◆バージニア州の雑学(トリビア)
- ”バージニア”という州名は、16世紀イギリスのエリザベス1世の別名
"Virgin Queen(バージンクイーン)"に由来する。
- ジェームスタウンはイギリス系最初の入植地であり、当初、バージニア植民地政府が置かれていた(州都の変遷)。北米初のサンクスギビング(感謝祭)が行われたのは1619年のこと。
- バージニアの主力農産物はタバコであり、タバコ製造産業関係者も多い。
- ジェームズタウンでは、当初、養蚕が行われ、絹が当時のイギリス王ジェームズ1世の宮廷向けに輸出されていた。桑の葉を枯れさせるカビのために桑の木が全滅したため、代わりの商品作物として、タバコが栽培されるようになった。
- バージニア州出身の大統領は8人。初代ジョージ・ワシントン(1789-1797年)、第3代トーマス・ジェファーソン(1801-1809年)、第4代マディソン(1809-1817年)、第5代モンロー(1817-1825年)、第9代ハリソン(1841年)、第10代タイラー(1841-1845年)、第12代テーラー(1849-1850年)、第28代ウィルソン(1913-1921年)。
- トーマス・ジェファーソンは、バージニア大学(世界遺産)の設立にかかわったほか、同大学のあるシャーロッツビルに隠居するため、自らの家を設計した。この邸宅は、モンティセロ(Monticello)として、現在一般に公開されている(筆者注:モンティセロは国立公園局管理でないため、入場料はかなり高いです。1人10ドル以上)
- ジョージ・ワシントンの家は、マウントバーノン(Mount
Vernon)にある。
- アーリントン郡(カウンティ)は、1791年にワシントンDCの一部として連邦地区となったが、住民投票の結果、バージニア州に返還された(関連コラム)。
- ジョン・F・ケネディの墓や、戦没者一般を祀(まつ)る「無名戦士の墓」がある国立アーリントン墓地は、その、返還されたアーリントンにある。
- 同じくアーリントンにあるアメリカ国防総省(ペンタゴン)は、世界最大のオフィスビル建物内部の電話線の総延長は、10万km以上に及ぶ。
- ワシントンDCの空の表玄関であるダレス国際空港もバージニア州内。ここは世界屈指の発着数の多い空港。
- アメリカ独立戦争は、1781年、バージニア州ヨークタウンの戦いで米仏連合軍が、コーンウォリス率いるイギリス軍を降伏させたことで、アメリカ側の勝利が決定的となった。
- 独立当初、ケンタッキー州とウェストバージニア州は、バージニア州の一部だった。テネシー州は「平和的な分離」だが、ウェストバージニア州は、南北戦争中にバージニア州内の北軍支持派が「独立」したもの。
- バージニア州都のリッチモンドは、南北戦争中、南軍の「首都」があった。
- 南北戦争で南軍を指揮したリー将軍は、1865年4月9日、アッポマトックス郡庁舎(Appomattox Court
House)で北軍のグラント将軍に降伏し、南北戦争が終結した。
- 南北戦争中の4000の戦いのうち、過半数の2200がバージニア州内で戦われたもの。このため、州内には南北戦争関連の史跡が数多い。
- 1884年の1年間だけ、リッチモンドに「リッチモンド・バージニアンズ」という大リーグの球団があった。
- 1888年、リッチモンドで設立されたユニオン・パッセンジャー・レイルウェイは、アメリカではじめて、市内電車の会社として経営的に成功を収めた。
- バージニア州の就労者の4人に1人は政府関係機関で働いており、この比率は米国内トップ。一方、民間部門で最も就労者が多いのは、世界最大の造船所。
- ノーフォークには、アメリカ大西洋艦隊の母港と、NATOの大西洋本部がある。黒船で有名なペリーもここから出航した(関連コラム)。
- バージニア州の伝統的な都市は州都リッチモンドやノーフォークだが、現在、州内最大の都市はバージニアビーチ。
-
チェサピーク湾横断道路は、橋とトンネルの長さの合計が28kmと、橋とトンネルの組み合わせとしては世界最長。ちなみに、東京湾アクアラインは総延長15kmだが、トンネル部分だけの比較だと、アクアラインが世界最長の海底自動車トンネル(9.5km)となる。
- シンコティーグ島(Chincoteague Island)には、世界唯一の牡蠣(カキ)博物館がある。
- ブリストル(Bristol)は、街のメインストリートがバージニア州とテネシー州の境界になっている。そのため、中心部は同一化している市役所や関係機関は2つずつある。
- アメリカではじめてピーナツが栽培されたのはバージニア州。
|