(4) イリノイ州 Kaskaskia   -イリノイ州の州都は人口9人の村?!

 

シカゴが所属するアメリカ・イリノイ州の州都は、現在は州中部のスプリングフィールドです。しかし、イリノイ州が成立した1818年から約1年間だけ、州都はミシシッピ川沿いのカスカスキア(Kaskaskia)に置かれていました。

この町は、1703年にフランス系移民による植民が開始されて以来、この地域の経済的・文化的な中心でした。当時は、現在のイリノイ州に相当する本体部分と地続きの半島を形成し、ミシシッピ川はカスカスキアの西側を流れていました。

1809年にインディアナテリトリーからイリノイテリトリーが分離した際、カスカスキアにはテリトリー全体を管轄する行政庁が置かれ、町は石造りの家々の並ぶフランス系の町として活気づきました。
(その頃の領域地図はこちら

1818年にイリノイ州が設置されると、カスカスキアは州都となりましたが、より州の地理的中心に州都を置こうとの議論が置き、翌年には州都はバンダリア(1819年〜1839年州都)へ移転しました。

 


イリノイ州南西部、セントルイス付近

その後、1881年のミシシッピ川の大洪水によりカスカスキアは壊滅的な打撃を受けました。この洪水は、ただの自然災害ではなく、この町に住む毛皮商人が自分の娘と駆け落ちしたインディアンを捕まえて殺したために起きた「呪い」によるものである、とする伝説もあります。

この結果、町の西端を流れていたミシシッピ川(=州境)の流路が変更になり、町の中心部を飲み込む形で川が流れるようになりました。結果、多くの住民がこの地を去りましたが、西岸部に残った住民たちは、「昔の流路が基準となるべき」とイリノイ州への残留を主張し、認められました。この結果、カスカスキアはミシシッピ川西岸でありながらイリノイ州の飛び地として存続することになったのです。

しかし、この町(むしろ「集落」でしょうか…)は、川向こうとは直接の交通手段がなく、イリノイ州本体に行くためには、道路で一旦ミズーリ州を経由して、橋を渡るしかありません。1901年までには、旧州議会議事堂を含め重要な建物はすべて川に飲み込まれ、更に衰退の道をたどりました。

かつて州都だったにもかかわらず、現在はほとんどゴーストタウンであり、2000年時点で人口はわずか9人(男2、女7:白人5名、ヒスパニック2名、アジア系1名、太平洋系1名)という状況です。

数少ない歴史的遺産として、「西のリバティーベル」と呼ばれる鐘(東は勿論フィラデルフィア)を所蔵するカスカスキア・ベル聖堂(Kaskaskia Bell Shrine:再建)があります。

 

   
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