない息子・出戻って来た娘と孫

など、現実に起こって欲しくないけど、確実に自分たちの老後の生活設計に影響を及ぼす、誰にでも起こりうる、言葉は悪いかもしれませんが リスクが存在します。


以降の記事は、保存版として 定年後の暮らし方・鎌倉リタイヤライフ
に移動致しました。


10/8 10年ぶり、中学校の同級会の案内が届きました。

生まれ育った信州の田舎の中学校のクラスメートから、11月の連休に予定している同級会の往復 ハガキが届きました。
団塊世代の中学は、言葉どうり、ベビーブーマー世代で一学年16クラスの大所帯でした。卒業してから 暫くは同級会は開催されなかったようですが、10年置きぐらいに開催されていたようですが、私には、案内は 届いていませんでした。
20代の前半から海外に出ていた為、音信普通の状態となっていたようです。
日本に帰国後、首都圏に暮らし始めた時には、一部の友人には住所・連絡先を知らせておいたのですが、幹事には 伝わっていなかったようです。

卒業後、初めての同級会に出たのは、55才の時、ちょうど私がリタイヤした年です。 退職1年目で、海外のロングステイ候補地に数週間単位でステイを繰り返していて、失業手当の書類・面接の為に 一時的に帰国していた時、田舎の実家から住所確認の連絡があり、中学卒業後40年ぶりに、同級会に出席しました。

同級生は皆、まだ現役の働き盛り、中央官庁のキャリア・大手造船会社で飛鳥の設計をしているもの・会社社長・ 地元銀行の役員一歩手前・整骨院の院長など、当時の少年の面影を残しつつ、日本経済の中で活躍していました。女性の殆どは結婚し、 55才と云う年齢から、子育ては終わり、子供たちが巣立って行く時期で、幸せそうでした。

中学卒業後40年にして、出席したのは、男性10名、女性18名、クラスの半分にはなりませんでした。55才当時、既に亡くなっている 方が三名おりました。良く言われる言葉ですが・・・、同級会・同窓会に出席する人たちは、今の生活に満足している、幸せな 環境にある人たちである。
確かに、一理あるでしょう。不安定な状態にある身では、昔の少年・少女に戻って打ち解けで、これまでと今の人生を語るには、 抵抗があることは、想像出来ます。

10年前に、40年ぶりに姿を現わした私は、好奇の目で見られました。
55才でリタイヤし、同級会の為に海外ステイ先から戻り、現在、中学校の修学旅行で行った鎌倉に住んでいる、いったい何をしてるのか? 、奥さんは日本人?なんて、質問をする人もいました。
私を見る目はけして好意的なものではなく、異人種と感じているようでした。あからさまに聞こえるように、ホラ・夢物語と云う 声も聞こえ、次からは出ないようにしようと決めた、初めての同級会でした。

あれから10年目の同級会、カミサンは「どうせ話題は健康・クスリの話と、孫の話だけ」・「地元で育って、地元で就職・結婚し 子育てした人たちと話が合う訳がない」と云います。しかし、今は65から66才。このようなサイトを運営する立場としも、興味あるし、 一番の大きな理由は・・・カミサンには話してありませんが、今回の同級会に中学生の頃のマドンナ的女性が出席するという情報を、 同級生からいただいているのです。

伝え聞くに、親の介護・ご主人の仕事面などで、ご苦労されて来た人生のようです。 出来れば、あの清潔・可憐な中学生少女のその後の様子が垣間見れれば・・・

65歳、人生、着実にエンディングに歩み始めているようです。


10/13 スケジュール帳 空白恐怖症候群

このサイトの読者層は(推定・問合せメール・アクセス解析によると)は、サイト開設当初は、私よりもかなり先輩の方々、既に退職されロングステイを模索或いは 実践されている方々でした。そして、3~5年前は、ジャスト団塊世代の方々、ここ数年は、これから退職期を迎える 年齢層です。
度々メールフォーム経由でおたよりをいただきます。
多くは、経済的な不安よりも、長いリタイヤ・セカンドライフ生活、何をやっていこうかと云う不安の方が多いのです。
今回、ある一つの標準的な、皆様に参考になる例をご紹介致します。
文章の一部は、個人を限定されないように、削除・修正しています。

予定より長く勤めた結果、経済的な余裕も少しあり、妻も私も健康で、唯一最大の課題は退職して何を するかに尽きます。
若い頃はスキー、その後はテニスとゴルフを二人の共通の趣味としていますが、 この延長で残りの20年の人生を過ごすか、あるいは新しい事に挑戦するか難しいです。

妻は農業には興味なし、別荘を持つと掃除が大変、海外旅行の12時間の飛行機はもうたくさん、 と言う事で、できれば現在の生活の延長に国内旅行を加える程度で年を重ねたいようです。

それを実現するには退職後、私が平日に単独行動する事になりますが、私にはスポーツ以外に 若い頃からやった囲碁、コントラクトブリッジ、ビリヤードなどの選択肢があります。 いずれも突き詰めれば極めて奥が深く、残る人生のライフワークと出来る遊びです。

数年に及ぶ海外滞在でも上手くならなかったジャパニーズイングリッシュを 本格的にやり直すのも一つの選択肢かも知れません。これらに加えて、地域活動、ボランティア、 社会人向け講座などを組み合わせて、濡れ落ち葉にならないようにしたいところですが、 そんな事をして人生の幕を閉じた時に満足できるのかと少し悩ましい思いでおります。
スケジュール帳 空白・真っ白恐怖症候群
この方のように、経済面の不安のない方ほど、最近はやりのこの症状になるのです。 今まで、仕事も人生も全て、ある程度の予定を造り、それをクリア・こなして生きてたのに、これから先、明日・今週の予定がない生活に 不安を感じるのです。まるで予定がない、スケジュール帳が空白と云うのが、自分の未来がないように感じ、イラつき 、友人を多く持つ伴侶の生活にまとわりつき、濡れ落ち葉と云われようが「ワシも行く夫」となるのです。

どうすればよいか?
スケジュール帳を埋めるには?・・、私の講座の生徒さんで湘南鎌倉生涯現役の会 の幹事をしているAさんの手帳は、1か月の予定が入っていない空白日はゼロです。 退職後、市内の趣味のクラブ、市・地域関係のボランティアに機会がある度に参加し、自分の出来る事・時間を無償で提供し、自分が学びたい事・新しい技術は お金を払ってやってきています。この方も自分は一種のスケジュール帳 空白・真っ白恐怖症候群の患者だとおっしゃていますが・・・、充実した日々をお過ごしのようです。

経済面の不安のない方退職者のほとんどは、この症候群患者なのです。
治療方法はない、自分自身で自然治癒する方法を模索し続けるしかないのです。
確実に言えることは、人間は一人では生きて行けない、社会・他人との関係なしでは生きて行けない動物なのです。

自分だけが、退職後の長い生活に何をやったら良いのか解からずに迷っている、のではなく、みんな同じです。何処かに必ず、何処かに 居心地の場所・自分を必要としている 場所が必ず、一つはあります。 それが海外滞在であったり、遺跡発掘・障害児付き添いの有償ボランティアであったり、無償の地域活動・趣味のクラブであったり、 或いは、何処なのかわからないまま過ごし、最終的には家族・家庭であるかも知れないのです。

リタイヤ10年目の先輩として伝えたいのは、先ずは健康でいる事。これが一番です。  最近自分のブログの締めくくりに健康と云う言葉を使うことが 増えてきたな・・・・悪い兆候か?


10/18 退職10年目、海外滞在と国内旅行の回数が逆転した節目の年か

退職して10年、今年はリタイヤライフ・ギアチェンジの年のようです。
今年はこれまでの10年と違って、海外滞在と国内旅行の回数が逆転した年です。
退職した年から数年間は、年に6回120日ほど 海外に出かけ、暮らすように滞在・旅してきたのが、徐々に回数が減り、一回の滞在日数も減っていきました。
それに比例するように、自然と国内に出かけることが増えてきました。

リタイヤ当初は、新聞広告によくある大手旅行会社の企画・周遊型ツァーの価格に釣られ参加しましたが、参加者は 年寄りばかり、安い価格に関わらず観光は多く、一日に何か所も廻り、食事はツァー客が一斉に同時間に摂るタイプの スタイルに馴染めず、海外と同じく、多少は高くとも、個人・自由型旅行になっていきました。

最近は、大手旅行会社が比較的余裕のあるシニア層に向けた新幹線+温泉リゾート二連泊セットを発売しています。 これらのセット商品は、個人がネットでとる価格よりも30%程度安くなります。

今回、私たちの目に留まったのは、新幹線・当社Aランク「水上高原ホテル200」に二泊・全四食・尾瀬ハイキング付きで20,000円 からと云う「阪急」のダイレクトメールでした。昨年の赤倉温泉でこの手のツァーのホテル・食事内容は解かっていて、敬遠してきたのですが 予てから一度は行って見たかった尾瀬ハイキングに惹かれ行くことにしました。

これらのツァーはどの位安いか?
東京山の手線内から、「新幹線+水上高原ホテル200二泊・全四食+尾瀬ハイキング付(二人一部屋)」を個人でネット予約すると、 一人30,300円で、二人で60,600円、ツァー料金は20,000から25,000円で、私たちが行ったこの季節が一番高く二人で50,000円凡そ、20%ほど 安く、時期によっては30%程度割安になります。
温泉付のリゾートホテルに2泊3日、新幹線駅「上毛高原」・ホテル間は無料シャトルバスで、尾瀬の入り口だけでも、雰囲気が楽しめると と云うことで、行くことにしました。



この尾瀬ハイキングは、宿泊する「水上高原ホテル200」が毎日企画している宿泊者向けのアクティビティツァーの一つです。
朝7:15分にマイクロバスでホテルを出て、尾瀬ヶ原の入り口「鳩待峠」に8:15到着、尾瀬ヶ原を自由に散策5時間、帰りは鳩待峠を13:15出発し、 ホテルに14:15戻り、露天風呂で汗を流すという、シニア向けにはありがたいツァーです。ただし、本格的な尾瀬巡りを望むかた向けではありません。
当日は、台風の前日で曇天・時々小雨の一日でした。気温は12℃
鳩待峠から尾瀬ヶ原の入り口「山の鼻ビジターセンター」に下る3.3Kmは、これから紅葉が本格化する少し手前、しかし今年の多くの台風の 影響で、紅葉する前に落ち葉となる木が多いようです。私たちの60代前半の脚力でこの下りの3.3kmは45分程度ですが、普通は60分、帰りは登りになるので 90分みる必要があるようです。
初めての尾瀬ヶ原です。
季節は草紅葉の10月半ばの平日、歩いているハイカーの80%は、シニア世代。如何に日本が高齢化し、この裕福な世代が日本経済の消費に貢献しているか 解かる風景です。
尾瀬ヶ原に精通している友人に事前に装備を聞いたみたところ、 鳩待峠から入って、4~5時間の散策、尾瀬ヶ原のさわり・お試していどなら、滑らない程度のスニーカーと、雨具が必須たけど、後は鎌倉の天園ハイキング コースを歩く程度の準備でOKと聞いていました。しかし、実際に歩いている人たちほとんどの皆さんの、しっかりした登山靴・登山ウェアー・ダブルストック姿に驚きました。
ホテルからの送迎バスで一緒になった方々に聞いてみるとほとんどの方は尾瀬が初めて。お金持ちシニアはゴルフと同じで、姿、形、道具・ウェアーから入るようです。
バスの中を見回してみると、どうやら私たち二人が一番若いように思えるのですが、皆さん、すこぶる元気。誰も帰りのバスに遅れることなくホテルに戻ると 一斉に露天風呂に向かい汗を流し、夕食のバイキングでも驚くべき食欲を発揮していました。

今回の初めての尾瀬は、曇天・時々小雨、5時間の滞在で私たちは牛首分岐で引き返してきました。次回は童謡・唱歌の「夏の思い出」の歌詞にあるような、青い空と 水芭蕉の季節に、もう一度来ようと、カミサンを誘ったところ、「私はパス、歩くにしても京都や都会の街歩きのほうが好き」と断られました。
カミサンは、山ガールにも、田舎暮らしにも向いていないようです。


10/23 週刊誌見出し「70才からのビンボーはこんなに怖い」を立ち読み


週刊誌の見出しがセンセーショナルなのは、解かります。
しかし、いざ読んでみると、ごくごく当たり前の大人しい・常識的な内容であることが多いのですが、今週発売の 「週刊現代」のキャッチコピーは、退職者及び予備軍の目に留まることは間違いないです。

急増中!!
70才からのビンボーはこんなに怖い
あっという間にスッテンテンーー、なぜ70歳でカネが無くなるのか?
病気・死別・老人ホームに入居 「一大事は70歳で起きる」
じゃあ70歳でいくらあったら大丈夫?

  以後の詳細な記事は鎌倉リタイヤライフへ移動しました。


11/1 定年後 夫婦二人だけの生活 私たちのルール

朝日新聞の土曜版の「悩みのるつぼ」を良く読んでいます。
今週の悩み相談者は同じ世代64歳女性、回答者はあの、上野千鶴子さんです。
相談内容は 「退職した夫が束縛します」です。
要約すると

夫は私を愛していると確信しているようですが心配性です。あまりにもわたしの行動を束縛するのです。 夫は、組織の中でトップ近くまで昇進したので、退職後は趣味どころではなく、燃え尽きたのかもしれません。 私は、夫源病一歩手前?です。いいストレス解消法をご伝授ください。
上野千鶴子さんの回答は;

  以後の詳細な記事は鎌倉リタイヤライフへ移動しました


11/9 50年ぶりに会う友人、故郷の中学の同級会

11月(世の中、世間一般の・・)の3連休の中日、信州の中学校の同級会に参加してきました。 新幹線が碓氷峠をこして軽井沢に入ると、お天気は快晴、浅間山は、くっきりと姿を現し、車窓から見える軽井沢の街路樹は 紅葉していました。

これまで、急がない・緊急性のない一人での帰省の場合、よく高速バスを使っていました。時間は3倍以上かりますが、 料金は半額以下ですから、当然の選択でしたが、昨今の高速バスの事故、年齢からくる体力・回復力の衰えで、最近は 新幹線を素直に使うことが多くなってきています。 元アジア・南米のバックパッカーとしては、ある種の敗北感が漂うのですが・・

中学校の同級会は、ほぼ5年毎に開催されているようです。今年は、男性9名女性6名が参加しました。
昭和38年卒業のクラスの男性24名・女性24名の50年後のデーター

実に意外なことなのですが、当日、幹事さんから配られたファイルによると、男性24名のうち、県外で暮らして いるのは、7名、女性は5名でした。
戦後の復興期、日本経済の成長と共に歩んできた昭和22年・23年生まれはもっと都会に出てているものと思って いたのですが、3/4の同級生は、高校・大学卒業後も生まれ故郷で生活を続けているのです。

既に亡くなられた方は、男性はお二人、女性はお一人です。
連絡先住所が確認できない方は、男性二人、女性一人です。
男女ともこれまでシングルなのは、各々お二人。

会話の内容が、健康の話と孫の話であることは云うまでもありませんが、65才ですから、またまだ現役の方も沢山 いらっしゃいます。
中央官庁退官後、大学の教授をしているもの、大手造船メーカーで70才まで後輩の支援に携わる者 、地方自治体退職後の再就職天下り期間が終わって、これから裸一貫で仕事先をさがしているもの、ほとんどの方々は 私から見れば、潤沢な年金に恵まれていてるにも関わらず、生涯現役で仕事を続けていたいようでした。

地元で同級会の幹事をしている友人と話では、同級会にでてくるメンバーは固定化している、クラスの半分以上は一度も 参加したことがない、と云います。
彼と同窓会に行きたくない理由ランキングと云う話をしました。

Q.同窓会に行きたくない理由について教えてください(複数回答)【女性編】
1位 いまの自分に自信がない 23.7%
2位 会いたくない人がいる 22.8%
3位 知っている人があまり来ない 21.3%
4位 会費が高い ただの飲み会が嫌い 19.7%
5位 行ってもいいことないので行かない 16.4%
・他に男性の意見として、話題が出身大学、企業、仕事、子供の自慢話ばかり。
・当時のいい思い出がない、むしろいやな思い出だらけ。
・当時のクラス主流、経済的勝ち組だけが集まる。 など等

クラス全員が、良い思い出のだけの3年間だった訳でもないし、今更、50年の年月を忘れ、年齢を遡って少年・少女に戻りたくもない と云う人たちも居るのだということを、東京六大学卒業、親の企業を引き継いだ、順風満帆の人生を歩んできた幹事の同級生に話しました。

まだ65才です。過去をふり返って懐かしんでばかりいる歳でもないですが、数年に一度15歳に戻る中学の同級会はでるのも悪くなく 次回も出席するつもりです。
理由の一つに、今回も出席して いた、昔の憧れのマドンナは、現在も美しく年齢を重ねていました。
ただ、少し気かかりなのが、彼女の現在の住まいをgoogleマップで検索した所、かなり辺鄙な場所の小さな家だった事です。
幸せに家庭を持って暮らしているだろうか?、今回も聞かずじまいでした。

11/14 吉野家牛丼もマックもコンビニおにぎりも食べたことのない人

掲示板に「すきやの280円の牛丼は嫌いですが、 吉野家、松屋は280円で本当に美味しいと思います。」と投稿があり、思わず私も「牛丼は吉野家に限る」と 書き込みしそうになり、長文になりそうなので、ブログに書くことにしました。

牛丼はおろか、マックも宅配ピザもコンビニおにぎりも食べたことがない人が 大勢いることを、今回の帰省で知りました。

実家の家族、元官僚で現在大学教授の同級生、その他かなり多数の人々です。
食べない理由の一つが、実家の義姉や実姉のような、ファストフード=ジャンクフード=添加物だらけの危険な 食べ物と論じ、ドキュメンタリー映画監督マイケルムーア作品を見たことがある家庭婦人と、高校を卒業し、地元の 大企業工場に勤め、生まれ育った実家から車で通勤し、昼食は社内食堂と云う外食の必要性がなかった実兄や、内勤であり 企業内・職場内で済まさせる環境にあった人たちです。

都内の大型建設現場勤務の私と云えば、コーヒーと煙草は打ち合わせ・会議・図面書きの必須アイテム、 昼食は近所の定食屋、近くの有名ラーメン店、 吉野家・てんや・マック・コンビニは、残業、深夜作業の心強い味方でした。健康志向派の実姉からみれば、不健康・メタボ・糖尿 まっしぐらの食生活と云えるでしょう。

食べない人達は、ジャンクフード、危険な不健康な食べ物と云います。
自分の家の台所で、素材のしっかりしたもので造られた料理こそが健康食と云います。 確かにその通りです。アメリカに 行く機会が多く、大勢の不健康な太りすぎの人達を見てきていて、この国の食生活は狂っていると 感じてきました。

では、日本はどうか?
吉野家・てんや・マック・コンビニ弁当は、不健康な悪魔の食べ物か?私はそうは思いません。
私は、日本の企業は中国のデタラメな儲かれば良い主義の国民性と違い、ある程度の理性・責任のある体質を保持していると 信じています。・・・・しかし昨今のレストランの不当表紙報道ですこし揺らいできていますが。

今、昼食時のこれらのファストフード店は、大勢の年金シニアの人たちで賑わっています。
何処の世界に、昼食時5ドル以下で食べられる国があるでしょうか?、アジアでも観光客が入るような店でも、 5ドル以下での昼食は難しくなってきています。日本にくるバックパッカーは、日本のマックが100円に驚き、 280円のビーフボール(牛丼)に驚嘆しています。

要は、食べ過ぎ・偏食がいけないのであって、ファストフードが悪いのではないのです。超健康志向派の実姉・義姉の前では 間違っても言えなかったのですが
実姉の夫は、昨年1回目の心筋梗塞で亡くなりました71才。実家の兄は、これだけの義姉の食品管理下で、68歳になる 今日まで、牛丼もマックもコンビニおにぎりもミスタードーナツも食べてことがないのに、メタボ・糖尿予備軍で、クスリを毎日 5種類のんでいます。

11/19 人生の楽園、定年後の田舎暮らし、実際冬はどうなんでしょうか?

今年の秋は、急激にやってきた感があります。
関東首都圏・南関東では昨日まで夏の半袖姿だったのが、翌日にはセーターを羽織っても寒いような日が続き、11月初旬から、東北北部・ 北海道からは、雪かきの映像が映し出されています。
今年の紅葉は早いかもしれません。
鎌倉の紅葉の名所は「獅子舞」或いは「紅葉谷」と呼ばれている所で、天園ハイキングコースの二階堂入り口から鎌倉カントリーの間 の落葉樹林の谷で、見頃は毎年12月第1週です。が今年は台風の影響で、潮焼けし綺麗ではなさそうです。


南関東の鎌倉で紅葉の見頃を論じている11月初旬、定年後の田舎暮らしの地として人気の 信州の地では、既に炬燵をだしています。
落ち葉を燃やす煙、軒下に吊るした柿、紅葉に染まる裏山、収穫の秋、都会の喧騒から離れ、 本来の人間性豊かな自然に囲まれた 子供の頃よく目にした、昭和30年代の田舎の風景、朝夕のあぜ道の散歩、
夫婦二人の田舎生活。 しかし、これから冬がやってきます。 北信濃では、11月初旬の雪は、決して珍しいことではないのです。
信州に住む義理の姉は、夫が退職したら碓氷峠の向こう側(南側)に住む事が夢でした。出来れば瀬戸内海の尾道、少なくとも峠の向こう側、 冬場の雪のない世界へ。

義理の姉は、定年後夫婦の生活ドキュメント番組「人生の楽園」をいつも見て、独り言を言っているそうです。

  • 何で雪の季節の取材をしないのよ。
  • 一人が倒れた時、亡くなった時、どうするのよ
  • 大病院まで車で1時間かかるって言いなさいよ
  • 近所の人が色々持ってくるけど、お返しが大変なのよ。
  • 都会のお友達、子供が訪ねてくるのは、春・夏、せいぜい2年目までよ。
  • 家庭パーティーばかりやってら持ち出しで大変。
  • 夫婦二人分の野菜・米なんて多寡がしれているのに。
  • 日本のどんな田舎でも自給自足生活は成り立たないでしょ。
  • 土地・賃貸料以外は、大都会のほうが安いのは常識でしょう。
テレビの演出・シナリオと解かっていても、独り言を言って見ているそうです。

義理の姉の独り言は、うちのカミサンも同じです。
毎日、山菜のテンプラやお浸しばかり食べているはずもなく、自家製野菜と云っても、種代・肥料代は高いし、沢山採れすぎて送る宅配代 のほうが高くつく

田舎はご近所と仲が良い云う事は、私たちの人間関係内容や毎月旅行に行っている行先が全部把握され、お土産をその都度買ってこなくてはいけないのよ。

築60年の古民家?、60代の夫婦ふたりだけの生活でそんな広い部屋、数は必要ないし、お掃除は貴方がするのよ。プロパンガスって減ってきた 時に揺するの?、昔、子供の頃、そうしてたは。田舎でガスが無くなったらどうするのよ。

北関東出身のカミサンは、海外ロングステイには憧れていましたが、田舎暮らしには全く関心が有りませんでした。
私も、信州の雪も田舎も知っているので田舎暮らし、農業には全く関心が有りませんでした。

私たちは、海外の海辺のリゾートにも関心ありません。
確かに、綺麗な、美しい所は心安らぎますが、一番落ち着いて過ごせするのは、異邦人として、何ら責任もなく、ただの 通過客、お客さんとして生きられる、海外それも、アジアの大都市の雑踏・混沌とした市場の匂い、オートバイの流れ、 ちょっとスキある観光客からおこぼれを狙う少年たちだったのです。・・・・65才までは

リタイヤして10年たちました、たいていの経験もしました。
もう、アジアの雑踏は卒業します。南米への長旅も、バリ島のゲストハウスも卒業します。
多少コスト高になるけど、便利な都会に住み、時々リフレッシュする為に、日本国内の滞在型・経験型の旅にします。



11/24 「定年後に住みたい街」の公園で一日過ごすおばあちゃんの姿

Allaboutの住宅・不動動産部門のなかで「定年後に住みたい街ランキング」と云う調査が有ります。
※データはマンショントレンド研究室が「定年を迎えた家族世帯」だったら住んでみたい街について、5 0代以上の男女に絞り込んで集計したものです。

東京首都圏のマンション購入者世帯向けの調査だったのでしょう。
男女ともに鎌倉がトップですが・・・ 実際の住宅計画資金やその後の退職計画を たてる前の憧れを反映して、こういう結果になったのでしょう。

一方で全国住みたい街ランキング100と云うデーター もあります。これもやはり、ネット上の不動産検索サイトなのですが、トップは横浜市で、鎌倉市は6位です。

統計dataは
  • 特色
  • 生活公共料金
  • 結婚・育児
  • 教育
  • 医療・福祉
  • 土地・住宅
   住民意識チャートでは、
  • 近所付き合い
  • 街並みや雰囲気
  • 愛着
  • 交通の便利さ
  • スーパーやお店の充実
と詳細に紹介されています。
鎌倉市は街並みや雰囲気だけがダントツに吐出していて、その他は、全国平均を大きく下回っています。

私の住む大船は、同じ鎌倉市内でも少し状況が異なります。観光客が多く訪れる、歴史的なお寺・名所が点在する北鎌倉や湘南海岸・江の島に面した 鎌倉と違い、三浦半島と湘南方面の交通の分岐点故に、東京首都圏のベッドタウンとしての役割が色濃い街です。
駅の東側には湘南のアメ横と呼ばれる、庶民的な商店街や大型スーパーがあり、大きなスーパーのない北鎌倉・鎌倉・西鎌倉方面住民の台所となっています。 転じて、西側は大船フラワーセンターを代表するように、緑地保存指定地区で、清泉女学院・栄光学園がある学園地域でもあります。

退職後、東京駅から40分、最寄駅から徒歩9分、大型ショッピングモールも、大型総合病院(今話題の徳洲会の理事長が入院している)も徒歩圏の 中層5階建・50世帯の共同住宅に移り住んで、今のところ正解だと思っています。

  自宅前の公園に集う人々

我が家の東南側は、市の児童公園に面しています。
リビングからは、広く開けた青空と緑の丘陵が見えます。この公園は10時なると近所の保育園の子供たちでいっぱいになり、午後3時からは、 下校後の小学生たちが、目いっぱい走り、遊ぶ姿が見えます。

一人でベンチに座るオバーチャン
そのなかに、毎日決まって同じ時間に、公園の同じベンチに姿を現すおばーちゃんがいます。
少し、足が悪いようでゆっくりと歩いてきます。今日のようにお天気が良い日は解かりますが、雨の日も、風が強い日も、寒い日も、同じように じっと座っているのが、我が家のリビングルームから見えるのです。

何処に住んでいるのだろうか?
この辺りは昔は田んぼで、広い土地を持つ地主さんが多く、東京への交通の便が良いのでアパートが 多いです。
近年、昔の昭和を思い起こすアパートはどんどんと洒落た住宅メーカーのアパートに建て替えられている最中です。
おそらく、想像ですが、古いタイプのアパートに一人暮らしをしているのではないのでしょうか?
一日、狭いアパートの一室でテレビを見ているより、子供たちの遊ぶ姿が見える、日当たりのよい公園で過ごしてのでしょう。
でも、雨も日も居るのです。公園には誰もいないのに。
雨の日は、東屋に座って反対のバス通り側を一日眺めています。もしかしたら一人暮らしではなく、家族がいるのだけれど 一人になりたくて、家に居たくなくてここに来ているのかもしれません。

退職を控えた男性が多く妄想する姿は
家にいると妻に厄介扱いされ、滅入り、毎日行く所、過ごす場所、図書館も学習センターも、 ショッピングセンターもなく、ただ、一日ぼんやりと子供たちの遊ぶ姿に見て公園で過ごす自分をイメージし、恐れおののく。
ほとんどは妄想で終ります。
どこかに、自分の過ごす、居心地の良い場所を探し出すハズです。
でも、もし伴侶に先立たれた 70才半ばの一人暮らしの自分の姿を想像すると、このおばーちゃんと同じように過ごしているかもしれません。

もっとも現実的・確率的におきそうな妄想は
公園側でなく、この陽当たりの良いリビングルームがベッドルーム代わりになり、ガン末期の人生をリクライニングベッドから、昔見た孤独なオバーチャンの 姿を思い起こしながら、公園に集う子供たちを眺めている年老いた自分の姿です。

願わくば、その時、カミサンが優しく接してくれること、なのですが・・・



11/30 沖縄の世界遺産を路線バスで巡る旅

沖縄は退職後の住まい・老後のロングステイ候補地として、55才退職後の年に石垣島をメインとして訪れ、その後 2006年に沖縄本島を格安観光ツァーで廻ったことがあります。 それ以前にも、70年代後半から仕事がらみで何度も来ており、今回は都合七回目の沖縄です。

今年は、早期退職10年目、海外から国内に重点を移した節目の年です。
今までの旅のスタイル、若い?体力任せ、価格重視のスタイルから、少し余裕のある、65才と62才の初老夫婦らしい 旅にしようと考えました。
先ずは、7年前のような3泊4日観光・食事オールインクルード298の団体ツァーは、最初から除外し、個人スタイルで動ける Air&Hotelパックを選択することにしました。
選んだパック商品は、航空会社・フライトSCH・ホテルを自由に設定できるものです。 しかし、ここで今までの貧乏旅行習慣・根性が顔をだし、どうしても格安航空会社に目が行きます。
羽田・那覇間3時間弱 の国内線フライトはLCCと既存航空会社との間に値段ほどの違いはないので、マークスカイの往路午前便・復路午後便を選択し、 ホテルは、これまででしたらビジネスホテルの上位クラスを選んでいましたが、今回は、那覇国際通り・モノレールに近い シティホテル「かりゆしアーバン・リゾートスパ」を選択しました。
3泊4日食事・観光なし、二人で68,000円です。
私たちの国内旅行の基準は完全フリー2泊3日、二人で10万円ですから、4日間にしても十分に納まっていますが、沖縄の場合現地の移動費が相当な 額に達すると予測されます。
普通、沖縄個人旅行の場合レンタカー移動が一般的ですが、私たち夫婦は60才に達した時に、運転免許証を更新しませんでしたから 車は乗れません。自ずと島内観光の足は、路線バスになります。

今回の旅のテーマは沖縄の世界遺産
計画した場所は
 ・本部の今帰仁城址
 ・うるま市の勝連城址
 ・那覇市の首里城の金城石畳
 ・南城市の斎場御嶽
 ・宜野湾市の嘉数高台展望台
以上の五か所でした。

行こうと思えば、全ての箇所に路線バスで行ける事はNETで解かっています。問題はその料金と乗車時間です。
那覇から美ら海水族館の傍にある今帰仁城址へは、乗り換えの名護ターミナルまで2時間、ここから本部半島循環バスで1時間、一人往復 6,500円と云う費用の高さと、時間がかかるのです。
如何に、団体PACツァーが安く、便利なのか再認識する訳ですが、私たちは、あくまでも個人・自由行動で暮らすように旅するスタイル 、路線バスに拘りました。

ひとつには私たちが行きたい場所は、団体PACツァーには含まれていないのが大きな理由です。那覇市の首里城にしても何度も来ていますので 今回は、ツァーでは行かない、首里城の外側の趣のある金城町石畳周辺を時間をかけて歩きました。
宜野湾市の嘉数高台展望台に至っては、本土の人にはあまり知られていない沖縄の超名所の戦場跡でもあり、普天間基地を一望できる展望・観察台 でもあるのです。
これらの場所への路線バスを使っての行き方については、詳しくはロングステイ国内・沖縄石垣ページで掲載してます。

海外・国内に拘わらず団体PACツァーは安くて、効率が良いのですが、難点は点と点の移動ということです。ただ座っている だけでに自動的に目的地に運ばれるという感覚だけが残り、自分で選んで行ったという気持ちがどうしてもないことです。
点ではなく広く面を見ようと思えば、無駄な待ち時間や、徒歩で歩くことが必要だと私たちは考えています。今回もずいぶんと 色々な所で歩き、人に道を聞き、休憩の為にお店に入りました。
那覇が新都心に代表されるように、沖縄らしい風景・建物が急速に失われているなか、路線バスから見る地方の街並みは、30数年前とさほど 変わってはいませんでした。


12/05 朝日新聞創刊135周年記念号外縮刷版

日曜日の朝刊を取りに一階のメールBOXを開けると、随分と厚く、取り出しにくいので何だろうと見ると、 記念号外縮刷版が挟まれていました。
年齢を重ねると、前方を見据えるより、後方、昔を振り返ると云われていますが、どうもそのようです。 若い頃、前方にある、或いはあると思えたのは希望・夢・野心ですが、65才になると前方には、不安が 真っ先に見えてきます。一番大きな不安は健康問題なのですが・・・。
自然と高齢者は、過ぎ去りし・輝いていた昔を振り返るようになるのです。
これは、自分がその年齢になって初めて解かる事です。
朝、新聞を1時間以上かけて隅から隅まで読む、読書好きなカミサンなのですが、この号外縮刷版はさして興味がない ようです。まだ高齢者の仲間入りしていないのと、女性は現実的なのでしょうか?。

いろいろあった重大事件のなかで号外縮刷版の表紙を飾っているのは
 ・皇太子妃きまる 正田美智子さん
 ・天皇陛下崩御 87才未明ご容態急変
 ・人類、月世界に到達 アポロ11号宇宙史に刻む
 ・田中前首相逮捕 ロッキード疑獄一気に核心
 ・542人乗り日航機墜落 長野、群馬県境で炎上
 ・地下鉄に劇薬、200人以上倒れる 死者5人サリンの可能性
 ・三島由紀夫が自衛隊に乱入 演説し割腹自殺
 ・W杯、岡野決めた 44年目の初出場 フランスへVゴール
 ・富士山世界遺産へ ユネスコ6月登録
 ・米首都に非常事態宣言 多発テロ、死傷者数千人

ページをめくっていくと、これらの事故・事件があった時、自分何処にいたのか、何をしていたのかを鮮明に思い起こされました。
昭和天皇崩御は、お正月休みの最後の土曜日でした。明後日からの仕事始め、自分の仕事にどんな影響がでるのか瞬時に考えていました。
地下鉄サリン事件当日は、八丁堀のゼネコン本社で早朝会議があり、早朝故に辛うじて難を逃れていました。
W杯ジョホールバルの死闘は、A型肝炎入院中の深夜のベツド、日航機墜落は台北の空港でと、色々思い出されます。

この朝日新聞創刊135周年記念号外縮刷版の表紙を飾っている号外10枚のなかで、一番強く思い出させるのが、三島由紀夫事件です。
この号外及び日本の新聞記事は、今回初めて目にしました。当時1970年、22才の私はアルゼンチン・ブエノスアイレスにおり この事件は、ブエノスアイレスの新聞で知りました。今でもその時の見出しを覚えています。

Japon HARAKIRIと特大ゴシック、そして恐らく日本の新聞では掲載されていないでしょうが、三島由紀夫の斬首された首が 転がっている写真まで掲載されていたのです。当時のアルゼンチン人の反応は・・・・意外にも日本人への高評価でした。野蛮とか 政治テロとかの意見よりも、日本には20世紀の世にも、命をかけるサムライがいると云う論評が主でした。

この、朝日新聞創刊135周年記念号外縮刷版を軽く目を通した後、残して置こうと机の上に置いておいた所いつの間にか無くなって いました。カミサンに聞くと、古新聞入れにあると云います。「そんな過去の思い出に浸っているような歳でもないでしょう、 そんなことしていたら、認知症になるわよ。もっと前を見つめないと。来年の旅行計画は出来ているの?」とおっしゃいます。
そして、「あんまり、ブログで私の悪口を書かないで、認知症になっても面倒みないから」。確かに、女性は男性よりも長生きする訳だ。


12/10 そろそろ年賀状の準備、年々喪中ハガキが増えてきています。

12月の二週目に入ると、そろそろ年賀状の準備をしなくては、と考えるようになってきています。 現役の頃はそんな心配は皆無でした。何故ならば年賀状は書いた、出した事がなかったからです。
現役、会社勤め時代の25年間、お正月は一回だけを除いて(父親の亡くなった年)日本国内にいたことはなく、24回は海外で 年越しをしており、年賀状らしきものは、海外旅行先からの絵葉書でした。

退職して365連休の身になると、ドピークのお正月に旅に出る必要はありませんから、お正月は日本で過ごすようになり、 年賀状と云うよりは、退職後の、年に一度の近況報告という形になります。
出す相手は、昔の会社関係の仕事仲間、旅の友人、海外でお世話になった方、退職後に知り合ったクラブ仲間、頻繁に顔を合わせて いない方々など、凡そ70~85通ていどです。
12月にすると、毎日のように郵便受けに、「喪中ハガキ」が届くようになりました。それも年々累乗して増えてきており、改めて 自分が高齢者の仲間入りしたのを実感してます。

今日現在で、12通の「喪中ハガキ」が届いており、今年は50通ほどで済むのではないかと計算し、お年玉付き年賀はがきを買いに 郵便局へ行き、そこでふと、先月の新聞記事を思い出しました。

郵便職員の自爆営業と云う内容、正規郵政職員から短期雇用・派遣・アルバイトに至るまで、年賀はがきのノルマを課せられて 、捌けない分は自分で買い取って金券ショップに損を覚悟で持ち込む、と云う内容の記事でした。
営業のノルマはどこでもあるでしょうが、官公庁の郵便局で、それも年賀はがきとは!
と、云う事は通常価格よりも安いお年玉付き年賀はがきが、金券ショップで売っているのだ、知らなかった。早速商店街の金券ショップ に出向いて、聞いてみると、ありました。通常のインクジェットお年玉付き年賀はがきが49円で売られていました。 たった1円ですが、通りの向こうの郵便局で買うよりは、トータルで50円安い訳です。勿論、買いましたが、郵便職員がこの金券ショップ に持ち込んだ金額は、恐らくマイナス3~6円或いはもっと安くか?、金券ショップの利益の多寡よりは、持ち込んだ郵便職員がお気の毒に と云うのが正直な思いでした。

さて、今年の年賀状はどんなデザインにしようか?
鎌倉市の市民活動団体を対象にしたパソコン講座で、画像・グラフックデザインを担当している手前、ある程度のレベルの 年賀状を期待されていますので、ネット上のフリーデザイン素材は使えません。さすが講師先生の作品と思われるような ものを造らなくてはならないのは、リタイヤ11年目になると、少し負担になって来ていくす。

昨年、旅の友人の女性からの年賀状にこんな文章が書かれていました。

今年で、75才になります。海外旅行と年賀状を書くのは、今年で辞めることにしました。 長い間、海外からの楽しい絵葉書有難うございました。今後も奥様と楽しい旅をお続けください。
私も、もうすぐ海外旅行は数年に一度になり、近況報告することも、相手もいなくなり、年賀状を書き、出すことも なくなる日がくるのでしょう。


12/15 足、親指関節の痛み、さてこれが噂の痛風発作なのか!!

12月のビデオクラブ例会の後、少し早いですが大船の居酒屋で忘年会でした。
皆さんそれなりに、年齢を重ねて来ていますので、昔のような飲み放題にせず、注文する料理も 少しだけですが、やや健康・ヘルシー志向のものに変わってきています。
2時間、10人で20,000円、ワタミの平均客単価は3,300円と聞いてますから、シニアの忘年会客は、 やはり、かなり身の丈にあった消費行動になります。
しかし、これは衣・食・住生活だけの話で、趣味の範囲では別のようです。
特にビデオクラブと云う 最先端電子機器を追いかけるような趣味の世界では、ビデオ・映像に興味のない方からみれば、そんな 大枚を、次から次へと注込んでいく、何とも不思議がられる世界です。
忘年会の帰り道、左足親指付け根にピリッとする痛みを感じました。
脳裏をかすめたのは、噂に聞く、痛風発作です。 居酒屋から自宅まで15分、夜道の上り坂を左足を引きずって帰宅しました。その頃には 痛みが安らいでおり、カミサンには内緒にしておきました。

自室に入り早速、ネットに向かって「痛風 初期症状」で検索してみました。
噂では、風が吹いてても痛い、シーツが触れても痛い、と云うのに私の場合はそれほどでもないのです。それにしばらく 安静にしていると、痛みは感じなくなります。ネットには痛みには個人差がある、痛みは断続的にやってくることもある、 痛みが去っても、腎臓にダメージを及ぼすこともある。
みんな、こともある・・・?では、何が本当なのか!!!
私は、退職した11年前からファミリードクターに、尿酸値が高いので痛風予防用に薬を進められて飲み続けており、 先月の定期健康診断の尿酸値も標準値以下でした。だから、痛風な訳はないのですが・・・・、状況はまさに、教科書通りの 痛風の症状なのです。

翌朝、痛みは納まっていません。
カミサンに状況を話し、かかりつけのファミリードクターに朝一番で行きました。
今日この頃は、町の医院でも予約優先なのですが、9時半には診てもらえました。ドクターは開口一番、「アレー、普通に靴を履いて歩いてこれたの?」 (ちなみに女医さんです。)。問題の足をみて、「医療診断に絶対・100%はないけど、これは痛風じゃないわね」・「整形の先生を紹介するわ」

紹介されたのは、同じエリアのファミリードクターと同じ湘南鎌倉HP出身で評判が良く、混雑することで超有名な医院です。
ビルの5階にあり、エレベーターを降りた所がいきなり待合室です。お年寄り(私もそうなんでしょうが)でいっぱいで座る椅子もないほどの混雑です。
受付から最初の問診、レントゲン、診察、会計、お隣の調剤薬局と、終わった頃は12時半になっていました。

それで、病名・原因は?
この整形のドクターも云うには「医療に絶対・100%はないけど、痛む場所が痛風とは違い、腱・関節付近」、病名を敢えてつければ、関節炎。 痛み・炎症を緩和する湿布・飲み薬を1週間続けて下さい。年内スポーツは禁止
何が原因なんでしょうか?
渡された足の痛みの原因と云うタイトルのリフレットには
 ・使いすぎ
 ・ハイアーチの足型
 ・柔軟性の低下、筋力の不足
 ・加齢
そう、65才高齢者の病気の常套句、歳のせい、なのだそうです。

内科・整形外科・調剤薬局の支払いは5,000也、先週の半日バイト代(パソコン支援)と同額でした。
帰宅してカミサンに話すと、「医療費のことを考えれば、足に合った靴にお金をかける方が安くつくから、 これから靴は、安いからと云って、ABCマートで買わないでね。」と云いました。
明日、月曜日の再診の予約は、朝8:45分、さて、何時にクリニックを出れるか?


12/20 paypal・ペイパルってご存じですか?

今年の四月にアフリエイトの話を書きました。今日はその話 の続きです。
アメリカのweb広告代理店からの要請で、新興ホテル検索・契約サイトExpediaに文字リンクを設定しました。 多くの海外旅行に関連したサイトには、ページの至る所に、バナーによる広告があります。これをアフリエイトと云うのですが、一日数万単位 のアクセスがあり、そのバナー広告をクリックし、何らかの買い物・契約をしないと、サイト側の収入にならないのがほとんどです。

このページのような情報発信サイトに、そのような収益にもならず、デザイン上の妨げになるアフリエイトは一切しないでのですが、ただの文字リンク ならと、承諾しました。詳しい話はアフリエイトの話をご覧ください。

さて、その報酬と受け取りの話です。
アメリカのweb広告代理店からは、ページ毎に違いますが、ハワイ・ホノルルのページにExpediaへの文字リンクを貼ると、年間80ドル、バリのページで40ドル と云うのが、グーグルランキング ・アレクサランク ・アウトバンド数によってコンピューターが選出した金額だそうです。
別に異論はございません。机に座ってタグを書くだけで、120ドルいただけるのですから。
次のメールには、支払い年間契約、PayPalにてお支払しますとのこと。

なななーーーだペイパルとは。

調べてみました。PayPalとは、web上で使える電子通貨・マネーの事です。
NETによると、 「ペイパルは、世界中で利用されている決済サービスです。ショッピングをする人、ビジネスをする人など、さまざまな方に、より便利で、 より安心して決済できるサービスを提供しています」とのこと。

つまり、net上の決済を直接クレジットカードでするリスクを避けるために、netバンクのような口座に事前にクレジットカードで入金しておき、ここから 支払うと云う二重ガード決済システムのようなもの、と認識しました。
詳しく事はペイパルとはをご覧ください。

早速、ペイパルアカウントを取得し、口座を開設しました。
しかし、一か月経ってもアメリカからの入金がありません。騙さかれたかな?、ペイパルアカウント開設の新しい手口?、まあ実害ないのだから良いか!と 思っていた矢先、当のweb広告代理店から開設したアカウントは、個人支払い専用アカウントで、このアカウントには振り込めないから、商用アカウントを開設 して下さい。と云って参りました。

なるほど、でもペイパルのサイトには、そんな詳しい手続きの説明はなかったけどね。
商用アカウントを開設した旨連絡すると、数時間のちに振り込まれていました。
さあ、何処で、何に使おうか?

ネットショップ何処でも使える訳ではないのだ
ペイパルがweb通貨なら、net上のショップ・通販サイト何処でも利用できるものと思っていたらさにあらず、楽天でも使える店は少なく、価格comの電気屋さんはほぼ 全滅状態です。アメリカのネットショップでは常識のはずが・・・・、欲しくもないものを買ってもしょうがないと、ずーーーーと諦めていました。

先週、ネット上で「ロゴメーカー」なるロゴをデザインするソフトを知り、4,980円程度なので購入しようと、アプリ・ゲームソフト web大手のベクターに行って見つけ・購入・決済に進んだところ、 PayPalマークがあるではないですか!!、やった私が一番必要なものが置いてある、ベクターで使えるのだ。
パソコン上で得たお金で、パソコン関連ソフトが買える。大した金額ではありませんが、リタイヤした団塊世代でも、机に座ってプログラム・デザインを書いて お小遣い程度は稼げる時代なのだ。

契約は一年更新、Expediaのことをここでも宣伝しているのだから、来年も契約してね。 プロ野球の一軍・二軍行ったり来たりの選手の年末の心境がちょっとだけ理解できそう。


12/30 今年最後のプチ旅行 熱海と伊東 カピバラ温泉

12月に入って、今年の予算消化状況を見て行くと、今年の旅行・ゆとり予算が若干だが余りそうだという事が 解かりました。
さて、どうするか、案は3つあります。
  1,二人で均等に分けて、ボーナスとする。
  2,来年へ繰り越しする。
  3,残った予算の範囲で行ける所へ行く
一案はカミサンの希望ですが、余りそうな金額が5万弱ですから、別けても一人2.5ですから、如何にも中途半端な 金額、二案も繰り越したところで、劇的に行先の範囲が広がる訳でもないので、年末も押し迫っていますが、温泉に一泊二日、 交通費を含めて二人で4万円で行ける所にしました。

交通費は、鎌倉から片道1,000円以内とすると、限られてきます。箱根・熱海、少しオーバーしますが伊東までが限度です。そして 温泉旅館はこの予算では無理なので、ファミリー向けの熱海の温泉ホテルにしました。
今時の熱海のホテル・旅館は、次々にホテルチェーン傘下に組み込まれ、格安のレジャー型ホテルを目指すか、反対に大人の隠れ家的・ 食事を豪華にした高級旅館か、二分化されているようです。

私たちは、予算上当然のように、365日何時泊まっても同一料金、御一人様9800、朝夕バイキング(飲み放題)・貸切風呂、 カラオケ、マージャンその他全て無料と云う、伊東園グループのホテルにしました。
鎌倉から1時間弱、交通費は往復で1,960円、温泉ホテル一人10,000円ですから、予算に余裕があるので、当日或いは翌日、伊東から バスで行ける、カピバラの入浴で有名なサボテン公園まで足を延ばすことにしました。

お天気、ホテル共に今年最悪
12月の関東南部は晴天続きなのに、行った26・27日は、前日までの乾燥した晴天が嘘のように、低気圧の接近で小雨模様の曇天の寒い 日でした。おまけにホテルは、子供たちが冬休みに入った日なので大変な混雑ぶり、玄関のベルボーイ二人は、おしゃべりに夢中で 挨拶もせず、チェックインに20分も並ばされ、通された部屋はスタンダードなのでしょうが、山側の和室、既に布団が敷かれていました。

まあ、値段的にはこんなものなのでしょうが・・・・夕食もある程度の想像はしていましたが、今年宿泊した旅館・ホテルのブッフェ のなかで、最低、よくも恥ずかしくないと云うレベルです。
出されている料理はどれ一つ、プロの料理人が造ったものではなく、旅館・ホテルのバイキング向けに加工された食材商社から仕入れた ものを単に温めて、並べているだけのもので、夕食会場に入った途端、食欲は消えていました。
夕食会場は、子供づれファミリー層で満席、子供たちには満足かもしれませんが、ある程度旅慣れたシニア夫婦が食指を刺激するものは 皆無で、目玉のズワイガニは、名ばかりの解凍仕立ての塩辛い細い脚の断片だけです。
おかげで太らずに済みました。

期待していた、展望露天風呂は、天候のせいもあるのでしょうが、イメージとかなり違っています。ホームページの展望露天風呂からは、 海越しに初島が望めるのですが、実際には風呂に浸かると、画像にはない全面にフェンスが有り邪魔して海は見えないのです。もちろん 立ち上がれば見れますが、12月の曇天の11階の露天風呂は寒くて、立ち上がると寒風で風邪をひいてしまいます。
やはり、旅慣れたシニア夫婦はある程度の予算が必要でしょう。

夕食がこの程度ですから、朝食も多寡がしれています。
朝のパンは、食パンとバターロールの2種類のみ、和食系は、ほぼ都内のビジネスホテルレベルでした。

早々とチェックアウトし玄関を出た先のかなり年配のベルボーイ、今日も何の挨拶もなし、もう2度とこのグループのホテルは利用しないでしょう。 その後、JR伊東線・東海バスを乗り継いで、シャボテン公園に向かいました。 バス料金は一人690円、下車する時に二人で1,380円を払おうとすると、バスの運転手さんは、「回数券」をひと綴り買って下さい。 1000円で100円券が11枚とお得です、と勧めてくれました。トータル1,280円と、100円お得になるのです。
サービス業はこうでなくっちゃ、これぞ日本の「お・も・て・な・し」精神

シャボテン公園の入場料は大人1,800円、場内にはメキシコ・ガテマラ・コスタリカ・ペルー・マダガスカルのサボテン、珍しい 動物、アルマジロ・ナマケモノ・九官鳥などの展示・・・みんな行った懐かしい思い出の国々・・・お天気が良ければ大島まで見渡せる 眺望、大室山のリフトもあり、子供たちには楽しめる所です。
ちなみに、目玉のカピバラの入浴ですが、何時も入浴している訳ではありません。

午前10時にカピバラを38℃の温泉に誘導し、カピバラが満足するまでと云う時間設定だそうです。私たちが行った寒い日は、12時に 帰る時間まで、お風呂に入っていました。

来年は、ホテルのランクをもう少し上げようと話しながら、伊東から「踊り子」ではなく、東海道線普通に乗って帰宅しました。
これで、今年の旅行予算は5,000円ほど残し使い果たしました。残金は、お正月に美味しいものでも食べることにします。


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