東人の出戻り浜生活近隣散策習志野市(1)

谷津干潟

 ラムサール条約登録湿地にされているという谷津干潟が、こんな近くにあるとのことで、出かけてみた。
 
 
 京成に谷津という駅があるので、ここが最寄りの駅であろうと思い、谷津駅から歩いていった。
 商店街を抜けると公園があり、「読売巨人軍発祥の地」の碑などがある。さらにバラ園などが続いている。
 1km近く歩いただろうか、やっと谷津干潟の見える所に出た。
 
 ここからも干潟は見られるが、自然観察センターは対岸にあるという。
 さらに、2〜3km歩くことになった。
  
 

 谷津干潟の周りには、このような野鳥観察用の窓の開いた観察場所が設置されていた。

国設谷津鳥獣保護区(特別保護地域)
(ラムサール条約登録湿地)

 ここは、シギ・チドリ類など、国境を越えて日本へ渡ってくる水鳥たちの集団渡来地として、昭和63年11月に国設鳥獣保護区に設定されました。
 また、特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地であることから、平成5年6月にラムサール条約の登録湿地となりました。
 この谷津干潟の保全と水鳥の保護に、ご理解・ご協力をお願いします。
環境庁
 

ラムサール条約(国際湿地条約)
Ramsar Treaty (International Wetlands Treaty)

 
 正式名称は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」といい、1971年にイランの地方都市ラムサールにおいて締結されたことよりラムサール条約と呼ばれています。国境とは関わりなく旅する渡り鳥を世界的規模で保護し、水鳥の生活を支える湿地を守ろうという条約なのです。条約上の湿地の定義は幅が広く、浅い海や河川、湖沼、水田など、見ずに関わる場所のほとんどが対象とされています。
 この条約の特徴は単なる規制による保全ではなく、人間と湿地が共生する「賢明な利用」が基本となっています。
 ここ谷津干潟は、特にシギ、チドリ類が多く訪れることから、1993年6月にラムサール条約登録湿地に指定されました。
 
登録湿地名 都道府県名 登録面積(ha) 登録年月
1 釧路湿原 北海道
7,863
1980.6
2 伊豆沼・内沼 宮城県
559
1985.9
3 クッチャロ湖 北海道
1,607
1989.7
4 ウトナイ湖 北海道
510
1991.12
5 霧多布湿原 北海道
2,504
1993.6
6 厚岸瑚・別寒辺牛湿原 北海道
4,896
1993.6
7 谷津干潟 千葉県
40
1993.6
8 片野鴨池 石川県
10
1993.6
9 琵琶湖 滋賀県
65,602
1993.6
10 佐潟 新潟県
76
1996.3
11 漫瑚 沖縄県
58
1999.5
12 宮島沼 北海道
41
2002.11
13 藤前干潟 愛知県
323
2002.11
   谷津干潟自然観察センターは京成谷津方面からは干潟の対岸になり、かなりの距離を歩かなければならなかった。
 内部には、野鳥を観察する望遠鏡が設置してあり、野鳥を楽に観察できる。
 
 帰りは、津田沼高校の前からバスで津田沼駅に行った。
 谷津干潟までの交通は、バスを利用するのが一番楽のようだ。
 
 
 谷津干潟自然観察センターのホームページ


谷津バラ園

 2007年6月末、谷津公園内を歩いていると、バラ園入口に「開花情報板」というものが表示され、「ただいま40%咲いています」とのこと。
 園内をのぞくと、バラの花が咲いているのが見えたので入園してみた。
 チッケット購入時に、最盛期は何時か聞いてみると5月頃とのこと。
 ここは、5月1日〜11月15日の入場料に対して、その他の期間は半額になるように設定されている。
 11月から4月までは花は殆ど咲いていないのだろう。
  
 開花40%とはいうものの、園内には多数のバラが咲いていた。
 
 ローズ・50ならしの
 市制50周年を記念し、誕生した習志野市のオリジナルなバラ
 



 2007年11月3日、谷津バラ園の入り口に、
 「ただいま満開 です」
と表示されていた。

 11月からは花は見られないものかと思っていたが意外であった。


伊藤新田(塩田)跡・谷津遊園跡

 谷津公園内のバラ園と谷津干潟の間に、少し干潟に突き出た土地があり、説明板が設置されていた。
 
 谷津遊園というのは、昔聞いたことはあったが、行ったことは無かった。
 今は公園になっているこの場所が遊園地であった。
 
 ここに塩田があったことは、知らなかった。
 

伊藤新田(塩田)跡・谷津遊園跡
  

 明治時代の中頃から大正時代はじめの間、この地には塩を作るための塩田がありました。
 津田沼村の初代村長だった伊藤彌一氏が中心となって開発されたものです。
 この塩田は入浜式塩田という種類です。堤防を築いて外部の海と区切り、堤防内に海水を取り入れて砂浜に散布し、天日によって水分を蒸発させて濃縮し、さらに釜に入れて煮詰めるという製塩方法で塩を作っていました。
 入浜式塩田は当時、行徳から谷津にかけての海岸で盛んに行われていました。
 しかし明治44年の暴風雨によって生産不能となり、さらに大正6年、大暴風雨と高潮に襲われ、復興不可能な状況となり閉鎖されました。

 大正14年、京成電気軌道株式会社(現京成電鉄株式会社)がこの地を買収し、谷津海岸遊園(のち谷津遊園)を開設しました。
 この遊園地は昭和57年12月に閉園されるまで、東京近郊でも有数の遊園地として多くの人々に親しまれました。
 また、この地には一時期、無声映画時代の阪妻撮影所や、プロ野球の読売巨人軍の最初のグラウンドがあり、アメリカ大リーグとの最初の日米親善野球の行われた場所としても知られています。

平成19年3月     
習志野市教育委員会