東人の出戻り浜生活諸国点描長野県茅野


茅野


C12蒸気機関車

   
 茅野の駅前にSLが展示されていた。
 
 茅野にも鉄鉱石の出る鉱山があり、鉱石を運ぶ鉄道があったという。
 当時使われていた蒸気機関車が保存されていた。

蒸気機関車C1267

 このC12型式タンク機関車は、昭和7年に誕生し、国内の産業・経済・文化の発展に大きく貢献しました。このC1267は、その67号機です。
 太平洋戦争中、現在の市内北山地籍にあった諏訪鉄山から軍需用に鉄鉱石が採掘されました。その輸送のため茅野駅まで専用鉄道が敷かれ、田園地帯を蒸気機関車が走りました。そこで活躍したのが、この機関車と同じC12型の機関車でした。
 市では、この機関車の廃車に際し、昭和48年、かつての歴史を伝える社会的教材として旧国鉄(現JR)から貸与を受けました。
 そして現在、機関車にふさわしい駅前の交通広場に配置し、この場所で市民の皆さんや遠来の方々に一時を憩っていただけるように展示しています。
 
 (付記)
 この機関車は、昭和8年、茨城県日立製作所で製造され、全国各地に配属され役目を果たしましたが、電気機関車の普及に伴い、昭和48年に廃車となりました。
 この間40年、約158万km(地球を約39.5周)を走行しました。
 
 全長11.35m、重量49t、動輪直径1.4m、高さ3.9m、
 馬力520馬力、走行距離1,588,699.8km
 


姥塚古墳

   
 茅野の駅南口に、姥塚古墳と書かれた石碑と立て札が建っていた。
 
 この附近に古墳があり、駅を作る時に壊されたものらしい。
  

姥塚古墳

 この古墳は、茅野駅前広場のあたりに古くからあり、明治38年(1905)11月、中央東線の開通により、茅野停車場の開設にともなって取り崩された。
 記録によれば、水田の中にあった円墳で、築造年代はおよそ八世紀末と推測され、墳丘上には石祀があり、台座石には花崗石の天井石三枚が用いられていた。石室は羨道が南に開口していて、羨道奥が左右にのびてT字形となっており、羨道と玄室の区別のつかない型式で、玄室の左右に副室があった。
 出土品は、直刀・鉄鍬・桂甲小札・金銀環・玉類・細かい紋様つきの和鏡・須恵器・土師器・青銅(か:金偏に夸)などであった。
 昭和41年11月、駅庭の大整理に際して、散在する積み石を集め、この地に姥塚古墳の石標を建立した。
 今回、茅野駅周辺再開発事業の一貫として、姥塚古墳の一部地籍を残し、この地の古代文化を偲ぶよすがとした。
 昭和62年10月  
茅野市教育委員会
 

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黒輝石

   
 茅野駅のプラットホームにて、「黒輝石  原石」と表示された石が設置されていた。
 傍らの説明によると、この黒輝石は石器時代の刃物などに使われていたとのことで、当時の貴重な資源であったのだろう。
 
  

黒輝石

 昭和30年頃、地元笹原の両角重幸氏が八ヶ岳冷山から黒輝石の巨岩を運び出し地元の小学校に寄贈されました。
 その一つが茅野駅に展示されているものです。
 【信州産黒輝石】は、和田峠や八ヶ岳冷山に産出し、旧石器時代から縄文時代まで槍や矢尻などの狩猟道具や、ナイフなどの調理道具として珍重され、信州産の黒輝石は交易品として関東方面や遠くは青森県三内丸山遺跡などへも運ばれています。
 

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