東人の出戻り浜生活諸国点描山梨甲府(2)


甲府(2)


東光寺

   甲斐 善光寺から少し西側に歩いたところに府中五山の一つに定められた名刹の東光寺がある。
 
 東光寺は、保安2年(1121)に新羅三郎義光が建立した密教の興国寺にはじまるといわれている。
 弘長3年(1263)に鎌倉建長寺を開山した、蘭渓道隆禅師(らんけいどうりゅうぜんじ)が入山し、荒廃した諸堂を修復し、禅刹として再興した。
 天正10年(1582)には、織田信長に焼かれたが、この時の兵火から奇蹟的に免れた仏殿(薬師堂)が中世の宋様式建築の姿をとどめて重要文化財となっている。


 
 国指定重要文化財
東光寺仏殿
昭和2年4月25日指定
甲府市東光寺町1947
東光寺 所有

 東光寺は、蘭渓道隆によって鎌倉時代に再興された臨済宗の寺である。
 仏殿は、天正10年(1582)の織田信長の兵火及び昭和20年(1945)の戦災を免れて今日に伝えられたもので、建築年次は明らかでないが、様式からみて室町時代の建築とされている。 
 桁行三間、梁間三間、裳階つきで、裳階部分が改造され、外観の変更を余儀なくされているが、低い墓壇・竿縁の天井・裳階の角柱・窓・引戸などの部分に、大陸の建築が日本化する過程を示し、清白寺仏殿(山梨市)、最恩寺仏殿(富沢町)と並んで中世禅宗様建築を知る上で貴重である。
 昭和32年解体修理がおこなわれた。

 昭和49年12月1日
山梨県教育委員会
甲府市教育委員会
 

 
 山梨県指定 名勝
東光寺庭園
甲府市東光寺町194番地
東光寺所有
昭和54年3月31日指定

 この庭園は広さ約1,485平方メートル
 法堂の裏手にのびる山畔を活かして上部に組まれた雄渾な中央滝を主景にして左右に展開する石組みをみせ、枯れ流れの末端に変化に富む護岸石組みの燵池をたたえた、坐視的池泉観賞庭園として傑出するものである。
 とくに滝石組みの手法は京都の天竜寺・信濃の光前寺庭園など、寛元4年(1246)来朝した中国の僧蘭渓道隆に関係ある寺院のそれに共通するところから、東光寺の中興開山道隆(大覚禅師)の手になるものと推定され、従来の回遊式庭園から一変して縦の線を強調した禅庭の基準ともみられ、その後の築庭に至大な影響を及ぼしたと考えられる名園である。
 
 
昭和56年3月1日
山梨県教育委員会
甲府市教育委員会
 
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能成寺

 東光寺から、南の方向に少し行った所に能成寺という、これも甲府五山の一つに数えられている寺があった。
 入口の門柱には、武田菱と共に「定林山能成禅寺」と書かれ、こちらが正式な寺の名称であろう。
 

やまなしの歴史文化公園  北山野道

能成寺

 定林山能成寺は、臨済宗妙心寺派に属し、甲府五山の一つに数えられている名刹です。
 開基はは、甲府の守護武田信守、開山は名僧業海本浄で南北朝時代に小石和筋八代村(現在の八代町)に創建されたと言われ、今は八代町指定の史跡「能成寺跡」として、残されています。
 戦国時代、武田信玄が府中に移し、さらに文禄年間(1590代)の甲府城築城の時に、現在地に移転したと寺記は伝えています。
 伽藍は、江戸時代末(嘉永4年)の火災や甲府空襲で失われてしまいましたが、昭和61年に本堂を再建しました。
 境内には、芭蕉の句碑や龍の伝説を刻んだ宿能池の碑も見られ、忠臣蔵で有名な赤穂藩の家老、大野九郎兵衛の墓と伝えられる墓碑もあります。  

甲府市・甲府市教育委員会
 
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長禅寺

 身延線に乗って甲府を立つと、沿線に大きな寺門の建物が目につく。
 これが、臨済宗妙心寺派の名刹の瑞雲山 長禅寺であった。
 
 長禅寺は信玄の母・大井夫人の菩提寺で、甲府五山の筆頭寺とされ、ここで信玄が儒学、修禅、治国の基本を学んだといわれる。


 長禅寺の梵鐘は縦に長い独特の形をしていた。
 
 長禅寺は、東西に塔を構える大きな寺院であった。
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