上杉鷹山公
(上杉家十代)窮乏の淵にあった米沢藩を、卓抜な発想と大胆な政策によって再建した江戸時代随一の名君として知られる。宝暦元年(1751)7月20日高鍋藩主秋月種美(3万石)の二男として誕生。幼名松三郎または直松。母は秋月藩黒田長貞の娘春姫。
春姫の母は(上杉家五代)上杉綱憲の娘である。宝暦10年、上杉重定(上杉九代)の養子に迎えられ、明和3年治憲と改名。翌4年17歳で米沢15万石の藩主となる。
幼少から折衷派の儒者細井平洲に師事し、実学一致の経世論を身につけた。藩主となるや大倹令・産業開発・藩校興譲館の創立・政務の革新等を断行し、隠居後も政務に参与して再建に努めた。米沢織・米沢鯉・深山和紙など鷹山の興した産業は現在に伝承されている。天明5年(1785)養子治広に家督を譲って隠居し、鷹山と号した。民主政治の原点を示した「伝国の辞」は、このとき新藩主治広に与えたものである。文政5年(1822)3月12日没。春秋七二。上杉家廟所に眠る。
追文
アメリカ合衆国第35代大統領J.F.ケネディが、日本人記者団の質問に「日本の政治家で最も尊敬しているのは上杉鷹山である」と答えたとは夙に有名である。
さらに最近では、わが国の行政改革の先駆者としての公の名は高まるばかりである。
わが郷土米沢が世界に誇れる偉人をさらに永く、広く人に知らしめるため、ここに「上杉鷹山公像」を建立したものである。
平成4年5月
米沢中央ライオンズクラブ
姉妹クラブ 上越中央ライオンズクラブ
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