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横須賀市指定史跡
灯明堂跡(浦賀灯明堂)
昭和43年2月10日指定
復元なった浦賀灯明堂の建つこの場所は、江戸時代に浦賀港の入口、灯明崎に建っていた灯明堂の跡地である。
灯明堂は、今日の灯台のような役割をする航路標識の施設であった。灯明堂は、慶安元年(1648)幕府の命によって、幕吏石川六左エ門重勝や能勢小十郎頼隆らが築造したと伝えられている。石垣を土台として、上に二階建ての建物があった。階下は番人小屋で、階上は四方を紙張障子とその上に金網をめぐらしてあった。その中には、直径36.4センチ、深さ12.2センチの銅製の大きな灯明皿が置かれ、一晩に灯心百筋と菜種油一升(1.8リットル)が灯され、その光は四海里(7.2キロメートル)に達したという。
当初は勘定奉行の所管となっていたが、後に浦賀奉行に所管替えとなり明治になり神奈川府の所管となった。経費は元禄3年(1690)までは徳川幕府が賄っていたが、同4年からは東浦賀の干鰯問屋が一切を負担するようになった。
明治5年(1872)4月に廃止になるまで、約220年間にわたって一日も休まず夜間の海上安全の守り役として活躍し、我が国の灯台史の上で極めて貴重なものである。建物は明治20年代まで残っていたというが風雨で崩壊してしまい、一抱えもある大きな石で高さ役1.8メートル、幅3.6メートル四方に組み合わされた「切り込みハギ石垣」だけが残された。
灯明堂跡は大正13年3月国の史跡に仮指定されたが、太平洋戦争後解除され、昭和43年2月に市の史跡に指定された。この石垣を利用して、浦賀灯明堂が近代建築の技術の枠を結集して当時の姿そのままに復元された。
(起工 昭和63年10月、竣工 平成元年3月)
所在地 | 横須賀市西浦賀町六丁目四六番地 |
竣工年月日 | 平成元年3月10日 |
敷地面積 | 2,724.95m2 |
建物面積 | 9m2 |
建物構造 | 鉄筋コンクリート二層平屋建
CRC製木目模様外壁 |
横須賀市教育委員会
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