漏刻とは、中国語で水時計という意味です。この門の上の櫓の中に水で時間をはかる水槽(水時計)が設置されていました。門をすぎた広場には日時計があり、その二つで時刻をはかり、太鼓をたたいて時を知らせました。 別名「かご居せ御門」ともいいます。駕籠で登城することを許されている身分の高い役人も、国王に敬意を表しこの門で駕籠から下りたということからそのように呼ばれました。 創建は15世紀頃。老朽化のため昭和初期には撤去されていたものを1992(平成4)年に復元しました。 |
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次の門は、建物と繋がった門で広福門という名前がついていた。
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首里森(すいむい)とは首里城の別称で、御獄(うたき)とは沖縄の聖地または拝所のことです。琉球の神話では、この御獄は髪が造った聖地であり、首里城内でもっとも格式の高い拝所の一つです。城内にはここをふくめて「十獄(とたけ)」と呼ばれる10カ所の拝所があったといわれています。 国王が城外の寺社に出かけるときにこの御獄で祈りをささげ、神女たちが多くの儀礼を行いました。 石積内の植物はガジュマルやクロツグです。1997(平成9)年に復元されました。 |
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北殿 | 南殿・番所 |
正殿は「百浦添御殿」と呼ばれ、首里城の中心的な施設である。建物は3階建で、1階(下庫理)は国王みずから政治や儀式を執り行う場所、2階(大庫理)は国王や親族、神女たちが儀式などを行う場所、3階は通風を目的とした屋根裏部屋であった。 正殿の建築は、ところどころに中国の宮殿建築の影響が見受けられるが、構造や細部の意匠に日本の建築様式を取り入れており、琉球独特の表現となっている。 発掘調査から、14世紀末の創建と推定されている。その後現在の位置で数度の焼失、再建が繰り返されてきた。 復元された建物は18世紀初めに再建され、沖縄戦で焼失するまで残っていた正殿をモデルにしたものである。 |