東人の出戻り浜生活近隣散策習志野市(7)

菊田遊歩道

   
 習志野市役所に出かけたとき、市役所の食堂脇に「菊田遊歩道」と書かれた道を見つけた。
 
 これもハミングロードの一部のようだ。
 


 菊田遊歩道の片側は山の斜面になっていて木々が鬱蒼と茂っていた。
 途中に「鷺沼城址公園案内図」があり、城址公園の入り口があった。



 菊田遊歩道はここで終わる。

 終点近くの立ち入り禁止となっている土地に「R12号井 廃坑跡地」の標識を見かけた。
 このような廃坑跡は森林公園の近くでも見かけた。
 以前は、この辺りからも天然ガスが出ていたのだろう。

鷺沼城址公園



   菊田遊歩の途中にある「鷺沼城址公園案内図」のある所から斜面を登ると鷺沼城址公園に出る。

 広場と遊具のある公園で、「城址公園」という名前ではあるが、城の跡らしきものは見あたらない。
 しかし、埴輪の形をしたものが数カ所に置かれていた。
 
 公園の中に小さな建物があり、この中で古墳跡が保管されていた。
 説明板によると、これには「鷺沼古墳 B号墳」という名前がついていた。
 

習志野市指定史跡
鷺沼古墳 B号墳 箱式石棺
昭和51年7月16日指定
古墳時代後期

 
 鷺沼古墳は標高18mの八剣大の大地上にある数基の古墳からなる古墳群です。
 このうち城址公園内にある二基の古墳は昭和41年の調査で全長20唐25mの前方後円墳であることが確認されました。西側のA号墳から出土した埴輪は下総型円筒埴輪という下総地方独特の埴輪で、これをもとにA号墳は6世紀後半のものと推定されています。東側のB号墳は、前方部と後円部の境目あたりで発見された二基の石棺の造りや埴輪が立てられなかったことなどから6世紀末と推定されています。石棺のうち一基はすでに破壊されていましたが、もう一基は無事でした。
 この石棺は内のりの大きさがおよそ長さ2m、幅0.8m、深さ0.7mの箱式石棺で、南房総方面から運ばれたと考えられる砂岩・凝灰岩を金属製の交互で加工して造ったものです。
 もとは蓋石が覆っていました。石棺の中からは成年男子二体分の人骨片が発見され、直刀破片・土玉・鉄ぞく」・刀子などの副葬品も出土しました。
 この時代に鷺沼を本拠地とした豪族がいたということと、房総の他地域との関わりを示すたいへん貴重な遺跡です。           
習志野市
 


袖ヶ浦遊歩道

   
 菊田遊歩道の終点から、少し歩くと国道14号線の交差点に出る。
 この交差点から京葉線の新習志野駅に続く道の歩道が「袖ヶ浦遊歩道」らしい。

 これもハミングロードの一部のようだが、あまり特徴の無い歩道のように感じた。
 
 
 この道は羽田空港から津田沼に行くリムジンバスの通路にもなっているが、国道14号線との交差点近くで信号待ちしている時に、やや大きな動物の姿を確認した。
 その場所に行ってみると、囲いが設けられて山羊が飼われていた。
 山羊は、食事ばかりして、人の事は見向きもしない。「
 愛想の悪い山羊と感じた。
 
 この柵に看板があり、この山羊がビリーという名であることが書かれていた。
 
 昔はウィリーという雌山羊も居たようであるが、今はビリーのみである。

 看板の字は、一部消えていて判読不明であった。

ボク ビリー

 おなかがいたくなるので
........と.........しか食べては.........って
お医者さんからいわれています。
よろちくおねがいします。