東人の出戻り浜生活産業遺産「緑の大地を拓く運河」ウオーク(2)

「緑の大地を拓く運河」ウオーク(2)


浦和くらしの博物館民家園

 ”「緑の大地を拓く運河」ウオーク”は、見沼通船堀 東縁第二の関から北に向かい、「浦和くらしの博物館民家園」にて昼食の休憩となった。
 「浦和くらしの博物館民家園」は、7棟の伝統的な建物を移築・復元して公開している。


登録有形文化財
第11-0003号

この建造物は貴重な国民的財産です。

文化庁

 
 

旧浦和市農業協同組合三室支所倉庫
 
 
登録有形文化財        
平成9年7月30日登録      
旧所在地 さいたま市三室   
寄贈者  旧浦和市農業協同組合
建立年代 大 正 8 年    

 この倉庫は、栃木県小山市内で大正8年にかんぴょう問屋の倉庫として建築され、昭和31年に旧浦和市農業協同組合三室支所(現さいたま農業協同組合三室支所)に移築され、政府指定米穀倉庫として使用されていたものです。これを旧浦和市が寄贈を受け平成6年度に移築復元しました。
 大谷石土蔵造りで、間口27.27m、奥行き7.27m、高さ9mで、トラス小屋組の寄せ棟で屋根が瓦葺きとなっています。内部は中央で仕切られ二部屋となり、それぞれ均整の取れたアーチ形の入口が設けられています。市内では農業協同組合の倉庫として数棟しられていますが、この倉庫は年代も古く建築技術も立派であり、登録有形文化財に登録されました。
 

木曽呂の富士塚

 
 ”「緑の大地を拓く運河」ウオーク”のコースは、浦和くらしの博物館民家園から南に向かい、見沼通船堀 東縁仮り締め切りまで戻り、トイレ休憩となった。。
 途中、「見沼みちくさ道路」という道を通ったが、道路脇の草原でラジコンヘリコプターを飛ばしている人達を見かけた。ここが、ラジコンヘリコプターを飛ばせる名所なのかも知れない。
 
 通船堀の反対側の小高い所に「木曽呂の富士塚」というものがあるらしいが、こちらには立ち寄らなかった。
 
 富士塚とは、富士山信仰に基づき、老若男女が誰でも富士登山ができるように、富士山を模して造られた人工の山や塚のことで、木曽呂の富士塚は、寛永12年(1800)の築造で、国指定重要有形民俗文化財となっているという。
 


西福寺

 
 ”「緑の大地を拓く運河」ウオーク”のコースは、県道に沿って東に約3km進み、西福寺が一次解散地に設定されていた。
 
 一部の参加者はここで解散し、最寄りの戸塚安行駅(埼玉高速鉄道)に向かった。

西福寺
所在地川口市大字西立野

 西福寺は、真言宗豊山派の寺で、弘仁年間(810〜824)に弘法大師が国家鎮護のため創建したと伝えられる古刹である。寺内には三重塔と観音堂がある。
 ここの三重塔は、三代将軍家光公の長女千代姫が奉建したもので、高さ約23メートルあり、県下では一番高い木造の建造物である。棟札銘文によると、この塔は、元禄6年(1693)3月27日に建立完成されたもので、かつては、櫓を組んで塔の頂上まで参詣者に登らせた時もあったが、現在では廃止されている。塔は、鉄製の釘を一本も使わず細工によって作り上げてあり、構造は方三間で、一層の天井から真上に一本の柱をたて、その柱から、二層、三層の屋根に梁を渡しバランスをとって、風にも地震にも耐えるように工夫されている。一層の天井近くにある「蟇股」には、十二支を表す動物の彫刻が刻まれ、方向を示している。
 また、入口正面にある観音堂には、西国、板東、秩父札所の百の観音像が安置され、この一堂に参詣すれば、百か所の観音霊場を参詣したと同じだけの功徳(御利益)があるとされ、春秋の行楽シーズンには、多くの参詣者で賑わうところである。
 昭和58年3月
埼玉県
 


赤山城跡


 ”「緑の大地を拓く運河」ウオーク”では、次のポイントである赤山城跡に立ち寄った。
 城跡といっても、堀の跡が残っているのみであった。
 

赤山城跡
所在地 川口市大字赤山

 伊奈氏は、家康の関東入国ととともに鴻巣・小室領一万石を給され、熊蔵忠次以後12代にわたって関東郡代職にあり、関八州の幕領を管轄し、貢税、水利、新田開発等にあたった。三代忠冶の時に、赤山領として幕府から七千石を賜り、寛永6年(1629)に小室(現北足立郡伊奈街)から赤山の地に陣屋を移した。これが赤山城で、以来10代163年間伊奈氏が居城したものであるが、現在では、東側に堀と土塁を一部残すのみである。
 城跡の南方に隣接する源長寺は、伊奈氏の菩提寺として、4代忠克以後の代々の墓があり、5代忠常建立の頌徳碑には、忠次、忠政、忠治の業績が刻まれている。
 昭和58年3月
埼玉県
 

金剛寺

 
 ”「緑の大地を拓く運河」ウオーク”の最後の中継ポイントが金剛寺であった。
 この附近では、植木を栽培している業者を多く見かけるが、この金剛寺には、「安行苗木開発の祖」の吉田紺権之丞の墓があるとのこと。
 

金剛寺
所在地 川口市大字安行吉岡

 金剛寺は、曹洞宗の寺で、明応5年(1496)に中田安西入道安行が開基したと伝えられ、寺名も安行が金剛経を信奉していたことに由来している。
 この寺は、かつては僧侶修行道場の格式をもっていたが、現在では「お灸の寺」として広く知られている。
 ここの墓地には、「安行苗木開発の祖」として知られている吉田紺権之丞の墓がある。小松石で作られた舟形の墓石で、棹石の高さ67.5センチメートル、幅32センチメートルで中央に観音立像が肉彫りされ、向かって左側に「元禄16癸未年7月朔日」右側に法名の「蔭清禅定門」と刻まれている。
 吉田権之丞の人となりについては、文献等の資料がないのではっきりしないが、言い伝えによると、権之丞は、若い時から草花や文才に趣味を持ち、珍しい草木を集めてこの地に栽培したところ、土質・風土が適合し、その育成がよかったので、これらの苗木の育成に当たったという。権之丞の子孫である吉田家は、現在も安行地区で植木業を営んでいる。
 昭和58年3月
埼玉県
 


  金剛寺の次はゴールの川口緑化センターで、「緑の大地を拓く運河」ウオーク”は終了した。
 ここから、また少し歩いて戸塚安行駅まで行き、帰宅した。
 
 「産業遺産ウオーキング大会」とはいいながら、産業遺産と言えるものが少なかった大会と感じた。

植木の開祖
吉田紺権之丞翁記念碑