東人の出戻り浜生活近隣散策近隣散策(2)

\100ショップ

   船橋市には国内で最大という\100ショップがある。
 地下1階地上6階建てのビル全てに\100の商品が並んでいる。


太宰治の植えた夾竹桃

 船橋駅の南側、市民文化ホールおよび中央公民館の近くに「太宰治の植えた夾竹桃」の説明とその夾竹桃がある。


太宰治の植えた夾竹桃

 
 この夾竹桃は、太宰治(明治42年〜昭和23年)が、昭和10年夏から昭和11年秋にかけて、千葉県東葛飾郡船橋町五日市本宿1,928番地(船橋市宮本1丁目12番9号)に借地住まいをしていた時に、その敷地内に植えられたものですが、昭和57年12月、その敷地が整備されることになり、改めてこの地に移植された。
 太宰治は、当時、「めくら草紙」の中でこの夾竹桃を植えた時の様子を書いておりますが、戦後の作品「十五年間」では、次のように、この夾竹桃に対する自分の愛着ぶりを書き残しました。
 
 私は千葉船橋町の家が最も愛着が深かった。
 私はそこで「ダス・ゲマイネ」といふのや、また「虚構の春などといふ作品を書いた。
 どうしてもその家から引き上げなければならなくなった日に、私は、たのむ! もう一晩この家に寝かせて下さい。
 玄関の夾竹桃も僕が植えたのだ。庭の青桐も僕が植えたのだ、と或る人にたのんで手放しで泣いてしまったのを忘れていない。

昭和58年3月
船橋市教育委員会
船橋中央ライオンズクラブ 寄贈
 

ビルの脇の祠

   市民文化ホール近くのビルの脇に小さな祠があった。

 不動産屋の前にあるものであるが、この祠の中に不動明王が祀られているかどうかは分からない。
 


地蔵堂

   市役所の北側の建物に「地蔵前ビル」という名前が目についた。
 この辺りを探して、地蔵堂を見つけた。
 詳しい因縁については不明。
 
 


リュウ君の店

   娘の転校手続きに行った時、学校指定の名札は「リュウ君の店」で買うように言われた。
 どの辺にあるかは分かったが、探しても見つからなかった。
 何度目かの時、細い路地があるのを見つけ、その奥にいくと駄菓子屋があり、「リュウ君の店」の看板があった。
 看板には、

  船橋小学校指定名札販売所

  10円玉1個から夢が買える店
  駄菓子屋 ザリュウ君のお店

  お好焼風クレープ焼き 1枚50円
 
 と書いてあった。
 
 後で聞いた話では、「リュウ君」とは、この駄菓子屋のご主人が飼っていた犬の名前とのこと。
 
 


スクエア21

   駅から南に続く道が本町通りと交差する角に「スクエア21」という大きなビルがある。
 
 娘の通う小学校に江戸時代の本町付近の地図が掲示されていたが、このビルのある位置には、「首切場」と書いてあった。
 
 


船橋町鳥瞰図

 船橋小学校の廊下に船橋町鳥瞰図が掲示されている。
 駅の南口に銅板のレリーフがあるが、これはその原図とのこと。
 
 

昭和初期の船橋駅、本町通りの商店、学校・寺社など東京湾に広がる船橋の街の様子がえがかれています。当時の船橋町は人口約二万人、町内を走る車はわずか29台。まだ埋め立てもなく、漁師町、宿場町として栄えていました。
 

昭和初期の町並みを描いた鳥瞰図です。
 「船橋」の地名の由来となった「舟」と共に銅板にされたものがJR船橋駅に南口に設置されていますが、これはその原図で京葉新報社より本校に寄贈されたものです。
  平成8年2月10日