拝殿再建之碑
当 子安神社は社伝によれば今から803年前即ち高倉天皇の御代 治承4年四月の創建にして以来祖孫相承けて朝に夕に広大な神恩を仰いて今日に至りました
たまたま昭和56年9月18日 拝殿が祝融の災厄に遭い 氏子一同は恐懼して協恭一心復興の議を決し之が委員会を組織 関係各役員は日夜心魂を傾けて力を効しました 式年大祭関係の二宮神社並に菊田神社より夫々多額の協賛をはじめ 氏子はもとより崇敬者よりも浄財を奉献さられ 総額金3700万円に及びました 斯して翌昭和57年1月 鉄筋コンクリート造12坪余 屋根は銅板葺として 工事を佐野工務店が金1800万円を以て請負 更に神輿二基は 宝くじ協会より児童健全育成資金としての助成金200万円を基に 金418万円にて購求 山車 太鼓一式は金200万円又参道に敷石を設け 石鳥居を建て 合わせて金480万円にて藤太郎総業有限会社と約し 氏子は労力を奉仕して境内を整備し全ての諸事業は総経費約3400万円を以て達成 本年4月30日竣工奉祝大祭を斎行いたしました
本日慈に役員一同と共に 青葉若葉に伊照り輝く新殿を仰いて 神威の弥高を拝し誠に感悦に堪えません ひたすら国の隆昌と世界の共存共栄と 氏子崇敬者の弥栄を祈念して 事業の概要を刻し 以て記念と致します
昭和58年5月吉日 子安神社宮司 田久保敦利 謹誌
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