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![]() 反射炉跡 |
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時代を見据え、技術立国日本を目指した、斉彬の思い 1840年代、薩摩藩は開国・通商を求めるヨーロッパ諸国のはげしい外圧にさらされ、いちはやく近代化に着手しました。 特に、嘉永4年(1851)、薩摩藩主となった島津斉彬は、ヨーロッパの国々のような強く豊かな日本を夢見て、集成館事業というひじょうにスケールの大きな近代化産業を推進しました。 集成館事業は、鹿児島県城下郊外の磯に築かれた構造群「集成館」を中核に、製鉄・造船・造砲・紡績・機械・印刷・出版・教育・製薬・精糖・ガラス・ガス・医療などさまざまな分野にわたっています。 幕府や他藩の近代化が、軍事力の強化を主体としていたのに対し、集成館事業の場合は産業の育成や社会基盤の整備にまで及んでいました。 人々が豊かに暮らせるようになれば自然とまとまる。人の和はどんな軍備よりも勝ると斉彬が考えたからです。 斉彬は幕府や藩といった枠を越え、日本人が一丸となって近代国家を築くべきだと主張していました。集成館事業は、薩摩藩だけでなく、日本全体を生まれ変わらせたいという斉彬の思いのこもった大きな事業だったのです。 |