中学1年になる時、親の仕事の都合で札幌に引っ越した。
中学での私は成績は良かった。友達も沢山いた。
ブラスバンド部で活躍して全道大会で金賞まで行った。
私の輝かしい時代。
高校は、公立の進学校に進んだ。
一緒に受けた友人が不合格になって、心細かったが
私はすぐに友達ができる性格だったので、何とかなるだろうと思っていた。
教室に入って席についたら後ろの人に声をかけられた。
この人が私の人生を谷底に突き落とした張本人だ。今でも顔と名前は忘れられない。
会わなきゃよかった、なんて人は存在しない。それまではそう思っていた。
でも、彼女には会わなければよかった。そう思う。
仮にA子と呼ぶことにしよう。
私はA子と行動するようになった。ブラスバンド部出身という共通する部分もあるので仲良くなれる気がした。
一緒の部活に入ろう、となった。
残念ながら、この学校にはブラスバンド部は無かった。
テニス部なんてどう?A子は言った。
テニス?やったことないなぁ。でも中学で文化部だったから高校で運動部でもいっかぁ。
テニスは今はやっていない。ラケットは捨てた。
テニス、という言葉を聞くだけでぞっとする。
地獄のはじまり。
ここの高校の男子テニス部は全国にいったりしてかなり強かった。
女子部は男子部を見習ってがんばろう。そんな感じだった。
初めての日。新入部員は16人だった。かなり多い。
先輩から1枚のプリントを渡された。
「髪はショートもしくは黒いゴムで結ぶ。リボン禁止。脱色、パーマ禁止」
「1年生は2、3年より早く来て、コート整備してボール類荷物をすぐ使える状態にしておく」
「先輩に対してはすべて敬語」「苗字ではなく名前で呼ぶ。2、3年に対してはもちろん先輩をつける」
「明るくはきはきと行動する。大きな声を出す」「先輩の持っている荷物は『持ちます』ではなく『代わります』という」
「先輩が練習している間『ファイトです』『ガンバです』と大きな声でかけ声を言う(手は後ろ)」
「成績は下がってはいけない。下がると退部」「ジャージは前のファスナーをあけてはいけない。Tシャツは無地の白のみ」
(もっといっぱい書いてあったけど忘れた。)
・・・なんだこりゃ。中学の校則より厳しいじゃん。これが昔からある女子部の伝統らしい。
でも、当時の私はこれを厳しいとは思わなかった。
テニスが強くなるにはこれくらい当たり前。それに上下関係が厳しいのも社会人になるともっと厳しいはずだから良い体験だ。
新入部員16人と「絶対みんな辞めないでいようね」と誓った。