その1ヶ月半後、"Remember Alamo"の掛け声の下、サム・ヒューストン率いるテキサス軍(実質的には、アメリカ南部諸州からの義勇軍により結成)が、メキシコ軍を壊滅しました。これを機にテキサスは独立し、1845年、「軍事的・経済的理由」からアメリカ合衆国に併合されました。
この独立に至る過程、アラモの砦の「美談」もあって、いかにも「メキシコの圧制に対するアメリカの自由主義(イデオロギー)の勝利」といった歴史である印象を受けます。勿論、そうした面もあるとは思いますが、別の角度から見てみる必要もあるかもしれません。すなわち、アメリカのテキサス開拓が奴隷使用を前提とした大規模農業を背景としていたのに対して、メキシコはこの頃奴隷制を廃止しており、アメリカからの移民としては、「奴隷制を認めないなら独立する!」という動きとなった…という説もあります。
独立した「テキサス共和国」ですが、当時、生粋のテキサス人がいたわけではなく、義勇軍の主体となったアメリカ南部諸州の出身者が政治的・軍事的な指導層でありました。彼らは、合衆国加盟への働きかけを強め、10年後にそれを実現します。テキサス独立を認めたメキシコですが、アメリカへの併合には猛烈に反発し、当時メキシコ領土だったニューメキシコ(ただし、住民がほとんどいなかったこともあり、元来メキシコ政府の関心・影響力はそれほど大きくなかった)の領有問題もあって、両国関係は著しく悪化、ついには戦争となりました。これが1846年に開戦した米墨戦争です。
モルモン教徒などの義勇兵を主力とするアメリカ軍はサンタフェ(ニューメキシコ)に無血入城しました。戦闘が回避された理由としては、メキシコ側守備隊が降伏勧告を受け入れたとする説と、指揮官が買収されたとする説があります。いずれにせよ、ニューメキシコはアメリカの支配下となり、1850年の戦後の米墨間の講和条約で、メキシコもアメリカの領有を認めました(州への昇格は1910年)。
今でもメキシコ人の中に、テキサスからカリフォルニアにかけての広大な地域は、もともと自分達の領土だったのに…という思いがあるようです。
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