東人の出戻り浜生活産業遺産動輪

動輪


C57 第2動輪

 静岡県の焼津駅前にSLの動輪が設置されていた。
 

鉄 道 100 年 記 念
 
 

 鉄道の敷設は明治5年に始まり明治22年に至って東海道本線が開通した  
 当時の焼津の原は一変して今や日本を代表する水産都市に発展したが我々はこの間鉄道による恩恵を忘れることはできない  
 父祖の代まで肩荷で売り捌かれていたに過ぎない水産物は俄に京大阪へとその販路が拡大されるようになった
 今次の世界第二次大戦によって壊滅的打撃を受けた焼津の水産業は鉄道により再び蘇生し今日に至っている
 ここに鉄道百年を記念し碑を建立して関係者の功績を顕彰するものである

  昭和47年10月14日
焼 津 水 産 物 出 荷 組 合
焼津魚仲買人水産加工業共同組合
焼 津 漁 業 共 同 組 合
増井久志書
 


鉄道開通100年記念
蒸気機関車動輪
(C57146  第2動輪)
重量 3326kg  直径175cm


我が焼津市は 日本を代表する水産都市に発展した 
我々はこの間鉄道による恩恵を忘れる事は出来ない
ここに鉄道百年を記念し 機関車の動輪を設置して
関係者の功績を顕彰するものである。

昭和47年10月10日
焼津水産物出荷組合
焼津魚仲買人水産加工業共同組合
 

D51 第4動輪

   新潟県の直江津駅南口に設置されている動輪。
 

この動輪は「陸の王者」として「貴婦人・C57」と共に、長年にわたり皆様に親しまれ主として直江津・長野間で活躍した「D51型式蒸気機関車」の第4動輪です
 
   
D51型式蒸気機関車

●製造開始  昭和11年 ●製造車輌  1,115両
  国鉄SLの中でも最多数
●全長   19m73cm ●総重量   125トン
●高さ   3m98cm ●最大馬力  1,280PS
●最高速度   85km/h ●動輪の直径  1m40cm
●動輪1双の重量  2.2トン


29600 動輪

   福井県敦賀駅前に設置されている動輪。
 「29600」のプレートがついていた。
 これは「9600形」の蒸気機関車で、9600から番号がつけられ9699まで達した後に19600となり、19699の次の番号が29600から付けられたものらしい。
 
 この敦賀駅の動輪は、今では赤錆にまみれた状態になっているらしい。
 


 この動輪は敦賀駅開業100周年を記念して設置したものであり、地元敦賀市と国鉄が両輪となって力強く200年を目指して邁進することを象徴しています。
昭和57年3月 敦賀駅長
 


千葉機関区の跡

   JR千葉駅と京成の千葉駅の間に動輪が展示されていた。
 「千葉機関区の跡」の説明があったが、この動輪がどの機関車のものかは触れられていなかった。
 

千葉機関区の跡

 
 千葉機関区は大正9年7月この地に開設してから40年余り蒸気機関車基地として輸送任務の重責を果たしてきた。
 戦前は鉄道連隊の実地教育の大任をにない戦後においては国鉄近代化のさきがけとして気動車要員の育成に努め昭和29年優良業務機関として国鉄総裁表彰の栄誉をうけた
 しかしながら太平洋戦争中の昭和20年6月空爆にあい職員動員学徒ら23名の尊い犠牲者が礎となってこの地に眠っている
 年移り昭和36年1月戦災復興計画と輸送の近代化に伴い閉鎖されたものである
 ここに有志相よって往時を追憶し殉職者の霊を慰め且つまた先人の遺業を永久にとどめるため記念碑を建立するものである。