東人の出戻り浜生活近隣散策習志野市(4)

鉄道連隊演習線跡

   
 京成の大久保駅の近くに、道路に沿って大きな樹木の生えたベルト状の土地が続いている。
 立て札があり、ここも鉄道連隊の演習線の跡地であることが書かれていた。
 
 津田沼から松戸を結んでいる現在の新京成線も鉄道連隊演習線であったとのことであるが、こちらは千葉の方に続く演習線とのこと。 
 
 

鉄道連隊演習線跡

 この地は、軍用演習線が走っていたところです。
 明治40年、陸軍は津田沼に鉄道連隊を配置し、占領地への軍用資材補給の円滑化を図る必要から演習線施設の計画を立てました。
 ルートは津田沼=松戸の区間と、津田沼=大久保三山新田=犢橋=千葉の区間で、総延長45キロメートル、大正7年頃にはほぼ完了しました。
 演習線の軌間は600ミリメートルで、施設や撤去・修理のほか運転の訓練も行われ、ここで教育を受けた将兵は、樺太の鉄道建設や支那事変などに出動しました。
 昭和56年3月  
習志野市教育委員会
 

   
 鉄道連隊の演習線の跡地は、津田沼警察署の裏附近でJRの線路から分岐するような形で始まる。
 
 
 
 
   
 「愛称:あじさいとおり」の標識を見かけた。
 
 鉄道連隊の演習線の跡地には、多くのアジサイが植えられている。
 


   
 この道には「ハミングロード」という名前がつけられていて、所々に説明の看板が設けられていた。



ハミングロードのおいたち

 習志野には明治から多くの軍関係施設が置かれ一大軍都を築いていました。
 戦後は運用地は掘り起こされた畑地となり軍用施設は一般住宅、学校等に改造されました。
 このハミングロードも軍用鉄道の跡地が今日、市民の施設として活用されているのです。
 

 

 習志野市ハミングロードのページ によると、ハミングロードは、複数の遊歩道、サイクリング道路、マラソン道路の総称のようだ。
 この辺りの鉄道連隊演習線跡地は、サイクリング道路となっていた。

 
 並木道として残っている演習線跡地は、京成大久保駅前を過ぎても暫く続いていた。