イタリアのアルバム


写真は当地独特の剪定方法で整えられた松並木
バスに分乗してチベッタベキア港からローマの環状線を経て、太陽道路でナポリへ向かう。
ローマ付近は少し渋滞したが、あとは快走。アルペニー山脈に沿って南下。

ポンペイ遺跡に近いレストランで昼食、
キリストの涙というワインを注文した。
イタリア、ギリシャはワインが安くてうまい。

ポンペイ遺跡入口

バジリカ
公共の建物で商取引や裁判が行われた。
柱はレンガ製で2列、屋根瓦が発掘された。

現在のフォーロ広場

フォーロ広場復元図と対比

右の写真はフォーロ広場の復元図である。
左が現在の写真で正面にジュピター神殿があった。
ヴェスーヴィオ山は当時と変わらない。
噴火口が陥没したのでその点は違う。
大規模な宗教、経済、政治の中心だった。


復元図

住居跡
紀元前7世紀にエトルリア人によってポンペイの町が発展した。
古代ローマの準支配下である程度自治権を持っていた。
紀元79年8月24日にヴェスーヴィオ山が噴火、3日間の噴火で町は6m以上の
火山灰層の下に閉じ込められた。
今から約200年前に、奇跡的に再び世に姿を現した。

敷石に彫られた道しるべ、男性のマークが示す方向に娼館があった。船乗りには万国共通語が必要だった。

敷石には轍の跡が残っている。
車輪の間隔が規格化されていた。

カリゴラ門
フォルトゥーナ通

大劇場5000人収容の劇場である。
写真の中央部は特別席や楽屋があった。
手前はカーヴエアと呼ばれた一般席
写真奥は剣闘士の宿舎

モデストのパン屋復元図

現在のモデストのパン屋跡
製粉用挽き臼と焼き釜戸

二日目ナポリ北部
ガゼルタ宮殿正面

宮殿内部

ガゼルタ宮殿のイギリス式庭園
時間がなくてちょっと見るだけ

モンテカッシーノ修道院が山頂にある。
第二次世界大戦で破壊されたが
現在は修復されている。ここも下の
土産物屋から見上げるだけ

ベッタベキア港には
地中海クルーズ船が停泊している。

船内の居酒屋が企画した
タイガース優勝ビデオ鑑賞会


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