東金街道は、慶長19年(1614)に徳川家康の命を受けた佐倉城主土井利勝によりつくられました。沿道九十数カ村に石高に応じた担当区間が割り振られ、昼夜の別なく25日間の短期日で完成させたといい伝えられ、別名「御成街道」・「提灯街道」・「一夜街道」とも呼ばれています。全長は約32キロメートル、起点の船橋大神宮付近には船橋御殿、終点の東金には東金御殿を設け、ほとんど一直線で結ばれています。将軍の鷹狩り道路としてつくられましたが、周辺諸大名や農民の動向などを知る目的もあったといわれ、築造されてから17年の間に家康・秀忠・家光の三代の将軍が計11回使用しました。 なお、南方70メートル地点の東西に走る古道は、東金街道がつくられるまで村々を結ぶ主要道路でした。 昭和56年3月 習志野市教育委員会
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藤崎交番前交差点の南側、正福寺の前に習志野市名木百選に選ばれたイチョウの樹があり、「大イチョウ・筆子の碑・弘文学校」の説明が掲げられていた。
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2002年11月15日指定 習志野市
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