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水沢市(奥州市)   大安寺 【更新】(2010/05/31)
     
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大安寺

 水沢市は、市町村合併により、2006年2月20日から奥州市となっていた。
 東北線水沢駅近くに宿泊した時、早朝に市内を歩いた。

 市内の案内板にて、大安寺というお寺に、高野長英の墓があるとのことで、行ってみた。
 

【留守氏と大安寺】

 水沢市内の留守氏関係の寺には大安寺、増長寺、長光寺、大林寺の四寺がある。このうち大安寺は水沢留守氏の祖である宗利が、父政景の発願によって、その遺志を継いで慶長12年(1607)一関城の東方機織山に創建した。
 のち、三代水沢城主宗景以降、留守氏代々の菩提所となる。寺は寛永年間(1640頃)現在地に建立。貞享3年(1686)改築、以後数回にわたる消失と再建をくり返し、万延元年(1860)留守氏の祈願寺吉祥寺を移築して本堂とし、その後三回の修改築を行って今日にいたる。
 留守氏の墓は三か所にある。寺の東南方に宗景(水沢三代)、西南に村利(六代)、村儀(七代)各夫妻、さらに村善(八代)、村福(九代)の妻及び後妻、北に政景(宗利の父)及び殉死者四名と村景(五代)村福(九代)宗衡(十代)、邦命(十一代)、国寧(十二代)、基治(十三代)の各夫妻や基治生母と宗衡四男景平、ほかに側室や幼逝者の墓がある。なお、景福(十四代)以後の遺骨は同所の奥津城(留守家)に納められている。 
 大安寺の墓所は、日高神社境内の墓所とともに、水沢の歴史を理解する上で貴重なことから、昭和49年4月1日に水沢市有形文化財(史跡)に指定されている。
 水沢市
 

高野長英墓

 1839(天保10)年長英は、鎖国政策を批判する「夢物語」を書いて、幕府に弾圧され「蛮社の獄」で投獄されました。
 その後火災に乗じて逃亡生活のすえ、江戸で1850(嘉永3)年10月30日幕府の捕方に襲われ自決してその生涯を閉じました。
 国の将来を憂い、近代日本の魁となった高野長英の偉業と生涯は、今日もなを高い評価を受け顕彰されています。
 長英の著述書等58点が「歴史資料」として平成8年6月27日、国の重要文化財に指定され、高野長英記念館に保管展示されています。
水沢市
 
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