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群馬県


高崎市 高崎城 【更新】(2005/04/01)
     
長野原町 滝無不動尊・仁王像 【新着】(2008/04/16)
  八ツ場ダム建設予定地 【新着】(2009/09/23)
  川原湯温泉 【更新】(2010/01/10)
     
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高崎城

   群馬県の高崎駅の西側、現在の市役所や音楽センターなどのある地域に高崎城があった。
 
 堀や土塁および乾櫓などが残されている。
 
 乾櫓は北西(乾)にあった櫓とのことであるが、現在の位置は北東の角に位置するように設置されている。
 隣の東門と共に、ここに移築されたものとのこと。



 群馬県指定重要文化財
高崎城乾櫓

 
 高崎城の本丸は、烏川の畔りに近いところ(現在の日本たばこ産業倉庫、NTT別館付近)に土塁と堀をめぐらし、その四隅に、西側の土塁の中央に建てられた三層(三階建て)の櫓を取り囲むように四棟の隅櫓を配していた。その乾(北西)の角にあったのがこの櫓である。
 二層(二階建て)で、本瓦葺き入母屋造りの屋根をのせ、腰屋根をめぐらした平入りの建物であり、梁間二間(12尺)桁行三間(18尺)の規模である。外壁は柱を塗り込めた大壁で、白漆喰で仕上げている。現状は、初層(一階)の西壁(当時とは方位は逆)中央(中の間)に土戸を引く戸口を設け、初層のこの壁以外の三面と二層の四面には、それぞれ太い堅格子をはめた窓を二カ所ずつあけている。ところが、明治6(1873)年に、城内に置かれた東京鎮台高崎分署(15連隊の前身)を撮影した写真では、初層の正面(東壁)右の間に戸口があり、左の間には同様な窓一カ所が認められる。妻飾りは狐格子で、破風板に慧漁をかけている。
 高崎城の築城は、慶長3(1598)年、井伊直正によって着手されるが、その後、藩主は目まぐるしく替わり、元和5(1619)年に安藤重信が入部して、元禄8(1695)年まで三代にわたって在城し、城と城下町の整備にあたっている。享保(1716〜1736)ころの著作という「高崎城大意」には、三代の重博が、平屋の土蔵の様でしかなかった乾櫓を二層の櫓に改築したとの記事があるが、これと様式的に見ても矛盾はなく、17世紀末の建築と推定されている。
 その後、東門とともに下小鳥町の農家に払い下げられ納屋として利用されていたが、県重要文化財の指定にともなって、昭和54年この位置に移築復原された。初層の戸口の位置は納屋として使用されていた時期を踏襲しており、屋根瓦は当時の史料によって復原されたものである。両側の鉄砲狭間をあけた塗り込め塀は、修景のためのものである。

指定年月日 昭和49年9月6日
 
群馬県教育委員会
高崎市教育委員会
 
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滝無不動尊・仁王像

   群馬県の渋川駅で吾妻線に乗り換え、約1時間程で「長野原草津口」に到着する。
 ここは、草津温泉行きのバスへの乗換駅でもある。
 仕事でこの辺りに出かけた時、少し寂れた所で変わった石像を見かけて写真を撮ってあった。
 
 JR東日本の新幹線に置いてある「トランヴェール」という車内誌の2007年10月号を見ていると、「新幹線・その先の列車旅」というページで吾妻線を紹介していた。
 そこで、この石像のことが掲載されていた。

 滝無不動尊・仁王像という像で、「トランヴェール」誌にて、以下のような説明がされていた。

素朴ながらも味わい深い
小振りな「仁王さん」

滝無不動尊・仁王像

 小豆石と呼ばれる赤黒い石で作られた2体の金剛紳。周囲には石仏群もあり、不思議と心が落ち着く一角となっている。辺りの景色を眺めながら、旅の途中のひとときを過ごしたい。

○アクセス/長野原草津口駅から車で約10分
○問い合わせ/0279・82・4517(長野原町教育委員会)
 
 
 この近くを流れる吾妻川の下流側、川原湯温泉の近くで八ツ場(やんば)ダムの建設が進められている。
 ダムが完成するとこの辺りも水没するらしい。
 
 その後、この像は別の所に移設されていた。

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八ツ場ダム建設予定地

   
 長野原町での仕事で、何度かこの地域を訪れることがあったが、八ツ場(やんば)ダムの建設工事が随所で行われている地域である。
 訪れる度に、大きな橋の建設が進み、道が変わり、建物が移動していた。
 ダム本体の工事はまだ実施されていないが、付帯工事が盛んに進められていた。
 
 従来のダム工事は山奥に建設されるため、ダムに沈む家は少なかったようであるが、八ツ場ダムの場合は居住者の多い地域とのことで、広い代替地の造成、橋の建設、砂防ダムの設置、山の斜面の補強などの工事が進められていた。

 代替地では、一部の家の移転していた。
 JRの吾妻線も、対岸の高い場所にルート変更する工事が進められている。
 
 2009年9月、政権交代が起こり、新政権の民主党は八ツ場ダム建設の中止を公約としている。
 ダム建設がどのようになるか不確定となった。
 個人的には、、八ツ場ダムの建設工事は税金の無駄使いの一つと感じ、中止となっても仕方がないと思う。

 吾妻渓谷の景観は残し、過去の無計画な開発のモニュメントとして、これらの橋などが残されることになるのかもしれない。
 
 写真は、宿泊した川原湯温泉の宿からの風景。
 

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川原湯温泉

 
 長野原町での仕事で、何度か川原湯温泉に宿泊した。
 
 JR吾妻線の川原湯温泉駅が最寄りの交通機関になるが、駅前にはタクシー乗り場は無い。
 宿に連絡すれば迎えに来てくれるが、到着時間が遅くなると歩いていかなければならない。
 
 これまで宿泊した宿は、柏屋みよしやであるが、みよしやは2008年8月末で休館となっていた。

 この温泉街はダムに沈むということで、今でも営業している所は少ないが、古い温泉街が残っている。

川原湯温泉

 
泉温
71.6℃(調査時の気温25.5℃)
 
泉質
含硫黄−塩化物・硫酸塩温泉
(中性低張性高温泉)
 
禁忌症
急性疾患(特に熱のある場合)
活動性の結核、悪性腫瘍、
重い心臓病、呼吸不全、腎不全、
出血性疾患、高度の貧血、その他
一般的に病勢進行中の疾患
妊娠中(特に初期と末期)
 
適応症
神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩
運動麻痺、関節のこわばり、うちみ
くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性
病後回復期、疲労回復、健康増進
きりきず、やけど、慢性皮膚病
虚弱児童、慢性婦人病、動脈硬化症
 
詳しい分析表は玉湯の中に表示してあります。
川原湯温泉のやや高い所に足湯が設けられている。
ここは、ダムができても水没しない位置にあるようだった。

川原湯温泉 足湯

●温利用源泉
  川原湯温泉新湯

●温度
  源泉        79〜80℃
  利用場所(足湯) 39〜42℃

●泉質
  含硫黄−カルシウム・ナトリウム-塩化物・
  硫酸塩温泉(中性低張性高温泉)

●禁忌症・適応症及び入浴上の注意
  温泉を用い足を温めることで局所的な温熱効果が
  得られ、又、全身の血行がよくなることから筋肉
  などの新陳代謝を高めます。
  なお、皮膚の過敏な方は注意してください。

●その他の禁止事項
  ペット類の入浴は禁止です。
  源泉及び温泉の持ち出し、飲用は禁止です。
  階段の昇降にはご注意下さい。

川原湯区長
完成 平成16年6月
 足湯からさらに上がった所に、川原湯神社があった。
 傍らに、与謝野晶子の歌が掲げられていた。

 川原湯の社のすだれ   
  古りたれど
 入りて拝めば
  肩ふれて鳴る
         晶子

 この歌に詠まれた川原湯神社は江戸時代末期に建てられたものらしいが、2001年に焼失して、新しい社殿が再建されていた。
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