東人の出戻り浜生活産業遺産産業遺産(3)

産業遺産(3)


新永間市街線高架橋

 明治5(1872)年に新橋停車場が設けられ、明治18年には上野停車場が設けられた。
 この南北の停車場を高架鉄道で結ぼうという計画のもと、芝区新銭座町(港区浜松町付近)から麹町区永楽町(千代田区丸の内)の区間の工事が着手された。
 銭座と楽町を結ぶ路線であることから新永間市街線高架橋と言われた。
 
 世界各国の高架橋を比較検討し、ベルリンの高架鉄道で用いられている煉瓦アーチ式高架橋が採用された。
 
 品川〜烏森(新橋) :明治42年開通
 烏森〜有楽町    :明治43年開通
 有楽町〜呉服橋(仮):明治43年開通
 有楽町〜東京    :大正3年開通

 煉瓦アーチ式高架橋が確認できるのは山手線の西側部分のみであるが、今ではそのアーチの下に飲食店などが入っている。
 
 

浜離宮前踏切

 

 浜離宮の近く、鉄道の線路の無い歩道上に信号機を見かけた。

 脇に、

 銀座に残された唯一の鉄道信号機
 
と表示してあった。
 
 

浜離宮前踏切  説明

所在地 中央区銀座八丁目21番1号先


 この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987)1月31日までの56年間、国鉄汐留駅と東京都中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。
 最盛時には、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止と共に引込線も撤去されることになりました。しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。
昭和62年(1987)12月
 


保存理由


 元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架かっていました。
 汐留駅は、わが国の鉄道開業当時における始発駅の新橋駅でしたが、大正3年 (1914)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。大震災後、築地に東京中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に貨物運搬のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。
 都民の暮らしの台所を支えて来たこの信号機を、国鉄廃止に当たり捨て去られるのにしのびず、東京中央卸売市場、東京都第一事業所並びに中央区教育委員会、地元各位の多大な御協力に依り。ここに永久保存されることになりました。
 昭和32年(1987)12月
                             
銀座御門通り会
銀座金春通り会
 


半田駅 跨線橋

 
 愛知県のJR半田駅で電車を降りると、跨線橋の中に説明書きがあった。
 JRでは最古の跨線橋とのこと。

開駅 明治19年3月(1886)
このこ線橋は、明治43年
11月に完成 
JRでは最古
の橋です。
  昭和62年11月  半田駅長
 

 
 「JRでは」と強調しているが、全国では、さらに古い跨線橋があるのかもしれない。

磐田駅 跨線橋支柱

 
 静岡県の磐田駅の脇に、旧跨線橋の支柱が保存されていた。

 この柱は磐田駅が中泉駅と呼ばれていた当時、大正4年に跨線橋(ホームと駅舎の連絡通路)の柱として建てられたもので、日本国有鉄道終焉の年。昭和61の7月まで使用されていました。
 「明治44年」「鉄道院」「川崎造船所製造」の刻印があります。
 大変貴重なもので、旧跨線橋が取り壊される際に保存されました。
 


鉄道連隊跡

 
 津田沼の駅前一帯には、終戦までは鉄道連隊があったという。
 
 津田沼から松戸までを結んでいる新京成線も、かつては鉄道連隊の演習線の敷地で、この敷地で各種軌道幅の鉄道敷設演習が行われていたとのこと。
 
 津田沼にはJRの大きな習志野電車区があるが、これも、鉄道技術の拠点として整備された施設を継承したものであろう。
 
 
鉄道連隊跡

 日本の鉄道隊は、明治28年(1895年)、日清戦争における臨時鉄道隊の編成に始まり、同29年、東京牛込に常設され鉄道大隊となりました。同39年、習志野に派遣隊がおかれ、津田沼-三山間の演習線が敷設されると、翌年、連隊の編制が始まりました。
 これにともない津田沼は、第三大隊が千葉より転営し、翌40年、材料廠がおかれて、軍の鉄道敷設演習の拠点となりました。
 演習線は、明治44年に千葉-津田沼間が敷設され、大正7年(1917年)には津田沼-松戸間もほぼ完成しました。同年、連隊の編制替が行われ津田沼には鉄道第二連隊がおかれました。
 第二次世界大戦後、連隊跡地は千葉工業大学・県立千葉工業高校などの教育施設に利用され、、昭和22年(1947年)には、松戸線の軌道敷を利用して津田沼-薬円台間に新京成線が開通しました。
 その後、国鉄津田沼駅北口にあった高校は商業用地にかわり、南口駅前にあった市立第一中学校や仲よし幼稚園は、サンペデック・津田沼公園・文化ホールなどに生まれかわり本市の表玄関となっています。
 
習志野市教育委員会
              
 

工大の煉瓦門

 津田沼の駅近くに千葉工業大学があるが、その門が登録有形文化財となっていた。
 
登録有形文化財
第12-0007号
この建造物は貴重な国民的財産です。
文化庁

 
 この門は明治40年(1907年)当地に移駐した陸軍鉄道連隊第三大隊(大正7年に鉄道第二連隊に改組)兵舎の表門として使用されていたものです。
 第2次大戦後、ここが千葉工業大学の校地になった後も、「工大の煉瓦門」として親しまれています。
 平成10年5月、国の登録有形文化財に指定されました。
 わが国の私立工業系大学で最も古い歴史を持つ本学のシンボルとして長く保存していきましょう。
 
千葉工業大学              
 

K2形 機関車

 津田沼のイトーヨーカドーとJRの線路の間に津田沼一丁目公園という小さな公園があり、そこに小型の蒸気機関車が保存されていた。
 
K2形 機関車134号

 
 この蒸気機関車は、かつて、ここ津田沼に本部を置いていた陸軍鉄道第2連隊が使用していたもので、現在の新京成線敷内にあった陸軍演習線での機関車として活躍したものです。
 この度、西武鉄道潟ネスコ村に保存してあったものを譲り受け、鉄道連隊ゆかりの、この津田沼一丁目公園に設置したものです。
平成6年3月