東人の出戻り生活家族の暮らし


 このページは、東人の新居浜生活新居浜の暮らしの続編となります。
 
 

    
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カナリヤ

 
 家内と娘がカナリヤを買ってきた。
 娘はペットを飼いたいということを言っていたが、犬や猫は世話が面倒であり、飼ったことは無かった。せいぜい、金魚ぐらいのものであったが、それも死んでしまった。
 
 買ってきたのは白いカナリアのつがいであった。
 20〜25℃の温度で育ったカナリヤとのことで、温度調節用のヒーターも買ってきた。
 最近のペットは、甘やかされて育っているのだろうか。
 
 このカナリヤの名前について、家族の意見が分かれた。
 娘は、「長谷川さん」と「服部さん」。
 家内は、「マティウス」と「ロゼ」。
 私は、「ゴンベエ」と「タネ」。
 「夢之介」と「夢子」という意見も出たが決まらない。
 
 その後、家内は「ピーちゃん」「チーちゃん」と世間並みの名前で呼ぶようになったが、どちらが「ピーちゃん」なのかと聞いても、上の方にいるのが「ピーちゃん」などと言っていた。
 


羽田空港

 
 津田沼に住居を構えたお陰で、羽田空港への交通手段にバスを利用することもできるようになった。
 船橋に居た頃は、総武快速線で品川まで行き、京浜急行で羽田空港に行くのに1時間を超えた時間を要した。
 津田沼からも同じルートで羽田空港に行けるが、直通のバスの便もある。
 バスは交通渋滞の影響も受けるが、1時間前後で羽田空港に到着する。
 


水汲み

 愛媛県の新居浜に住んでいた頃は、隣の西条市まで18リットルのポリタンクを車に積んで「うちぬき水」を採りに行っていた。
 この水は電気ポットに入れて、お湯にしてコーヒーなどを飲んでいた。
 
 愛媛から船橋に越した後は、このような水を汲みに行けるところは当然無かった。
 水道の蛇口に浄水器をつけて使用していた。
 
 津田沼に引っ越してから、新しいマンションの台所の水道には従来のような浄水器は取り付けられなかった。
 浄水器をつけるには、別途外付けの浄水器を設置するしか方法が無いようだ。
 新しい住まいは、イオン津田沼ショッピングセンターに近くなった。
 ここのイオンでは、ミネラル水の販売機が置いてある。
 2リットル \50で販売するものであるが、イオンカード会員は無料ということで、料金を入れて購入する人は見たことがない。
  
 この販売機の水を採りに行った。
 普通のペットボトルでは、口が細くて販売機にセットするのが難しい。  専用の太口のペットボトルは有料で販売していた。
 専用ペットボトルを購入し、イオンカードでミネラル水を入れた。
 
 その後、数本のペットボトルを用意し、空になると水汲みにでかける日々が続いている。


通勤電車

 津田沼に引っ越してから、総武線の快速電車で通勤することになった。
 今までは船橋から乗っていた電車であるが、津田沼から乗ると空いているようにも感じた。
 丁度、通勤を始めたのがお盆の時期であったため、なおさら空いているように感じた。
 お盆が終わると、やはり混雑した電車であった。
 しかし、津田沼から乗ると、車両の奥の方まで行けて、空いた網棚にカバンを置くことができる。
 船橋から乗っていた頃には、電車に乗ることが精一杯で、荷物を持ちながらドアの近くに立ち、駅に停車する度に乗り降りの人の流れに翻弄されていた。
 この面で、少しは楽になったようだ。
 荷物を網棚に置けるので、混雑が極点に達するまでは新聞も読んでいられる。
  
 津田沼からは始発電車も出ている。駅で並んで待っていれば始発電車に乗ることもでき、運が良ければ座席に座ることもできる。
 電車に乗る時間は少し長くなったが、通勤は少し楽になった。


夏の引っ越し

 2005年の8月8日に、当家は船橋から習志野市の津田沼に引っ越しをした。
 2年前、愛媛県の新居浜から船橋に引っ越しした時も夏であった。
 夏の引っ越しには辛いものがある。
 引っ越しの前日の晩から、クーラーや冷蔵庫は使用できない。
 暑い中を我慢しての梱包作業が、殆ど徹夜で続く。
 冷蔵庫代わりにアイスボックスを用意していたが、これで冷やせるものには限度がある。
 数本の飲み物を冷やしておいた。
 アイスボックス用に水を入れたペットボトルを大量に凍らせて氷を作っていたが、その氷も朝には殆ど溶けていた。
 
 朝になり、引っ越し作業が始まった。
 業者は次から次へと荷物を運び出し、昼頃には搬出は終了した。
 
 前回の引っ越しは、新居浜で荷物を送り出して、翌々日に船橋の住居に搬入したが、今回は送り出しと搬入は同日であり、荷物の搬出が終わったら直ぐに津田沼まで移動して受け入れの準備をしなければならない。
 
 昼に少し休んで食事をしてから搬入が始まった。
 新しい住まいの方はクーラーが既に設置されていたので少しは楽であった。
 次から次へと荷物が運び込まれる。
 引っ越し業者の人の体力には感心する。
 テレビが運び込まれたので接続を試みた。テレビをつけると、郵政民営化法案が参議院で否決されたことが報道されていた。
 午後の3時頃に搬入は完了し、引っ越し業者の人は帰っていった。
 この時間になっても、次の引っ越しの仕事があるとのことで、少し辛そうであった。
 
 運び込まれた段ボールの山から、必要なものを探し出す日々が続いた。


転居

 新居浜から船橋に転居して2年ほど経った。
 この度、また転居することになった。
 
 これまで、何度か引っ越しをしてきた。
  就職をして、生まれ育った神奈川県平塚市から群馬県安中市の寮へ・・・約5年
  転職して、千葉県市川市の寮へ・・・約5年
  寮を出て市川市内の借り上げ社宅へ・・・約2年
  結婚して、市川市内の借り上げ社宅へ・・・約2年
  転勤により、愛媛県新居浜市の社宅へ・・・約8年
  退職して、新居浜の賃貸マンションへ・・・約1年
  関東での仕事が決まり、船橋の賃貸マンションへ・・・約2年
 
 これで8回目の引っ越しとなる。
 今回は、自分で見つけた住居への引っ越しで、多分、これが最後の引っ越しとなるだろう。
 ということで、2005年の8月初旬に、船橋を去り習志野市の津田沼に転居することとなった。
 
 駅としては、船橋より千葉寄りとなり、通勤には遠くなるようだが、駅までの距離が近くなり、通勤時間は変わらないだろう。
 娘も、電車で中学校に通学するようになり、便利になるだろう。
 駅の近くには、買い物をする場所も多く、家内も楽になるだろう。
 家族の新しい生活が始まることになる。


電車通学

 娘が中学に入り、電車で通学することになった。
 船橋から総武線の各駅停車で上り方面に向かう電車に乗ることになった。
 
 そんな電車通学が始まってから約1週間した頃、夜に帰宅すると娘から尋ねられた。
 「船橋駅の1番線から出る電車で、別の所に行く電車もあるの?」
 それを聞いて、ハッとした。
 時々、「地下鉄東西線経由」と書かれた電車を見かけることがあった。
 
 娘の乗った電車は、西船橋に停車した後、次に停車したのが下総中山では無く浦安であったとのこと。
 娘は、浦安から引き返して西船橋に戻り、総武線に乗り換えて学校に行き、約20分の遅刻であったそうだ。
  
 東西線乗り入れの電車で西船橋の次の停車駅が浦安であることより、通勤快速であったようだ。
 時刻表で確認すると、確かに通勤快速がその時間にあった。
 総武線に乗り入れする東西線の通勤快速は、1日に2本しか無いものであった。
 
 娘の通うことになった中学では、3回遅刻すると親が呼び出される規則になっている。
 呼び出される日が近いような気がする。


インフルエンザ

 2005年の3月の初めに娘がインフルエンザに感染した。
 丁度この頃、娘の中学の受験と重なってしまった。
 娘の受けた学校は、3回の入試の機会があった。
 1日目は、保健室で受験したが不調であった。
 2日目は、申し込みはしていたが受験せずに家で寝ていた。
 父親は出張で福井県に出かけなければならなかった。
 3日目の試験を受けたかどうかも知らないままで、福井で仕事をしていた。
 夕方、娘から電話が入った。
 「今度はお母さんがインフルエンザに罹って入院した。それから、学校に受かった」とのこと。
 3日目の試験も保健室で受けて、それでも合格したとのこと。それにしても、家内が入院したとのことで驚いた。
 
 福井から帰宅したのは深夜であった。
 娘は起きていたが、色々なことがあって疲れたと言っていた。
 
 翌日には家内は退院して帰ってきた。


物干し竿

 新居浜の社宅では、軒下にある物干し金具の間隔が広く、4mの長さの物干し竿でなければ届かなかった。
 社宅から引っ越すにあたり、物干し竿は置いていっても良いと思っていたが、引っ越しが終わってみると、荷物と一緒に物干し竿も届いていた。
 同じように、関東に引っ越す時もこの物干し竿がついてきた。
 
 都会の小さいマンションでは、長すぎるものである。
 ベランダの物干し金具に竿を通すのにも苦労した。  物干し金具からはみ出すほどの物干し竿を今でも使っている。
 
 はみ出した物干し竿の部分に、夏の頃に風鈴を吊しておいた。
 暫くの間、そのままにしていたが、12月頃に娘に言われた。
 「お願い!。恥ずかしいから、風鈴を外して!」。
 当家のベランダからは、冬になっても風鈴の音が聞こえていたのであった。


通信簿

 娘は2学期の始めから転校したが、学習の進め方の違いから習っていないことがテストに出ることもあったそうだ。
 転校時は、学習進度のギャップから、成績は少し悪くなっても仕方のないことかとも思った。
 
 2学期が終わり、転校してから初めての通信簿を貰ってきた。
 最近の通信簿は科目毎に評価点はつかず、科目の学習項目毎に評価が記されている。
 こちらでは、「たいへんよい」「よい」「もう少し」の3評価であった。
 転校前の新居浜市立惣開小学校では「よくがんばっている」「がんばっている」「もう少しがんばろう」という表現であったが、やはり3段階評価であった。
 
 貰ってきた通信簿を見ると、前の学校の時に比べて良い評価が多くなっているように感じた。
 娘が転校してから急に成績が良くなったとは考えられない。
 これは評価レベルの違いであろう。都会の小学校ではかなり甘い評価がされているとしか考えられない。
 
 こちらの小学校の授業時間や進め方などに疑問をもっていたが、通信簿の評価を見ても、新居浜の小学校の方が教育レベルが高かったということを実感した。
 


電気製品

 2002年に新居浜市内で引っ越しをし、その翌年に新居浜から関東に引っ越ししたが、今回の引っ越しでは電器製品の不調が発生した。
 
 使用していたエアコン2台も取り外して運んだ。
 このマンションはエアコンが取り付けられる穴のあるのは南側の洋室と和室のみでり、北側の洋室にはエアコンを取り付ける穴が無く、南側の和室と洋室にそれぞれ1台づつ取り付けることにした。
 
 和室に取り付けたエアコンは正常に作動したが、洋室のエアコンは取り付けても動かなかった。
 このマンションの構造から、洋室のエアコンで隣接したリビングも冷暖房しなければならない。
 取り付け作業に来た作業員は寿命だという。
 引っ越しは真夏であり、エアコンが効かないと生活がしづらい。
 仕方なく、エアコンを新規に購入した。
 
 また、冷蔵庫の能力が低下し、アイスクリームを冷凍室に入れても溶けてしまう。
 これも10年以上使っていたものである。
 秋葉原に行き、冷蔵庫を見てみたが、比較的安く売られていたものがあり購入した。
 最近の冷蔵庫は冷凍室が下についているようだ。氷も自動で製氷されて落ちてくる。
 この冷蔵庫は結婚した時に家内が買ったものであった。あれから10年以上経ったので寿命であろう。
 冷蔵庫などの電気製品は古くなったら買い換えれば新しくなるのだが・・・・・。


新学期

 夏休みが終わり、娘が新しい小学校に通うようになった。
 転校した初日は二学期の始業式の日でもあり、娘は全校生徒の前で紹介され挨拶をしたそうだ。
 
 同じ日に、他校から転任になった先生がいて、その先生も挨拶したらしい。
 驚いたことに、その転任してきた先生も、新居浜の出身の人とのことであった。
 

 始業式の翌日から、学校の給食が始まったようだ。
 夏休み中に見学した際に案内してくれた先生が、「ここの給食は美味しいと評判なんですよ。」と言っていた。
 
 娘にどちらの給食が美味しいか尋ねてみると、娘は何のためらいもなく「新居浜(の惣開小学校)」と答えた。


娘の四国弁

  船橋市に引っ越してきて、荷物の整理をしている時、外で子供の叫び声が聞こえた。
 娘は「オラビヨル」(叫んでいる)と、四国弁で言った。
 関東で「オラビヨル」と言っても、絶対に通じない。
 学校に行くようになるまでには、関東の言葉に直るだろうか心配していたが、夏休みの間は、家の中では四国の言葉で過ごしていた。