湘南・鎌倉から BLOG3

日々感じる事・出来事、そして年齢を重ねていく 団塊オジサンの独り言を綴っています


10/13 シニアの英語学習が長続きしない理由は?本当に必要なの?

10月に入り、英語クラスが再開しました。
今年の春、リタイヤ後通い始めた本郷台アースプラザでの神奈川県国際交流協会主催の英語クラス が、国際交流協会が県の管理指定業者入札に敗れ、他の業者に代わったのを機会に、中止になりかけ のですが、自主運営と云う形(自分たちで会場の予約をし、講師の外国人教師に直接謝金を払う)で 継続しています。
ちっとも上手くなっていません
外国人ネイティブの教師についての英会話は、現役時代から通算するともう10年以上になるのですが・・・
何にもしない時に比べると若干、単語の数と表現のバラエティが増えた程度です。

朝日新聞に、「シニアの為の長続きする英語勉強法」と云う記事がありました。
要約すると

  間違いを恐れない、私たちは外国人であるのだから話せないのは当たり前
  完璧を目指さない、英語は試験科目ではなく、情報伝達の手段である
  質問をすることから学習する、質問に答えてくれば自信になる。
  人と比べない、比べるのは習い始めた時の自分と比べる。
  記憶力の衰えは、反復練習で補う、60才なら60回繰り返す
  教室で過ごす1時間より、行く前の1週間の毎日の15分の学習が大切

確かにその通りで、云われなくても、解っています。
しかし、シニアの英会話学習が長続きしないのには、他の理由があるのではないでしょうか?   そもそも、定年退職したシニアが英語を学ぶ理由・目的・きっかけは、何んなんでしょう。 圧倒的に多いのが最初の二つです。

  海外旅行先で現地の人とコミュニケーションをとり、お友達になりたい
  暇つぶし、ボケ防止、他に趣味がない
  学生時代英語が出来なかったから、再度挑戦

海外旅行の旅先で英語が必要か?
結論として、現在の日本人の海外旅行の主流となっている格安団体パック旅行では、英語・現地語に至るまで 言葉を喋る必要も、機会もはありません。バスの中、土産物屋、定食レストラン、ホテルだけの世界ですから、 現地の人と知り合い、喋り、お友達になるなんて事は、万が一にもありません。
忙しいツァーの合間を縫って町に出かけて行っても、話しかけてくるのは、泥棒・詐欺・物売りの類で99%日本人の懐を狙っている人種 です。
大きな観光地の場合、例え相手が親切そうな初老の夫婦であっても、向こうから話しかけてきた場合の危険度は90%以上です。これが 日本人が全く来ないような辺境の観光地なら、危険度はさがるでしょうが。

では、個人・自由旅行では必要ではないのか?
ロングステイ、滞在型の旅行では、英語力は必須であると、私のサイトでは度々書いていますが・・・
しかし、実際には旅や滞在が順調に進んでいる時は、滅多に必要ではありません。英語を喋るのは買い物・レストラン・ホテル・旅行代理店の窓口・観光地インフォメーション 程度で、いわゆる基礎・中学生程度の旅行英会話で十分です。

実際に英語力が必要になるのは、トラブル時だけです。
・予約がされていなかった  ・法外な値段を請求された  ・交通機関がキャンセルになった等のトラブル時に、自分の英語力を総動員し、 必死になって解決する為に、喋らざるを得ないのです。

結論 必要とされていないものが長続きする道理がない
「日本人は英語が苦手」外国人があんなに上手に話すのに、日本人はどうして?
日本の英語教育が間違っている? いいえ、日本は平和な国で英語を喋る環境・必要がないのです。ヨーロッパの国のように国境が接していたり、 アジア・アフリカの国のように、外国語が話せないと良い仕事に就けなかったりすることがないのです。

海外旅行の旅先で現地発の多国籍ツァーに参加する機会がかなりありました。 色々な国の人が参加していて、食事時1時間以上一緒に喋らなくてはなりませんが、概ね参加者は2か国語以上喋れます。  一番喋らないのが私たち 日本人、次にダメなのがアメリカ人です。アメリカ人は英語以外は喋れないので、大きな輪の会話に入っていけないのです。
つまり、アメリカ人は、外国語を学ぶ必要性がないのです。
※私の場合、英語よりスペイン語のほうが断然ストレスなく、楽です。英語が上達しない理由はここにあり、 本当に困った時には「Anyone speak Spanish?」と叫べば解決するからです。

シニアに限らず、絶対的に必要のないものを、趣味や暇つぶしとして習う英会話が長続きしないのは、当たり前

10/21 海外支援NGO 地球の木ホームページリニユーアル

昨日、Webページ作成サポートをして来た横浜に拠点をおく、国際支援ホランティアNGO・寄付金控除認定NPO法人 「地球の木」のHP作成メンバーから、10月20日正式リニューアルUPの連絡がありました。 新しいHPは、地球環境保護をイメージし、アースグリーンの色彩を基調とする、美しいページに仕上がっていました。
「地球の木」ホームページをみる

退職後、鎌倉NPOセンターの広報部会に身を置いて、広報関連活動に携わるようになり、 ペーパー・印刷レベルの広報紙や、チラシ等は出来る方は大勢いらっしゃるので、PC・モニターレベル ・Webインターネット上のファイルやデーターを扱うボランティアワークを担当してきています。
50才代半ば、正式なインターネット技術教育を受けた人材が増えてきたので、鎌倉の市民活動団体のホームページ は、急激に変わりつつあります。
それまでの市民活動団体のホームページは、団体内の会員個人のボランティアに頼った、簡易HP作成ソフト (ホームページビルダー等)によるものが多かったのですが、インターネットによる広報・情報伝達のパワー の重要性が、既設団体幹部のシニア層に再認識されるようになり、より使い易い、美しい、機能に溢れたホームページ が求められるようになりました。

私が所属する、市民活動の支援を目的とするNPO団体
特定非営利活動法人 鎌倉市市民活動運営会議
にも、ホームページ作成、人材育成の支援の要請が多く寄せられるようになりました。そこで四年前よりNPOセンターに登録されている団体向けに、 講座を開設し、これまでに 20以上の市民活動団体のポームページタ立ち上げ及び、作成出来る人材の育成のお手伝いをしてきました。
今回の地球の木は、センター公式の講座日程が合わず、一個人としてリニューアルをサポートしました。

国際支援ホランティアNGO・寄付金控除認定NPO法人「地球の木」は、会員数900名あまりの横浜・神奈川県を中心に活動する大きな市民活動団体です。 ホームページリニューアルチームとして参加された方は、理事・前web担当者を含む5名で、30代の女性中心です。
いずれの方もプログラム経験があり、ホームページ作成に必要な基本的な言語であるhtml・CSS・Javascriptによるweb作成に何ら支障がなく、スムーズに進行しました。

今回、地球の木の皆さんは、リニューアルを機に次の二項目を考慮しました。
   個人情報のSSLによる保護
   寄付金受付の簡素化

SSL【Secure Socket Layer】とは
問い合わせ・申込み受付・アンケート収集・物販などをホームページ上で行う為には、送られてくる個人情報を暗号化して送受信し、 プライバシーに関わる情報を安全に保護しなければなりません。
個人のホームページや、小さな団体の問い合わせでしたら、それほど厳重にする必要性もないかも知れませんが、責任ある団体の場合、 インターネット通信上での個人情報の漏えいを防ぐ手段を講じる必要があります。

寄付金のカード決済
自分のお小遣いの範囲で出来る少額の寄付でも、いざしようとなると、銀行振り込みや、郵便為替などの手続きの煩雑さや、寄付金と比べて の手数料の高さで、止めた経験はないですか?
そんな思いから、今回地球の木のホームページは、Web上で簡単に寄付金をクレジットカードで決済出来るシステムを導入しました。
しかし、このシステムは、HTMLレベルの技術で賄えるものではなく、決済システムを請け負う会社へのリンクと云う形をとりました。

寄付金の控除
日本は、欧米各国と比べると寄付文化が根付いていないと言われています。
アメリカの場合、寄付金による控除は、直接支払う税金から引かれますが、日本では所得対象から引かれていました。しかし、 平成23年6月の法改正で、寄付税制が変わりました。
寄付金控除の対象となるNPO法人への寄付は、全額ではありませんが、確定税額より控除されます。
詳しくは 地球の木 寄付金の控除のページ をご覧ください。

地球の木のWeb作成チームの皆様お疲れ様でした。
しかし、ホームページはUPした日からが新たなスタートです。より会員・ボランティアサポーターが必要とする記事・情報を タイムリーに発信し続けることと、このサイトを維持する技術を次の会員に伝えて行くと云う仕事が待っています。
頑張って下さい。必要なサポートはいつでもしますから。


11/2 タイ・バンコクの洪水状況現地報告

10月半ばから、11月2日までタイの北部を中心に旅してきました。
今、一番必要とされてるのは、バンコクの洪水情報です、本当にバンコクは今危険な状況なのか? 、旅行は延期・中止する必要はあるのか、緊急レポートです。

チェンマイから昼間のフライトでバンコクに入った為、バンコクの浸水状況は上空からかなり把握 出来ました。
TV報道にあるように、アユタヤ周辺から市内北部の国内線空港旧ドンムアン周辺は、ご覧のとおり水に 浸かっており、ドンムアンの冠水した滑走路に飛行機が取り残されていました。(画像・10月30日)
最も危険とされていた大潮の10月31日に、BTSサパタクシーン駅に隣接されている、チャオプラヤエキスプレスの 船着き場に行って見ました。
チャオプラヤエキスプレスは運行されていません。冠水は思ったよりも低く、土嚢の上までは来ていませんでした。 (画像・10月31日)

宿泊したのは、バンコクの歌舞伎町と云われているパッポン・タニア通りに近い、スリウォン通りのホテルです。 チャオプラヤ川から直線で2KM程度の距離の大繁華街では、各商店が自前で独自の防水壁を造っていました。
コンビニのセブンイレブンは日本より出店密度が高く、50M間隔にありますが、商品の品揃えはまだまだで、アルコール 類は扱っていません。一時期店頭から姿を消していたネミラルウォーターは、この日から小瓶が並ぶように なりました。(画像・10月31日)
観光客や買い物客が多く集まる、バンコク銀座である、シーロム(サイアムスケァ)周辺の大手ビル・商業施設も土嚢で囲まれていました。
ここから下町のプラトゥーナムにかけて、重要な運河が流れているので、この水位を見に行きましたが、通常と変わりありませんでした。 しかし、やはり圧倒的に人出は少なく、日本人観光客の姿はいっさい見えませんでした。(画像・11月1日)

バンコク市内の立体駐車場は避難する車で満杯状態です。
そこで、駐車場代わりになっているのが、高速道路です、画像で解るように車両を扱う会社は組織的に高速道路に駐車していました。(画像・11月1日)

バンコクは危険か?
外務省の海外危険情報は、以下の通りです。

●首都バンコク   :「渡航の延期をお勧めします。」(業務等の必要性があってやむをえず渡航される方は、 洪水被害に巻き込まれることのないよう適切な安全対策を講じてください。 また、既に滞在中の方は、事情が許す限り、早めに国外への出国を含め安全な場所の確保若しくは安全な場所への移動を検討してください。) (引き上げ)
私たちの私見ですが、バンコク市内は観光するに当たっては全く問題は有りませんでした。(11月1日)土嚢はみえるものの、チャオプラヤ川の水位が 若干高いのを除いて、中心街に水は一切ありませんでした。マスコミの映像のボートで避難する住民の姿や町は、市内北部の観光客が行かない場所や、 滞在者の住むスクインビットの一部地域だけです。せっかく計画した楽しいタイ旅行をキャンセルする必要はないのでは。・・・・・・
ちなみに、今回のメインであったチェンマイ及び北部国境周辺は全く問題ありません。

2011年11月4日最新情報
新聞報道によると、北からゆっくりと南下して来た洪水は、ウィークウンドマーケットの最寄駅付近の 地下鉄モーチットとパポンヨーテンで道路が冠水している模様です。
地名の詳しい位置関係は、当サイトのバンコクロングステイで紹介していますバンコク市内交通地図をご覧ください。


11/17 ブータンのページに関して、web情報発信者としての責任

2011年11月、私のサイトのブータンのページのアクセス数が突然20倍にも跳ね上がりました。
理由は、ブータンの新国王夫妻の来日である事は明白で、アクセスカウンターの解析から、検索 されたキーワードは「ブータン 行き方」・「ブータン 個人旅行」でした。
当然ながら、この2つの検索キーワードでヒットするようにwebページはSEOで造っていますので、 数あるブータン情報のページでトップで検索されます。

これは、Web制作者としては嬉しいのですが、はたと思いました。
このブータン旅行の情報は、私たち夫婦が2001年に個人手配旅行で行った時の情報に基づいている、 個人的なページで10年も前の話なのです。
このページが数あるブータンへの旅行会社のページや、 ブータンを愛してやまない、最新情報を掲載している方々よりもトップにあり、ブータンの新国王夫妻の来日 を機会に、1日数百アクセスに達し、読まれているとなると、一個人のページだからと云ってそのままに掲載 して置くには、罪悪感を感じてしまいます。
私のサイトの他の国々の情報ページでも、必ず最終掲載時の年月日・為替レートを掲載しているものの、出来るだけ 新しいデーターを掲載し、古い情報を修正或いは削除しなければなりません。
これは、検索エンジントップに連ねるwebページ発信者の義務なのでしょう。
ブータンへの行き方・個人旅行
他の私のページにも云えることで、一番読まれている「ロングステイ ハワイ」に関しても 掲載しているのは、ほぼ1年前の情報なので、そろそろ更新の為の取材に行かなくては、考えていますが・・・・
燃油サーチャージの高いこと、ドル安でもっと下がっても良いのでは。
ロングステイ ハワイ


12/4 リタイヤ定年後の国内自由個人旅行のお薦め 秋の京都


リタイヤ定年後に楽しみにしていたのは、チケットの安い時期の海外旅行ですが、同時にジャストシーズン の国内旅行も楽しみの一つでした。
特に、春の東北の桜・秋の京都の紅葉そして、各地の季節ごとのお祭りや行事は、日本人と生まれたからには、一度 を見てみたいと現役時代は思っていました。
しかし、サラリーマンにとって4月から5月にかけての東北の桜の季節は年度始まりの月で、如何に社内でマイペースを貫く 会社員であっても、もっとも休みにくい季節です。そして11月末から12月と云うのも、建設業界・特に現場に携わる 人間は休みにくい季節なのです。
建設業界の特に新築の分野は、正月・GW・お盆はしっかりと休めます。
しかし、11月から12月は、正月の長期休みから逆算して、休み前までに何を何時までにやらなくてはならないという追い込みの 時期ですから、現場の責任者としては休めない季節なのです。

個人自由旅行のお勧め
リタイヤ直後の4月、念願だった「東北の桜」を見に団体PAC旅行に参加しました。   新聞広告の値段に誘われて参加したのですが大失敗でした。
確かに移動の効率は良く安いのですが、点と点との移動だけでゆっくりと 自分なりに楽しむことは出来ません。後から振り返ってみても、どこを見たのか全く印象にの残るような旅とは言えませんでした。
移動での無駄な時間も、道に迷うこともたびの一つです。
以後、リタイヤ定年後の自由な時間がたっぷりあるうちの国内・海外の旅は、個人・自由旅行と決めています。そして毎年、同じ11月の末は 京都に最低でも3日はゆっくりと京都に滞在して、紅葉を楽しむことにしました。

京都の紅葉の美しさは格別
地元鎌倉の紅葉の名所「獅子舞・紅葉谷」も確かに関東近辺では美しいのですが、ここは自然の紅葉です。京都の紅葉の美しさは、 計算された人工の美しさでしょう。何百年の長きに渡って手入れされた寺社の庭園の美しさに脱帽です。
私たちは、毎年9月末にはインターネットで宿と新幹線のパックを手配しています。
秋のシーズンの京都の宿を全くの個人で手配するとかなり高額になります、新幹線の料金は二人催行のツァーの値段のほうが、はるかに 安いのです。鎌倉から京都へは小田原から新幹線の「こだま」を利用しています、これですと自由席なので、行き・帰りの指定をしなくても 済む、その日の都合に合わせて自由な時間に行ったり、帰ったり出来るメリットがあります。
わざわざ、新横浜に行って「のぞみ」に乗って2時間で行くのと、小田原から3時間かけて行っても、その差は1時間、自由な時間が たっぷりあるリタイヤ・退職者ならこれで十分です。

今回の経費とコース
費用 新幹線(小田原・京都往復) こだま・自由席利用
   ホテル2泊 京都ロイヤルホテル&スパ (三条河原町)
合計 26,000×2+移動費・入場料・食事代など=85,000円
一般的な団体PACから比べれば若干高いかもしれませんが、まるまる3日間十分に京都の秋を堪能できました。
天候は行く前は3日間共に曇りと雨の予報でしたが、晴天とはいきませんでしたが傘を差したのは一回15分程度でラッキーと 思ったほうが良いでしょう。
3日間のルートは
初日、嵐山ルート=渡月橋・天龍寺宝厳院・常寂光寺・祇王寺・清涼寺・大覚寺
2日目、きぬかけの路ルート=妙心寺・仁和寺・龍安寺・金閣寺・北野天満宮
3日目、清水・東山 コース=青蓮院・知恩院・八坂神社・高台寺・二年坂・清水寺


12/20 金正日の死 北朝鮮の旅の思い出を振り返って


平成23年12月19日正午、出先のインターネットニュースで、金正日の死亡のニュースを知りました。
その時、「あぁー、自分は歴史のなかで生きているのだな」と云う、昔感じた 思いがよぎりました。
アルゼンチンの独裁者であり、あの有名なミュージカルの主人公エビータの夫「ペロン」が無くなった時に ブエノスアイレスにいました。寒い雨の日でした。
ロシア崩壊後のモスクワ・キエフ駅の裏通りで、無言でたった一つの靴下をかざして、道行く人に売っている 老婦人を見かけた時、ペルーのリマでクーデーターに遭遇し、催涙ガスに巻き込まれ時も、 自分の人生をやや斜め後ろから見つめている自分を感じていました。

北朝鮮へは、2002年日本と韓国でワールドカップサッカーが開催されている最中、平壌では対抗して 「アリラン祭り」が開かれ、友人と二人で出かけた思い出があります。 詳しくは自由旅行で行く世界遺産 北朝鮮アリラン祭りをご覧ください。

北朝鮮から流れてくる映像には違和感を感じます。
金正日総書記が亡くなって悲しむ一般市民の女性のコートがかなり高価そうな毛皮であったり しています。閉鎖的な国から映像は一旦疑わなくてはならないという事は、北朝鮮を旅して実感 しました。
観光した際、現地のガイドからは何を撮影しても構わない、私たちの国では隠すものは一切ない、と 云われました。しかし、それは彼らの目の届く範囲以内と云う制限があるのです。
自慢の地下鉄は観光用の二駅区間のみ。私たちの乗った観光バスのルート・スケジュールは、知らされて おり、普通の露店のアイスクリーム屋で日本円が使えたり、戦勝記念塔には着飾った新婚カップルの写真 撮影グループが仕込まれています。(後から平壌観光へ行った友人の撮った写真に同一カップルが映っていました。)
高麗の古都「開城」でお昼ご飯中に監視員の目を盗んで、一人街中へ出て、古い韓国風の街並みが見える方向に 曲がろうとした瞬間、後ろから警笛が吹かれました。私たち観光客の行く先には何処でも監視の目が光っている のが、北朝鮮の現実です。
これから益々寒くなる朝鮮半島、少し心配ですが、暖かい床暖房の効いたマンションの自室でこれを書いている 私自身には、何の変化も起こらないでしょう。ただ自分の歩んできた歴史を斜に構えて見続ける自分を意識した 一日でした。


12/28 鎌倉のリタイヤシニアたち 年末餅つきパーティ


12月27日、友人の「K女史」のお宅で恒例の年末餅つきが行われました。
会場は、鎌倉の高級住宅街扇ケ谷「K女史」のご自宅の南向きの広いお庭です。
総勢40名の出席者が寛ぎ、座って 食事をし、その横でかまど・せいろを用意し、餅つきが出来るだけのスペースのある お庭ですし、餅つきの後、グランドピアノとマリンバの演奏会が行われる広いリビング のあるお宅です。
集まってくるのは、「K女史」と彼女のご主人のお友達である鎌倉在住のリタイヤシニア の人たちで、私たち団塊世代よりかなり上の昭和10年代後半生まれの、戦後の高度成長期を 支えてきたと言われる世代の方々です。
そんな訳で私はゲストと云うより、かまど係・餅つき・会場設営などの力仕事のお手伝いがメインで、 朝9時から薪の準備です。

鎌倉のリタイヤ世代の生き方は参考になるのか?
鎌倉市は、高所得者層の厚い町と云われています。その証拠に国から支給される地方交付税の非交付対象行政団体 なのです。
神奈川県では同じような非交付対象行政団体は10団体あります。
▽大きな工業団地がある、寒川、中井、愛川の3町
▽工場が集積する川崎、藤沢、海老名、厚木の4市
▽国からダムの交付金を受ける清川村
▽ホテルなどからの固定資産税収が多い箱根町
そして、高所得者が多いと云われている鎌倉市です。
確かに、55才でリタイヤ後横浜から鎌倉に越してきて、お会いする・知り合いになるリタイヤシニアの皆様 の学歴は高く、お勤めしていた会社は全てが大手企業で、お住まいは高度成長期に開発された鎌倉・逗子・湘南の 閑静な住宅街や、何代前から鎌倉にお住まいになっている方々です。
何で、最終学歴や勤め先企業が解るかと云うと、こちらが聞かなくても仰る方は多いのです。そんなものです。

これらの古希を迎えようとしている方々は、私たち団塊世代や、これから続いてくる昭和二十年代後半生まれ のリタイヤ退職者のお手本・将来の姿として参考になるのではと、以前は考えました。
しかし、鎌倉のリタイヤ世代は参考になりません。ほとんどの方は「バブルの勝ち逃げ組」で、大手企業・中央官庁の幹部クラス 、生活資金的には全く不自由を感じない方々ばかりなのです。
一概にこの世代の特徴は、とは言えませんが、私たち団塊世代のキーワード「ニューファミリー・友達夫婦・神田川世代」と比較すると かなり男として自信に満ち溢れて、プライドが高く、群れを造りがち世代のようで、家庭内での奥様方の評判は芳しくないようです。

我が家は放し飼い、だそうです。
団塊世代は、どちらかと云うと家庭内の事とかお金の事とかでは、夫婦協働・協力的であると云われています。
しかしカミサンによると、彼女の友達のご家庭では退職後の同世代のご主人の毎日三食の世話、自室への引き籠りにかなり悩まされているようで、友人から お宅のご主人はどう、と聞かれ「我が家は放し飼い」と答えているそうです。

確かに、はいお昼代と、いつも500円玉をいただいております。
洗濯物もちゃんと日差しが陰ったら取り込んでおきますよ。
何処でも好きな所へ行ってらっしゃい。こっちも好きにやってるから。


1/1 リタイヤ・定年後に変わった年末年始、初詣と年賀状

リタイヤ・定年後に大きく変わった習慣があります。
それはお正月の過ごし方です。
25年間日本の会社で働きましたが、比較的長い休みが取れる年末・年始休暇は 100%海外で過ごしていました。
今、当時のチケット代金を考えれば夢のような話ですが、「今行かなくては、何時行ける?」の信念で旅費の 高さは無視していました。
ともかく、ド・ピーク時のチケットを抑えるのが先決ですから、南米パタゴニアがまだ日本人旅行者の旅先として 定着してなかった90年頃には、ニューヨーク経由トランジット12時間でブエノスへ飛び、翌日早朝の国内線で、 リオガジェーゴなんて、荒業でも平気でした。(若かったのと、ボーナスがあったからかな)

日本のお正月は25年間ありませんでした。「紅白」も「箱根駅伝」も無縁でした。年賀状に至っては、気にも留めず 親しい旅の友人だけには、旅先から絵葉書で年始の挨拶にしていました。

リタイヤ・定年後は様変わり
何時でも旅に出れる環境になると、チケットの値段に敏感になります。
とてもではありませんがお正月に海外に出るなんて、あり得ません。 年末の出発日を2週間ずらすだけで 半額以下になるのですから!!。
レタイヤして9年目になり、8回日本でお正月を過ごしています。

2012年初詣は、地元鎌倉八幡宮ではなく、東京の(リタイヤ後、鎌倉からみると東京は日帰り旅行の気分です)「浅草寺」 です。混んでいるのは覚悟の上です。あまり暇な観光名所と云うものつまらないものです。
東京スカイツリーの人気もあって、浅草寺は混雑していましたが、10時半頃でしたので未だ、道路規制や、 仲見世通りのロープ規制もしておらず、スムーズでした。
明日からもお天気は良さそうですし、のんびりと炬燵で箱根駅伝をTVで見て、寝正月と云う、関東地方の典型的な 正月の過ごし方になるでしょう。

リタイヤ・定年後、年賀状に対する考え方も変わりました。
正月明けに再び会う会社の友人や、取引先に年賀状を出す感覚が理解できませんでした。親や親戚に改めて 年賀状を出すの?、不思議!、旅の友人へは常々海外から絵葉書を出しているし・・・・
出す相手がいない、と云うのも理由だったかも知れません。
リタイヤ・退職後は、会社・仕事以外の知り合い・友人が大幅に増えました。そして何よりも元同僚とか、 仕事先で出来た友人・知人に、近況報告をする意味で、年賀状は必要となったのです。
今年も凡そ100通ほど近況報告として出しました。

このサイトをご覧くださっている皆様へ、私よりの年賀状です。


1/6 定年・退職後ライフ 元の会社への年始挨拶は?

1月5日は一般的な会社の仕事始めです。
55才で退職し(早期勧奨退職制度は当時なく、勝手退職と云われました)、今年で9年目になります、元勤めていた 会社には、年に一度、このお正月の仕事始めの日に、10年の間は行くと決めていました。
現役当時、所属部門のある新宿へは、横須賀線・中央線あるいは山手線を乗り継いで通勤していたのですが、 退職後の今では、湘南新宿ラインの増便のおかげて、鎌倉・湘南方面から渋谷・新宿エリアへは50分で行け便利になりました。

55才で退職ですから今年は64才、同世代の技術系の仲間はほとんど残っています。
東京スカイツリーのエネルギーセンターを担当していたり、福島原発の復旧をJビレッジでサポートしている仲間もいます 。しかし、営業・管理系は、再雇用を希望しても残れるのはほんの僅かと云う現状のようです。

技術屋として嫉妬感とか、後悔はないの?
同じ世代の仲間がまだ現役(但し、1年契約の再雇用形態)で、日本・世界が注目している物件に 携わっているのをみて、そんな事を聞いてくる人がいます。

答は 全く、100%ありません。
現場に60代の経験と知識はある程度必要かもしれませんが、フィジカル的・コミュニケーション的には60代の人間は邪魔なだけです。
二度と、あの過酷な身体・神経をすり減らすような仕事に戻りたくありません。
リタイヤして9年目になりますが、まだ、未だに仕事の悪夢を見続けています。
地図に残る記念的な建物の中枢神経部分に携わると云う 自負と、支えてくれる仲間、そして世間並より多少あった報酬と、早期退職後の原資の為に働いていたのです。 とは言っても、楽しい、充実した仕事でした。

年始挨拶
退職後住むようになった鎌倉で、普段お付き合いのあるのは、これから古希を迎えようとしている世代が多く、団塊世代 は未だ少ないです。
これらの諸先輩にお聞きしたところ、歴史のある大会社ではOB会なる制度があり、年始の時でも特別にOB用の懇親する部屋と 料理が用意されているそうです。昔はその日にコンパニオンまで手配されていたそうです。

私のいた会社そんな歴史のある大会社でもなく一部外資だった為、OB会はなく、昔の部署に行くとちょうどこの日に合わせて、 昔仕事で苦労を共にした、協力会社の面々が次々に訪れてくるので、一年に一度近況を語り合えるので行く訳です。

退職してから、元の会社へは絶対に行かない、と云う方も大勢いらっしゃいます。
後輩から、「未練がましい」・「元上司面するな」と思われたくないとか、「世間ばなれした暇人」と云うような目で見られる とか、・・・・色々あるようです。

来年で退職後10年なります。
来年までは元の勤め先に年始の挨拶に行く予定はしています。
その先は恐らく行かないでしょう。そろそろ部署の半分は、知らない顔になっていますので潮時でしょう。

  「悠々自適の生活を送っている羨ましい先輩」と見られているうちが花


1/18 定年・退職後の健康体力維持 ウォーキング始めました

正月休みの間の不摂生で体重が2kg増えました。
現役時代は、急に太った体重でも、一日か二日の食事制限で簡単に元に戻ったのですが、 新陳代謝の機能が衰えるのか、60の還暦を境に食事だけではなかなか減らなくなりました。
おまけにこの2週間新年会続きです。
昨日も講座の生徒さんのご招待でイタリアンのランチに、モロゾフの お土産付、となるとなかなか食事制限だけでは、ベストの170cm・63kgに戻すのには厳しい道のりとなります。
やはり、体内脂肪を燃焼させるような運動を継続的にしなくてはなりません。

一番良いのがウャォーキングである事は解っています。
現役時代、内幸町の事務所に通うのに、東京駅から皇居広場・日比谷公園 を廻って歩き順調に体重を落とすことが出来た経験があります。

現在の住まいは、最寄駅から徒歩10分ですが、廻りは「栄光学園」・「清泉女学院」・「フラワーセンター」などが あり、自然環境に恵まれています。
朝夕は、歩いている人が沢山います。しかし、あのような健康オタクシニアには抵抗がありなかなかご近所 を歩く気になりませんでした。

そこで今年の New Year's resolutionとして、毎週水曜日に英語レッスンがある本郷台まで往復歩く ことにしました。
ちょうどJRひと駅分です。運動になるように大きな歩幅で、速く歩いて自宅から50分程です。
ルートは普通のバスルートでは味気ないので、 大船駅から一路、柏尾川沿いに歩き、イタチ川の合流地点からサイドウォークに沿って本郷台駅を目指します。
初めて歩いたのですが、イタチ川沿いは、散歩・ウォーキングプロムナードとして整備されており、車の排気ガスもなく気持ち良く歩くことが 出来ます。
都会に近い川なのに、かなりの数の野鳥が生息しています。
今日は、かなり寒い一日でしたが、歩き始めて30分もすると、少し汗ばんできました。体内脂肪が燃え始めているのかな?

先ずは、継続することなのでしょうが・・・・・問題は、来週からホノルルへ行くことです。機内食と長時間の座りっぱなし、 そしてホノルルのB級グルメで、どの位太ってしまうのか!!


1/23 明日からハワイ・ホノルル、旅の準備は?

明日から暖かいホノルルです。たった9日間ですがここ数日の寒さから解放されて、心地良い日差しと風のワイキキ が待っています。
「旅の準備は済ませましたか?」と、社交辞令でしょうが良く聞かれます。「ハイ・マアマア」と答えていますが、 実は、明日の夕方フライトなので、前日の今日まで一切何もしておらずスーツケースすら出してありません。
2~3ケ月に一度のペースで旅していますので、スーツケースの中には必要最低限のものは常にあるので前日に チェックして、補給する程度です。
特に今回のような同じ文化圏、街中のホノルルとなれば、最悪、必要なら買いにいけば良いのです。

しかし、私たちは他の方から見れば意外なものを持って行きます。
◆塩・胡椒・醤油・オイル・ビネガー等の調味料
◆サランラップ
◆洗濯用洗剤・食器用洗剤

フルキッチンのホテルですから、夕食は基本的には、お部屋です。
エェー、ハワイなら何処でも売っているでしょうと思われるでしょうが、アメリカのこれらの量、大きさは 二人で7回分には不必要でもあり、高すぎるからです。
高級なコンドミニアムでしたら、日本人用にスターターキットと云われる少量のものが置かれて いるケースを耳にしますが、私たちのような短期滞在用のホテルには置いてありません。
ですから、ほんの少し小分けしたものを持って行き、余ったら捨ててきます。

次に必ず用意するものは、本です。
Book・Offに行って、105円の文庫本を数冊買います。旅先、ホノルル滞在中は意外と読まないのですが、 成田までの行き帰りと、空港・飛行機のなかでの時間つぶし用で、読み終えたら捨ててきます。
アジアの場合は、行きつけのゲストハウスに置いてきます。

私たちの最近のホノルルは、7泊9日と決まっています。
もっと長く居たいのですが、日本での日常生活上の理由と、それ以上に大きいのは、予算・コスト面です。 ドル安でホテル価格は下がっているのですが、燃油加算の高さには泣かされています。
それでも、1ヶ所滞在7連泊と云うのは、1週間居られるので最低でも全ての曜日にホノルルにおり、特に土曜・日曜 にあるイベントに参加出来るわけです。
出発日は、火曜または金曜日と決めています。
理由は私たちの住む地域の 燃やすゴミの出す日だからです。

昔、現役の頃には、生ごみを自宅のベランダや、冷蔵庫のなかに入れて出かけた事がありましたが、 自由に出発日を選択できる環境になってからは、ゴミ問題は解決しました。

最後に今晩準備するのは、持って行くパソコンデーターの準備です。
今回の滞在中のテーマは、ワイキキ・ホノルルダウンタウン周辺のWiFi環境です。 アジアの観光地では、WiFiの無料・パスワードの設定なしは当たり前なのですが、アメリカは意外と遅れて います、今回web上で書かれている、ワイキキ・ホノルルのホットスポットを実際に確かめてみる予定です。

旅に出ている本人の9日間は、長く感じるかもしれませんが、関係のない日本で生活している他人にとっては 9日間は短く、「あれー、ロングステイと云っても、もう帰って来たの?」と思われるでしょう。
日本人の定年後のロングステイと云うのはこの程度で良いのです。
日常生活にほんの少しアクセントを付け加える 事で生活に変化がでれば・・・

ちなみに、定年後の日常生活に変化を付けると云えば・・・・
3月末のミャンマー行のチケット手配は既に完了しています。


2/2 ホノルルは中国人観光客でいっぱいでした。

気温27℃の温かいホノルルから真冬の日本に戻ってきました。

日本の四季の移ろいの重要性や美しさを何だかんだと私自身も書いていますが、やはり寒いより暖かい方が良いに決まっています。
そして、住む・生活する場所は便利で、安全で、美しい自然が身近にある場所が理想です。

「私たちの青い鳥・終の棲家」を求めた旅の終点は、自宅のある鎌倉と、ここホノルルと決めたのは、 リタイヤ定年後、5年ほど経ってからでした。
とは言っても、世界有数の物価高のホノルルに不動産を買う余裕も必要も有りませんので、年に2度ほど最低1~2週間の滞在をして、ロングステイごっこを 楽しんでいます。
1月後半の航空券の値段は、年間を通して安い時期になりますので、芸能人・セレブが去った頃に来ています。(ミーハーですが、アラモアナモールで内田裕也・樹木希林夫妻を 見かけました。どうなっているのでしょうね、あのご夫婦は)

航空会社は中華航空・泊まるのはワイキキの西端、フルキッチン+ワイドなお部屋+海も山も見える高層階のアンバサダーと決まっています。
ハワイに慣れ親しんだ人でしたら、この中華航空+アンバサダーの組み合わせの価値やコストパフォーマンスを理解出来ますが、ハワイを特別なセレブのリゾート 的に考える人には、解らないと思います。

春節でワイキキは中国人観光客で満員
何時もは、比較的空いているこの時期の中華航空は成田より満席でした。
今年は私たちの旅程が、春節・中華圏のお正月期間とドンピシャリあってしまったのです。 おまけに、アメリカンフットボールのイベントまでがぶつかってワイキキのホテルは満室状態、普段午前11時にはチェックインできるアンバサダーですが、 今回お部屋に入れたのは、午後1時でした。
ロビーには普段ほとんで見かけない、中国人団体客が屯ろしています。
言葉の北京語、女性の服装センスと男性の頭髪から察して中国本土の観光客です。
アンバサダーの前に建つ高層・極狭ホテル「オハナ・マイレ・スカイコート」には中国人観光客を乗せた大型バスが次々にやってきます。
街なか、カラカウワ通り・クヒオ通りを、黒い塊りがごそっと、タバコをふかしながら、そして喧しく動いて行きます。
中国人観光客は、ほとんど全ての人たちが大きなレンズの一眼レフカメラを首に下げ、女性は街頭でモデル顔まけのポーズで カメラの前に立っています。そして、40~50人の団体が免税店のブンドショップに吸い込まれていきます。

この風景何処かで見た事がありませんか?
そう、当時ヨーロッパでひんしゅくをかった高度成長期の日本人団体観光客と全く同じなのです。
中国は日本人が歩んできた道をトレースするように、もっと早いスピードでやってきているのです。
ホテルのロビーで英語を話す中国人観光客と話す機会がありました。
春節の休暇を利用してきた40代のご夫婦で、日程は ホノルル2泊・ロスアンゼルス1泊・ラスベガス2泊の7日間で、2500ドルだそうです。
アメリカは未だ中国人の個人旅行ビザを発給していません、団体旅行のみだそうですが、個人旅行ビザ発給は時間の問題でしょう。

中国人観光客のお行儀の悪さも徐々に解消されるか?
国民性からして、それは100年たっても無理でしょうね。

ホノルルのロングステイ詳細情報については、近日中にUPを予定しています。


2/17 今回から自動車運転免許は更新しないことに決めました。

誕生月が近づいてきて、5年毎の運転免許証の書き換え・更新の案内が届きました。
私は、2月、カミサンは3月生まれなので、これまで何時も一緒に運転免許の更新をしてきました・・・・が、今回は迷いました。前回 の5年前と云えば二人とも50代、車は持たず、運転はしないものの、イザと云う時に役立つと思い更新したのですが、この5年間 、そのイザと云う事はなく、やがて二人とも60代になりました。

私たち団塊世代が子供の頃、自分が大人になって 「自家用車」を持つことになるなんて 想像もしませんでした。やがて日本の高度成長とともに、普通に車を持つ事が当たり前のようになってきたのですが、私たち 夫婦は二人とも運転免許は持っているものの、これまでに車を買った、持った事は一度もありません。

子供がいないせいもあるのでしょうが、必要性を感じたことがなかったのです。
何度か引っ越ししたり、購入した家は全て駅から徒歩圏内ですし、仕事上で車を自分で運転する必要もなく、ましてや 海外旅行先でレンタカーを使うような無謀な事は絶対しません。

話は横道にそれますが・・
私は、長年海外に暮らす機会があり、初めての運転免許は海外でとりました。当然その後車を所有し運転していました。
帰国後、日本で初めて運転した時の怖さ・驚きを今でもはっきりと覚えています。交差点を右折すると自然に車は右側車線を走って しまうのです。直ぐに慣れると思ったのですが、とっさに判断する場合の自信はありませんでした。
海外旅行先でレンタカーを使うのは、これと同じ事が必ず起きます。

どんなに、日本での運転に自信がある方でも、とっさの判断では、脳に刷り込まれた左側通行の習慣 がでます。海外の旅行先で事故を起こすと悲惨です、例え保険に入っていて全てカバーされていたとしても、その旅 はメチャクチャになります。
事故によっては、旅だけではなく人生計画そのものに影響を及ぼしかねません。
車は、自由に行きたい所へ運んでくれる、魔法のような乗り物ですが、短期の海外旅行で安易にレンターカーを 使うのはお勧めできません。

この5年間、全く車を運転せず、カミサンの云う「金食い虫」である車はこの先持つ可能性は 限りなく0%に近い現状では、運転免許証を持ち続ける理由がありません。 持っていれば、何らかの機会に運転してしまうかもしれません。
私は、マニアル しか運転できずオートマの車を運転した事がないのです。
もし、この年齢で人身なり、大きな物損事故を起こしたら、これから先のリタイヤ計画が全てパーになる可能性は十分にあります。

私たちの結論・運転免許証を捨てる
「運転免許証返納」と云う言葉は、何かお上にいただいたものをお返しするニュアンスがあって嫌いです。私たちは 警察署で手続きを一切しないことにしました。失効で十分です。
返納すると、5年間限定の「運転経歴証明書」を発行するそうですが、公式の身分証明書代わりにはならないかもしれないと 警視庁のホームページに書かれています。
国家的身分証明書制度のない日本では、これまで運転免許証がその代わりをしてきたので、ないと不便であるのは 事実です。
パスポートを何時も携帯する訳にもいかず、結論に達したのが、制度の賛否両論はあるでしょうが 「住基カード」を持つ事にしました。

この話を田舎に住む兄にすると、親の介護も、子育ての経験もない、歩くことは健康によく、社会の省エネに役立つ なんて云うのは、便利な都会に住む恵まれた人間の戯言、欧米先進諸国が発展途上国に、人権や地球環境の為にCO2削減求めるのと 同じと云われました。 確かにそうかも知れません。


2/28 リタイヤ・退職後に、誕生日を祝って下さる仲間がいる喜び

「門松は、冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」 と詠んだのは、一休和尚と云われてます。
還暦を過ぎた世代にとって、門松は誕生日に置き換えられます。64歳では 旅の一里塚はこの先まだまだ沢山見かけるかもしれませんが、ここまで歩いて来た道で見た 以上には、少ないのは確実ですし、もしかすると後ひとつかもしれません。

子供のいない夫婦二人の生活では、これまで誕生日は特別な イベント日でもなく、淡々と過ぎ去っていく日でした。
しかし昨年から、退職リタイヤ後に知り合った市民活動メンバー7名による持ち回りの誕生日会 が開かれるようになり、今月は私の誕生日を祝ってもらいました。

この年齢になると、「Happy bath day」の唄とケーキはかなり照れ臭いですが、祝ってくれる 仲間がいると云うのは、嬉しいものです。
先週の土曜日の夜にも、大船NPOセンターとして主催している Web支援講座に参加されている 13の市民活動団体との懇親会に、担当講師としてご招待を受けて、楽しい会食を楽しみました。
現役時代のビジネス・実業の世界の仲間と異なり、違った分野ですが、同じ方向を目指す 仲間とこのような時間を過ごせて、今のところ、リタイヤ、退職後の生活は充実しています。

しかし、朝の体重はこの3日間で確実に増えています。
増えた体重分は、この週のうちに減らしておかないと・・・・・・
来週は、カミサンの誕生日がやってきます。私の誕生日を市民活動の仲間が祝ってくれた事が 羨ましいようなので、今回は近くにオープンするインド料理でディナーでもご馳走しようかと、 話したところ・・・・・

あのお店は、友達と一緒に食べに行くからパス、それなら廻らないお寿司屋さんが良いわ、 それと、私も体重が気になるからお祝いは「現物」にして。
ですって。60才を過ぎるとロマンはないのか!!


3/8 ミャンマービザ取得

再来週から出かけるミャンマーのビザを、昨日受け取ってきました。
ミャンマーはビザが必要な国です。観光の目的ならビザが不要な国は増えていますが、 日本人が観光で入国するのに査証(ビザ)が必要な国は意外と 多いのをご存知でしょうか?

アジアでは、
・インド
・インドネシア(バリ島だってビザが必要なのです。但しビザ・オンアライブOK)
・ネパール
・ブータン
・パキスタン
・バングラディシュ他中央アジアの国々
・中国チベット自治区(パーミッションが必要)
日本人観光客が多いメジャーな国でも必要です。
・アメリカ合衆国
・オーストラリア
・ブラジル
中近東・アフリカ諸国ではほぼ全ての国で必要と思っていたほうが良いでしよう。

ビザ取得は自分自身で取得が原則
定年退職・リタイヤ後の「生活するように旅するスタイル」では、自分で出来る事は全て自分でするが、当たり前・鉄則です。 計画を始めた段階から旅はスタートしているのです。
現代のビザ取得には、ある程度のパソコン知識と、最低限の英語力が必要です。
特に、先進諸国のアメリカ・オーストラリアのビザは、全てインターネット上での申請のみで受け付けており、支払もクレジット 決済のみですから、出来ない人がでてくるのは、当然です。
これらの方々は、仕方ないので高い手数料を払って代行してもらうしか方法はありません。

ミャンマー観光ビザの場合
やはり、最低限のパソコン知識と英語力が必要になります。
ビザ申請書は、事前にミャンマー大使館サイトよりダウンロードします。
ワードとエクセルの二通りありますが、ワードは出来が 悪く、フォーマットに必要事項を入力すると崩れてしまう代物ですから、エクセルでダウンロードするのが、正解です。
申請書は当然ながら全て、英語表記です。
このなかで、私が知らない単語がひとつだけありました。Complexion・・・?
辞書で調べると「顔の肌」 color of skinでいいものを。しかし、こうやつて実践を通して英語の単語を覚えて行くものです。 もう一つ、今回のビザ申請で覚えた単語があります。Peasantです。
大使館にビザを受領する為3月2日に行った所、閉まっていました、守衛さんが云うには、ミャンマーの祝日Peasant Dayでお休み と云う訳です。
その場でスペルを聞いて、電子辞書で調べてみると、小作農つまり、農民の日でお休みだったのですが、ミャンマーには、 イギリス植民地時代のクラシカルな英語がかなり残っているようです。

ミャンマー観光ビザに必要な書類
前回行った2009年の時から必要になったのが、他の国では考えられない職業証明書です。 前年2008年、日本人ジャーナリストがヤンゴンで殺害された事件以来です。このジャーナリストの持っていたビザは、東京の大使館 が発給した短期観光ビザだったのです。
本来なら、殺害された方にはお気の毒ですが、正式な取材用のビザや、ビジネスビザが必要だったのです。この事件以降 職業証明書が義務化されました。
つまり、ジャーナリストやマスコミ・政府関係者でないことを証明しろ、と云う訳です。では私のような無職・年金生活者は どうするか?、大使館の説明では、「年金受給証明書或いは通知書」を、無職の主婦は役所発行の「非課税証明書」が必要とのことです。

その他の書類
・ミャンマー国内の宿泊ホテル
・ミャンマー国内の日程表
・ミャンマー国内の手配旅行業者の住所・電話番号などなど
ここまで、書くとこんなことは面倒なので、手数料を払って代行業者にお任せする 、或いは、全てインクルードの団体パック旅行にする、と云う方は、定年後のロングステイ・住まうように旅するスタイルの旅行は 止めた方が良いでしょう。

日本国内でビザを申請するのに、これだけ時間・労力が必要なのですから、海外に長期間ロングステイする為には 必要な英文の申請書、不動産契約書、銀行口座開設、自動車・オートバイの購入など、英文・現地の言語によるドキュメント がどれだけ必要になることか?
私たちは、観光ビザの許す範囲内の「暮らすように旅するスタイル」で十分満足です。
ミャンマー観光ビザは最長28日ですが、私たちは今回のミャンマーは10日間です。帰ってきたら詳しい報告を 致します。


3/14 今年の春、初めてのウグイスの鳴き声を聞きました。

寒かった冬も峠を越してようやく鎌倉に春が来たようです。
今朝、ベッドのなかでウグイスの鳴き声を聞きました。
ここ鎌倉に越してくるまでに住んでいた、東京 世田谷、上野池之端、横浜東戸塚は街のなかで有りすぎた為、春を告げるウグイスの声は聴けませんでしたが、 鎌倉は緑あふれる小高い山・丘陵が多く、退職後ここに住まいを移してから毎年、ウグイスの声で春を 実感しています。

3月11日の震災の日が過ぎて、鎌倉市の電柱に海抜表記の看板が取り付けられてきています。
私の住む地域の海抜は、画像のとおり8.7mです、自宅近くに江ノ島海岸に繋がる二級河川「柏尾川」が流れています。
昨年の東日本大震災クラスの津波ですと、私の住む地域まで容易に遡ってくる事は予測されますが、海岸まで約10km、 そして、海抜が8.7mに立つ共同住宅の2階なら、辛うじてセーフと云った所でしょう。

しかし今、鎌倉の海岸に面する地域では震災に伴う津波に怯えています。

昨年震災の後、私の所属する「鎌倉市市民活動センター」が主催したセミナー 「鎌倉に津波がきたら」は、会場満員で入場制限をしなくてはならないほどでした。
そして震災から1年が過ぎ、行政によるハザードマップ・震災規模の見直しを受けて、第2弾の開催を 予定しています。 詳細参照

春の音が近づき、桜の季節となると鎌倉は観光客で賑わいます。
鎌倉の市民活動のメンバーの多くは、この鎌倉の自然環境を守る為にいろいろな活動をしています。美しい古都を守り、 観光客の皆様にゆっくりと鎌倉の町を散策していただく為にも、鎌倉へは、車ではなく、是非公共交通機関、 JR・江ノ電・湘南モノレールあるいはバスでお越しください。参考サイトは
鎌倉アダプト参加団体 環境とまちづくり 市民ブログ


4/2 ミャンマー ガイドブックにない、カレン・モン州レポート第一弾

アウンサンスーチーさんの選挙で話題になっている、ミヤンマー・ヤンゴンから戻って まいりました。
体調は最悪です。最終日の前日、何十年ぶりに下痢をして、帰って来てからは温度差により風邪 を引き、ヘトヘト・クタクタの状態です。
東南アジアは慣れているものの、水だけは最新の注意を払って旅しています、歯磨きの水も当然 市販のボトルウォーターにしているのですが、今回は迂闊でした。
原因は解っています。モーラミャインから ヤンゴンへの帰路(車で7時間)に立ち寄った、外国人専用のレストランで飲んだザボンジュースです。
1500チャット(150円)もする高い飲み物ですから、安心していましたが、この中の氷が原因だったのでしょう。
旅の詳細はゆっくり、体調が戻ってから書く事にして、本日はミャンマーの「地球の歩き方」にも掲載 されていない、カレン州・モン州の画像のみをスライドショーでUPします。
ミャンマー個人旅行情報に関しましたは、体調が回復しましてからゆっくりと書きます。


4/10 鎌倉の桜は満開、しかし体調不良と人生初の救急車搬送


4月2日にbolg更新した翌々日、風邪気味で体調は芳しくなかったものの、数か月前から予約していた前立腺PSA値 上昇に伴う、生体検査の為に地元の湘南鎌倉総合病院に、予定通り一泊二日の検査入院しました。

何も、そんな検査入院の前にミャンマーなんかに行かなくとも、と思われる方は多いかと思われますが、検査後の結果 が悪かったら、それこそ反対に何処にも行けなくなるかも知れません。それに、この前立腺生体検査は今回で二回目で 慣れている、と云うのも変ですが、痛さも苦しさも知っているので、嫌なものを先送りした訳です。

予測通り痛かったのですが、今回は予測もしていなかった大試練が待ち構えていました。 退院した日の深夜、突然の悪寒・ふるえと下痢に見舞われました。

ミャンマーでの下痢は、嘔吐も吐き気も腹痛もない軽いもので一日だけだったのですが、この夜に始まったのは、 完全水状態の下痢に、悪いことに前立腺生検による出血が重なりトイレは修羅場状態、その上人生初めて経験する、悪寒・ふるえです。
時間は夜中の3時、躊躇しましたが、救急に電話し、ご近所の迷惑にならないようサイレンは鳴らさずにとお願いしました。

 初めての救急体験
下痢では死なない事は解っていますが、尋常ではない寒さ・ふるえと発熱でした。救急外来の処置は、何重もの毛布で包んで温めることと、血管確保と水分補給用の点滴、後は 血液検査とエコー。後は結果次第ですから、朝6時とりあえず帰宅するように云われました。確かに救急救命外来は、今、 命が危うい人の為にベッドを開けておかなくてはならない場所です。・・・・
早朝、湘南鎌倉総合病院から徒歩15分の距離にある自宅まで、タクシーに乗って帰宅し、その週の予定会議などを全てキャンセルするメール を送って、ベッドにダウン、眼が覚めたのは既に夕方でした。

強烈な下痢は、処方された下痢止め薬によって翌日から徐々に固体化し、生検検査による出血も徐々に止りつつあります。
しかし、重大な事は便の色が黒いままなのです。当初下痢の影響かと甘く見ていたのですが、どう素人目に見ても便の色が黒は尋常では有りません。 胃の調子は、帰国直後からの風邪薬の影響で悪く、食欲はなく、げっぷが頻繁に出る状態いでした。
週が明けて月曜日、ホームドクターのクリニックへ行きこれまでの経過を説明しました。 即、胃カメラの予約です。
翌日、再び、色々な誓約書にサインし、麻酔をされて胃カメラの検査です。もしかすると、前立腺よりもたちの悪い、胃の悪性腫瘍 も・・・・と考えられなくもないのですが。

結果は?
出血・腫瘍・潰瘍など全て異常、痕跡なし・・・・ではあの下痢と黒い便はなんだったの?、そしてこの食欲のなさ、だるさは、 何なの?
推定・結論
 ・ 長期間の開発途上国の旅の食事による胃の負担
 ・ 下痢の後遺症
 ・ 前立腺生体検査による引き金
 ・ ミャンマーと日本の気温差、変化による風邪
 ・ ようは、若い時と違って旅の疲れの抜け方が違うのだ、歳をとったのだ。

 カミサンが下した結論
来週に前立腺の結果が出るけど、良い結果だったらお祝いとして、悪い結果なら手術まえに何処かへ行こう!!もしかすると 暫く、或いは最後になるかもしれないんだから。
東南アジアはしばらくパスして、今年2回目だけど、のんびり静養として過ごすなら、やっぱりハワイだね。最低2週間 のんびりしてこようよ。
調べといて・・・・・、ですって。女は長生きする訳だ。

4/17 ミャンマー紀行2 ヤンゴン川の向こう側 ダラ(Dhla)へ行って見る


アジアの発展途上国・インド亜大陸の大都市は大河に面している都市が多いです。ホーチミン・バンコク・そしてバラナシ等・・・ ミャンマーの首都ヤンゴンも南側にヤンゴン川があり、大都市ヤンゴンはこの川で終わっており、対岸はダラーと云う町です。
一般的な旅の場合、なかなかこれらの都市の対岸へ行く機会はありません。
特に仏教・ヒンドゥの国々では対岸は彼岸・黄泉の国を 意味する場合も多く、大都市から取り残された貧しい人々が住んでいる、遅れた危ない地域のイメージもあります。
今回5回目のヤンゴン滞在であり、久しぶりに日本語ガイドを つけたので、何時も見慣れているヤンゴン川の向こう岸へ 行って見ることにしました。
ガイドのリンさんは、日本語が上手な大学生の娘さんがいるアラフォーの女性です。 予算をやり繰りして日本語ガイドにしたので、カミサンの話相手になり、ラクチンな旅になりました。
対岸へのフェリーは、地元の人は50チャット(5円)ですが、外国人は窓口で記帳して往復2$です。
ミャンマーは何処へ行っても、外国人
料金が発生する国なのです。
フェリーは15分ほどで対岸へ渡るのですが、この15分間を商売にしている人たちが多く、色々な物売りで溢れています。
この小さな緑の椅子もその一つで、有料50チャットでした。
川一つ挟んで、ヤンゴンの印象はガラリと変わります。
ヤンゴンの南端フェリー乗り場は、町の中心のスーレーパゴダに近い 行政・官庁街なのですが、対岸はヤンゴンの緑あふれる街並みと変わり、アジアの庶民の息吹が肌で感じられる ダイナミックな埃っぽい町になります。
ヤンゴン市内は、2012現在、アジアでは躍動の象徴であるオートバイの走行が禁止されています。
地方で良く見る、自転車タクシー(サイカー)・乗合ピックアップトラックバスも、ヤンゴン市内は走れません。
しかし、ここ対岸はヤンゴンではなくダラーなので、制限がなくフェリー到着・乗り場は、市場のような大賑わい でした。
アジアはこうでなくては、面白くありません。
とは、云っても今回の下痢騒動で、暫くアジアへの足は遠のくでしょう。
還暦を過ぎ、体力への過信を感じるようになると、異文化の 世界に浸る心地よさよりも、安易な平穏な日常の世界に近い、 ホノルルを選ぶようになってくるのは、自然の成り行きなのでしょう。
しかし、暮らすように旅すると云っても、全く緊張感のないホノルルは 果たして、旅と云えるのか?疑問符がつきますが・・・・

今週のPSA検査の結果まちですが、そんなに緊急を要する結果ではないでしょうから、5月はホノルルで 骨休みになることでしょう。


Nishizawa Akira Allrights.Reserved  Since 2003.1.27