TAHITI   タヒチ

タヒチ寄港のトパーズ号アルバムへ


当日の日記

11月25日 朝タヒチのパペーテ港に着く。タヒチ島は仏領ポリネシアの中心で、タヒチ・ヌイ(大)とタヒチ・イティ(小)の二つの火山島がくっついている。タヒチ・ヌイの最高峰は2,241mでタヒチ・イティの最高峰は1,368mである。2,241mのオロヘナ山はポリネシアの中ではハワイ島の山に次ぐ高さである。
火山島は中心の山が陥没してしまって、周りの環礁だけが残る運命にあるが、タヒチは20万年前にできた若い火山島なので陥没はなく山は高い。
船上からモーレア島のバリハイが見えた。バリハイはアメリカ映画南太平洋で有名であるが、何時も雲がかかっている。バスツアーまで時間があったので、下船してみた、タラップの下では歓迎の音楽とティアレの花を耳につけてくれる。ティアレはタヒチの国花である。
バスツアーでまずパペーテを見下ろす丘へ行き、さらにビーナス岬へ行った。灯台があり、砂浜は火山の砂で黒い。
そのあとアラホホの潮吹き穴をみる。波が小さかったので大きく吹き上がらない。
タヒチ島を時計回りに行き、ゴーギャン博物館の近くのレストランで昼食。海の向こうにタヒチ・イティが別の島のように見える。さんご礁に砕ける波が白く光る、楽園タヒチを満喫した。
ゴーギャン博物館には本物の絵画は1枚もなく全て複製である。あちこちに置いてあるティキ像や庭園がよかった。
マラハの洞窟は溶岩の崖の下にあって水をたたえている。最後にタヒチ博物館に行ったが、なかなか見ごたえがあった。
船で夕食をしてから港の広場に出ているルロットという名物屋台を見に出たが、食べる気がしなかった。此処はアルコールを売っていない。ポリネシア人はアルコールに大変弱いので販売禁止だ。
11月26日 朝、タヒチの天気は良好、マヒオ文化体験ツアーに参加、早朝から5台のジープに分乗して、パペオから谷を登る。途中に滝が何箇所かある。現地人集落はタヒチ島のカルデラの中にあった。この道がないときは険しい山を越えないと来れない。キリスト教の宣教師から文化を守るために作った村で、現在はダム建設反対のグループHAURURU団体が共同生活している。
村ではリーダーの挨拶があり、聖地へ案内される、先祖を祭る墓地で歓迎時にもらった花輪をささげた。弓場があり模範競技を見せてくれた。木の葉でのお皿作り、葉っぱの飾り、などを作る。カバの儀式が厳かに始まった。
綾取りを現地人がやって見せるが、日本人女性の方がはるかに複雑なテクニックを披露して反対に教えていた。ここは外部の人が来ないところで、勿論日本人は始めてである。ピースボートとしても初めてのことなので、事務局長の遠藤女史が乗り込んで来ている。
食堂でまずココナッツジュースをいただき、パンの実の調理、ココナッツミルクとコブラの取り方などの実演があり。現地の料理を頂く。最後にタロ芋を植える儀式を行う。来訪者がタロ芋を植える場所があり、前回の儀式のあとに続けて植えてゆく。
別れの踊りで見送られて帰った。

私説人類学

カバの儀式に参加して考えた。ポリネシア人は日本人に近い民族であるのは定説であるが、日本人の祖先と別れたのは多分マレー半島ではなかったかと思う。暑いのが嫌いな連中は北へ移動し、寒いのがいやな連中は南へ移動して分かれた。そのときの遺伝子をそれぞれ受け継ぐことになったのだ。寒いところでは生命維持(体温維持)のために使われるエネルギーが大きい、従ってアルコールもすぐ発散する体質の遺伝子が幅をきかす。一方、暑いところでは体温維持のためのエネルギー消費は必要なく、アルコールなどの高エネルギー飲料は分解できない。日本よりもっと北へ移動し、アメリカ大陸に渡ったモンゴロイドは、寒さに更に強いと思う。
カバの儀式はヤンゴーナという木の根をすりつぶして回し飲みするもので、ポリネシアでは日常的に行われている。多少興奮効果(覚醒)がある飲み物で、日本人のノミニケーション(呑ミニケーション)と思った。アルコールに強い人にはカバでは効き目がない。酒飲みには麻酔が効かないのと同じではないか。


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