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寒河江


寒河江という地名の由来

    
 山形から左沢(あてらざわ)線に乗り換え、約30分で寒河江駅に着く。左沢線は別名「フルーツライン」とも言われ、寒河江は さくらんぼ の産地であり、駅前のポストにも、さくらんぼ のモニュメントが乗っていた。
 
 寒河江の駅前に、「寒河江駅の駅名由来」が書いてあった。
 これによると、神奈川県の寒川に似たことからつけられた地名であった。
 寒川といえば、東人の故郷の平塚の近く。寒川神社にも遠足で行った記憶がある。
 寒河江には最上川と寒河江川という川があるが、その川岸には行っていないので、寒川付近の相模川とどこが似ているのかは確認できなかった。


寒河江駅の駅名由来

 寒河江という地名からは、川(河)に関係した地名であることは容易に想像することができますが、寒河江という地名は
 出羽の国が置かれた和銅5年(722)頃から、現在の神奈川県にある初詣で有名な寒川神社(さむかわじんじゃ)の近在からこの地に移住してきた人々が、古里の相模川流域とにていることから、またその自然に魅せられたことから「寒川」(さむかわ)と称したことが起源と言われており、すでに平安期の日記には、「寒河江」の地名がみられます。先住民たちの古里を強く思う気持ちとこの地を愛する気持ちが生んだ地名と言えます。
 語源は、「寒川」は川沿いが寒いことから、「江」は河川が増水するたびに入江を作ったことの名残からとされており、明治期から「寒河江」の文字が行政地名に定められました。

◆参考資料◆
■寒河江市史編纂委員 宇井啓氏
 


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丑町 滝田門観音堂

    
 

丑町 滝田門観音堂

 寒河江城の南西。いわゆる裏鬼門に祭られた観音堂。せき止められた沼川が滝のように流れたので滝田門という。本尊はこの地方切っての姿の美しい十一面観音像。藤原期とされる都で彫られた仏像。秘仏。
 寒河江が山形最上義光領となり、その夫人大崎氏が長男義康・二男家親をつれて寒河江に移り住んだ時に伝えられたという。もと正覚寺の隠居所。代官松本氏。月の17日が観音講。8月10日は十カ所詣で賑わう。
寒河江ロータリークラブ
 

  沼川を堰き止めて、滝のように流れたので滝田とよんだ。
 山形城主最上義光公の正室大崎夫人が信仰した十一面観音を祭り、毎年8月10日は「十ヶ所参り」で賑わう。
  
パンフレット「歩いてみよう さがえ駅前」より

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熊野神社の「大かつら」

    寒河江城が構築されたころから生えている、目通りの周囲が4.2メートル、樹齢約600年の大樹。寒河江市の天然記念物。
  
パンフレット「歩いてみよう さがえ駅前」より

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陽春院 桑名藩士の墓

    
 

寒河江市指定史跡

 明治戊辰戦役戦没者埋葬地
曹洞宗建徳山陽春院

1 旧桑名藩士 19名
1. 戦没 明治元年9月20年
1. 発掘 昭和36年3月11日
1. 桑名に分骨 昭和38年4月7日
寒河江市教育委員会
 

 寒河江15代城主大江親廣(戦国時代)の菩提所。
 戊辰戦争で薩長軍と戦った桑名藩士19名の墓があり、寒河江市の指定史跡。
 将軍延命地蔵が祭られ7月24日が縁日。
  
パンフレット「歩いてみよう さがえ駅前」より

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