東人の出戻り浜生活産業遺産「首都と橋の歴史」ウオーク

「首都と橋の歴史」ウオーク


 2006年12月16日、NIKKEI産業遺産ウオーキング大会 ”「首都と橋の歴史」ウオーク”に参加して、日比谷公園で集合し、月島、門前仲町、日本橋を経て皇居の二重橋前まで歩いた。

旧新橋停車場


 ”「首都と橋の歴史」ウオーク”は日比谷公園からスタートして、新橋駅近くを経由して、旧新橋停車場に立ち寄った。

 ここは以前にも来たことのある場所であったが、プラットフォームなど、以前の写真と比べると華やかになっていた。
 

勝鬨橋

 
 ”「首都と橋の歴史」ウオーク”は勝鬨橋を渡って月島に入った。

 昭和15年に竣工した勝鬨橋は、有名な跳開橋であったが、橋が開いた時に交通渋滞を引き起こすことにより、昭和45年からは開かずに橋になっている。
 
 勝鬨橋の脇には「かちどき橋の資料館」があるが、ここは元は橋の開閉を行うための電気室であったらしく、発電機や制御盤が残され、展示されている。


相生橋

 
 月島に入ってから北東に向かい、中央区と江東区の境のある相生橋を渡った。

相生橋

 相生橋は、隅田川派川に架かる橋で、上流の永代橋に相対する橋として名付けられました。
 型式は、大正8年に市電を通すため改築した先々代の橋の姿にならいトラス橋としました。
 トラス橋は、細長い部材を三角形に組みたてて橋桁とした橋です。
 新しい相生橋は、隅田川の中の島公園とともに多くの人々の憩いの場として親しまれるよう整備しました。
 橋の長さは149.1m、幅員36.8mです。
 平成10年12月19日に全線開通しました。
 


明治丸

 
 相生橋を渡った所に東京海洋大学・越中島キャンパス(旧 商船大学)があり、その校内に明治丸が展示されている。

 明治丸は、明治6年に英国ネピア造船所で完成した船で、明治9年に明治天皇が東北地方巡幸にて青森から函館経由で横浜に帰港するのに座乗した船とのこと。  明治天皇の横浜帰港の日が7月20日で、国民の祝日の「海の日」はこの日を記念して定められた。  明治丸は明治29年に商戦学校に移管さえ、教育訓練の場として活用され、昭和39年に記念船として陸揚げ固定されて現在に至っている。


 ”「首都と橋の歴史」ウオーク”では、東京海洋大学のキャンパス内で昼食の休憩をとった。
 当日は、明治丸の内部は公開していなかったが、東京海洋大学のご好意によりウオーキング大会のために公開し、説明の人も手配していただいた。


第一観測台

 
 東京海洋大学・越中島キャンパス(旧 商船大学)の門近くに、変わった建物が目についた。

 傍らの説明によると、第一観測台という天文台のあった建物とのこと。



第一観測台(経緯儀室または赤道儀室)
八角形二階建煉瓦造 建坪8坪6合


 明治35年1月霊岸島校舎より越中島新校舎に移転した後の施設充実の一環として、明治36年6月に建設され、航海用天体歴の研究用および航海天文学教授用として使用された記念建造物で、内部には、当時としては最新鋭の東洋一といわれた7吋天体望遠鏡(Theodolite)を備え、望遠鏡は分銅式によって天体の運行に等しい速さで回転するようになっていた。
 屋根の半円形ドームは手動で360度の回転が可能であり窓は二重になっていた。
 昭和の初期までは時折り授業にも使用されたが、昭和10年頃以降は学生の同好会「天文部」部員の手により、天体の観測に利用されていた。
 昭和20年終戦直後、校舎を米進駐軍に占領された後内部施設も撤去され、現在は望遠鏡の台座が残っているに過ぎないが、輸入煉瓦造りの八角形の建物は貴重なものとされている。