その後、1881年のミシシッピ川の大洪水によりカスカスキアは壊滅的な打撃を受けました。この洪水は、ただの自然災害ではなく、この町に住む毛皮商人が自分の娘と駆け落ちしたインディアンを捕まえて殺したために起きた「呪い」によるものである、とする伝説もあります。
この結果、町の西端を流れていたミシシッピ川(=州境)の流路が変更になり、町の中心部を飲み込む形で川が流れるようになりました。結果、多くの住民がこの地を去りましたが、西岸部に残った住民たちは、「昔の流路が基準となるべき」とイリノイ州への残留を主張し、認められました。この結果、カスカスキアはミシシッピ川西岸でありながらイリノイ州の飛び地として存続することになったのです。
しかし、この町(むしろ「集落」でしょうか…)は、川向こうとは直接の交通手段がなく、イリノイ州本体に行くためには、道路で一旦ミズーリ州を経由して、橋を渡るしかありません。1901年までには、旧州議会議事堂を含め重要な建物はすべて川に飲み込まれ、更に衰退の道をたどりました。
かつて州都だったにもかかわらず、現在はほとんどゴーストタウンであり、2000年時点で人口はわずか9人(男2、女7:白人5名、ヒスパニック2名、アジア系1名、太平洋系1名)という状況です。
数少ない歴史的遺産として、「西のリバティーベル」と呼ばれる鐘(東は勿論フィラデルフィア)を所蔵するカスカスキア・ベル聖堂(Kaskaskia
Bell Shrine:再建)があります。
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