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国王の親族や女官の生活の場であった正殿裏側のエリア(御内原)へと通じる門です。 創建は15世紀頃ですが、昭和初期に櫓が撤去され、石積と石畳は沖縄戦で破壊されました。発掘調査でその遺構が確認され、2000(平成12)年に復元されました。 石積の色が途中で違っているのは、もともとの遺構の上に、新たに石を積んで復元してあるためです。 |
瑞泉門前の龍樋とならんで首里城内の重要な水源でした。生活用水のほかに防火用水としても利用されたといわれています。 あふれ出た水は地中のみぞを通り、久慶門の外側の左右から再び地中に入り、門の向かい側にある円鑑池に抜けました。円鑑池が満水になるとさらに龍潭に注ぎました。このことから首里城の排水処理の一端を知ることができます。 |
別名「ほこり御門」ともいいます。「ほこり」は歓会門の別名「あまへ(よろこび)」と対となっていて、「よろこびほこる」の意味になります。 歓会門が正門であったのに対し、ここは通用門でおもに女性が利用したといわれています。また国王が寺院にお参りするときや北の地方に行幸するときなどにも使われました。 地形の関係でこの周辺は城内に降った雨が地下水として湧き出てくる場所にあたります。 沖縄戦で焼失。1983(昭和58)年に復元されました。 |