CUBA キューバのアルバム


ハバナ港着岸ハバナ港路 キューバのハバナ港に到着

ハバナ港は天然の良港で外海から写真の水路で入る。
キリストの像は印象的、水路は要塞に適していた。

ハバナは要塞の都市であった。港に入る水路の両側にはスペイン時代の立派な要塞がある。スペインはハバナを最重要基地として最後まで守ってきた。
中南米から集めた金銀をハバナの要塞に集め、本船で本国へ輸送していたが、これを狙って海賊が襲撃してくる。
カリブの海賊がはびこっていた。
キューバの自動車はおんぼろ車である。
輸入は制限されているので古い車を整備しながら乗っている
どこの国でも都市の目抜き通には、
  自動車のショーウインドーがあるものだが、キューバにはない。

交通渋滞はないが、馬車や荷車を避けなければならない。
ガソリンスタンドは見当たらない。

観光バスは特別扱いらしく新車で他の国と変わらない。

市民はおんぼろトラックの荷台に鈴なりになっている。定期便バスの代わり。

中古車を路上で修理

高速道路の
    レストエリア風景

写真は砂糖黍畑と鉄道
キューバは山地がすくなく、耕地が多いが、海岸地帯はラグーンになっている。
果樹園も多い。ブドウ、オレンジの畑が続く。
農園には高い柱の上に大きなお椀を載せた施設が目に付く。
雨水をためて灌漑に使うものだ。
雨が少ないわけではないが、種まき、苗植えのときは天然灌漑では心もとないからだ。
キューバには人に危害を加える動物はいない。毒蛇がいない。小さなサソリが棲息しているが、さされても少し痒いだけである。
昔は大きな喬木が自生していたが、船舶用用材に伐採されてしまった。人口林を増やしつつある。
葉巻で有名なタバコ畑はこの辺りでは見かけない。山地にあるのだろう。
葉巻はシールがある正規品でないと国外に持ち出せない。
写真はハバナの反対側の海に面したシエンフエゴス
この町ははフランスの植民地だったので、洗練されている。
とは言っても中心部だけで回りは廃屋に近い住居ばかりだった。
中心部は保存されていて世界遺産になっている。
日本人移民の子孫の団体による歓迎式典
政治がらみで、アメリカ人は来ない。
中国人がその代わり来るらしい。
我々が訪れたときに世界遺産の登録が決まり、現地の人は興奮気味だった。
写真はシエンフエゴスの建物
キューバは物資の豊かな国ではないが、経済的に自立しており、医療、教育費は無料である。
シエフエゴスには立派な大学があり、医学部は近隣の国から多くの留学生を受け入れている。留学生も無償である。
シエンフエゴスのリゾートホテル
奥まった湾にあって波の静かな海
世界遺産・トリニダーはスペインの植民地時代の街をよく残している。
この階段の上の教会で夜にはカセドラ・ムシカがある。
写真の右手にはアンティーク博物館があり、植民地時代の豪邸の様子を残している。また、革命博物館にはその歴史を詳しく展示していた。ゲバラはなんと言っても人気の高い人物で、肖像画、写真がよく売れていた。
トリニダーの広場
ここも色彩豊かな建物はここだけで、周りは灰色の建物ばかりである。
トリニダーの旧市内は水道も普及せず。アンティーク博物館の手洗いは、いちいち女性がバケツの水を出してくれる。
カセドラ・ムシカ
ホテルは海岸のリゾートだったので夕食後バスで訪れた。
旧市街地は海賊に襲撃されないよう丘の上にあった。
トリニダーのホテル
ビーチはプライベートでないが、庭続き。
ハバナのレストランCASA DE AMISTAD
建物はフランスから取り寄せた材料を使い
、イタリアの大理石も敷き詰められて立派だが、
食事は口に合わなかった。
ハバナ革命広場と記念タワー
周りは政府関係の建物がある。
ハバナの旧市街地
教会の二つの塔は別々の時代に建てられ、宗派は異なるとのこと。
ハバナのフリーマーケット
民族楽器、衣装、装飾品、木彫りが売られ、身動きできない雑踏である。
マーケットの外には大砲が転がっていて、いかにも城砦の町らしい

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