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富山県


高岡市   土蔵造りの街並み 【新着】(2004/08/11)
  高岡御山車収蔵庫 【新着】(2004/12/01)
  高岡城址 【更新】(2005/03/16)
  瑞龍寺 【更新】(2009/01/31)
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土蔵造りの街並み

 富山県高岡市には、高岡御車山を所有する町の総称として山町筋といわれる土蔵造りの街並みがある。
 
 高岡で明治33年(1900)に大火が起こり、市域の6割が焼失した。
 復旧にあたっては、富山県建築規則により防火構造の土蔵造りとすることが義務付けられた。この山町筋の建物の多くは、この大火後に建てられたものである。
 
 この土蔵造りの街並みは、平成12年12月に高岡市山町筋重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
 

重要文化財 菅野家住宅 明治35年築

高岡市土蔵造りのまち資料館
(高岡市指定文化財)旧室崎家住宅 明治41年築
富山銀行

旧高岡共立銀行本店。 、大正4年築
日本銀行本店東京駅と同じ辰野金吾による設計


高岡御山車収蔵庫

   雪が降り積もる高岡の市内を歩いていると、こんな建物があった。

重要有形民俗文化財

高岡御山車収蔵庫

 
建築主体 高岡市   
   完工 昭和38年8月吉日
 
    
 高岡御山車祭りは、毎年5月1日に市内中心部を山車が練り歩く祭りとして知られる。
 この祭りは、前田利長が豊臣秀吉から拝領した山車を、高岡の職人に手を加えさせて城下を曳き廻らさせたのが始まりと云われている。

 高岡御車山は7基あるとのことであるが、この収蔵庫の扉も7つあり、ここに全ての山車が保管されているようだ。
 

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高岡城址

   
 高岡大仏からさらに進むと高岡城址に行き着く。
 高岡城は加賀100万石の2代藩主・前田利長が築いた城であるが、今は堀と石垣は残っているが城の建物は何もなく、高岡古城公園となっている。
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高岡城跡 石垣

 高岡城は元和元年(1615年)廃城となったが、当時の城壁の名残として、二の丸と本丸を結ぶこの地に土橋の石垣が見られる。
 この石垣の石にはいろいろな文字や文様が刻印されており、キリシタンに関係があるという説もあるが、石工が石を切り出した時につけた目印だと韓がえられる。
 石垣の積み方は乱積みという素朴ながら堅固な方法を用いている。
高岡市
 
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瑞龍寺

 雪の降る季節に高岡で仕事があり、早朝に瑞龍寺まで歩いてみた。
 

高岡山 瑞龍寺沿革

 曹洞宗高岡山瑞龍寺は加賀藩二代藩主前田利長公の菩提を弔うため三代藩主利津常公によって建立された寺である。
 利長公は高岡城を築城し、この地で亡くなった。
 加賀百二十万石を譲られた異母弟利常公はその恩を感じ、時の名匠山上善右衛門嘉広をして禅宗建築の七堂伽藍を完備し、広山悠陽禅師をもって開山とされた。
 造営は正保年間から、利長公の五十回忌の寛文三年(1663)まで約二十年の歳月を要して完成した。
 当時、寺域は三万六千坪(約十 万八千平方米)で周囲に濠をめぐらし、まさに城郭の姿を想わせるものがあった。平成九年、山門、仏殿、法堂が国宝に指定され、禅堂、大庫裏、大茶堂、回廊が重文に追加指定となり江戸時代を代表する禅宗建築として高く評価されている。
 
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