東人の出戻り浜生活諸国点描沖縄県沖縄県(4)


沖縄県(4)


首里城

 沖縄での仕事が終わり、帰りの飛行機までには時間があったので、首里城に立ち寄った。
 
守礼門   【更新】(2008/06/16)
園比屋武御獄石門   【更新】(2008/07/14)
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右掖門   【新着】(2008/12/28)
寒水川樋川   【新着】(2009/01/06)
久慶門   【新着】(2009/01/26)
琉球大学跡   【新着】(2009/02/22)
 
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右掖門

   正殿内部の見学コースは北殿に出口があり、その後は帰路のルートを辿り、いくつかの門を通過した。
 



右掖門  Uekimon

 
 国王の親族や女官の生活の場であった正殿裏側のエリア(御内原)へと通じる門です。 
 創建は15世紀頃ですが、昭和初期に櫓が撤去され、石積と石畳は沖縄戦で破壊されました。発掘調査でその遺構が確認され、2000(平成12)年に復元されました。
 石積の色が途中で違っているのは、もともとの遺構の上に、新たに石を積んで復元してあるためです。
 

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寒水川樋川

   ここから水が湧き出し、首里城の水源となっていたとのこと。
 



寒水川樋川  Sunga-hija

 
 瑞泉門前の龍樋とならんで首里城内の重要な水源でした。生活用水のほかに防火用水としても利用されたといわれています。
 あふれ出た水は地中のみぞを通り、久慶門の外側の左右から再び地中に入り、門の向かい側にある円鑑池に抜けました。円鑑池が満水になるとさらに龍潭に注ぎました。このことから首里城の排水処理の一端を知ることができます。
 

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久慶門

   

久慶門  Kyukeimon

 
 別名「ほこり御門」ともいいます。「ほこり」は歓会門の別名「あまへ(よろこび)」と対となっていて、「よろこびほこる」の意味になります。
 歓会門が正門であったのに対し、ここは通用門でおもに女性が利用したといわれています。また国王が寺院にお参りするときや北の地方に行幸するときなどにも使われました。 地形の関係でこの周辺は城内に降った雨が地下水として湧き出てくる場所にあたります。
 沖縄戦で焼失。1983(昭和58)年に復元されました。
 

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琉球大学跡

   「琉球大学跡」の碑が建っていた。
 琉球大学は1950年に、この首里城跡の敷地に設置されて開学された。
 その後、首里城再現のための工事が始まり、1977年から1984年にかけて現在のキャンパスと上原キャンパスに移転されたという。

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