東人の出戻り浜生活近隣散策習志野市(6)

藤崎堀込貝塚



 
 藤崎森林公園の西側には畑地があるが、その中で大きな木が茂っている箇所があり、行ってみた。

 そこには鳥居があり、小さな富士塚が設けられていた。

 説明板があり、ここが貝塚であることが書かれていた。
 

 千葉県指定史跡
藤崎堀込貝塚
昭和42年3月7日指定
縄文時代中期〜後期


 藤崎堀込貝塚は縄文時代中期〜後期(放射炭素年代で約四千五百年前〜三千年前)の集落遺跡で、大規模な貝塚を伴っています。
 遺跡が位置する標高約20mの台地は、かつての菊田川とその支流の流れる谷に面していて、貝塚が作られた時代にはこの谷まで海が入りこんでいたと考えられています。
 この貝塚は縄文時代後期の人々が、食べたあとの貝殻・漁骨・獣骨などを捨てた跡で、貝の分布する範囲は南北およそ110m、東西およそ80mほどで、西が開いた馬蹄形をしています。貝の見られない周辺部にも、縄文時代中期から後期の住居跡が見つかっていて、このあたりが長期にわたって縄文人の生活の場であったことがわかっています。
 貝塚は、当時の人々が使ったり、捨てたりしたさまざまなものが残されていて、動物質の遺物の状態もよいので、過去の暮らしを知る上で、とても重要な情報を提供してくれます。
 これまでの調査で、この貝塚からは食用にしたと思われるイボキサゴ・オキアサリ・ハマグリなどの貝、マアジ・サバ・マイワシなどの魚骨、ニホンジカなどの獣骨のほか、縄文土器や石器(打製石斧、磨製石斧、磨石、石皿など)といった道具類も出土しています。
 藤崎堀込貝塚は都市近郊にありながら、貝塚のほぼ全域が大きな破壊を受けずに残ったきわめて数少ない遺跡です。そして、縄文人の生活とこの地域の歴史を明らかにする上でもたいへん貴重な遺跡ということができます。
 
習志野市教育委員会
 
   
 足下を見ると、確かに貝殻が散らばっていた。