この地は、軍用演習線が走っていたところです。 明治40年、陸軍は津田沼に鉄道連隊を配置し、占領地への軍用資材補給の円滑化を図る必要から演習線施設の計画を立てました。 ルートは津田沼=松戸の区間と、津田沼=大久保三山新田=犢橋=千葉の区間で、総延長45キロメートル、大正7年頃にはほぼ完了しました。 演習線の軌間は600ミリメートルで、施設や撤去・修理のほか運転の訓練も行われ、ここで教育を受けた将兵は、樺太の鉄道建設や支那事変などに出動しました。 昭和56年3月 習志野市教育委員会
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習志野には明治から多くの軍関係施設が置かれ一大軍都を築いていました。 戦後は運用地は掘り起こされた畑地となり軍用施設は一般住宅、学校等に改造されました。 このハミングロードも軍用鉄道の跡地が今日、市民の施設として活用されているのです。 |