市指定文化財(史跡)
鐘楼堂跡 附 和時計蜀山人筆
1966年(昭和41)2月22日指定
江戸時代、徳川幕府は船橋に大砲試射場を設けた。享保年間(1716〜1720)にはこの了源寺の脇に射撃の小屋が建てられ、谷津・藤崎方面へ向かって大砲射撃を行った。
射撃場を廃止した後、砲台の台座のあった場所に鐘楼堂が建てられ、幕府から「時の鐘」として公許された。その後、明治4年(1871)に廃止されるまで船橋一帯に時を告げていた。
その「時」の基準といわれるのが等寺に保存されている和時計である。この和時計は真鍮製で、江戸時代中期1780年より前に作られたものと推定されている。
蜀山人大田南畝(1749〜1823)は江戸時代を代表する狂歌・洒落本・滑稽本の作者で船橋宿で時の鐘の音を聞いて詠んだ狂歌入りの掛け軸が、当寺に残されている。
煩悩の眠りをさます時のかね
きくやわたりに船橋の寺
1992年3月
船橋市教育委員会
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