アメリカの市町村合併 〜ボストン市拡大の歴史

 

日本では昨今、市町村合併の動きが盛んですが、自治体の合併というのは、歴史的にみれば、何も日本に限った話ではありません。ニューヨークやシカゴをはじめ、アメリカのほぼすべての大都市は、周辺市町村の編入の歴史を経ています。ここでは、例としてボストンの市町村合併の歴史をみてみたいと思います。

ボストンへのイギリス人入植・町としての成立は1630年、市制施行は1822年です。ボストン「市」としての歴史をみてみると、中心部が手狭になるにつれ、丘を崩して湾を埋め立て、市域の拡大を図るとともに、郊外地区を編入してきたという歴史が分かります。ちょうど、神戸に先立つこと100年、似たようなことをやっていたイメージでしょうか。

ボストン旧市街がもともと海に囲まれており、それが19世紀に埋め立てられたという経緯は、以下のHPの地図をみると一目瞭然です。
http:// web.mit.ed u/ JLeifer/ www/ 11016J2.ht ml (2つ目と4つ目の地図を比べてください)

ボストンには20近いNeighborhood(地区)があり、議員の選挙区割りなどに利用されていますが、行政上の「区」ではないため、ケースに応じて表現される地区の名称や数が若干異なります。例えば、チャイナタウンはダウンタウンの一部とされることもあれば、独立した地区とされることもあります。

以下に、ボストン市の地図と合わせて、各地区の成り立ちとボストン編入の経緯を記します。地区名の色は地図上の色に対応しています。

○ダウンタウン(Downtown)
 1630年にイギリス人清教徒が入植したボストンの発祥の地。Massachusetts Bay Colonyの本部が設置される。1634年、ボストンコモン(アメリカ最古の公園)設置。1795年州政府設置。1822年市制施行。現在でも州議会、市役所、金融街などが集中する中心地区。


○チャイナタウン(Chinatown)
 ダウンタウンの一部とも称される。元来ボストンのSouth Cove(南入江)と呼ばれた干潟地帯。1805年以降埋立て開始。当初は白人居住地であったが、19世紀後半以降シリア移民が大勢となる。中国人街となったのは20世紀に入ってから。なお、今日では中国人よりもベトナム系移民によるベトナム料理レストランの方が目立つ。1971年にLittle City Hallが設置された。


○ノースエンド(North End)
 当初からボストンの領域。1635年にボストンとチャールスタウンを結ぶ船の発着場(Hudson Point)が設置された。以降徐々に発展したが、特に19世紀後半以降イタリア人移民が増加し、1920年には90%がイタリア系となる。最近は、ウォーターフロントとしての開発も進んでいる。なお、ボストン市の都市計画では、上記3地区を合わせて"Central"としている。


○イーストボストン(East Boston)
 ボストン市の北東端に位置する。1620年、英国王ジェームス1世がプリマスの入植者に所有権を与える。1636年、ボストンの一地区となる。19世紀半ばには工業地区として栄え、当時の人口18,000人。現在は、ボストン・ローガン国際空港が立地する。

○チャールスタウン(Charlestown)
 ボストン中心部からチャールズ川を挟んで北側に位置する。1628年イギリス人入植(ボストンより先)。1629年議会が設置され、のちに分離するMalden, Everett, Woburn, Stoneham, Somervilleと、Medford, Cambridge, Reading, Wakefieldの一部を含む領域の町が成立(入植者12名)。アメリカ独立戦争最初の戦い(バンカーヒルの戦い)でイギリス人の攻撃を受け、人口が2000人から1000人に減少。1847年、市に昇格。1874年ボストンに合併(当時人口28,000人)。第2次世界大戦中は造船で栄えた。

○ビーコンヒル(Beacon Hill)
ダウンタウンの西側に位置する小高い丘。植民活動に先立つこと3年、1627年に牧師が居住。1630年、ダウンダウンとともにボストンの領域となる。1634年、丘の上に船の航路標識(ビーコン)が建てられたことにより、「ビーコンヒル」と呼ばれるようになる。19世紀、Back BayやSouth Cove(現Chinatown)の埋め立てのため丘を切り崩したため、標高が42mから24mに。現在は、会社のエグゼクティブや政治家などが住む超高級住宅街。



◆ボストン市内地図
 (市域西側を削るように位置するのはブルックライン(Brookline)市。



○バックベイ(Back Bay)
 19世紀前半まで海(湾)であった。1821年に堤防(現Beacon Street)が建設され、海の干満を利用して製粉所の動力源にしていたが、1844年以降、この堤防の内側の埋立てを開始し、1852年完成。現在は碁盤の目の高級住宅街になっている。

○フェンウェイ・ケンモア(Fenway /Kenmore)
バックベイ地区の西、チャールズ川沿いに位置するが、バックベイと同様、19世紀後半にボストン市主導で同時に埋め立てが進み、ケンモア・スクエア(Kenmore Square)を中心に発展。1912年、大リーグ・ボストンレッドソックスの本拠地としてフェンウェイパークが開設された。この球場は現在、供用中の野球場としては米国最古のもの。

○サウスエンド(South End)
 当初は大部分が干潟(南入江:South Cove)で、当時のボストンとロックスベリーを結ぶ回廊(“Boston neck”)であった。1801年に埋め立てが計画され、19世紀半ばまでにほぼ完成(現在、あまり治安のよくない地区…)。

○ドーチェスター(Dorchester)
 インディアン居住地に、1630年白人が入植、町が成立。当初のエリアはCanton, Foxboro, Wrentham, Milton, Stoughton, Sharon(現在はいずれもボストン市外)を含む区域。1639年、米国初の学校設立。1870年、住民投票の結果ボストンに編入。

○サウスボストン(South Boston)
1634年、ドーチェスターの一部として成立。当初は海沿いの細長い領域(Dorchester Neck)と呼ばれた。1804年にドーチェスターから分離、ボストンに編入され、以来周辺の埋め立てが進む。

○マッタパン(Mattapan)
 当初はドーチェスターの一部。1875年ボストンに編入され一地区となる。住民約2万人の9割が黒人系。

○オールストン(Allston)/ブライトン(Brighton)
 1680年代入植。当初はケンブリッジ(Cambridge)の一部。1807年、ケンブリッジ中心部と結ぶチャールズ川の橋の修理が失敗したこと等を機に独立、ブライトン町(Brighton town)となる。1875年にボストンに編入された(当時人口6000人)。以後、郊外住宅地として発展。一見、飛び地のようになっていますが、一応本体と繋がっている。

○ロックスベリー(Roxbury)
 1630年入植、Mission Hill, West Roxbury, Jamaica Plain, West Roxbury, Roslindaleを含む区域として町が成立。当初、ボストンとは極めて細長い土地(現South End の一部)で繋がっていたが、後の埋め立てにより完全に一体化。1846年市に昇格。1868年ボストンに編入。

○ミッションヒル(Mission Hill)
 フェンウェイの南に位置する小さな地区。当初は所有者名からParker Hillと呼ばれ、ロックスベリーの一部であったが、1840年代以降、鉄道駅が設置され人口が増加。1868年ボストンに編入。

○ウェストロックスベリー(West Roxbury)
 市の南西部に位置する。ロックスベリーの一部であったが、1848年鉄道駅が設置され人口増加。1851年町として独立。1873年ボストンに編入。

○ロスリンデイル(Roslindale)
 1630年、Roxbury の一部として成立。1851年、West Roxburyの一部としてRoxburyから分離。1873年ボストンに編入、一地区となる。

○ジャマイカプレーン(Jamaica Plain)
 ロックスベリーの南西に位置するが、当初はそのロックスベリーの一部だった。1851年、West Roxburyの一部としてRoxburyから分離。1874年ボストンに編入、1つの地区となる。

○ハイドパーク(Hyde Park)
 ボストン市南端に位置する。1668年入植開始。1868年、Dorchester, Milton, Dedhamの各一部の土地からなる町として独立。1912年にボストンに編入(当時人口12,000人)。これにより、現在のボストン市域が完成。

 

 

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