寒河江という地名からは、川(河)に関係した地名であることは容易に想像することができますが、寒河江という地名は 出羽の国が置かれた和銅5年(722)頃から、現在の神奈川県にある初詣で有名な寒川神社(さむかわじんじゃ)の近在からこの地に移住してきた人々が、古里の相模川流域とにていることから、またその自然に魅せられたことから「寒川」(さむかわ)と称したことが起源と言われており、すでに平安期の日記には、「寒河江」の地名がみられます。先住民たちの古里を強く思う気持ちとこの地を愛する気持ちが生んだ地名と言えます。 語源は、「寒川」は川沿いが寒いことから、「江」は河川が増水するたびに入江を作ったことの名残からとされており、明治期から「寒河江」の文字が行政地名に定められました。 ◆参考資料◆ ■寒河江市史編纂委員 宇井啓氏 |
寒河江城の南西。いわゆる裏鬼門に祭られた観音堂。せき止められた沼川が滝のように流れたので滝田門という。本尊はこの地方切っての姿の美しい十一面観音像。藤原期とされる都で彫られた仏像。秘仏。 寒河江が山形最上義光領となり、その夫人大崎氏が長男義康・二男家親をつれて寒河江に移り住んだ時に伝えられたという。もと正覚寺の隠居所。代官松本氏。月の17日が観音講。8月10日は十カ所詣で賑わう。 寒河江ロータリークラブ
|
明治戊辰戦役戦没者埋葬地 曹洞宗建徳山陽春院
1 旧桑名藩士 19名 1. 戦没 明治元年9月20年 1. 発掘 昭和36年3月11日 1. 桑名に分骨 昭和38年4月7日 寒河江市教育委員会
|