東人の出戻り浜生活諸国点描山口県柳井


柳井


白壁の町並み

 
 山口県の柳井市には、白壁の街並みという、古い街並みが保存されていた。


柳井津 白壁の町並み

 柳井は既に室町時代に大内氏の東の要港として重きをなしていました。
 寛文3年(1663)から干拓が進み、諸国から商人が集まって店舗を構えましたが、ここ古市・金屋あたりが最も古く市がたち、商業の中心地として栄えました。
 この白壁の町並みは、元禄時代以降の典型的な町屋造りがしのばれます。
 


 柳井市は降りただけで古い町だと知れた。・・・
 珍しい町の風景だ。近年、こういう古めかしい場所がだんだん少なくなっている。 世に有名なのは、伊豆の下田と備中の倉敷だが、ここにもそれに負けないような土蔵造りの家が並んでいる。歩いている人間も静かなものだし、店の暗い奥にすわっている商人の姿も、まるで明治時代からの習慣を受けついでいるような格好であった。

松本清張「花実のない森」
「白壁と川のある街」より
 

柳井名産甘露醤油の醤油蔵

 天明年間(1780年代)に当地の醸造家高田伝兵衛が創製した芳香にして美味なる醤油を時の藩主に献上したところ「甘露 甘露」と賞賛されたのがその名の由来です。
 醤油づくりに適した柳井の風土の中で、2年以上の歳月をかけて、じっくりと仕上げたその味は天下一品です。現在市内に3軒の蔵元があり、全国各地に出荷されています。
 
 

国指定重要文化財
国森家住宅

 国森家住宅は、明和5年(1768)にこの町筋が火災で類焼し、その後間もなく建てられたと伝えられます。柳井津商家町を代表する美しい白壁の土蔵造りです。 国森家は1800年頃から油商を営む豪商になりました。
 家の中央に四天柱風の柱を立てて、二重梁の和小屋を組み、二階は商品庫でした。
 店先に土戸をはめる仕組など防火の工夫がされています。
 
 
 白壁の街並みは、川の近くにあるため、このような標識を見かけた。

 かにが路上を 横切ります 人も車もご注意を

掛屋小路

 この道は掛屋小路といい、この前の町筋に掛屋という金融業を営んだ商家がありました。
 その屋号をとって名付けられました。
 緑橋の石段のところで荷揚げした商品を運んだ道でもあります。
  白壁の町なかを散歩するのに心静まるところです。
 
 
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旧周防銀行本店

 
 白壁の街並みの近くで、古い建物を見かけた。
 これは旧周防銀行本店で、現在は柳井市町並み資料館になっているとのこと。

柳井市町並み資料館 旧周防銀行本店

 平成12年12月20日 国登録有形文化財登録

 明治40年(1907)に建築されたこの建物は、日本銀行技師の長野宇平治が古典主義様式を確立する以前の作品で、実施設計は長野建築事務所の佐藤節雄の手によるものです。
 県内でも最も古い銀行建築で、外観はモルタル塗りで洋風を呈し、正面玄関のアーチや薄く張り出したバルコニーは旧状をよく伝えています。
 平成10年、株式会社山口銀行より寄贈を受け復元工事を行いました。
 旧周防銀行本店の玄関脇に、国木田独歩の像があった。
 国木田独歩は柳井市に住んでいたことがあったとのことで、その家も保存されていた。

国木田独歩の像

山本辰昭・作


 明治の文豪・国木田独歩(1871〜1908)は、20歳から23歳までの多感な青年期を父母とともに、ここ柳井で過ごしました。「柳井」を国許と呼び、帰国するとか、帰省するなどと記しています。20歳の一時期、この付近に家を借り、住んでいました。
 数ある作品の中で、短編「少年の悲哀」「置土産」は柳井での生活がモチーフになっています。
 ここに建つ像は、22歳の頃の写真をもとに製作したものです。銘板の「山林に自由存す」は、独歩の直筆を複製し刻んだものです。
 
読書の戒

書を読むは多きを 
貧るにあらず 
唯章句熟読を要す 
静思すること久しければ 
義理自然に貫通す

     独歩
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