右の地図はワシントンDC(黄色い部分)ですが、正方形をポトマック川で切り取ったような形になっています。
なぜかというと…
アメリカ独立後、最初の首都はニューヨーク、さらにフィラデルフィアと移りましたが、いずれも「仮の首都」であり、恒久的な首都の確定は建国以来の懸案でした。南部の諸州からは、できるだけ首都は南に建設すべき…という強い意見が出されていました。そこで、妥協案として1791年に南部と北部の中間、具体的には、メリーランド州の南端とバージニア州の北端(現在のアーリントン+アレキサンドリア)を連邦が譲り受け、10マイル(約16km)四方の「正方形」の土地が、ワシントンDCとして開かれました。1800年には正式に首都に定められました(したがって、初代大統領ワシントンは、DCのホワイトハウスには入っていません)。
しかし、旧バージニア州側(川の南側)に政府機関はほとんど設置されず、ポトマック川北岸の旧メリーランド側のみが発展しました(…といっても人口2万人台です)。不遇のポトマック川南側の住民から、バージニア州への帰属変更運動が起き、連邦議会の議決を経て、1846年にバージニア州へ返還されました。
この結果、現在のDCは南半分の約3割が切り取られているのです。返還された領域の大部分が、現在のアーリントンに当たります。2001年の同時多発テロの標的となった国防総省(ペンタゴン)、ケネディ元大統領も眠るアーリントン墓地があります。
[アメリカ大陸地理情報館・目次へ]
|