説教ノート 2018年1月から12月分まで>
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12月30日説教 「誤認のクリスマス」 マタイ伝福音書2章1-16節 久保田文貞 街角 に見られるクリスマスを見ると、クリスマスはそんなのじ ゃないと叫びたくな ることがある。でも、同時にそういう自分 が〈なにをおたかくとまっている んだ〉と無性にいやになるこ とがある。自分自身がクリスマスを誤認してい ると思わされる こと度々だからである。 マタイ伝のクリスマス物語は、メシア・ イエスの誕生には誤 解が付きもの、いやそれは誤解から始まると言わんばかり である。まず異邦の博士たちが星占いによってユダヤにメ シアが誕生す る事を察知したこと。ユダヤの律法で星占い は禁じ手なのだ(申命記4:19)。 彼らはメシアの何たるかを 十分に知らぬまま、ヘロデ大王の下に「ユダヤ人の 王として お生まれになった方は、どこにおられますか」と問うたことに なる。大 王はメシアによって自分の王権が危うくなるのでは と不安にかられて、ユダ ヤ教の権威筋、民の祭司長たちや 律法学者たちに諮問する。彼らにとっても甚だ 不本意だっ たはず。自分たちの頭ごしに、メシア誕生の告知が忌むべ き 異邦の星占いらになされたのだから。不承不承に議論 し、ダビデの子孫て ゙あるべきメシアは、ダビデの誕生の地に 産まれるはずと。正解と言え ば正解だったわけだが、彼ら はそれが何時ということは知らされていな い。いや、それは 知りえない、いつ来るかわからない、という時の間こそ、彼ら の 存在理由があると言える。今、生まれた方がメシアなの か、誰にも決定でき ないからこその律法学者であり、祭司な のだということなのだろう。だか ら、彼らはベツレヘムに向か って動こうとしない。 自分たちの星占いの成果を信 じてベツレヘムに向かうの は3人の博士だけである。その際、ヘロデはわ かったら報告 するように命じる。博士たちはそこに黒い闇を感じたのだろ う。 二度とヘロデの前に姿を現さなかったという。 ベツレヘムに着くと、「彼らは ひれ伏して幼子を拝み、宝 の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げ た」と いう。両親と子はルカ伝クリスマスとは違ってふつうに「家」 の中にいるの が気になるが、そこは無視しよう。注目すべき は、ユダヤの片田舎に生ま れた子への、異邦の博士たちの あまりに場違いな贈り物。後のキリスト教学者たち は、黄金、 乳香、没薬がそれぞれ何を指しているか、膨大な議論をし ているか ゙、その方々には悪いが全くアホらしい議論だと思 う。要するに、どうしよ うもないミスマッチだったということなの だ。〈どうしましょう。これを受 け取りますか。受け取らない方 がよいという方は手を挙げて下さい〉と問われ たら、私も間 違いなく手を挙げる。だが、マタイ伝の著者は、その点煮え 切 らない。とんだ場違いだよと言いながら、黄金・乳香・没 薬を突き返してい ない、受け取っている風なのだ。教会を 経営していくにはやはりそういったもの も必要になると、異 邦人からであろうと今後もいただいていく、と割り切る道 を切 り開いてしまっていると言えなくもない。 最後に、ヘロデ大王のメシア誤認。 「さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、 大いに怒った。そ して、人を送り、学者たちに確かめておい た時期に基づいて、ベツレヘムとそ の周辺一帯にいた二歳 以下の男の子を、一人残らず殺させた。」 なんとも陰惨な 事件をメシア誕生に絡ませたものである。 過失では済まされない、闇から引っ ぱってきたような幼児虐 殺命令。歴史的にはそのような事件は確かめられず、 創作 だろうと言われるのだが、それで慰められるわけではない。 ヘロテ ゙大王はという男、今でいうインフラなど含めて都市建 築など大事業を完成 させたという点で評価されたりするが、 人間的には肉親や妻に謀反の疑いを抱 くや平気で殺させ てしまう陰惨な男である。というわけで、これが後代の フィク ションであろうと、彼の性格からいってありえない話でもない のであ る。物語上ではあっても、王の命令で巻き添えを食 ったことになる幼子たちの 命を、かくも軽く見積もってしまう 側に立たされて、このような物語を読むかと思 うと落ち着か ない。ところで、当の赤子イエスは両親とともに、王が亡くな る まで、エジプトに避難したことになる。古代イスラエル以来 の古典的な苦難 回避(カナン地方の飢饉からヤコブの子ら が、ソロモン王の圧政からエドム人 ハダドが、それからヤロ ブアムが、エジプトに避難、亡命する)の常 套である。なか なか私たちには経験できないことだが、圧政から命をかけ てのがれてくる人、貧困から何日もかけて旅する人、被爆 地を裂けて移住させら れる人、ないわけではない。いずれ にせよ、メシア誕生の誤認による災難の中 に、イエスが生ま れた意味を噛みしめたい。
説教ノート 12月24日賛美礼拝にむけて 「メシアが誕生した――住民登録」 ルカ福音書2章1-7節 久保田文貞 ルカ福音書2章のキリスト誕生物語は、いきなり住 民登録の話から始まる。ヨセフと いいなずけマリヤの 登録は婚姻届もかねることになるのか。さらにイエス が誕 生したというのでイエスの出生届も兼ねるのか。 私たちの感覚からするとそんな 風に思えてしまう。 もちろん、そんなことはない。実際に住民登録があ ったのは イエス誕生後10年経ってからのこと。6年、 ヘロデ大王の息子アルケラオスが失 脚し、ローマがユ ダヤ・サマリア地方を直轄地とし、税を徴収するため のもの。 不動産とその所有者名義を確定する。(実 質、不動産所有者は男名義だったので、 もともと女性 や子どもは数に入れない。) 歴史上、この人口調査 にはユダヤ側 から抵抗運動が起こって暴動化、軍が 出動して押さえている。 しかし、ルカ福 音書がイエス誕生物語を書くにあた って、この住民登録をクリスマス物語の中に 組み込ん だときには、知っていたか知らずにいたか、ユダヤ人 がこれに反 発した気配を感じさせない。そもそもパウ ロにもそういう所があるが、ル カ福音書と使徒言行録 を書いたルカには、クリスチャンの集会(教会)が帝国 の中 でお行儀のよい宗教であることを印象付けたいと いう基本的な意図があった のである。その視野にたっ てみると、ヨセフと身重のマリヤ、そこで生まれた イエ スもふくめ家族全員がローマ帝国内の一員として登 録することには大きな意 味があったわけだ。冗談でな くマリヤとの婚姻届と、子イエスの出生届をも、 帝国が 受理してくれたと言わんばかりの物語になっているの だ。 婚姻届と か、出生届とかに、異を唱えるつもりはな いが、現在のようなわが民主国家て ゙、平等かつ公正 に処理されるべき届出においても、届出というものに はどう しても自分たちこそ正当に受理されるべきもの であるとの一種の自己主張が 潜んでいるように思う。 自分が内部の正当なる人間であることを要求し、証 明 してもらおうというわけだ。結果的に、反対に届け出る 道が閉ざされてい る人を、はじき出す作用をしてしま う。「良き市民」「良き家族」「良き宗教者」 として認定さ れようとすることの胡散臭さを免れようがない。 かつての住民基本 台帳のネット化をさらに徹底さ せてマイナンバー制が施行されている。日本の 領土 内にいるものすべてに番号をつける。個人の届出の 意志如何にかかわらず 機械的に番号が振り当てられ る。内部にある者も、外部にはじかれてきた者も、 13ケ タの番号が与えられ、個人のあらゆる情報が国によっ て拾い上げられ、 家族構成、財産、税、社会保障、教 育、労働などが国家の管理下に置かれる。 もちろん 前科・不法行為の前歴、公安警察の視野の下での思 想・信条もデータ 化され管理・監視される。自分より国 家の方が自分をよく知ることになる。国民 主権とか、 基本的人権が担保されている領域の及ばぬところ に、個々人の巨大 なデータが自律的に存在してい く。〈登録する〉主体など、もはや単なる13 ケタの数で しかなくなる。届け出というもの末路である。 このような局面を何 と言えばよいだろうか。 外側あるいは周縁に在ろうとする人間を許さない。 内 側にいるとはとても思えないで、自分は疎外されて いると言いたてたくとも、お 前は立派な13ケタの番号 をもった人間だとされる。疎外され孤立しているという あり方をバネにして、単独者としてやっていこうという 在り様を許さないのだ。 今、私たちは、はるばる旅をして登録の命に従うと か、従わないとかいう選択の 余地がないところに来て しまっている。生まれる前から登録されている。母親 の 胎内に在って、母が検診を受けたその日から事実 上登録されてしまう。番号なし に生きることは許されな い。密閉した内側に押し込められ、国民の総意の外 側を生 きられない、そういう雰囲気なのだ。 クリスマス物語は、メシアを詩情あふれる メルヘン 的かつ神話的な意匠でほとんど覆い隠してしまって いるけど、メシ ア誕生の出来事は、登録を命じられて いるこっち側にメシアを登録することで はない。メシア 誕生によってこっち側の全ての人の登録自体が揺さ ぶられ、問 いが投げつけられるような出来事なのだ。
2018年12月16日礼拝説教から ルカ伝福音書1章68~80節 「ベネディクトス(ほめたたえよ)」 久保田文貞 ルカ伝福音書1,2章(クリスマス物語)はキリスト誕生のい きさつと幼年期についての〈物語〉。よくある英雄の誕生神 話に近いが、ここて ゙はそれ以上の役割を持たされている。7 0年のユダヤ戦争敗戦後10数年たって、 当然衰退したユダ ヤ教に対してキリスト教がどう繋がって、どう距離を 取るか、 あらためて問題になっていただろう。この福音書の著者ル カのような異 邦人キリスト者にとっても避けて通れなかった はずだ。1,2章のイエス誕生物 語はイエスが神の子キリスト であると弁証すると同時に、この連続と断絶の問 題に少な からず取り組んでいることになる。 イエスのガリラヤ宣教活動の初 め、露払いのように洗礼 者ヨハネが現われて、イエスが神から遣わされたメシ アであ ることを指し示した(マルコ1:7,8ほか)というのが原始教会側 の共通し た認識だ(ヨハネ死後の弟子集団の意は別かもし れない)。ルカ伝1章は、ヨハネ誕 生物語は旧約の側から、 イエス誕生物語は新約の側から、それぞれ差し出された 連 結手のようなもの。ヨハネの両親ザカリヤとエリサベトともに 由緒ある祭司 の家柄である。しかも子がなかった高齢の夫 妻の上にお告げにより子が身 籠ったことが知らされる。イサ クの両親アブラハムとサラ(創世記18)、サムソ ンの両親マノ アとその妻(士師13)、サムエルの両親エルカナとハンナ (Iサム1,2) のよう。しかも後の二人はその生まれから神 によって聖別された者=ナジル人(民 数6)として育てられ るが、荒野で預言者のように民衆たちに語る(ルカ3:4)洗礼 者ヨハネもその延長上に置かれているかもしれない。だが、 〈聖別された者〉 とは同時に共同体から外された者、ホモ・ サケルである。 ルカが1章を書くに 際し、旧約の言葉を数えただけでも7 0個以上使っている。中にはマリヤの参加 (46-56)のよう にサムエル記上2章のハンナの歌を剽窃したようなものもあ る。とに かく全体が旧約の言葉のパッチワークのようなの だ。とにかく新約と旧約を 繋げる苦心の作というわけだ。そ の一例を挙げると、1章17節「彼はエリヤの 霊と力で主に先 立って行き、父の心を子に向けさせ、・・・」 ここで「父の 心を子に向けさせ」というのは、マラキ3章23-4「見よ、わた しは大いなる恐るべ き主の日が来る前に預言者エリヤをあ なたたちに遣わす。彼は父の心を子に子の 心を父に向けさ せる。わたしが来て、破滅をもってこの地を撃つことがない よ うに。」 奇しくもこの言葉は、宗教改革後の聖書におい て旧約の最後の言葉であ る。ルカの方では「この心を父に 向けさせる」を無視しているが、マラキの預 言は父の心と子 の心が分断された状況に向かってのものだ。そこには前史 が ある。バビロニアによって国が滅ぼされたのは父たちの 罪の結果だと預 言者たちは言う。どうして子が父の罪の責 任を負わなければならないのか。 そこで捕囚期の預言者エ ゼキエルは言う。「父の命も子の命も、同様にわたし (神)の もの。罪をおかした者、その人が死ぬ。ある人が正しく、正 義と恵みの 業を行うなら...彼こそ正しい人で、彼は必ず生 きる」(18:4-9)。マラキはエル サレムに帰還して復興へと誘 う預言者である。いわば断絶した父と子の心をも う一度接合 しようというのだ。良い悪いは別にして、ルカ伝では天使ガ ブ リエルがザカリアに告げた言葉に組み入れる。 注目すべき事として、二つ の誕生を実質つないでいるの は母たちである。男の系列の方はというと、ザ カリヤがそうで あるように天使の言葉を疑ったがゆえに子が誕生するまて ゙ 言葉を失うことになり、一方のマリアの方は夫なしのままの 懐妊である。父の ラインは閉鎖、断絶されている。これに対 して、年齢こそ違え二人のお腹の大きな 母たちはまるでマ マトモのように信頼の糸で繋がっているのである。こう して二 人の母たちがきずいたつながりに沿って、ヨハネはイエスの 先駆けと なり、イエスを指さす。 ヨハネが誕生すると、閉ざされていたザカリアの口 が語り はじめる。その口からは、マリアの賛歌を受けるような賛歌、 詩編集や 預言者の言葉のパッチワーク。ヨハネ誕生によっ て、暗闇の世界の東の果てに曙 の光が差し始めると歌う。 その光は神の平和の明け染め、メシア到来の予告だ という わけだ。確かにそのメシアは、旧約の線上に位置するだろ うが、スト レートに繋がっているわけではない。メシア到来に は、我々人間があずか り知らぬ全くの外部から何者かが侵 入してくるという面がある。この異常な出 来事をいち早く見 てとれるのは、聖別された人ヨハネだというわけだ。ルカ伝 の著者はこの断絶と連続を、絵画的かつ詩的、音楽的に 描くので精いっぱいた ゙ったのだろう。
2018年12月9日の礼拝で ヨハネ伝福音書1章1節~5節 「はじめに言があった」 K M 3年前の複眼に「ことば・考」を書きました。 今回の説教はその再考 です。重複しますが高校生 のとき「初めに言があった」にびっくりしまし た。エ? 人間の誕生より先に言葉があったの?そうか神は天 地を創造されたのだ からまず神の言葉が先なのか、 頭で分かっていても、とても不可思議な印象 を持ちま した。あまり深くも考えずこの年齢になって、改めて 「初めに言があっ た」が胸にとび込んできました。喩え は良くないですが、安倍首相のあ まりの虚偽、空疎、 浅薄な言葉の連打に呆れたからです。3年過ぎてこの 人の 性癖というか手法は一向に改まるどころか、憲法 違反も平気の平左です。 なせ ゙私が拘るのか、考えてみました。 江戸時代の古訳は「ハジマリニ、カシコイ モノゴザ ル」明治訳は「太初(はじめ)に道(ことば)あり」とある そうで す。 どちらも「なるほどー」と味わい深いですね。岩手県 気仙沼の山浦玄嗣 牧師の著、ケセン語訳「イエスの 言葉」を開いてみました。 気仙沼地方は2011年3 月11日。大津波が襲い、万 を数える人びとが亡くなったり、行方不明になり まし た。市街の全域が壊滅し、出版社も流されてしまいま したが、つぶされ た倉庫の残骸の中から奇蹟的にケ セン語訳聖書の在庫が見つかったのだそうて ゙す。 方向を見失いがちだったそんな時、今こそ仲間に ふるさとの言葉でイ エスのことを伝えたいと思われた そうです。 ケセン語訳はこうあります。 初め に在ったのァ 神さまの思いだった。 思いが神さまの胸に在った。 その思いこ そァ神さまそのもの。 初めの初めに神さまの 胸に在ったもの。 (後略) そうか、神 さまの思いが言なのだ。 私は10年ほど保育に携わって、その後まつぼっく り 文庫を自宅で開いて、子どもたちと遊び、絵本にも出 会ってきました。 子どもたちの発することばが面白いのです。ユニー クなのです。そして 受け取る気持ちのやわらかさ。子 どもはことばかけで、耳で聞いて真似て 育っていきま す。まずはじめは「母語」。お母さんの胸に抱かれて 語りかけら れて、子守り歌やわらべ歌も耳にして―― (ここが信頼感のはじまりです)て ゙すので赤ちゃんから 幼児期、いっぱい語りかけて、絵本もよんであげた い。電子機器に囲まれて育つ現代だからこそ耳から 聞く体験を大切にしたい。 大 人はことばの意味に拘りますが、子どもは違いま す。気持ち、リズム、ひ びき、身体いっぱいに感じとっ て、絵本の中に物語の中に入っていく。その 子どもの 眼の輝きに出会うと私の心も踊ります。 読み手があって、聞く相手か ゙あってのことば、向か いあう人があっての言葉なのですね。 けれど相手 と向きあうことが不得手な人もいます。 私は主に統合失調症の人と時間を共にす ることが多 いのですが、関わりの中で、言葉というものも厄介なも のだ なあーとも感じます。つらい体験を経てきた彼ら は、言葉にとっても敏感です。 ものごとの本質を見抜 く力には驚かされます。言葉は人を生かしもし、傷つ けも する。ことばにならない言葉を持っている、隠し持 っている彼ら。 マックス・ヒ ゚カートは「沈黙の世界」の 中で書いています。「人間が人間として存在し得 るの は言葉によるのであって、沈黙によるのではない」 「が、言葉は沈黙の 背景が無ければ、言葉は輝きを 失ってしまう。沈黙の中には聖なる荒野があ る」とも。 今日はアドヴェント第2週。 イエスは闇の中に生まれ給いました。 暗闇は光を理解しなかった。暗闇とは、自分のこと にしか関心が向いていない状 態を言うと、山浦牧師。 さあ目を閉じないで目を開けてごらん、神さまの思 い はあらゆるものを幸せに活き活き生かす力があるんだ よ。さあ元気で幸せ に生きていきなさいと。 先行き不安な時代、だれにも降りかかってくる現実 は、 又あなたに語りかけられる神の言でもあるので す。迎えるクリスマス、その神 の言に耳を傾けたいと思 います。
2018年12月2日礼拝説教から ルカ伝福音書21章:25〜36節 「差し込む終末論」 久保田文貞 今日(2日)はアドヴェント第一日曜です。アドヴェントとは 「到 来」、すなわちメシアが来ることを言います。今日の箇所 は聖書日課によったの ですが、なぜかイエスが終末につい て語った言葉の中から選ばれていま す。「終わりの日」の人 の子の到来と、イエスの誕生を待つアドヴェント・到 来とをか けてつなごうという意図があるのでしょう。 イエスの終末について の言葉伝承を、エルサレム入城と エルサレム神殿体制に正面から対峙していった最 後の所、 受難物語の前に置いたのは、マルコ福音書の著者によりま す。マルコ1-13 章までを「原マルコ福音書」とする説(トロク メ)がありましたが、それによ れば今日の箇所は福音書の最 後、結論部になります。それほどの重さがある わけです。こ こではマルコ福音書の終末とイエスのことは迂回しておきま す。 ルカ福音書を通して、終末について語ったイエスの言 葉理解に注目したいと思いま す。 ルカ福音書で、イエスがエルサレム入城した後の数日 間、19章45節から21 章38節までのことですが、その活動の 間、イエスが語りかける対象になる のはすべて〈民衆〉にな り、そばにいるべき弟子たちのすがたが消され ます。マルコ の並行する箇所には(11:21、13:1)でてきます。エルサレム でイ エスが語りかける人々が、設定上ユダヤ教の祭の中で も重要な過越し祭・ 除酵祭に集まる人々であり、この民衆は ガリラヤの生活者たる群衆と質的にち がい、高揚したユダ ヤ教徒になります。 終末に関するイエスの言葉を引き出し たのも、ルカではマ ルコ(マルコ13:1)と違って、神殿付近にいた「ある人たち」 (ル カ21:5)になります。詳細を省いて結論的に言うと、このエ ルサレムの民衆はル カ福音書の救済史観に彩られたユダ ヤの、つまりイエス・キリスト以前のイスラ エルの民の代表と されているのです。ルカ福音書は80年以後に非ユダヤ人 (ユ ダヤ人から見る異邦人)クリスチャンのルカによって書か れたとされます。80年と 言えばユダヤ主義者が壊滅したユ ダヤ戦争の〈戦後〉であり、戦後を四 苦八苦して立て直そう としているユダヤ教をしり目に、着々と教盛を伸ばすキ リスト 教という時期です。その渦中の著者ルカとして、このイエス の終末につい ての言葉をマルコとは別の視点から読み取 っていることになります。 7節以下、ま ず終末について語られることは、「戦争とか 暴動のことを聞いても脅えてはなら ない。こういうことがまず 起こるに決まっているが、世の終りはすぐ来な い」と。ルカか らみてユダヤ戦争の敗戦が終末の徴にならないことは当然 で しょう。 それだけでなく、今後も「民は民に、国は国に敵対して」 暴動や戦争 や大災害も起こるだろう(10節以下)がそれでも まだ〈最後〉というわけて ゙はない。このあたりになると、これら のイエスの言葉の聴衆がもはや救済史前 史のイエスラエル の民を代表するエルサレムの民衆でなくなってきている感 が します。でも、20節以下もう一度、ユダヤ戦争の評価に戻 ります。「エルサレ ムが軍隊に囲まれるのを見たら、...」その 戦争の悲惨さはヨセフスの『ユダヤ 戦記』VII3に見た通りで す。確かに残されたユダヤ人も、伝え聞く非ユダヤ 人クリス チャンも世も末と云うべき究極の戦争だった。でもまだ終わ りて ゙はない。「異邦人の時代が完了するまで」終わりにはな らない。25節以下、 ついに天変地異が起こって〈人の子〉が 天から現われる。「このようなことか ゙起こり始めたら、身を起こ して頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が 近いから だ。」 この言葉はマルコ(13:27)の黙示文学的な型通り の言葉を差し替 えて、非ユダヤ人クリスチャン・ルカの筆に なるものでしょう。それは世の 〈最後〉の時になるわけです が、それが救済の約束の完成の時であるとな ります。 そして31節「あなたがたは、これらのことが起こるのを見た ら、神の 国が近づいていると悟りなさい。はっきり言ってお く。すべてのことが起 こるまでは、この時代は決して滅びな い」と。こうしてもう一度〈最後〉の時 までの歴史の意味付け を確認していきます。そしてここもマルコの言葉を焼き直 し て、その間を「起ころうとしているこれらすべてのことから逃 れて、人の子の 前に立つことができるように、いつも目を覚 まして祈りなさい。」 ちょっと気 になる言葉です。「すべて のことから逃れて、人の子の前に立つ」というのて ゙すから。 空襲警報が鳴ったらいつでも逃げられるように身支度して お く・・・私たちの国では70年以上前の昔話になりかかって いますが、今でも 空襲に脅えなければならない人のことを 思うと、複雑な気持ちになります。
11月25日の説教から ルカ伝福音書23章35〜43節 「他人を救う事、自分を救う事」 久保田文貞 この日曜日は、伝統的な教会暦による一年最後の日曜 です。礼拝の 聖書箇所として特に理由がないときは、今日 のように「4年サイクル主日聖書日課」 を参考にして選んで いますが、この箇所は、ピラトが群衆の「イエスを十 字架に つけよ」との連呼に負けて、責任ある審理と判断を放棄して しまった結果、 ついにイエスが刑吏兵に引き渡されて行く 場面でのことになります。ここをな ぜ今日読ませるのだろうと 考えてしまいました。 ルカによれば、いわゆるコ ゙ルゴダの刑場で見物人から声 がかかります。まずユダヤ議会の議員 たち。最初にイエスを 極刑に当たる有罪と判断し、総督ピラトにいわば上訴し た 原告の一員です。「他人を救ったのだ。もし神からのメシア で、選ばれ た者なら、自分を救うがよい。」 次に、刑を執 行しようという兵士たち。総督配 下の兵であり、ユダヤ社会 からみて異邦人です。「お前がユダヤ人の王 なら、自分を 救ってみろ。」それからイエスと一緒に処刑されることになっ ていた 隣の「犯罪人」と言われている囚人。「お前はメシア ではないか。自分自身と我々 を救ってみろ。」以上、三者の 立場によって言葉が微妙に違いますが、「救世 主メシヤな ら自分を救え」という意地悪い嫌味という点で同じです。 これか ら処刑されようとし抵抗しようもない囚人に、憎悪 の言葉をこれでもかと投げ かけていく、おぞましい図です。 でも、他人事ではありません。現在の世 界の至るところに、 いや私たちの国にもこのような憎悪の言葉が渦巻いてい る。 ヘイト・スピーチをまじかに受けた経験があります。6年 前、政府が北朝鮮 の中距離ミサイル、テポドンの開発が成 功したらしいと聞いて、恐怖感に囚 われ、日本への核攻撃 を地対空誘導弾パトリオットPAC3を習志野航空自衛隊基 地 に配備するというので、松戸市民の会でデモに行きまし た。 200人ほどの デモでしたが、機動隊がその何倍も来ていて、 基地周辺ではサンドイッ チ状態になる。そこに30人くらいだ ったか若い男集団がいくつかあって叫んて ゙いる。よく聞き取 れなかったが、〈日本の国防に反対する者は非国民だ〉 〈お 前らは日本から出ていけ〉とか〈ブっ殺すぞ〉と物騒な言葉 もありました。 機動隊員が腕組みして並び、デモ隊との接触 を防止しているのですが、 機動隊員は右翼の青年たちに 背を向けて、デモ隊の方を睨んでいる。 憎悪むき 出しのこのような集団が、警官に守られて、彼ら の言う非国民や、外国人にヘイ トスピーチを繰り返す。この ことが世界に報道されて、間が悪いと思ったか、 やっと2016 年ヘイトスピーチ規制法が作られましたが、それ自体への 罰則規 定はありません。表立ったヘイトスピーチは減ったも のの、取り締まりきれない ネット上では一向にやむ気配があ りません。 この種の憎悪の言葉はほとんど が匿名やどこの誰だかわ からないハンドルネームでなされます。自身を 隠し、火の粉 がかからない所から、弱い外国人やまつろわぬ人々、日本 を批判す る人々に向かって、日常で出したこともない憎悪 の感情をむき出しにするので す。 これと関連して、あの自己責任論のことを思い出しまし た。戦場ジャーナリ ストとして活動していた安田さんがシリア で拘束され3年間の抑留の後、先月解 放され帰国しまし た。記者会見で、自己責任についてどう考えるかという意地 悪い質問に、安田さんの答えは新聞でまだ確かめられるの で、ここは私のこ とばで申しますが、〈人が行動する限り一 定の自己責任は当然、でも完 全に自分だけの責任なんて ことはありえない。自己責任をもてないならやめろと いうな ら、紛争地の報道ができなくなるではないか。〉 ジャーナリストは、 ある意味で日常から飛び出して第三者 的な所に立ちます。そこからできるた ゙け客観的な事実を報 道すべき人々です。それこそ彼らの自己責任中の責任て ゙ す。それが記名記事であるべき所以です。彼らはそのため に事柄を外側 からしかと目撃し、背景も調べ、そして批判 的に、ときに共感しつつ、私たち生 活者にその事柄を報道 してくれるのです。彼らはこれから磔されようとしている 人に 「あなたは他人を救ったのだ、ならば次に自分を救ってみ よ」などと言 わない。むしろ、見物人たちがそう言っていた事 実を報道する。この報道は、匿 名では成り立たないので す。匿名で起こされている憎悪の出来事を、責任を もってと らえ、名を明らかにして報道してこそ、それを受けとる私た ちはその事実 を受け止め、その事実に私たちもまた責任を もって臨むことができるのでは ないでしょうか。 「お前はメシアなら、自分を救ってみろ」と匿名の誰かにな ら ないこと、イエスの十字架の死に臨む最低限の立ち位置 になるでしょう。。
11月18日の説教から マルコ伝福音書12章18-27節 「死んだ者の神でなく、生きた者の神」 久保田文貞 復活否定論に立つサドカイ派対イエスの論争物語です。 26-27節は 別の伝承であり、二つを結びつけたのはマルコ か、それともそれ以前の段階て ゙結合していたか、わかりませ ん。ただ、この断片のやり取りを見ると、イエス の言葉は復活 論議に対して淡白なもの。復活信仰を核として持っていた 原始教会か らすれば、ちょっとつれない言葉に感じたでしょ う。マルコがそこまで 意図していたかどうか別として、少なく とも18-25節をイエスが語った言葉とし て考えてみたいと思 います。 さて、サドカイ派について。前2世紀ハスモン王朝 以来の エルサレム神殿に張り付いた祭司階級の党派で、民間ユダ ヤ教党派のハ ゚リサイ派に対抗していました。パリサイ派が律 法解釈の口伝を重視していた のに対し、サドカイ派はトーラ ー本文主義、民間に流布していた復活信仰を否定 していま した。また彼らの階層からユダヤ地域などの大土地所有者 が出てい ました。サドカイ派が利権に敏感な富裕階層と密 接に絡んでいると考えてよ いでしょう。というわけで彼らが出 没するのはエルサレム神殿界隈、この論 争がユダヤ教3大 祭りの一つ、過越し祭・除酵祭のイエス最後の週のエルサ レ ムで行われたとは納得されるところです。 ところで復活否定論を主張する論 拠として19-23節で、 いわゆるレヴィラート婚(義兄弟婚)(申命記25章5-6節)を 挙げます。これが実行された場合、もし復活ということがあ れば、その妻 はどの夫の妻になるかというもの。真面目な反 対論というよりは、復活論者を茶 化している議論としか思え ません。レヴィラート婚の本文規定につづいて、申 25章7節 以下、弟が兄嫁と結ばされることを拒否した場合の例外規 定をわざ わざ法規の中に追加していたぐらいで、すでに申 命記段階で、これが 社会的に不適合になっていたことを思 わせます。捕囚期後に編纂されたとされる神 聖法典(レビ記 17-26章)は、兄弟婚を厳格に禁止しています。レヴィラー ト婚 の適用の息の根が止められていると言えましょう。創世 記38章やルツ記など神 話的かつ伝説的な物語の世界だけ の話になっていたのです。 だが、貴族的 上層階級のサドカイ派であれば、支配者ロ ーマの上層階級やローマに媚び て伸し上ったヘロデ家の 連中が自分たちの財産の散逸を恐れ、レヴィラート 婚まが いの親族婚に明け暮れしていたのを目の当たりにして、他 人事には感じ られなかったのでしょう。こういう連中が財産の 分散を防ぐためにあの手こ の手の手段を使うというのは東 西古今変わりありません。イエスの答えはこうで す。 「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違 いをしているのて ゙はないか。」 品よく語られしかも訳されていますが、「聖書も神の力も 知らな い」とは神殿祭司らへの露骨な侮蔑の言葉に違いあ りません。そしてこう続けます。 「死者の中から復活するとき には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のように なるのだ。」 死人の復活という考え方がユダヤ教に盛んになってきた のは、 前2世紀ごろの世界審判のイメージを描く黙示文学 (旧約ではダニエル書)か ゙流行してからです。25節のイエス の言葉に天使が出てきますが、これも黙 示文学のキャラクタ です。サドカイ派は、どうも黙示文学を邪道と見なして いると 思われます。神殿こそが「神の力」が現臨すべき所であり、ト ーラー の核心たる聖書(モーセ五書)こそ唯一の権威であ り、それに対して民間の預言者 風の者が霊感に満ちて騙る 黙示文学などに権威はないとの見解に立っているの でしょ う。 ではイエスは〈復活〉というものをどう考えていたのでしょ う。この論争物語がイエスに遡ると考えて、サドカイ派のよう に単純に復活を 否定していないのは明らかです。だが、「め とることもなく、嫁ぐことも なく、天使のようだ」と言われたとす れば、それはどうみても後のキリスト 教のような「死人のよみ がえり」(使徒信条)に結びつきません。イエス死後の 教会 がイエスの十字架の死と復活を信仰の中心に据えて行き、 それを黙示文学的 に終わりの日にはクリスチャンみな復活 するという信仰とはストレートに結びつ きません。イエスがこ こでなかば肯定的に復活について語っているように見 える のは、もっぱらサドカイ派のような人々の願望をバカにした ような語り 方に反対しているゆえのように思います。 前述したように26-27節の言葉は、別の伝 承です。『わ たしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と 創 世記に書かれている、そこで 「神は死んだ者の神ではな く、生きている 者の神なのだ」となる。どう考えても相当な論 理の飛躍だと思うが、これ はユダヤ教ラビ的な表現法だと言 います(田川『訳と註』)。はたしてこれか ゙復活論議について の言葉かどうかわかりません。復活議論と切り離して、むし ろ人が死に脅えて固まってしまっているところで、イエスが その人をかかえ 起こして、「神は死んだ者の神ではなく、生 きている者の神なのだ」 と宣言 する、それで十分でもありま す。
11月11日説教より マタイ福音書6章12節 板垣弘毅 「我らに罪をおかした者を我らがゆるすごとく、...」 私たちは礼拝 のたびに、また日々「主の祈り」をします。 その第5願。神を相手の取引条件のよ うに読めて、祈る者 を悩ませてきたました。どうしても口ごもりますね。 「我 ら」は神から大きな負債(罪)ゆるされている、まずそこに 立ってこの祈りがな されるべきだ、と受け止められることが多 いと思います。マタイ18章のイエ スのたとえ話の示すとおり です。そのとおりだと思いますが、神に多くを赦 されたのだ から、それに応答して赦すべきだ、この解釈には、神の赦し を人 間の赦しと同じ次元に引き下ろす危うさもあります。「わ たしたちの負い目を赦 してください」(マタイ6:12) といっても、神に赦されることがどういうこと かわたしたち人間にはま ったく知られないことですね。神への「負い目」を人間 が決 められるのなら、その神は人間の規模の神でしかありませ ん。神の赦し、 神への負い目は、埋めることのできない空洞 であるほかありません。その「負 い目」は、具体的にきょう誰 かを傷つけてしまったといった痛切な思いなどから 始まると しても、です。ユダヤ教の大贖罪日、カトリック教会の告解 の制度な どは、人間の「罪」意識さえ絶対化されないのだ、 という洞察があるにして も現実には、自分の罪や神の赦しを 意のままにする仕組みになっているかもしれま せん。 神は 人の意のままにならない。「祈る」とき私たちは、代替不可 能な「た だの人」です。十字架の上で「どうしてわたしを見捨 てたのか」と叫んた ゙イエスが人間の力では埋めようのない空 洞を示しています。 意のままになら ないものを意のままにできる、意のままに 空洞を埋めることができると思い 込むことが、きっと私たちの 「負い目」ではないかと思います。自分の「思い 込み」(それ が自分自身への罪意識であれ、他者への断罪意識であ れ!)を絶 対化することは、あの空洞を自分で埋めようとい うこと。 そこで「わたしたち の負い目を赦してください」 という祈りは、神さまの「赦し」がわたしたちに とって白紙であるからに は、私たちもとりあえず白紙にしてくださいという ことでしょ う。この祈りにつづく歩みは、これから書き込まれる白紙の ペー ジを差し出し、古いページの自分は消せないけれど、 新しいページて ゙生きてゆこうということになります。そこでわ たしたちひとりひとりが無条 件で向こうから注がれている「ま なざし」にさらされることになります。そ れがイエスの「神の国 は近づいた」という福音でした。やってくる「神の国」 の前 で、人は誰も白紙。立ち尽くして待つような存在です。 そのことは次の 「わたしたちも自分に負い目のある人を赦 しましたように。」 にも通じます。 「罪(負債)を神に赦され る」ということが、自分の「罪」の自覚もないまま、こ の自分に 注がれているイエスのまなざしに気づいたときを指している なら、 人はどうしても、このまなざしに遅れるのです。遅れて 同じまなざしの 中にある他者に気づく。「赦しました」という 過去形はこの「遅れ」です。こ の「まなざし」の比喩形を、私 たちは生きたいと思って、この祈りをするはず なのです。 「放蕩息子のたとえ話」で、父親は、帰還した蕩児を遠くか ら見つ け駆け寄って抱きしめ、その日は大宴会です。畑で の仕事から帰宅した兄は、 日頃厳格で質素な父親の常な らぬふるまいに怒り、家に入ろうとしない。父親は 言う「おま えのあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つ かったのだ。喜び祝うのが当たり前ではない か。」 この「当たり前」は神 の「当たり前」で、人間の「当たり 前」ではありませんね。自分の意志で家 を捨て遊興三昧を 尽くして落ちぶれた弟に、帰る場所はないはず、というのか ゙ 兄の「当たり前」(自己責任論)です。相手の罪の意識の深 さなどまったく問 わず、責任も問わず、父親のまなざしだけ で弟息子は見られています。 「わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。」 わたしたちは、この 神の「当たり前だ」という「まなざし」の 中にあると、この祈りは告げてい ます。兄息子のような自己 責任論はきっと自分自身への厳しさにもなるでしょう。 そこ に立つからどうしてもこの祈りが祈れなくなるのだと思いま す。 父親 の「当たり前だ」、そこに立ち還って、古いページは 消えませんが、新し い白紙のページをめくって新しい関係 を生きることができますように...こ れが「主の祈り」の5番目 の祈りだと思います。白紙のページへの希望は、 「御国を 来たらせたまえ」にも重なっています。
11月4日説教より 第一テサロニケ4章13-18節 「支えられている死と命」 久保田文貞 最悪の仕方で処刑され葬られ死の世界に封印されたは ずのイエスが墓にいな い、神はイエスを「死人のうちから」引 き上げられた... これによって残された 者たちの思いは激しく攪乱され、や がて次から次に新しく、時に奇抜な解釈と告 白が生まれて いきました。原始教会の最初のことです。 その一つが、終わり の日の審判に関わるものです。今日 の聖書箇所はパウロが書いた手紙の中て ゙最古の第一テサ ロニケの言葉です。その4章15以下に「主の来臨の時」の記 述 が出てきます。パウロがこの手紙を書いたのが第2伝道 旅行の最中、コリン ト滞在中の50年頃のことですが、手紙の 送り手も受け手も、まもなく「主の来 臨」=最後の審判の日 を迎えようとしているという特別な緊迫感の中にいたことが わかります。 この審判の日は、一人一人のキリスト教徒にとっては、ま ずは〈私〉 自身の救いが完成する日になるわけですが、同 時にそれ以外のほとんどの 人々には裁きの日になる。でも 世界中の人々のほとんどがそれと知らず、 いつも通りに生 きている。そんな中でクリスチャンだけが、〈今〉の時を緊 急 事態として、身を寄せ合い息を殺して終わりの日を今か今 かと待っている...。 第一テサロニケを読むとその様子が偲 ばれます。 だが、時間の経過ととも に、この緊張感は次第に形を変 えていきます。例えばコリント教会のように、古 い世界のしが らみから解放されて自由を手にしたと錯覚した人たちが、 放埓に 振る舞うなど。パウロの真骨頂は、「時間の経過」= 「主の来臨の遅れ」の中て ゙擦り切れていく緊張感を、主に選 ばれた者としての倫理的な緊張へと高めていっ たことでしょ う。第2伝道旅行中に書かれた第一テサロニケ書簡には、 「主の来 臨」を待つ者がそれを遅れとして動揺したり不平を もらすことなく、むしろ「主 の来臨」を待つことを「恵み」として 受けとめ、その中で自信を持って生きよう という呼びかけ声 が響いていると思います。 けれどもこのことは、パウロ が「異邦人への使徒」という任 務を果たすことの中で起こってくる問題系なの です。異邦 人へ=外へと福音を宣教していくゆえに、その宣教の成果 として生ま れていく教会が、異邦人社会の中での特殊をど う生きていくかというときの、 倫理です。だからこそ、「主の来 臨」を待つ身として、「眠っている人々」=来 臨に間に合わ ず先に亡くなった人々もまたしっかりと考慮に入れておかな けれは ゙ならないのです。 いま「主の来臨」を待つ恵みの時、2000年近く経って、 「眠っ ている人々」は天文学的数になっていますが、この数 字にだまされてはいけな いでしょう。「主の来臨」を待つ恵 みの時にあっては、生きている人と、亡くなっ ている人とが、 単純な生理学的な生と死の線引きで分けられないのです。 私 事ですが、103歳になる私の母は数年前からすでに亡 くなった夫=私の父が 生きていると思っています。私は最 初のうちそんなことないよと言い聞かせました。 でも効果あり ません。後になって認知症の人の言うことを頭から否定して はいけ ないと教えられ、母の言葉に合わせていきました。そ うやっているうちに妙な感覚 に襲われ始めました。母と私、 父と私の関係性においては、生きている者と亡くなっ た者 の間の生物学的な境界線など大した問題ではなくなってい ったからです。 死者とは究極の他者=外部のはずですが、パウロ的に 言えば、「主の来臨」 を待つ恵みの時において、異邦人と いう外部にこそ福音を伝えようというパウロ にとって、すでに 「眠っている人々」=死者たちの外部性も、同じ値にすぎな いということになるでしょうか。 4章17-18「...それから生き残っているわたした ちが、彼らと 共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうし て、 いつも主と共にいるであろう。だから、あなたがたは、こ れらの言葉をもっ て互に慰め合いなさい。」 5章10-11「キリストがわたしたちのために死なれたの は、 さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるた めである。 だから、あなたがたは、今しているように、互に 慰め合い、相互の徳を高めな さい。」 「相互の徳を高める」と訳されると、先に徳があって、その 徳を高め合 うという話になりますが、オイコドメオーという原 語は、「主の来臨」を待つ 恵みの時に、みんなで試行錯誤 しながら建設していくという楽しい作業を意味 しているのだ と、私は勝手に思っています。「互いに慰め合う」パラカレオ ー も同様です。 「主と共に生きる」「主の来臨を待つ」者たちのパラカレオ ーと オイコドメオーは、生者と死者、内部者と外部者の境界 を越えて、楽しく輪舞し、 語り合い、作業する事でしょう。
10月28日説教より 使徒言行録14章8〜17節 「宗教を超えた恵み」 久保田文貞 上記の箇所によれば、バルナバと行動を共にした 第一伝道旅行の時、パウロはル ステラという町で足の なえていた男を歩かせるようにするという奇跡的な癒 しを したと言います。すると町の人々(パウロから見て 異邦人)が二人を神々の子孫 のように崇め供物を捧 げようとした。二人は自分たちも「同じような人間」て ゙あ って、ただ皆に「生ける神に立ち帰るように福音を説 いている」と云う。そ こで彼は書簡にはほとんど出てこ ないようなことを言う。神はご自分のこと を「あなたがた (異邦人)のために天から雨を降らせ、実りの季節を 与え、食物と 喜びとで、あなたがたの心を満たすな ど、いろいろのめぐみをお与えに なっている」 同様な言葉は17章にも出てきます。こちらは第2伝 道旅行の途中、ア テネのアレオパゴス会議所で哲学 者たちを相手に議論した時のことです。 パウロをして、 世界・自然からでも「熱心に追い求めて捜しさえすれ ば、神 を見いだせる」と言わしめています。28節の言 葉は決定的です。「そしてわれ われは神のうちに生 き、動き、存在しているからである。あなたがたのある 詩 人たちも言ったように、『われわれも、確かにその子 孫である』。」 前2世紀の 詩人アトラスの言葉です。アトラスは当 時の天文学上の知見を6脚韻の詩文にまと め、農事、 航海、漁を事とするだれでもがその知識を暗誦し使え るようにし たという詩人。 人には自然を通して神のなさろうとしていることを知 ることがて ゙きる。木々の緑、水の流れ、頬かすめる風、 苔むした岩、里山の下まで続く水 田、黙々と大地を耕 す人の営み、子を抱いている母親、戯れる子たち、な どなと ゙観想しているだけで神を知ることができる・・・キ リスト教神学でい う「自然神学」です。日本人としては 親しみやすい神学です。 これと対極にあ るのが、いわゆる啓示神学です。代 表的なのがパウロの書簡の中に出てく る思想と言って よいでしょう。 大雑把にいうとこうなります。青年パウロが、 かつて 持っていた神への熱心は自力で自分の義を立てよう としたもので、こと ごとく的外れだった。この世は知恵 で神を知ることはできない(Iコリ1章 21)。では人はど のようにして神を知るに至るか。ただ「私の(罪の赦し の) ため」に十字架に付けられた復活者イエス(の霊) を信じることによって、人は救 われるということであり、 そのようにして人は神が自らを啓いてくださるこ とによ ってはじめて神を知ると。 けれども、パウロ書簡とその流れにあるコ ロサイ、エ ペソなどを除く新約諸文書、殊に福音書にも、さらに そのベース となった旧約諸文書にも、人が自然を通し て神の知恵、神の意志を、神を知ると いう表現がいく らでも出てくるのです。創世記1章の天地創造の記述 は、は じめに神があり、その言葉があって世界と人間 とが創造されるとなってい ます。これは裏返せば、人 が被造物たる世界と自分自身をしかと見ることを通 し て、神の天地創造のわざを知ることができ、その創造 前に存在する神を知 ることができるという一つの立派 な自然神学していることを意味します。 マル コ4章26節以下に、イエスが語られた譬が複数 収録されています。その一つ、成 長する種の譬を見 て下さい。「神の国は、ある人が地に種をまくようなも ので ある。夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出し て育って行くが、どうしてそ うなるのか、その人は知ら ない。地はおのずから実を結ばせるもので、初め に 芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。実 がいると、すく ゙にかまを入れる。」 神の国の本質、宗教上の理念を言い表すためのお道具 として の比喩と理解されますが、イエスの比喩表現全般に 言えることですが、ここ では成長する種の一生そのものに神 (の国、の支配の在り様)を見ればそれで 十分。比喩の解 釈の先に、神の国の理念がありますよ、ということではありま せん。イエスの譬、比喩は、理念を分かりやすくするための 説明の道具ではない のです。種の成長の姿を傍から観察 し、でも同時に、その成長と刈入れを感謝 し、その自然を愛 でる。それは「自然神学」なんてものではなく、自然あるか ゙ま まの中に、神を知るというわけです。
10月21日の説教から マルコ福音書7章24-31節 「イエスの群衆とパウロの異邦人」 久保田文貞 前回は、パリサイ派的ユダヤ人パウロがイエスの復活の 霊に出 会って、異邦人への使徒という在り方を取ることで起 こる矛盾のことを取り上け ゙ました。彼にとってこれまで自分を 培ってくれたユダヤ人共同体とその価値 体系が瓦解、今後 はそれまで見下していた異邦人社会に晒されて生きていく こ とになるはずです。けれどもパウロは、キリストを信じること によって 起こった自分の転回が異邦人社会の大転回にも なるはずだという(無効から見 ればものすごいお節介です が)信念をもって、「異邦人への使徒」という立 ち位置を取り 続けたわけです。だが、異邦人への使命が果たされれば、 そこはもう外部ではなく内部になってしまう。異邦人への使 徒として安堵してい るわけにはいかない、常に次の異邦を 求めて動くよりないのです。宮沢賢治の文 学で言えば、パ ウロはどこへ行っても異界から現われた〈風の又三郎〉の ま までなくてはならず、いつか〈風の又三郎〉として去っていく ということに なりましょう。外部から現われたパウロは再び外 部に去っていく。何か問題か ゙起こると外部から内部への使 信を送るというわけです。 何度も言ってきたこと ですが、パウロのこの立ち位置は、 離散した〈ユダヤ人〉ならではのも のと思います。元々が異 邦人の間に暮らすよりないユダヤ人であり、気を許 せば外 部に呑みこまれかねない中で、より堅固な内部を作ってい く、〈ユダ ヤ人〉というあり方の宿命みたいなものでしょう。パ ウロの場合、キリストの 福音に触れて、自己のユダヤ人性と いう枠組みが無効になっていくわけです が、その時、彼は 「異邦人への使徒」というユダヤ人性なくしてはありえない 微妙なところに立つわけです。 では、当のイエスの場合どうでしょうか。 イエスもある種の 「覚醒体験」(佐藤研⇒大貫隆『イエスという経験』)をしたの て ゙しょう。そのひとつ「私はサタンが稲妻のように天から落ち るのを見ていた」 (ルカ10:18)と言われる体験の元には天が 張り裂けて神の力が地上に降り注ぐ 事態を目の当たりにし たイエスの体験のことが言われているのかもしれません。 そ の他神の国の祝宴など、イエスが捉えた神の国の比喩的な 表象が「ルート メタファ」となり、それらが関連付けられて神 の国の福音が全体的な像(大貫 「イメージ・ネットワーク」)と なって民衆たちの間を展開していくというわけて ゙す。イエス の元に集まる人々の間で神の恵み、神の支配が次々と現 実化して いく...人々はこうとらえたでしょう。 イエスがそのようにしてフェニキア地方 を遊行し、ある家 に滞在していると、そこに一人のギリシャ人の女(ユダヤ社 会から見れば異邦人そのものです)がやってきて「娘から霊 を追い出してくた ゙さい」と願った。「子供たちのパンを取って 小犬に投げてやるのは、よろし くない」というところです。こ の問答について深入りしないでおきます。最終 的にイエス は女の異邦人性に少しも触れることなく、その娘の霊を払っ てやるのて ゙す。イエスの周りに降り注ぐ神の恵みのイメージ は、そこにやってきた者か ゙ユダヤ人か「取税人や罪人」かと いう線引きを無効にしたと同じく、ユダ ヤ人か異邦人かとい う区別も無視しています。この後、イエスはガリラヤを超え て デカポリス地方にも行きます。これらの地区は異邦人の方 が多くする地域 です。ユダヤ人は異邦人の間に肩を寄せ 合って生きていると言えるかもしれま せん。イエスの周りに 押し寄せる群衆自体がイエスの福音の質を察知していて、 ユダヤ人も異邦人もお構いなしになっていたと思います。 だが、このイエス の覚醒体験を通し、神の国のイメー ジが現実となってイエスの周りに起こって いく出来事 に対し、弟子たちはお手伝いするにはしたがそれを自 分のものにする ことはできませんでした。結局は逮捕 されていくイエスを見殺しにしてしまっ たわけです。 その挫折、失意、落胆の土壺の中で、イエスが死人の 中から復 活したという女性たちのメッセージを受け て、あらためて神の恵みの覚醒体験を したということ になりましょう。パウロの体験もこの弟子たちの体験 あってこそ のものでしょう。けれども、イエスの体験 したものと、弟子たちがイエスの 死と復活を通して体 験したものとは、最初からぴったりと重なるというも ので はありませんでした。マルコをはじめとする福音 書=イエス行伝は、その両者の 調整という意味をもっ ていますが、その福音書もつかみどころがかなり違っ ているというのが現実です。 今日の論点からいうと、やはりイエスの福音もイ エ スの死と復活の福音も本質的にユダヤ人という殻を打 ち破り、すべての人間 の福音へと、異邦人へと、世界 へと開いていくよりないわけです。というと聞こ えは 良いが、まかり間違うと(実際には、間違えた方が圧 倒的に優勢なので すが)、すべての人間の支配の道具 に成り下がりかねない。これまで何回か 申し上げてき たように世界宣教という響きには、いつも帝国の世界 支配と共犯関 係になる危険がつきものになっていると 押さえておかなければならないと思い ます。
10月14日の特別集会説教から 詩編126編1~6節、マタイ福音書5章1~12節 「平和を実現するために」 大月純子さん イエスは、山上の説教において、「平和を実現する人々 は、幸いである、その人 たちは神の子と呼ばれる。」と言わ れています。 私は、広島に移り住んでから 21年になりますが、被爆2世の 立場から、被爆の実相について伝える活動をしてき ました。 それは、自分にも被爆の影響があるかもしれないと命の不 安を抱えて生 きてきた者として、「こんな思いは他の誰にも させたくない」という思いからで す。広島の平和記念公園に ある「広島平和都市記念碑」(通称:原爆死没者慰霊碑)の 碑文には「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬ から」と刻まれてい ます。私たちはあの碑の前に立つとき、 その言葉を心に刻むのです。けれども、 1991年から始まっ た湾岸戦争からアメリカ軍が使用する劣化ウラン弾によっ て、 イラクやアフガニスタンなどで新たなヒバクシャを、そし て、2011年3月11 日に起こった東日本大震災に伴う福島第 1原発事故によって、新たな被曝者を生み出 してしまいまし た。 このように私たちが過ちを繰り返し続けてしまっている現実 の中で、私は「平和」という言葉をこれまでのように使えなく なりました。そ れは、「平和のために軍隊が必要」「平和のた めに基地が必要」という言葉を 耳にすることがあるからで す。それだけではなく、この国が「核の平和 利用」という言 葉を用いて、原子力政策を推し進め、その結果、全国に54 基の原発 が作られてきました。「平和学」では、戦争のない 状態が「消極的平和」て ゙あり、戦争だけではなく、いじめや 搾取や抑圧、差別など社会の中にあ る構造的な暴力がな い状態が「積極的平和」であるといわれています。けれ ど も、安倍首相は全く違う意味で、この「積極的平和主義」と いう言葉を用い ていました。まり、私たちが、「平和を実現す る人々は、幸いである」という イエスの言葉を読むときにも、 気を付けなければ、まったく違う意味で用いら れてしまう可 能性があるのです。 詩編126編には、「涙と共に種を蒔く人は 喜 びの歌と 共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った 人は 束ね た穂を背負い 喜びの歌をうたいながら帰って くる。」 と歌われています。こ の歌は、1節に「都に上る歌」と書かれ ており、「主がシオンの捕われ人を連れ帰 られると聞いて わたしたちは夢を見ている人のようになった。」と歌われて います。 つまり、これはバビロン捕囚期に、捕囚の地で歌わ れた歌だということか ゙わかります。「バビロン捕囚」というの は、イスラエルの国が戦争に負け て、敵の国であるバビロニ ア帝国の首都バビロンに強制的に移住させら れたことを意 味します。これは当時、戦争に勝った国が負けた国の反乱 を防ぐ ために、そこに住む人たちを強制的に移住させてい ました。 戦争に負けて、敵の国 に強制的に移住させられたイスラエ ルの民は、自分たちの罪のために神に見捨てら れたと感じ ました。また、イスラエルの神はバビロンの神に負けてしま った のだと思いました。それは、それまでの預言者たちが 「敵の攻撃」を神の裁 きとして預言してきたからです。けれど も、バビロン捕囚以降の預言者た ちは、イスラエルの神は 負けたわけでも、見捨てたわけでもなく、バビロ ンの地にい てくださって、イスラエルの民の祈りを聞いてくださると預言 をし つづけました。そのような希望を語り続けた預言者たち がいたからこそ、この 詩編126編の歌が歌われたのです。 私たちは、「平和を実現する」には、自分は 無力であると思 ってしまうことが多々あります。2003年にアメリカがイラク を 攻撃することを止められなかったとき、私は無力感にさいな まれました。その時 に、市民運動の仲間が、「私たちは決し て無力ではない。微力だけど私た ちにできることをしていき ましょう」と言われました。「神は私たちの手を用い て神の業 をなされる。」と語った神学者がいると聞いたことがありま す。神は 私たち一人一人を用いて、「平和」を実現されよう としています。それは、一人一 人が神の前でかけがえのな い存在であり、誰一人として、神の前で軽ん じられて良い存 在なんていない、滅びてもいい存在なんていないということ を 私たち自身が分かち合っていくことが、平和を実現するこ となのかもしれませ ん。そのために、神が私たち一人一人 に「あなたはかけがえのない一人だよ」 と声をかけてくださ り、無力だと思ってしまう私たちに必要な力を与え、その こと を共に実現するための仲間を与えてくださっていることを覚 えたいと思いま す。そして、どんな時も、どんな状況でも、も がき苦しむ私たちの傍らに イエスが一緒にいてくださって、 一緒にもがき苦しみながら、私たちの人 生のただなかで、 闇に光をもたらし、涙を喜びの歌に変えてくださろうと してい ることを信じ、自分に与えられた場所で、自分らしく生き生 きと生きる ことから「平和」を実現していきたいと思います。
10月7日説教ノート ロマ書15章8-19節 「異邦人への使徒の矛盾」 久保田文貞 パウロは、最後の書簡となった(?)ロマ書で自分が「異 邦人の使徒」であるこ とを強調しています(1:5,13f、11:13な ど)。「使徒」という名称は、初代教会に あってイエスの直弟 子という権威ある地位になっていますが、マルコの云わせ れ ば、イエスが宣教活動の拡張のために弟子たちを周辺 地域に遣わした(マルコ 6:7)時の単なる「遣わされた者」(マルコ 6:30)位の意味にすぎないとなります。 としても、使徒(アポ ストロス)という呼称には、内部から外部に向かって派遣さ れるという意味が込められていることになります。パウロも書 いていますが (ガラテヤ1:19)、エルサレムの初代教会でイエ スの弟子だった者たちがみ な使徒という呼称を使いはじめ ていることが窺えます。この変化は、キリスト の福音がユダヤ 人という内部だけでなく、すべての人間=ユダヤ人外部 に も向けられれているという初代教会の自覚を反映していると 思います。パウロ が言明する「異邦人への使徒」という一見 怪しげな名もそれなりの理由があっ たと言えましょう。 おそらくパウロが書いた最後の手紙の結論部でまたも異 邦人の使徒であることが強調されています。15章9-12で はこれを聖書を引用 し論拠づけています。詩編18:49、申 命記32:43、詩編117:1、イザヤ書11:10。 とりわけ申命記32 章1以下について、設定ではモーセが40年間イスラエルの 民 を率いてついにヨルダン東岸の山に到着。谷向こうのカ ナンの地を見せ、あれか ゙神の約束の地であると伝え、モー セはそこで死んだという箇所です。死 の間際に歌った「モー セの歌」をざっと見てみるとこうなります。神は諸国の民 (= 異邦人)から拒否された、そこで神はイスラエルを自分の民 として選んだ、 彼らに約束の地を与える、これに敵対する者 があれば、神自ら報復するぞと。 その最後が「国々の民(異 邦人)よ、主の民のために喜び歌え」なのです。カ ナン人に とって「喜び歌う」どころではない。むしろ倒錯した加虐的な 言葉 です。 ここに潜んでいるのは、まずイスラエルが救われ、次に諸 国民=異 邦人へというイスラエル・ファースト、イスラエル中 心の救済史観です。この感 覚がユダヤ人パウロにもあっ て、異邦人への使徒と云う以上、ここをなんと かしなければ ならない。 そもそも異邦人とは何か、繰り返しになりますが、再 考し ておきます。ユダヤがかつて国家という拠り所を失い(前6 世紀)、廃墟に やっと復興した神殿にしがみつく一宗教集 団になりさがった。ユダヤ人は以 後、圧倒的な力をもった帝 国の中で諸国民⇒「異邦人」に囲まれて生きていくより な い。彼らは帝国という〈外部〉の中に一時も気を抜くことなく 〈内部〉を作り出 し続けていくという矛盾をかかえて生きてい く。ディアスポラ・ユダヤ人。 それがパウロの出身階層です。 主としてギリシャ語を話す異邦人の中にあっ て、異邦人と交 渉しながら生活の資を稼ぎ暮らしていく。“外人”として彼ら の 言語を使うよりない。パウロのような外地生活の2世3世に とって、ユダヤ人て ゙あることの加重は大きい。その故にこそト ーラーを学び、よきユダヤ人で あろうとする青年パウロ。 おそらく彼はユダヤ人性を高めるため他流試合よろ しく 旅に出たのでしょう。聞けばダマスコ界隈に新メシア登場を 信じる集 団があるという。許せないのは彼らがもはや律法を 守らなくてもよいと公言し ているとか。これを糾弾するユダヤ 人たちの先頭に立って、青年パウロは連中 を捕まえ、むち 打ち刑を求刑し、実行したらしい。彼が糾問していくうちに、 被 告たちが恐れず告白することばの端々から、人々の罪の ゆるしのために十字 架に付けられたナザレのイエスのこと、 そのイエスが復活したという情報が 彼の耳に入ってくる。 陰画が、陽画になるにはちょっとしたきっかけさえあれは ゙ よい。ユダヤ人としての自己確認を完璧にしてきた一切が、 イエスの十字架 と死と復活の出来事によって粉砕され、彼 の内部性は解体していきます。彼の生は 内部に留まること の意味を失い、外部に向かう生になっていきます。「異邦人 への 使徒」という、なんとも座りの悪い場所に、宿命的にパ ウロは立つのだが、 この矛盾、気まずさ、混乱、それをなん とか整理していくよりありません。それ が彼の魅力でもありま す。だが、それは言葉を換えて言えば、自己のエ リート性を どれだけ解体し「異邦人へと向かうか」ということをバネにし た 生き方でもあります。次々と現れる異邦人、だが、その異 邦人がいつのま にか内部になってしまいかねない。すると 次の異邦人へと向かうよりない。思想的 には、永久運動を 売りにしたエンジンのようなもの。着地し定住しようとしても、 それが許されない。ひととき敬虔なる者たちの集団に憩い あえる時を過ごせた としても、そこに留まるわけにはいかな い、それが異邦人の使徒の宿命なので しょうか。
2018年9月30日(日)説教から コロサイの信徒への手紙 3章22節~4章1節) 「自分のためではなく」 飯田義也 今日の聖書の箇所は、日本聖書協会の聖書日課(今日 読む聖書の箇所)を取り上げて いますが、物議を醸してき たところを読ませるなぁと思いました。日本キリスト 教団の過 去の牧師たちを中心として「逐語霊感説」を云う人たちがい ます。聖書 の言葉は一字一句が神の霊感によって書かれ ているということで、そのこと自 体に私は反論がないので す。つまり、創世記の神話などは歴史の中で何世 代にもわ たって練り上げられてきた言葉です。文字の配列が対称形 になって いたり韻を踏んでいたり、現代人とは違うこだわり で、それこそ一字一句か ゙重要な役割を持たされていたりし ます。逐語霊感説を考えるときに、何か魔物に 取り憑かれ ることのように考える方もあると聞いていますが、神様は魔 物では ないので人に取り憑いたりはしないでしょう。 さて、聖書を自分の立場を正当 化するために読むという 場合があります。 単純に読んで、パウロはここで、 奴隷は奴隷のままで、主 人は主人のままでと言っているわけです。社会の構 造に異 を唱えるようなキリスト者のあり方に対して、パウロがもとの 社会のま までいなさいと言っており、それが神の言葉ですと 諭す際に使われます。 て ゙、社会改革に身を投じるべきだと考える側の人々は、 この言葉をそのまま 採らず、解釈を始めるわけです。パウロ が書く言葉が「逐語霊感」的な ものだったとして、古代人で ある彼の頭の中には、たとえば「奴隷解放」み たいな近世 思想が浮かぶはずもありません。ただ、教会の中に「すぐに 世の終わりが来るから働くことはない」なんて考える人もい たということはあっ たようです。パウロは、終末(世の終わり) はすぐには来ない、社会生活はちゃ んとしましょう、というニ ュアンスでこのところを書いています。古代社会には 古代 社会の当たり前があり、人が書くのですから、いくら神の言 葉だとは いえ「書く人の限界」を乗り越えることはできませ ん。 現代の私たちが奴隷と 聞くと、大航海時代のアメリカでの 奴隷のような非人間的な扱いを想像してしま うのですが、古 代の社会では結婚の可能性もあったり、社会層を移ること か ゙あったり、確かに奴隷の身分の人々はいたのですが、そ れほど非人間的な ことはなかったとも言われています。だか らいいというものでもありませんか ゙、それが時代ということで す。この頃の家族・一族は、いわば現代社会て ゙の会社で す。取締役会の人々と、社員くらいの感覚かもしれないな・ ・と想像 してしまいました。現代社会だって古代社会よりもま しになっているかどうか、 それほど確証はないのでは・・。ま さに現代の日本で「社畜」などと言わ れています。会社の上 司が部下に対して誰に投票するかを強制してくるというよ う な例は、今も昔も変わらない人間の姿なのかもしれません。 しかし、これも結果 的に自分の立場を正当化するために 読んでいるとすれば、変わるところがな いのでは。今日のテ ーマ「自分のためではなく」です。 怒りに起因する社会 運動が盛んです。怒りをもつことは 大切だと思います。ただ、社会運動か ゙愛に基づくものにな っていったらなぁ・・と考えたりもします。 職場でのこ とをお話しします。職場をよくしていきたいと、 非常に攻撃的に不正を糺していく 人がいました。確かに神 様の正義はその方の考えているところにあると思ってい まし た。しかし、攻撃的な言葉が他の職員からは受け入れられ なかったのでし た。辞めていく職員もありましたし、会議で はいつもけんかばかり。それで は組織がもたないと、不適切 な業務をチェックしながらもそれをする人を責め たりせず建 徳的な研修を続けようということになり、努力を重ねました。 この記 述の前後、パウロはいろいろと人のあり方につい て行動規範的なことを書き連ね ていますが、その起筆では 「あなた方は神に選ばれ、愛されているのです から・・」と、 神様の愛があるから人はこのように行動するのだという、基 本 のところを明らかにしています。人が何をするにせよ愛に 基づくということか ゙必要だというのです。 神様の愛をひとまとめに書いてある場所としてコリン トの信 徒への手紙一の第13章があります。結婚式の時にしか読ま れないのです が、人間が互いに愛し合うことよりも神様がこ のように愛してくださって いることとして書かれています。ギ リシャ語の中でも特別な愛を表す「アガ ペー」という言葉が 使われているからです。神様が忍耐強く、寛容に、情 け深く 人間を愛していてくださっているのですから、そのことに基 づいて、 日常を過ごしたいと、改めて思った次第です。
9月23日説教より 使徒言行録17章1-9節 「伝道とポスト・コロニアル」 久保田文貞 原始キリスト教のその始めから、イエスの福音がもはや神 の民イスラエルだ けのものではない、「異邦人」ethnēのもの でもあるという確信がありました。 聖書に言う「異邦人」とはイ スラエルの民以外の諸民族を指します。1世紀頃の〈ユ ダヤ 人〉にとって「異邦人」はただの外国人ではなく、神の救い から除外さ れた民を意味しました。ですから異邦人がその ままで救われるとなれば、 〈ユダヤ人〉〈異邦人〉図式を解体 しなければならなくなります(ガラテヤ 3:28など)。いわば未 知の世界に突入することになります。解体しそこなうと、 新 手の〈神の民〉教会が新規の〈異邦人〉を作り出し、排除と 同化の強制、時に は目を覆いたくなるような露骨な暴力 へ、あるいは洗練された文化的社会的暴力へ と結果してし まいます。 よそ事のように見えるはるか昔の遠い例。1492年、コロン ブスがスペイン、イサベル女王の資金で西回りインド航路 (先行したホ ゚ルトガルの東回りインド航路に対抗)を目指し、 10月バハマ諸島のグァナ ハニ島に上陸すると十字架を立 てさせ、その地をサン・サルバドル島(「聖なる 救い主」の 意)と命名、すぐに先住民を懐柔し、騎士、兵士、船員、書 記、先住 民を立ち会わせ、スペインの占有宣言(当然スペ イン語で、先住民にその中身 は理解されない)。この儀式を 同行させたキリスト教司祭に執り行わせる。コロンフ ゙スは以 後4回の探検をするが、最後までそこがインドの一部だと信 し ゙こんでいて、先住民をインディオと呼び続け、行く先々で 占有宣言をし ていく。この定式はその後、最悪の形でコル テスがアステカ王国へ、ピサロ がインカ帝国へ、略奪、暴 行、破壊を伴って引き継がれることになる。ご存 じの通りで す。 ただし、植民者の中にラス・カサスのように自責の念に駆 られ、故郷に帰って司祭となって戻り、インディオ救済の宣 教活動をし、スペ インの植民政策を告発した人もいます。 やがて悪質な植民地収奪はかえってマイ ナスだと知ったス ペインは恒常的な植民地経営を学んでいきます。だが、 所 詮は植民地支配。後発のオランダ、イギリス、フランスなど の植民地支配 はより洗練されたものになっていきますが、 収奪の度合いはより増しただけ。 西欧近代の植民地主義 の名分は後付なのですが、野蛮で未開の地に近代の合 理 的な文明をもたらすということでした。 取ってつけたような植民地主義・帝国 支配の使命感と、 キリスト教の異邦人伝道の使命感が似たもの同士として、 互い に引き合ってしまうのは理の当然です。しかし、このこ とは、よその国の教科書 的な歴史にしておくわけにはいき ません。明治維新後の日本はヨーロッパ列強を 手本にして 近代国家を目指し、その結果、沖縄と太平洋の島嶼、北海 道と以北の島々 を編入させ、さらに東アジアの盟主として 実質植民地的支配をしようとしました。 その際、近代西欧文 明とともに日本に入ってきたばかりのキリスト教は、ひ弱な がらも日本の近代化と軌を一にしたのです。前回話した「開 拓伝道」もその一 例だと思います。 キリスト教がいつも政治権力が大が小を巻き込むときの よ うに単純な力学に足を取られてしまう発端になっているの は、「異邦人」宣教の 使命の誤解によるものです。小が大を 巻き込む限りは痛快の感がありますか ゙、やがて小が大にな ればまったく逆の事が起こります。大・小や、強・ 弱が気に なるのはやむを得ないとしても、そこを基点にするとどうして も不健 全で屈折した結果を招いてしまいます。でも、このモ チーフが旧約・新約聖 書にふんだんに出てきてしまいま す。例えばパウロは自身弱小なユダヤ人 の一人と意識し、 愚かなるキリスト者というところから、何重もの屈折をしなが ら異邦人の使徒として、誰よりも強靭な人になっています。 強烈な魅力がありま すが、この「異邦人の使徒」から生まれ 出てくる異邦人たち(例えばこの私〉の ネジレが気になりま す。 伝道の使命に燃える当のパウロがユダヤ人で あることを 止められずに異邦人を伝道するとすれば、ユダヤ人と異邦 人の落 差を残したまま、そこからそれぞれがどう自由になる かという課題の中に突っ 込んでいくよりなくなります。 異邦人の使徒パウロは言います、「異邦人よ、 主の民と共 に喜べ。 また、すべての異邦人よ、主をほめまつれ。もろ もろの 民よ、主をほめたたえよ」(ロマ15:11)と。 とにかくユダヤ人性と異邦人性は解消 されないで、残され たままなのです。「異邦人への伝道」なんて私たちには他 人事のように思うでしょうが、次回へ。
9月16日説教ノート 使徒言行録13章44〜52節 「普遍へと飛び出ること――1、使徒行伝の異 邦 人宣教という問題」 久保田文貞 日本の教会用語に開拓伝道という言葉がありま す。〈北 松戸〉も1975年、板垣夫妻と私らの4人で手弁当のようにし て集会を始 めた時、なんとなく開拓伝道という語を受け入 れていました。開拓というと自分の 限界を破って未知の世 界に躍り出ていく、そういうプラスのイメージがあり ます。企業で言うなら、市場のニードの調査、新しい商品の開 発、さらなる市 場の開拓...その先により多くの利益、企業の 成長、従業員給与の上昇、豊かな社会、 それが悪いはず がないと。しかし、この豊かさを守るために丸腰ではだ め だ、自衛隊を、米国との同盟を、というのが、現在の安倍が くり返してい る理屈です。わが教団に開拓伝道(者)協議会というのがありました。 私も出 席したことがあり、その後も報告書をもらっていまし た。そこで北海教区の方 たちが「開拓」という語を使うことの 問題を指摘しました。北海道における開拓 とは、先住民ア イヌの人々にとって、明治国家によるアイヌモシリ「人の静 かな大 地」の侵略と破壊であった。その開拓にのってキリス ト教が伝道したことを無 反省なままに「開拓伝道」という語を 使うことはできないのではないか、とい うことでした。結局、こ の協議会は「みんなの伝道協議会」という名前に変更し まし た。キリスト教に限らず、世界宗教と呼ばれるものには布教拡 大という契 機がほぼ必然的に伴います。聖書では、この点 でもっとも明確なのが使 徒言行録です。これは、ガリラヤ― ユダヤの地に起こったイエスの福音の出来 事(ほんの1,2 年のこと)が、一イスラエルの民の救いの出来事ではなく、 「諸 国民」(ユダヤ主義者から見て不浄なる「異邦人」)の、 つまりはすべての人間 の救いの出来事だという確信のも と、世界宣教を明確に打ち出した文書です。 イエスの死と 復活信仰の余韻醒めぬときイエスの弟子たちなどがエルサ レムに 集まっている(30年頃)と、そこに〈聖霊〉がくだり(原 始)教会が誕生、ます ゙はユダヤ人への伝道(2,3章)、失敗 と神殿当局からの迫害(4,5章)、ギリシャ 語を母国語とする ユダヤ人による福音の受容、それに対するユヂャ人の迫害 (6, 7章)、ユダヤ人から近親憎悪的に差別されていたサマ リヤへの伝道の成功(8章)、 クリスチャンを迫害していたサ ウロ(パウロ)の回心(9章)、この辺りまでがイ エス死後の2,3年の事柄になるようです。その後、ペテロがユダヤ地方で 宣教活動をしている時、カエサリア(ローマ駐屯地)の下級 将校がペテロを招い て話を聞いて福音を信じる(10章)。こ こから異邦人伝道が開始されます。ルカ の描き方は、それ もこれもすべて聖霊の導きであり、ここで異邦人も(割礼を 受けないまま)「聖霊の賜物が注がれる」(10:45)わけです。 このことがエ ルサレム教会に報告され、異邦人伝道が公認 される(11章)。12章のゼベダ イの子ヤコブの殺害、アグリッ パ1世の死が42,3年頃とされますから、こ れに従えば異邦 人伝道がエルサレム教会本部から公認されたのはこの頃と なり ます。でも、実際にはすでに各地に散らされたギリシャ 語を話すユダヤ人 たち(7章)がイエスの福音を語っていた ことになります(11:20以下)。こうして13 章からパウロが参加する異邦人伝道が始まりま す。今日の箇所は、ピシテ ゙ィアのアンテオキア(アンテオキ アというシリヤ王朝の王の名を冠した都市は5個 ありますが その一つ、要するギリシャ風地方都市)でこと。ここにはその 後 パウロが各地をめぐって伝道する時の基本的なパターン が描かれていま す。まず未「開拓」の〈都市〉に行く、そこの ユダヤ人会堂集会でイエスの 出来事の意味を説く、だがユ ダヤ人の多くは受け入れない、受け入れたのは 「異邦人」 参加者。つまり「神を畏れる人たち」フォーベノイ・トゥー・テ ウー。 異邦人であるがユダヤ教の神をリスペクトする人々。 ルカの描き方はその 限りでの「神の言葉は、まずあなたが たに語られるはずでした。だか ゙あなたがたはそれを拒み、 自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。 見な さい、わたしたちは異邦人の方に行く」なのです。こう言えるでしょうか。 旧約聖書の中にも例えば十戒のよ うに〈普遍〉的な真理の言葉がある。それに 気づいた人、 「神を畏れる人」がまずイエスの福音を受け入れると、このよ うなレールを通って人(異邦人)は福音へと、ルカ風に言え ば真の悔い改めへと至 ると。確かに、ここには選民意識まる だしのイスラエルの民から、これまで救 いから除外されてき た異邦人への救いへと大方向転換が指し示されていると言 え ます。でも、ここに典型的に見られる使徒言行録的な異 邦人への世界宣教にはと ゙うしても異和感を覚えます。そこ にスタンバイされている異邦人は鋤き込まれ、 異邦人性を 捨てかかっている人になっていないか。もう他者でなくなっ た異邦人 しかそこにいないのではないかと。イエスが身を寄せ、言葉を投げかけた他者 たちは、そう いう存在ではなかったと僕は思っています。
9月9日説教ノート マタイ6:11 マルコ14:22~26 「われらにきょうのパンを」 板垣弘毅 きょうは「主の祈り」の「われらの日用の糧をきょうも与えた まえ」を考 えます。 福音書の日常生活の記事では「食べる」記事が多く、イエスは誰も がその日生き延びるための食事、それも参加無 条件の「いっしょに囲む食卓」 を、「神の国」のたとえとしてい たと思われます。この「無条件」ということの深 さと希望が「主 の祈り」に込められています。 このマタイ福音書の言葉、田川健 三訳では「来たる日の われらのパンを今日も与え給え」となっていて、この 「来たる 日」は、この祈りを朝祈るならその日一日の、夜祈るならば 次の日のハ ゚ンを、つまり日ごとのパンをお与えください、と いうことのようです。 その日一日を満たすパンというのは「神の国」の視線で、「この日」の次の心配 はしない。捨てばちの刹那主義ではなく、「きょう食べる」ことを深く味わう ことからしか始まらない ことがあるからです。「だから明日のことは思い煩 うな。明日 のことは明日みずからが思い煩ってくれる」ということばもあ り ます。「主の祈り」も、神の国に開かれた、きょうを生きる祈 りなのです。 福音 書の中の「最後の食卓」シーンから、「主の祈り」の 「きょうのパン」を考えて みます。 イエスはこの食卓で、自分の死の近いことを覚悟してい るふうにみえま すね。「パンを裂く」という当たり前のユダヤ 人の食卓のしぐさに「これは わたしのからだだ」と宣言し、ぶ どう酒も「血の杯」と言われています。 またぶどう酒について は25節にこんな言葉が付け加えられています。 <「はっ きり言っておく。神の国で新たに飲むその日ま で、ぶどうの実から作った ものを飲むことはもう決してあるま い。」> きょうから神の国でいっしょにぶ どう酒を飲むそのときま でわたしは断酒する、というのです。 イエスは、こ の弟子たちとの最後の食事が、神の国の最 初につながると疑わなかったのかも しれません。(パウロが 受けた「主の晩餐」の伝承とくらべて議論はあります が)この 場面では、この行為をイエスが自らの死と神の国の希望の 象徴とし て振るまっていることは確かだと思います。 この最後の晩餐、側近の弟子たちと のささやかな食事も 無条件で開放されていることは、ユダが同席しているこ とで わかります。選ばれた弟子たち、その中にさえ「わたしを裏 切る者がい る」とイエスは言う。イエスにとって、神の国に直 結したような最後の食卓に、ユ ダがいることが、迫っている 神の国が人間のあらゆる思いをこえているこ とを告げる。ユ ダもまた「からだ」と「血」と言われた、パンとぶど う酒を胃袋に入れたのでした。 「幸いだ、貧しい人たち。神の国はあなたたち のものだ」 「幸いだ、今飢えている人たち。あなたがたは満たされる」 とい うイエスの言葉を、最初の信徒たちは、みずから木に架 けられた最悪のイエスの 言葉として思い出したにちがないと 思います。 神はこのイエスによって何かを語っ ている! その「何か」は誰も埋め得ない空洞なのですが、信徒たちに は身体こ ゙と分かるよう何かなのです。ぶどう園の労働者の お話も神の国のたとえ話 ですが、労働量がちがう、と不満を 漏らす早朝組に、主人は言う「この最 後の者にも、あなた方 と同じように支払ってやりたいのだ」 夕刻組だって 「その 日のパン」は必要なのです。 きょうの「主の祈り」と、また「ユダの いる最後の晩餐」と同 じ精神ですね。さらに言えば、この弟子たちはみな十 字架 に向かうイエスを見捨てているわけです。この食卓が成り立 つのは、こち らの都合ではなく、向こうの視線なのです。 私たちが闇の中にあってもその 日のいのちの分は与えら れる、その日その日の希望です。その日の“次”は神にゆ だ ねられている。復活信仰は、眼の前の闇を逃げないで見つ めることがて ゙きる信仰です。 「めがね」という映画がありました。携帯の電波が届か ない ところに、ということである南の島にやってきたという中年の 女性がいま す。彼女はここが「たそがれる」ために来るところ だ、と民宿仲間がいう 意味がなかなか分からない。 エメラルドの海、白い砂浜を見ながら、それそ ゙れの過去 や現実を負った人たちが、海に向かってただ、ただかき氷 を食へ ゙ているシーンで、「たそがれる」ことが分からない女性 も仲間に入る。そ して海を見ながら、食べながら、はっ!と 納得する。言葉はひと言もない。渚 に打ち寄せる弱い波の 音だけ。皆それぞれのものを背負いながら、お互いの ことを よく知らない。ばらばらなのだけれど、今このとき、この場 で、 何かを共有している。言葉で言えない、言ったら別のも のになる何かを共にいた ゙き合っている。それが伝わってくる 場面なんです。「食べる」というで きごとが、気づかせる「何 か」がある。 人間の言葉以前、無条件の招きか ゙ある!これが神の国 への私たちの希望。「わたしの」ではなくてこの日のパ ンを われらに、きょうも下さい、 この祈りには、言葉にならない 人と人の連帯と 希望が込められています。
9月2日の説教から マルコ伝福音書12章38-44節 「いと小さき者が」 久保田文貞 最近、障がい者のスポーツが脚光を浴びています。コマ ーシャルにも障害 者のアスリートが使われています。間違 いなく、どこぞの機関が作為的に 糸を引いての結果です。 政府もこういうのでせっせと点数稼ぎをしているわ けです。 その一方で、先週省庁の障害者雇用水増しが明らかになり ました。 1998年障害者雇用促進法の改正で企業に課した 水準を大幅に下回るだけでな く、やり方が悪質なものでし た。私たちは、遠い昔の遠い国のパリサイ人の 偽善をはる かに上回る虚偽の真ん中にいると言えないでしょうか。この 責任をた ゙れが取るでもなく、またもやトカゲの尻尾きりで終 わらせてなりません。 内閣が責任を取るべきです。 今日の聖書は、だれでも読めばすぐわ かります。イエス が神殿の境内で弟子たちと群衆たちを前にして、見えばっ かりはっている偽善的な律法学者に対する厳しい批判の言 葉を語る。その時、境内 の賽銭箱に群衆が金を投げ入れる 様子を見ていた。金持らはたくさんの金を投 げ入れてい た。時にひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れ た。そ こでイエスは弟子たちに言う。「あの貧しいやもめは、 さいせん箱に投げ入れ ている人たちの中で、だれよりもたく さん入れたのだ」と。 11章11節以来、 エルサレムにやってきたイエスと弟子た ちの言動は、神殿体制とそれに寄りかかる 勢力、パリサイ 派、サドカイ派、律法学者らを批判し、イエスは彼らと論争 を してきました。12章41節以下は、彼らとの論争の終止符を 意味しているでしょう。 補足。賽銭箱は神殿に入ってすぐの内庭に13個設置さ れていたという。婦人はこ こまでしか入れない。パリサイ人 はこれ見よがしに目立つ所にある賽銭箱に 入れて、男だけ が入場できる庭に入っていったろう。貧しいやもめのは端っ この箱にそっとレプタ二つを入れ、こうべを垂れていたのだ ろうと、嫌で もそんな風景がうかび上がってきます。 やもめについて。夫に先立たれた妻 を今時〈やもめ〉とい うこと自体、不快だという声が懇談会でありました。 その点で は未亡人はもっとひどい。未だ亡くなっていない妻というわ けで すから。〈やもめ〉が社会問題のように浮かび上がって くるのは、男本位、 夫本位の父権制社会の歪み故です。古 代イスラエルは、旧約の中でも最も古い 法と言われる「契約 の法」(出エジ20:22-23:19)の中に何度も「寄留の他国 人」 「寡婦」「孤児」を虐げ、悩ましてはならないという添え書 きが出てきます。 ずっと後の前7世紀ヨシヤ王の宗教改革の 時に読まれた申命記法典でも、頻繁に 出てきます。同胞の 民が生産した物のうち、なにほどかを寄留者、孤児、寡婦 のために担保しておくようにというもの。イスラエルの民が土 地持ちの農民になっ たとき、あらためて土地のない弱者を どう遇するかが問題化してきたのでしょ う。実際に、どの程 度それが制度化したか、あるいは符牒として個々の信仰心 にゆだねられたかわかりません。後1世紀、それらはユダヤ 教の中で制度とし て存在していた証拠はありません。 マルコから50年ほど後の教会が、〈やもめ〉 問題を制度化 して取り組んでいる例があるので見ておきましょう。第一テ モ テ5章、教会員への勧めが書かれています。1節老人へ、 2節老婦人へ勧めを述べ た後、やもめへの勧め、というより は年齢制限など規定めいたものが次々と書 かれています。 最後に道を外したダメなやもめは「サタンに付いて行った」 と切 り捨てられる。正直あまり愉快なものではありません。明 らかにこの教会では やもめ救済の制度を作っている。だが 制度になるとやがていろいろな欠陥か ゙見えてきてしまうのは 世の常です。 やもめと一括りにすること自体に無理が あります。ルカ7:1 2以下のように息子がいて、町全体から慕われており、立派 に 息子の葬式を出せるやもめもいるし、ルカ18:3以下「やも めと裁判官」の譬に出て くるような、裁判官に嘆願し続け思 いをかなわせた強いやもめもいるし、そしてマ ルコ12:41の ような貧しいやもめなどもいる、その通りです。 マルコ12:38-44 の著者マルコの描き方を見ると、イエス が弟子たちにパリサイ人批判の言葉を 聞かせた後で、イエ ス・弟子集団の位置から離れたところに〈貧しいやもめ〉か ゙ 登場します。彼らにはやもめはまるで教えの教材かのようで す。パリサイ 人のネガに対して、どんなに〈やもめ〉をポジに 描こうと、イエス・弟子 集団とやもめとの距離はどうしようもな く残っています。この物語の配置では、 やもめは単に符牒 にしかなっていません。つまり、イエスはこの〈貧しいやも め〉 に何にもしてやらないわけです。全財産をはたいてしま ったその後、彼女の生活 はどうなるんだと篤信家は心配す るでしょう。でもイエスはここでそう いう心配はしません。彼 女は貧しいけれど弱いわけではない。裁判官をついに は 曲げさせてしまったやもめほどに。だがそれより何より、こん な彼女の 周りには助け分け合う仲間がいることを、神はご存 じにちがいない、とイ エスは信頼しているにちがいない。そ の信頼が〈貧しいやもめ〉とイエスとの 距離を保っているの だと私は思っています。
8月26日説教よりマルコ伝福音書12章13-17節 「我ら国家に対して何處に立つ2」 久保田文貞 前回は、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」という イエスの言 葉をルカがどのように解釈しているかという話を しました。そこには、後代の 世俗政治と教会の棲み分け、近 代の言い方で言えば、政教分離思想の走りのよ うなものが 見えます。ルカはそれを護教論的に解釈した。つまりキリス ト教はロー マの秩序(平和)にたて突く従う不穏な宗教でな く、あのユダヤ戦争(66-70年)を 起こした者たちのようにロ ーマからの独立し、ユダヤ教神政政治を目指すものて ゙はあ りませんという立場です。 たしかに宗教と政治の癒着はどう言い繕って も最悪のシ ナリオになるでしょう。だが、その結果、手にすることになっ た 政教分離論、近代の政教分離論も含めて、それが絶対 かとなれば、そこにも落 し穴があると思うと前回を申し上げ ました。では、私たちは国家に対してと ゙のようにむきあえる のか、探ってみようというのがこの話の目標です。 ルカ が元にしたマルコ12:13以下はどうなっているか。。 まずパリサイ(派ユタ ゙ヤ)人が「ローマに人頭税を払うべきか どうか」とイエスに論争を仕掛けま す。実はそれを一番問題 に感じているのは当のパリサイ人だったというべ きです。 少なくとも後1世紀ユダヤに実在したパリサイ派は、エル サレム神 殿とユダヤ人の日常の間にたつ一種の信徒運動 でした。表向きの彼らのモットー はモーセ5書に書かれた律 法の権威に基づいて、それを解釈し、毎日の現実生活の 隅々に行き渡らせ、壊れかかった神の民の再建しようという わけです。しかし、 実は神の自由な恵みを聖域に閉じこめ、 形骸化した法によって民を縛ろうとし、 結局は民の支配者 の位置に座ろうとする姿だけが目立ってしまうわけです。 だから、パリサイ人こそ、異邦の世界支配者ローマをどう 位置づけ、ロー マの要求する人頭税を払うべきかどうかを、 明確にしておかなければならな かったはずなのです。もし 税を納めるならば、お前たちの宗教は認めてやる と言われ て手にする、それなりの自由な空間が、我ら神の民の良しと するところ かどうかという問題です。一応それに従ってお け、その不愉快な力は頭の上を 通り過ぎてゆくだけだ、や がて、神は異邦の権力を追い払い、神の民を恵 みの中に 置かれるだろう。その希望の下に今は耐え忍んで、税を払 っておくと、 それがパリサイ派の一部の考えだったはずだ。 これに対して別のパリ サイ派の考えもあった。異邦の権 力が神の民を抑圧するのを認めてよいはずか ゙ない、神が主 権となる国(神政政治)を再興しようと考えていく。66年に始 まる ユダヤ戦争は、前2世紀のハスモン国家を再建しようと したわけです。こうして みると、前者はルカ的な政教分離に 似ていることがわかります。 さて「皇帝のも のは皇帝に、神のものは神に」を、イエス はどのような意味を込めて言われたか ということですが、原 始キリスト教をマルコ伝研究から批判していった田川 (『イエ スという男』)によれば、「皇帝のものは皇帝に、神のものは 神に返しな さい(田川)」を次のように読む。〈「あんた達が税 金を支払うのに使う貨幣を持っ てきてみろ」...「あれ、これ (ローマのデナリ銀貨)はローマ皇帝のものじゃな いか。皇 帝のものならば皇帝にお返し申し上げればいいだろう。― 神様の ものは神様にお返し申し上げさせられているんだか ら」...「神のもの」という 語は、ここでは敬虔な神信仰を意味 するわけではない。これは税金問題なのた ゙。...イエスは、ロ ーマ支配を批判しつつ、自分達の宗教的社会支配の勢力 を温 存させているエルサレムの宗教貴族や民族主義者の 律法学者に我慢がならなかっ たのだ。...宗教的社会支配 に圧しつぶされてきた人間の呪詛がここでは語 られている 〉と。 私はこの解釈を超えるものを知りません。これによれば、 イ エスはパリサイ人の立てた問いに正面から応えません。 そもそもローマ人頭税に しろ、神殿税にしろ、どう工面して 納めるかという庶民の苦労など、パリサ イ人には二の次の 問題なのでしょう。自分たちの信仰上の主義・主張、理念が 第一なのです。それなりの余裕があるからこその信仰上の 問題なのです。イ エスの応えは、そんな彼らの姿勢を揺さ ぶったはずです。17節後半に「彼ら は驚いた」とあります が、彼らは「驚く」ほどにもイエスの皮肉を理解でき ていなか ったと思います。 こうしてローマの人頭税を治め、神殿税も納め,支払い に きゅうきゅうとする庶民がいて、中には税を払いきれず逃亡 するよりない者 さえいる一方で、他の財産税も悠々と支払う 多額納税たち、あるいは税問題の深 刻さを余所にそれさえ も思想上の議論のネタにしかしないパリサイ人を見据えな がら、イエスはやりきれなさをいっぱいに、捨て台詞のように して「皇帝のも のは皇帝に、神のものは神に支払えば」と言 ったのです。イエスはどこに立っ てこう言われるのか、残念 ながら心地よい答えは示されていません。
8月19日の説教より イザヤ書2章1-22節 「戦争を断つ―核の世界に生きる―」 竹内憲一 「彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国 は国に向かって剣を上 げずもはや戦うことを学ばない」(イ ザヤ書2:4bc) 「終末の平和」、「諸 国民の平和」と呼ばれるイザヤ書2章 の前半ですが、南王国ユダがアッ シリアの従属国となった 時代を背景に描かれています。反アッシリア同盟としてシ リ アと北イスラエル(エフライム)の間で軍事同盟が結ばれま す。予言者は、 神の示される事柄からその時代の世界の在 り方、やがて来たる未来を語る人で す。2:1-9はミカ書4:1 -3と逐語的に同じ言葉になります。連本部にイザヤ・ウォ ール(イザヤ書の壁)と呼ばれる壁があり、イザヤ書の2:4の 後半「彼ら剣を 打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする」 が記されています。神の裁き、神か ゙民族と民族の間を仲裁 することにより、世界に恒久平和、武力無き平和、戦争の 廃 絶された未来の世界がおとずれるというメッセージが伝えら れています。 第二次大戦後の国際連合の課題として国連 本部に壁文字として刻まれていることに なります。 「教え(トーラー)はシオンから、御言葉はエルサレムから 出る」は、シ オンは裁断の下される場として必要とされると 取る必要があると思います。人々 の側から武器を日常品に 作り変え、争いを止める。戦争を終わらせる。「打ち直し て」、「打ち直して」が二度繰り返されます。新アッシリアの 時代には、武器は 鉄器が使用されて、鉄製の戦車と騎兵 が主要な戦力とされていました。 詩編 46:9-11には「主の成し遂げられることを仰ぎ見よ う。主はこの地を圧倒される。 地の果てまで、戦いを断ち、 弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。力を捨てよ、 知れ/ 私は神。国々であがめられ、この地であがめられる。」、ゼ カリ ア書9:10には「わたしはエフライムから戦車を/エルサレ ムから軍馬を断つ。戦いの 弓は絶たれ/諸国の民に平和が 告げられる。彼の支配は海から海へ/大河から地 の果てに まで及ぶ」と記されています。旧約聖書には、とりわけ戦力 に対して は、神が諸国民を裁くことにおいて、軍備が廃絶さ れる思想があります。人々 の手により武器を「打ち直す」こと は、詩編の動機を変形しつつも正しく取り入れ られているこ とになります。アモス書5:24には、「正義(ツェダカー)を洪水のよ うに/恵みの業(公正,ミシュパート)を大河のように 尽きることなく流れさせよ」 と記され、また、詩編85:10-11 では「慈しみ(ヘセド)とまこと(真実,エメト) は出会い/正義 (ツェダカー)と平和(シャーローム)は口づけし/まこと(エメ ト) は地から萌えいで/正義(ツェダカー)は天から注がれま す」と記されています。 「戦争の放棄/戦力の不保持」を定めた憲法第9条は、安 倍政権により最大の危機を 迎えていますが、第1項は「日本 国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に 希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使 は、国際紛争を解 決する手段として永久にこれを放棄す る」と定めています。憲法第9条には予言者の 言葉が直接 受け継がれていると理解します。 73年前の8月6日と8月9日、広島 と長崎に二発の原子爆 弾が投下されました。東西冷戦の時代を経て、広島と長崎 に投下された核兵器の非人道性、残虐性、核兵器廃絶へ の願いと道筋は、73年目の 2018年に至るまで、広島、長崎 両市長による平和宣言、被爆者による平和への誓 などを通 して語り継がれてきました。2017年7月7日、国連は核兵器 禁止条約を 採択(国際法化)しました。核抑止力を頼みとす る日本政府は核兵器保有国の利権と 歩調を合わせて署名 すらせずに、被爆者や平和を願う人々の思いを踏みつけ てい ます。核兵器保有国は、原発の所持国でもあり、原発 が生み出す高レベル放 射性廃棄物は、核兵器の製造を可 能にします。核兵器だけに留まらず、大量殺 戮を可能にす る生物化学兵器、通常兵器の開発・使用も平和への大きな 課題となっ ています。 核兵器保有国、原発立地国、兵器開発研究国の多く は欧米のキリスト教 国です。戦後のキリスト教は、戦争にも、 核兵器にも反対をしてきましたが、 キリスト教が一概に平和 の宗教であるとする見方は、いつの時代、どこの場 所でも 妥当とは言えない姿があります。新約聖書のルカによる福 音書2:14によ ると地に与えられる「平和」は、good will良い 意志を持つ人々にあることが示さ れています。未来の世界 の到来は、過去からおとずれる平和への道です。戦後 73 年、戦争の惨禍と戦争責任を覚え、私たちに問われている 課題を自覚し、イザ ヤ書の言葉と共に平和への志を新たに したいと思います。
《説教ノート》 8月12日 「平和を考える礼拝」の報告 この礼拝では説教の部分を、参加者の自由な語り 合いの時としています。今年も9 人の参加者により、 平和と戦争への思いを語り合いました。毎年8月にな るとマス コミも太平洋戦争経験者の記憶、記録、映像 などを伝えています。今年も嶋田さ んからのある特攻 隊員の聞き取り番組の紹介から始まりました。終戦の 時20歳だっ た人が92歳になってしまった現在、これ からはこのような聞き取り自体が歴史 になってしまうで しょう。後半は、子どもたちに戦争時代を伝える絵本 のこと、 学校での平和教育が文科省によって狭めら れていく現状などの話がでま した。 お二人の方に、この礼拝を受けて書いてもらいまし た。 ――戦争は、様々な 悲劇を生みました。 ―― 石﨑惠子(2018.8.15) 戦時中、縁故疎開で父の郷里志摩半 島で暮らし たのは、私が5歳の時でした。二階の窓辺に坐って、 暮れ行く夕 焼けの海と島々を眺めるのは至福のひと 時でした。頭上に天の川、海面にはチラ チラ光る夜光 虫(プランクトン)。飽きることなく眺めていたものです。 そんな 日々の中、悲しい報せが飛び込んできたの は、終戦1ヶ月前の7月。出産のた め実家に帰ってい た母が、空襲に会い、小さな生命を宿したまま生を断 たれてし まったのです。 村の海岸のはずれに、秘密裏に営まれている軍 艦の造船所が ありました。少年兵がたくさん働かされ ていました。ある朝、その砂浜に姉と二 人でカニを見 に行きました。岩穴から出てくる無数の蟹が一斉に海 に向かって 動き出す様は、それは見事な風景です。 やがてそれにも飽きて、砂山を作って 棒倒しをしてい た時、ふと気づくと傍に1人の少年兵が立っていて、 ゆっくり と話しかけてきました。「かあちゃんどうして る?」やっぱりお母さんが恋し いのです。「お母ちゃ ん、空襲で死んじゃった。」と言うと、「憎っくきア メ公 め!今にアメリカをやっつけてやるからな。」と意気ま いて私たちをびっく りさせました。優しそうなお兄ちゃ んが急に鬼のようになったその様子が、後々 まで忘れ られませんでした。 戦争は、様々な悲劇を生みました。おまけに、問 答無用で相手を憎み銃を向ける人間に作り上げられ てしまう。自衛であろう と何であろうと武装は戦争のた めの道具です。武器を持たずに平和を築いて いける 国でありたいと心から願います。 ――平和の学習―― 山村澄子 8月6日のテ レビニュースの中で、広島原爆ドーム を見学していた小学生くらいの女の子 が、「学校では 教えてくれないから、家族で来れてよかった...」と感 想を 述べていました。学校は夏休み中、各家庭に任 せるということなのでしょう。 私が勤めていた葛飾の小学校では、戦争の恐ろし さを伝えようと、3月10日の東 京大空襲の前後に「平 和週間」を設け、戦争を体験された方を招いて全校 集会を開 くなどしていました。国語の教科書には、戦 争を扱った教材が夏休み前後に配 置されていまし た。2学年では「かわいそうなぞう」、3学年では「ちい ちゃ んのかげおくり」、4学年では「一つの花」、5学年 では「お母さんの木」、6 学年では「川とノリオ」というよ うに。 しかし、教科書が改訂された今では、 ほとんど が姿を消したとのこと。「平和」に関する行事は、全く 別のものに姿 を変えたり、縮小されたりして、全校集 会など、行えなくなってしまいました。 教員は授業時 数の確保と指導内容で縛られるようになったのです。 江戸川区の ある管理職は、学力向上を重視し、「学 力で結果を出せ」と厳しく 教員を指導し ていました。 私は、学校の役割、教員にできることは、これだけ ではないと 思うのです。 戦争は人の手で始め、皆が戦争に協力するように 教育されてき ました。再び戦争をしないためには、戦 争の過ちを学び、次の世代に伝えてい くことが不可 欠と思います。
8月5日説教より ルカ伝福音書20章20-24節 「我ら国家に対して何處に立つ」 久保田文貞 「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」というイエスの 言葉は、後々 の教会にとって世俗の権力とどう関わるべき かという問題に対する、すぐに 飛びつきたくなるような言葉 だったはずです。 その始めから教会は〈異邦 人(=非ユダ ヤ人)伝道〉に出ていき、世界各地に宣教していきました。 当然ど こに行っても教会は世俗権力と折り合いをつけてい かなければなりません。世俗 権力をどうとらえるか、このテキ ストほど便利で分かりやすい個所はなかっ たでしょう。 この原則は近代になって、政教分離原則として政治から も教会から も一つの落としどころになったと言えます。19・20 世紀になって本格的な近代国 民国家が次々と現れて、政 教分離原則が当然のようになりました。 日本につい て言えば、まずは明治憲法(1890)にも「信 教の自由」は「保障」されていまし た。主権者たる天皇が「安 寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」 保 障するというものでした。近代国民国家の様相を取りなが ら、主権は天皇か ゙握っていて、結局いい子にするなら「信 教の自由」を保証してやろうというもの でした。 これに対して1947年日本国憲法は国民主権、個人の基 本的人権、平和主 義を原則とし、第20条「信教の自由は、 何人に対してもこれを保障する。」そして 国が特定の宗教に 特権を与えたり、宗教に権力を行使してはならない。また国 は 宗教の儀式、行事に参加してはならないと、政教分離の 原則を明確にしています。 けれども、私にはなにか不十分な感がしてなりません。 そもそも基本的人権と か国民主権とは、憲法の原則というよ りは、国家以前の、国家に優先する大前提と みるべきで す。まず人権を有し認め合う民がいて、その民が主権を宣 言 しつつ国家装置を作ることを認め合った、その機関で造 られた法に基づいて国 家を動かしていく。この優先順序は 常に戻るべき原点です。 信仰の自由とは国 家以前の民の信仰の自由ことであり、 従って国家が「保障する」べくもない のです。公共の福祉と は、民自らが自由を濫用し合うのはやめようという申し 合わ せの上にあるものです。国家機関の実力行使は、民相互 の「自由」の衝突か ゙起こって初めて、最大限の配慮をしなが ら限定的に行われるべきものです。 現在、安倍首相の周囲の「日本会議」や、神社本庁右 派と一部の自民党議員など がつくる「神道政治連盟」の間 では、「国體」の再建が平然と語られていま す。国體とは、こ う説明されるそうです。天皇は毎日、宮中で日本国民の安 寧 のために祈っている。この祈りに支えられて日本は平和 で豊かな国になっている。 これは宗教ではない、日本の国 體なのだと。 現行憲法第1条は「天皇は、日本 国の象徴であり、日本 国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日 本国民の総意に基く」と、辛うじて最後に国民主権を付け 加えていますが、や はり「国體」的なのです。自民党の改憲 草案は、これとほとんど同じ。違い は最初の象徴のところを 「元首」と言い換えただけ。元首という語の問題もある が、む しろ現行憲法の1条ほとんどそのまま自民党憲法草案に引 き継がれう ることを肝に銘じておくべきだと思います。 第1条ははっきりと「国民は」と いう主語で始めるべきでし た。天皇条項はその後で良い。「国民が天皇 を象徴位の位 置に置く。」そう明記しておいて、その上で天皇の私人性に おいて 国民の安寧を毎日、祈るというならそれは自由だと なるでしょう。しかし、現 行憲法第1条でいくと、象徴天皇が 国民のために毎日祈ってくれていると国民か ゙知ると、一挙 に国民は天皇の祈りの中でいい子になってしまう。天皇が 腰を 低くして被災者を見舞ってくれるまなざしの中で涙を流 してああよかったとな る。そういう国民の国民主権とはいっ たいなんなのでしょう。そういう日本の人々 の間に在って、 日本国憲法の信教の自由、政教分離を、教会はどう捉えた らいい のでしょうか。 聖書にもどります。実は、今日の箇所を政教分離的に解 釈して 福音書を書いているのは、ルカです。基本的にルカ は、クリスチャンはローマ帝 国にあって良き市民ですと訴え ます。いろいろな風評に対して、キリスト教は決 して邪悪な 宗教ではありませんと護教論的な意図をもって福音書を書 きました。 長い目で見ると、ルカのねらい通り、キリスト教は4 世紀初めローマ帝国から公認 され、信仰の自由を勝ちとり ました(ミラノ勅令、313)。もっとも教会はその後次々 に特権 を獲得し、最終的に国教にまで上りつくします(388)。帝国 と教会は補完 し合い、中世ヨーロッパの神聖ローマ帝国に 引き継がれていきます。 ルカが 下敷きにした元の福音書マルコでは、どうか。マ ルコ福音書12章13-17節から、 ルカは政教分離原則の元 になるものを引き出しました。では、 はたしてマルコ12 章13 -17にも、政教分離原則の土台となるものがあったのでしょ うか。今日は 結論だけにしておきます。NOです。マルコは このイエスの言葉をどう捉えた か。次回にします。
7月29日礼拝説教から ルカによる福音書4章14-30節 「歓迎されない福音」 飯田義也 イエスがさまざまな精神的修練を経て力のある宣教者と して活動を 開始し、郷里に凱旋演説を行うというところが今 日読むべき聖書の箇所です。 はじめはイエスの言葉に感 銘を受けていた人々が「ヨハネの子ではないか」 と侮蔑的な 視線を向け始め、崖から突き落とそうとさえする中で、イエ スは這々 の体で(本当に這って逃げたかも)逃げ出したとい う、なんとも不思議なストー リーが展開されています。 郷里という地域で、福音が・・つまり良い知らせ のはずな のですが・・追い出されてしまいました。現代の私たちも地 域の中 で生きているのですが、地域というものがもつ包容 力とともに、裏面とし ての強力な排斥力を意識させられる話 です。 地域ということをなんとなく考えて みました。 最近、社会学といった分野で「地域共生」が盛んにいわれ ています。 特に松戸市は、全国に先駆けて医療・介護の連 携をスムーズにするシステムを作 ろうとしています。長生き 社会では、どうしても人生の最期に医療・介護が 必要にな るのですが、そうした福祉的働きかけ(サービスといいます) を系統 立てて行うことで、自宅で最期を迎えたいという希望 に応えやすくなるので す。 先日講演会で、これまでのセーフティネットは、問題が発生 して(赤信 号が出て)から対応していたが、これはこじれて からの対応なので手間が かかる。たとえば子どもの貧困問 題では、修学旅行に行けないという段階て ゙黄信号と考えて 子ども食堂などの民間による緩やかなネットで支えるよう に することが重要である。・・という話がありました。地域として 「はじ き出さない」ことを黄信号のうちに実践して行くことが 必要ということです。 これには、過去の悪例、たとえば「隣組」といった相互密 告の地域に陥らない叡 智が求められます。「あなたの隣人 を愛しなさい」をどう実践するかという課 題であり、排斥力な しの包容力の追求というむずかしい課題でもあります。 まったく視点は変わりますが、最近、古人類学の関係者 が「グレート・イウ ゙」なんていう言葉を使います。あたかもひと りの母から生まれたかのように遺伝 子が似通っていて、人 類は一度滅びかけていたと考えるとつじつまが合う そうで す。全世界で1000人といった単位まで減って、それから勢 いを盛り返 したそうです。 人類は、地図の中で「点」として暮らしていました。せいぜ い 25人くらいの群れで、他の群れに会うこともめったになかっ たと想像されてい ます。地域ということになってはいません でした。そのような小さな群れで生 きていた人類ですが、コ ミュニケーションを発達させ、協力し合うこと、いわ ば「道徳」 を成長させた者が生き残りに有利であったために、やがて 「面」 で暮らすことができるようになりました。動物行動学者 の多くは、教育とい う以前に本能的に道徳が備わっている という見方をしているそうです。農耕か ら定住生活が始ま り、地域が発達していきますが、地域とルール(道徳)、た と えば十戒といったような・・が不可分なのは、古人類学的な 理由があるよ うです。 さて、いま私たちにも巻物が渡されます。イザヤ書第61章1 -2節て ゙す。 主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。 わたしを遣 わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるた めに。打ち砕かれた心を包み/捕らわ れ人には自由を/ つながれている人には解放を告知させるために。 この言葉は、 今日ここで「実現」するのでしょうか。 イザヤ書、特に、研究者が「第三 イザヤ」と呼ぶ、この辺り の記述は「ともに生きる」ということがテーマに なっていま す。ともに生きていない社会がイザヤの時代すでに展開し ていて 「神様はそうではない方向なのだ」と神の言葉を預か ってイザヤが伝え広 め、書き記したのです。貧富の差があ り、貧しい人や神の言葉に忠実な人が 捕らわれ、つながれ る社会にNOを主張したのです。 今日の聖書では直接記さ れていませんが、イエスの福音 を私たち現代人の基礎知識を加えて要約しておき ましょう。 この宇宙、また、奇跡の星と言われる地球は、神様からのプ レゼン トであり、そこを神の国として、ともに生きていくことが うれしいことなのた ゙ということです。まずは、神への感謝を基 本に据えたいと思いました。
7月22日説教より コリント前書12章14~26節 「教会のからだ・からだの教会」 久保田文貞 経験上、 生まれたての運動体の中にいるのは実に楽し い。事柄の中心に人が集まる。〈あ れっ、お前もいたのか〉と 知ってうれしくなる。事柄の核心点はおぼろげに見 えてい ても、まだ十分にコトバ化できない。だが事柄の方はどんど ん動いていく。集まったものでどう問題を果たすか、どう切り 抜けるか、ア イディアを出し合う。生活しなくてはいけないか ら、アルバイトで抜けてい 者もいる。ケータイなどなかったか らその間、事態は進んでしまうと、不在の 連中にそれぞれ ができる範囲で連絡する。運動の現場では想定外のこと が 起こる。その場で一人一人が考えて動かなくてはいけない ことも多々ある。 戻ってから報告し合いそれぞれが考えを述 べ事態を把握し合う。相手側の壁 は厚い。分の悪いこちら 側から見ると、相手側は権力を握った支配者だ。彼らは 自 分たちの拠って立つ所を保守しようと、組織力を発揮する。 彼らは此処が破ら れればすべてを失うかのように既得権を 手放さない。そんな彼らに対峙しなけ ればならないこちら側 として、いつのまにか彼らから既得権益を奪わなければ な らないと錯覚し始める。事柄の核心をめぐって自分たちが 集まって、ワイワ イやっていたのはそんなことのためだった か。運動体が、変質していくのは必 然かもしれない。利害 団体にまで変質しないまでも、事柄の核心をコトバ化 し、目 的が固定し、そのための自律的な組織が動き出すとき、どう しても疎 外感を味わされる。やがて人は離れていき、せい ぜい等身大の運動体しか現象 として残らないことになる。 企業の場合もっとシビアである。今IT関連のヴェ ンチャー企 業が注目を浴びている。数人でアイディアを出しながら、既 成の〈商品〉と差異化した〈新商品〉を開発していくだけで楽 しくて仕方ない だろう。ましてそれが法外な利潤を生めば言 うことあるまい。としても、ま ちがいなく大資本はその上を行 く。開発のコストを若者たちのヴェンチャー意 識に任せ、最 終的にそれを大資本の中に吸い取っていく。抵抗すれば やがてつ ぶされる。 こんなことをパウロのコリント書簡を読みながら考えてい る。イ エスをキリストと信じ告白する人々の群れ(エクレシア ➴教会〉を作っていく。信 じ告白するとは言っても、はじめ は型にはまったものではなかったろう。一 人一人が信じて 告白する形はそれぞれの創意工夫に任されている。群れ の中 で、自分にできることを見つけ、承認し合い、成長して いく。パウロが宣 教を開始し、そこここにそんな群れができ ていくとき、パウロも、参加して いった人も楽しくて仕方なか ったろう。群れが大きくなってきて、ハイあなたは 会計さんを やって、あなたは子どもたちの先生をやって、あなたはお年 寄りの世 話をして、あなたは病人や体の不自由な人を介護 して、僕は買い出しをしてこよう、 僕は料理をやろう等々、誰 が言うともなく、動き出す。パウロはその点少し大 所高所か ら見すぎている。だれが使徒で、だれが預言者で、だれ が 管理者かなんて心配するより何より、人々は動き出す。もち ろん、なかには変 な奴もいるかもしれない。何人かの人たち は付いて行けない。あの人たちには辞め てもらいたいとこ、 あの人たちがいるなら私たちが出ていくとか、運動仲間に はよくおこることだ。さすがにパウロはそれはだめだという。 この群れ はそういう共同性自体を目的にしない、いやでき ない。 「体は、一つの部分で はなく、多くの部分から成っていま す。」(12:14) 「目が手に向かって「お前は 要らない」とは 言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」 と も言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える 部分が、かえっ て必要なのです。わたしたちは、体の中で ほかよりも恰好が悪いと思われる 部分を覆って、もっと恰好 よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしよ うとしま す。」(21-23) ちょっと見ると、多少問題あるどこにもある共同体有機 体論 のように見える。実際パウロの弁舌が妙に軽くなっているの が気になる。 としてもパウロが群れを「キリストの体」(27)と見ていること でパッと開 けていく感がする。教会は絶えず利潤を上げて いかなければ失速するよう な企業とは違う。政治的目標を 掲げて献身的に動き回る運動体ともちがう。 教 会は「キリストの体」となって完成するのではない。パウ ロは言う、「わたし たちは、十字架につけられたキリストを宣 べ伝えています」と。教会はそのキリ ストの体なのだ。引き裂 かれようとしても互いにつなぎ合い、抹殺されようと もその中 でこそ希望をもって生きていく、教会はそういう運動体なの だと思う。 〈正しい、堅固な、信仰告白をするかどうか〉にか かっているのではない。教 会はいつも自転車操業で、その 時々の現場での思い付きのようにして、しかし キリストの体 になっていこうとする、それでよいと思う。
7月15日説教より マルコ伝福音書9章33〜41節 「受け入れることと追い出すこと」 久保田文貞 弟子たちの間で「誰が一番偉いか」と、議論があったとい う。イ エスの側でこんな議論があったなんて信じがたいが、 イエスの死後の原 始教会の中で囁かれていた話とすれば まったく別の意味を持つ。イエスから直 接任命された12人 (Mk3:13)の権威は原始教会の中で特別の存在になった。 周りの 人々からすれば、あの中で〈誰が一番偉いか〉気に なるところだ。〈最初 に弟子になったというペテロさんか、そ れとも「雷の子」とイエスからあだ名 された怒りっぽいけれど 行動力があって積極的なゼベダイの兄弟ヤコ ブさんあるい はヨハネさんか〉。そんな声を耳にしてペテロたちが言う、 〈イエスは幼子を取り上げて私たちにこう言われました「だれ でも一ばん 先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みん なに仕える者とならねば ならない」と。12人の間で誰が一番 偉いかなんて議論はナンセンスですよ、 ハハハ〉 イエス集団にも運動的な面があったわけで、どうしても組 織的に動 くことが必要だったろう。医療用の香油、布、食事 会の食材の買いだし、病 人たちの世話、資金のカンパ要 請、財布の管理など、円滑に動かしていかなけ ればならな い。いちいち先生にお伺いを立てることはできない。そんな 中で だれかが司令塔になるよりない。でもそれはだれが偉 いかという問題て ゙はないということか。 けれども、記者マルコはそんな12弟子の謙虚な思いを代 弁してこのように書いているとは思えない。原始教団の中で 権威をもち始めてい た12使徒問題はもっと深刻な問題であ る。原始教会の開始時点から問題を引きす ゙っていたのでは ないかと。 神殿体制の批判をさんざんやってきたイエスが 彼らの目 の前で逮捕された。弟子たちは自分の身の危険を感じて 逃げた (14:50)。独り後から様子を窺いにいったペテロも三 度「あの人を知らない」とい う。師は屈辱的な磔刑につるさ れ殺された。裏切り、自己嫌悪、絶望・・・。3日目 墓に行っ た女たちが師の亡骸がなかったと告げる。だれかが復活と いう 言葉を口にする。混乱していた弟子たちは飛びつい た。主イエスは復活した。主 のよみがえりは、私たちの罪の ためという信念をもつ。こうして原始教会がス タートした。第 一コリント15章3節以下はその刻印だろう。それによれば、イ エスは私たちの罪のために復活し、私たちに姿を現した。
7月15日説教より マルコ伝福音書9章33〜41節 「受け入れることと追い出すこと」 久保田文貞 弟子たちの間で「誰が一番偉いか」と、議論があったとい う。イエスの側でこん な議論があったなんて信じがたいが、 イエスの死後の原始教会の中で囁 かれていた話とすれば まったく別の意味を持つ。イエスから直接任命された12人 (Mk3:13)の権威は原始教会の中で特別の存在になった。 周りの人々からすれば、 あの中で〈誰が一番偉いか〉気に なるところだ。〈最初に弟子になったとい うペテロさんか、そ れとも「雷の子」とイエスからあだ名された怒りっぽい けれど 行動力があって積極的なゼベダイの兄弟ヤコブさんあるい はヨ ハネさんか〉。そんな声を耳にしてペテロたちが言う、 〈イエスは幼子を取り 上げて私たちにこう言われました「だれ でも一ばん先になろうと思うなら ば、一ばんあとになり、みん なに仕える者とならねばならない」と。12人の 間で誰が一番 偉いかなんて議論はナンセンスですよ、ハハハ〉 イエス集団に も運動的な面があったわけで、どうしても組 織的に動くことが必要だっ たろう。医療用の香油、布、食事 会の食材の買いだし、病人たちの世話、資金の カンパ要 請、財布の管理など、円滑に動かしていかなければならな い。いち いち先生にお伺いを立てることはできない。そんな 中でだれかが司令塔に なるよりない。でもそれはだれが偉 いかという問題ではないということか。 けれども、記者マルコはそんな12弟子の謙虚な思いを代 弁してこのように書いて いるとは思えない。原始教団の中で 権威をもち始めていた12使徒問題はもっと深 刻な問題であ る。原始教会の開始時点から問題を引きずっていたのでは ない かと。 神殿体制の批判をさんざんやってきたイエスが彼らの目 の前で逮捕さ れた。弟子たちは自分の身の危険を感じて 逃げた(14:50)。独り後から様子を窺 いにいったペテロも三 度「あの人を知らない」という。師は屈辱的な磔刑につる さ れ殺された。裏切り、自己嫌悪、絶望・・・。3日目墓に行っ た女たちが師の 亡骸がなかったと告げる。だれかが復活と いう言葉を口にする。混乱して いた弟子たちは飛びつい た。主イエスは復活した。主のよみがえりは、私たち の罪の ためという信念をもつ。こうして原始教会がスタートした。第 一コリント 15章3節以下はその刻印だろう。それによれば、イ エスは私たちの罪のために復 活し、私たちに姿を現した。 私たちだけのではなくすべての人の罪の赦し、 救いだとい う。それはイエス再来の時に明らかになると。だからイエス がキ リストであることを受け入れよ、イエスはキリストであると 信じ告白せよと。 原始教会はこれを主たるメッセージにし た。これを受け入れていった人々、パ ウロもその一人だが、 この告白に集中していく。 マルコは原始教会の一連の経 過を懐疑した。彼は独自 に生前のイエスのことを探査した。たどり着いた結果は、 原 始教会の宣教は、イエスの宣教活動の中心を捻じ曲げてし まったということ だ。 38節以下の伝承は、ゼベダイの兄弟のヨハネがイエスに お伺いを 立てることで始まる。「先生、わたしたちについてこ ない者が、あなたの名を 使って悪霊を追い出しているのを 見ましたが、その人はわたしたちについてこな かったので、 やめさせました」。 「イエスの名」がこんな利用価値が生ま れたのは、原始教会の宣教が一定の成功をしていたからだ ろう。この伝承も原 始教会の状況を反映している。原始教 会の許可なく「イエスの名」を使って医療活 動などしてもらっ ては困ると、世が世ならば商標違反で訴訟を起こす企業 な みの意識だ。イエスがそれを知ったらなんと言われるだろ う。「やめさせ ないがよい。だれでもわたしの名で力あるわざ を行いながら、すぐ そのあとで、わたしをそしることはできな い。 わたしたちに反対しない者は、 わたしたちの味方であ る。・・・キリストの弟子だという理由で、あなたか ゙たに一杯の 水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける」(9:39) と。 そ のすぐ後に編集者マルコは42-50節、イエスの強烈 な言葉を継ぎ足す。もはやつ まらないセクト主義をやめよと いう程度の話ではない。これが弟子への批判的 な言葉の 後に来ていることを無視できない。 「もし片方の目があなたをつます ゙かせるなら、えぐり出しなさ い。両方の目がそろったまま地獄に投げ込ま れるよりは、一 つの目になっても神の国に入る方がよい。」 マルコはこれを弟子 批判にぶつけた。教会の組織を自 己目的化するセクト主義、そんなものは捨てて しまえ、弟子 たちの権威主義、そんなことをひけらかす弟子たちはいら ないという わけだ。ガリラヤで民衆たちの間で展開してきた イエスの宣教活動に戻っ て考えれば、自明のことだといわ んばかりなのだ。
7月8日の説教から) マルコによる福音書 9章14~29節 「同じところに立つ」 板垣 弘毅 きょうは、信と不信をめぐって一人の人間が登場します。 「神の国」 はイエスが発見したようなものではありませ ん。旧約聖書、ユダヤ教信仰の 根底にある、神が全世界、 また人間に与えられた祝福、から出発しています。そ の祝 福にふさわしく生きられなければ神の怒りや裁きがありま す。その裁きの 果てにある祝福を預言者たちは告げまし た。その預言者の希望の流れの中にイエ スもいます。その 希望を生きたイエスには様々な悪霊に閉じ込められている 人の ありさまは祝福された人のあり方ではない、当然解き 放たれるべきものでし た。 <「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊 に取りつかれて、 ものが言えません。...所かまわず地面に 引き倒すのです。...」> イエスの 噂を聞いてたずねてきたわけです。弟子たちは お手上げです。マルコはそ んな場面を設定しているようで す。< 人々は息子をイエスのところに連れて来た。霊は、イ エスを見ると、すぐにその 子を引きつけさせた。その子は 地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。> 悪霊とい うのは、当時の社会でリアルに、まざまざとそこ にいるものとして人々の心 をつかんでいた魔力、ですね。 人を別人にしてしまうおぞましい力は、現代 にも通じます。 息子の症状にずっと苦悩し続けてきた父親がいます。 < おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けくださ い。」> 「もしお できになるのなら...」信と不信のあいだに、父親 はいるのだと思います。病 気の当事者でない父親は、苦し む息子のようにイエスを一瞬で見抜くことはて ゙きない。息子 と同じ土を踏めていないのです。 <イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者に は何でもでき る。」> これは「すべてのことが信頼する者には可能なのだ」とも 訳せます。 ただ目をつむってしゃにむに信じなさい、と勧 めているのではありません。 君はもしできれば...なんて言 っている。すでに君も君の息子も神の国の祝福 の中にある んだ。わたしが立っているところに君も立てばよいのだ! 相手 を信頼する者は、自分を越えられるのだ、とイエス は言っているのです。 イエ スにであった人は自分苦しめる症状とたたかう希望 が生まれたはずです。 病気だけではありません。たとえば 6月23日、慰霊の日の声明、県知事と首相 の内容の落差 にいつもながら絶句します。でもこの悪霊のように取り憑く 不平 等に立ち向かう人もいる。イエスと同じところ、つまり 人としての祝福に立ては ゙そうなるでしょう。 この父親は一瞬の後、「すべてのことが、信頼する者 に は可能なのだ」というイエスの言葉を、自分という限界を超 えられる、わたし のいるところへ「来い!」というイエスの招 きだと気づく。 < 父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお 助けください。」 > 「私の不信に、助けをください」とも訳せます。 人が「信じます」という とき「信じない」自分を否定してい るわけで、「不信」を含まない「信」はあ り得ません。 父親は、息子を押しのけるように、イエスの前に立ち、祝 福を「信し ゙ます.信頼できないわたしを丸ごと支えてくださ い」と言っています。きっ と信頼関係って、本来こういうもの ですね。相手を信頼することによってしか自 分を越えること はできないのです。 < イエスは、...汚れた霊をお叱りになった。「ものも言わせ ず、耳も聞こえさせな い霊、わたしの命令だ。この子から出 て行け。二度とこの子の中に入るな。」> 28節以下、無力な弟子たちにイエスは言う。「...この種 のものは、祈りによらなけ れば決して追い出すことはできないのだ」これがマルコがイエスの口に乗 せたまとめだとしたら、マ ルコさんはこう言っているのではないでしょうか。 たくさんの煩悩があるなかで、祈りの中で、まず<イエス から見られる自分 >になってみたらどうですか。イエスが あなたを見る目はあなたの自己理解と はちがうかもしれな い。そこに重心を置いて生きてみたらどうですか。祈りっ て そういうものでしょう? 外から自分に注がれている祝福のまなざしを信頼 する、 それが祈りだよ、とマルコさんはと言っていると思えます。 関係の中て ゙もう一度自分が生きる価値があることを、相 手から知らされるんです。 こ の父親は、決して信仰深くなったわけではなく、イエス の立つところに立ってみ て、自身の不信をかかえつつ、自 分を越える自分がイエスのまなざしの中にあ ることを発見 したのでした。
7月1日説教より マルコ伝福音書8章14〜21 「持ち合わせのパン――常のパン」 久保田文貞 5千人の供食の物語伝承が編みこまれているマルコ6章 は意図しての ことか、パンを巡る問題が並ぶ。イエスの宣教 活動が本格化するが、故 郷のナザレでは冷ややかな反 応。が、ガリラヤ一体で評判になり、各地 から訪問の要請が あったのかそれに応えるに手が足りない。そこでイエス集 団 は弟子を二人ずつに分け各地に派遣する。その際、イエス は「旅には杖一本の ほか何も持たず、パンも、袋も、また帯 の中に金も持たず」に行くよう指示 している。派遣の目的は 12,13節「悔い改めを宣べ伝え、多くの悪霊を追い出し、 大 勢の病人に油を塗っていやす」こと。これは1章14に始まる イエス自身の活動を なぞることにほかならない。マルコがこ のイエス運動を記述する仕方は、後半 の悪霊の追い出しと 病人の癒し、今風に言えば医療と炊き出しボランティアと 言 えるかもしれない。いずれにせよ、弟子たちは必要最小限 の携帯品をもって出 かけたことになる。「パン」も持たずにと いうから、腹が減ったらどうす るのだろうと心配になるが。た ぶんご当地でいただけるのだろう。 この後、評判のイエスとは誰か、処刑したヨハネの生き返 りかと領主ヘロデ・ア ンティパスの心痛、そしてヨハネ処刑 の物語になる。ヘロデは自分の誕生祝い に家来たちや土 地の有力者たちを呼びパーティーを開く。すぐ後の5千人 供 食物語のことを思うと、このパーティーの食のことが気に なる。たぶん山盛 りの御馳走が出たことだろう。客たちは思 う存分食べて呑んだに違いない。 余興が高じて遂にヨハネ の生首を拝むことになるのだが...。 閑話休題的 な物語が終わって、各地に派遣された弟子 たちの報告会が始まる(6:30)。お疲 れさんというか、パンも 持たないで行動してきたわけで、イエスは弟子たち をねぎら い、人々がいない所で休ませようとする。舟にのって人のい ない所 に移動するのだが、人々はそれを察知して先回りし ていたという。弟子達とし てはいい加減にしてくれよというと ころだろうが、イエスは押し掛けてきた群 衆たちを見て「飼 い主のいない羊のような有様を深く憐れみ」、あいかわらず 彼 らの訴えに耳を貸している。そして日も落ちかかる。弟子 たちの心情を察するに、 持ち合わせのパン5つと少量の魚 でも食べてしばらく休もうかと思っていた ところ、それどころ ではなくなってしまった。さすがに群衆たちも腹が減っ てい るだろうと、イエスに群衆のための食の配慮をとイエスに進 言した。繰り返 すが、あのヘロデの館のパーティーとのコン トラストが気になる。イエス は5つのパンと2匹の魚があると 聞いて、それで十分とばかりに動じない。 雑然としている群 衆をなぜか妙に組織的に座らせて(私ははるか以前の小学 校の 避難訓練を思い出している)、イエスが祈りを唱え、パ ンと魚を裂いて弟子たち に配らせていく図を勝手に思い浮 かべている。 ここにはおどろおどろした魔 術的な奇跡の片りんも うかがえない。きわめて普通のパン裂きの所作しかな い、 ささやかな食事。例えばヨハネ福音書6章のよう に、イエスからいただくパン をどうしてもただのパン ではないとする思いを分からぬでもないが、 この食事 は「常のパン」(サムエル上21章、マルコ2章25-26)」、 「必要な(日用 の)糧」(マタイ6:11)の食事であって 「聖なるパン」の食事ではないという響 きさえ感じら れる。 8章14以下、イエスと弟子たちの移動中、弟子たちがパ ンを持ってくるのを忘れ、あたふたしていると、イエスは「フ ァリサイ派の人々の パン種とヘロデのパン種によく気をつけ なさい」と言う。すぐ前で、メ シアであることの証拠として徴を 求めるパリサイ人のことを嘆いていたイエス が、弟子たちの パン騒動に何か同じものを感じたらしい。そこで5千人の 食 事のことが提示されるのだが、ここでは、「常のパン」のこと のこと で動揺するなと言わんばかりである。存在の配慮(Sor ge)に気を奪われて、人 間存在の根底にある存在そのもの を見ていないといった批判などではないだ ろう。 ルカ13章21にこんなイエスの言葉がある、「神の国を何 に譬えようか、ハ ゚ン種のようなものである。女がそれを取って 三斗の粉の中に混ぜると、全 体がふくらんでくる」。パン種 の作用に注目して、神の国の真実を語ったの だろう。だが、 その語りは、高尚なものを比喩で語るというのとはちが う、女 たちが、毎日の生活の中でパン粉を捏ね、パン種を入れて ねかし、 「常のパン」を焼く、そのすぐそばでのイエスのつぶ やきなのだろう。 女たちがパンを作りながら、イエスのそんな つぶやきに「うん、うん、そ うですよね」とうなずく。イエスもそ れ以上のことを言わない。
6月24日説教より マルコ福音書6章14-29節 「預言者の抹殺」 久保田文貞 著者マルコは、福音書において「一体イエスとは誰か」(4 :41)という 問いを再提出していると言ってよいだろう。その ためにイエス運動の初めから説 き起こし、死に至るまでの 生涯を描いた。そこにはイエス=キリストを自明化させ てし まった原始教会(ケーリュグマ神学)に対する〈待った〉を意 味したという指 摘は当たっているだろう。 今日の箇所は、イエスをヨルダン川の水に沈めた(ハ ゙プテ ィゼイン)ヨハネの死の報告がされた所である。著者は、イエ ス運 動の噂がガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスの耳に入っ たということで 始める。噂とは、イエスが彼によって処刑され たヨハネのよみがえりだとか、 あるいはいにしへの預言者エ リヤの再来だとか、終末の前に派遣されるきたるへ ゙き預言 者だとかである。そこでヘロデはイエスという人物は「わたし か ゙首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と思い込む。 「一体イエスとは 誰か」のハズレにはなるが一つの答えとし て扱われているわけだ。その後、 著者マルコはヘロデがヨ ハネを処刑した記事(伝承)を挿入する。それはほとん ど週 刊誌的なゴシップ記事である。 ヘロデの誕生日パーティに高官や 将校、土地の旦那衆 を呼んだ。そこで妻ヘロディアの娘(先夫との間の娘、と す ればサロメ)がダンスを披露し王と客を喜ばせた。王は「欲 しいものか ゙あれば何でも言いなさい。欲しくば、この国の半 分やろう」と言う。娘は 母と相談し、「今すぐにバプテスマの ヨハネの首を盆に載せて、...」と願っ た。王はそれに応える という。オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』などの素 材とされ たものだ。 だが、史実は、逮捕されたヨハネは自領ペレアの南端、 死海東岸の要塞マカイルスに幽閉され処刑された(ヨセフ ス)。パーティの行われ たのはガリラヤ湖畔のティベリアドの 宮廷というから、そこににヨハネの首 は持っていきようがな い。伝記的なガセネタだろう。しかし、ヘロデの家 系のスキ ャンダルは度を越えていた。妻ヘロディアの祖母マリアンメ はかのヘ ロデ大王の妻、その子アリストブロスが彼女の父 だが、祖母、父ともに 大王によって殺される。残されたヘロ ディアは大王の腹違いの子ヘロデ・ボ エートス(彼女の叔父 にあたる)と結婚させられ、今度は先夫より力のあるもう一人 の叔父アンティパスからみそなわされ略奪婚されるという具 合。ついでに言っ ておけば、ヘロディアの兄アグリッパが夫 アンティパスを陥れ、アン ティパスは失脚、遠くガリア(フラ ンスのリヨン近傍)に流される。兄は妹ヘロ ディアに新領地 を示すも、ヘロディアは断って夫と余生を共にする。案外、 よ い妻だったのかもしれないが・・・。 マルコによれば、ナザレから出てき たイエスはヨハネから バプテスマを受けた後、しばらく荒野で試練を受け たと云 う。佐藤研によれば、ヨハネのバプテスマを浸礼と訳すべき だと いう。バプテスマとは、沈められることであり、同時代エ ッセネ派が毎日 のように行っていた沐浴、洗い清めを意味 しないと。それは詩篇69:2「わたしは深 い水に陥り、大水が わたしの上を流れ過ぎました。」のように、大水によって 死に 引き込まれるような体験を表しているという。これを受け入 か れた人々は、 「罪の赦し」を得ようとして死を掻い潜って新し い生へと=悔い改めの生へと向かっ たのだと。ヨハネから バプテスマを受けたイエスもまたヨハネから受けた新 しい生 を、イエスなりに見つけていったと考えてよいだろう。それが ガリラ ヤでのイエス運動ということになる。 マルコによれば、イエスがガリラヤ での宣教活動を、1:15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信し ゙ よ」で始めた。汚れた霊に憑かれた者からその霊を追い出 し、病人を癒す。さ ながら医療ボランティの風である。会堂 で「教えた」とはいえ、マルコは 概して言葉によるイエスの教 えをマタイのように残していない。譬で語ったとい うところは 出てくるが、マタイのような長い説教はない。短い譬や、短 い格言、 知恵の言葉が書き留められているにすぎない。 またイエスはヨハネから受けた バプテスマを人々に要求 しなかった。再び8章27節以下で、人々がイエス をヨハネの 生き返り、エリヤの再来、あの預言者だといううわさがあって イエ スの耳に入るという設定になる。そこでイエスが「私を誰 と言っているか」と 弟子たちに問う。ペテロが「あなたこそキリ ストです」と答え、イエスは自 分のことをだれにもいってはい けないと釘を刺す。この後に、最初の受難予告か ゙され、ペ テロの無理解が際立つ(8:31-33)。 「イエス(わたし)はだれとい うか」の3つの問い(4章41 節、6章14節、8章29節)とそれぞれの答えには、波にの ま れる死の恐怖、バプテスマのヨハネを殺した王の恐怖、キリ スト告白が引 き出してしまった十字架の死、三つの不吉な 死が見え隠れする。イエスをだれ と告白することの緊張感 が漂う。
6月17日 説教より 五十嵐・加納さん宅 家庭集会の日曜礼拝にて 聖書:ローマ人への手紙 8章18~26 「目に見えないものを望む」 関 惠子 教会に足を運び始めてからもう50年を越しました。 友達が行っているのを見 て憧れ自分の存在を悲しみ衝 動的で軽薄なきっかけだった。でもこの長い年 月武生 から防府、摂津富田、北松戸と流れながら日曜日は教 会の皆さんと時代を 共にして古稀を迎えている。一人 では決して続かなかったと思う。パートナー である夫 の存在はとても大きい。彼は余程でない限り根気強く 教会に通ってい る。牛に引れて行く私です。不安定な 精神を何とか立て直しながらやっと通っ てきていた時 期も沢山あります。 若かったころ、「証し」というのがあって苦手 だっ た。それはイエス キリストに従いますという心の内 を神さまに向かって表 明することでした。当然信徒の 皆さんに向かっても聞こえるよう言葉にするもの でし た。続けてお祈りということもあります。神さまへの 祈りを通して約束し、 日々の歩みを整えていくという ことだと思います。神さまとの応答ですが、 お願いば かりの願掛けみたいになりがちです。証しもお祈りも、 私にはとて も負担なこと、身丈に余ることで、本当は いつも逃げたい気持ちになります。 もう思い切ってす るしかないと司会などのとき思うのです。 今日のように礼拝 の時間に私がお話するというよう なことは滅多にありませんが夏のリレー説教 としてみ んなでやっていたことを、年間にバラシて担当すると いうことで今 日は私が当番というわけです。 証しというようなほどの事ではありません。 不信心 この上ない人間ですけれど、ただ生きていることへの 感謝、さまざ まなものの犠牲の上に私があるという申 し訳なさ生きるに値しなくとも、草々の 命のように生 きていることの不思議。その辺は表明できるかと思い ます。 今日 はどういう風に日々息をしているか、プリント してきたものを見ていただき ながらお話に代えたいと 思います。☆ はじめに聖書、パウロの証しと奨め、 目に見えな いものをこそ待ち望むのです。霊も弱いわたしたちを 助けて下さいま す。 ★ 田の神さん 私の村、余田(はぐり)村の習俗 ☆ はじめに聖書、パウ ロの証しと奨め、目に見えな いものをこそ待ち望むのです。霊も弱いわたしたち を 収穫への深い感謝と願いがありました。 ★ 家の宗教 天台宗 恵信僧都源信の往 生要集の掛 け軸 聖衆来迎図。季節の行事 そのような空気の中 で育ちました。 ★ 源信の観想ということ 観無量寿経 寝ていても 覚めていても活き活きと極楽浄土と 阿弥陀仏の世界を 思い浮かべることができるようにしなさい。出来なけ れは ゙日々称名につとめなさい。 ☆ パウロの栄光の証し 現在の苦しみは将来私たち に現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないと 私(パウロ)は思います。 ★ 山川草木悉皆有仏性 これはストンと私の胸に落 ちわかります。小さな村落の小 字にある祠や石仏、月 や太陽、収穫の感謝と祈り・言葉にできない畏敬と幸 福へ の願い、身近に感ずる霊の力と働き、目に見えな いものの世界を想い描くことて ゙救いの希望にかえてい く。 田舎で知らず知らずのうちに身に着いたものか ゙パウ ロの手紙と重なります。昔ながらの自然とともに生き る厳しさを現在の 私たちはもう忘れがちです。人間に はどうすべくもない暮らしの現実をと ゙のように乗り越 えればよいでしょうか。苦しく、悲しい毎日をいやと いうほ ど知っている。けれども誰にも必ず備えられる 栄光浄土の日を耐え忍び祈 り待ち望むのです。と・・ ここには明らかに目の前の現実を捨てて永遠の救い に あずかろうとする逆転の思想があります。それでも ほかに逃れる術もない時 代、素朴なできうる限りの信 仰のなかに人々は希望を見出したのではないで しょう か。 私は現在月のうち20日を千葉県で、10日を福井県あ わら市で過こ ゙しています。そう遠くない将来田舎への Uターンを考えているからです。気ぜ わしい1か月を、 歌会に参加して歌を詠むこと、地域の古文書を解読し 時代の人々 から共に学ぶこと、犬や猫動物たちと接し てやさしさに触れ、週に一度は障が い者支援の作業所 で共に働きます。また難聴が少しづつ進むなか田舎の 自然 に触れ草取りに励ん でいます。もちろんのろの ろと怠けてばかりいます。旅や 遊びも大好きです。 週の初め日曜日は教会に通い、気持ちを新たにして スター トする習慣はこれからも続けていくつもりで す。
6月10日説教より マルコ伝福音書5章1-20節 「追放」 久保田文貞 ちょうど一年前、羽生の森教会との合同集会で大川大地 さん(以下敬称略)がこの箇所で 「この人は一体誰なのか― ―マルコ福音書のイエスと新しい帝国主義の始まり?」と題 して講演をされた。「この人は一体誰なのか」とは、ゲラサで の悪霊払いの直 前にある〈嵐を沈める奇跡物語〉の最後に 出てくるイエスの言葉である。この問 いは直近の弟子たち にとっても、パウロ、原始キリスト教、さらには我々にとっ ても 共通の問いだというわけである。 では、マルコにとってその答えはとい うと、大川はマルコ 福音書の著作年代を70年説に基づき、ユダヤ戦争(66-7 0年)敗 戦の直後の状況を執筆の動機とみる。長くなるが引 用してみる。 ユダヤ戦争と は、神殿の崩壊と多くの都市、村落共同 体の崩壊による既成の社会システムの根本 的な崩壊を意 味した。マルコは、社会混乱と無秩序の中から自らの福 音書を生み出 したのである。 彼は、この時代に生きる群衆を「飼い主のいない羊のよ うな有様 だ」(6:34)と理解している。この群衆は「三日間 も食べ物を持っておらず、 このまま家に帰らせると道すが らに倒れてしまう」(8:2-3)ような状態にあり、 「家、家 族、畑を失った」(10:29)者が大勢いた。マルコ福音書の 関心は、この ような混乱と無秩序の中に生きる共同体に、 「飼い主」としてのイエスを提示する ことである。 つまり福音書を通じてイエスが民衆たちに見ている悲惨 な状況 を、70年敗戦の状況に重ねてみてこそよく理解でき るということなのだろう。 確かに戦争が引き起こす悲惨が並 はずれていることはだれしも認めること だが、同時に戦争を 引き起こすのは戦争前の、自己本位的な権益確保の競争 と、 戦争を回避したかのように見える為政者たちの醜い取 引、そこから必然的に生じ る民衆の不安、「社会の混乱と無 秩序」なのだ。そうみると、古風に「飼い主の いない羊のよう な有様」とされる<群衆>の姿は敗戦直後の群衆だけの問 題では ない。イエスがガリラヤで出会う群衆の姿でもありう る。 マルコの執筆か ゙70年であろうと、マルコがかき集めた諸 伝承が人々の心を打ってきた共時 的な時間はだれにも特 定する権利はないだろう。その際かき消すことがで きないの は、マルコの編集作業が意思の如何にかかわらず、それら の伝承の基 底にあるイエスと群衆の一人一人との出会いの 中に起こった事を残したこと、そし て「この人はいったい誰 なのか」という問いを福音書を読むすべての人に発信す る ことになったことだろう。 大川は次のように書く。 この福音書は「神の子イ エス・キリストの福音のはじめ」 (1:1)という言葉で幕を開ける。「神の子」と 「福音」は、 ローマ皇帝崇拝の用語である。マルコは意図的に自らの 福音書の主 人公イエスとローマ皇帝の姿を重ね合わせて いるのだと言える。 ユダヤ戦争か ゙勃発した当初、ユダヤ駐留の軍団に反 乱軍を制圧するだけの力がなく、ロー マ側は将軍ウェ スパシアヌス率いる最強軍団を投じてきた。彼は反乱 軍が籠 城する都市や地区を制圧していくが、首都ロー マでは68年、ユダヤ戦争なと ゙念頭になく詩作に興じて いた皇帝ネロが追いつめられて自死。ユリウス・ク ラ ウディウス朝が途絶え、次の皇帝争いがおこるのだが、 それを制した のが将軍ウェスパシアヌス(フラウィウ ス朝)。彼は後を子のティトゥスに引き 継ぎ、ローマ に走る。ティトゥスがエルサレムを全滅させ、神殿も 城壁も壊す。 勝利した皇帝ウェスパシアヌスと敗戦し た敗戦のユダヤとのコントラストが 嫌でも目に付く。 そこで傷ついた群衆を癒し、嵐を沈め、15章1節以 下、汚れ た霊をレギオン(ローマ軍団のこと、そのシ ンボルは豚であった)と呼ばれ た豚の大群に封じ込め、 湖に投げ込むイエスこそ、皇帝を凌駕する「まことの 神の子」(15:39)ではないかと、マルコはそう言って いるというのだ。これが 大川のシヴィアなマルコ評で ある。大川の言葉を引用する、 マルコにとって、 イエスとは、あたかもローマ皇帝 の如き姿で戦争後の無秩序と混乱を制定する 「圧倒 的な力」なのである。...この時代を生きる私たちに とって、イエスとは 一体誰なのだろうか。マルコ福音 書のイエスは、「強い日本」を目指す勢力に有 効な 対抗軸となり得るのだろうか。 最後の「のだろうか」がついていて救わ れる気がす るが、それにしても支配の仕方はちがうというだろう が無秩 序と混乱を制圧するイエスという構図は私には 理解できない。それが「強い日 本」(これもよく分か らない)への有効な対抗軸なんて、もしそうなりえて も私には 付いて行けないと思った。
6月3日説教より マルコ伝福音書1章21-39節 「イエスと霊」 久保田文貞 パウロの手紙を元に<霊>プニューマという語を通して、初 代教会の歴史の一断面をここ2回にわたって考えた。キリス トが<私>のために十字架に付けられ死なれた、神がそのキ リストを死人のうちから蘇らせたことをもって、新しい<世>ア イオーンが 始まり、<今や>神の霊がそこここに働いている と、実感して生きている人々が次々と生まれて行く。この<今 や>はそれまでの律法を与えられた民にも、そう されなかっ た民(異邦人)にも分け隔てなく及んでいる。古い<世>に通 用したあら ゆる基準はいわば賞味期限切れになったという わけである。 このあり様に明ら かに疑問をもった者がいる。パウロ後10 数年後に福音書を書いたマルコであ る。彼の疑問はパウロ が活動していた時にすでに始まっていたと思う。パ ウロはな ぜガリラヤ時代のイエスの宣教活動に触れないのか。 彼はイエスを知 らなかったから、またパウロの改悛後すぐ に会ったペテロたち自身がエル サレムで起こった十字架の 出来事に心奪われていたから、といった説明がされ てきた。 としても、それから20数年間にわたってパウロの頭はむしろ 十字架以前 のイエスの情報を意図的に遮断していったふ しがある。もっともそこにはユダ ヤ主義的な反対者たちがイ エスに会ったこともないパウロに使徒の資格はない とパウロ を潰しにかかったことへの、パウロの抵抗があったかららし い。結 果として十字架以前のイエスの事績が封印されたり、 あるいは二義的なものとし て扱われたと考える。 マルコはおそらくそれに対抗してガリラヤのイエスの事績 を物語る伝承断片を少しずつ集めたのだろう。勝手な想像 だが、集めれは ゙集めるほどその信念は強められたに相違な い。イエスのガリラヤ時代を、こ とにパウロらによって拡がっ ていくギリシャ語が話されていた教会にぶ つけていく、その 必要が福音書という形式を生み出したと。 このような見方は60 年代後半、日本において田川らによ って文献学的に提示され、しかもそれは単なる 聖書読みの 問題ではないと受け止めるよりなかった。宣教されたキリスト を告白 する教会神学の中に、今もなおイエスを封印しようと する並々ならぬ力が働いて きたからである。 マルコ福音書は洗礼者ヨハネの下、イエスが洗礼を受 け、そ の後荒野で試練を受ける件で始まるのだが、この部 分でだけ聖霊が 働いていると書いている。マルコは他にほ んの数例、聖霊について触れるだけ (12:36、13:11)。あと のプニューマはほとんどが、<汚れた霊>に関するもの。 事実上のイエスの活動は、荒野から戻ってガリラヤ湖畔 のカペナウムの会堂て ゙の話で始まる。最初に反応したのが <汚れた霊>である。 「俺たちとあんた の間にどういう関係がある、ナザレ人のイエ スさんよ。俺たちを滅ぼすた めにお出でになったってわけ か。あんたが誰だか、知ってるぞ。神の生者 だろ」(田川訳) これは、福音書の最後まで底の方で鳴り響いているもう 一つ の通奏低音である。イエスの言動の一つ一つが、それ と<私>とどう関わりか ゙るという実存の事として降りかかってく る。 もう一つ、福音書1章21-39節はいわ ばイエスの活動最 初の数日、福音書の1ページ目とも言うべきもの。マルコ が それをどう描き始めているかという視点で見直してみたい。 イエスの活動 はユダヤの外、ガリラヤ地方の周縁。確かに ガリラヤはただの周縁でな く、イエスの前後、メシア運動の 発祥の地でもある。現行の体制に飽き足りぬ民 衆たちの想 念が渦巻いていた所と言えなくもない。いずれにせよ、時 代の矛盾 が拠り所を見い出せない民衆、とりわけその中で も弱い立場にある病者や、汚 れた霊に取りつかれた者たち であふれかえる所だったと。少なくともマルコの 描き方はそ うである。イエスの活動の初めはまずそのような場所であっ た。 そこで、汚れた霊を追い出し、病を癒し、人々の元気を 取り戻してやる、イエス はそのような活動をした。その活動 のためにアシスタントとして弟子をとり、我々 のイメージでは ボランティア医療活動により近い活動をしたと見えないだ ろ うか。福音書の1頁を見るかぎり、イエスによって元気になっ た者たちは、元 気に生活に戻るだけである。キリストを告白 して、クリスチャンになるといっ たような人間は要請されてい ない。 マルコは、このようなイエスの宣教活動は、す こしも二義 的などとは言えないのではないか。それ自体で完結してい ないた ゙ろうかと言っているように思えてならない。としても、 マルコの目の前にあった、 パウロらの宣教の成果として成 立して生き始めた原始キリスト教にとって、大変 な問題提起 であるのは確かだ。もっとも、マルコ福音書をもっとキリスト 教の 本流に据えて、マルコもろとも批判的に読もうとする読 み方があるが、それに ついては次回。
5月27日の説教から ローマ書簡8章12〜17 「神の子とする霊」について 久保田文貞 繰り返しになるが、へブル語聖書でルーアッハ、新約聖 書でプニュー マという語は、どちらも風、息という原義をもっ ている。ラテン語系のスピリッ トも、ゲルマン系のガイストも基 本的に同じ。日本語聖書では、これらを 一般に<霊>という 漢字に訳しているが、それは漢語でも日本語でもモノに宿 るタマ・玉=魂のことという。人が死ねば体から離れ、霊とし て残ると観念され、 その霊は別のモノに憑くと観念される。 これに対し、古代イスラエルの人々は人の 命の生を、息 としてとらえ、死ねば基本的にこの命の息としての霊も終焉 する (創世記7:22)と考えていたらしい。(復活などと言うの はずっと後に現れたも の。) はかない命の息であるが、こ の霊をもって人は神に対峙し、人格として の<私>を手にす ることにもなる。 だが、命の息として常日頃<私>に宿っている 霊とは別 の、尋常ならざる「霊」が登場する。神の霊らしきものが入っ て預 言を語らせたり、虚偽の霊が憑依して騙らせたりする。 (Iサムエル10章,11章,16 章など)。宗教一般に見られる憑 依現象として括られそうなものも出てくる。新約 時代になっ て、福音書にイエスが人に憑いた悪霊を払う奇跡物語が出 てくるか ゙、どうみてもどこにもある憑依霊現象の延長にあると 言わざるを得ない。 けれども、このような霊現象と悪霊払い は横道的なものだ。これについては次 回お話ししたい。 旧約の本道は、神の霊が預言者の前に屹立し、預言者 をして命 を賭してでも聞き取った言葉を、神から離れていく 王や民に語らしめるというタ ゙イナミックな図の方にあるだろ う。 一方で原始キリスト教の人々の一大関心 事は、いつも民 と共にあったイエスが「私(たち)」のためにあのように十字 架に かけられて死に、神がそのイエスを蘇らせたという出来 事であり、それをもっ て彼らは今や新しい命(ゾーエー)、新 しい世(アイオーン)に入ったと感覚してい る。これが初代の 教会の人々、特にパウロのメッセージと言ってよい。そし て どうあがいても、わたしたちもそのメッセージを受け入れた 者の中にいる のだ。 最初期の時代、パウロが新しい命、新しい世の「今や」 を、おそらく 他の人々と共に「神の霊」のリアリティーをもって 感じ取っていたことだろう。 このパウロがコリント教会に宛てて書いた手紙で、その教 会の中に現代的に は憑依霊現象としか言いようのない事 象があったことが知られる(Iコリ14章)。 <異言>と訳されて いる事だ。直訳すれば<舌(グローサ、英語のタングに当 た る)で語ること>と表現されていうのだが、霊が入った人は他 人には理解 できない音声で語ったらしい。これに対してパ ウロは、真っ向から否定しな い。慎重なのだ。彼はこういう だけだ、<舌で語る>場合、他の人にわかる ように語ることが 望ましい、そうすることが互いに高め合うことになるという。 熱くなって否定するでもなく、それを奨めるでもなく、醒めて いるとしか言い ようがない。要するに彼の一大関心事は、 「今や」十字架につけられたキリスト が私たちの救いになっ たという出来事だけなのだ。その出来事をそこ・ここ で実現 していく<霊>のわざに添って、自分の宣べるべきことを述べ る。 自分のできることをいっぱいにする。それがパウロのとる スタンスだ。 ロマ書8:15-16「あなたがたは、人を奴隷として再び恐 れに陥れる霊ではなく、 神の子(フィオテシア=養子)とす る霊を受けたのです。この霊によってわたしたち は、「アッ バ、父よ」と呼ぶのです。 この霊こそは、わたしたちが神の 子供(テクナ=子ら)であることを、わたしたちの霊と一緒に なって証ししてくだ さいます。」 ここでパウロはキリストを神 の子(フィオス)という言い方と使い 分けている。 この霊が、自分を覆い、自分が神の子らのひとりであるこ とを 証言してくれるのだが、自分を消し去るよう迫ったり、呪 縛したりしない。霊 に憑かれて自由を失ってしまうというあり 方を求めない。自分は新しい命ゾーエー、 新しい世アイオ ーンを知って享受するのだが、でも同時に古い命、古い世 の ことを見通している。キリストにならって、いまだ古い命、 世に生きる人々と連 帯して生きようとする。霊は神の霊であ って、自分のものではない。神の霊か ゙なさんとしていること に向き合って、<私>は、かつての自分でないような<私> が 立ち上がっていくのを覚えるというのだ。 「今や、恵みの時、今こそ、救 いの日。」(IIコリ6:2) 「だか ら今、それをやりとげなさい。あなたがたか ゙心から願ってい るように、持っているところに応じて、それをやりとげなさ い。」(IIコリ8:11)
5月20日説教より 第一コリント2章10~15節 「霊が明らかにする」 久保田文貞 今日はペンテコステ、新約時代のユダヤ教祭り、五旬節 (刈入れの 祭)に当たる。その50日前、過越しの祭のとき、 イエスが十字架上で処刑された。 三日後、遺体が墓から消 え、彼は復活したのだという風聞が、彼に従った人々 の間 に広まった。自分たちが見放してしまった師匠が刑死して、 どん底に放 り込まれた人々に大きな動揺が起こったろう。そ れが復活の知らせという喜ひ ゙に変わっていく。キリスト教の 一歩というわけだ。オーソドックスな教会史 から言えば、そ れがこの50日間に象徴的に起こったということだろう。 使徒 行伝2章は、その日、エルサレムにこれらの人々が 集まっていた。すると天から激 しい風(プノエー⇒霊プニュ ーマ)の音が響き渡り、火のような舌(グローサ イ⇔「諸言 語」)となって、各々の上にとどまった。皆、聖霊(プニュー マ・ハ ギオン)に満たされ、彼らはさまざまな言語で話し始 めたという。使徒行伝か ゙これを書いたのはおれから50年ほ どしてから。それもイエスが刑死した年(32 年頃)から、パウ ロのローマ到達(60年頃)までのことを書いていることにな る。 この出来事について述べているのはこれだけ。第一次 史料たるパウロ書簡に 一言も出てこない。言葉は悪いがず っと後の〈想像力の産物〉にちがいない。 著者ルカにはキリ スト教世界宣教の嚆矢としてはまことに都合の良い伝承だ った のだろう。そもそもルカは、クリスマス伝承以来、キリスト の出来事とその後の 教会の物語すべてを聖霊の〈み業〉に よるものとして、神の救済史の中に配置す る。 いつもながら原始教団を突き放したような言い方をして 恐縮だが、そう するのは上から与えられたとしか言いようの ない信仰の世界を、同時に現代社会に 生きる人間としてど うつかみ直し、表現し直せるか、批判し奮闘せざるをえな い からだ。悪あがきになる公算が高いが、悟ったようなふりを するわけに はいかない。 話を戻す。ルカ的な霊の救済史観がまったくの的外れと いうわけて ゙はなさそうだ。パウロが伝道した諸教会、あるい はロマ書のようにこれか ら訪問する教会に送った書簡に、 〈霊〉プニューマが頻出する。霊が彼をう ながし、霊が教会 を作り、霊が人々を慰め、奨め...、霊が生きもののよう に意 思を持ってふるまう。史料としてその時代に残っているもの はパウロ書簡た ゙けだが、二次的な使徒行伝やその後の資 料、わずかな教会外史料を全体的 に判断して、霊が支配 的に多くの信者たちを動かしていると思われていたことは 確かだろう。これを、ときおり宗教者に現われる心理現象と 言ってみたところて ゙何にもならない。 霊はイエス自身にも特別な力として受けとめられていた。 霊に 取りつかれていた病人たちから霊を追い払うという形 で。それを経験した本人、 それを傍で見ていた人々は、そ こに悪しき霊と良き霊の闘いを感じ取る、そう いう風土だっ ただけのことだ。だが、このような言い方は霊という表象 の 奥に成立した、イエスその人と、彼に対した人との関係の間 に成立した〈信〉 (信仰とか、信頼とか、信念の基底にあるも の)こそが基本のテーマだと、そし て〈霊〉という怪しげな実 体(神話)になだれ込みかねない「お道具」にお引き 取り願 おうというわけだ。「非神話化」ということになるか。 だが、古式蒼 然たる「お道具」は邪魔だとすべて取り払っ たら味気のないものになること間 違いない。そもそもどんな に気取ったところで、こうした使っている言葉の一 つ一つ、 記号のひとつ一つすべてお道具だろう。現代人として親し み慣れてい るものが確かなもので、古いお道具はだめだな んていったら、間違いなく 後代の人の失笑を買う。お道具 の邪気を払ったとしても私たちはお道具を離れて生 きられ ない。 霊の働きとして初代のクリスチャンたちが衝撃的に言い 表したこ とはなんだったか、私たちはそれが自分たちの間 でどんな衝撃になるか、 その意味をかんがえてみるよりな い。一つの手がかりは、古代イスラエルに現 れた預言者に 上から及んだ神の言葉である。パウロたちは預言者が神の 言 葉を与えられたように霊を与えられたのか。そのような言 い方がたびたび出 てくるのだが、それが一番の特徴とは言 えない。預言はいつでも、たとえ 未来のことでも、神の言葉 を確信を持って語る語りのことだ。「神はこう言わ れる。・・・」 と。パウロの語りの本質はそうではない。彼には十字架にか かっ て私のために死んだイエスは、その事柄において神が 派遣したメシア=キリスト、 その意味での神の子であり、この ことが起こっている「いま」は、神の言葉、 神の霊が充満した 特別の時、恵みの時だ。それは自分だけの「いま」では な い。今を生きるすべての人間の「いま」だという。 おそらく、このパウロ の確信心を敷衍すれば、もうお道具 なんてなんでもよい。この「いま」に完全 に対応できる記号も 言葉も、イメージもない。「イエスを信じる」というの さえ、そ れをお道具のようにして祭り上げるなら、やめた方がいいと いうこと になるのではないだろうか。
5月13日説教より マタイ6:5~10 フィリピ2:1~11 「われらの父よ~祈るときには」 板垣 弘毅 いわゆる「主の祈り」の冒頭です。 イエスは、祈るときに はこう祈れ、と「主の 祈り」を弟子たちに教えました。ひとり祈 るときどこか白々しく自分を見る感し ゙がわたしにはつきまと います。でも言葉もなくてたたずむところが祈り にはあるとも 思います。そこでイエスはきわめてシンプルな祈りを命じた の でしょう。 <5節 祈るときにもあなた方は、偽善者のようであっては ならない。 > (以下、マタイ福音書の教会の事情が反映した言葉がつづ きますが、その 上で背後にイエスのまなざしを聞き取ること もできるでしょう) 終わりの 日、誰でも例外なく神の自由の前に立たされる のだから、人前で得点を稼く ゙ような行為はいらない、無意味 だ、ということはイエスも語っています。この 「見せびらかす」 という行為は、<世間という他者>のまなざしで自己像を作 り上げることですね。一定の生活水準、世間並みに生きら れる人は別として、 世間並み以下で生きるざるをえない人 には、世間の眼差しは時に地獄です。 見田宗介という社会学者は「まなざしの地獄」という キーワードで永山則夫を語 りました。その対極に同じ熱度で 「まなざしが救う」できごとを、わ たしは痛感しています。 < あなたが祈るときは...隠れたところにおられるあなたの父 に祈りなさい。そうす れば、隠れたことを見ておられるあなた の父が報いてくださる> ひとり神の 前に立って、自・他の 「いのち」のかけがえなさを取りもどすこと、それが できること が祈りだというのでしょう。 わたしたちは願いや恐れや悲しみ などを携えて祈るわけ ですが、祈る中で自分から神へ、という矢印が神 から自分へと変えられてゆく経験をすると思います 祈りは自分を外 からとらえさせます。た だ、世間という他者のまなざしから、 ではなくて神の(即イエスの)まなざ しからです。 「だから、こう祈りなさい。天におられるわたしたちの父よ...」 ルカ福音書の方がシンプルで原型に近いとされていま す。ただ「父よ」て ゙す。マタイの教会は、皆で唱える祈りとし て言葉を補っています。 ところで イエス自身は、神に向かってアラム語で「アッバ」 (お父さん)と呼びかけた ようです。マルコ福音書9章には、 道々、序列論争をしていた弟子たちに、イエス が一人の子 供を抱き上げて言います。「わたしの名のためにこのような ものを 受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わた しを受けいれる者は、わた しではなくて、わたしをお遣わし になった方を受け入れるのである。」 つまり、 イエスと出会 ってしまって、イエスから注がれるまなざしから自分を発見 し直 した者は、この子供のような者だ、といます。そこに「い る」という事実に祝福 を見いだします。何を「もつ」かでなく、 「子供」のように空っぽの手をさ しだして信頼に満たされて、 「いる」ならばイエスと同じところに立ってい るのだというので す。そのイエスのできごとの中でだけ、「神」とい う言葉がそ のつど生きたものになるんです。 「キリストは、...神と等しい 者であることに固執しようとは思わ ず、かえって自分を無にして僕の身分にな り、人間と同じも のになられました。人間の姿で現れしかも死に至るまで、 し かも十字架の死に至るまで従順でした。このために神はキ リストを高く上け ゙、あらゆる名にまさる名をお与えになりまし た。...」 パウロ以前から唱え られていたはじめのころのキリスト信 徒たちの信仰告白(文)ですね。それをハ ゚ウロは、獄中から フィリピの教会に宛てた手紙に引用しています。 キリスト信 徒の心構えを語るところに、です。信徒たちが同じ思いにな って、信徒同士 がたがいに相手から生きること、そのために は、キリストがこの上ない比喩 なのだ、とこの告白の言葉を 引用しているわけです。(4~5節) わたしは.この最 初のころの信徒たちの告白の言葉の中 に、確かにあのイエスのできごとへの生々 しい感動があると 思わざるをえません。子供のような無力な者に連帯して神 の みこころを示したイエスへの信頼ですね。言葉としての 「神」は空洞です。キ リスト信徒にはイエスのまなざしをとお して向き合える「父」である神がい るだけです。 また神学者が「神」を定義し存在証明を重ねてきたとして も、 それはたどり着いた言葉で、わたしたちはその思索の結 果から出発する必要は ありません。 イエスにならうという限定を持つキリスト信徒は、「わが 神、なせ ゙わたしを見棄てたのか」というような「絶望」の空洞 を神に向かって開く者で、 それが祈りなのだと思います。 イ エスは律法社会から、つまり救いの秩序から 外に、 締め出 された者と共に、掟破りの食事をし、それが神の国の姿でし た。 孤独な空洞を、ただ差し出す短い祈りを、イエスは教え た、だれだってここ から出発できるよ!と。祈りなんて無力 だ、という人には、そのとおりだと思 います。でも祈る人に は、耐え、変えるための最後の力であり希望なのです。
5月6日の説教より フィリピ書3章20節、IIコリント5章7節 「信仰によって歩む、1」 久保田文貞 私達の国の形は立憲主義を取っている。すべての国家 機関は憲 法とその下にある法によって規制されているという タテマエになっている。この形 が正常に機能するための大 前提は国民主権である。国民一人一人が意見を強 制され たり、宣撫されたりすることなく、自由な判断力を養うような 教育を受け、 隠すことのない正確な情報を得、自由な議 論が保証され、その上で意思表示て ゙きるようになっていな ければならない。これが近代国民主権国家の基本の形 だ。 今この大前提が根本から崩れている。安倍政権になっ て露骨になってきた ことだが、この政権を支えている経済 界、ジャーナリズム、マスメディ ア、官僚、技術的・知的機 関、教育機関が総がかりとなって、国民一人一人の 意思 を確実に操作し始めている。子どもの内面深くまで立ち入 っていく国民⇒ 公民教育、あらゆるメディア・広告を通して 作られていく文化的イメージ、こ れらを彼らは戦略的に駆 使して、彼らを支持する「国民」を創り出し、そのように し て作られた国民主権を国の基礎としようというのだ。 だが、これは近代国 民国家の一時の特殊な病理ではな く、初めからもっていた体質かもしれない。国 民主権という 理念の下、国民の「一般意思」が現実となって国家・権 力機構が 成立するという民主主義の形に初めから備わって いた無理が祟ったのかもしれな い。それでもかなりの人が 民主主義以上の政治形態はないと言って、民主主義 政体 に甘んじるというわけだ。かく言う自分もそうだが。 とにかく、この 出口のない現実をしかと認識しておくこと がとても大切だと思う。それは現代 国民主権国家の根本的 病理を、そこから逃げずに、でもそれを外からしっか りと見 る視点を持つことだ。一種の超人的な飛躍でもある。そん なこと、学者 でもない自分たちにできるとは思えないと言わ れるかもしれないが。 芥川龍 之介の小説『河童』において、河童界では胎 児が出生する前に、父親が母親 の性器の所に口を近づけ て「お前は生まれてきたいか」と胎児の意思を聞くくた ゙りが ある。すると胎児はこう答える、「僕は生れたくはありません。 第一僕の お父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。 その上僕は河童的存在を悪い と信じてゐますから。」と。 それで胎児が消滅する手続きが取られる。自 死とは違う。 恐ろしい話ではあるが、ただのお伽噺とも思えない 我々は「私 は生まれたくありません」という選択をできな い。として、大概は日本人の親の 下に生まれて「国民」 になってしまう。いつのまにか成人して国民主権者のひとり になっている。そして国民の「一般意思」の中に組み込 まれてしまう。「そうなり たくありません」というために出国し ても、次の地で同じこと、あるいはもっ と悪いことが起こる。 河童界のようなわけにはいかない。もっともこの感覚は、 島 国日本の人間独特のものかもしれない。 そこでいきなり〈パウロ〉に行くの だが、彼は離散(ディ アスポラ)のユダヤ人出身だ。本国を離れ、他国 に寄留し て暮らす。パウロの時代、ユダヤ人の本国はローマ帝国に 呑みこまれ、 本国自体が無きにひとしい。ただ宗教団体と しての神殿があるばかりだ。 彼にとっても、まずメシア(=> キリスト)とは、どのような仕方を取るにしろ、 神から信任さ れた本国の回復者であるべきだった。けれどもご存じの 通 り、彼は処刑されたイエスという人物を担ぐメシア主義者た ちの律法違反に反 発を覚、彼らを迫害してまわった。だが、 そのパウロを神はキリストの使徒 として選んでくれたとパウロ は覚知する。そのメシア=キリストは、この地上に 自分を信 じる者たちの本国はないと示しているというわけだ。 フィリピ書 3:20「わたしたちの本国は天にあります。そこか ら主イエス・キリストが救い主 として来られるのを、わたした ちは待っています。」 その後のキリスト教の展開の 中で終末論的な〈本国天国 論〉がどうなっていったかという私たちの知識か ら離れて、 かなう限りパウロの地点に立って考えてみたい。彼にとって は、依然 としてディアスポラである。いつそれが到来すると はわからないが、確 かなことはこの地上に〈今ここに〉とど まって生きているということ。本国は天 にあるのだけれど、 そしてこの地上の体勢は基本的に崩れているのだけれと ゙、 それまでここにとどまって生きるということは揺るがない。。 それを私 はつぎのように理解したい。今ここに生きること を捨てたり、そこから逃げる ことはしない。できれば彼にこ う確かめてみたい。〈あなたはこの地上が最 終的な到達点 ではないけれど、最後までこの地上のベターな到達点を地 上 の人々と共に探り続けようと言うのですか〉。だが、パウ ロの言葉を探し ていくと、そう熱くならない方がいいと考え ているらしい。けっこう醒めていて、 Iコリ7:20「おのおの 召されたときの身分にとどまっていなさい。召されたときに 奴 隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の 身になることが できるとしても、むしろそのままでいなさい」と 言う。 〈主よ、あなたは、と ゙う思われますか。〉
2018年4月29日日曜礼拝説教から ヨハネによる福音書 5:19-29 「裁かれること」 飯田義也 新約聖書の4つの福音書、キリストの生涯を描 いた文書ですが、そのう ちの3つ、マタイ・マル コ・ルカは「共観福音書」と分類され、ヨハネは 「第四福 音書」などと別物扱いされることが多いのです。 共観福音書は、大雑把に言っ て第一世代、それに対してヨハネは、成立年代としては第二世代の 福音書というこ とになります。ヨハネが第二世代 である特徴は「父と子」という表象に現れま す。 イエス・キリストが神であるとの信仰告白がはっ きりしているのです。 加えて、人と神とをつなぐ 仲保者である「聖霊」への理解が重要になり、そ のことにも紙幅を割いています。キリスト教の教 義である「三位一体」というこ との原型です。三位一体とは、どのように理解すればよいので しょうか。 神は三位一体なのである・・などと固定的に考 えてしまうと何か違う感じに なってしまいます。 もともと、神は無限の方であり、むしろこの世の 前提であ る方ですから、人間がすべてを知り尽く すことはできないのだというこ とを出発点にする のです。神は知り尽くし得ないのだけれども、3 つのこと を通して、あるいは3つの方向から思い を馳せると、神に迫ることができるとい うことを 三位一体の神と表現しているわけです。一つ目は、宇宙を創造された意 志(言葉)につ いて人間が想像を広げることで、迫って行ける「父 なる(母な る)神」存在世界を超越した神です。 二つ目は、イエス・キリストの生涯と十字架 を通 して迫って行ける「子なる神」現実の世界におけ る神の言葉の実践。三つ目は、 人間だけとか人間 同士だけという世界観ではなく、何らかの人知を 超えた働 きかけについて思いを巡らせることで迫 って行ける「聖霊」超越と現実をつなく ゙もの・仲立ちをするものです。 三つ目については理解の仕方が百人百様なの で、キリスト教の教派がたくさん生じる原因にも なっています。キリストの 復活についても、理解が分かれると ころではありますが、ひとつには教会と して復活 しています。キリストの体とは教会のことである と考えるのです。こ こでの「子」を「教会」と読 み替えると、たいへんわかりやすくなると思いま す。 昨今の社会情勢や政治状況から、人間の言葉と 神の言葉の対立の構図が誰の目に も明らかになっ てきました。対立し、互いの非を責め合う日常飛 び交う言葉の中 で、どのような言葉が必要であり どのような言葉に私たちが聞き従う べきなのか、 聖書ははっきり示しています。どのような言葉や 振る舞いが命 につながり、どのような言葉や振る 舞いが滅びにつながるのか、といっ たことです。 ヨハネの手紙一の第四章にある「互いに愛し合い ましょう」を文字 通り実践できたら、それで本当 に永遠の命を得られると思います。今日の箇所 に「父はだれをも裁かず」とさりげ なく書かれているのですが、悪辣な 政治家がいた として、その人に対して傍目にもわかりやすい「天 罰が下る」と いうようなことは起きません。しか し、人々の目には、はっきりとその人が滅ひ ゙に向 かっていることが見て取れる、そんな情景が心に 浮かびました。
《4月22日、特別礼拝の講演要旨》 イザヤ書53章2-5節 「共生社会の礎としての医療」 前沢政次医師 自己紹介ですが、高3のとき洗礼を受け、医療の道に進 みました。 大学卒業後、研修医時代に無教会に惹かれ集 会に参加しました。自治医大では同 僚、学生と一緒に聖書 を学びましたが、仲間がいないときは一人で聖書を 読んで きました。現在、北海道の豪雪地帯でもある京極町の診療 所で働いて います。多いときは若い医者が4人いたのです が、昨年12月から一人でやっ ています。 47年医者をしてきて、地域医療の現場で三つのモデル を考えてき ました。医療介入モデル・生活支援モデル・人 生観察モデルを使い分けよう というものです。 医療介入モデルは病気や障害の治療のことです。その 上て ゙さらに患者さんの衣食住など生活改善そして介護・予 防の面での支援、その ために介護・福祉との連携が必要で した。さらに人生観察モデルになります が、認知症、癌のタ ーミナル・ケアのように、医療としてできることは側にい ると いうことしかできない。その時、どう臨んだらよいかということ です。 その人の人生に寄りそい、その人の声を聴くようにし ます。でも、言葉で言い 表せないこともあるので、その人の 生活史を知り、直観を働かせ、あるがまま を尊重し、絆を大 切にしようとします。地域医療の中で気づかされてきたこと です。 この様な中で、厚労省もここ数年、地域包括ケアといって 医療・看護、 介護・リハビリ、保健・福祉と三つを連携させた システムを構築しようとしてい ますが、その研究会では経済 学者を座長にし、そのモデルはサービスする 側を充実させ ることが目的になっているように見えます。私たちは、援助 を必要 としている方々の生活、環境へのサービスを、医療・ 介護・保健・予防など連 携とりながら提供することが大事だ と思っています。こうしてご本人の意 向・生き方の花が咲い て下さればいいと...。 最近のわたしの仕事は認知症の 方を診ることが診療の 主な仕事になっています。認知症についての啓発活動をし たり、小学生を含め地域全体がサポーターになれるような 地域づくりを進め ています。うまくいく所とできないところが ありますが。 認知症は4つに分 類されますが、その5割はアルツハイマ ー型認知症で、物忘れのほか場所・時間・ 人の見当識、段 取りする力が落ちる特徴があります。全体として各認知症に共 通することがあります。オーストラリアの科学者であり若くして前頭側頭型認知 症 を発症されたクリスティーンさんが自分の病気の経過につ いて書いています。 クリスティーンさんが考える「私」の構造 は三層になっていて、一番外側の認知 機能、すなわち短 期の記憶、場所、時間、人の認知が崩れていく。次に第二 層の 感情、喜怒哀楽です。やがて感情をコントロールする 働きが弱ってしまう。 そのうちにアパシーといって、感情表 現すらできなくなる。しかし彼女は、そ うなっても第三層のス ピリチャルな自己は死ぬまで残るという表現をしていま す。 認知症がどんなに進んでも、彼女の場合キリスト教ですが、 信仰は 残るというわけです。 クリスティーンさんは発病後離婚していますが、ブラ イデ ンさんと再婚し、認知症介護について10項目を提唱してい ます。〈近くで、 目を合わせゆっくり話す〉〈人生の物語を大 切にし共感をもって接する〉〈不快な 音をなくし、不安を起こ す夕方に関わりを多くする〉など。認知症が進むと、 敵か味 方か気配で決めてしまい、敵となったら怒り出すのです。で すから、 こちらは味方ですよというメッセージを送りつづける ことが大切です。 ユマニチュード(フランスの体育の先生からの発信です が)という認知症の方 を介護する時の基本として、4つの提 案がされています。同じ目の高さで、正 面から、近くから長 く「見つめ」、「触れる」こと、頻繁に、優しく、前向きな言 葉 で「話しかけ」、人という字のようによりそって「立つ」と。 ただ、クリス ティーンさんが人の核として出されたスピリチ ュアルな自己を実際にどうケ アするか、難しいです。上田敏 さんは、WHOの「生活機能分類」(ICF)―心身機能・ 活動 (生活)・参加(社会との接点をもつ)―は、人のケアには大 事なことだが、 これには弱点があるとして、当事者の意向を とらえ、それとのふれあいが重要 だと言われます。当事者の 意向―自尊心・自分の価値・人生の意味など、将来へ の希 望、人生への興味―を知らないと本物のケアにならないと 言うのです。また ケア・マネジメントの指導をされている高室成 幸さんは、ADL(食事・着衣・排せ つなどの日常生活動作) に文化(cultural)のCを加えて、CADLを提案しています。 趣味・楽しみ、役割など観察し、ケアしようというわけです。 夕張市の医療活 動をお手伝いした体験で感じたことで すが、私たちケアする側はつい自分 の物差しを当てはめて ケアしようとしますが、一人一人、自分のものさしで生 活を 組み立て生きておられる。その物差しを見せていただいて それに合わせて支 援していくことが大切だと思います。 (文責・久保田。話の3分の2ほどの要約 です。レジュメ、録音(状態が悪いで すが)あります。)
4月15日の説教から 詩篇23篇 「主はわが牧者(2)」 久保田文貞 1月7日の話(1月14日の週報に要約がある)の続編にな る。その時はこ の賛歌を、ひねって解釈することなく、響い てくる歌詞のままに話をした。でも、 この詩編も含めて聖書 によく出てくる羊飼いと羊の比喩にはいつも心に引っかか る ものがあった。今日はそのことを話したい。 日本の風土 に住む多くの者に、牧羊 の比喩は実感的につかめない。も しこのような比喩に違和感がないとすれば、 おそらく聖書に 親しんでいたからだろう。それに比べてパレスチナの人々 のように日常、羊飼いや羊の群れを目にしている人々は、 羊飼いのどんなしぐ さや声で羊がどんな具合に動くか、ある いは従うか実感でわかっているこ とだろう。 近代ヨーロッパ社会を解読するために羊飼いと羊の群れ の比喩を使っ た思想家にミシェル・フーコーがいる。教科書 的には、16,17世紀、強力な王権の もと中央集権化していく 国家は住民を支配し抑圧していく、これに対して経済的に 力をつけた市民が抵抗し権利を要求していく。やがてあら ゆる特権階級は退け られ、近代市民国家が成立したと説明 される。フーコーはこのような常識知を根 本から疑う。 彼は古代イスラエルの羊飼いと羊の比喩の関係を次のよ うに整理する (「全体的なものと個的なもの」、『フーコー・コ レクション6』、ちくま学芸文庫)。 1牧人は、大地にではなくむしろ家畜の群れに対して権力 を行使する。 2牧人は自 分の群れを呼び集め、導き、引き連れていく。 ...牧人が口笛を吹くと彼らはあ る待ってくる。逆に言えば、 牧人が姿を消すと羊の群れはたちまち散らばっ てしまう。 3牧人の役割は自分の群れの安全を確保することである。 ...かれは、 群れが渇きや飢えに苦しまないよう日常的に心 を配らなければならない。 4牧 人の慈愛は「献身」に近いものだった。牧人が行うこと はすべて自分の群れ の利益のために行う。羊の群れが眠 っている時、牧人は眠らずに見張っている。 寝ずの番とは、 牧人的権力はつねに群れのそれぞれの構成員に対する 個別的な 配慮をしているという点で重要だ。 ここでは省略するが、フーコーはこの 牧人型テクノロジー を、ギリシャ的ポリスの支配の形と対照させて語る。問 題は その次だ。この牧人的権力がキリスト教のなかで次のように 変容したと いう。 1’牧人は群れ全体だけでなく、羊たちが行う可能性のあ るすべて の善と悪について、...心を配らなければならない。 最後の審判に向けてどう臨 むか、個々の羊にまで配慮しな ければならないと。 2’旧約的な牧人と群れの関 係と違って、キリスト教では牧 人と羊との関係が神=>教会⇒司祭 対 人の、個別 的かつ 全的な依存関係として捉えられる。羊の服従は、法に適っ ているからでは なく、牧人の意志に適っているかどうかだ。 3’牧人は群れ全体の把握だけて ゙なく、一頭一頭を把握す る。群れ全体の罪だけでなく、個の隠された罪を探 り当て、 それが聖性への道をきちんと進んでいるかどうかに責任を 持つ。そ こから良心の究明と指導が浮かび上がった。 4’牧人は、個に現世における欲 望を抑制させ、現世と自 己の放棄へと誘う。 フーコーは、この「牧人システム」は 中世ヨーロッパ・キリ スト教社会ではほぼ失敗した。これが人々の隅々ま で行き 渡らせたのは、中央集権を果たしていった国家の行政管理 システムであ ると言う。一般に西欧近代は、啓蒙思想や市 民革命によって成立したとして好感を もって受け止められ ているが、近代の底流に流れているものは、市民革命が倒 した王政の時代から着々と進行していたと。近代行政管理 システムは牧人がする ように個々の人間の生活、身体、内 面にまで入り込んで、掴み取ってしまった と、容易ならぬ社 会の変化を提示してみせる。 私たち日本の場合も、その系譜はと ゙うあれ、同様のことが わたしたち個々に深く根を下している。今や法的・政治 的 権力とは別の、いや時にはそれ以上に、生活者同士の関 係の中でふつふつと微 細な権力関係が生まれ、それが政 治権力を一層押し上げているとさえ言える。 私たちはいま、フーコーが指摘する現代の牧人システム の中で、神への純粋な 信頼がいっそう宝石のように光って 見える詩篇23篇を読むとき、神への純粋な信 頼がそのまま 横滑りし、なんであれ信頼してしまう心性になっていない か。そ こでは個別羊の責任はどうなるのだろう。 最後に、イエスが語ったとされ るルカ福音書15章1以下 の見失った羊の譬のことを想い起したい。羊飼いは99匹を 「野」に放置して迷い出た羊を捜しに行く。少なくともルカ版 では、羊飼いは牧 人の原則を破っている。うがった見方か もしれないが、見い出された羊は元の 群れに戻ってよかっ たねという話ではない。どこにあろうとただ神との信頼 関係 の中で個別いきていくという不屈な羊のように見える。
4月8日説経より 第二コリント4章7-15節 「内に命が働いて――語りの根拠」 久保田文貞 宗教の語りはどうしても独断的な面がある。私の語りも含 めて。 そうはならじと冷めて語れば、湯を沸かし熱いという ので氷で冷やして飲 むというなんとも味気ないものになるの だが、それを恐れず、あえてパウ ロの独断的な語りそのもの に切り込んでみようと思う。 4章13節「わたしは信し ゙た。それで、わたしは語った」とい う言葉は詩篇116:10の言葉だが、根本 にある熱いものには 詩篇も自分も変わりないとでもいうのか、パウロは文脈な ど 気にしないのである。なにを「信じた」のか、「同じ信仰の霊 をもって いる」人間同士の間では共通理解ができているの で言わなくてもわかると 言い訳めいているが、それだけでは ない。ここでは、「信じた」そのま ま「語る」、まさに開き直り だ。 もっともこうなるにはそれなりの理由がある。 コリント教会 にまたもパウロの「反対者」が現われてパウロの宣教したも の を覆そうとしているのを聞いて、それに反論するということ なのだ。全体の前て ゙両者が直接対論しているわけでなく、 双方が相手をかなり主観的にとらえ ている可能性がある。 私たちとしてはただこの対立をパウロのコリント教会 への語 りを通して知るよりない。というわけで、「反対者」像につい て史的に特 定しようとする諸説があるけれども、それに頼り すぎて解釈するわけにはい かない。ただできることはパウロ の言葉に割入って、その上でどこまて ゙共感できるかどうかと いうことだろう。 とにかく彼は、権威ある筋からの 「推薦状」をもたず「自己 推薦をしている」と「ある人びと」から非難され (3:1-2)、手紙 の冒頭に「キリストイエスの使徒とされた」(1:1)と堂々と書い てい るが、その「資格」はないと非難されているという認識の 下にこの手紙を書いて いる。「使徒」と言えば、イエスの直 弟子、それも12部族だったイスラエルの 再興イデオロギーと 合体して十二使徒という観念が出来上がり、パウロ はイエス と面識もなく、使徒というは詐称だと攻撃されたと。だがこれ も被 害妄想と言えば言えなくもない。少なくともこれが相手 側の論点の本題だっ たとは思えない。微妙なことだと思う。 でも、それをバネにして彼は〈人に ものを語る〉ということ の本源的な問題に触れている。自分が書=>語るのは何か の権威によるものでない、「わたしの心に書」(3:2)き込まれ たもの。資格の問題 に対しては「神から与えられたもの」、 だからそれ以上ほかの何かで証明しよ うがない。モーセが 十戒を神から与えられたとき神の栄光が一時その顔に反 映 されたというなら、「霊に仕える(パウロの)の務めもどうして 神の栄光が 反映しないと言えようか。どこまで自信過剰かと 思われるかもしれないが、 パウロの語り(宣教)とは〈霊〉が 起こした光輝く(「栄光に満ちた」という)出 来事が彼を巻き 込み、その光をそのまま人々に掲げることだ。「私が信し ゙た」 というのはその出来事が自分に起こったということであり、そ の栄光を 人々に示さないわけにはいかないということなの だろう。ところが、この指し 示しにそれを見えなくする邪魔と いうか覆いがかかる。ここでモーセの顔覆い のことは省略す るが、パウロの福音を見えなくしている覆いは不信の人々 ば かりでなく、実はかつてパウロ自身にかけられていた覆い のことでもあるよ うだ。4章6節「闇から光が輝き出よと命じら れた神は、わたしたちの心の内 に輝いて、イエス・キリストの 御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいま した。」 これはおそらくパウロ自身の召命の核心に触れているに違 いない。これ を体験というと少し違うかもしれない。正確に訳 すなら「イエス・キリストの顔に おいて神の栄光の知識(グノ ーシス)が輝くようにして下さった」(田川訳)とな ろう。ここか ら感じ取れるのは、使徒行伝9章のような召命「体験」です べ て感得したわけでもなく、むしろじわりじわりと形を成し徐 々に確信したも ののように見える。としても、その中心はガラ テヤ3:1にあるようにパウロが ガラテヤの人々に「目の前に、 イエス・キリストが十字架につけられた姿で はっきり示された ではないか」といっているように、これが彼の召命の核心に なっているものであり、「私は信じた、そして語る」中味と言 っていいだろ う。それは栄光=輝きに満ちたものだが、その 中心は十字架にかけられたキリス トの顔なのである。それを 語るには、パウロのどんな自負心も信仰的熱心さ も、権威 筋からの推薦も、いらない。むしろ邪魔になる。「信じた」を 「語る」 途上で「四方から苦しめられても行き詰まらず、途方 に暮れても失望せず、 虐げられても見捨てられず、打ち倒 されても滅ぼされない」(4:8-9)という強 さと、5節に「わたし たちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイ エス ・キリストを宣べ伝えています」との謙虚さに感心するけれど も、私に興 味があるのは、むしろこの「信じたそして語る」 「わたし」の人を寄せ付けな いような自負・傲慢とそれ以上 の謙虚・誠実さであり、そのような所から見える 世界とそれ への語りのことだ。
4月1日イースター礼拝での説教 マルコ12:18-27節/ルカ20:27-40/マタイ 22:23-33 「生きている者の神」 久保田文貞 イエスの復活に関わりのない人間一般の復活について、 福音書には 関心がないのか、ほとんど出てこない。上記の 三つの共観書が載せているサ ドカイ人との「復活について の問答」以上のものはない。原始教会は、イエスの 死と復 活の出来事への告白的な表明、宣教のもとに生まれて行っ たものだから、 復活の問題とは何よりもまずイエスの死と復 活に始まる。というわけで、それ 以前の復活論議と、それ以 後の復活信仰とは全く様相が一変する。今日の聖書箇 所 のイエスとサドカイ人の間でなされた復活論議は、少なくと もパリサイ人 が肯定し、サドカイ人が批判する復活論であ り、それ以前のものというこ とになる。この復活論の前提にあ るのは、前2世紀ごろからユダヤ教思潮の中て ゙優勢となった 終末思想である。終末時の神の審判によって生ける者も死 せる者 も総て裁かれ、結果、神から義とされ救済される者が 死者であるなら、神は彼 らを眠りから覚まさせ復活させるは ずだというわけである。新約その中で も福音書に基づけ ば、パリサイ派はこれを受け入れ、サドカイ派は対抗上 それ を否定するというのだが、この時期の史料として他にヨセフ スの『ユダ ヤ古代誌』『戦記』だけ。明確にサドカイ派のもの と認められる直接の文書は ない。 この数少ない資料からサドカイ派について把握できること は、新約の今 日の箇所と、使徒言行録23章8節による復活 否定論と、ヨセフスによる次のこと、す なわちサドカイ派が貴 族的祭司階級の党派だということ、従って神殿礼拝し か認 めていないこと、つまり周辺地域のユダヤ人一般の会堂(シ ナゴグ)礼拝 の意義を無視すること。というわけで、彼らは7 0年ユダヤ戦争の敗北でエル サレム神殿を失って以後、基 盤を失い消滅するのだ。 そのようなサドカイ派に は、ガリラヤ周辺で活動していた イエス集団など関心外のはずだ。共観 書の記述上、イエス と彼らが接触するのは当然、イエスが最後にエルサレムに 上る時になる。イエスには自分がそこで迫害を受け死を覚 悟していたかもしれ ないが、復活を予測していたとは考えら れない。 ということで、護教的聖書学 者を除いた多くは、そもそも この伝承自体がイエスのエルサレム滞在の時まで 遡れな い、つまり後の創作とする。確かにサドカイ派がイエスの前 で復活否 定論の問いを投げかける意味も謂れもその時点 では考えられない。それにして も、後から「私たちの罪のた め」のイエスの死と「私たちの救いのため」の復活信 仰して いく原始教会の面々にとっても、サドカイ派の復活否定論と 面と向かい合 う意味も謂れもない。どちらからみても、イエス とサドカイ派の復活をめぐ る議論は噛み合うものがない。 19~23のレビラート婚(申命記25:5以下)規定を もってや がて来る終末以後、復活した者同士の間で生じる矛盾を皮 肉りなか ゙ら、復活否定論をぶつサドカイ派。それはサドカイ 派による原始教会の復 活信仰に対する嫌味というよりは、 逆に原始教会によるサドカイ派の復活アレル ギーを揶揄し ているように見える。〈サドカイ派よ、君たちはそんなレベル でしか、復活を考えることができないのか〉と。でも、どちら にしても この議論は感心しない。24,25節のイエスの言葉も 相手をぎゃふんと言わせるも ののように感じられない。 26節以下の方がまだインパクトが強いけれと ゙も、ほんとう のところ、これがサドカイ派の復活批判とどう関わるのかわ からない。モーセの柴の篇とは、亡命していたモーセが羊 の群れを追っていた時、 ホレブ山で柴が燃える中に神の声 を聴き、モーセがイスラエルの民の前に 派遣されて何事か をなす使命を受けたという物語である(出エジプト記3 章)。 おそらくユダヤ教の学者たちの修辞法、論理を借りて きたのだろうが(田川)、 復活の問題とどうかかわるのかはっ きりしない。この時、神の側から神の名が 示されたということ になるが、「私はあって、ある者」とヤハウェの間にはまた ゙1 人称と3人称の違い以上の差がある。 ここに出てくる「神はアブラハムの神、 イサクの神、ヤコブ の神」を引用して、つまりは「神は死んだ者の神でなく 生き ている者の神なのだ。」とイエスの口をして言う。おそらく、< 死んだ人 間の復活の後のことを詮索する暇があるなら、神 はまず生ける者のためにお前 の前に『ある』ことに感謝せ よ。>ということなのだろう。復活とは死んだ人間 が生き返る ことだろうとついつい死後の世界のことのように見えるのだ が、 そうではなく、生きて死んでゆく人間の『生きる』と『死 ぬ』の徹底のことな のかもしれない。 こうして、最初期のクリスチャンたちによって創作された 「復活 についての問答」物語を受け止めてみようと思う。
3月25日説教より ピリピ書簡2章5〜11節 「キリストの謙虚さ」 久保田文貞 パウロはピリピ書を何らかの拘留の中で(1:13、17)、そ れも兵営全体に良 心囚であることが知れ渡り(13)、そこで 「皇帝の家の人たち」(衛吏のことか)に も信者ができたこと がうかがえ(4:22)比較的長い、それも緩い拘留の中て ゙書 いているようだ。ピリピとは遠いが、「ローマの道」で繋がっ て いたというから書いた場所は、田川説に従ってローマとし ておく。 ピリピ書か らパウロがピリピ教会の人々を殊の外信頼して いることが知られる。し かし、そこにもパウロの反対者が現わ れ、この教会を揺さぶった(1:15、3:1)。 異邦人出身の信 者たちにユダヤ人となった以上割礼をせよと迫ったユダヤ 人出 身の説教者たちである。それまで優等生のようにパウ ロの福音理解を受け入 れてきたピリピ教会内部でもこれを めぐって判断が分かれたらしい。 一 つになることを強調する1:27 の言葉や、「思いを一つ に」と奨める2:2の言葉もこ のような状況に向けたものという ことになる。パウロがこの分断状況をどれ だけ正確に知って いたかどうかによるが、少なくとも、それまでのピリ ピ教会が 思いを一つにしてきたことに感服していたように見える。 としても、 2:3-4にかけて、思いを一つにするために謙 虚さが求められる。 「何事も利己心 や虚栄心からするのではなく、へりくだっ て、互いに相手を自分よりも優れた 者と考え、めいめい自 分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」 そして、ここがポイントなのだが、「それはキリスト・イエスにも みられ るもの」と言う。キリスト=メシヤの在りようを範型として 持ってくるわけ。 引用 されたのは、5-11節の詩文形式の賛歌である。兵 営に来た人や、中の人と一緒に 歌った歌かもしれない。も しかしたらピリピの人々も知っていたかもしれない。 5-8の 前半で、と9-11の2連になっている。前半でメシヤはまず 「神と等しい」 立場にあったという。メシヤは我らが世界の外 側、神の側に在ましたという。か ゙、その立場を獲得物とせず 放棄し、地上界に降りた。「自分を無にして、僕の 身分にな り、人間と同じ者に」なった。そうして「へりくだって(「自分を 低 くして」が原義)、死に至るまで、それも十字架の死に至 るまで従順」だっ たという。賛歌のようなものを理屈でこね回 すのは野暮だが、ひとつ気にな ることは、メシヤは自分の意 志で神の立場を捨てて地上に降りたのだと歌われ ているこ と。 パウロはこの引用で、メシヤが天上界で自分を低くしよう とした在り方(ケノーシス)を、「利己心や虚栄心」(2:3)に惜 しげもなく対置させ る。ここに書かれている利己心や虚栄心 は人間同士の間で自ずと生まれてしま うような、ある意味か わいらしい利己心や虚栄心とは一味違う。それは教会の中 て ゙の信仰に関わる判断の間で起こる利己心と虚栄心であ る。言ってみれば神 学的な衣をつけたものだ。それは人間 の判断を突き破って天上界の神的な判断て ゙あると主張しか ねない質のものだ。たしかに左様な利己心や虚栄心には、 メシ ヤのケノーシスをぶつけるのが最良の方法だと思う。メ シヤは神的な立場を 捨て、神学的という最高の判断形式を 完全に棄却し、「人となった」のだと。そ の人と成り様は「人 として死ぬ」という徹底ぶりだったと賛歌は歌う。なんの ため にこうまで「自らを低くした」のか、賛歌は直接に述べていな いが、メ シヤというのだから民の救いのためであるという前 提に立っているのだろう。 それにしてもこの地上をほんとう に制覇しようと言うなら、メシアは地上でもしっ かりと高さを 保っておいた方がはるかに効率的だと私のような俗物は思 うのた ゙が、メシアはその安易な方法を選ばない。「死に至る まで」とは、この地 上で人の生死を按配できるかのような力 を獲得し、上から人を治めるあり方を 取らないということを意 味している。そうではなくて、巨大化した力の下で地 べたを 這いつくばって生きている人たちとまずはなんとしてもいっ しょにな るために、取ったあり方なのだろう。賛歌は、メシア のその限り強い意志を惜し げもなく歌いあげようとするわけ だ。 もちろん、メシヤが押しつぶされ た人間たちと 共に死んで地下に葬られて終わるわけではない。 だが、その 後はメシアの意志力が起こすことでは ない。神がメシアを高く上げると賛 歌は歌う。お やっ、神も地上をこえ地下まで降り立っての仕業 ではないかと思 う。神もメシアに連帯して少なく とも一度は地上に、地下に降り立ったんじゃな い かと。これはそうとう危ない私見(世が世ならば 火炙りになりかねない)だ けれど。
3月18日説経から マルコ伝福音書10章32-44節 「受難予告の誤解」 久保田 文貞イエスの死後はやくに起こった原始教会は「神の子として 地上に行き、 苦難を受け、死に、そして復活し、天的栄光 へと挙げられたナザレのイエス」 を宣べ伝えた。この最初の 原始教会の宣教の内容を〈ケーリュグマ〉と呼ぶ。 それは最 も早い段階で諸教会への書簡を残したパウロ自信が「受け た」とし てその中に引用した断片で読むことができる。Iコリ ント15章3節以下など。 疑いもなくケーリュグマがパウロに引き継がれ、後のキリ スト教を形成し ていく核になった。だがそこに大きな問題が 残る。ケーリュグマの根拠て ゙あり、起点であるべきナザレの イエスその人は、十字架の死に至る前ど のように生き、どの ような考えを持っていたのか、クリスチャンなら当然もつへ ゙き 関心事だが、皮肉なことにケーリュグマ信仰の熱心さが生 前のイエス の実像を染め上げ、ケーリュグマから歴史上の イエス像(「史的イエス」と呼ふ ゙)を見えなくしてしまったと、 それが偉大な聖書学者ブルトマンの結論といっ てよい。 だが、ほんとうに福音書に描かれたイエス像はケリュグマ のキリス トに書き換えられてしまったものだけなのか。そもそ も、初めに福音書を書いた マルコは、イエスの十字架と死と 復活に収斂したケーリュグマに対する異議申し 立てとして 書かれたものではないか。ケーリュグマが、エルサレムでの イ エスの言動にのみ焦点を合わせてやまないことに対し て、マルコはそれ以前のガ リラヤでのイエスの宣教活動... 人々に語り、「奇跡的」癒し行為をし、「地の民」 と共に食事 の席につき、群衆に「神の支配=恵み」が直に及んでいる ことを伝 える...を対峙させ、少なくともガリラヤのイエスとエ ルサレムのイエスを一つ線 につないだ。 たしかに、マルコがガリラヤのイエスを描くにあたって使 用し ている伝承断片の多くは原始教会のケーリュグマの補 完物、脇役として使用され たものだろう。だが、マルコが福 音書なるものを編むことになる動機は、 ケーリュグマのその 先にあるイエスの宣教を掘り起こどうと思ったからだろ う。マ ルコはケーリュグマの検閲を通過した伝承の諸断片の中か ら、ガリラヤ でのイエスの宣教を描き出そうとする。いやそれ 以上に、マルコはガリラヤ時 代を知る人に面談して当時の ことを調査したかもしれない。 このような観点から3 回(8:31,9:31,10:33-34)でてくる 「受難予告」をどう考えたらいいだろう。 それはガリラヤの宣 教とエルサレムの受難を繋ぐかすがいになっている。3回 目 の予告とともに、イエスと弟子たちはガリラヤからエルサレム に向けて出発す る。この3回の「予告」はまるで、ガリラヤで のイエスの宣教に関する集めた 諸伝承をすべてもって、ケ ーリュグマの発信地エルサレムに乗り込むための三 枚のチ ケットのようだ。美しく言えば、ケーリュグマが忘れかかった もの を、しっかりと送り届けようとしたと言えなくもない。 この3回の受難予告に出てく る「人の子」という呼称は、 前2世紀ごろに流行したユダヤ教黙示文学に現われ るキャ ラクタ。巨大な勢力に翻弄されてきたイスラエルの民を救い 出すために神か ら送り込まれるメシア王=救国の英雄とイメ ジされた。イエスが予告したのは、 その「人の子」が苦難に 会い、殺されてしまうが、三日目に復活するというも の。その 限りケーリュグマの前提となるものだ。ところが、この予告の すく ゙隣の記事は、これを聞く弟子たちはみな、これを誤解 する。誤解の物語の登場人 物は、ペテロ、ゼベダイの子ら (ヤコブとヨハネ)であり、まさに後の 原始教会の責任者たち であり、ケーリュグマの真ん中にいた人物である。一 回目の 予告の前、イエスは皆が自分のことを何と言っているかと弟 子たちに聞く。 最後にペテロが「あなたはメシアだ」と「告 白」する。彼はイエスに、ユタ ゙ヤ救国の「メシア」を期待した のだ。イエスの予告のトーンは、〈残念!「人の 子」は殺され 復活するだけ〉と。2回目、3回目の予告の後、弟子たちの 関心はメ シアによる救国運動において誰がリーダーになる かと気をもむばかり。予告 されたことから、弟子たちの期待 はずれまくるばかりなのだ。 その彼らが 確かに、後のケーリュグマ発信元になる。そも そも、ガリラヤでのイエスの 言葉と活動で彼らはなにを聞 き、何を見てきたのだろう。イエスの受難予告の 真意を一つ も見抜けなかった彼らは、エルサレムの出来事の真意をほ んとうに掴み 得たのか。イエスの十字架の死と復活の物語 に飛びついた多くの連中が、ガ リラヤでの宣教の諸断片 を、刺身の妻ぐらいにしか見なかったとすれば、も う一度し っかりとイエスのガリラヤ宣教から見直してみるべきではな いか。 それがマルコが福音書を編んだ理由だったろう。
3月11日説経 マタイ6:10、 Iコリ 16:21~24 「み国を来たらせたまえ~マラ ナ・タ~」 板垣 弘毅 今日は3月11日、7年前のこの日には「世界の終わりかと 思っ た」という言葉もありました。津波襲来後まもなく訪れた 大船渡、陸前高田の町は 72年前の3月10日の東京大空 襲の廃墟と重なりました。人は、神話の時代から世界の 終 わりを考えてきました。黙示録もその一つ。世界の終末時 計というのがありま す。今年の1月26日には30秒縮まって 地球滅亡まであと2分ということです。 「カディッシュの祈り」は、自分たちが生きているうちに神 の国の決定的な介 入とユダヤ人の解放を祈り、イエスも神 による「最後の解決」として祈るので すが、イエス自身は、悪霊の追放をもって、神の国はあなたがたのところに来て いる等々、言われていますから、神の国は今、ここで実 現し、私の言葉で言え ば、福音書のイエスは“神の国のま なざしで人間や世界を見て、見えるままを 生きています。 このイエスに深くであってしまった最初のキリスト信徒は、復 活 信仰をもって、同じ!まなざしが注がれる決定的な未来 に希望を持ちました。 ですから「み国を来たらせたまえ」という主の祈りは、信徒 にとっては、過去に 起こったイエスのできごとをが今自分に 起こっているという感謝と、同じ イエスのできごとを未来に望 む視線と、両方を含んでいます。 パウロとい う伝道者は生前のイエスを目撃していません。 しかし復活したイエスに出会ってし まったという体験を根拠 に神の支配を受け止め、間もなく到来する神の国を信じ て いた最初の頃のキリスト信徒たちの一人です。そのパウロ がコリントの信 徒へ宛てた手紙の最後にこう記しています。 「 マラナ・タ(主よ、来てくださ い)。」 パウロより前の初期のキリスト信徒のあいだで大切にされ た「マラ ナ・タ」という言葉を使っています。マラナ・タ はイエ スや弟子たちが日常使っ ていたアラム語で、アラム語のま ま伝承されていた言葉です。「主よ」(ギリ シャ語で書かれて いる聖書では「キュリオス」と訳される「主」という言葉に、 ど んな意味を考えるとしても)「イエスは主だ」という告白語は 十字架で死 を遂げた、律法の外に(ガラテア3:13)棄てら れた方が復活した、つまり神か ゙あの十字架に棄てられる道 を歩む者をよしとされた、という逆説の信仰から生ま れてい ることはたしかです。このきわめて早い時期から信徒の心を 捉えた「マラ ナ・タ」(「来たりませ・主よ」)は、十字架にかか ったあのできごとの張本人 のイエスが神の国の主役として 来てください! という叫びだったはずて ゙すね。 神の国は今ここにあるのだから、神の恵み深さに矛盾す る現実がある にもかかわらず、神の支配にふさわしく生きて しまおう!と、イエスは人にとりつ いた悪霊を追いだし、「罪 人・徴税人の仲間だ」といわれつつわいわい食事を してい ました。家族や世の中の仕組みのどうしようもないような圧 力の中で、 それに耐えることができる希望を身をもって告げ るわけです。そのように 人生においてイエスに深く、言って みれば身をもって出会ってしまった人たちは、 十字架と復 活のイエスに自分自身を重ねて、他者と苦難を共にするこ とが希望て ゙あると気づかされるわけです。 たとえばマタイ福音書25章には最後の審判 のたとえ話。 いろいろ伝承の過程はあるようですが、キリスト者であって も なくても、「最も小さい者の一人」に注がれる神のまなざし を自らのできこ ゙ととして共有している人が来るべき時に救わ れる者なのだ、同時に今救わ れている者なのだ、という点 は見失うわけにはゆきません。 マラナ・タは、信徒 にとって、より地上のイエスの面影と重 なった神の国の告白だったと思います。 最初の信徒たちに は、「終わりの日」である神の国は、「今」どうやってイエ スに 応えるか、と結びついています。それは現在の信徒にとっ ても同じことた ゙と思います。 ここにおられる篠崎蕗子さんの義理の父上、篠崎賢路さ んの没後20 年を覚えてまとめられた篠崎賢路追悼集「今な お語る」(1963)に68人もの証言が 寄せられています。誰 もが「私の人格に不滅の感化を刻印された」というような こと を語っています。自らの言葉はほとんど記されていないの ですが、篠崎 賢路という一人の人間のたたずまいが神の国 の福音を伝えています。 まったく 単純な、人の言葉にはなりにくい真実をイエスは 「神の国」のできごとにして 伝え、信仰者は、賢路さんのよう に言葉よりもできごととして、<マラナ・タ> 「張本人のイエ ス」を伝承してきたのだと思います。 パウロだって自分に起 こった「できごと」から出発して、神 の国にふさわしく生きようします。 人間 には、破局であれ楽園であれ、どんな形の「最終的 解決」も空洞です、(黙 示録は要注意、です)聖書はそう告 げています。<マラナ・タ>は最初のキリスト 信徒にとって は、なにとも比較できない新しいことへの希望とその希望 を、いま ここでもちこたえる力を祈っています。
3月4日の説教より 詩編31篇8〜14節 「信頼――御手にゆだねます」 久保田文貞 前回の信頼の詩編は典型的だったが、多くの「神への信 頼」を歌 う詩編は、「神よ、敵をやっつけてくれてありがとう、 あなたを信頼します」と いうシナリオにのっている。私たちの 生活には古代イスラエルのように露骨な敵対 者はそうそう いないと思って入る。でも、このような詩編を礼拝で唱和し てい るうちに、自分と反対の立場にいる人を敵に仕立てて 「神よ彼らをやっつてくだ さい」式の発想をしてしまわないか と恐れる。18篇の場合、敵をやっつけてくれた 神への信頼 は、次に強力な自信となり、どうやらそれが王というわけで、 最 後は王自身がまるで神に代わって敵を殲滅し、他の民々 を従えるといった王の 賛歌になっていく。結局、神への信頼 を100%要求し、結果敵対する者を0%にしてか まわないと いう構図が潜んでいると言わざるを得ない。イエスの福音と 真逆 を行っている。 では31編はどうか。ここでも神は〈救いの岩・砦・城塞〉と 歌い、7節「むなしい偶像に頼る者を憎む」と歌い、9節「 わ たしを敵の手に渡すこ となく/わたしの足を/広い所に立 たせてくださいました。」、16節「御手をもっ て/追い迫る 者、敵の手から助け出してください。」と歌う。やはりここで も、 神への信頼のすぐ隣に敵への憎悪が潜んでいるという 構造がある。前回も 言ったことだが、背景にはイスラエル前 史のように敵対者の間をぬうように生 きていた半遊牧的な 弱小の民が神ヤハウェを信頼して歌った歌のモチーフと言 え ば分からぬでもない。でもこれを私たちの下に引っ張っ てきて、そのまま私 たちの神への信頼の歌とするわけには いかない。 だが、31編は18篇とは別の神 への信頼の形を教えてくれ る。 一つは6節、「まことの神、主よ、御手にわたしの 霊をゆだ ねます。わたしを贖ってください。」 この語は、ルカ23章46節で、 イエスが十字架上で最期に言 われた言葉としている。マルコ15章34節で「わ が神、わが 神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(詩編22:2) の言 葉ではあまりに悲惨と思ったのか、31編6節と入れ替え たのである。死を臨んて ゙の絶望的な言葉ではなく、まさに敵 に囲まれた窮状の最中で敵をやっつけて 下さい、救い出し てくださいではなく、すべてを神にゆだねますという信 頼の 言葉をイエスの最期の言葉としている。 もうひとつ、12-13節「わたしの敵は 皆、わたしを嘲り、隣 人も、激しく嘲ります。親しい人々はわたしを見て恐れを抱 き、外で会えば避けて通ります。人の心はわたしを死者のよ うに葬り去り、壊 れた器と見なします。」 敵が嘲るだけでは ない、知人たち、近所の人たちは 自分を〈毀れた器〉のよう に忌み嫌い、遠ざけると歌う。この人は「毀れた器」 と言われ たが、壊れていようといまいと人は、神によって創られた土 の器(ケ リー)にすぎない。この器に神が「命の息」を吹き入 れてこそ生きる(創世記 2:7)。塵で作られた器が命ではな いからこそ、神を信頼するのだという叫 びが潜んでいる。 それから、16節「わたしにふさわしいときに、御手をもっ て、追い迫る者、敵の手から助け出してください。」直訳的 には口語訳がよい。 「わたしの時はあなたのみ手にありま す。わたしをわたしの敵の手と、わたしを責 め立てる者から 救い出してください。」 新共同訳だと、「~のときに」となっ て、英語のwhen単なる接続副詞のようになってしまうが、こ こは多くの近代訳か ゙そうであるようにMy times are in Thy hand.となるところだ。この「時」は 時(エースth)の複数形で ある。コヘレト3章が象徴的に表しているように、「何 事にも 定まった時期(ゼマーン)」(新改訳)があり、「すべてのわざ には時 (エースth)がある。」(口語訳)となり、9節「人が労苦 してみたところで何に なろう。わたしは、神が人の子らにお 与えになった務めを見極めた」となるが、 ひとつ見方を変え れば、この「時」は神が人に、そのわざの一つ一つに託し て 与えられ「時」である。何をやってもしょうがないという時では なく、人 が自分だけのもののように手にできていると思うとす るりと抜けていってし まい、それが神の用意されたものと信 頼を寄せるときに、手にできる時なのた ゙ろう。 人が自分をただ〈器〉として神のいぶきを受け入れる〈時〉 の神へ の信頼は、自分の側に敵対者のように見える者がい るかどうか、自分はそれに どれだけ苦しめられているか、と いうことに左右されない。つまり自分が敵 だと思っている者 を懲らしめる神を、その対価として信頼するのではない。 「主よ、わたしの霊を御手にゆだねます」今この時、この器 をあなたの思いのま まに用いて下さい。と言えるような信頼 に行き着くように思う。
2月25日の説教から 詩篇18篇2-7節 「主が支える」 久保田文貞 〈北松戸〉では毎礼拝で詩編を交読する。プロテスタント 教会で詩編を重 視するのは、改革者カルヴァンが礼拝で 用いる讃美を、とかく抒情に流れる 詩を避けて、ストイックに 「詩編」に限った名残りだと聞いたことがある。そ んな謂れを 余所に続けてきたが、一月に一編づつよむ詩編を選ぶよう になっ て、気になってきたのは〈敵〉に対する呪い、復讐心 に燃える言葉の多さである。 18篇で言えば40-43節。初め て礼拝に参加した人にとって、一同が「敵を懲ら しめて下さ い、やっつけて下さい」と唱和する不気味さ、わかる気がす る。 「敵を愛せ」というイエスの言葉を看板のようにしているキリ スト教精神とどう 整合性があるのかと問われるだろう。という わけで、腰が引き気味のわた しは、極力そういう言葉のない 詩編を選んできた。数が限られてしまい、何度 も同じ詩篇を 毎年読んでいる次第だ。だが、すぐわかることだが、 敵に対 する不快な言葉が見られない詩編も、実は敵に対する攻撃 的な言葉を満載 する詩編と、軌を一にしている。神への信 頼、賛美、感謝の言葉に満ちた美しい言 葉の、すぐ隣、あ るいは裏側に、敵への攻撃的な言葉が控え、あるいは隠れ て いるのだ。18篇3節「主はわたしの岩、砦、逃れ場、わたし の神、大岩、避けど ころ、わたしの盾、救いの角、砦の塔。」 は、神への信頼を表現する定番のように なっている言葉 だ。62篇の場合にはこの象徴表現を使いながらもことさら敵 を 撃ってくださいという表現はないけれども、詩篇18篇と地 続きであることは 覆うべくもない。 だが、「岩」「砦」「逃れ場」をもって神への信頼を表現 す ることの起源に遡れば、都市周辺で遊牧的に生活し、寄生 するよりなかった 弱小民族の集団、原イスラエルのものだろ う。乾燥帯での都市とは少ない水場 とその周辺の農耕地、 草場を独占し武装もしている小都市国家のことである。都 市から追われることになれば、砂漠と岩山を流離次の寄生 地を見つけなければ ならない。当然、小民族同士の熾烈な 争いを搔い潜って。ヤハウェはそういう彼ら の守護神であ り、老人や女、子どもの避け所を下さる方、というわけであ る。 だが、所詮は詩の言葉である。事実史的に起源を探って もそれ以上のことは でてこない。それが、神への信頼の表 現として民の心深く根差していった歌の 文句としての位置 は揺るがない。だが、3節のような象徴語は、考えてみれ ば、どれも敵と対峙している時に援けて下さる神への信頼 の言葉になっている。 だが、人が生きていく上で対峙しなけ ればならないのは、狭義の敵なと ゙よりも、もっと命にとってリ アルな事である。詩編はよく人間の苦境を、水に 呑まれ溺 れていくことを比喩的に歌う。18篇で言えば、5-7節。「死 の縄が からみつき、奈落の激流がわたしをおののかせ、陰 府の縄がめぐり、死の網 が仕掛けられている。」そこから「主 を呼びもとめ神に向かって叫ぶ」 8-15 節、神は、叫び呼びもとめる人に、火山の噴火、稲妻 と轟音の中で応える。 こうして、激しい神顕現の後、あの水 に飲まれて死にかかっていた人間を神は救い 出す。17節 「主は高い天から御手を遣わしてわたしをとらえ、大水の中 から引き上 げてくださる。」 クリスチャンたちはここに、イエ スを死人のうちから引き上 げられた神の力を想い起すはず だ。そして20節「わたしを広い所に導き出し、 助けとなり、喜 び迎えてくださる。」と。 ここで終わってくれるなら、〈敵〉 も〈大水〉も、そして〈噴 火〉も〈雷〉も神の救いとそれに寄せる信頼のドラマ の道具 のようにとらえられるのだが、21節以下「わたしは主の道を 守り、わた しの神に背かない。...主はわたしの正しさに応じ て返してくださる。御目に対 してわたしの手は清い。あなた の慈しみに生きる人に、あなたは慈しみを示し、無 垢な人 には無垢に、清い人には清くふるまい、心の曲がった者に は背を向けられ る」という。 神に信頼する人間は、神からこういうことを引き出したか ったのか。 神の支えを勝ちとった王(?)は、自信満々とな って、敵を完膚なきまでに滅ぼし、 二度と立ち上がれなく し、この国だけでなく、国々の王となると。今のアメ リカ大統 領を見ている思いがする。〈敵〉はただの象徴ではなく、仮 想敵て ゙もなく、現実に敵を見たてて現実的に叩きのめそうと いうわけだ。神への信頼、 賛美、感謝の美しい歌が、敵を 滅ぼしていとわない民のイデオロギーと化 す、例を見せつ けられている思いがするがどうだろう。
2月18日の説教から ヨハネ伝福音書5章19-30節 「子は父と違わないか」 久保田文貞 ベトザタの池 での癒し行為が、安息日規定の違反に なるというパリサイ派からの非難を受 けて、イエスの反 論が始まるという体裁になっている。歴史的に安息日 規定が どのように始まったか定かではないが、聖書上 は十戒の第四戒が説いてい るように神が天地を創造 した折、7日目に休まれたということからきている言う。 とにかく神がモーセに託した律法の一つとして受け止 められ、ではその神の意 志にどう現実に応えていくか が問題になる。こうして律法の意味を探る作業か ゙今に まで続く。その痕跡は旧約自身の中に残っている。出 エジプト31:12 以下、レビ記23、25、イザ66。イエスをメ シヤだと信じるキリスト教に対 抗し、あまつさえ神殿を 失った以後のユダヤ教は、モーセを介して与えられ た律 法を唯一の拠り所として神の意志を確かめていく という方法を取っていく。律法に 対するに、あくまでそ こでなにが自分たちへの神の意志かを聞き取ることか ゙ 人間一人一人の課題だということになる。律法の解釈 に完全なもの、唯一の正 解というようなものはないと。 解釈にあたっての謙虚さ、慎重さ、議論の尊重さか ゙こ とのほか重要なこととなる。イエス時代のパリサイ派 も、ヨハネ福音書の著 者の時代のパリサイ派もこの天 で基本的な違いはないと思われる。 パウロや マタイ福音書の著者はパリサイ派出身で あろうから当然だが、おそらくヨ ハネ伝の著者もパリサ イ派の律法の読み方を熟知していたと思う。ヨハネ5 章の 場合、安息日違反を非難されたイエスは彼らとの やり取りの中で「わたしの父は 今もなお働いておられ る。だから、わたしも働くのだ」と言われる。「わたし の 父」という呼び方はパリサイ派のほとんど使わない言 い方だから、この 点は問題になるだろうが、「神が今も なお働いている」ということでは、 パリサイ派の面々も これには意義がないはずだ。もしイエス側が、これ は 安息日律法の論争上の、実践的な解釈のひとつだと いうことであれば、そ れ以上ではなかったはずだ。「安 息日に病気を治すことは律法で許されて いるか、いないか」というルカ福音書14章1節以下と同じである。 そこでは律 法学者はイエスの反論に答えることができ なかったとあるが、いや、律法学 者たちは許されるな ら何時間でもこの種の議論につきあうはずだ。 ここで 5章18節、ちょっと別の次元の言葉が入って くる。「イエスが安息日を破るだ けでなく、神を御自分 の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからで ある。」たしかにヨハネ伝では、イエスを神の子として 描いている。でもイエ スが神を父と呼んでいるからと 言って、さすがにイエスが神であるとま では言わな い。あくまでイエスを子として、神の命じられるままに 働かれる 御子として描く。5章19節以下もそうである。 「はっきり言っておく。子は、父の なさることを見なけ れば、自分からは何事もできない。父がなさることは な んでも、子もそのとおりにする。」 これは「御自身を神と等しい者とされた」と いうことと は違う。旧約にも、神と人間との関係を父と子の関係 になぞらえて言 う言い方がある。詩編89:26とか、イ ザヤ9:6、63:16、エレミヤ3:4など。た ゙が他にはほと んどない。クリスチャンになると、主の祈りの「天にまし ます われらの父よ」の呼びかけで当然のように思って いる。神はイエスの父であ るとともに、わたしたちの父 であることに変わりはないのだ。もちろん、そう は言っ ても、イエスがメシア=キリストだと告白する人々の物 言いに十分に傾 聴しなければならないと思う。またイ エスが神の子であるという告白を否定 することはでき ない。人それぞれの状況で、そのような告白の表明が なに か聞き取らねばならないと思うからだ。だが、イエ スが、神と等しいと 言明せよと命じられて、告白したと しても、それが心からの告白であるわけ がない。 お前はわかっていないと言われれば仕方ない。確 かにわかっていない のかもしれない。7,8百年前のヨ ーロッパのどこかでこのように言うと、お そらく火刑の 処せられるにちがいないが。とにかく、こんなわたしで もヨハ ネ5:19以下、案外素直に読めるのだ。 「父は子を愛して、御自分のなさることを すべて子に 示される」と。
2月11日説教より ヨハネ伝福音書5章1-17節 「あるきはじめる」 久保田文貞 マルコ福音書は、パウロが手紙に残したような宣教の言 葉とはまるきり違って、 イエスの活動と言葉をルポタージュ 風に描くという方法を取りました。その際、 彼は民間に伝え られ、そのため一定の型にはまることになった「奇跡物語伝 承」を ほぼそのまま福音書の中に編み込みました。イエスが 民衆たちの間で何を語 り、何をしたか、マルコとしてはでき るだけリアルに伝えたかった故だった と思います。 ヨハネの場合、癒しの奇跡物語伝承型は4,5,9章の三 つ。11章ラザ ロの復活は伝記化していて別物とします。三 つに共通するのは、癒された人がい ずれも「イエスを信じ る」という生き方を始めること。これは3章ニコデモの エピソ ードも、4章サマリヤの女の物語も、結局いそれぞれの持ち 場で、 イエスを信じて生きるという新しい生を始めたといっ てよいでしょう。 5章ヘ ゙トサダの池の寝たきりの病人を癒す物語を検討し てみましょう。まずベト ザタの池の位置関係ですが、神殿の 北に位置する羊門のすぐ近く、神殿か ゙ある丘より10m位低 い所、おそらく池から神殿を囲む壁が高くそびえて見える はず、池は小さな谷筋にあったらしい。池に面して五つの 柱廊(ストア、新共同訳 は「回廊」と訳しているが、ストアは 修道院などの中にはある回廊ではな い。)があり、おそらく 屋根付きなのだろう。いつしか行き所のない障がい者 たち が住みついたていったと思う。そこに38年住みついていた 病人がいたとい うのだから、少なくとも40年以上の歴史があ るのだろう。自然発生的として も、ある時期からは周辺の住 民からも、神殿に出入りする人びとからも、半ば 公認された サナトリウム然としていたかもしれない。彼らは巡礼の人た ちの施しを 受ける権利さえ認められていたかもしれません。 要するに、そこは一つの制度になっ ていて、もしかしたら自 治組織めいたものもあったかもしれません。3節は異本にし かなく後からの付加とされますが、水が動いたとき、真っ先 に入る者が癒さ れるという言い方の裏には、そんな彼らなり の約束事が生まれていたことを臭わ せます。 さて、イエスがそこに入ってきて、38年寝たきりになって いる者に「良 くなりたいか」と聞く。またも推測で恐縮だが、 そこの病人たちの間には、 食べ物を分けあったり、寒いとき には衣類や掛物を分かちあったり、助けあって きたのだろ う。でも、いつか良くなって、そこから抜け出したいという思 いを だれが否定できましょう。自分の病を治すためには、他 の者を押し分けて、 真っ先に水に入らなければならぬという 最後の競争がしかけられている。残酷 なことです。彼にイエ スは言います、「起き上って、床を担ぎ、歩きなさい。」 (エ ゲイレ・アーロン・トン・クラバットン・スー・カイ・ヒュパゲ)前 半 の7語は、命令文が3つ並んでいて、マルコ2章11節と全 く同じ。著者がマル コ伝から引っぱってきたようです。ここで は「床を担ぎ」は、マルコの場 合のように必要ではありませ んから。要するに、起き上がって歩いて行けば いいわけで す。そうすれば、彼はそこから抜け出ることになります。いろ いろ 気兼ねしなければならなかった柱廊共同体から抜けで よう、そのかぎり周り のみんなをそこにおいて、自分だけ抜 け出ようということになります。 後日談か ゙加えられます。癒され男は、〈だれがお前をあ の柱廊から抜け出させたのか〉 と、ユダヤ人から審問されま す。彼はだれか知らなかったと言う。まるで彼 のその後につ いては、追跡する必要はないことになっているようです。そ の癒し は神のちょっとしたいたずらかのようです。でも、彼は イエスに再会し、詳 細は書いてませんが彼のなんたるかを 知ったのでしょう。その人がイエスた ゙ったことをユダヤ人たち に知らせる(アナンゲレン)となります。この語は16 章13節で は、真理の霊に導かれて〈告げ知らせる〉の意味で用いら れます。 それは悪しき告げ口の意味ではないでしょう。彼は イエスを知って、自分の 見に起きたことを証言をする人とな っています。ただし、「もう、罪を犯しては いけない。さもない と、もっと悪いことが起こるかもしれない。」は余計です。 9章 の奇跡物語で著者が苦労して展開したテーマをぶち壊し てしまいます。 是非、あとで読んでみてください。 後日談のそのまた後日談として、では、 柱廊を抜け出ら れた彼はどこへいって新しい生活を始めるのか気になりま す。も ちろん、どこへ行こうと自由です。でも、わたしとして はひとつの願望が あります。抜け出た当の場所に戻って、 そこで新しい生を続けてほしいと。これ はヨハネの他の物語 に見える傾向です。イエスと夜で出会って、どこへ消え たか と思っていたニコデモは、議員を続けながら、イエスをかば い、イエス を信じたのです。また人々から孤立していたサマ リヤの女は、イエスを信じ て、彼のことをサマリヤ中に証言を していく。とすれば、柱廊にいた男は、ど こに行ったってか まわないのだけれど、できることなら、柱廊に戻ってほか の みんなの手足となって、それまでのように助け合い、分かち あいながら、生 きて行ってほしいと勝手に思っています。
2月4日説教より ヨハネ伝福音書4章43-54節 「関係性のしるし」 久保田文貞 それまでの生き方を大転換させて人が変わるというのを 目にした り聞いたりすると、善悪に関わりなく、大いに心が 揺さぶられます。善人が 何かのきっかけで極悪人になった というもの関心がありますが、それは置い ておきます。高校 生の頃、祖母からこんな話を聞きました。地方の町の馬喰 の親方 が、ある時、路傍でキリストの福音を語っている青年 の話を通りがかりに聞 いた。親方は話にこころ打たれて、青 年牧師の下でクリスチャンになった。親方 はそれまでの〈飲 む・打つ・買う〉の生活を改めて立派な紳士になったと。 1880年代キリスト教がブームになった頃の話です。やが て教育勅語教育の 攻勢、日清・日露戦争のナショナリズム のあおりを食らって伝道が困難な時代 へと入っていきます。 今とは違って、明治期にクリスチャンになるというのはそれ なりの物語になります。もっとも何時でも人は、なんらかの理 由でそれまで の世界から別の世界に移るときに、大きな物 語の中を突き進んでいくと言えます。 そこでヨハネ福音書のことですが、そこではイエスに出会 った人は、基本 的にそれまでの自分の所属してきた世界 (共同体)から引きはがされて新しい別 の生き方(=イエス を信じて生きて行く)へと移っていく、そういう一つの物語を 生きて行くものとして描かれていきます。3章のニコデモは 新しい生に移り損ねた 印象が強いですが、よく見ると必ずし もそうではない。彼はパリサイ 派ユダヤ人議員のままではあ りますが、その場で実質新しい生を始めてい ると読めなくは ない(7:50、12:42、19:35)。4章1-42節、サマリヤの女の場 合は、 申すまでもない。彼女はイエスに出会って新しい物 語を身に受けて生き始めてい く。 4章46以下、役人(バシリコス=王の官僚、役人)の子が 病気で湖畔の町 カファルナウムで死にかかっている。役人 は高地カナにいたイエスのところまて ゙上がってきて、「息子 を癒していただきたい(ヤセータイ)」と言った。イエ スは「あ なた方は徴と奇跡を見なければ信じることもしない」と呟い て、「行 きなさい、あなたの息子さんは生きている」と言う。彼 はイエスが言った言葉を 信じて去って行った。下って行く途 中、迎えに来た下僕から息子の病が直って 生きていると伝 えられる。直ったのはイエスがあの言葉を言われた時だっ たと いう話です。 これは、Q資料のマタイ8:5以下(ルカ//)の伝承と同根の ものです。 ただ、そちらでは百卒長(ヘカトンタルクセース) が、「権威の下にある者」 が命令を下すとその通り下の者を 従わせることができるが、イエスにも命 じた事をその通りにさ せる力があろうと言う役人の言葉にイエスが関心する という 話、この異邦の百卒長の言葉をイエスが「イスラエル人の中 にもこれほと ゙の信仰(ピスティス)を見たことがない」褒める のです。そこでは、イエ スを信じるピスティスではなく、ある 種客観的な権威の下で世界が動い ていく機序についての 真実(ピスティス)がテーマになっています。 これと比較 すると、ヨハネ伝の王の役人の場合は、イエス の言った言葉を信じる点だけに 焦点が合わされます。イエ スその人と、この役人の信仰的な関係だけが肝心 なことだ というわけです。客観的な権威(エクスーシア、まちがいなく その 場合の権威は〈神〉とその力)の下で世界が動かされて いくという原理など、 イエスとその役人とのかけがえのない、 取り替えのきかない関係にとっては意味 なしと言わんばかり なのです。 この王の役人はイエスと出会ったことによって、 これまで 忠実に任務してきた世界から引きはがされて、まったく別の 原理の下 に置かれたかのようです。しかし、それはこれまで とは違う別の原理、新しい 原理というわけではない。ただ、 〈イエスを信じる〉〈イエスとつながる〉 ということが原理を超え るだけ。そこにのみヨハネ伝の(原)著者は焦点を合わ せ、 そのためにだけそれぞれの物語をつなぎあわせていると言 えます。 こ のような信仰観は過激は批判精神を含みもちます。イ エスと〈私〉の純粋な関係を、 濁らせたり曖昧にしたりするあ らゆる夾雑物をはねのけ、掬い取ってしまいかねま せんか ら。では、この役人が従い、また従わせてもいる権威に対し てどうい う姿勢をとっていくのか。もし、これを頭から否定す るなら、それがどんなに 批判的な構えを研ぎ澄ませていて も、現実的な批判作業としては実を結ばない でしょう。著者 ヨハネの物語の描き方は、〈イエスを信じます〉という関係に 入った人間たちが、もとの世界から引きはがされたように見 えながら、実は そこから別世界に行ってしまうのではなく、 そこにとどまり続けてしたたかに 生き続けていくというあり方 を取っているように見えます。ニコデモもそうだ し、サマリヤ の女も、この王の役人もそうなのだと思います。要するに、 彼らは シュッケしない、これまで彼らをしばりつけていた力 の下であろうと、そこ にとどまって自由に生きる力をもって生 き始めるのです。
1月28日の説教から ヨハネ伝福音書4章3-15節 「イエスとサマリヤの女」 久保田文貞 イエスがユダヤからガリラヤに行く途中、サマリヤの井戸 辺で女に会った話です。PP&M の"Jesus met a woman at the well"の歌声が耳に残っています。歌自身の歌詞は 女 の夫のところだけを簡単に歌っているだけなのですが、4章 のイエスと 女の対話の雰囲気を十分に伝えています。 女は昼、水汲みに来ます。乾燥帯です から村に井戸は 一つ、女たちは一般に涼しい朝と夕に水汲みをするそうで す。昼 に水汲みに来る女は人目を避けているのだそうで す。前回のニコデモは夜、 人目を忍んでイエスに会いに来 たことを思い出します。ここにイエスに会う二人 が人目のな いところで二人きりでイエスに対面するというのは偶然では な い気がします。 サマリヤとユダヤの歴史的な因縁についてバビロニア捕 囚 から帰還した時以来の確執があったと言われますが(王 下17章、歴代誌下13章な ど)、イエス時代のユダヤ人による サマリヤ人差別の原因はそんな古いもので はないようです (ベン・シラ50:25など)。要するに差別する側が根拠とする ものなど基本的に後から付けたものであり、自己保身のた めの勝手な決めつけ なのですから、それを歴史的に確か めてそれなりの区別・差別は正当だったな んて話にはなら ないわけです。 イエスはサマリヤ差別など最初からまるで問 題にしていま せん。もっともこれはこれで、現実には差別があるのに、あ まり に無頓着ではないかという批判が出てきそうですが、イ エスはどこ吹く 風という感じです。気にしているのは女の方 でした。イエスが女に「水を 飲ませてください」と言うと、女は 「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわ たしに、どうして水を 飲ませてほしいと頼むのですか」と聞く。いつも男たち から 差別を受け不快な思いに立たされてきた女としては、今日 はどんな不快な思 いをさせられるのかと身構えているので しょうか。ところが、話が変な方に 進んで行きます。 イエスはこう言います。 「もしあなたが、神の賜物を知って おり、また、『水を飲ませ てください』と言ったのがだれであるか知って いたならば、あ なたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を 与えた ことであろう。」 女がイエスにではなく、イエスが女に、水を飲ませると 逆 転し飛躍してしまいます。しかも、「わたしが与える水を飲む 者は決して渇か ない。わたしが与える水はその人の内で泉 となり、永遠の命に至る水がわき 出る。」という話になってし まうのです。なんかドグマチックなことになり ましたが、女は 言います、「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみ に 来なくてもいいように、その水をください」と。妙に現実的で いいなあと思 います。あのニコデモみたいに、「生まれ変わ る」なんてことが可能だろう かとか、結局自分が積み上げて きたことを全部捨てろというのかとか、詮索し て、結果フェイ ド・アウトしてしまわないのです。もっともニコデモのため に 弁明しておくと、このうじうじしたインテリ男も、イエスが逮捕 されかかっ たときにはイエスをかばい(7:45以下)、埋葬の 時はちゃんと礼を尽くしている (19:39)いうわけで、ただ消 えたわけではありません。でも、この女のまっ すぐな心には とてもかないません。 さて、イエスは突然「あなたの夫をここに呼 んで来なさい」 と言います。我々の感覚からすると、失礼な奴です。目の 前の 女を通り越して「夫かよ」と言いたくなります。女は「夫 はいません」と答えます。 するとイエスは「『夫はいません』と はまさにその通りだ。」と、言葉悪いで すけど、なに様だとい う感じです。「あなたには五人の夫がいたが、 今連れ添って いるのは夫ではない。」と個人情報までさらけ出され、女は ど んな顔をすればよいかと要らぬ心配をしたくなります。とこ ろが、女はこんな イエスを恨むこともしないで、「主よ、あな たは預言者だとお見受けします」 と言う。性差別問題的な 観点からいうと、ここまで差別されまくって、なおもイ エスを 預言者ではないかと持ち上げる女を憐れにさえ思えてしま います。 ま た話がとびます。今度は礼拝の場所の問題です。ここ では、切り出したの は女の方です。ユダヤ人はエルサレム 以外で神礼拝なんてできないと、サ マリヤ人を蔑んでいる のではないですか、20節のことばはこんな響きもし ます。女 がついに反撃に出たかと。でも、イエスは「この山でもエル サレム でもない所で、父を礼拝する時が来る。・・・」後の言 葉は、またもイエス らしからぬドグマチックな言葉が出てきて しまいますが、これらの言葉の むこう側に、サマリヤとエルサ レムの差異なんか吹き飛ばしてしまうイエスが 透けて見える 思いがします。「その時」がくれば、きみもわたしも同じ場 所 で、いっしょに並んで、神を礼拝することになるよとなれば わかりやすい のですが、またここで飛躍して、女はキリストの ことを取り上げて聞く。 すると「それはあなたと話をしている このわたしである」とイエス自ら正体を示 すというわけです。
1月21日の説教から ヨハネ伝福音書3章1-11 「エリートは去った」 久保田文貞 ある夜、ニコデモがイエスを訪ねてきます。彼はパリサイ 派の リーダー格だったと紹介されています。(原語のアルコ ーンは、12:42もそうて ゙すがサンヘドリンの「議員」とは限らな いようです。) 夜にイエスを訪ね てきたということには、ニ コデモが人目を避けて訪ねてきたという意味が込 められて いるでしょう。あるいは、昼間は律法研究に忙しかったという ことを意 味したかもしれません。前者の方が物語として魅力 的ですので、前者を採り たいと思います。パリサイ派の指導 者ともあろう人がイエスのところに教えを 請いに来たというの は具合が悪いとふんだのでしょう。要するにこのことは、 ニコ デモがパリサイ派に繋がっていることを大事に考えているこ とを意味 しています。パリサイ派に繋がっていれば当面、自 分の将来に不安がない し、自分の身分も保証されている。 それをしっかりと確保したうえでイエスに会 いにきたというこ とを印象付けています。 ニコデモはイエスに言います。 「ラ ビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師 であることを知っ ています。神が共におられるのでなけれ ば、あなたのなさるようなしるしを、 だれも行うことはできない からです。」 ここまでイエスに向かって告白て ゙きる人は、もうほとんどキ リスト者と言ってよいのではないか、と思います。 イエスが 「神のもとから来られた教師」である、間違いではないでしょ う。 でも、ちょっと足りない感じです。パリサイ派的にみても、 イエスは神か ゙人間に託したトーラー(律法)の言い伝えを、 正しく解釈し、それを弟子たちに伝 えていく教師、真の教師 ラビとして評価することができなくはない。またイ エスの行っ た〈しるし〉を、「神が共におられる」ことのしるしと評価するこ と ができなくもない。 ニコデモはイエスを好意的に受け入れているように見え ますが、イエスをパリサイ派的な尺度で査定しているにすぎ ないと見えな いでしょうか。しかし、もっと言えば、彼にはパ リサイ派であることも彼 独自の査定の結果なのかもしれませ ん。よく言えば、彼はなにからも自立して、 なにに対しても 評価する自分を疑わない人物のように見えます。 私たちにもなじ みのある人物と言えるでしょう。キリスト教 を、教会を好意的に評価する、で もそう評価する自分を捨 てようとしないで、そのような自分に一層の磨きをかけ ようと するような。それも、外に立つのではなく、その真ん中まで 入ってその 姿勢を維持し続ける。...なんかいつのまにか自 分のことを言っている気がしてい ます。 イエスはニコデモのイエスに対する好意的な評価の根元 にある問題性を見 抜かれたと思います。 「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神 の 国を見ることはできない。」 もちろん「新たに生まれる」ということが、 「もう一度母親の胎 内に入って生まれ直す」なんてことでないことは百も承知の はずです。でも「年を取っ者がどうして生まれることができま しょ う。」と言っておく。その気持ちがよくわかります。 イエスは言われる。「はっ きり言っておく(田川「アメーン、 アメーン、汝に言う。」)だれでも水と霊と によって生まれな ければ、神の国に入ることはできない。」 「水と霊によって 生まれる」とくれば、キリスト教の読み手と しては、これはしたりと、洗礼のこ とを言っているのだとしま すが、「水」はそのキリスト教的な読み手の加筆て ゙しょう。 7節以下「『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあ なたに 言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに 吹く。あなたはその音を聞い ても、それがどこから来て、どこ へ行くかを知らない。霊から生まれた者も 皆そのとおりであ る。」 「風」も「霊」も同じプニューマという語です。 古代人の感 覚として、帆をふくらまして船を動かすプニューマも、口から 胸に入っ て人を生かしているプニューマも、同じ。木々の枝 をゆすったかと思うと、他 人の心を大きくゆする。それがどこ から来て、どこへ行くかをしらない。そ の自由なプニューマ に自分を任せたらどうだ。「生まれ変わる」ということ は、自 由なるプニューマの思いのままに吹く、その動きに身を任 せることだと いうのでしょう。 それとても、結局は自分をプニューマに任せるという最初 の 約束だけは自力で行うことにならないかという理屈が成り 立つわけです。 かく言う私も、こういう理屈が好きなのです。 そもそも「生まれ変わる」とい うことには、同じような困難な理 屈が潜んでいます。自分は生まれ変わろう としてエイ、ヤー と飛びこえる決断をする。それが成功したとして、生まれ変 わった後も、そう決断した〈私〉をあいかわらずひきずってい るというように。 ニコデモとしては、やはり「生まれ変わる」のはとても難し いのです。気が 付いたらプニューマの思いのままを動いて いく自分ということになれば一番い いのですが。というわけ で、ニコデモは去っていく運命にあるのでしょ うか。
1月14日説教より マタイ福音書6章10、20章1~16 「み国を来たらせたまえ~約束~」 板垣 弘毅 イエスは弟子たちに、こう祈れと教えたのですが、イエス と弟子た ち、またそのまわりにいた人たちにとって「神の国」 といえばすぐ通じ合う ユダヤ教の古い背景と、またその当 時の切迫した「神の国到来」への待望があっ たはずなので す。 旧約聖書にも「主の王国」という言葉があり、この言葉に も王国、支配という意味がありますから、「神の国」は神の王 国、神の支配ど ちらの意味も含んでいる、というわけです。 ユダヤ教会堂の礼拝でかなら ず唱和されていたカディシュ の祈りでは、「願わくは、神の国が我々の生 きているうちに、 そしてイスラエル全家が存続している間に築かれますよう に。」 と祈られています。イエスの「み国を来たらせたまえ」 は、これを踏まえつつ、イ エスの祈りになっていると思いま す。 その「神の国」のたとえ「ぶどう園の労 働者」のお話。雇用 側の評価では労働力の対象外だった、夕刻にようやく雇わ れた労働者「この最後の者にもあなたと同じように支払って やりたいのだ」(14 節)とぶどう園の主人は言いました。イエ スのまわりで話を聞いた人々の多く は、社会通念のように来 るべき神の国から除外されていると思われている人たち だ ったでしょう。この最初の聴衆はイエスの神の国、神の支配 が、希望で あって絶望ではないことを、それこそからだで聞 き取ったはずです。 「寄せ場学会」などもありますが、歴史 的、社会学的な接近では見えにくい ものかもしれません。このお話でイエスの視線は、ぶどう農園の主人(神にた と えられる)が「約束した」同額の賃金を労働者全員に支払う、 その自由さに向 けられています。この「最後の者にもあなた と同じように支払ってやりたい」と いう神の国、神の支配は人 間の理想や願望と重ねることはできない。それは神の 自由 であって、人間からは決して決められない空洞としてあり続 ける。言葉で 表現することもできない何か、なのです。「たと え」の余韻で言葉ぬきで 響き合う、そこからは自分の存在で 神の国に響き合ってほしい、それがイエス の促しでした。た とえばイエスは徴税人の家で、多くの罪人、つまりユダ ヤ教 体制側からの脱落者たちといっしょのところをとがめられ て、君たちお偉方 たちより徴税人や娼婦の方が、先に神の 国に入るだろうよ(マタイ21:31)など と切り返しています。 ところで私に聖書を読む一つの角度を教えてくれる20数 年 来の友人がいます。彼は自らの言い方では、15のときか ら下層底辺の労働者と して生きてきました。被差別部落の 活動、北九州のユニオンで活動してきました。 彼は洗礼も 受けるんですが、酒の飲み方も荒くて、わたしなどは「猛獣 使い」 と活動の仲間に言われました。彼はこのマタイのぶど う園の労働者の話には特 別の思い入れがあり、「このたとえ は、体張った人にしか分からない」といいま す。その彼から 先日電話があり、仕事中の事故から久しぶりにもどった職 場 で、地上50メートルという高所での溶接作業があり、これ はなんとかという 機械を使って行う作業で、経験やちょっと した技術も要る。命綱をつけてやる仕 事に若いもんは誰も やろうとしない。仕方ないので60過ぎたオッちゃんがやっ た。なんも感謝もされん。「そのとき思った」と言うんです。自 分なんて世の中 にいらん人間や、しかしそんな人間でも「い る」時があるもんだ、神の国っ てこんな時だ。「ずっと先のこ とかもしれないが、今ここにある」 ずっと 先のことだが今こ こにある、と「神の国」を受けとめている。この「最後の者 にも あなたと同じように支払ってやりたい」という逆転を彼は彼な りの仕方で 信じています。ぶどう園の主人から見たら「約 束」だけれども、人間社 会ではこの逆転を信じているから、 今を生きている。聖書やキリスト教をいく ら批判しても、体を 張らなければイエスの十字架や復活は分からない、体を張 れ ば分かることだ、どこにでも「自分をこえた自分がある」と いうので す。 イエスがきょうのたとえ話で、またその生き方をもって伝え ていることは、 「きょう」が、誰にとっても「明日」何が起こるか 知られない「1945年8月8日・ 長崎」(井上光晴『明日』)なの だ、イエスもその8月8日を生きていたのであり、 ただその 「きょう」の生き方は「約束」の先取りのようであっていい、と いう ことです。 「きょう」できることにひたすら向き合うとき、それが早朝から の「ひたすら」であろうと、午後5時からの「ひたすら」であろ うと、神の自由 に向き合うことで変わりはない。その人の「い のち」のかけがえなさにこそ神 のまなざしは注がれている、 とこのお話は言います。 『み国を来たらせたまえ』 と祈ることは、おとぎ話や終末へ の熱狂ではなく、「きょう」を、先ほどの 友人の言葉で言えば 「体を張って」生きることになります。わたしたちキリス ト信徒 にとっては、それはあのまなざしの応えることでもあり、そし て気づ いても気づかなくても、すべての人があのまなざしの 中を生きていること を信じること。「体を張れる」なら、きっと その瞬間、瞬間に、神の国の「約束」 はできごとになってい る。
1月7日 詩篇23篇 「整えて下さる」 久保田文貞 詩篇は、私たちの讃美歌集と同じです。その詩を 書いた作者の意 図から離れて、人々に好きなように 歌われていきます。元々は、普通の、あるいは 特別の 神殿礼拝の、どこそこの部分で歌われるべき歌とか、 巡礼者の行列て ゙歌われるべき歌とか、王の即位式で 歌われる歌とか、それぞれの歌がそ れなりの場をもっ ていたでしょう。近代聖書学研究はいろいろな仮説を 出してい ます。けれども、そういう研究に敬意を持ちな がらも、それこそ私たちの讃美 歌のように、それらの 歌はいつの世も個人個人が好き勝手に理解して思う ように 歌っていたにちがいありません。 で、ここはひとつ、この詩編を歌いながら 頭をよぎる 思いに任せて、思うところを述べてみたいと思いま す。 1節、 「ヤーウェはわたしの羊飼い。わたしにはあな たに不足がありません。」(勝村弘 也訳、以下同じ) 羊は基本的に群れをなしています。その中の一匹 が「わたし」 として歌っていることになります。これにつ いて古代イスラエルでは、民全体か ゙「わたし」という一 人称単数で代表されるといった説明がされますが、こ こでは、そのまま「わたし」個人の歌、神ヤーウェが「わ たし」とともにおら れる(4節)歌としましょう。 2節、「緑の牧場に、彼はわたしを付させ、憩いの水際 にわたしを導かれる」 「わたし」は安心して日々を過ごすことができる。全 幅 の信頼をもってヤーウェがわたしを養っていて下さる ことを歌い上げます。 3節、「わたしの魂を彼は呼び戻し、わたしを義しい道 に案内される、み名にふさ わしく。」 ときに「わたし」は自分で勝手に進み、ちがう道に迷い 込みそうな る。するとすぐに羊飼いは「わたし」を呼び 戻し、正しい道を進ませてくれる。 4節、「暗黒の谷間を歩むときにも、わたしは災いを恐 れない」 地中海沿岸地帯は 昔から、移牧が行われていたそう です。羊飼いは季節が変わるごとに草場 を求めて群 れを移動します。途中、列を細くして通過しなければ ならない暗い谷 筋がある。野獣が羊をねらうかもしれ ません。羊飼いは鞭と杖で敵を追い払っ てくれるとい うのです。「暗黒(ツァルマーウェツ)の谷」を「死の陰 の谷」と訳 されてきました。羊飼いと羊の旅を、これを 歌う「わたし」の人生の旅路に重ね合 わせて、こんな にも慈しみを受けている「わたし」が、なおも「死」と隣 りあわ せの中を生きて行かなければならないのです と。そう考えると、さすがに今 度はもうつくす手は持っ ていらっしゃらないかと疑いの念がおこる。そのとき、 「わたし」は歌う。 「 あなたがわたしと共におられるからです。」(アッタ・ インマディ)これは、イザヤの預言としてクリスマスに聞 く、「神が私たちと 共におられる」(インマヌ・エル)を思 い出させます。どんな状況にあっても、い や最悪の状 況だからこそ、最後に残された言葉のように「あなたが わたしと共 におられる」が出てくるのでしょう。 5節、このあと音楽的に言えば急に曲想 が変わりま す。 「あなたはわたしの前に筵を設けられる、わたしの敵 を向こう にまわして。あなたはわたしの頭に油を注が れる。わたしの杯はあふれんばか り。」 「暗黒の谷」を超え「敵を向こうにまわして」、砂漠の中 で遊牧民が筵 を敷いて旅人を歓迎する宴なのでしょ うか。宴といっても、ただの宴ではあ りません。頭に油 をそそぎ、杯をなみなみとつぐ、たしかに最高の歓待 のしる しではありますが、「敵を向こうにまわして」のこ とになります。この緊張の 中での宴のはずです。 6節、「ああ、さいわいと友愛とがわたしを追いかけ る、 わたしの命のある限り。わたしはヤーウェの家に住む のだ、生涯の間。」 「さいわいと友愛がわたしを追いかける」とは妙 な表現ですね。でも、この 宴が、敵がなにを意味 するかはおいて、人生の旅路の、それも緊張を持 った現 場での、宴であることを思うと、「わたし」 の人生の旅を「さいわいと友愛か ゙わたしを追いか けてくる」という表現も味わい深いものがあるの ではないて ゙しょうか。