2011年1月4日~2月7日南米世界遺産巡りの旅日記 ②
コチャバンバ/ラ・パス/チチカカ湖/ウユニ塩湖/ブェノスアイレス/アスンシオン/サマイパタ
2011/1/4(火)1日目晴れ長~い1日
今回はアメリカ方面へ行く時に何時も使っているデルタ航空ではなく、初めてアメリカン航空を 使った。デルタ航空はサンタクルス行きが無く、アメリカン航空しか無かったのと一番安く、 しかもアメリカでの当日乗換の乗換時間が一番少なかったので、アメリカン航空に決定。 夕方のフライトなので早起きをしなくても済むが、それでも何時もの習性で、早起きをする早目に 朝食をとり最終荷物のチェックをする。
少し長期の旅に成るので、日本食や調味料関係の量がかなり多くなる。荷物がかなり増えてしまい、
何時もの小型のディパックでは間に合わないので中型のディパックにした(^^ゞ
10時10分に家族に駅まで送ってもらい10時45分に着き、新幹線に乗り品川には12時35分に着く。
ここで12時48分の京浜急行の特急成田エアーポート行きに乗り、成田には14時15分に到着。
第二ターミナルビルへ到着すると、直ぐに宅急便で送った荷物を受け取りアメリカン航空のカウンターへ。
とても空いており、あっという間に終了。
一息入れることにして、ロビーの椅子に座って持って来たパンや果物を食べる。自宅を出て機内食に
有りつけるまでは、とても時間が掛かるので、何時も空港に着いてから軽く食べることにしている。
地下のコンビニに行って助六を買い、ついでに60㌦を5,070円で買う。大きな掲示板の前で稲荷2個と
お寿司2個を焼酎を飲みながら食す。
新幹線
第一ターミナル
15時にセキュリティ・チェックを受けて(何も引っ掛からず、とても簡単に通った)中へ入り
そのままイミグレーションに行き、15時05分には出国手続きを終える。今回は珍しくカウンターが
とても空いており、イミグレーションもあっけなく直ぐに通れた。
ゲート74の前で週刊誌とウィスキーを買い、待つこと3時間定刻通り18時45分に搭乗。
機体はB777-200ERで、座席は37Hから32Hに変更になったおかげで隣は若い韓国人女性、ラッキー(^o^)
19時05分に飛行機は動き出し19時15分に離陸する


19時近いので、かなり暗いのだが眼下の町を見ると街燈や家々の灯がともっていた。 その後なにもやる事がないので、ひたすら寝るのみ何故ならアルコールは有料の為。 今後アメリカン航空は、利用したくない航空会社のリストに登録する予定です。
やがて数時間が発ち、3時30分(日本時間で17時30分)にアメリカの税関申告書を配りにきたので 早速書き込む。アメリカ経由で何処かへ行く場合は、一旦アメリカへ入国することに成るので とても面倒くさい。以前アメリカでの滞在先の項目を空欄にしておいたら「トランジットの場合は トランジットと書かないと」問題があるので「Transit to Santa Cruz,Bolivia」と書いておいた。
4時47分に機内食のサービスがあり、チキンとパスタなのでチキンの方をもらう(チキンには御飯が 入っているからだ)。内容的には、最近のアメリカ系航空会社としてはマアマアという処だった。 肉団子入りのサラダとか蕎麦が付いているのは、いかにも日本で作ったという感じの機内食である。 機内食を食べている頃には夜に成っており、窓から外を見ると真っ暗で空と海との区別も付かない


時々眠ったが、殆ど眠れないので何となく3本の映画を見てしまった。9時00分に軽食のサービスが あったが、パン、クラッカー、ヨーグルト、オレンジ・ジュース等である。身体を動かしていないが 夕食をとってから4時間ほど経っているので、何となく食べてしまったから不思議である。飲物は ジンジャーエールをもらったが、これは炭酸系なので、口の中がサッパリとして良いので時々飲む。 この飛行機にはほんの少ししか日本人が乗っておらず、私の隣の席も若い韓国人女性で、大きな胸 をほんの少し隠しただけのブラウスで、良い目の保養になった事は言うまでもありません (^o^)。


食事が終る頃にはもう高度が下がっており、やがて下降体制に入る。窓から外を見ると高層ビルの 建つダウンタウンが見えて来た。住宅地はかなり広範囲に広がっており、殆どが一戸建ての団地に 成っている。15時30分にダラス・フォート・ワ―ス空港へ着陸する。しばらく地上を走りサテライト へ着き、15時45分に飛行機より降りて、皆の流に付いて行くとやがてイミグレーションへ着く。 15時30分にアメリカの入国手続きをしたが、ミシガン同様にとても時間が掛かり待たされる。 E2ビザを持っているのでねほりはほり聞かれ指紋を採ったり、写真も撮るので時間がかってしまった。 イミグレーションを通り抜けて、右へ行くとエスカレーターがあるので下に降り、16時18分に税関へ。
ここも長蛇の列、なんとかクリアして急いでサークル・トレンにのりC-35ゲートへ向かい、5時に到着。 やっと落ち着き、トイレ、家族と友人(アメリカ在住)にTELして、日本から持ってきた助六を食べ水を ペットボトルに補給して、しばらく休んでいると搭乗が始まり18時に飛行機へ乗る。 機体は中型の B767-400ER で、6時搭乗、定刻通り離陸一路マイアミへ。 座席は35C、18時30分に飛行機は動き出し18時41分に離陸する。
水平飛行に成り・・・22:05に無事マイアミの空港に着くが、乗り継ぎ時間が45分しかない為心配になったが
ゲートD51からD42なので1分でゲートに着いたが、まだ搭乗は始まっていなかった。
待つことわずか10分、直ぐに搭乗がはじまり26Cに座ると26Aにラパスへ帰るというボリビア人初老の婦人
が既に座っており、話をしている間にドアが閉じられたが26Bには誰もこなかったので2人でラッキーと
年甲斐もなく喜んでしまったのでした。
機内食のサービスがあったが、やはり
これはアメリカで作られた物なので、先ほどの
日本製の機内食と違い食材や味付けなどが違う
味はともかく、先程食事を採ってから5時間も
経っているので完食する。飲物はコーラにする
その後眠れず、長い6時間をじっと待つのみ
2011/1/5(水) 2日目ようやくサンタクルス到着
両替50$≒342.5Bs1$≒6.85Bs1Bs≒12.4円
ラパスに午前5時に到着後、ここで降りる人と
機内の検査、そして乗る人と約2時間もかかり
とても信じられない光景を体験後、無事離陸
しかし標高4,000mの空港から400mの空港へは、いったん上がった後は下降するのみで、まるでグライダ―の
ように滑空して静かに40分、ビルビル空港にやっと到着やれやれでした。
到着後飛行機から一歩外へ出ると、むわっとする暑さイミグレと税関終了後持ってきた100円SHOPで買った
温湿度計をみると朝9時現在で気温30度湿度80%もあり、いそいでダウンを脱ぎしまう。
タクシーでホテルへ。半ズボンと半袖に着替え以前行ったチャイニーズバフェへ65Bs(845円)後、ロス・ポソス
の旅行社でブエノスアイレス⇔エル・カラファテ間の飛行機代を聞くと、通常180㌦がハイシーズンと日程が
おしせまっているので何と488㌦もして、残念だが次回にすることに (^o^;)
帰りにM商店により、一年ぶりの再会いろいろと話がはずむ。夕方歩いてホテルへもどり再度旅行計画
を練り直す。日本から持ってきたパンの残りとカフェラテで夕食を済ませ、シャワーと洗濯をして早目に
寝る。
2011/1/6(木)3日目ウィルフレッドとTerenoを見に行く
ウィルフレッドと末っ子
今日はコントラセーニャに行く為に、10時に> ウィルフレッドと その後ホテルで3時過ぎまでノンビリしてからM商店に行く。 しばらく雑談後、教えてもらったスーパーに行くが安くな いのと混んでいるので、やめて酒屋に行く。 今日の夕食用に鳥の4分の1を買い18Bs(240円)ウィスキーと ビールを買いホテルに戻る。
カメラがやっとGPSを作動したので友人にメールに写真を 添付しておくり、さらに2人にも送る。 その後アメリカの友人からSkypでの電話があり一時間位話 してしまい、久しぶりに夜更かしをしてしまった。
2011/1/7(金)4日目バスの切符を買う
チャンチョ・コロラド20Bs(260円)
その後動物園の前までタクシーで行き、昼食チャンチョ・ コロラドを食べる。その後動物園を見て回るが、前回とは だいぶ変わっていた、ボリビアでもインフラがすこしづつ 整ってきたように思えるがまだまだである。
15時30分にウィルフレッドが来て、用事をすませ17時30分に HOTELへもどり、いそいでシャワーをあびて直ぐにM商店 へ、中華料理で一杯やりながら雑談、21時にホテルへ帰る。
2011/1/8(土)5日目植物園にて
7時前に起きてしまい、3人にメールを送り腹が減ったので
ラーメンとお茶を食してしまう、あ~あ貴重な日本食が(^o^;
10時30分にハルディン・ポタニコへ11時20分~12時30分まで
南米特有の植物を見て回る。
(コトカ ← サンタクルスから東に約40km)
その後ミクロでコトカへ12:50着、お腹がすいたので前回も
フェルナンドと来た市場の中にある食堂へ、といってもテ―
ブルと椅子があるだけの粗末なつくり、しかし味は悪くなく
値段も安く庶民的で、これこそ1人旅のだいご味である。
その後広場にある教会を見て、古くからある酒場で地元のビ
ール パセーニャを飲みながら、広場と教会を見ながら暑く
けだるい午後を過ごす。
その後ミクロとタクシーでサンタクルスへ戻る。
サボテンの一種
2. トゥルフィーと呼ばれる乗り合いタクシ―、停留所が決 まっており定員になると出発、街と町や村までの移動に安く て早いので便利、しかし大きな街は停留所の周りが危険な場 合いもあり・・・8Bs(112円)。
3. 環状線だけを流している(失念→)・・・タクシー、手をあげ 直ぐにに止まってくれるが、途中何人も乗り降りする、 2Bs(28円)。
4. そしてタクシー、市内なら9~20Bs(126~280円)で素早く 連れて行ってくれるので、自分がどこにいるか分からない時 やホテルに直接帰る時に便利。
2011/1/9(日) 6日目 モンテ―ロで名物料理を食す
今朝食事を済ませ、明日までの5日分のホテル代を支払う600Bs(7,380円)、その後ミクロ(乗り合いバス)で
Monteroという街へ、12:30 到着Guabiraという所にモトタクシーでレストランへ。ここはチチャロン(豚肉)
という食べ物が名物との事、美味しくいただきました。ビール(ウアリ)2本込みで32Bs(440円)でした
モトタクシー
チチャロン
その後ライブ酒場へ行き、ビールを2本飲み音楽を生でしっかり堪能する。広場にもどり、5時丁度のトルー
フィでサンタクルスへ戻り、水を買い18:15 にホテルに到着、夕食はカップヌードルで済ませる。
その後スカイプで1時間くらいT君と話をするが、後半はインターネットの状態が悪く切れてしまう。
その為メールを日本に送るが、送信されずに送信トレイに残ってしまったので、明日にする。
22時には寝てしまう
2011/1/10(月)7日目バスにてコチャバンバへ
(ボリビア第三の都市、サンタクルスから西へ470km)
サンタ・クルスのバスターミナル
記帳とシャワーを浴び、パッキングを始め11:30分に終了。
12時丁度にホテルを出てバスターミナルの近くに移動 荷物を預け遅い昼食17Bs(220円)を取り、近くのスナックBar で20時まで粘り、ターミナルへそして簡単な夕食を済ませ、 21:30の夜行バスにて一路コチャバンバへ移動・・・。
2011/1/11(火)8日目コチャバンバの大仏見学
朝7:30コチャバンバのバスターミナルへ到着、ホテル探しを始め3件目のホスタルESCOBALに決める、シャ
ワーを浴びコーヒーとラーメンで朝食として、11時まで休憩する130Bs(1,700円)。
11時にクリスト・デ・ラ・コンコルディアへ行き、ケーブルカーで山の頂にある像をまじかに見る。
コチャバンバの標高をGPSで確認すると2,500mあり、頂きにあるキリストの像では2,800mをを示していた。
さすがに像まで50段位の階段を上がると、息切れがあり少し苦しかった、先が思いやられる(^o^;
その後タクシーでセントロまで戻り、ミニバスでキィャコリョ地区へ、名物料理のピケ・マチョを食べる
が、多すぎて食べ残してしまう48Bs(630円)。
16時にバス・ターミナルへ戻り、明日のラ・パス行きの切符を買う予定が、明日でないと発券できないと
の事、さすが発展途上国あきらめて部屋に戻り、映画を見ながらノンビリとするが、途中でビールが飲み
たくなったので、すぐそばの店へ買いに行く。
22時過ぎには寝るが、夜中に隣の部屋の大きな声で起こされ、さらに蚊に悩まされ良く眠れない夜を過ご
したのでした。
コチャバンバの大仏
ピケ・マチョ
2011/1/12(水) 9日目 ラ・パス(サンタクルスから西へ860km)までのバス移動
寝不足ぎみで7時に起き、8時にターミナルでラ・パスまでの切符を買い 120Bs(1,560円)部屋に戻りパッキ ングを済ませ、9:35に部屋を出て9:50にターミナルに到着、しかし10時発のバスは遅れており、10:10よう やくバスに乗り、30分遅れて出発。
バスはどんどんと高度を上げ1.5時間後にはGPSの高度計が4,000mを示し、4,200~4,300mを行ったり来たり、
そして出発してから3.5時間後には4,500mに、ここを最後に4,000m前後をひたすら走ったのでした。
4時間後に遅い昼食とトイレ休憩、そして夕方18:30にようやくラ・パスのバスターミナルに1時間遅れで到着
直ぐにタクシーで3つ星ホテルVICTORIA 300Bs(3,900円)へ行き、シャワーを浴び20:30 に鳥もも肉の遅い
夜食を取り、24時過ぎに寝る。
標高4,500mを通過
ラ・パスの街並標高3,500m
2011/1/13(木) ラ・パス市内観光とホテル変え
さすが3つ星ホテル暖房も良く効いており、久しぶりの熟睡6時30分起床8時に朝食、その後違うホテル探しに 行き、3件めで決定直ぐにタクシーで移動、チェックイン後床屋兼パーマ屋でカットと白髪を染めてもらう55Bs (720円)、夕方バスターミナルへ行き、ポトシ・ウユ二行きのバスの時刻を確認する。 メールを作成して22時に寝る。
プラサ・パラッシオ
ホスタルレ・プブリックの中庭
2011/1/14(金) 庶民のレストランと部屋変え
今日はコパカバーナに行く予定だったが、お腹を壊しているので自信が無く明日に変更。
その為午前中はノンビリとしてメールの下書きやブログを作成してから、ホテルの近くにある庶民の
レストランへメヌー・デル・ディアの昼定食30Bs(400円)とワイン、しかし在庫が無く主人に冷えたのを買って来て
もらい美味しくいただきました、こちらは無ければ、頼むと買って来てくれるのです、なかなか良い
ことだなあと(高級レストランではなく普通のレストラン)関心するしだい。
午後からは友人の娘さんの住む家に移動予定なので、ホテル代を支払いタクシーで移動。
夕方インターネット屋へ2人にメールを送信する、そして近くのスーパーへ行き食料品と水・ワイン・
ビール等を買い家に戻り、簡単な食事を作り夜はノンビリ10時に寝る。
ス―プを注いでくれる店主
昼定食
2011/1/15(土) 12日目 ティティカカ湖への日帰り
5時30分起床、急いで支度しエル・アルトにあるコパカバーナ行きのミニバスの停留所へ、タイミング
良く後2人で満員になるという6:50発のバス50Bs(650円)に飛び乗り一路コパカバーナへ。
9:30島に渡る為のフェリー乗り場に到着、人とバスそれぞれ分かれてフェリーで島へ、10:30ようやく
コパカバーナに到着、土産のペンダントを5ヶを買い湖岸へしばらく散策後、トトラもどきの舟100Bs(1,300円)で
人口の島へ約1時間滞在中、いけすから取ったトル-チャ(ます)を直ぐに揚げ物にしてもらい20Bs(260円)食す。
ティティカカ湖の高度は、3,820m 南緯16°08′6西経69°05′16思えば遠くに来たもんだ・・・
14:30のバス30Bs(390円)でラパスへ 5:40到着、直ぐにタクシーで家の近くまで行きスーパーでワインを買い、中華
レストランで焼きそば26Bs(340円)を食べ 19:30部屋に戻り、ワインを飲んで22:00頃寝る、お腹はいまいち

フェリー
ます料理
2011/1/16(日) 13日目 日曜市場とウユ二へ移動
7時に起きるがお腹はいまいち、朝食をとり11時までノンビリと過ごし11:30 にウユ二行きのバス100Bs(1,300円)
の切符を買い、日曜市場を見にいく。
タクシーの人に安くて美味いレストラン33Bs(430円)に連れていってもらい、昼食後インターネットを探すが、
どこも持ち込みはダメ、仕方がないのでメールはあきらめ15:30 家へもどる。
パッキングをして、18:20 にタクシーでパスターミナルへ、待つこと10分 18:45乗車 19:10 定刻に発車
ラ・パスの銀座通り
日曜市場
2011/1/17(月) 14日目 ウユ二塩湖1日ツアー (ラパスからウユニまで南へ550km)
5:15到着、出発してから4時間位は良かったが、そこからが悪路の連続、3時間以上ガタガタと揺れとても
寝れたもんではなかった。直ぐに荷物を受け取り、灯が付いているホスタルViajero100Bs(1,300円)へ向かい
直ぐにIN、宿の女将が塩湖のツアーはどうするのかと聞くので、1日ツアーの料金を聞くと25㌦というので
OKし、とりあえず仮眠する。
11時に迎えがきたので、残りの金を払ってランクルに乗車、待つこと20分11:30出発、直ぐに機関車の墓場へ
その後12:30 頃土産屋へ、日本人のツアー客も。塩でできたペンダントと塩250g入りを3袋買い求める。
そして塩の採掘場から、地下から塩水が湧き出る所へそして塩でできたホテルで(14:30)遅い昼食。
休憩後イスラ・デ・ぺスカもどきの島へ、そして17:20 ホテルへと出発18:30 到着。
シャワーと下着と靴を洗い、インターネット屋へしかしどこもラン・ケーブルは貸してもらえずダメ。
20:00 にレストランを探して遅めの夕食30Bs(390円)、21:30 にホテルへもどり、ワインを飲んで寝る
ウユ二名物鉄道の墓場
どこまでも真っ白

塩のホテルの前のモニュメント
サボテンの島
2011/1/18(火) 15日目 ウユ二市内と鉄道でビジャソンへ
(ウユニからビジャソンまで南へ300km)
7:20 起床、久し振りに快眠、ゆっくりとコーヒーを飲み、8:30 にビジャソン行きの鉄道の切符を
買いに駅へ行くが既に列、待つこと45分やっと番号札を取りそれからも待つことしばし、しかしアナウンス
ありすでに2等は売り切れ、半数以上の人がここで去り10:15 やっと切符を購入168Bs(2,200円)、ホテルに
戻る途中に銀行があったので、20㌦程両替し部屋に戻る。
12時にホテルを出て、ブエノスアイレスの上野山荘へ電話するが予約はできないとの事、とりあえず名前
と日にちを告げ、地元の人用レストラン(JHAJAYRA)へ,値段はやはり安く19Bs(250円).
13:30 に部屋に戻り、昼寝・メール作成・日記に記帳ごホテルの女将に夜21:30 までステイしたいとつげると
さらに50Bs(650円)の追加との事。それでも駅で待つ事を考えると楽なので夜までノンビリ、19:30 夕食を取り
パッキング、21:30 にホテルを出て駅へ10時定刻通り入線に乗車、22:30分発の長い夜行列車になったのでした。
ウユ二駅の標識
ボリビアの列車
2011/1/19(水) 16日目 長~い1日、ボリビアからアルゼンチン国境超え
7:30車掌にうながされて食堂車で朝食、その後直ぐにアルゼンチンとの国境の街ビジャソン駅に到着。
降りると直ぐにブエノスアイレス行きのバスの客引きが寄って来て、100㌦でどうだというので相場だろう
と思いOKをだす。彼は我々が荷物を引き取るまでずっと付いており、その後タクシーでバス会社の窓口
へ、しかしタクシー代は他の人と折半、しっかりしている(^o^;
イミグレーションカードに記入とお金を払い、アルゼンチンペソがないので両替所を聞き100㌦両替、ここの
両替が一番率が良かった(100㌦ ≒ 405ぺソ)。
その後直ぐにバスがやって来たので乗車、しかしここからが地獄、5分で国境に到着、イミグレの周
りは長蛇の列、ボリビア側のイミグレで1.5時間、さらにアルゼンチン側でなんと6.5時間、計8時間も
待たされたのでした
待っている途中で信じられない光景が、若い日本人女性が一人でアルゼンチン側から歩いて来たのだが、高そうな
派手なワンピースの服を着て、手にはブランド物のバックが、いつ襲われても不思議ではない・・・(;^ω^)
やっと終わったと思ったら、今度は全ての荷物のX腺検査、ワゴン車に機械が設置してあり、1人づつチェ
ック、全てが完了し再びバスに乗ったのは既に夕方の18:30、8時間遅れで出発。
19時に遅い昼食その後爆睡、夜中の12時に夕食で起こされまた爆睡、永い永い1日でした
ビジャソンの駅
ブエノスアイレス行きの国際バス
2011/1/20(木) 17日目 ブエノスアイレスへ、1日バス移動
(ビジャソンからブェノスアイレスまで南東へ1640km)
1日中バスの中、ブエノスアイレスは遥か彼方、途中ポリスの検査あり、15時にレストランで昼食ワイン
と鳥料理で50ペソ(12㌦)、夜21:30ようやくレティリロのバスターミナルに到着タクシーで上野山荘へ、し
かしぼられる(18ペソのところ30ペソ)。22時チェックイン、日本人だらけで話が弾み寝たのは午前2時を回
っていたのでした。
バスの2階
途中のドライブイン
2011/1/21(金) 18日目 日本人宿でゴロゴロ、夜はタンゴのショ―へ
8時に起き、9時になったので隣の中国人が経営するスーパーへ行き食料を調達する。9:45遅い朝食10時
から昼までパソコンと記帳・ゴロゴロ、13時に昼を食べて昼寝と今日は休息日、夕方から薬と散歩そして
隣のスーパーで持ち帰り弁当とワインを買い、居間兼食堂で食す。
夜20時に宿の仲間3人とBar Surへ行きタンゴのショ―70ペソ(1,750円)を堪能し、23時宿に戻る。
その後みんなで一杯やりながら0時過ぎに寝る
ブエノスアイレスの中心部
タンゴのショ―レストラン
2011/1/22(土) 19日目 イグアス行きの切符購入
市内散策と 両替久しぶりのシーフード
今日はイグアスの滝に行く為のバスの切符を買う必要がある為、7時に起き8:30にはバスターミナルへ
久しぶりにカード369ペソ(9500円)が使える、さすがブエノスアイレスは南米の先進国、その後歩いて宿に戻り
朝食を取り、記帳・パソコン・メールそして両替に行き、その後シャワーを浴び昼食
シエスタをとり、夕方散歩をしていたら、チリのシーフード・レストランをみつけいったん部屋に戻
り、着替えていざチリ飯へ19:30~21:00までゆっくりとSopa de MariscosとCaramaris95ペソ(2,400円)で美味しく
いただいたのでした、もちろんワインはチリ産の赤でじっくり堪能したのでした。
久しぶりに美味しい魚料理を味わい満足な1日を過ごしたのでした
プラサ・セントラル
フロリダ通りタンゴの大道芸
2011/1/23(日) 20日目 イグアスの滝へバス移動 北へ1300km
昨夜は、食事の後みんなとさらに飲んだので少し二日酔い、遅い朝食12時に軽く昼食を取りパッキング
14:15タクシーでバスターミナルへ14:30到着、15:05定刻通りバスはイグアスへ向けて出発。
ブエノスアイレスの緯度は南緯33度35分とほぼ東京と同じ、バスは一路北へと進路を向けひたすら走る。
夜22時遅い夕食、その後はひたすら眠るのみ・・・・
プエルト・イグアスのバスターミナル
2011/1/24(月) 21日目 イグアスの滝
朝9:30到着、バスターミナルにある代理店にて夕食付きホテル120ペソ(3,000円)とポート110ペソ(2,750円)の
代金を支払い休憩後、11時に部屋をでて、近くのレストランにて早目の昼食、そしてイグアスの滝行きのバスに
乗り12:30到着、それから5時間ちかく滝を見て回り、おそらく3万歩は歩いたと思われクタクタになっ
たが、18:30 何とかホテルに帰る。
19:00シャワー・記帳・パソコンを済ませ、20:30 ホテルのバフェ夕食、疲れていたので22時には寝てしまう




2011/1/25(火) 22日目 アルゼンチンを歩いて出国
ブラジルを通過してパラグァイのアスンシオンへ
8時起床、8:30に朝食これが豪華な夕食と違って超シンプル、拍子抜けしてしまう。
9:30にパッキング10時出発、となりの土産屋でTシャツを買った時に、店の女性2人に漢字で名前を書い
てくれと頼まれ、書いてあげると2人は大喜び、そして国境を歩いて超えられることを教えてもらい
いざ国境へ。
あっと言う間にアルゼンチン側の出国スタンプをもらい、シウダ・デル・エステ行きのバスを待つこと
30分、11時にバスにのりブラジル側をノンストップで通り抜け、12時にパラグァイ国境の橋を越えた
所に到着、少し歩いて戻りパラグァイのイミグレで入国スタンプをもらい両替そしてタクシーで
アスンシオン行きのあるバスターミナルへ、一番安かった(22㌦)3軒目の窓口で切符を買う。
とりあえずバスターミナルのレストランにて昼食(5㌦)を食べるが、これが大はずれ、今回の旅で2回目の×
もし2度目に来たら絶対に食べないと、心に誓うのでした。
14時にバスが来て、14:20 出発、アスンシオンのバスターミナルには夕方19:30 に到着、明日のサンタ・
クルス行きのバスの切符を買い(108㌦)駅前のホテル・セントラル24㌦/泊に決め、シャワーを浴びとなりの
レストランで夕食、22時には寝る。
ブラジルとパラグアイ国境の幸せ橋
シウダ・デル・エステの市街図
ものすご~い不味い昼食
シウダ・デル・エステのバスターミナル
2011/1/26(水) 23日目 アスンシオンのホテルで1日ゴロゴロ
夜ボリビアに向けて出発 (アスンシオンからサンタクルスまで北へ900km)
7時に目をさましてしまい、8時ホテルのレス
トランで朝食、バスは夜20時発なので夕方19時
まで部屋に居たかったので、宿主と交渉 5㌦
追加で OK。
外は暑いので、エアコンを付けて部屋でのんびり
シエスタ・記帳・メールと時間をつぶし、昼は
となりの隣のレストラン(12㌦)にて食事、昨日より安い
夕方19時ホテルを出て、ターミナルへ、夕方なのに
暑い、手持ちのの温度計は37℃を超えている、
待つこと40分、19:45分乗車後 20:30 に夕食が配ら
れる、鳥とご飯まあまあの味、その後は寝るのみ。
アスンシオンのバスターミナル内
バスターミナルでバスを待つ人達
2011/1/27(木) 24日目 パラグァイから国境を越えてボリビアのサンタ・クルスへ
午前3:30パラグァイのイミグレーションに到着、みんなで歩いてイミグレのオフィスへ、順番に名前を
よばれてパスポートにスタンプをポンで終わり、あっけない国境でしたが、本当の国境はさらにここか
ら4時間のところ、しかし周りには何もなし、そこからさらに2.5時間ボリビア側に入ったところイミグ
レが、朝10:30分に到着、両替商のおばちゃんに教わりながら黄色い入国カードに記入、ついでに両替
42,000ギルダーが 50ボリビアーノに、そしてイミグレのおっちゃんに30日だけと念をおされ終了。
ここの場所をGPSでチェックすると、南緯 21°40′ 西経 62°27′標高は 280m でした。
ブエノスアイレスが、南緯 33°51′だったので実に 12°直線距離で1,335Km 道路だと2,000Km以上は離
れていることになる。
パラグアイとボリビア国境近く
ボリビアのイミグレ
バスターミナルからホテルコパカバーナ280Bs(3,600円)へタクシーで直行、20:00チェックイン後レストランに 200Bs(2,600円)9:30部屋に戻りシャワーを浴び、疲れていたので22:30には寝てしまう。
ボリビアの軍の駐屯地
久しぶりのサンタ・クルスでの夕食
2011/1/28(金) 25日目 サンタ・クルスで友人と
7時過ぎに目をさまし、8時ホテルのレストランで朝食後すぐにM商店へ、9:30には部屋に戻りメー
ル、日本にTEL後シェスタそのまま昼まで寝てしまう。
昼はホテルのレストランで定食を食べ、14時ウィルフレッドが来て直ぐにコぺラティーボへ、そのまま
自宅にお邪魔してビールを2本ごちそうになり、その後M商店まで送ってもらい2人で食事に行く。
一杯やりながら雑談、明日日本人が経営しているアパートに移動する約束をして21:30部屋に戻り、シ
ャワ―を浴びてメールを送り、23時に寝る。
サンタ・クルスの第一環状線
ロドリゲス家族
2011/1/29(土) 26日目 アパートを借りる
7時起床、7:30ホテルの朝食を食べ大きいバックだけパッキングを済ませ、ディパックをフロントに預
け9:30ロドリゲスといっしょにコぺラティーボへ、12時ホテルへ戻り一緒に昼食。
1時にIGEIアパートに移動、奥さんと雑談し1日20㌦(エアコン・インターネット・NHK付き)を確認し出
発までの5日間を過ごす事にする。
その後水とビールを買おうと思いM商店へ行くが、近くには売っていないとの事、仕方がないのでス
ーパーの場所を教えてもらいスーパーへ行き水・ビール・歯磨きチューブ(37Bs/約480円)を買い求め
部屋に戻りシャワーを浴びる。
その後は部屋でゴロゴロ、22時に寝てしまう。
スーパー沖縄
アパートの全景(3階の左側)
2011/1/30(日) 27日目 世界遺産のサマイパタ遺跡へ
(サンタクルスからサマイパタまで東へ120km)
昨夜は早く寝たので6:30に起きてしまい、手持ちの食材(コーヒー・ポタージュ・ラーメン)で朝食を済
ませ、M商店の隣にあるインターネットの電話屋へ行き日本に電話をする。電話代はバカ安(5分話を
して1.5Bs/約20円)、こんなことなら携帯(1分500円)を使わなければ良かったと反省・・(^o^;
帰りに市場で水を買うが、2Lのボトルが6本セットになっていて30Bs≒1本65円とこちらも格安。
その後サマイパタ行きの乗り合いタクシーのあるバスターミナルへ行き、昼定食をテイクアウトにして
もらい、3時間かけてサマイパタへ。
午後14時到着、ビールを飲んで休憩後、タクシーを2時間チャーター(75Bs/約1,000円)大急ぎで遺跡を見て回る。
帰りは30分ほど乗り合いタクシーを待って、16:30出発 19:30サンタクルスに到着そのまま日本食レストラン
・ケンへ、かつ丼とコロッケを食べ、久しぶりに美味しい日本食でした。
20:30帰宅、シャワーを浴びアメリカの友人とSkypでしばらく話をして22:30に寝る
サマイパタ遺跡のある所は標高1,600mにある高原で、夏でもすがすがしくて過ごしやすい。
サマイパタ行き乗り合いタクシー
サマイパタ遺跡
サマイパタ遺跡
2011/1/31(月) 28日目 ボリビアの友人と食事
7時起床、初めてサルティーニャの店で朝食を食べる。
韓国の食材点でうどんヌードルを買い求め昼の代わりに食す、味はまあまあ。その後日系人が経営する
旅行社へ行き、帰りの飛行機のリコンファームをお願いする。
夕方ウィルフレッドとフェルナンドと共に郊外のレストランに行くが、どこも月曜日が定休日、結局街に
戻って鴨料理を食べさせる店で夕食70Bs(905円)を食べ20:30に帰宅、その後写真の整理・メール他を処理して
12:00に寝る。(プロポリスを調達してもらう)
左ウィルフレッド・右フェルナンド
鴨料理
2011/2/1(火) 29日目
7:30に起きたので、シャワーを浴びながらついでに洗濯もしてしまう。その後M商店で両替と隣の電話
屋で日本に電話をして旅行社へ、リコンファームの確認後スーパー沖縄で卵2個を買い、さらに韓国食材
店でうどんを1玉買い、昼食にする。
午後3時間程パソコンをやり、その後行きつけのBarへ行き通りを見ながらビールで一杯、ATMで300㌦
をおろしてから中国人の経営するバッフェで夕食にする。今日は22時には寝てしまう
韓国食材店
左側にハンドルを移した日本車のタクシー
2011/2/2(水) 30日目 ボリビア最後の1日
7:30に起きてコーヒー後、大家さんに部屋代20㌦×5日分=100㌦を支払い、来年もお願いの予約を入れる。
その後ボリビアからは最後の電話を日本の家族にして、M商店へ行き両替、スーパー沖縄で炊きたての
ご飯を韓国食材でボンカレーもどきを買い、9:15部屋に戻り朝食にする。
明日の出発にそなえパッキング終了後昼までのんびりと過ごす。ランチは部屋の前にある庶民のレストラン
で昼定食(ソッパ・デ・フィデオ14Bs(182円)とサイセにビール14Bs)その後シエスタを取る。
夕方17時まだあまり涼しくないが散歩に行き、洋画のDVDを2枚16Bs(210円)買う。
夕食は近くのチャイニーズ・レストランでチャーハンと焼きそば69Bs(900円)ビール2杯を食べ8:30に
部屋にもどり、全ての残り物(水・他)をボリビア人にあげる。
庶民のレストラン
ソパ・デ・フィデオ
サイセ
2011/2/3(木) 31日目 ボリビア最終日とアメリカ初日
今日が最終日、5時起床最終パッキングを済ませコーヒーで一休み、6時Mさんがおにぎりを持って
来てくれ別れの挨拶をすませるのと大家さんに鍵を返す。
6:20たのんでいたタクシーが来たので一路空港へ、7時前に着いてしまったのでチェックイン・カウ
ンタ―が開いておらず、その前で待つこと20分7:05に開くと一番でチェックインその後空港税25㌦を
支払い、スターバックスの前のテーブルでMさんにもらったおにぎりを食べ、イミグレ-ションへ
1.5時間かかってやっと出発ゲート6に、その後待つこと1時間やっと搭乗と思ったら再度手荷物検査、
さすがボリビアは麻薬王国、出国検査の厳しい事を実感。
10時搭乗10:25離陸一路マイアミへ、途中アマゾン河を眼下にみながらベネズエラ・キューバの上空
を通り16:25到着。その後イミグレ・税関と時間がかかったが17時に表に出て友人に電話、彼も国内線
で着いたばかり、そして直ぐに合流早速レンタカー会社へ6時無事車をかりていざキ―・ウェストへ
出発、19時GSで水とビールを買い1号線を南下、20:30途中のコンフォート・イン(80㌦)に宿泊、彼が用
意した焼きそばとパスタの夕食でビールで乾杯、話がはずみ11時シャワーを浴びて寝る。
スペイン語から英語への切り替えにとまどいながらの、長~い1日でした。
ビルビル空港(サンタクルス)ゲート
アメリカのホテル
2011/2/4(金) 32日目 アメリカ最南端の街キ―・ウェスト
7時起床、8時レストランで朝食、9時出発、11時途中のピジョン・キ―で写真・ビデオを撮るがイルカ
を撮り逃がす。ここの位置は北緯24度42分24、西経81度07分41、高度10m、キー・ウェストまで後29マイル。
12時ホテルディスカウントの小屋でホテルを決める(156.38㌦)
12:45無事ホテル オーシャン・ブリーズ・インに到着するがチェックインは午後2時、車で街をみながら
昼をサブウェイでツナのフルを2人で半分にして食べる。
ここの位置は北緯24度32分55、西経81度47分40、高度5m、2時にやっとチェックイン、シャワーと洗濯
そしてメールを発信後街へ散策に。
サザン・モスト・ポイント~デュパル・ストリート~埠頭広場で結婚式を観て回り19時部屋に戻る。
夕食はそば、味噌汁、フレンチ・ポテトと変な組み合わせしかし日本食には違いないので良しとする
ホテルのプール
室内
本土の最南端サザン・モスト・ポイント
デュパル・ストリート
マロリー広場
オーシャン・フロントのホテル(高い)
夕焼け
2011/2/5(土) 33日目 マイアミビーチと旧友との再会
7時起床、海岸散歩とメール 8:30朝食後パッキング 9:30マイアミへ向けて出発。
12時120マイル地点にあるバーガーキングで昼食、13:40レンタカー会社に車を返却すぐに空港行きのシャト
ルに乗り空港出発ロビーへ行き、インフォメーションにてホテルの場所を聞き、フロントへ直ぐにチェッ
クイン、すこしのんびりしているとアメリカ人のジャスティンより電話があり、久しぶりの再会。
16 時3人でマイアミビーチへ、その後バ―で一杯やりながらチキンウィングを酒の肴にする。
その後タイ人が経営する寿司屋に行き夕食とする。
楽しかった再会もあっと言う間に過ぎ、21時彼と別れシャワーをあびて翌朝早いので22時に寝る
マイアミビーチ
左新・右旧セブンマイルブリッジ
2011/2/6(日) 34日目 一路日本へ
4:30起床、直ぐにチェックイン・カウンターへ行くがここではなく移動、5:20無事ダラス行きゲートD15
に到着、待つこと40分 6時搭乗定刻通り6:40離陸、1379便はほぼ満席ダラスまでの3時間15分はひたすら
暇つぶし、しかしなにもやる事がない。
9:05 定刻に到着しかし乗り継ぎ時間は1時間、急いでTOKYO行きのゲートに移動搭乗10分前にゲートD32に
到着、Wi-Fiががあるので急いでメールするがエラー、あきらめてさっさと搭乗。
36Bの通路側に座るがガラガラ、そこで真ん中のC~Eの5人掛けシートに移動し横になって寝たりして成田
までらくらく、しかし12時間はなが~い・・・・(^o^)
ダラス行きゲート
成田行きゲート
ガラガラの777機内
2011/2/7(月) 35日目 1ヶ月ぶりの日本
14:40 定刻に到着、イミグレ・税関すんなりだったので15:12 のスカイアクセスに乗れたので、我が家のある駅到着
が1時間早まりそうなので一安心、品川発17:10 のひかりに乗れ19:30 に無事帰宅。
35日間で使った金額は145,565円、1日当たり7,016円、飛行機代が159,0000円、トータル304,565円でした。
1日あたり90㌦あれば、なんとかなる南米旅行でした。